明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

アートとライフの重さ

2008-08-22 22:47:28 | 
    ぼくたちのイマジネーションは、
    人間が生き残るための偉大なる希望なんだ。

             ―1983年 キース・へリング


今回、山梨に行くことになったとき、どうしても行きたい場所があった。
それが、『中村キース・へリング美術館』だ。

キース・へリング。
1990年、エイズで死亡。

1980年代、日本でも彼のアートが流行り、
またエイズの代名詞みたいにも使われた。

私はあまりにも絵心のない人間なので、
自分が絵を観る時のことをおおっぴらに書くのは恥ずかしいのだが、
自分の感性を揺さぶる、好きなアーティストは何人かいる。
その一人がキース・へリングだ。
山梨に彼の美術館があると知って、どうしても行きたかった。

結論から言えば、久しぶりにアートを見て感動した。
自分がなぜ昔から彼のアートに惹かれて止まなかったのか、
その意味を再確認できたような気もした。

生と死。
そして、狂気。

いつもプリント画やポストカードなどでしか見ていなかったへリングの本物のアートは、とにかく凄まじかった。
絵の一つひとつから、彼の想いがあふれ出てきて、少し息苦しいほどだった。

また、この美術館に作品を寄贈している中村和男氏の、へリングに対する想いが中途半端でないこともよくわかった。
へリングの作品を愛し、理解していなければ、この美術館を作るのは無理だっただろうなと思える構成。
建物、壁や天井の色、空間の使い方、作品の向き。
全てにおいて、へリングの作品を際立たせていた。

へリングを好きになったのは、高校の終わりか、大学生くらいの頃だったと思う。
あの頃の自分の年賀状には、へリングの絵を使ったりしている。
何に惹かれたのか、今では説明がつかないのだけれど、シンプルな線と奇抜な色使いの中から見え隠れする、生と死と、狂気の世界が好きだった。

白い人間が、黒い人間の両腕を縛り、
剣で腹をえぐる。
そのえぐられた腹の穴の中を、犬が何匹も通り抜ける。

見たままを言葉にしてしまうとなんともグロテスクだが、
それがヘリングのシンプルな線で描かれると、
なんともシュールな世界に変わり、引き込まれる。
「何を伝えたいのか」
それを考え、何かを得たくて、いつまでも見つめてしまう。

この意見には誰も賛成してくれないと思うが、
楳図かずおの世界にも似ている。
私が感じるところの。
私が楳図マニアなのと、ヘリングに惹かれるのとは、
私の中では何かつじつまが合うのだ。

この美術館、環境もとてもいい。
小淵沢の森の中にある。
近代的でスタイリッシュな建物だ。
作品の見せ方も面白いので、ヘリングに興味がない人でも、ある程度楽しめるのではないかと思う。
山梨へ行った際には、ぜひ立ち寄ってみてほしい。
(夫も最初は興味なさそうだったが、帰りにお土産ショップでヘリングのベビーの絵がついた押しピンを買っていた。会社で使うそうだ)

しかし、残念だったのは、結構この日、腰が限界だったこと。
もっと長く見ていたかったのに、立っているのが辛くて、ちょっとダウン。
いつかもう一度行ってみたいなぁ。

   制作することだけがすべて。
   アートはライフよりずっと大切だ。

            ―1987年 キース・ヘリング
 

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