世の流れもあるけれど、文章を書くということを生業にしているためか、
いつからかパソコンでないと長文が書けなくなってしまった。
メールではなく郵送する手紙の時も、ほぼ100%手書きは無理で・・・
最近は私だけでなく、友達から手紙が来るなんてこともなくなり、特にその必要性も感じていなかった。
メールですぐにやりとりできるし・・・
でも、思い返してみれば、小・中・高とは学校で会う友達と毎日手紙のやりとりをしていたし、
学校を卒業してからも、自宅にはよく手紙が届いた。
私の友達は、あまり筆不精という人は居らず、皆手紙を書くことが苦にならないようだった。
さすがに学校時代の手紙は捨ててしまったけれど(それでも結婚するまで持っていた)
大人になってからの手紙はいくつかまだ大切にしまってある。
小さめのダンボールに1杯程度。
* * * *
今日、郵便受けを覗いたら、私宛の手紙が一通届いていた。
高校時代に一緒に男バレのマネージャーをやっていた、みいこから。
みいことは今年の夏、10年ぶりに再会を果たし、
その盛り上がりついでに、男バレ部員とも2度集まって、ミニ同窓会をした。
彼らはまだバレーを続けていて、その大会が先月末にあった。
私は法事でいけなかったのだが、みいこは応援しに行って来て、
手紙にはその詳細が綴られてあった。もちろん、手書きだ。
小さな紙だが6枚にも渡る長編で、私はなんだかそのことにまず感激してしまった。
子供を3人も抱えて、仕事もバリバリ主任でやって、議員の夫を支えて、
毎日の生活だけで大変だろうに、手紙を書くという労力に恐れ入った。
まず、そのことに感激して、次に「手紙を読む」という行為そのものに、なんだか不思議な感動を得た。
1枚ずつ手紙を読み進める。
懐かしい字。
推敲なんてしないから、感情のまま。話も前後する。
でも、想いがダイレクトに伝わってくる。
読みながら、あと残り何枚かが気になって、
いつまでも終わってほしくないと思っている自分に気付いた。
まるで、面白い小説を読んでいる時みたいに。
そういえば、昔はいつも言っていたっけ。
「私は、もらうのは長い手紙が好き」だと。
だからいつも分厚い封筒が届くと嬉しくて仕方がなかった。
そんなことも思い出した。
そして、読み終えてたたんだとき、
量的には2、3分で終わるようなものなのに、
本を1冊読んだ後と同じような読後感をもっていることにも気がついた。
手紙って・・・
すごい!!
自分が手紙を書くこともなく、もらうこともなかった昨今、
久しぶりに手紙の感動を味わった。
この感動は、内容の濃さ、重さとは関係ないのだ。
だって、これがメールだったら、全然違う。こんな感動はないと思う。
一人ひとりがもつ、個性的な字。
1枚ずつめくっていく感覚。
それから、こうして労力を費やして書いてくれたんだ、という想いもあって、
たった1通の手紙がものすごくドラマチックなほどに感動を与えてくれた。
アナログの良さって、やっぱりあるなぁ・・・
これからは私もたまには手書きで手紙を書いてみようと思った。
最近、おじいちゃんに送るときも、パソコンで打ってたけど、頑張って手書きにしてみよう。
友達にも、久しぶりに手紙を書きたいな・・・
手始めに、みいこへの返事はメールじゃなく、パソコンで書くのでもなく、
手書きにして郵送してみようと、そう思った。
いつからかパソコンでないと長文が書けなくなってしまった。
メールではなく郵送する手紙の時も、ほぼ100%手書きは無理で・・・
最近は私だけでなく、友達から手紙が来るなんてこともなくなり、特にその必要性も感じていなかった。
メールですぐにやりとりできるし・・・
でも、思い返してみれば、小・中・高とは学校で会う友達と毎日手紙のやりとりをしていたし、
学校を卒業してからも、自宅にはよく手紙が届いた。
私の友達は、あまり筆不精という人は居らず、皆手紙を書くことが苦にならないようだった。
さすがに学校時代の手紙は捨ててしまったけれど(それでも結婚するまで持っていた)
大人になってからの手紙はいくつかまだ大切にしまってある。
小さめのダンボールに1杯程度。
* * * *
今日、郵便受けを覗いたら、私宛の手紙が一通届いていた。
高校時代に一緒に男バレのマネージャーをやっていた、みいこから。
みいことは今年の夏、10年ぶりに再会を果たし、
その盛り上がりついでに、男バレ部員とも2度集まって、ミニ同窓会をした。
彼らはまだバレーを続けていて、その大会が先月末にあった。
私は法事でいけなかったのだが、みいこは応援しに行って来て、
手紙にはその詳細が綴られてあった。もちろん、手書きだ。
小さな紙だが6枚にも渡る長編で、私はなんだかそのことにまず感激してしまった。
子供を3人も抱えて、仕事もバリバリ主任でやって、議員の夫を支えて、
毎日の生活だけで大変だろうに、手紙を書くという労力に恐れ入った。
まず、そのことに感激して、次に「手紙を読む」という行為そのものに、なんだか不思議な感動を得た。
1枚ずつ手紙を読み進める。
懐かしい字。
推敲なんてしないから、感情のまま。話も前後する。
でも、想いがダイレクトに伝わってくる。
読みながら、あと残り何枚かが気になって、
いつまでも終わってほしくないと思っている自分に気付いた。
まるで、面白い小説を読んでいる時みたいに。
そういえば、昔はいつも言っていたっけ。
「私は、もらうのは長い手紙が好き」だと。
だからいつも分厚い封筒が届くと嬉しくて仕方がなかった。
そんなことも思い出した。
そして、読み終えてたたんだとき、
量的には2、3分で終わるようなものなのに、
本を1冊読んだ後と同じような読後感をもっていることにも気がついた。
手紙って・・・
すごい!!
自分が手紙を書くこともなく、もらうこともなかった昨今、
久しぶりに手紙の感動を味わった。
この感動は、内容の濃さ、重さとは関係ないのだ。
だって、これがメールだったら、全然違う。こんな感動はないと思う。
一人ひとりがもつ、個性的な字。
1枚ずつめくっていく感覚。
それから、こうして労力を費やして書いてくれたんだ、という想いもあって、
たった1通の手紙がものすごくドラマチックなほどに感動を与えてくれた。
アナログの良さって、やっぱりあるなぁ・・・
これからは私もたまには手書きで手紙を書いてみようと思った。
最近、おじいちゃんに送るときも、パソコンで打ってたけど、頑張って手書きにしてみよう。
友達にも、久しぶりに手紙を書きたいな・・・
手始めに、みいこへの返事はメールじゃなく、パソコンで書くのでもなく、
手書きにして郵送してみようと、そう思った。
気持ちというか、温度が伝わってくる。
手書きってすごいよね。
あんこのとこには、実家の母からいつも葉書が届くねん。
裏表、住所の真下まで、びっしり小さな神経質そうな字が並んでる。
嬉しいねんけど、たった一枚のはがきがすっごく重たいときがある。
500グラムぐらいに感じたり。
それって家を出てから、あまりにも実家に戻ることの少ない自分のいたたまれなさというか…。
なんというか…。
でも、やっぱりこのハガキは宝物やと思う。
あのマメさ…。尊敬するよ。
お友だちからの手紙、ほんまに読み終わるのがいや~って思ったの想像できる。
かおりんも手書きのお返事やな。
確かにそのハガキ、重そうやな・・・
でも、嬉しいね。
ずっと大切にしてね。
人から手紙をもらうと、自分も手紙を書こうって思うわ。
とりあえず、この週末に返事書くつもりです。(おそっ!)