明日元気になれ。―part2

毎日いろいろあるけれど、とりあえずご飯と酒がおいしけりゃ、
明日もなんとかなるんじゃないか?

黒目のカーブというコンプレックス

2011-12-27 22:00:31 | 生活
こんなはずじゃなかった!
・・・という慌しい年末を迎えている。

今日も一日取材。
この間も書いたように、美容院代を稼がなければと無理に入れた仕事。

ところが。

今朝、取材に行く前に、コンタクトレンズを入れたらうまく入らず、指にくっついたままだった。
それを知らず、いつものクセで、タオルに手を・・・

ああっ!

パリン・・・(とは音はしなかったが、そんな感じ。ハードなので)
指先には、真っ二つになったコンタクトレンズが・・・

仕方なく、取材後、コンタクトレンズを買いに。

私と実際会っている人はよくわかると思うが、私は右目をしょっちゅう痛がっている。
お店で飲みながらコンタクトをはずす姿を見たことがある人も多いはず。

もうかなり古いからかな・・・と思っていたのだが、
今日割れたのは、残念ながら左のほうだった

もうお金もないし、とりあえず割ったほうだけ作ろうと思っていたのだが、
チェックしてもらったら、「右もけっこう傷が入ってますよー」とのこと。
「今日買えなかったら、3ヶ月以内だったらいいので、とりあえず両目替える方向で、検査しませんか?」と言われ、
「あ、じゃあそうします・・・」と私。

はっ!

このパターンは、確か美容院の・・・!

しかし、後には引けず、両目を検査してもらった。
すると、右目がなんだかおかしな感じ?!

「右目、なんか変な感じしませんでしたか?」と聞かれる。
正直に、いつも右目が痛くなったことを話すと、別のテストレンズを渡された。
(検査のとき、テスト用のレンズをしている)

なんでだろう・・・と思いながら、テストレンズを目に入れ替えていると、スタッフの人が言った。

「目のカーブが小さいみたいですね」

・・・それか!

人に話すと「そんな人いるの?」と言われたこともあるのだが、
私は目が小さすぎるあまり、黒目のカーブが平均より小さいらしいのだ。
きちんと調べてくれる眼科だとそういわれることがあった。
でも、いつもではなく、適当な眼科(?)だと一般人と同じ大きさのものを与えられる。
小さいとレンズは取り寄せになり、数日間は眼鏡で暮らさないといけないのがイヤなので、
あえて自分からはそのことを申告しないようにしていたら、今使っている右目のレンズは目に合っていなかったようなのだ。
(ちなみに左は何度も落として、結構替えている)

目が痛くなるのは、ずっと傷だと思っていたのだが、目のフィット感の話ね・・・

今日の眼科はちゃんとした人が見てくれたのだろう・・・「カーブが小さい」と指摘され、
結局、取り寄せレンズに・・・

でも、いつも目が痛かったし、これでよかったのかもしれない。

「黒目が一般人よりも小さい」という、屈辱的なコンプレックスをあらわにされた辛さは胸にしまいこみ、ポジティブシンキングで「良し!」とした。

友達でも目が大きい人を見ると本当に羨ましい。
私は目の検査のとき、いつも「はい!もっと目を開けて!」といわれるのだが、もうこれが精一杯なの!と悲しい気持ちになる
それも、見た目だけでなく、このようにコンタクトレンズ特注みたいなことを言われると、心も折れるね・・・

そして、コンタクトレンズ両目で2万円也。
今日、せっかく美容院代を稼ぐために頑張って仕事してきたのに、全部なくなった・・・。

怒涛の忘年会で散財し、美容院でカモられ、葬儀で徳島まで行き、コンタクトレンズを買い替え・・・
もう破産寸前!

たーすーけーてー

ジングルベルとお経

2011-12-26 11:32:47 | 生活
今年は早々と仕事を切り上げ、年賀状に大掃除、いろんなたまっていることなどを片付けて、
ゆっくりと年末を迎えようと思っていた。

昔の講師で今は島根にいる人が、年末に大阪へ来るからうちの新居へ寄りたい・・・とメールをくれたときも、
「めっちゃ暇やし、いつでもOK!」
みたいな返事をして、今週来ることになった。
旨いご飯でも食べさせてやろうと思っていた。
そこまでは、余裕だった。

ところが。

もう仕事はないと思っていたのに、27日に取材が入った。
原稿も年内に書かないといけないので、断ろうかな・・・と思いつつ、
この間のカモられた美容院のことが頭をよぎり・・・
結局、引き受けた
美容院代くらいにはなると思えば、なかなか断る勇気がない私。
もう1件、小さい仕事も入り、なんだか忙しい最終週になりそうだ。

そんなことになると思っていなかったので、まだ余裕があった頃に、23・24日の夫との1泊近場旅行を決めた。
でも、これも数日前に決まり、あかん、年賀状いつやるねん・・・もう25日しかないで!と思っていたら・・・

訃報。

それは23日の旅行中の出来事。
夫へ1本のメール。
夫の母方の祖母が亡くなったという。

旅先でどうにもできず、とりあえず次の知らせを待つ。
その後、25日の午後からが告別式と知り、徳島へ行くことに。

旅先でもなんとなく暗い気持ちで過ごした。
いろんなことが間に合うのかな・・・という不安もあり、少し気持ちが重かった。
それでも、今はどうにもならないんやし、せっかくやから楽しもうということで、2日間は楽しく過ごした。

そして、昨日、朝早くからバスで徳島へ。
夫の両親とお兄さんは前日から車で来ており、お通夜、いろんな準備と追われていたようだ。
そのうえ、ひどい雪!!
山奥なので、かなり積もり、雪かきまで必要だったとのこと。
仕方ないことだが、そんなときに旅行で楽しんでいたことに、なんとなく罪悪感・・・。

告別式は、広い式場で滞りなく行われた。
親族席に座り、たくさんの花の向こうに掲げられたお祖母さんの遺影を見上げる。
生前、お会いしたのはたったの2回。
それもご病気と認知症が進み、会話らしいものはできなかった。
夫もこれまで祖母の思い出を語ったことがなく、全くどんな人なのか知らない。

結婚って、不思議だなぁと思った。
故人と何の思い出もないのに、親族席に座っている。
全く知らないような人だけれど、その遺影の笑顔を見ると、夫のお母さんにそっくりで、
ああ、きっと穏やかでいつもニコニコしていて、周りから慕われていたんだろうな、と容易に想像ができた。
故人の半生を紹介するようなナレーションで、この印象と同じようなことが話されたので、やっぱりそうなんだなと思い、このとき初めておばあさんを近くに感じた。

お棺の蓋を開け、花を供えるときが来た。
係りの人が生花をその場でどんどん切って、順番に渡してくれる。
それを皆がお棺に入れ、おばあさんの顔を見てお別れを言う。

それが始まると、一気に悲しみのオーラが式場に充満し始めて、胸が押しつぶされそうだった。
故人との思い出があって悲しいわけではないのに、涙があふれてくる。
もうこうなってくると、私の「感情移入」も悪癖だ!と思う。
他の親戚が見たら、「変人」か「偽善者」にしか見えないので、絶対泣いてはいけないと歯をギリギリと食いしばっていた。
とにかく、お母さんを見ないように見ないようにと努めていた。
目に入った瞬間、もうお母さんに感情移入して、自分のことじゃないのに涙がどっとあふれてくる。
もうほんまに、この悪癖よ、勘弁してくれ!!と思った。
まとわりつくような悲しみのオーラを振り切って、逃げ出したいような気持ちだった。

なるべく心を無にして、おばあさんの顔を見る。
小さく、でも、きれいなお顔だった。
ただ、「ありがとうございました」と心の中で頭を下げた。

90歳。
天寿を全うしたとか、大往生という言葉にふさわしい年齢。
大正、昭和、平成と生きてこられた。

夫のいとこ夫婦がまだ生まれたばかりの小さな赤ちゃんを抱いているのが後ろの席から見えた。
大人たちの悲しみなど知る由もなく、ただ笑顔できゃあきゃあと小さく声を上げる。
それを見ていたら、「生」と「死」の尊さをただ感じた。

逝く者がいて、生まれてくる者がいる。
こうやって、脈々と受け継がれていく命。

なんのために?どうして?
そんな想いを抱えながら、赤ちゃんと遺影のおばあさんを交互に見つめていた。
そして、改めて思った。
今、私が夫と幸せに暮らしているのは、夫のご両親のおかげ。
そのご両親を育てたのは、おじいさん・おばあさんたち。
そして、その方たちを生み育てたのは、もっと昔からのご先祖様・・・
自分の中から自然に感謝の気持ちがあふれてくるのを感じた。

告別式の後、焼き場へ行って、近代的なエレベーターの入口みたいな中に、おばあさんが消えていくのを見送って帰ることにした。
まだ親族の集まりがあったけれど、バスの最終だったので仕方なく、途中退席した。
すっかり親しくなった親戚のおばさんたち(お母さんの姉妹)が、いつも通り、気さくに笑顔で見送ってくれたことにホッとした。

夫はかなり疲労していた。
私は疲れよりも、安堵のほうが大きかった。

街にはジングルベルが流れているのに、真言宗のお経を聞くことになるとは思わなかったが、なんとかお別れに間に合ってよかったと思った。
三宮で適当な居酒屋に入り、ビールと熱燗を飲んで帰って来た。
寒い、寒い夜だった。
夫はなぜか意地になったように、コンビニでクリスマスケーキを探していた。

そんな2011年クリスマスの夜。


2011年は、お葬式に始まって、お葬式に終わった。
1月には高校時代の先生、間にうちの親戚のおばさん、そして、最後の最後におばあさん。

家の中は大掃除どころか荒れ放題で、年賀状もまだできていない。
今週は仕事も詰まった。
結局、慌しい年末になってしまった

そして、なんとなく淋しい。
自分では何が原因なのかわからないのだけれど、人とうまくいかないことがあって。
でも、もう自分から動く気力も失われた。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」

漱石の一説がふとよぎる。

兎角に人の世は住みにくい。
でも、なんとか少しでもマシな人間になって、今日も生きていかなければ。

いいカモ?!

2011-12-21 11:26:20 | 生活
仕事が一段落してまずやったのは、美容院へ行くこと。

子供の頃から直毛で、ふわふわウェーブに憧れて止まない私は、
この夏、5年ぶりくらいにパーマをかけて大失敗した
行った美容院も悪かったと思うのだが、「ただの髪の傷んだクセ毛の人」みたいになってしまった。

かけ直したら髪が傷むと思い、とりあえず1ヶ月以上は我慢したが、
9月に別の美容院で元のストレートに戻した。
元がストレートなら、縮毛矯正としてのストレートパーマはかけなくても、
薬を塗って水蒸気みたいなのを当てるやつでウェーブがとれるという。
髪の傷みも少なそうだったので、それでお願いしたら元に戻った

あれから3ヶ月・・・

ストレートだと手入れが全くいらないので、本当にラクだ。
「ラク」を基準にして髪形や服装を決めてはいけないといわれるが、私にはそこまでおしゃれにかける意欲がない。
だから人生のほとんどをこの伸びっぱなしの髪形で過ごしてきた。
これだと大嫌いな美容院もあまり行かなくて済むし。

ただ、それは若い時の話で・・・
今は美容院に行く目的は「カット」ではなく「白髪染め」になっている。
私はとにかく白髪が多いので(同年代の周りの人よりも)、
本当なら1ヶ月半とか2ヶ月に1回くらいは染めに行かないときれいに保てない。
とはいえ、そんな金銭的な余裕はなく・・・
3ヶ月~4ヶ月に1回美容院へ行き、その間に1回か2回、自分で根元だけ染めるというようにしている。

前回はそのパーマをとるのだけでもお金がかかり、根元だけしかカラーを入れなかったので、
伸びっぱなしの髪はなんだか赤茶けて色もまだらになって、かなり汚かった。
もちろん、白髪も目立ってきていたし・・・

それでようやく美容院へ!
今回はカットとカラーだけでいいので、カラーも根元だけでなく全体を黒っぽくしてもらった。
洗うのと乾かすのもかなり面倒なので、思い切って10センチ以上切った。

前回から行っているこの美容院は、実は20代から10年近く通っていたところ。
他店に浮気してしまったので戻りにくかったのだが、やはり戻ってきて正解だったと思う。
高いけど、技術は確か。

担当は前に行っていたときとは変わったが、今度の人も昔からいる人で感じがいい。
でも、私のことをいつも笑う

たぶん、こんな適当な人、あまりいないんだろうな・・・
「とりあえず、ラクな髪型で!」
みたいな注文するし。
まるで居酒屋に入って「とりあえずすぐできるやつ!」みたいなノリ?
私がそういうと、くすくす笑う。

今回も「思い切って切っちゃってください!」と言うと、
「いいんですか~?どうして?」と言うから、
「冬はガス代と水道代もバカにならなくて・・・。短いほうが早いんで!」と言ったら、笑われた。

そして、何の意志もなく、美容師さんの言いなり。
せっかくカラーのサンプルを見せてもらっても、
「うーん・・・どれでもいいので、お任せで」とか言う始末。
またクスクス笑われて、「じゃあ、こういうのは?」とすすめられるがまま。
「はい、じゃ、それで」となる。

しかし、途中で気づいたことがあった。
私が言いなりなので、「こいつはいいカモだ」と思われたのかもしれない・・・

「色が保てるように、マニキュアもしときましょうか。プラス2000円ですけど」
「はい、じゃあお願いします」

「色の落ち方が表面とで変わるので、部分的に色を変えておくといいんですけど。どうします?1500円ですけど」
「はい、お願いします」

「この間、買われたシャンプー、今日はどうします?今なら10%オフなんですけど」
「はい、買います」

この辺りで気づいた。以下、心の声。

ヤバイ・・・今いくらになっとるんや?!
あのシャンプーもほんまにいいけど、めっちゃ高いねんなぁ。(シャンプー&トリートメントで6000円!!)
つい10%オフに惹かれて買うって言ってしまったで・・・!

そんな私の心の声には気づかず、美容師さんがまた攻撃をしかけてきた。
「前回は根元だけだったけど、今日は全体を染めたので、髪のためにはトリートメントしといたほうがいいですね。
どうします?」

ここで初めて私は「うーん・・・」とうなった。
「いくらですか?」
「3000円と5000円のがありますよー」
「うーん・・・」

私がうんうんうなっているので、美容師さんはトリートメントの説明用紙を持って来てくれた。
丁寧にどう違うかを説明してくれる。

「うーん・・・」
ついに聞いた。
「あの・・・今、いくらになってます?」

美容師さんは優しく、「じゃあ、計算してみましょうか」と向こうへ行ってしまった。
あかん!また笑われた

しばらくして、計算した用紙を持って来てくれた。
見ると、5000円のトリートメントだと、全部で24990円!!
今、割引があるらしく、3000円でも23390円だった・・・

ここで、私の悪い丼勘定のクセが出る。
「あ、そんな変わらないですねー。もうここまできたら一緒か~」

誰も私の目を覚ましてくれる人はいない。
完全にお金のマジックにはまっている。
なんや、1600円しか変わらんやん、と。

「この1600円の差って、かなり出ますかー?」と聞くと、「そりゃあ、もう!」と自信ありげ。
「じゃ、5000円で」
「はい」(クスクス)

待っている間、ぼんやり考えていた。
今日、美容院に来るとき、カット(4000円)とカラー(8000円)で12000円の予算で来たんだっけ・・・
シャンプーも高いからもう買わないって決めてたっけ・・・
それが今の私はどうだ?
すっかり相手の言いなりになって、あっという間に予算を2倍オーバー。
途中で計算までしてもらってるのに、結局一番高いコースを選んでるって・・・
一体どうしてこうなったんだ?

私って、いいカモ・・・?

クスクスと笑われながら、お金をどんどん出してしまった。
ヤバイ。
ホストクラブとか行ったら(行かないけど)、高いシャンパンとか入れちゃうタイプやな~

しかし、仕上がった髪を見て、かなり満足した。
5000円のトリートメント効果は絶大で、20代の頃の髪のツヤとハリ!!
色も、前はまだらに赤茶けて汚かったけど、ほぼ黒に近いブラウンになった。
白髪もきれいに染まってる。
かなり短く切ったし、内側をすいてもらったので、軽い。

ただ、前髪はものすごいことになっているが・・・

「前髪どうします?」と聞かれたときに、
「すぐ伸びて自分で切るのがうまくいかないんで、とりあえず眉毛が見えない程度の一番切れるところまで切っちゃって!」
と言ったのだ。
クスクス笑いながら、その通りにしてくれた。

家に帰ると、夫に「ゆきんこ?」と言われた。
子供の頃のおかっぱみたいな髪型で、前髪はパッツン。
そういえば、子供の頃、おかっぱの人形があると、周りの人に「かおりちゃんみたい」と言われたものだ。
日本人形ならまだいいが、ある時、学校で「座敷わらし」の話が出た。
すると、その挿絵を見たクラスメイトがいっせいに私のほうを振り返った
それ以来、クラスの男の子に「座敷わらし」といじめられること多数・・・

最近は、夫に「ヘルメットかぶってる?」と言われている
でもいいんだー。
手触りサラサラだし、洗うのも乾かすのもめっちゃラクだし、何も手入れしなくていいし。
ストレスがまったくない。
あと3ヶ月はなんとかこれでいきたいものだ。

二条椿へ再び!

2011-12-20 19:41:22 | 美味しいもの
ちょっとブログをさぼっていた。
毎日飲んだくれていたので・・・

今日は珍しく仕事も飲み会もない日で、料理をしたり掃除したりで、楽しく穏やかに過ごした。

昨日は忘年会で、また「二条椿」へ行ってきた。
この間、今年の新規開拓店でいちばん!と言っていたお店だ。

忘年会パートナーは、ライター友達のアンデルさん(ブログ上のHN)。
5月に京都に新緑を見に行って以来だったので、会えるのをとても楽しみにしていた。
お店も彼女は絶対気に入るだろうなぁと思った

案の定、とても気に入ってくれたようで、この間見られなかった2階の部屋も見せてもらった。
2階は、レトロな喫茶店みたいな雰囲気のテーブル席が2つ。(2人・4人)
それと、本当にお茶室みたいな、にじり口が付いた和の個室。
3人以上で行くときは、この個室がいいなぁと思った。いつか予約してみよう。

お料理は変わらずおいしかった。
今回は、シャンパンやワインをメインにいただいた。


お造り


ブリの白和え。

これ好き!
おいしいわぁ・・・
上に蕎麦の実を煎ったものが散らしてある。
白和えのねっとりした食感とパリパリした蕎麦の実の食感の組み合わせが面白い。


鰻と雲子
塩でいただく。
鰻は海のものだと言っていた。(海と川ギリギリ?)
ちょっとだけ生臭い感じがしたけれど、身はふっくら、皮はパリパリに焼けていておいしかった。


口直しに、スダチ素麺。
下に細い素麺が隠されている。
さっぱりいただける。出汁まで飲み干した

この後、また天ぷらを何種類かいただいて、最後に酒のアテを・・・
いいねぇ、こういうの!!テンション上がるわ~


ワインも白・赤ともに3種類くらいはグラスで飲めるようになっている。
白の飲み比べをさせてくれた。
こんなワガママも聞いてくれるのがうれしい。


前回に引き続き、とてもおいしかった。
ワインと天ぷらマリアージュもなかなかいける!

びりけんもそうやけど、なんか自分の好きな味ってあるんだなぁ・・・
あまり手を加えず、素材と会話して、素材の良さを前面に引き出す感じ・・・
いろんな季節に行ってみたいお店だ

アンデルさんとの話も弾んだ。

フリーで仕事していると、やっぱりいろいろある。
そういうことを話し合えるのも同業者ならでは。
心強いし、逆に彼女にトラブルがあったときも、状況などを理解できるのがいい。
とても良い友達

また年明けに、一緒に西宮えびすへお参りに行く。
二人で行くえびす参りも、すっかり恒例行事になった。

今年は「やや」ご利益あったかな・・・
暇は変わらずやけど、割の良い仕事や、大口の仕事、新しい取引関係は増えた年だったので、良しとしておこう。

来年は、仕事のスタイルを変えたい。
もうちょっと稼がないと、二条椿みたいなお店にもなかなか通えないし・・・
勇気をもって「変える」年にしたいものだ。

さて、忘年会もあと1回。
12月は友達といっぱい会えて、おいしいものも食べられて、本当に楽しい
幸せが続く。

三浦しをんの『舟を編む』に感動した。

2011-12-16 22:05:01 | 
今年は読書量が激減した年だった。
さらに、有吉佐和子や川端康成やらを再読していることも多く、新刊といえば、シリーズで読んでいるものを買うくらいがほとんどで。
(「みをつくし料理帖」シリーズなど)

だけど、今年最後の最後に、こんな素晴らしい本に出会えたことに感謝!

三浦しをん『舟を編む』


彼女の作品はそれほどたくさん読んでいるわけではない。

『私が語りはじめた彼は』
『むかしのはなし』
『まほろ駅前多田便利軒』
『風が強く吹いている』
『光』
『まほろ駅前番外地』

くらいだろうか。
好きになったのは、『まほろ・・・』を読んでから。
これを読んだ年も、たぶんこの本がその年のベストだったんじゃないだろうか。
そして、こんな年の暮れも迫った今になって、今年の私のベストはまた彼女の『舟を編む』になった。

久しぶりに、いい本を読んだ、と思った。
ハラハラと手に汗握ったり、ドキドキワクワクと続きがやめられなくなるようなストーリーではない。
もう少し淡々と、静かに、でもとても情熱的な想いを秘めて物語は進んでいく。

(ここからはネタバレも少しあるので、それが嫌な人はここでストップして先は読まないでね!)

大まかに言えば、『辞書』を作る編集部の話だ。
どうやって辞書というものが作られるのか、それがよくわかる。

物語の構成は、大きくは前半後半の2つに分かれる。
前半は、27歳の馬締くんが辞書編集部に抜擢され、『大渡海』という国語辞書を編纂する仕事を通して、
少しずつ自分を変えていきながら、恋もする。そんな話。
ほのぼのとして、ちょっぴり漫画チックなところもあり、まあ、なんということはない。
前半の終わり頃、別の編集社員の視点に物語が移った頃から、少しずつのめり込んでいく自分を感じる。
なんだろう・・・?
高校時代、ひたすら無意味なほどに部活を頑張っていたこととか、
みんなでひとつのものを作り上げた文化祭とか、
そういう感覚をふと思い出した。

後半(というのも、私が勝手に分けたのだが)は、編集部に異動してきた新しい社員の視点で始まる。
馬締くんももちろん登場する。
新入社員は初めて馬締を見たときにこう思う。
「この主任と呼ばれている人は、40歳くらい?」

そこで、読者は気づく。
ああ、もうあれから13年以上の年月が流れたのか、と。

その瞬間から、何かわけのわからない熱いものが自分の中からこみ上げてくるのを感じた。

だって、13年以上たつのに、まだ『大渡海』は完成していないのだから。

私をはじめ、言葉が好きで好きでたまらず、それを生業にしようなんていう人間は、ほとんどがそうだと思うのだが、
辞書が好きだ。
わりとすぐに辞書をひく。(今はネットで調べることも多いが)
だから、普通に思っていた。
「辞書ってどうやって作るんだろう?」
「どんな人が作ってるんだろう?」と。
この世で最も尊敬するに値するような人物だとも思っていた。
言葉を、言葉で説明するなんて。
言葉を操る人間にとったら、これこそ究極だ。

そういう人たちが、物語の中のこととは言え、13年以上経ってもまだ1冊の辞書を作り続けている。
心が震えないわけがない。

1つ1つの言葉を大事にし、いつも用例採集をしていた松本先生。
その松本先生をずっと支え続けてきた編集者、荒木。
そして、辞書作りの面白さを知り、没頭し続けてきた馬締。
その他、幾人かの協力者たち。
こんなにも熱く何かに没頭できる人たちがいるのかと、それを見ているだけでたまらなくて、後半はずっと涙が止まらなかった。
(たぶん普通は泣かない。私が感情移入しすぎ)

もったいなくて、少しずつ読んだ。
ただストーリーを追うのではなく、大切に見ていきたかった。ひたむきに生きる人たちを。

こんなにも物語は淡々と静かなのに、なぜこんなにも自分の心は熱くなるのかと、不思議なくらいだった。

いわゆるハッピーエンドで得られるような読後感とは違うけれど、
とても清々しく、希望をもてるようなラストだった。
単純に、いい本に出会えた!感謝!と思った。

ドラマティックな展開も、メッセージ性も、殺人も、激しい恋愛も、人を感動させるための必須条件ではない。
ただ、そこに、ひたむきに生きる人たちを描けばいい。
それは不器用で、葛藤を抱えていて、でも熱くて、前を向いている人たち。
その生き様を見れば、人は感動するんだ。
・・・そんなことを感じさせてくれた本だった。

言葉の海は本当に果てしない。
だから、その向こうを見たくて、私も言葉を紡ぎ続けるのかもしれない。

激アツトークでストレス解消?

2011-12-15 23:13:44 | 友達
ひゃっほーい!

いよいよ仕事が終わった。
とりあえず、今日で早々と仕事おさめ。

細かい仕事はまだ来るかもしれないし、現在進行中のサイトやフェイスブックの修正はあるかもしれないけど、
まあ、ひとまず抱えているものは全て出したし、年内の取材予定などもない。
これから長い長い3週間の冬休みが始まるわけだ。

昨日くらいから、既にテンション上がりまくり。
ずっとニコニコして、すぐに鼻歌が出てしまうから(だいたいフランダースの犬のオープニング曲だ)
夫も「なんかゴキゲンやなぁ」と珍しく言ってくるほどで

この間も書いたけれど、常に「追われている」というのは本当に精神的にやられる・・・。
どんな仕事でも締め切りはあるし、私が特別仕事量が多いわけでもない。
だけど、7つも8つも別の会社と同時にやりとりしながら、家事もカンペキにやりたいと思い、
さらには飲み会をあれだけこなし、
さらにさらに、この秋はシンガポールと新潟に旅行し、
単純に「仕事が忙しい」とかではなくて、毎日がやることいっぱいで追われ続けていた。

また飲み会や旅行を入れたときに限って仕事が前後に集中し、ひぃひぃ言いながらこなして、
ふらふらで参加するような状態なわけで・・・

あれもしたい、これもやらないと・・・
それができないストレスで爆発しそうだった。

でも、ついに一段落!
明日は3ヶ月ぶりの美容院を予約した。
土曜日の夜も3ヶ月ぶりに実家に行ってゴハンを食べる。
そして、来週からは大掃除と年賀状作り。
庭の手入れも徹底的にしたいし、たまっている仕事の資料も片付けたい。
忘年会はあと2回だ。
別にゴロゴロしたいとか、そういうのは全くなくて。
ただただ、自分の理想の「カンペキ」に追いつきたいだけで。

今はゆっくりと落ち着いた気持ちで新年を迎えられそうなことに心からホッとしている。
こんなに気持ちが楽になったのって、何ヶ月ぶりだろう。
半年ぶりくらいじゃないのかな・・・

忘年会といえば、昨日は和田さんと忘年会をした。
私の好きなお店へ連れていった。

ここはとにかくお造りがおいしい。
盛り合わせは1人1500円でこのボリューム。(写真の1枚目と2枚目の2皿を合わせて)





特に2皿目がおいしかったなぁ。
明石の鯛
マグロの目玉のまわりのお肉を海苔で巻いて。
マグロのホホ肉
しめ鯖


豚の角煮と大根

こんな上品な角煮は初めて。
ゴマがいい感じに効いていて、なるほどなぁと。
これは絶対味の再現やってみよう。


マナガツオの塩焼き


タチウオを揚げておこげあんかけ

どれもおいしかった!
日本酒は、根知男山、喜楽長、上喜元、雑賀と順番に飲んだ。
和食によく合うラインナップで、いつも満足する。

和田さんは相変わらず酒に弱く、梅酒を割ったものを1杯飲んで赤くなって、あとはウーロン茶を飲んでいた(笑)
完全にオッサンと女子の注文である
(性別逆やけど)

しかし、昨日はよくしゃべった!!
6時から11時半くらいまで、およそ5時間半

話題は尽きず、ISに始まり、橋元新市長の教育政策から、憲法九条の改正・・・
かと思えば、ブラマヨの面白さや「はじめの一歩」や「カイジ」、連ドラ「カーネーション」の話まで多岐に渡った。

なんぼでもしゃべれるで!というテンションの、まさに激アツトークが繰り広げられた。
基本的に私は男の人と政治や仕事の話をするのが好きだし、お笑いや漫画(それも少年漫画)も好き。
ありがたいことに和田さんは女子の中でもOKの人だから、ガンガンしゃべれる。

出会った頃・・・13年くらい前?は、ちょっとでもイデオロギー的な話になれば、
思い切り対立して、お互い相手を打ち負かそうと必死になって、ほとんどケンカみたいに終わっていたけど
二人とも丸くなったし、大人になったんやなぁ・・・

今は、私の知的欲求をかなり満たしてくれるので、おしゃべりが本当に楽しい

ちゃんと寝過ごさずに帰れたし、ほどほどのお酒で、いい忘年会だった。
楽しい気分とは裏腹に、なぜか翌朝またうなされたのだが・・・
ストレスないはずやのに、おかしいなぁ。

今年いちばんのお店!京都「二条椿」

2011-12-14 11:51:04 | 美味しいもの
月曜日は、ライター友達のあんこちゃんと忘年会。
「御幸町つばき」の二号店、「二条椿」へ。
http://www.kyoto-tsubaki.jp/

御幸町は3回行ったことがあり、気に入っていたので、今回もとても楽しみだった。
前情報によると、割烹というよりバーで、お酒と天ぷらを楽しめるという。
営業時間がなんと14時~夜中2時まで!!
酒飲みなら誰でも憧れる、素敵な営業時間!!
昼飲みもできるやん
期待を高めて出かけて行った。(とりあえず、今回は普通に夕方~)

先に結論から言うが・・・

すごいっ!!

素晴らしい!!

いやー、ほんま、今年の新規開拓したお店では、文句なしのナンバーワン!!
こんなに自分の感性と好みにドンピシャのお店があるなんて・・・

あのねぇ、なんというのかなぁ・・・
「割烹」という気持ちでお料理中心に楽しみたい人でももちろん満足はいくだろうけど、
やっぱり酒飲みの気持ちをくすぐるという点で大きく評価したい。

まず、お店のしつらえがいい。
二条通の河原町と寺町の間の路地奥。
京都っぽいいわゆる「うなぎのねどこ」的に、奥まった場所。
玄関からもう「ここはおいしいものある!」という匂いがする(ほんまの料理の匂いちゃうで)

入った瞬間、「うわー・・・」と声が出てしまうくらい、素敵!
単なる「和」じゃないのだ。
いわば「お茶室」!

だからかなぁ、なんだか馴染みがあって。懐かしさすら感じられて。(私は10歳から茶道をやっていた)
店内はいい感じの灯りの落とし方。
奥にカウンターが続いていて、後ろの壁には墨絵が大きく描かれている。
カウンターの中はまさにお茶室の設え。
(もちろん、お茶室そのものではなく、そこからイメージして創ったという空間)

驚いたのが、カウンターの上が、なんと畳!!
タタミですよ・・・たたみ。
畳カウンターの上には、漆塗りの盆を置いてくれる。

ちょっと暗くて写真が微妙やけど、イメージだけ。


椅子も北欧のって言ってたかな?
とてもすわり心地が良い椅子で、また店員さんがちゃんと椅子を引いてくれるのがいい。
(トイレから帰ってきてもまた引いてくれる)

もう店に入っただけで、気持ちがふわ~っとなっているところに、料理がまた・・・
コースでもアラカルトでも、お任せでもいけるので、
私たちは、お造りと焼き物と天ぷらを適当におまかせで出してもらうことにした。

かなり照明が暗く(特に私の席)、写真がボケて微妙やけど、そこはご想像で。


聖護院大根ととろろ昆布の含め煮。
柔らかすぎない歯ごたえと、あっさりと炊いた味がいい。


お造りは、奥から丸穴子、ひらめ、ぶりのはらみ、トロ。
添えてあるのはわさびと「しめり昆布」。
普段、マグロがあまり好きでなく、トロも全く興味がないのだが、これはすごい。うまい。ヤバイ。
口の中で一瞬で溶ける~
丸穴子は香ばしく、ブリは旨味があってたまらんかった。

ここは速攻で日本酒です!!

またこのお店は、日本酒のラインナップがいい。
有名銘柄ということでも、割烹にありがちな「すっきり辛口」メインでもなく、
華やか系からスッキリ系、醇酒から熟酒まで、幅広く置いている。
温度も冷・常温・燗まで要望にこたえてくれる。

さらにだよ!
ぐいのみを、いちいち選ばせてくれるのである!!
これは結構ポイント高いよなぁ。
まあ、正直なところ、あんまり好みの器はなかったけど・・・
青磁っぽいのはきれいだったかな。
あとは、唐津っぽいのと、織部っぽいのを選んだ。(暗くて色などがあまりわからない)

日本酒も、豊盃や凱陣など、私のツボをついてくるようなものがあり、とにかくテンション高まりすぎ!


焼き物は、イベリコ豚、もろこ、くわいチップス。
イベリコ豚は味噌漬けにしてある。
いい!!


口直しにさっぱりとジュレ仕立ての酢の物。
千枚漬けにカニの身をほぐしたものが和えてある。
酸味が絶妙で、めちゃくちゃおいしかった。(普段、あまり漬物や酢の物系は食べないのだが)

そして、いよいよこちらのお店の目玉である天ぷらへ。


車えび。
この軽さは何?!と衝撃を受けて「油は何を使ってるんですか?」と聞いてみたら、やはりオリーブ油だという。
素材もいいのがわかる。
あー、もう、海老は本体よりも頭が好き!!
頭だけ5個ください!って感じだ。


ごぼうとゆりね。


雲子(たらの白子)


牡蠣


ぐじ

ぐじ~~~!!
私がおまえを好きだとわかっていて食べられに来たのかい?と聞きたいほどにうれしい
っていうか、ゆりねも雲子も牡蠣も・・・私の大好物ばっかりやんか。

なんかもう途中で幸せ度が上がりすぎて、おかしくなりそうだった。
私がずっと合わせたかった「天ぷら」×「凱陣 ぬる燗」のマリアージュも堪能できたし・・・
久々や、こんなこと・・・

途中で、「なんでこの店はこんなに居心地いいのか?」と考えていて、ふと気づいた。
なんと、流れている音楽がずーっとブルースなのだ!!

そんな店って・・・
和食割烹バーみたいなお店で、ブルースしか流れないって・・・(笑)

ああ、それでどんどん幸せになっていくのか、と思った。
ブルースの流れる素敵な和の空間で、おいしい酒と料理があって、最高のサービスを受けながら、親しい友達と語り合う。
これ以上のことがあっていいのか?(いや、ない!)

こちらの料理人さんも素晴らしく、まだ24歳という若さなのに、たぶんセンスがいいんだろうな。
最初に御幸町のお店に行ったときはまだそちらにいて、そのときからとても印象的だった。
本当に良いものを提供しようという姿勢って、こういうところからわかるのだが、
彼が天ぷらを揚げるのを見ていたら、衣の入ったボウルが、なんと信楽焼きの陶器だった!
普通はステンレスのボウルでしょう・・・
そんなところまで気遣うのか・・・と感心して聞くと、「ここでステンレスはイヤだったんで」と言う。
やはり自分の意志でこの信楽焼きを選んでいた。

お客様に出すものだけでなく、自分が使うものまでにこだわる。
だから、このレベルのものが出せるんだなぁと思った。

最後にもう少しアテをつつきながら飲みたいといったら、こんな盛り合わせを出してくれた。

貝柱や鯖、魚卵などを使った「酒飲みセット」!
うわ~、もうたまらんね。
なんでここまで酒飲みのツボをついてくるか・・・

というわけで、あんこちゃんと二人、いちいち感動しながら食べまくり飲みまくり、しゃべりまくりで楽しい時間を過ごした。

「コスパが悪い」というクチコミをみていたので、多少の出費は覚悟していたが、1人1万円でおつりがきた!
どこが悪いねん、めっちゃいいやん!!
サービスや空間代も入ってこれなら、安いくらい。
お酒も5種類くらい飲んだし・・・

めちゃくちゃ満足して、ふわふわになりながら、あんこちゃんと2軒目バーへ行き、リンクウッドを1杯だけ飲んで帰った。
あー、いいお店だった。楽しかった。

ちなみに、自他共に認める「凝り性」の私は、またすぐにこの店に来たい!と思い、その場で翌週の予約をして帰った。
来週もまた行けるのかと思うと、楽しみで仕方がない。
間違いなく、今年のベストワン!

日本酒と同じくらいかそれ以上に、ワインにもこだわりがあるお店なので、次はワインと天ぷらのマリアージュでもいいな。
こんなに気合入れて書いたら、人気店になってしまうかもしれないけど・・・
でも、書かずにはおれないほど、魅力的な店なのでした。


家飲み忘年会

2011-12-13 23:28:28 | 友達
仕事に追われながらも忘年会が続き、更新を怠っていた。
でも、今日は久しぶりに仕事に「追われてる!」という感じのない日だった。
午後には今日やる分の仕事を終え、夕方は飲み会もなく、5品くらい料理して楽しんだ。

思えば8月半ばからずーっと「追われてる!」感があって・・・。
今もまだ抱えている仕事はあるが、あさってまで時間があるので、気持ち的に余裕だ。
そして、それが終われば年末までゆっくりできそう・・・
やっと美容院にも行けるし、少しずつ大掃除もやっていこうと思う。
そんなことを考えるだけでわくわくする。(というのもどうかと思うが)

さて、日曜日はまた数人友達が集まった。

最初はかどやが1人で来ることになっていた。
なぜか今年はうちで夫も入れて3人で忘年会をしたいというので、たまにはそういうのもいいかなとOKしていた。
その後、前からこうちゃんと飲みたいって言ってたな、と思い出し、こうちゃんも誘ってみたら来れるという。
大人数になるとまた大変なので、今回は他は誘わないでおこう・・・と思っていたら、
たまたまふみこと別件のメールをしていて、何気にこの話をしたら、「私も行っていい?!」と言う。
ふみこもこうちゃんと会おうと言いながらずっと会っていなかったらしい。
(こうちゃん人気高し!)

で、結局そんな珍しい組み合わせの人たちが集まった。
最近、こういうの多いなぁ・・・
もちろん大歓迎!

今回は最初にかどやが「料理は持ち寄りにしよう」と提案してくれていたので、
私も手抜き料理を数品出しただけで済み、とても助かった。

常に作り置きがあるオイルサーディンとカキのオイル漬け。←こればっか!
そして、材料を切るだけでいい「塩ちゃんこ鍋」。
あとは、自分のお昼ごはんに作っていたロールキャベツとブリ大根。
里芋の明太子チーズグラタンとポテト春巻だけは、このために作ったけれど・・・。

みんないろいろ料理を持って来てくれて、ほんま楽やった。
飲み物も、ワインやビールをたっぷり用意してくれ、場所を提供しただけ・・・という感じ。
ほんまにありがたい。
なんか、初めていっぱい料理を食べられた!
いつもあまり食べられないのは、料理に忙しいからというよりは、私は自分の作った物をあまり食べる気になれなくて・・・。
もちろん、人に出しているときの話だけど。
せっかくみんなが食べてくれているのだから、自分で自分が作った物を食べるのはどうも遠慮してしまう。
でも、今回は自分の料理じゃなかったから、どんどん食べられて、いい感じで飲めた。
全部おいしかったし

私の友達は、本当にお酒好きが多い。
ビールもワインもいっぱい空いた。
デザートにはいわさきっちに作ってもらっていたケーキを食べた。

しかし、夫はちょっと女子トークに入っていけず・・・かわいそうだったかな
申し訳なかったと思い、翌朝謝ったが、相変わらず上機嫌だった。
そればかりか、「かおり想いの一級品の友達に感動した!」と言っていた。
(よかった、こういう人で・・・)

たぶん、私は私のままでいいと。
足りないところや欠点はあるけど、それはそれ。
そんなこと、たいしたことじゃない。
気にする必要も不安になる必要もないと。
皆がそう言ってくれるのを見ているからだろうな・・・。

本当にありがたい。
近所ですぐに集まれるのもいいなぁ。
これが地元の良さやね。

楽しい時間はあっと言う間に過ぎ・・・
10時には解散しようと言っていたのに、結局いつも通りギリギリまで飲んでいた。

1人になってふと思った。
結局こうちゃんの話ほとんど聞いてないな(笑)

ま、いいか。
また来年・・・

そして、翌日も忘年会!
続きはまた。


「I must・・・」の人生

2011-12-10 20:38:44 | 生活
昨日からどうも精神状態が不安定で。
すぐイライラして怒鳴ってしまい、夫は私の顔色を伺ってビクビクし、
「怖い・・・トラウマになる・・・」と言いだす始末。

昨日の朝、起きたとき、なぜか「・・・喪失感」とつぶやいてしまった

何を失ったというのか。

ただ、変な喪失感が心にあった。

ホルモンバランスが悪く、本気で規則正しい生活とストレスフリーを目指さなくてはならないと感じている。
更年期障害とかなるのもイヤだし。(このイライラは既に?!)

私はストレスをためないタイプだと自分では思っている。
ストレスをためる人って、自分の中にしまいこんで発散しない人だと思うから。
私はすぐ人に言うし、書くし、酒飲むし、暴れるし、吐き出すのが上手い(?)ほうだとずっと思っていた。
でも、ストレス発散って、そういうことじゃないのかな?
夢にうなされる回数がどんどん増えているのも、ストレス?と思ったり・・・

じゃあ、自分のストレスって何?と考えてみた。
1コしか思いつかない。
「きちんと生活できないこと」

規則正しく生活したいのに、それができない。
その状況と、豆腐のように柔らかい意志の自分にイライラして、「ストレス!!」といつも感じている。
寝る前に「今日もダメだった」「今日もあれができなかった」「今日はあれを明日に残した」と、
毎晩そんなふうに反省し、「明日はあれやって、これやって・・・」と考えながら寝る。
「リラックス」とはかけ離れた精神状態で、ただ疲労だけで眠りにつく。
そりゃ、怖い夢も見るわな・・・

私に「心の闇」があるとすれば、
「きちんと生きたい」という理想の自分と、それができない現実のダメ人間の自分との葛藤。
人と比べてではない。
そんなことを言うと、よく「私と比べたら、きちんとしてる」といわれることがあるが、人と比べても仕方がないのだ。
世界の中で「きちんとできている人」の順位を競って、一位になれないことを嘆いているわけではないのだ。

いわば、理想の自分との闘い。

そんな理想、なくしたほうがいいと思う人もいるだろう。
だけど、この理想があるから、とりあえず努力できるし、自分をこれ以上は落とさなくて済んでいるのだとも思う。
理想をなくした瞬間に、堕落の一途を辿るような恐怖がいつも心にある。
理想なんて捨てて楽になりたい自分との葛藤。

ヘンかな?ヘンか。

のんびりこぶたの夫と暮らすようになって、よけいにこの葛藤が激しくなってきたようにも思う。

メリハリ。
バランス。
良い加減。

これらはすべて、私から縁遠いもの。

夫は、私が見てきた6年間、ほぼ毎晩12時まで仕事をしている。
土日もたびたびメールチェックしている。

でも、遊ぶときはパーッと遊ぶ。
自分に何かを科すということがない。(科すはこの字か?)
「~なければならない」がほぼ存在しない人なのだ。
嫌なこともわりとすぐ忘れるし、だいたいが上機嫌。

朝のNHK連ドラの「カーネーション」に出てくる糸子の夫、まさるさん。
あの人を見ていると、いつも夫のようだと思う。

とにかく家にいるときは上機嫌
私に「これをしろ」も「これはするな」もない。
自由な個人の共存を求める。

私は全く逆で、「これして」「これしないで」ばかりだし、
不機嫌でイライラしていることも多いし
とにかく常に自分に対して「~しなければならない」ばかり。

しんどい。
最近、本当にしんどい。
自分で自分を苦しめている。

上機嫌になる方法ってないのかな。

少しだけ距離が縮まったと感じた日

2011-12-09 22:06:26 | 仕事
今日は夕方、某企業の社長取材だった。
社内報の掲載記事なのだが、もう2年近く取材させてもらっている。

最初はどう接していいのかわからない社長さんで、正直困っていた。
取材の日は憂鬱になることもあった。
私のほうを一切見ようとしないので、「嫌われているのかな」と思ったこともあった。

これまで多くの社長や会長と呼ばれる人と接してきたけれど、
なんだかちょっとタイプが異なり、話題も見つからず、自分の出方もよくわからないまま何ヶ月も経った。
取材後はだいたい自分の無能さに落ち込んだ。

そんなとき、いつも助けてくれたのが、編集の女性だった。
よく取材に同行してくれ、盛り上げ役を買って出てくれ、楽しい場を作ってくれた。
私がその社長を苦手としているのに気づくと、
「私はあの社長好きやで。すごい照れ屋やと思うねん」と言って、イメージを変えてくれた。
あの言葉は本当にありがたく、社長の言動を「あ、これは照れてやってるのかな」と思えるようになった。
そう思ったら、「嫌われてる」とか「無能と思われてる」とか、変にマイナスにとらえなくなり、
取材後も落ち込むことがなくなった。

そして、最近になって、ようやく社長のほうでも私に慣れてくれたように思う。
前回の同行は編集の女性ではなく、その上司の方で、社長といろいろ話が盛り上がっていたのだけど、
話が記事の内容になると、社長は私が原稿を書いていることはわかってくれているようで、
ちゃんと私のほうを向いて、「こういうふうに書いて」と言ってくれたのだ。
2年やってきて、初めて自分がこの記事に関して役に立っていると思うことができた。

今日も追加取材だったのだけど、記事の話になれば私に向かって「ここはこうして」と言ってくれる。
いったん目を見て話してくれるようになると、記事とは関係ない話でも、私に向かって話してくれた。
今日はカジノの話をいっぱいしてくれ、帰り際、「他のネタもあるで。今度はまたそれするわ」と言ってくれた。
ちょっとだけ、距離が近くなった気がして嬉しかった。

よかったなぁ・・・と、ちょっとほっこりしながら家路を辿る。
今日こうしてうまく取材ができたのは、
私が早く馴染めるようにといろいろアピールしてくれて、
いつも場を楽しく盛り上げてくれた編集の方のおかげだな、と改めて思った。
心から感謝

私は本当に人に恵まれている。

前回書いたハッタリの話じゃないけど、私は専門分野を持たない「何でも屋」の部類に入るライターだから、
いろんなことを勉強していかないといけない。
大変ではあるが、逆に言えば、いろんな世界を垣間見ることができるし、いろんな業界の人にも出会える。
そして、自分の知識を広げることもできる。
ライターって、いい職業だなぁとつくづく思う。

高校時代はさんざん遊んで、1年浪人して大学行って。
就職活動も一切せずに、卒業したら1年、塾の講師やりながらぷらぷらしていて。
毎日、ラムやウイスキーをあおって

ようやく働き始めたのが24歳の終わりくらいだったか?
名刺屋に飛び込んで、「フリーライター」の肩書きの名刺を作ってもらった。
あれからもう16年か・・・

一番最初の仕事は、小学ポピーの国語の問題集を作ることだった(笑)
全然ライターじゃないし・・・
でも、この仕事は教科書改正(4年に1度)のときに、1年半~2年くらいかけてやるんだが、
なんやかんやで10年のうちに3回(つまり6年近く!)やったな。
月に10万くらいになったから、辞めるに辞められなかった。

一番最初にやったので、もう少しライターらしいのは、「まっぷるマガジン」の京都の取材記事だったなぁ。
店探しからアポとりまで自分でやって、カメラもやって、記事も書いて・・・
「るるぶ」もやったけど、めっちゃ安くて(笑)

25歳の夏の終わりに、なぜか突然、「このままじゃ堕落する!」と思い、
初めて「とらばーゆ」を買いに行って、そこに掲載されていた社内報の制作会社の面接と試験を受けて、
「正社員」の募集を「会社勤めは無理!!」というとんでもないワガママを言って、
なぜか話のわかる社長だったものだから、
「契約の形はどうだっていい。良い物を作ってくれればそれでいい」と、フリー契約で仕事をもらえるようになって、
そこから10年・・・
途中で会社の社長が代わって、辞める間際にはいろいろあったけど、この会社には本当にお世話になった。
あの10年がなかったら、今の社内報制作の仕事はもらえてないと思うし、
今日のような社長取材もしていなかったと思う。
辞めてからも結構モヤモヤしていた時期が長かったけど、今は単純にあの会社には感謝しているし、
なぜもうちょっといい辞め方ができなかったのかな・・・と反省すらしている

しかし、作家になりそこなって、思いつきでフリーライターになったけど、
あれは間違いじゃなかったな、と思う。
私はライターの仕事がすごく好きだ。
いつもいつも楽しい

自分が一生をかけていいと思うほど好きな仕事に巡り会えたこと。
それがもうキセキのよう。
やっぱり感謝だな・・・