『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・雛あられ両手にうけてこぼしけり/久保田万太郎

2013年03月03日 14時24分08秒 | ■俳句・短歌・詩

   

   雛あられ両手にうけてこぼしけり  久保田万太郎

  この「両手」は、大人のものと見ることもできます。

 しかし、筆者にとっては、やはり幼な子(おさなご)の「小さな手」を指しています。この愛くるしい手は、どんなに指を伸ばして広げたところで、“小さい”  ことに変わりありません。

 そもそも、幼な子の指の開き具合は “ぎこちなく”、何かを容れる “うつわ”  としては頼りないもののようです。

  その小さな “掌(てのひら)”  を懸命に広げて、「雛あられ」をものにしようとする幼な子――。しかし、哀しいかな、“ぎこちない掌”  の動きは、雛あられを〝うまくつかめない〟まま、結局  “こぼして”  しまったのです。

   幼な子の意志に反して “こぼれた” とも言えるでしょう。ことにその雛あられが、「小粒で軽いもの」であれば、事態は避けられなかったのかもしれません。

            ☆   ☆                                         

  この「小粒で軽い雛あられ」と、それを受け取ろうとした「幼な子」について、わたし自身も体験者の一人です。

  長女が二歳ちょっとの頃でしょうか。「淡い桃色や黄緑の雛あられ」は小粒で軽く、また柔らかいものでした。幼児用に特別に作られたものかもしれません。

 わずかな室気の流れや吐息だけで、簡単にこぼれ落ちるような気がしたものです。長女が開いた手のひらを、少し広げてやろうとしたそのとき、わたしはあらためて気づかされました――。

  『……なんて小さな手、そして掌なのだろう。このような掌で、何をつかみ、また何を持つというのだろうか……』

  もちろんそれまでも、それらしき思いを実感したことはありました。しかし、“このとき” 以上にそう感じたことはありませんでした。

  二歳の長女は、自分が何をしているのか、また何をされようとしているのか、すぐには理解できなかったに違いありません。

 それでも、自分の眼の前にいる人物(父親)が、好意的な態度で自分に何かを与えようとしている……そして、自分の掌に「淡い色合いの小粒で軽いもの」が載せられようとしている……くらいは何となく感じたかもしれません。

 それでもその瞳は、ことさら嬉しいという表情でもなく、少しとまどっているような印象でした。

  ……ゆっくりと静かに開いた長女の手のひら……。

 しかし、思うように指を広げることができないまま……。

 ほんとに小さな「掌の窪み」でした。「普通大」のあられなど、とても受け留めることなどできなかったでしょう。そのときの雛あられが、「小粒で軽いもの」であったがゆえに、何とか「ふたつぶ、みつぶ」を掌に載せることができたのでしょう。

 それでも次の瞬間、「いくつぶ」かの「雛あられ」が、いたいけな長女の掌からこぼれおちたのです。

 

            ☆   ☆

  ……あれから三十年……。三人の娘と一人の息子の父親として、わたしは以上のような光景に何度か出逢う機会を得ました。今はもうすっかり成人となった息子や娘たち。

 幼児の頃の彼らの “小さな手のひら”  と戯れることができたことを、父親としての感動の一瞬として記憶しています。

  句に戻りましょう。

  『こぼしけり』は、『こぼれけり』でもあるということですね。そのように両者を加味しながら解釈するとき、「雛あられ」の “かるさ”  や “淡い色合い”  がより印象深く映るとともに、幼な子の “あどけなさ” や “いじらしさ” も、いっそう伝わって来るような気がします。

  と同時に、我が子に「雛あられ」を与えることのできる “とき”  の重みのようなもの。すなわち “人生におけるごく限られた時間”  という意味合いも感じられるような気がするのですが……。

                   ★   ★   ★

  久保田万太郎  作家、俳人、劇作家、舞台演出家。1989年~1963年。:慶大文卒。1937年、岸田国士らと一緒に劇団『文学座』を結成。1946年、主宰として俳誌『春燈』を創刊。

  


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2 コメント

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俳句は難しい (dnk1:mm)
2013-03-11 13:13:27
 ひなあられをこぼしたのが、おさなごの手とは。てっきり作者(久保田万太郎)と信じていました。でもやっぱり、ここは「おさなごの手」でしょうね。俳句は難しい。…というよりこちらの想像力が足りないということでしょうか。そうとしか言いようがありませんね。
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別次元の世界?! (shuri)
2013-03-12 05:36:05
  「受け手」の感覚や経験によって、「両手」を「作者の手」とすることも可能です。もちろん句は別次元の世界を映し出し、それはそれで一つの作品になるでしょう。今回の私の解釈からは想像もつかない趣が生まれることになると想います。
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