普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

故郷・島根県のこと。

2014-04-12 13:56:23 | 普通な人々<的>な
高度経済成長期には、日本の最過疎県の一つとして、ほとんど脚光を浴びることもなかった島根県だが、この2~3年、妙に注目を浴びている。

島根県はボクの生まれた場所であり、他の道府県よりは愛着がある。すでに60年という長きに亘り住居している東京への愛着はそれなりにあるが、島根県への憧憬は曰く言い難いものがある。

すでに縁ある親戚も知人もほとんどなく(よしんばあったとしても、記憶にないのだ)、故郷・島根への思いを支えているのは、ただただボク自身の4歳までの記憶だけなのだが、その記憶は鮮明で、忘れることはない。

それはさておき、近年の島根県への注目は、一つは竹島問題であり、もう一つは昨年行われた60年に一度の出雲大社の遷宮に関わるものだった(ボクは今年65歳になるのだが、4歳の時に家族共々島根から東京に移り住んだ。してみると、前回の遷宮の時にボクは島根を離れたことになるのだな!)。

竹島問題と出雲大社は、一見何の関係もなさそうだが、ボクの中では非常に近接したものとしてある。

それは古代日本の国譲りと、深く関わる。

ボクの中では国譲り神話は、土着の縄文系住民と大陸或いは半島からの移住民である弥生系住民との覇権争いの結果惹起した、非常に現実的なパワーポリティクスというか、権力の平和的移譲という事実としてある。

土着の大国主命(=大物主命)から、大陸からの移住民である天孫系の先遣隊長とでもいうべき建御雷神(タケミカツチノカミ)に、出雲大社の建設を条件として「国譲り」を承諾するのだが、2014年という、その出雲大社遷宮の年に、半島からあからさまな竹島という「国譲り」の恫喝が激しさを増したのは、なんだか偶然とは思えない(尖閣列島も同じだ)。

現在の日本は、天孫系の人々の末裔が司る国家。一見、国譲り神話の建御雷神以前に国津神・大国主命の存在としての大きさに帰順してしまった天菩比神(アメノホヒノカミ)や、天若日子(アメノワカヒコ)等のように、同化しているような側面もある。だが、現在の大陸・半島からの恫喝に対しては、かつての国津神のような立場になってはいるが「平和的移譲」など端から考えない。なにしろ自分たちも、かつて国を奪い取った側だから。

もっと言うと、日本の中に大陸や半島の恫喝を積極的に受け入れようという勢力すらある。それもやはりかつての大陸・半島系の末裔であろう。内応とでもいえるか。

同じ大陸・半島系の末裔が、両極に分かれ存在しているのが、今の日本。その中にあって本当の「平和的」解決を模索しているのが縄文系の末裔。そんな区分けができるように、ボクは思う。

国譲りの舞台は奇しくも出雲=島根県。そしてボクの故郷。言ってみれば最大の国(=出雲)難に、ボクになにができるのか? ちょっと考え始めているのだよ。

コメント
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