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普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

地震雲?

2013-09-18 15:44:38 | 普通な人々<的>な
家に帰りついて、ビールを一杯飲んだら、たちまち寝入ってしまった。
帰ったら、すぐに皆さんに見せたいものがあったにもかかわらず、だ。
その見せたいものというのが、ひょっとしてこれって地震雲なんじゃないの? という雲の映像。

もちろんボクが撮ったもので、写真の印象よりはるかにはっきりと太い雲だった(いずれも時間的、状況的に飛行機雲ではありえない)。

1枚目は、昨日の深夜、17日から18日に日付の変わった直後、つまり真夜中、仕事の休憩時間に外の空気を吸おうと、建物から出て見上げた空に、東南東から西北西に筆文字の「一」のように浮かんでいた雲。
T印刷の建物を背に、ほぼ真南の空に浮かんでいた。感覚的には飯田橋と市ヶ谷の間の上空。



2枚目は、今日の朝、仕事終わりで最寄り駅の武蔵砂川から、少し早いのでサイクリングと思い、遠回りして武蔵村山からほぼ真南に下ってきた前方の空に、東北東から西南西に横たわる真一文字の雲。6時55分頃。



3枚目、4枚目は、我が家のベランダ辺りから見た東の空に浮かんだ、東南東から西北西に伸びた太い筆の跡のような雲。7時15分頃。2枚目の雲とはまったく別のもの。



そのアップ写真。



正直、地震雲か何かはわからないが、短時間で見た3つの気になる雲の写真でした。
よく地震雲から2週間くらいは要注意と言いますが、気を付けるだけは気を付けてくださいね。
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徹夜明けで、朝日を浴びて帰宅途中、です。

2013-09-18 05:53:55 | 普通な人々<的>な
徹夜仕事が、存外早くに終了。

薄明の神田川沿いを歩いて高田馬場に。

駅に着いた頃、丁度日の出な感じ。

今、電車の中だが、朝日が強烈で、結構テンション上がり気味。

相当な睡魔と格闘してきた後とも思えない。

なにか、このまま帰って寝てしまうのが惜しい感じがするな。

でも、寝ないと、頭がおかしくなる予感。

やっぱり、寝よう。
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台風18号!

2013-09-16 08:34:17 | 普通な人々<的>な
昨日、大雨などと題した記事を書いたが、今日は、台風である。

確実に関東直撃とのことで、すでにボクは両国にいる。なんと! 仕事なのだよ。

昨日、大雨の中仕事に出かけたが、日にちを1日間違えて連絡を受けたようで、本当は今日だったのだ!

なんてこっただな。

今日は、台風情報を、不謹慎だが家で高みの見物するつもりだった。

それが、台風の真っ只中に突入ということになって、少しでも影響を避けたいと、早めに家を出たのだが、ほぼ普通に到着。

2時間早くでたので、2時間早く着いた訳だ。

今、マックでコーヒーを啜ってます。

窓の下の道を、お相撲さんが雪駄履きでゾロゾロと国技館を目指しています。

さすがに、安定感があるな、台風の中を歩いているとは思えない歩調です。
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大雨!

2013-09-15 09:08:25 | 普通な人々<的>な
道は川のよう。ズボンはボトボト。乗っている電車に降りつのる雨音が、ハッキリ聞こえる。

こんな悪天候の時に外出したのは、久しぶりだ。

それにしても、あれやこれやの被害がでないといいな。

皆さんが無事であることを祈る。

夕方、帰れるだろうか?
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75000IPを超えました! 一度でも訪問してくださった皆さん、ありがとう!

2013-09-14 13:29:54 | 普通な人々<的>な
ブログ開設3年を目前に、都合75000を越える皆さんが、ここを訪問してくれました。

感謝の言葉しかありません。

ありがとうございます。

急激な社会情勢の変化は、ボクの家族も含めた生活に、大きな変化を生じさせています。

それでも、生きる。とことん、生きる。

その決意表明だったり、泣き言だったりを、このブログで、どうやら書いているようです。

自覚はなかったんですが……。

今後とも、お付き合いのほど。
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ジーニー・パワー!

2013-09-13 12:00:09 | 普通な人々<的>な
“ジーニー(ディズニー「アラジン」のランプの精)”がうらやましい。

底なしのパワー。

少なくとも、生きている間はフルパワーで活動していたい。

決してパワーダウンして生き延びたくはない。

ところがだ。

意に反して、徹夜明けの昨日などは、すっかり寝こけてしまった。

徹夜だろうが、それは想定内の話で、パワーダウンするところではないのだよ、本当のところ……。

ただ、パワー、パワーと言っているけれど、誤解されるといけないので、ボクの使う「パワー」という言葉の意味を説明しておく。

ほんの少しの力でも、非常に効率よく動く、たとえばボールベアリングの入った回転する構造物であるとか、食べるとすぐにエネルギーに変換できていることが実感できるバナナだとか、そういった補助的なものの助けも借りつつ、自分のその時の力を精一杯発揮できるという意味の「パワー」。

無理を強いる「~でなければいけない」的なものは排除する。

自発的に力を発揮するということだ。

だから余計、自分の意に反する出来事や結果を招くと、少しがっかりする。

今日は朝から、お洗濯! とまあ、何気に生活臭が漂うんだけれど……。


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徹夜。

2013-09-11 15:12:18 | 普通な人々<的>な
今日の夜は、夜勤をすることになっている。

季節(まだ暑いが、秋ということで)が悪くないから問題はないのだが、真夏や真冬は辛いな。

頼まれれば断らない、というのがボクの今の仕事に対するスタンス。だから、今日の夜勤がある。

ただなんだか今日の夜は眠くなりそうで、ちょっとな。

というのも、ボクは意外にナイーブで(自分で言うのもおこがましいが)天気の状態、ことに気圧が脳に影響する。脳というか、血圧なのかもしれない。

いずれにしても、雨や曇りの時は頭が真綿でくるまれたように重く、すぐに目が疲れ眠くなる。これは、生理のようなもので、如何ともしがたい。

といって寝るわけにもいかないので、いろいろ策を凝らすが、おおむね失敗する。

一番いいのは、2分間眠ることなのだが……。
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オリンピックの顔と顔?

2013-09-06 15:35:37 | 普通な人々<的>な
昔、64年の東京オリンピックの時、三波春夫が「東京五輪音頭」で歌っていた歌詞に「~オリンピックの顔と顔」という、謎のフレーズがあった。

それは今でも謎のままで、ボクはなにかすっきりとしないまま50年を生きていた。

「オリンピックの顔」とは、どんな顔なのだろう?

次のオリンピックの公式的なテーマソングが決まるまで、少なくともあと数年、その謎は残り続けるのだろうな…。

まあ次が決まっても、別に前のものがなくなるわけでもない。となれば、ひょっとしたら数年では済まないだろうか? ひょっとしたら墓の中まで持ち越しということになるやもしれない。

どんな顔なのか? 知っていたり自分なりに結論を出している人がいたら、こっそりでいいから教えてちょ。

一度は「五輪」のマークに象徴される、5大陸の人種という理解をしたこともあるのだが、今一だよな、答えとしては。
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新劇の巨人?

2013-08-31 00:08:44 | 普通な人々<的>な
戦後の演劇運動で、最大の潮流となったのは、俳優座、文学座、民藝を三本柱とする『新劇』と呼ばれる一派だった(いまは劇団四季の一人勝ち!)。

元をただせば戦前の、小山内薫らの築地小劇場を母体とする演劇運動と根を同じくするもので、プロレタリア演劇と言ってはいたが、決して思想性も政治性もなかった一派だった(戦中の活動を見れば分かる)。

それが戦後の左翼運動と連動し、ある種のプロパガンダ(日共と組したのだが、誰が何のためにと言う合目的性は希薄だった)を担っていた。

だが幾多の名優を輩出したのも、この新劇だった。

ことに、民藝の宇野重吉、文学座の杉村春子、そして俳優座の滝沢修は、まさに「新劇の巨人」だった。

その後、演劇界の大転回は70年安保の学生運動と連動する中で起こった。

小劇場運動から、今の大御所と呼ばれる俳優が数多輩出し、彼らの中には、明らかに新左翼系の集団から頭角を現してきた者も多い。

名前は伏せるが、日本を代表する演出家として名を馳せるNYなども中核系の新劇人反戦青年委員会のメンバーだった。

そういう意味では、そこそこのアイデンティティを持っていたと言えるのだが、結局、ファッションだったかな?

ま、結果よければ全て良しということで。

(なぜこんな原稿を書いたかと言うと、撮りだめていた「進撃の巨人」のVを観ていたから、つい)

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150000PVを超えました!

2013-08-25 08:29:31 | 普通な人々<的>な
なんと!

2010年の10月から手探りで始めたこのブログ、3年目を前に15万PVを突破しました。

ひとえに皆さんのお陰と、感謝いたします。

いまだにブログとしての方向性も、物書きとしてのアイデンティティも定まらぬままではありますが、引き続きご来訪のほど、よろしくお願いします。

取り上げたテーマ、モチーフのひとつでも、あるいは、書いた言葉のワンフレーズでも、皆さんにとって、なにがしかを考える契機になれば、有り難いことです。

重ねて、よろしくお願いします。


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痺れる人生

2013-08-24 15:24:12 | 普通な人々<的>な
ホイホイと気楽に生きる人もいる。

鬱々とハレる気のない日々を強いられる人もいる。

どちらも、幸せであり、不幸せでもあるだろう。端から見た印象とは、本人の感じ方も人生への挑み方も雲泥の相違があることだろう。

ボクにとって、人生は艱難辛苦の修養道場であり、ハレバレとしたことは一瞬間もない。

ところが、端から見るとノホホンと生きているように見えるらしい。

死ぬまで働かなくては、と言っても、誰もそうしないと死ぬとは思っていない。ところがボクの場合は、そうしなければ死ぬるのだ。

大袈裟でもなく、例え話でもなく、そう宿命付けられているようなのだ。

その結果が。今のボクを形作っているわけで。

それが嫌かと問われれぱ、確かに嬉しくはないが、泣いて地団駄を踏むほどではない。

痺れるような人生だとは思っている。

家族にも同じ境遇を味わわせているのは、慚愧に耐えない。

だが、この感じは、死ぬまで続くような気がする。

済まないな。泣いて畳を血が滲むほどかきむしる方が、境遇から脱することができそうな気もするが、ボクの専売ではないな、きっと。

そんなこんなで、今日も、痺れている。
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敗戦の日

2013-08-18 18:04:36 | 普通な人々<的>な
昔、8月15日を「終戦記念日」と呼ぶ人間は、かの戦争に負けたことを潔しとしない保守系の人間であるとされていた。

天皇を頂点に頂くヒエラルキーを維持し、決して太平洋戦争、第二次世界大戦を「負け」で終えたとは言わなかった。

もっと資源があっ「たら」、ドイツがあれほど早くに瓦解しなけ「れば」、日本のほうが先に「ピカドン」を作ってい「たら」、というような「言い訳」を胸のどこかに抱えていた人々ではあるが、彼らが今日の日本を経済成長させてきたのだ。

戦前の日本の精神的土壌をそのまま継承しようとした人々と言い換えることができるかもしれない。

自民党しかり、三大新聞しかり、要は立法府も言論も、かの戦争に負けたとは思っていない人間たちが主導していたと言うこと。


一方で、8月15日を「敗戦記念日」と呼ぶ人間もいた。それはかの戦争が間尺に合わないものであり、負けるべくして負けたとする人々だった。ある意味で革新系の人々であるとされていた。

事実、学生運動世代にとっては「敗戦」と「終戦」の言葉のセレクションは、その人間、集団を評価する重要な分水嶺と考えられていたが、新聞で公に「敗戦」という言葉を使うのは「赤旗」くらいだった。

ただそうした人々は、「敗戦」に伴う痛みを国民が共有し得るような前向きの方向性の提示をしたわけではなく、むしろ内側の戦争犯罪人を声高に弾劾するような姿勢に終始していた印象がある。その戦争犯罪人の最高責任者は「天皇」であると言いさえした。

日本人でありながら、日本の中で犯罪者を作ろうとし、責任をなすりつけようとさえした。

ボクは「敗戦」というスタンスを取り続けているが、あの姿勢は、まったく肯んじえないものだった。

ボクの「敗戦」は、明らかな負けの中からしか「勝ち」、すなわち「価値」は生み出せないと言う点から派生してきている。

若い頃、「心情右翼」の「行動左翼」と自称したが、「敗戦」に関わる思いもそこから生まれている。

戦争で「負け」て最早68年。だがそれ以降の日本は不戦という価値観の中で世界史レベルで最も偉大な足跡を残した国家と言っていい。

このことは、保守系であろうと革新系であろうと、自分たち自身を賛嘆することのできる大きな大きなファクターだ。

この期に及んでなお、やれ「歴史認識」などと言い募り、本当のところは「儲かった」だの「合理的」だのという自分中心の価値観を押し付けることでしか、人や集団、国家を判断できない「歴史認識」をもった国には、永遠に分かりようもない足跡と言えるだろう。
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誤報は「あつい」です。

2013-08-09 23:30:27 | 普通な人々<的>な
暑い時は、「暑い!」と口にしてしまうのが一番。

それにしても。一昨日の地震予報の誤報騒ぎ。

ちょうどテレビを点けたところで、アナウンサーの極度の緊張感が伝わってきて、さてどうしたものかと思い、とりあえず家族全員にLINEで地震速報の内容を伝えた。

それからわずか10分ほどで「誤報」と伝えると、「アホか」とのお叱り。

まったく。

ただ、非常に良い訓練になった。

揺れが来たときには、しっかりと机やテーブルの下に避難し、振り飛ばされぬよう、机の脚などを握り、耐える。

とにかく、尋常ならざる出来事に耐え忍ぶ胆力が必要だとは、思った。

誤報とは捉えず、最高度の訓練だったと捉えればいい。

暑い一日が、かなりクールダウンしたとも思ったが、実際は、ヒートアップした。

ひたすら「熱」かった。

一昨日は「暑い」ではなく「熱い」が正解。
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東電の体質は、この世からなくなるまで変わらない。

2013-08-08 00:39:32 | 普通な人々<的>な
汚染水の垂れ流しの実態が徐々に明らかになり、東電の企業としての悪しき体質が、さらに鮮明になりつつある今日この頃。

政府も最早東電にことの収束を委ね、任せておくことが危険であると漸く理解したのか、どうやらどこかのタイミングで、ことの収束を政府の手で行うことにしたようだ。

世界が危惧する放射能による海洋汚染は、実のところ「あの日」以来、ずっとなんらの対策もされず続いている。

2020年に「オリンピック開催を!」と元気に叫び続けて行きたいところだが、政情不安や経済不安などは原発事故による放射能汚染の前では、そう大した問題でもなく、オリンピックの東京開催は、夢のまた夢ということになりそうな気配も出てきた。

そんな表立ったことだけではなく、最近の日本での、これまでには見たことも聞いたこともないような犯罪に顕著な、人々の心の荒廃もまた、福島第一原発事故に収斂する。

結局、福島第一原発事故での東電のやること成すことすべてが招き寄せた、日本国、日本国民ばかりでなく世界規模で地球が被った損害は、やれ○○兆円などといった単位ですむわけもなく、仏教的数の概念でいえば「無量、大数」という宇宙の大きさに匹敵するほどのもの。

そのことに思いの至らない東電は、無くなる運命というよりは、無くならなければならないものというほかはない。

それでもまだ、企業として「儲かる」だの「損失」だのと言っているようであれば、東電は国民の合意として瞬殺すべきなのではなかろうか。
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11日もご無沙汰だったんですね。

2013-08-05 23:46:41 | 普通な人々<的>な
前回のブログ更新から、11日が過ぎていたんですね。

この間、ボクは仕事をしていましたよ。ブログを更新できなかったのは、ただひたすら暑かったからでしょうか?

なにしろ、クーラーが入ったにもかかわらず、まったく使う気にならない。心頭滅却などと気取っているわけではなく、ただあの空気の流れが、気持ち悪い。

だからしっかりと暑い。

暑いと頭も回らない、そんなことでした。

また、ぜひこのブログを訪れてやってくださいやし。
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