朝起きると、食欲が爆発していた。
この宿は「囲炉裏の宿」と名前がついているように、囲炉裏の部屋が自慢。
朝食はここでとる。
なかなかいい感じのお部屋で、冬は囲炉裏であったかい鍋なんかを食べるのもいいなぁと思った。
朝食は、素朴ラインナップ。
これにあと、しじみの味噌汁とご飯が付いた。
こういう宿の朝食は、グループごとにおひつを持って来てくれる。
私は一日のうちで朝一番お腹がすいているので、このおひつの中のご飯を全部たいらげる。
この日もお茶碗3杯食べた。
しゃもじについた米までなめるようにして食べきったので、宿の人はおひつ開けた時うれしいだろうなと思った。
残す人って多いから……
いつもおひつを空にすると、昔、もんちゃんと奈良の山奥の民宿に泊まったことを思い出す。
そこも朝食はおひつが出てきて、その頃から食欲爆発女子だった私は、「全部食べていい?」ともんちゃんに聞き、
1人でおかわりをしまくって、空にしてしまった。
「あー、絶対、宿の人、私が全部食べたと思ってはるわ……」
ともんちゃんが恨めしそうに言った。
小柄な私に対して、もんちゃんは170センチくらいあるし、どう考えてもこの大きな女性が食べたに違いないと、
そういう濡れ衣を着せられると、もんちゃんは嘆いて、私を恨めしそうに見た(笑)
あれからもたびたび「おひつを空にする」という場面にでくわしたが、そのたびにもんちゃんの言葉を思い出す。
そして今は、夫を見て、「大丈夫。絶対この男が食べたと思ってるな、宿の人は……」と思うのである。
まさか私がおひつを抱え、しゃもじについた一粒までお箸できれいに取っていたとは思うまい……
3杯食べてもお腹はまったくといっていいほど膨れず、
「なんぼでも食べられるモードに入ってきた!もっと食べたい!」と言うと、夫が、
「鯉みたいやな」と言った。
鯉はお腹いっぱいになることがないらしい
しかし、私は鯉ではないので、これ以上食べてはいけないと自分を律し、部屋に戻った。
さあ、今日も出発だ!
まずは、生野銀山へ。
私は、炭鉱とか銀山・銅山とかって、すごく怖い。
まず、「地下」が苦手。理由はわからない。ただ、ぞくっとするのだ。
それから、過酷な労働だったという歴史を思うと、そこで働いていた人たちの「想い」がしみついているような気がして怖い。
だから、夫が「生野銀山行こう」と提案したとき、行きたくないとごねていた。
「生理的に無理」「わけもないけど怖い」と理由を言うと、
「奴隷だった前世を思い出すんやな……」と夫が言った。
誰が奴隷やねん?!
でも気が変った。
宿にあったパンフレットを見たら、銀山で働く人の蝋人形がいっぱいあったからだ。
私はこういう施設の蝋人形が大好きで、「蝋人形あるから行く!」とノリノリになった。
これもまたもんちゃんと行った旅だが、北海道の網走刑務所へ行ったときの蝋人形が今でも忘れられない。
あのリアルさ、逆にユーモアを感じてたまらんかった。
高知の坂本竜馬資料館みたいなところも蝋人形があって、あそこもなかなかよかった。
というわけで、蝋人形につられて行ったわけだが、生野銀山、すごい。
行ってよかったなぁと思っている。(蝋人形関係なく)
807年に発見され、室町時代には本格的に採掘が始まったと言われている歴史ある銀山で、
実際にその坑道を見ることができる。(観光用に整備されている)
人が這ってノミ1本で掘っていったという、生々しい坑道。
這うのがやっとというほどの小さな穴で、その過酷さを想像するだけで震える。
資料館に模型があるのだが、まるでアリの巣。
人間がこんな地中深くまで手で掘っていたとは考えられない。
でも、そこに何百人もの人が働いていたのだ。
「過酷やな…」と何度も言葉が出る。
数え切れないほどの労働者が犠牲になり、わずかな銀が殿様のところへ届けられる仕組みがよくわかった。
いつの時代も、多くの労働者が、少数の金持ちを作っているんだなと思う。
常に気温は13度。
夏は涼めるのでいいが、実際に掘ってる人たちはきつかっただろう。
手堀りの時代から、ドリル、ダイナマイト、エレベーターといろんなものが利用されるようになる。
その様子もよくわかるようになっていて、すごく勉強になった。
で、結局、蝋人形はというと……
あまりのショボさにがっくりしたよ。
この施設のために造られた蝋人形ではなく、あきらかに洋服屋のマネキン利用。
だから、江戸時代の日本人やのに、どう見ても外人やろ!みたいな美しい顔の人に無理やり労働服を着せてノミを持たせている
↑何人か設置されてるの、わかるかな?
あと、面白かったのは、こちら。
坑道の中にお酒の貯蔵庫があった!
日本酒もあったし、ワインもあった。
一年を通して温度が13度に保たれ、じめじめといい感じに湿気もあり、最高の天然貯蔵庫になるのだ。
それを利用してお酒を熟成させていた。(売店で売ってる)
なるほどなぁ・・・
とにかく、生野銀山はよかった。
勉強になった。
こういう日本の歴史を見ることはすごく大事だと思う。
そして、この後、もう1つの歴史を見に行った。
竹田城跡。
世の中には城マニアの人が割合多くいて、そういう城マニアにとったら垂涎ものの城跡らしい。
そんな城跡があることすら知らなかったのだが、これは本当にすごい。
城マニアでなくとも、感動する。
駐車場に車を置いて、15分ほど山道を登っていく。
こんなマニアックな場所、閑散としてるのかなと思っていたら、すごい観光客!!
どうやら人気のスポットのようなのだ。
嘉吉年間(1441~43年)に但馬の守護大名・山名宗全が基礎を築いたとされ、
織田信長の命による秀吉の但馬征伐で天正8年に落城。
南北400メートル、東西100メートルに及び、完存する石垣遺構としては全国屈指のもの。
平成18年には日本城郭協会により「日本100名城」に選定されている。
自然石を巧みに配置した石垣は、400年前のまま。
朝霧が発生すると雲海が見え、そこに浮かぶように見える城跡の様子は、「天空の城」と呼ばれている。
午後だったので雲海はもちろんなかったが、それでも圧倒された。
360度、全部見渡せる。
あっちから敵が攻めてきても、すぐわかるなぁとか。
そういうことをリアルに感じさせてくれる。
石垣がまた美しくて。
雲海が出ているとき、別の場所からこの城跡を見たら、それは本当に「天空の城」に見えるんだろうなぁと実感できた。
360度見渡せる、美しい古城跡。
風に吹かれて遠くを眺めていたら、「国敗れて山河あり」と夫が言った。
「城春にして草木深し」と私が続けた。
人がつくったものは滅んでも、自然の姿は変わらない。
平泉で同じようにこの杜甫の詩を思い出し、涙をはらはらと流した松尾芭蕉のように、
私の心にも何か打つものがあった。
あの時代、人はここから同じ景色を見て、何を思ったのだろう……。
胸を熱くしながら、山を降りた。
(つづくかも)
この宿は「囲炉裏の宿」と名前がついているように、囲炉裏の部屋が自慢。
朝食はここでとる。
なかなかいい感じのお部屋で、冬は囲炉裏であったかい鍋なんかを食べるのもいいなぁと思った。
朝食は、素朴ラインナップ。
これにあと、しじみの味噌汁とご飯が付いた。
こういう宿の朝食は、グループごとにおひつを持って来てくれる。
私は一日のうちで朝一番お腹がすいているので、このおひつの中のご飯を全部たいらげる。
この日もお茶碗3杯食べた。
しゃもじについた米までなめるようにして食べきったので、宿の人はおひつ開けた時うれしいだろうなと思った。
残す人って多いから……
いつもおひつを空にすると、昔、もんちゃんと奈良の山奥の民宿に泊まったことを思い出す。
そこも朝食はおひつが出てきて、その頃から食欲爆発女子だった私は、「全部食べていい?」ともんちゃんに聞き、
1人でおかわりをしまくって、空にしてしまった。
「あー、絶対、宿の人、私が全部食べたと思ってはるわ……」
ともんちゃんが恨めしそうに言った。
小柄な私に対して、もんちゃんは170センチくらいあるし、どう考えてもこの大きな女性が食べたに違いないと、
そういう濡れ衣を着せられると、もんちゃんは嘆いて、私を恨めしそうに見た(笑)
あれからもたびたび「おひつを空にする」という場面にでくわしたが、そのたびにもんちゃんの言葉を思い出す。
そして今は、夫を見て、「大丈夫。絶対この男が食べたと思ってるな、宿の人は……」と思うのである。
まさか私がおひつを抱え、しゃもじについた一粒までお箸できれいに取っていたとは思うまい……
3杯食べてもお腹はまったくといっていいほど膨れず、
「なんぼでも食べられるモードに入ってきた!もっと食べたい!」と言うと、夫が、
「鯉みたいやな」と言った。
鯉はお腹いっぱいになることがないらしい
しかし、私は鯉ではないので、これ以上食べてはいけないと自分を律し、部屋に戻った。
さあ、今日も出発だ!
まずは、生野銀山へ。
私は、炭鉱とか銀山・銅山とかって、すごく怖い。
まず、「地下」が苦手。理由はわからない。ただ、ぞくっとするのだ。
それから、過酷な労働だったという歴史を思うと、そこで働いていた人たちの「想い」がしみついているような気がして怖い。
だから、夫が「生野銀山行こう」と提案したとき、行きたくないとごねていた。
「生理的に無理」「わけもないけど怖い」と理由を言うと、
「奴隷だった前世を思い出すんやな……」と夫が言った。
誰が奴隷やねん?!
でも気が変った。
宿にあったパンフレットを見たら、銀山で働く人の蝋人形がいっぱいあったからだ。
私はこういう施設の蝋人形が大好きで、「蝋人形あるから行く!」とノリノリになった。
これもまたもんちゃんと行った旅だが、北海道の網走刑務所へ行ったときの蝋人形が今でも忘れられない。
あのリアルさ、逆にユーモアを感じてたまらんかった。
高知の坂本竜馬資料館みたいなところも蝋人形があって、あそこもなかなかよかった。
というわけで、蝋人形につられて行ったわけだが、生野銀山、すごい。
行ってよかったなぁと思っている。(蝋人形関係なく)
807年に発見され、室町時代には本格的に採掘が始まったと言われている歴史ある銀山で、
実際にその坑道を見ることができる。(観光用に整備されている)
人が這ってノミ1本で掘っていったという、生々しい坑道。
這うのがやっとというほどの小さな穴で、その過酷さを想像するだけで震える。
資料館に模型があるのだが、まるでアリの巣。
人間がこんな地中深くまで手で掘っていたとは考えられない。
でも、そこに何百人もの人が働いていたのだ。
「過酷やな…」と何度も言葉が出る。
数え切れないほどの労働者が犠牲になり、わずかな銀が殿様のところへ届けられる仕組みがよくわかった。
いつの時代も、多くの労働者が、少数の金持ちを作っているんだなと思う。
常に気温は13度。
夏は涼めるのでいいが、実際に掘ってる人たちはきつかっただろう。
手堀りの時代から、ドリル、ダイナマイト、エレベーターといろんなものが利用されるようになる。
その様子もよくわかるようになっていて、すごく勉強になった。
で、結局、蝋人形はというと……
あまりのショボさにがっくりしたよ。
この施設のために造られた蝋人形ではなく、あきらかに洋服屋のマネキン利用。
だから、江戸時代の日本人やのに、どう見ても外人やろ!みたいな美しい顔の人に無理やり労働服を着せてノミを持たせている
↑何人か設置されてるの、わかるかな?
あと、面白かったのは、こちら。
坑道の中にお酒の貯蔵庫があった!
日本酒もあったし、ワインもあった。
一年を通して温度が13度に保たれ、じめじめといい感じに湿気もあり、最高の天然貯蔵庫になるのだ。
それを利用してお酒を熟成させていた。(売店で売ってる)
なるほどなぁ・・・
とにかく、生野銀山はよかった。
勉強になった。
こういう日本の歴史を見ることはすごく大事だと思う。
そして、この後、もう1つの歴史を見に行った。
竹田城跡。
世の中には城マニアの人が割合多くいて、そういう城マニアにとったら垂涎ものの城跡らしい。
そんな城跡があることすら知らなかったのだが、これは本当にすごい。
城マニアでなくとも、感動する。
駐車場に車を置いて、15分ほど山道を登っていく。
こんなマニアックな場所、閑散としてるのかなと思っていたら、すごい観光客!!
どうやら人気のスポットのようなのだ。
嘉吉年間(1441~43年)に但馬の守護大名・山名宗全が基礎を築いたとされ、
織田信長の命による秀吉の但馬征伐で天正8年に落城。
南北400メートル、東西100メートルに及び、完存する石垣遺構としては全国屈指のもの。
平成18年には日本城郭協会により「日本100名城」に選定されている。
自然石を巧みに配置した石垣は、400年前のまま。
朝霧が発生すると雲海が見え、そこに浮かぶように見える城跡の様子は、「天空の城」と呼ばれている。
午後だったので雲海はもちろんなかったが、それでも圧倒された。
360度、全部見渡せる。
あっちから敵が攻めてきても、すぐわかるなぁとか。
そういうことをリアルに感じさせてくれる。
石垣がまた美しくて。
雲海が出ているとき、別の場所からこの城跡を見たら、それは本当に「天空の城」に見えるんだろうなぁと実感できた。
360度見渡せる、美しい古城跡。
風に吹かれて遠くを眺めていたら、「国敗れて山河あり」と夫が言った。
「城春にして草木深し」と私が続けた。
人がつくったものは滅んでも、自然の姿は変わらない。
平泉で同じようにこの杜甫の詩を思い出し、涙をはらはらと流した松尾芭蕉のように、
私の心にも何か打つものがあった。
あの時代、人はここから同じ景色を見て、何を思ったのだろう……。
胸を熱くしながら、山を降りた。
(つづくかも)
私もデカい上にパッツンパッツンやったし(爆
そういえば最近、web上のニュースで、網走の蝋人形の写真を見たばっかりだったよ。
懐かしいなと思った。
「封筒貼りの人」は今でも忘れられへんわ!
もう一回行きたいわ~
しかし、あれからもう17年やで~^_^;
早いなぁ…
あの旅は忘れられないことがいっぱいあるわ。
喧嘩した摩周湖、
臭い旭川のビジネスホテル、
サウナに泊まったこと、
きれいな美瑛…
そして網走刑務所…。
強烈にいい思い出やね!!