明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

木の微笑み ~円空・木喰展へ

2009-11-10 10:01:30 | 生活
土曜日、一人でふらりと「円空・木喰展」に行ってきた。
http://wjr-isetan.com/kyoto/floorevent/index_7f.html

円空(えんくう)が活動したのは、17世紀。
それより100年ほど遅く木喰(もくじき)が現れる。
二人の共通点は、全国を巡る行脚僧として布教活動をしながら、仏像や神像を彫り歩いたこと。
ただひたすら自分の行と庶民救済のために仏像を彫り続けた。

円空は32歳で仏像を彫り始め、その後30年間の間に12万体もの仏像を彫ったといわれているが、これは1万体程度ではないかなど、諸説ある。
しかし、現在でも5000体以上が発見されているし、
庶民対象であっただけに見つけるのは困難なだけで、かなりの数があったのだろうと思われる。

木喰は驚くべきことに62歳で初めて造像し、93歳まで彫り続けた。
現在も700体以上が発見されている。
芸術としては完成されたように見える仏像で、表情もとても豊か。
「微笑仏」と呼ばれるその微笑をたたえた仏たちは、見る者の心を魅了する。

美術館内に入ると、まずは円空の作品が並んでいる。
3センチほどの小さなものから、見上げるほど大きなものまでさまざまだ。

円空は、「木」という素材を知り尽くしていて、
それを最大限生かす方法で像を彫る。
美術品としての像ではなく、あくまでも修行のための像だ。

だから、正面には仏様が彫られていても、裏にまわってみれば、
それは本当に朽ちた木だったりもする。
「木っ端仏」と呼ばれる小さなものがあるが、これはそれこそ木の端に仏を彫ったもので。
どんな木からも仏を彫り続けたというのがよくわかる。

素朴で、力強く、でも、どこかあたたかい。
熱と魂を感じてやまない。

近年になって千面菩薩厨子が発見されたとき、中からは1024体もの大小様々な仏様が現れたという。
それはまだ真新しく、彫りたてのように檜の香りがしたそうだ。
そして、その厨子には、このようなことが書かれてあった。

「たとえ、どんなに朽ち果てた木であっても、衆生救済のために私は彫り続ける」

これを読んだとき、何か執念にも近いものが感じられた。
ぞくっとした。

大きな木の根に顔と小槌だけを彫った大黒天。
朽ちた木の形をそのまま炎に見立てた不動明王。
木のゆがみや傷もそのまま生かして仏となる。

30年間もただ仏を彫り続けた・・・
そして、それを必要としている庶民がたくさんいた。
そういう時代だったのだなぁ。

対して木喰の仏は、もっと肉感的だし、表情も豊か。
丸みのある、滑らかな曲線で形造られている。

そこには、円空のような執念ではなく、どこか「自我」を感じさせるものがあった。
怖い顔をした十二神将の中に微笑んだ像を紛れ込ましたりするし、自身像も多い。
62歳で仏像を彫ろうと思うくらいだから、かなり自身に対してストイックでありながらも、
どこか煩悩を捨てきれなかったところがあるのではないかしら?
文学でいえば、鴨長明のように・・・

木喰の中では、子安地蔵菩薩といって赤ん坊を抱いている像がいくつかあるのだけど、
これが一番感動した。
まるで、イエスを抱くマリア像のようだ。
肉感的なところが日本の仏像とは違い、どこか西洋的。

母親が赤ん坊を抱く姿・・・
これは普遍的なものなのかもしれないなぁ。
どんな仏様よりも神秘的で美しかった。

それから、もう一つ面白いと思ったのは、秩父三十四所観音菩薩と自身像が
新潟の金比羅堂に安置されているらしいのだが、
その像たちは全部表面が削れて、傷だらけになっていた。
自身像など、表面が全部削れてしまい、のっぺらぼうだ。

これは、そのお堂の近所の子供たちが菩薩像を取り出してきて遊んでいたからだという。
自身像は中が空洞になっていたため、そこに子供たちが乗り、そりのようにして遊んでいたため、
表面が完全に削り取られてしまっているのだ。

ここからも、いかに「庶民」の仏であったかということがわかる。
バチが当たりそうに思える行為でもあるが・・・
「仏様と子供たちは仲良し」とよく聞くが、そうだったのだと思いたい。


1時間くらいだったが、とても充実したいい時間を過ごしたなぁ。
たくさんの仏様を見て、心が随分安らいだ。
円空の彫ったものに善財童子があり、それが一番のお気に入り。
私の好きな奈良・西大寺の善財童子様と同じように、可愛らしく微笑んでいた。

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