明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

郵便受けに届いた一通の手紙

2010-11-09 16:30:57 | 友達
世の流れもあるけれど、文章を書くということを生業にしているためか、
いつからかパソコンでないと長文が書けなくなってしまった。
メールではなく郵送する手紙の時も、ほぼ100%手書きは無理で・・・

最近は私だけでなく、友達から手紙が来るなんてこともなくなり、特にその必要性も感じていなかった。
メールですぐにやりとりできるし・・・

でも、思い返してみれば、小・中・高とは学校で会う友達と毎日手紙のやりとりをしていたし、
学校を卒業してからも、自宅にはよく手紙が届いた。
私の友達は、あまり筆不精という人は居らず、皆手紙を書くことが苦にならないようだった。

さすがに学校時代の手紙は捨ててしまったけれど(それでも結婚するまで持っていた)
大人になってからの手紙はいくつかまだ大切にしまってある。
小さめのダンボールに1杯程度。

*    *    *    *

今日、郵便受けを覗いたら、私宛の手紙が一通届いていた。
高校時代に一緒に男バレのマネージャーをやっていた、みいこから。

みいことは今年の夏、10年ぶりに再会を果たし、
その盛り上がりついでに、男バレ部員とも2度集まって、ミニ同窓会をした。

彼らはまだバレーを続けていて、その大会が先月末にあった。
私は法事でいけなかったのだが、みいこは応援しに行って来て、
手紙にはその詳細が綴られてあった。もちろん、手書きだ。

小さな紙だが6枚にも渡る長編で、私はなんだかそのことにまず感激してしまった。
子供を3人も抱えて、仕事もバリバリ主任でやって、議員の夫を支えて、
毎日の生活だけで大変だろうに、手紙を書くという労力に恐れ入った。

まず、そのことに感激して、次に「手紙を読む」という行為そのものに、なんだか不思議な感動を得た。

1枚ずつ手紙を読み進める。
懐かしい字。
推敲なんてしないから、感情のまま。話も前後する。
でも、想いがダイレクトに伝わってくる。

読みながら、あと残り何枚かが気になって、
いつまでも終わってほしくないと思っている自分に気付いた。
まるで、面白い小説を読んでいる時みたいに。

そういえば、昔はいつも言っていたっけ。
「私は、もらうのは長い手紙が好き」だと。
だからいつも分厚い封筒が届くと嬉しくて仕方がなかった。
そんなことも思い出した。

そして、読み終えてたたんだとき、
量的には2、3分で終わるようなものなのに、
本を1冊読んだ後と同じような読後感をもっていることにも気がついた。

手紙って・・・

すごい!!

自分が手紙を書くこともなく、もらうこともなかった昨今、
久しぶりに手紙の感動を味わった。

この感動は、内容の濃さ、重さとは関係ないのだ。
だって、これがメールだったら、全然違う。こんな感動はないと思う。

一人ひとりがもつ、個性的な字。
1枚ずつめくっていく感覚。
それから、こうして労力を費やして書いてくれたんだ、という想いもあって、
たった1通の手紙がものすごくドラマチックなほどに感動を与えてくれた。

アナログの良さって、やっぱりあるなぁ・・・

これからは私もたまには手書きで手紙を書いてみようと思った。
最近、おじいちゃんに送るときも、パソコンで打ってたけど、頑張って手書きにしてみよう。

友達にも、久しぶりに手紙を書きたいな・・・

手始めに、みいこへの返事はメールじゃなく、パソコンで書くのでもなく、
手書きにして郵送してみようと、そう思った。