昨日は夫の誕生日。
ちょっと贅沢な食事をしに行こうと、京都へ出かけた。
夫が「御手洗祭に行きたい」というので、まずは下鴨神社へ。
21日~24日まで行われていて、この期間だけは神社の中にある御手洗池に入ることができる。
靴を脱いで裸足になり、受け付けで200円払うと蝋燭をもらえる。
蝋燭を持ったまま、池の中にズブズブ……
結構深くて、膝の下あたりまで水があるし、冷たい。
池の中を歩いていくと、火があるので、そこで自分の蝋燭に火を移し、蝋燭を奉納。
これで罪や穢れを落とし、無病息災を祈るとご利益があるとか。
その後は、御神水をいただき、足形の裏に名前と年齢を書いて奉納する。
↑こんな足形(200円)
初めての体験でかなり楽しかった。
そして、下鴨神社といえば、鴨長明ゆかりの神社だ。
私は大学時代に少し鴨長明を勉強していたこともあるし、個人的にもすごく敬愛している。
長明が父の後を継いで禰宜になるはずだった河合神社があり、そこに立ち寄った。
そこに、長明の「方丈の庵」を再現したレプリカがある。
もうそれを見ただけで興奮!
この庵は当時、組み立てられる移動式で、崩せば台車2台くらいで運べたという。
夫はこの庵のことも長明のこともよく知らないので、私は興奮してしゃべりまくった。
私がなぜこんなにも長明を好きなのか。
本来なら継ぐはずだった神社の職には就くことができず、世は平家滅亡のときを迎え、移りゆく。
無常観を感じた長明は50歳で出家。
大原の山奥で1人、この方丈の庵に住まう。
この庵の面白さは、「ついたて」にあると私は思っている。
↑この真ん中にある「ついたて」。
ついたての右側には、阿弥陀如来や普賢菩薩像の絵がかけられ、机の上には経文がありがたく置かれている。
こちらはいわば、「公」の部屋。
出家した身であるので、法華経の一つでも詠んで普賢菩薩像を拝むくらいのことはしなければ往生できない。
しかし、長明といえば、「数寄物(すきもの)」として有名な人だ。
和歌を詠み、琵琶や琴を奏でることが好きで好きで仕方がない。
けれど、出家した人間は、できるだけこの世の煩悩を捨て、執着を捨てなければならない。
そんなに俗世のものを愛して執着していては、本当はダメなのだ。
でも、捨てられない。
ついたての左側は、自分が大好きな和歌を詠んだり、音楽を演奏する「私」的な部屋。
琵琶と琴が立てかけられ(レプリカにはなかったが)、人里離れた山奥でいつでも思い切り演奏ができる。
この「ついたて」の本来の意味は、長明本人にしかわからないが、後世の者はここに長明の葛藤を見る。
自分は禰宜職にも就けなかった、世の中は無常だ、出家した身だ、極楽往生したい。
そう思いながらも、歌を詠み、琵琶を演奏する楽しさだけはどうしたって捨てられない。
そう考えた末に「ついたて」を置き、公と私を完全に分けた長明の気持ちを思うと、私はなんとも愛おしい気持ちになる。
大学時代、長明に関するいろんな文献を読んだが、彼は本当に琵琶を弾くのが好きだったし、腕もかなりのものだったようだ。
歳とってもギターを弾くのをやめられないオッサンみたいなもんで、琵琶を触っているだけでたぶん楽しかったのだ。
ある時は、きちんと師匠に伝授された人しか弾いてはいけない秘曲「啄木」をみんなの前でノリノリで弾いてしまい、その場は大うけ。
でも、それを知った後鳥羽上皇(だったかな?)に「みんなの前であの曲を習ってもないのに弾くなんて前代未聞!」と非難された。
この「啄木事件」はもっとも長明の人柄を表しているような気がする。
なんと人間らしいことか!
これを読んだときは、「ロッカーや!鎌倉時代のロッカーや!」と1人で盛り上がったものだ。
それから、なんといっても方丈記の中の大好きな一節。
今、さびしきすまひ、一間の庵、みづからこれを愛す。
おのづから都に出て、身の乞がいとなれる事を恥づといへども、
帰りてここに居る時は、他の俗塵に馳する事をあはれむ。
もし、人この云へる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。
魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。
鳥は林を願う。鳥にあらざれば、その心を知らず。
閑居の気味もまた同じ。住まずして、たれかさとらむ。
何度も何度も繰り返し読んだ。
長明の淋しさも、葛藤も、無常観も、すべてのみ込んでくれた方丈の庵。
「みづからこれを愛す」という言葉の中に、その思いが集約されていると思う。
まるで知っている人が書いた文章のように、私の中には自然に溶け込んできて、何度読んでも心に響いた。
方丈の庵を見ていたら、こんなふうにいろんなことを思い出して、夫に熱く語りまくって楽しかった。
夫は「こんなに鴨長明を熱く語る人、初めてや…」と少し引いていたが……。
その後は、食事をしに「御幸町つばき」へ。
こちらはもう3回目。
いつも夫と行くようなお店よりちょっと上質な雰囲気だから、誕生日にはちょうどいい。
でも、敷居は高くなく、カウンターでも気軽に食事ができる。
お値段は、料理長さんが5月に代わってから、ちょっと高くなったような気がするが……
鴨と賀茂ナス。
田楽味噌に胡麻だれを加えたソースで。美味。
キスとウニを磯辺揚げにして。レンコンなどの野菜も添えてある。
衣がサックサクのカッリカリでめっちゃおいしい!
お造り盛り合わせ。
蛸、鯒、ひらめ、鯛、とり貝、穴子、鱧、よこわと8種類も!
このお造りはかなりレベル高かったなぁ。
私はあまり赤身のお魚が好きじゃないので、よこわもそんなに好まないんだけど、これはすごく美味しかった。
ひらめも淡白なお魚という印象があるが、甘みがすごい。
鱧がちょっと残念だったかなー。少しあぶりすぎ。焦げの味が勝ちすぎていた。
メニューにはなかったが、焼き魚を頼もうとしたら「ぐじがあります」と言うので、迷わず注文!
焼き魚で何が好きかと問われれば、やっぱりグジかノドグロか……
ふっくらと炭火で焼き上げ、濃厚な旨みとバランスのよい脂で、美味しかった。
お料理が出るのを待つ間、「モズク」と「蛸の子の有馬煮」も少しずつサービスで出してくれた。
私は魚介の「子」が大好きなので、この蛸の子がもうたまらんかった。
日本酒も3合を2人で分けながらゆっくり飲み(高いもん!)、しめには鰻と新ごぼうの釜飯を注文。
ちゃんと赤だしと香の物もつけてくれたし、とにかくうまい!
夫と2人、「うまい、うまい」と恍惚としながら食べた。(私も夫も鰻が大好物である)
山椒の風味が効いていて、新ごぼうの香りがふわっと口の中に広がって……これはたまらん!!
そうして、大満足でお店を出た。
もちろん夫の誕生日なので、私が全額ごちそうしたが、私がお金がないのを知っているので、夫はかなりびびっていた。
「あと貯金が○○万円残ってるから大丈夫!」と私が言うと、
「えっ!それだけしかないの?……かおりって、すごいなぁ」と、軽蔑と畏怖が混じりあった微妙なニュアンスで言われた。
たったそれだけしかお金がないのに、こんな贅沢して人にご馳走までして平気でいられる神経がおかしいと、そう言いたかったようだ
しかし、以前のように私のことを「くるくるぱー!」とは言わなかった。(もうあきらめているのか?)
いやいや、私だってちゃんと考えている。
7月末はかなり入金があるので、それで安心しているのだ。(ダメだ、お金がたまらない人の典型だ)
夫は帰りに金運と仕事運のアップするパワーストーンのブレスレットを私にプレゼントしてくれた。
まあ、芦屋花火の日の帰りに、いつも付けているパワーストーンのブレスが切れて道路に飛び散ってしまったからなんだけど。
これで金運と仕事運、アップするかなー
ちょっと贅沢な食事をしに行こうと、京都へ出かけた。
夫が「御手洗祭に行きたい」というので、まずは下鴨神社へ。
21日~24日まで行われていて、この期間だけは神社の中にある御手洗池に入ることができる。
靴を脱いで裸足になり、受け付けで200円払うと蝋燭をもらえる。
蝋燭を持ったまま、池の中にズブズブ……
結構深くて、膝の下あたりまで水があるし、冷たい。
池の中を歩いていくと、火があるので、そこで自分の蝋燭に火を移し、蝋燭を奉納。
これで罪や穢れを落とし、無病息災を祈るとご利益があるとか。
その後は、御神水をいただき、足形の裏に名前と年齢を書いて奉納する。
↑こんな足形(200円)
初めての体験でかなり楽しかった。
そして、下鴨神社といえば、鴨長明ゆかりの神社だ。
私は大学時代に少し鴨長明を勉強していたこともあるし、個人的にもすごく敬愛している。
長明が父の後を継いで禰宜になるはずだった河合神社があり、そこに立ち寄った。
そこに、長明の「方丈の庵」を再現したレプリカがある。
もうそれを見ただけで興奮!
この庵は当時、組み立てられる移動式で、崩せば台車2台くらいで運べたという。
夫はこの庵のことも長明のこともよく知らないので、私は興奮してしゃべりまくった。
私がなぜこんなにも長明を好きなのか。
本来なら継ぐはずだった神社の職には就くことができず、世は平家滅亡のときを迎え、移りゆく。
無常観を感じた長明は50歳で出家。
大原の山奥で1人、この方丈の庵に住まう。
この庵の面白さは、「ついたて」にあると私は思っている。
↑この真ん中にある「ついたて」。
ついたての右側には、阿弥陀如来や普賢菩薩像の絵がかけられ、机の上には経文がありがたく置かれている。
こちらはいわば、「公」の部屋。
出家した身であるので、法華経の一つでも詠んで普賢菩薩像を拝むくらいのことはしなければ往生できない。
しかし、長明といえば、「数寄物(すきもの)」として有名な人だ。
和歌を詠み、琵琶や琴を奏でることが好きで好きで仕方がない。
けれど、出家した人間は、できるだけこの世の煩悩を捨て、執着を捨てなければならない。
そんなに俗世のものを愛して執着していては、本当はダメなのだ。
でも、捨てられない。
ついたての左側は、自分が大好きな和歌を詠んだり、音楽を演奏する「私」的な部屋。
琵琶と琴が立てかけられ(レプリカにはなかったが)、人里離れた山奥でいつでも思い切り演奏ができる。
この「ついたて」の本来の意味は、長明本人にしかわからないが、後世の者はここに長明の葛藤を見る。
自分は禰宜職にも就けなかった、世の中は無常だ、出家した身だ、極楽往生したい。
そう思いながらも、歌を詠み、琵琶を演奏する楽しさだけはどうしたって捨てられない。
そう考えた末に「ついたて」を置き、公と私を完全に分けた長明の気持ちを思うと、私はなんとも愛おしい気持ちになる。
大学時代、長明に関するいろんな文献を読んだが、彼は本当に琵琶を弾くのが好きだったし、腕もかなりのものだったようだ。
歳とってもギターを弾くのをやめられないオッサンみたいなもんで、琵琶を触っているだけでたぶん楽しかったのだ。
ある時は、きちんと師匠に伝授された人しか弾いてはいけない秘曲「啄木」をみんなの前でノリノリで弾いてしまい、その場は大うけ。
でも、それを知った後鳥羽上皇(だったかな?)に「みんなの前であの曲を習ってもないのに弾くなんて前代未聞!」と非難された。
この「啄木事件」はもっとも長明の人柄を表しているような気がする。
なんと人間らしいことか!
これを読んだときは、「ロッカーや!鎌倉時代のロッカーや!」と1人で盛り上がったものだ。
それから、なんといっても方丈記の中の大好きな一節。
今、さびしきすまひ、一間の庵、みづからこれを愛す。
おのづから都に出て、身の乞がいとなれる事を恥づといへども、
帰りてここに居る時は、他の俗塵に馳する事をあはれむ。
もし、人この云へる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。
魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。
鳥は林を願う。鳥にあらざれば、その心を知らず。
閑居の気味もまた同じ。住まずして、たれかさとらむ。
何度も何度も繰り返し読んだ。
長明の淋しさも、葛藤も、無常観も、すべてのみ込んでくれた方丈の庵。
「みづからこれを愛す」という言葉の中に、その思いが集約されていると思う。
まるで知っている人が書いた文章のように、私の中には自然に溶け込んできて、何度読んでも心に響いた。
方丈の庵を見ていたら、こんなふうにいろんなことを思い出して、夫に熱く語りまくって楽しかった。
夫は「こんなに鴨長明を熱く語る人、初めてや…」と少し引いていたが……。
その後は、食事をしに「御幸町つばき」へ。
こちらはもう3回目。
いつも夫と行くようなお店よりちょっと上質な雰囲気だから、誕生日にはちょうどいい。
でも、敷居は高くなく、カウンターでも気軽に食事ができる。
お値段は、料理長さんが5月に代わってから、ちょっと高くなったような気がするが……
鴨と賀茂ナス。
田楽味噌に胡麻だれを加えたソースで。美味。
キスとウニを磯辺揚げにして。レンコンなどの野菜も添えてある。
衣がサックサクのカッリカリでめっちゃおいしい!
お造り盛り合わせ。
蛸、鯒、ひらめ、鯛、とり貝、穴子、鱧、よこわと8種類も!
このお造りはかなりレベル高かったなぁ。
私はあまり赤身のお魚が好きじゃないので、よこわもそんなに好まないんだけど、これはすごく美味しかった。
ひらめも淡白なお魚という印象があるが、甘みがすごい。
鱧がちょっと残念だったかなー。少しあぶりすぎ。焦げの味が勝ちすぎていた。
メニューにはなかったが、焼き魚を頼もうとしたら「ぐじがあります」と言うので、迷わず注文!
焼き魚で何が好きかと問われれば、やっぱりグジかノドグロか……
ふっくらと炭火で焼き上げ、濃厚な旨みとバランスのよい脂で、美味しかった。
お料理が出るのを待つ間、「モズク」と「蛸の子の有馬煮」も少しずつサービスで出してくれた。
私は魚介の「子」が大好きなので、この蛸の子がもうたまらんかった。
日本酒も3合を2人で分けながらゆっくり飲み(高いもん!)、しめには鰻と新ごぼうの釜飯を注文。
ちゃんと赤だしと香の物もつけてくれたし、とにかくうまい!
夫と2人、「うまい、うまい」と恍惚としながら食べた。(私も夫も鰻が大好物である)
山椒の風味が効いていて、新ごぼうの香りがふわっと口の中に広がって……これはたまらん!!
そうして、大満足でお店を出た。
もちろん夫の誕生日なので、私が全額ごちそうしたが、私がお金がないのを知っているので、夫はかなりびびっていた。
「あと貯金が○○万円残ってるから大丈夫!」と私が言うと、
「えっ!それだけしかないの?……かおりって、すごいなぁ」と、軽蔑と畏怖が混じりあった微妙なニュアンスで言われた。
たったそれだけしかお金がないのに、こんな贅沢して人にご馳走までして平気でいられる神経がおかしいと、そう言いたかったようだ
しかし、以前のように私のことを「くるくるぱー!」とは言わなかった。(もうあきらめているのか?)
いやいや、私だってちゃんと考えている。
7月末はかなり入金があるので、それで安心しているのだ。(ダメだ、お金がたまらない人の典型だ)
夫は帰りに金運と仕事運のアップするパワーストーンのブレスレットを私にプレゼントしてくれた。
まあ、芦屋花火の日の帰りに、いつも付けているパワーストーンのブレスが切れて道路に飛び散ってしまったからなんだけど。
これで金運と仕事運、アップするかなー
いやいや・・・私は大学時代に専門でやってたので。
そうじゃなかったら、私だって「ゆく河の流れは…」を暗記して終わりだったはず(笑)
京都は歴史のあるお祭りや行事がいろいろ残っているので、面白いです。
そういう面では東北と似ているかも。
あ、そうだ。おかえりー
引越し頑張ってね!
また遊ぼう。
熱く語れる何かがあることや、自分なりの解釈があることはすばらしいなあを思う。
わたしは勉強不足だな、ホントに。
よく教壇に立っていたもんだ…(泣)
いい時間を過ごして
思索の時間や美味の時間を過ごして
なんとも豊かでうらやましいことか。
はじめまして!
コメント嬉しいです。ありがとうございます。
本当の研究者が読んだら「なに言ってるねん?」と怒るかもしれませんが(笑)、
私は長明のロッカーなところが好きなんです。
表現を気に入っていただけてよかったです!
また気になることがあればコメントくださいね。
時々、読ませてもらっています。
喜怒哀楽、どの時のものも感心しています。
「ロッカーや!鎌倉時代のロッカーや!」
なんて、「うまいこと言うなぁ」と・・・。
コメントせずにはいられませんでした。
すみません。とりとめのない文章で。