柴田雅章氏という陶芸作家がいる。
スリップウェアを作り続けている方だ。
スリップウェアとはイギリスの陶芸技法で、白色や有色の泥状の化粧土で文様を描き出し、ガレナ釉と呼ばれる鉛釉を掛けて低火度で焼く陶器である。
見慣れない人や、好みでない人にとっては、たいして心に響かないかもしれない。
私自身としては、結構好みの分かれる陶器ではないかと思っている。
柴田氏の作品を初めて見たのはいつだったろう。
もう15年くらい前になるか。
まだ若かった私は、正直に言えば、その良さがそれほどわからなかった。
だけど、だんだん好きになり、10年くらい前の誕生日に、母が「何か好きな器を1つ買ってあげるから、選びなさい」と言ってくれたとき、真っ先に迷わず選んだのが、その頃いつも店先の棚に並んでいるのを見つめているだけだった柴田氏の高台の器だった。
未だに氏の作品はそれしか持っていない。
今日、その氏の作品を扱っている馴染みの民藝品店へ行き、最近入った氏の作品を見せてもらった。
前回、入ったときはそれほど目に留まるものはなかったのだが、今回はどれも素晴らしくて、今日は一日中その器のことを考えている始末だ。
しかし、氏の作品は、年々値が上がる一方で。
そのうち人間国宝になることは間違いない。
こんな田舎町の小さな個人の店で扱っていることのほうが奇跡で、基本的に東京や大阪のちゃんとした個展でしか買えない。
その奇跡を目にして、ため息をつく。
一目見た瞬間から気に入った、小皿。
わずか12センチほどの大きさ。
こんなに魂を奪われたのは久しぶりだ。
値段を見れば、3万円・・・
そりゃ、無理をすれば買えない値段ではないが、12センチの皿に3万円を出すのはなかなか難しいことで。(今の貧しい私には)
だけど、もう頭からその器のことが離れない。
財布の中には4万円・・・。
思わず出しそうになったが、ぐっとこらえて店を出て銀行に行き、それで住民税を払った。(そのために入れていた)
ああ・・・
搾取だ。
いつの時代だって役人は貧しい者から取り上げる一方で。
なんだかがっくりと肩を落としてしまった。
でも、久しぶりに氏の器の素晴らしさを実感し、とても幸せな気持ちになった。
実は、もう何年も前からずっと欲しい、氏の作品であるぐい呑みがあって。
毎回お店に行くたびに、まだ売れていないことを確認してほっとしているのだが、後悔しないように今度お金が入ったら、それを買おうと今日決心した。
本当に、もう何年も何年も私に見つめられている、あのぐい呑み。
そろそろ私のモノになってもいいだろう。
こんなに惚れられたら、あのぐい呑みだって本望じゃないか?
こうやって私がいろいろ「欲しい、欲しい」と言っていると、彼が「買ってやる」と言ってくれるのだが、私はなぜか人にモノを買ってもらうことが苦手で。
いや、もちろん、ふいにもらうプレゼントなんかはめちゃくちゃ嬉しいのだが、自分が本気でずっと欲しかったものというのは、自分で働いて買うから嬉しいんだなぁ、不思議なもんで。
結婚してよかったことの一つ。
彼が、私が器にこだわることを責めないこと。
それどころかだんだん器が好きになって、私の器を並べて見て「いいなぁ」と唸ったりしている。
しまいに「これ、俺のじゃなくて、かおりのやねんなぁ・・・」と言い出した(笑)。ええ、私のです。
来月は、舩木倭帆氏のガラス展がある。
氏も、もうかなりのお年で、いつまでガラスを吹けるのかわからない。
だんだん値打ちが上がる一方・・・。
でも(いや、だからこそ)、今回も何か1つは買いたいものだ。
民藝。
民衆の生活から生まれてきた普段使いの芸術。
用の美。
モノは使われてこそ、美しいという考え方。
何十万、何百万するわけじゃない。
ほんの少しだけ頑張れば庶民でも手に入れられる芸術を、普段使いにすること。
美術館で展示されるような人の作品で酒を飲み、ご飯を食べる。
これが、私の一番の贅沢。
みずぼらしい格好をしても、たぶんこれだけはやめない。
なんだかそれだけは、はっきりわかるのだ。
それは、母の影響だと思う。
母は朝から晩まで働き続けても、自分はいつも自分で縫った洋服を着ていた。
アクセサリー1つ身につけることはなかった。
だけど、私は子供の頃からずっと、作家物の器でご飯を食べ続けていた。
それがそんなものだとは知らない頃からずっと。
いつか母が書いていた。
決して豊かではない生活の中、それでも仕事で疲れて帰ってきて、店先に並ぶ器を見るだけで豊かな気持ちになれたと。
そして、20年かかって、少しずつ少しずつ、他には何の贅沢もせず、ただ器だけを買い集めた。
私は何も知らずに、そんな器でご飯を食べ続けた。
知らず知らず、器に対する目だけは肥えてしまった。
というか、私は器が本当に好きで。
いつも見ているだけで幸せになる。
単なる「皿」や「コップ」なんだけどね(笑)。
人の趣味嗜好ってのは、本当にいろいろだなぁ。
今日はちょっぴり淋しい日だったけれど、
また頑張って働いて、美しいものを手に入れようと思った。
スリップウェアを作り続けている方だ。
スリップウェアとはイギリスの陶芸技法で、白色や有色の泥状の化粧土で文様を描き出し、ガレナ釉と呼ばれる鉛釉を掛けて低火度で焼く陶器である。
見慣れない人や、好みでない人にとっては、たいして心に響かないかもしれない。
私自身としては、結構好みの分かれる陶器ではないかと思っている。
柴田氏の作品を初めて見たのはいつだったろう。
もう15年くらい前になるか。
まだ若かった私は、正直に言えば、その良さがそれほどわからなかった。
だけど、だんだん好きになり、10年くらい前の誕生日に、母が「何か好きな器を1つ買ってあげるから、選びなさい」と言ってくれたとき、真っ先に迷わず選んだのが、その頃いつも店先の棚に並んでいるのを見つめているだけだった柴田氏の高台の器だった。
未だに氏の作品はそれしか持っていない。
今日、その氏の作品を扱っている馴染みの民藝品店へ行き、最近入った氏の作品を見せてもらった。
前回、入ったときはそれほど目に留まるものはなかったのだが、今回はどれも素晴らしくて、今日は一日中その器のことを考えている始末だ。
しかし、氏の作品は、年々値が上がる一方で。
そのうち人間国宝になることは間違いない。
こんな田舎町の小さな個人の店で扱っていることのほうが奇跡で、基本的に東京や大阪のちゃんとした個展でしか買えない。
その奇跡を目にして、ため息をつく。
一目見た瞬間から気に入った、小皿。
わずか12センチほどの大きさ。
こんなに魂を奪われたのは久しぶりだ。
値段を見れば、3万円・・・
そりゃ、無理をすれば買えない値段ではないが、12センチの皿に3万円を出すのはなかなか難しいことで。(今の貧しい私には)
だけど、もう頭からその器のことが離れない。
財布の中には4万円・・・。
思わず出しそうになったが、ぐっとこらえて店を出て銀行に行き、それで住民税を払った。(そのために入れていた)
ああ・・・
搾取だ。
いつの時代だって役人は貧しい者から取り上げる一方で。
なんだかがっくりと肩を落としてしまった。
でも、久しぶりに氏の器の素晴らしさを実感し、とても幸せな気持ちになった。
実は、もう何年も前からずっと欲しい、氏の作品であるぐい呑みがあって。
毎回お店に行くたびに、まだ売れていないことを確認してほっとしているのだが、後悔しないように今度お金が入ったら、それを買おうと今日決心した。
本当に、もう何年も何年も私に見つめられている、あのぐい呑み。
そろそろ私のモノになってもいいだろう。
こんなに惚れられたら、あのぐい呑みだって本望じゃないか?
こうやって私がいろいろ「欲しい、欲しい」と言っていると、彼が「買ってやる」と言ってくれるのだが、私はなぜか人にモノを買ってもらうことが苦手で。
いや、もちろん、ふいにもらうプレゼントなんかはめちゃくちゃ嬉しいのだが、自分が本気でずっと欲しかったものというのは、自分で働いて買うから嬉しいんだなぁ、不思議なもんで。
結婚してよかったことの一つ。
彼が、私が器にこだわることを責めないこと。
それどころかだんだん器が好きになって、私の器を並べて見て「いいなぁ」と唸ったりしている。
しまいに「これ、俺のじゃなくて、かおりのやねんなぁ・・・」と言い出した(笑)。ええ、私のです。
来月は、舩木倭帆氏のガラス展がある。
氏も、もうかなりのお年で、いつまでガラスを吹けるのかわからない。
だんだん値打ちが上がる一方・・・。
でも(いや、だからこそ)、今回も何か1つは買いたいものだ。
民藝。
民衆の生活から生まれてきた普段使いの芸術。
用の美。
モノは使われてこそ、美しいという考え方。
何十万、何百万するわけじゃない。
ほんの少しだけ頑張れば庶民でも手に入れられる芸術を、普段使いにすること。
美術館で展示されるような人の作品で酒を飲み、ご飯を食べる。
これが、私の一番の贅沢。
みずぼらしい格好をしても、たぶんこれだけはやめない。
なんだかそれだけは、はっきりわかるのだ。
それは、母の影響だと思う。
母は朝から晩まで働き続けても、自分はいつも自分で縫った洋服を着ていた。
アクセサリー1つ身につけることはなかった。
だけど、私は子供の頃からずっと、作家物の器でご飯を食べ続けていた。
それがそんなものだとは知らない頃からずっと。
いつか母が書いていた。
決して豊かではない生活の中、それでも仕事で疲れて帰ってきて、店先に並ぶ器を見るだけで豊かな気持ちになれたと。
そして、20年かかって、少しずつ少しずつ、他には何の贅沢もせず、ただ器だけを買い集めた。
私は何も知らずに、そんな器でご飯を食べ続けた。
知らず知らず、器に対する目だけは肥えてしまった。
というか、私は器が本当に好きで。
いつも見ているだけで幸せになる。
単なる「皿」や「コップ」なんだけどね(笑)。
人の趣味嗜好ってのは、本当にいろいろだなぁ。
今日はちょっぴり淋しい日だったけれど、
また頑張って働いて、美しいものを手に入れようと思った。
遊びで作ったことはありますが・・・
やはり、プロが作るもの(それも一流品)と、素人が作ったものとは違います。
私は本当にきれいなものが好きなので、自分が作るものでは物足りないな、と感じています。
素人さんでも上手な人はいますが・・・。
また、本当にいい器の中に、自分の作った器を一緒に並べるのもなんだか抵抗があって・・・
そういうわけで、陶芸はしませんね。
もっぱら買うだけです(笑)
メール、まだ復興しないんですね。
気長に待っていますね。
かおりさんとご主人なら味のある器をつくりそうですね!!
因にパソコンの方はまだ繋がりません
しばしお待ちを!!