ルイス・ルビアレス氏の母上:アンヘルス・ベハーレ様へ
スペイン/マドリッドの裁判所によれば、「性的暴行の容疑」で起訴されたルビアレス氏は、9月16日に出廷されるとのこと。裁判はどのように推移して行くのでしょうか。
ところで今になって思うのですが、ルビアレス氏は早い段階で「あえて裁判での決着」を希望されていたのではないでしょうか。そう判断した理由は、氏がエルモソ選手に「謝罪する意志が無い」という報道でした。
つまり氏は「一連のキス騒動」に関する「自身の感情や言動」について、「ゆるぎない自信」と「自分が正義であるとの確信」をお持ちなのでしょう。しかし、次のような報道があったのも確かです。
それは「エルモソ選手の親族」が、ルビアレス氏と「彼を取り巻く人々」(※註:「RFEFの側近」と言うことでしょうか)によって、圧力をかけられたとする事実です。その内容は『エルモソ選手がルビアレス氏のキス行為を、(合意が合ったものとして)正当化するように』との働きかけであった由。そのため検察も「起訴状」に、「強要の疑い」を追加したのでしょう。
今や世界中のマスコミが、この時とばかりに「ルビアレス問題」を取り上げており、「裁判の決着」がどのようになるにしても、マスコミの関心は当分この問題から遠ざかることはないでしょう。
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そこで私は最後に「この書簡のまとめ」として、貴女に「お願い」があります。「神に助けを求める」ために教会に立て籠り、「ハンガーストライキ」(断食)までされた貴女を、「聖書の教え」に忠実な「真のクリスチャン」と信じての「お願い」です。
それは「ルビアレス氏と貴女のお二人」が、「エルモソ選手及び親族のみなさま」に「直接お会いして謝罪をする」ということです(※註1)。
無論、容易にできることではないと思います。特にこれまでのルビアレス氏の強硬な態度や、ハンストをされた際の貴女の発言等を振りかえるとき、『何を今さら』と、お叱りを受けるかも知れません。
それでも私が「お二人の謝罪」にこだわるのは、「謝罪がなければ、真の問題解決にはならない」と思うからです。ルビアレス氏が「無罪」を勝ち得ても、それで氏の「真の名誉回復」となるのでしょうか。誰もが納得できる「最終的な解決」と言えるのでしょうか。
【ルビアレス氏は「RFEF連盟会長の正式な辞任」について、次のように語っていました。『これ(辞任)は私だけの問題ではない。私に対する態度は、非常に重要な第三者に影響を及ぼしかねない。(辞任は)私がしなければならない賢明な対応だった』と。】
仮に「無罪」を勝ち得たにしても「謝罪」などが無い場合、「スペイン国民」の圧倒的多数は、そして「世界の人々」はどう反応するでしょうか。おそらく後々まで、次のように語り継がれて行くのではないでしょうか。
『ルビアレス氏もハンストを実施した母親」も、結局「謝罪をしなかったし、自分たちの「いたらなさ」や「誤解を与えたこと」を認めようともしなかった』と。
その結果、どのようなことが予想されるでしょうか。おそらくルビアレス氏の三人のお嬢様をはじめ、彼女たちの現在及び将来の家族に「思いもよらない不名誉な評価」が下されるかも知れません。それはルビアレス氏を支持し、また支持した人々についても同じだと思います。
そう言う意味において、ルビアレス氏や貴女の「今後の言動」は、ご自身やご家族を含めた身近な人々に「重大な影響」を与えることは必至です。お二人のそうした「今後の言動」が、「聖書の教えに叶うもの」であることを切に祈るばかりです。
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私が自分の「戒め」としている〈箴言(しんげん)〉の一節があります。この聖句はクリスチャンではない友人知人に語ることもあり、《主》すなわち《創造主である神》の本質を端的に表現しているように感じます。それは――、
『主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌み嫌うものが七つある。高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、まやかしを吹聴(ふいちょう)する偽りの証人、兄弟の間に争いを引き起こす者。』(箴言6:16~19)
その《神》の御子である《主イエス》は、「山上の垂訓」の中で次のように語っています。
『もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦して下さいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。』(マタイ6:14、15)
また同7章においても――、
『さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量(はか)るとおりに、あなたがたも量られるからです。』(マタイ7:1、2)
……に続き、
『また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁(はり)には気が付かないのですか。(中略)偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。』(マタイ7:3、5)
そのためにも、先ずは主イエスが唱える「謙遜な態度」が、ルビアレス氏にも貴女にも求められるのではないでしょうか。
しかし、私は貴女をひたすら信じ、ルビアレス氏と貴女によってもたらされる《謙遜と隣人愛に溢れた素晴らしい決断と行動》を祈っております。
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今回、巻末に『Jesus bleibet meine Freude(主よ、人の望みの喜びよ)』の【音楽動画】をお付けしました。「Johann Sebastian Bach(ヨハン・セバスチャン・バッハ)」による有名な「教会礼拝楽曲」であり、もちろんご存じのことと思います。私も大好きな一曲であり、一時期、或る日本のmobile phoneの「着信音」の一つに使われていたため、私は迷わずその機種を求めたほどです。
それではアンヘルス・ベハーレ様、❶から❹に渡る「書簡」に長々とお付き合いいただいたことに対して、心より感謝申し上げます。
ドイツ語と日本語ではありますが、「歌詞」もお楽しみください。
Jesus bleibet meine Freude(イエスは変わらざる私の喜び),
Meines Herzens Trost und Saft(私の心の慰めであり 潤い),
Jesus wehret allem Leide(イエスはすべての悲しみから守ってくださる),
Er ist meines Lebens Kraft(イエスは私の命の力),
Meiner Augen Lust und Sonne(目の歓びにして太陽),
Meiner Seele Schatz und Wonne(魂の宝であり 歓喜);
Darum laß ich Jesum nicht(だからイエスを放しません)
Aus dem Herzen und Gesicht(この心と視界から)
貴女やルビアレス氏を含むご家族及び身近な人々全てに、神の御加護がありますように。アーメン(amen)(完)
この動画は2016年7月30日、「日本の合唱団」がドイツ・ミュンヘン市の「聖ウルズラ教会」の夕べのミサにおいて、現地教会の合唱隊と「合同演奏会」を実施した際のものです。聖堂に響くパイプオルガンの伴奏や合唱もさることながら、白と黒だけの「聖堂」と「合唱隊」のシンプルな色調がいいですね。
なおこの動画では、画面に「ドイツ語」と「日本語」の「歌詞」が流れており、「主イエス・キリスト」を言い尽したかのような歌詞が素敵です。
※註:上記「本文」に掲載した「歌詞」については念のために「フィーリ」というサイトから採用しましたが、「動画で流れる歌詞」と全く同じです。ちなみにサイト「フィーリ」には、【このページへのリンク、バナーのお持ち帰りはご自由にどうぞ。】と表記されています。
※註1:◆主イエスも「山上の垂訓」において、「(刑事)告訴」された際における心構えとして、次のように語っています。『あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役(したやく)に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。』(マタイ5:25)◆『早く仲良くなりなさい』を今日風に言えば、「告訴した相手」に対して「誠心誠意ある反省と謝罪」を行うということではないでしょうか。「そのような行動」は、たとえ裁判が始まったあとであっても、充分意味があると思うのですが。