普通な生活 普通な人々

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敗戦の日

2013-08-18 18:04:36 | 普通な人々<的>な
昔、8月15日を「終戦記念日」と呼ぶ人間は、かの戦争に負けたことを潔しとしない保守系の人間であるとされていた。

天皇を頂点に頂くヒエラルキーを維持し、決して太平洋戦争、第二次世界大戦を「負け」で終えたとは言わなかった。

もっと資源があっ「たら」、ドイツがあれほど早くに瓦解しなけ「れば」、日本のほうが先に「ピカドン」を作ってい「たら」、というような「言い訳」を胸のどこかに抱えていた人々ではあるが、彼らが今日の日本を経済成長させてきたのだ。

戦前の日本の精神的土壌をそのまま継承しようとした人々と言い換えることができるかもしれない。

自民党しかり、三大新聞しかり、要は立法府も言論も、かの戦争に負けたとは思っていない人間たちが主導していたと言うこと。


一方で、8月15日を「敗戦記念日」と呼ぶ人間もいた。それはかの戦争が間尺に合わないものであり、負けるべくして負けたとする人々だった。ある意味で革新系の人々であるとされていた。

事実、学生運動世代にとっては「敗戦」と「終戦」の言葉のセレクションは、その人間、集団を評価する重要な分水嶺と考えられていたが、新聞で公に「敗戦」という言葉を使うのは「赤旗」くらいだった。

ただそうした人々は、「敗戦」に伴う痛みを国民が共有し得るような前向きの方向性の提示をしたわけではなく、むしろ内側の戦争犯罪人を声高に弾劾するような姿勢に終始していた印象がある。その戦争犯罪人の最高責任者は「天皇」であると言いさえした。

日本人でありながら、日本の中で犯罪者を作ろうとし、責任をなすりつけようとさえした。

ボクは「敗戦」というスタンスを取り続けているが、あの姿勢は、まったく肯んじえないものだった。

ボクの「敗戦」は、明らかな負けの中からしか「勝ち」、すなわち「価値」は生み出せないと言う点から派生してきている。

若い頃、「心情右翼」の「行動左翼」と自称したが、「敗戦」に関わる思いもそこから生まれている。

戦争で「負け」て最早68年。だがそれ以降の日本は不戦という価値観の中で世界史レベルで最も偉大な足跡を残した国家と言っていい。

このことは、保守系であろうと革新系であろうと、自分たち自身を賛嘆することのできる大きな大きなファクターだ。

この期に及んでなお、やれ「歴史認識」などと言い募り、本当のところは「儲かった」だの「合理的」だのという自分中心の価値観を押し付けることでしか、人や集団、国家を判断できない「歴史認識」をもった国には、永遠に分かりようもない足跡と言えるだろう。
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