『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

◆命のリストに載る人々/『シンドラーのリスト』:No.9

2015年02月26日 01時05分32秒 | ◆映画を読み解く

 

  シンドラーの“命の放水”

33. 処分囚人の移送

   駅に停車している家畜運搬用の貨車に、“選別” すなわち何らかの “処分” 対象となった囚人(※註1)がびっしりと詰め込まれ、「マウトハウゼン強制収容所」(※註2)へ送られようとしている。ただでさえ暑い日、囚人たちは僅かな覗き口から手を伸ばし、懸命に喉の渇きを訴えている――。

  見かねたシンドラーは、「貨車」の屋根や覘き口への「放水」をゲートに提案し、これを認めさせます。消火栓用の「ホース」を使い、先頭に立って「貨車」に放水させるシンドラー。貪るように水を求める囚人達。ゲートをはじめ、他の将校や下士官達は、飛び入りのイベントを楽しむかのように笑いながら見ています。ゲートは、シンドラーを “物好きな男”と言わんばかりに揶揄しながら言ってのけるのです――。

君も残酷な男だな。そんなことをしても、余計な期待をもたせるだけだ。……(茶目っ気たっぷりに) この人でなし!」

  しかし、20mほどの「ホース」では、全部の貨車に放水することができません。シンドラーは、工場にある200mのホースを持って来させ、総ての貨車に万遍なく放水が行き渡るよう指示します。自らもホースを使いながらのシンドラーの真剣な様子に、ゲート達の笑いは一切消え、沈黙とともに何やら神妙な表情に変わっています

   ことに、“アーモン・ゲートの表情” に注目してください。 “哲学的懐疑” ……?!

        * * * * * * *

 ★ DVD」ではここからが「ディスク:2」となっています。

 

   「焼却の丘」と「赤い服の幼女」

34. 死体の焼却処理

  「ディスク:2」がスタートしてすぐ、丘の上に黒い煙がもうもうと立ち込めている。街中では、“大粒の何か” が降り注ぎ、シンドラーが、車に積もった “その何か” を手で掃き寄せている――。

   もうお判りですね。死体の焼却による「降灰」です。「画面」に、以下の「キャプション」(説明文)が出ます。

 【 1944年4月 「フヨヴァ・グルカの丘」―「プワシュフ収容所」と「ゲットー」で殺された犠牲者1万人余の死体に焼却命令が出た。】

 煙が立ち上る丘の上に、「アーモンゲート少尉」と「オスカー・シンドラー」もいます。ゲートが言い放ちます。

プワシュフ(収容所)は閉鎖。全員、アウシュヴィッツ(収容所)送りだ!

 焼却される死体が、「二輪車」で運ばれて来ます。ハンカチで鼻を抑えたシンドラーの眼に、あの「赤い服の幼女」が「死体」となって二輪車の上に横たわっているのが見えます。食い入るように見つめるシンドラー

 

35. 別れの杯?!

  シンドラーと「ユダヤ人会計士」の「イザック・シュターン」が話をしている。なにやら深刻の様子。「プワシュフ強制労働収容所」が “閉鎖” され、“全員がアウシュヴィッツ送りになる” 模様。それは “ガス室送り” すなわち “” を意味している――。

  もちろん、ユダヤ人の「シュターン」も、「アウシュヴィッツ絶滅収容所」送りとなるわけです。しかし、シンドラーは、“救済” のための「特別措置」をゲートに頼むと言います。シュターンは、シンドラーの「DEF=ほうろう容器工場」の経理チェックのため、ゲートのオフィスで働かされています。そのため、シンドラーも自分が雇った部下ではあっても勝手なことはできません。

   シンドラーシュターンに告げます。

私は故郷へ帰る。望み通り使い切れないほどの金を貯めた。……この戦争もいつか終わる。そのとき、君と一杯飲もうと……。」

  しかし、シュターンは首を横に振りながら寂しげに――、

今、飲みましょう。」

  静かに見つめ合いながら、一杯のグラスを飲み干す二人。“別離” を意味しています。

      

36. シンドラーの一大決心――「リスト」の作成

  ベッドの上で裸のまま寝ている「愛人」の姿。シンドラーは、ガウン姿で物憂げに窓際に立っている。ほんのちょっと大きな「トランク」に触れた後、レースのカーテン越しに窓の外に眼をやるシンドラー。特に何かを見ているわけではない。

 スーツに着替えたシンドラー。「札束」を「トランク」に詰めています。彼は、「プワシュフ強制労働収容所」の閉鎖によって、アウシュヴィッツ絶滅収容所」送りが決まっている「ユダヤ人」を救おうと決心したのです。

  そのため、シンドラーゲート少尉と交渉し、「チェコに新しい工場を作り、そこで働いてもらうために、現在のDEFの労働者とその家族を連れて行く」と切り出します。

   その「第1の理由」は、“新しい職工を訓練する手間と金が省ける” からであり、「第2の理由」は、“砲弾や戦車砲のケースなどを作るためドイツ軍にもメリットがある” ということです。

  何とか、ゲート少尉を説得したわけですが、その最大の決め手は、もちろん「お金」でした。シンドラーは、自分の身近な「ユダヤ人」を救うために、ゲートから “金銭でユダヤ人を買う” という手段を選んだのです。次のシーンは――、

  シンドラーが読み上げる名前を、シュターンがタイピングしています。まさしく、これこそシンドラーのリストそのものです。

   ……ドレスナー、ボルディック及びミラのべファーリング夫妻、出資者全員、子供達一人残らず……とシンドラーの口から名前が告げられ、“リストに載せられて” 行きます。シンドラーは、同じやりかたを他の「経営者」にも説いて「ユダヤ人」を救おうと呼びかけたのですが、結果的には彼一人となりました。

   シュターンは、怪訝な表情でシンドラーに尋ねます。「ゲートをどう説得したんです? よく引き渡してくれましたね。」そう言ってシンドラーを見つめながら、気付いたようです。 

あなたが金を出して買ったので?」

君なら金がかかりすぎると反対しただろう」 

   シンドラーは、「リスト」の “最後に一人分” のスペースを空けるよう指示し、作業の終了をシュターンに告げます。

   シュターンは、“打ち終えた”ばかりの“最後の1枚” をタイプライターからはずし、重ねた総ての「リスト」をシンドラーに見せながら――、

これは善のリストです。生命(いのち)のリストです。この紙の外は死の淵です

      

  このあと、“最後の一人分” として「ヘレン・ヒルシュ」を想い描いていたシンドラーは、ゲートとのやりとりの果てに、ゲートの「メイド」をしている彼女の獲得に成功します。(続く)

       ★   ★   ★

 

 ※註1 「ユダヤ人」以外にも「一部の犯罪者」や「政治犯」などもいたようです。

 ※註2 所在地は「オーストリア」。「マウトハウゼン」はドナウ川左岸の丘に囲まれた町。この収容所には、「アンネの日記」の著者アンネ・フランクの、隠れ家での恋人と言われた「ペーター・ファン・ペルス」(ユダヤ人)も収容されていました。彼は、1945年5月5日の解放当日に死去したとされています(17歳)。

 なお「アンネ」が最後に収容されたのは「ベルゲン・ベルゼン強制収容所」(ドイツ・プロイセン州)であり、彼女は1945年2月か3月初め頃にチフスにより15歳で死去したようです(※姉のマルゴーはその数日前にやはりチフスにより死去)。

 

 

  


◆ユダヤ人のユダヤ教/『シンドラーのリスト』:No.8

2015年02月22日 00時09分34秒 | ◆映画を読み解く

 

  機械工はユダヤ教のラビ

   前回の最後は、「プワシュフ強制労働収容所」の「ヤコブ・レヴァルトフ」という機械工が、危うく「アーモン・ゲート少尉」に射殺されかけたシーンについてお話しました。“拳銃の不発”によって奇跡的に命拾いをした訳ですが、他のユダヤ人が簡単に銃により処刑される中、彼が生き延びたことは大きな意味を持っています。

   彼は、「ユダヤ教」の「ラビ」すなわち「聖職者」(教師・説教者)であり、その存在は偉大です。この「映画」でも、冒頭その他において「ラビ」による “祈り” のシーンがいくつも出て来ます。レヴァルトフ自身が「ラビ」として祈りを捧げているシーンもありますが、お気づきでしょうか。

   この「映画」におけるレヴァルトフ」は、「ユダヤ人」の “象徴” というだけでなく、「ユダヤ教」の教えを実践し、継承する  “象徴” としても描かれています。信仰心の度合いは異なっても、「ユダヤ人」は「ユダヤ教」に根差した民族であり、その “教え” を生活信条としています。

   従って、ナチス・ドイツによる “反ユダヤ主義” とそれに伴う諸法律・政策による迫害や “ホロコースト” は、“ユダヤ人個々の生死に関わる危難” 以前に、“ユダヤ教の神(一神教)の否定” に通じるのです。

   そのため、“死の淵” から這い上がったレヴァルトフという存在は、“ユダヤ教の神に忠実” であれば、簡単に “滅び去ることはない” と言っているかのようです。ここにも、この「映画」の “哲学性” が込められているわけですが、それは同時に監督スピルヴァーグの “強い意志” でもあるのでしょう。この「映画」を、「ユダヤ人家庭」の「ラビの祈り」から始めたところに、彼の “心意気” が感じられます。

      

   ユダヤ少年の“絶望”と“諦念”

28. リジーク少年の死

  「リジ―ク」というゲート邸の「使用人」がいます。馬の鞍を地面に置いたため、ゲートに叱責されるわけですが、このときは赦してもらえたようです。その直後、今度は「バスタブ」の垢が落とせないとして、叱責を受けないまでもゲートにはあまりよく思われませんでした。ゲートは、一応 “赦したような曖昧な態度” でリジ―クを立ち去らせます。

  そのリジークが、戸外の長い階段をこちら向きに降りて来ます。背中を向けて歩いて行くその背後から、明らかに彼を狙ったと思われる「1発目」の銃弾が彼の左後方に着弾し、特に驚くことなく振り返ったリジ―クの顔には、「狙撃主」が誰であるかを理解した表情がうかがえます。

   彼は何かを察したように前を向いて再び歩き始めますが、明らかに歩く速さを落としています。まるで “確実に撃ってください” と言わんばかりに。こまやかな演出であり、実に微妙な歩き方やしぐさの演技です。

  「2発目」はリジ―クの右前方に着弾しますが、間をおかずに「3発目」の銃声が響き、歩いているシュターンが微かに首を竦めた姿が映ります。とはいえ、彼も特に驚いた様子もなく、歩いて行くその先に、たまたま地面にリジ―クが横たわっているといった感じです。リジ―クの帽子が身体のずっと先に飛んでいるのは、頭部への命中を意味しているのでしょう。

  倒れたリジ―クを気にかけることなく、そのまま門の方へと向かって行くシュターン。彼が歩いて行く先の「道路(通路)」をよく見てください。表面が「デザイン模様」のように見えます。

  ……そうです。これは「ユダヤ人墓地」の墓石すなわち「墓銘碑」を、「ゲットー内道路」の「敷石」として使っているからです。「映画」の中で縦縞の「囚人服」を着たユダヤ人が、墓石を取り壊しているシーンがあったのを覚えていますか? あのときの「墓石」です。

       

    “いつ殺されても仕方がない。どのみちいつかは殺される。今この瞬間ではなくとも、いずれ確実にそのときが……。” リジ―ク少年は、“絶望” に導かれた “諦念” を、当然のように受け入れていたような気がします。

   ゲート邸のメイドの「ヘレン・ヒルシュ」にも、同じような “諦念” が感じられ、両者に共通のこの “諦念” は、 “迫害や殺戮” を受け入れざるを得なかった当時の「ユダヤ人」の、拭いがたい “精神の闇”と言えるかもしれません。

   それにしても、この「狙撃シーン」において、「映像」は一切「アーモン・ゲート少尉」の姿を映してはいません。それだけにいっそう、「観客」の “感性” と “想像力” は触発され、“日常的なゲートの残忍性” をより深く印象付けています。

   無論、そのための「カット」そして「演技・演出」であり、「編集」の勝利と言えるでしょう。“哲学性と芸術性” に溢れる秀逸なシーンです。それにしても、「リジ―ク」役少年の “演技センス” と、それ以前の “感性” の素晴らしさ……。

    

29.  ヘレンを暴行するゲート少尉

   アーモン・ゲート少尉ヘレン・ヒルシュとの “やりとり” があり、ヘレンに対するゲートの暴力が始まります。ゲートの “病的深層” が描かれていますが、それは、そのまま「ナチス・ドイツ」の “組織としての救い難い病理” でもあるのです。

 

30. ユダヤ娘へキスするシンドラー      

   シンドラーの誕生祝いが行われています。シンドラーは従業員の代表として挨拶をしたユダヤ人の女性の頬にキスをします。後に、これによって逮捕されるわけですが。

 

31. 不気味な話題

   「プワシュフ強制労働収容所」の「宿舎バラック」において、女性たちが「アウシュヴィッツ絶滅収容所」の噂について、「ミラ・ペフェーリング」の伝聞をもとに語り合っています。ミラは同所のガス室から奇跡的に脱出した囚人の話をしていますが、まわりの女性達は信じたくないために強く否定しようと……。

   「ダンカ」の母親の「ジャネック・ドレスナー」が、“みんなが怖がるから” といって、ミラを窘(たしな)めています。中には、“自分達は労働力なので殺されるはずはない”という女性もいるようです。

      

   “ 死 ” への選別

32. 病人の選別

    「プワシュフ強制労働収容所」に、新たに「ハンガリー人」が囚人として送り込まれることになりました。そのため、収容所では “病人を選別” して、いずれかの「収容所」に送ろうとしています。医師団の検診によるこの「全裸の場面」は、「記録映画」で見た記憶があります。本物の実写フィルムと見紛うほどよく出来た「シーン」と言えるでしょう。

   女性たちが、自分を元気良く見せるため、指を針で突いて血を出し、それを “頬紅代わり” に懸命に塗り込もうとしているようです。もちろん、こういうエピソードも総て、実際の体験談に基づいています。

   彼女達は何とか “病人としての選別” を免れたのですが、 「彼女達の子供」 が、今まさに “選別・移送” すなわち「トラック」で運び去られようとしています。無論、行先には “” が待っており、そのことを知っている母親たちは、我が子をと必死です。トラックに駈けよろうと、大混乱となりました。

   その中に、「ダンカ・ドレスナ―」と「オレク・ローズナー」の母親もいます。子供2人はどこかに上手く隠れたのではと語り合っていますが、この予想は運よく事実となります。

   その「オレク少年」は「トラック」に乗らずに抜け出し、最後は「便漕」に飛び込むものの、「先客の少年」に出て行けと言われます。冷たさと当ての無さに困惑した表情が印象的でした。それからどうしたのでしょうか。気になるところです。なお「先客」の中には、丸い眼鏡の少女「ダンカ」もいました。(続く)

 

    


○演劇案内:卒業シーズンの学生公演

2015年02月20日 00時45分16秒 | ○福岡の演劇案内

 

  筆者の今年の “観劇始め” となるこの時節。……三月は各大学において「卒業公演」の時節です。

   以下の案内、基本的には各校の「公式ホームページHPから概要を拾ったものです。「blog」や「twitter」については、「HPから入ることができるものか、または容易に探し出せるものに限定しました。今後もこの方針で行きたいと思います。

  「twitter」をしない筆者にとって、「twitter」は同じような内容の繰り返しが多いような気がします。そのため、肝心な情報を得ようとした場合の時間的ロスが多く、まどろっこしい感じがぬけません。それに加え、「感性創房」の読者は年齢層が高く、複雑な検索を苦手とする方が多いのも事実です。

   なにしろ、やっと「ガラケイ」は持つようになったものの、「メール」しないという知人も何人か……。ちなみに筆者も「ガラケイ」です。おかげで、“キャッシュバック付き人気スマホへの無料交換” なるメール攻撃に襲われています。

  ともあれ、今後は “高齢者に配慮した公演案内” を中心に紹介させていただきます。その旨ご協力ください。

   なお「今回の案内表記の順番」は、「公演初日の開演日時」が「早い学校順となっています。

       ☆

  ※表記の時間は、各校とも「開演」すなわち「舞台」が始まる時間です。「開場」すなわち「受付開始時間」は、「開演時間」の30分前となっています。

       ★   ★   ★

 

福岡女学院大学(福岡女学院大学4団体合同公演)

  『 あ ゆ み

 ・作:柴幸男 演出:岡崎沙良

  ・日時/2015年3月6日(金) 13:00、18:00 

   ・3月7日(土) 13:30、18:00

  ・場所/福岡女学院大学学生ホール2階

  ・料金/無料

 ◆「福岡女学院大学演劇部」の公式ブログ クリック!

 

九州大学・伊都キャンパス

  勝手にノスタルジー  

 ・作:辻野正樹  ・演出:石川悠眞

 ・日時/2015年3月6日(金) 15:00、19:00

   ・7日(土) 13:00

 ・会場/甘棠館Show劇場  ・料金/前売300円、当日500円

 九州大学演劇部2014年度後期定期公演 クリック!

 

九州大学・大橋キャンパス(九州大学大橋キャンパス演劇部・2014年度定期公演

  幸せはいつも小さくて東京はそれよりも大きい

 ・原作:広田淳一  ・脚色・演出:廣兼真奈美  ・助演:井料航希、遠藤智

 ・日時/2015年3月6日(金) 18:30 

   ・3月7日(土)13:00、18:00

   ・3月8日(日)13:00、18:00 

   ・3月9日(月)13:30

 ・会場/九州大学大橋キャンパス内 7号館1F ワークショップ室

 ・料金/前売券:300円、当日券:500円

 ◆九州大学大橋キャンパス「公式ホームページ」 クリック!

 

 

 


◆「赤い服の幼女」/『シンドラーのリスト』:No.7

2015年02月17日 00時07分16秒 | ◆映画を読み解く

 

  「赤い服の意味

  24「赤い服の幼女」登場

   初めて「幼女」が登場するのは、「クラクフ・ゲットー」内の「道路」です。「建物」から出て来たと考えるのが穏当でしょうが、まるで “ふっと湧いて来た” ような印象を与えます。 “ひとりぼっち” であり、母親や父親、それに兄弟や姉妹はどうしたのでしょうか。気になりますね。

   乗馬姿の「オスカー・シンドラー」と愛人の「イングリート」も、丘の上から「幼女」に気付きます。シンドラーは、「幼女」の出現を驚きと不安の表情で見つめています。そこで、次のことを “心に留めて” おきましょう。

   「幼女」が “ 登場 ” して “ 建物の中へ入る瞬間 ” まで、すなわち、“シンドラーの眼が「幼女」の姿を捉えている間、「観客」はシンドラーの眼(=視点として ” 事の成り行きを見つめることになります。

      

   ロングショット(※遠景撮影のために、カメラを離して引くこと)の「幼女」の周りには、銃器で武装した親衛隊の兵士や、彼らに追い立てられるユダヤ人がいます。距離が離れているため、銃弾の響きや悲鳴は小さく穏やかに聞こえているようです。それでも、“眼に映る光景” が “残忍な殺戮” であることに変わりはありません。建物から道路へ荷物が投げ出され、何人かが射殺される傍(そば)を「幼女」は歩いて行きます。

   眼を覆いたくなる信じがたいシーンに、困惑と懐疑と懊悩の表情を浮かべるシンドラー。あまりの残忍さに耐えかねたイングリートが、この場から立ち去るようシンドラーを促しています。“ひとりぽつん” と歩いている「幼女」の “ いたいけなさ ” がいっそう眼をひくシーンです。「幼女」は何をどのように受け止め、また感じ取っているのでしょうか。 

   やがて「幼女」は人の列から離れて「建物」の中に入り、階段を上って部屋の「ベッド」の下に潜り込みます。このとき、“こちら向きに足からベッドの下に潜り込もうとする瞬間、幼女の服はまだ「赤い色」” をしていますが、“ 「幼女」の全身がベッドの中に収まった瞬間、「赤い服」は消え、「モノクロの服」”に変わっています。よく注意して観てください。

 

   そこで、前回の質問が出て来ます。「映画」は――、

   《 なぜ赤い服の幼女を登場させたのでしょうか。この 幼女登場のシーン を通して何を伝えようとしたのでしょうか。

 

  シンドラーの心を意味する赤い服

   まず「第1の答え」は、我々「観客」に、単なる「観客」という立場に留まらず、一歩進んで、“シンドラーの視点と意識をもって” 史実の瞬間を観て欲しいということでしょう。

   そのための「赤い服」ということですが、 “シンドラーの視界から消えた後も「赤い服」であるのは、この「赤い服」が シンドラーの心内面の意識” を象徴的に示してもいるからでしょう。そう考えると、これ以降のシンドラーの “内面の意識)” も理解しやすくなります。

   ことに、後に「死体」となって運ばれて来る「幼女」を見つめるシンドラーの眼に、この「幼女」すなわち「赤い服」が甦るのです。このときの「赤い服」が、単に “現実に赤く見えている色” だけを意味するものではないことが解ります。ここに、深い “哲学性と芸術性” が息づいています。

       ☆

  “沈黙” と “斜め” アングルの効果

   「第2の答え」は、「映像表現」に関することです。この幼女登場シーン」=「シンドラーの視点のシーンの特徴は、次の()と()の2つがあるようです。 

(a) 「斜めアングル(カメラ)」に徹し、“眼を覆いたくなる場面” に直面している “シンドラーの心内面の意識)” を表現しています。心の底から湧きあがって来る “心の葛藤や不安や怒り” を静かに伝えようとしているのです。

  最初に「幼女」に眼を向けた際の、大胆な「斜め」アングルが見事です。「通り」や「建物」の配置。「三角屋根」を映し、屋上の角を三角形に見せたり、シンドラーの顔の表情を携帯カメラで追い、手ぶれによる不安定な「斜めアングル」にして、さりげなく “怒りや嫌悪感” を強調しているようです。実に巧みです。

(b) この「シーン」では、カメラは何度も「馬上のシンドラー」を映しているにもかかわらず、シンドラーは “ ひとことも言葉を発することなく沈黙 ” を保ち続けている

   以上(a)(b)によって、「シンドラー」はもとより、我々「観客」に対しても、“ 眼の前で起きていることの異常さ ” を強く印象付けようとしています。シンドラーが “沈黙” を保ち続けているだけに、「シンドラーの視点としての観客」に対し、“ あなたは、今この瞬間眼にしている現実をどのようにうけとめるのか ” と迫っているような気がします。

       ☆

   以上が、「赤い服の幼女」を」登場させた理由と筆者は思うのですが。「映像表現」としても巧みであり、高い美意識に支えられています。

   この「赤い服の幼女」は、いわば「シンドラーのリスト」に “リストアップされることのなかった人間” の一人でもあったということでしょう。そう言うニュアンスを感じさせる場面が最後に訪れます。ともあれ、このシーンは、シンドラーにとっての大きな “心の分岐点” といえるかもしれません。

 この “ゲットー解体” により、シンドラーの「DEF」工場の労働者は、「プワシュフ強制労働収容」に送られます。それによって生産がストップした工場に、シンドラーが立っています。

   

25.  狂気の狙撃主

   「プワシュフ強制労働収容所」の「アーモンゲート少尉」が、自邸のバルコニーから女性の囚人を狙撃しています。まるで “狩り” をするかのように。  

     

26.  シンドラーとゲート少尉との初対面

  シンドラーはゲートと取引し、「プワシュフ強制労働収容所」に送られた「DEF」の労働者を取り戻し、生産を再開します。

 

27. ラビ(聖職者)の職人

  「 プワシュフ強制労働収容所」内を、ゲート少尉が巡回しています。ゲートは、「蝶つがい」を作っている「ラビ」(聖職者、教師・説教者)の「ヤコブ・レヴァルトフ」に、製作を命じて時間を計ります。彼は1分間で1個を製作する職人となっていましたが、この日の製作個数が少ないとし、ゲートによって戸外で射殺されようとしています。しかし、何度やっても、また銃を替えても発射しません。それで怒ったゲートは銃で殴りつけます。

 このシーンも、「赤い服の幼女」のシーンほどではないにしても、“哲学性と芸術性”を含み持っています。自らの拳銃で射殺しようとするゲートも一緒にいる二人の部下も、“射殺することなど何とも思わない表情と動作” をしています。それに対し、これから “射殺されようとしているレヴァルトフ ”……。

   ここにも、“虫けらのように扱われているユダヤ人” と “そのように扱っているナチス・ドイツの人間” が存在しています。その4人の向こう側を、通りかけた労働者が気付き、慌てて走り去るシーンが出て来ます。1回目は8人、2回目は6人の労働者でしょうか。何でもないシーンですが、一瞬のうちに “ホロコースト” の “片鱗” を物語っています。

   結局、命拾いしたレヴァルトフは、その後に「鶏泥棒事件」で命拾いをした「アダム・レヴィ少年」とともに、運よくシンドラーの「DEF」工場入りを果たすことができました。そのためシンドラーは、自らの「ライター」と「シガレット・ケース」をシュターンに預けます。そのいずれも、担当官の「ゴールドベルグ」(彼もユダヤ人)への “賄賂” となったようです。 (続く

 


◆本格的殺戮の序章/『シンドラーのリスト』:No.6

2015年02月12日 00時51分59秒 | ◆映画を読み解く

 

  “ゲットー解体”=本格的殺戮の始まり

20.クラクフ・ゲットーの惨劇

   前回の「ベストシーン」の直後、「アーモン・ゲート少尉」が「親衛隊」の隊員を前に「演説」をしています。その “趣旨” は、「ユダヤ人」が、1300年代に無一文でクラクフへやって来たこと。商業をはじめ教育・学問・芸術等の分野で成功し、以来6世紀にわたってこのクラクフで栄えたこと。しかし、その歴史は “今日、消滅する” というもの。

   「クラクフ・ゲットー」が見える丘を、「オスカー・シンドラー」と「愛人」(※註1)が馬で駈けています。わずか数秒のこの「カット」(登場場面)は、これから始まる “クラクフ・ゲットー解体” の「目撃者」としての二人を示唆するかのようです。と同時に私たち「観客」に対しては、“覚悟して歴史の真実を直視するように” と促しているのかもしれません。

     ☆

211943年3月13日、「クラクフ・ゲットー解体される。

   “ゲットーの解体” とは、基本的には「ユダヤ人隔離居住区」を “廃止” するもの。それは「ユダヤ人」が、各種(強制労働、ガス室送り等)の「収容所」へ送られること、すなわち“完全に自由を奪われたり、死に追いやられたり”することを意味しています。

   “ユダヤ人に対する本格的な殺戮” の “序章” といえるでしょう。それにしても、銃を手にした「親衛隊」隊員の、憎しみや蔑視に満ちた激しい “怒号” は凄いですね。子供や女性をはじめ、お年寄や気が弱い人々は、この “怒号” だけで “まいってしまう” でしょう。乱暴に追い立てられて行く様子が、いっそう “ドキュメンタリー・タッチ” で描かれています。

   この場面を観る辛さは、拳銃や自動小銃等による “眼を覆いたくなるようなシーン” が連続していることでしょう。隊員兵士が戸口で男の名前を読み上げ、出て来たところを連れ出し、“有無を言わさず” 頭を撃ち抜くシーン。労働力とはならない病院患者に、自動小銃を乱射する隊員兵士。そこで、射殺されるのであれば、せめてその前に「劇薬」の投与をと、慌ただしく準備を始める医師たち……。

   「ゲットー」に入る際には認められた「トランク一つ持つことも許されず、文字通り “着の身着のまま” の状態で追い立てられたのです。そのため、ある一家は “パンに宝石類を埋め込み”、それを家族みんなで口の中に入れようとしています。何かあったときの “換金” や “袖の下” に使うためでしょうか。

   とにかく「ゲットー」内の「通路」や「道路」に夥しい数の「トランク」や、点々と散らばる衣類・小物、それに「射殺された遺体」が散乱しています。

   まず3月13日、健康な労働者用(他に「公務員」など)の「ゲットーA」が解体され、その「住民(もちろん、ユダヤ人)」は、後に「アーモン・ゲート」所長の「プワシュフ強制労働収容所」へ移送されます。

   翌3月14日には「ゲットーB」が解体されるわけですが、ここは本来、「高齢者」や「病弱な人々」の居住区でした。そのため “労働不能” とみなされた千人が銃殺等によりその場で殺害され、四千人が「プワシュフ収容所」へ、二千人が「アウシュヴィッツビルケナウ強制収容所」へと移送されたようです。

   しかし、「ユダヤ人評議会」や「ユダヤ人ゲットー警察」の「ユダヤ人」とその家族だけは、しばらくの期間ここに留まることを許されました。

       ☆

22.ボルデクとミラ夫妻、少女ダンカ

  「闇物資の調達人」である「レオポルド・ぺファーベルグ」――。通称「ポルデク」は、シンドラーが発注するさまざまな「品物」を手配した人物です。その「品物」は「軍需物質」の納入先であるドイツ軍将校や高官への「贈り物」、つまりは“賄賂”でした。

   その彼は、妻の「ミラ・ペファーベルク」と一緒に地下の下水道へ逃げ込もうと考えました。しかし、彼女がそれを嫌ったために一人で下水道へ降り、危うく射殺されかけます。慌てて地上に戻ったものの、運悪く「アーモン・ゲート少尉」の一団と出くわすのです。彼はとっさに、「散乱したトランク」の片づけを命じられたと言って切り抜けます。

   また「ドレスナ―母娘」が床下に隠れようとしていました。しかし、スペースの問題で娘(眼鏡の少女)の「ダンカ」だけを匿ってもらいます。後に二人は再会するわけですが、そのとき、自ら命の危険を顧みずに二人を助けようとした「アダム少年」(ドレスナ―の息子と同級生)の手引きによって、「プワシュフ収容所」への選別では “有利な列” に並ぶことができたようです。

   本来、素直に “列に並ばなければいけない” 母娘でしたが、何とか “隠れ通そう” としていました。もし見つかっていてば、その場で “射殺” されていたでしょう。そうでなくとも、「アウシュビッツ絶滅収容所」行きとなっていたかもしれないのです。「プワシュフ強制労働収容所」行きですんだのは幸運でした。

   というのも、ゲットー内に隠れ潜む「ユダヤ人」の「掃討作戦」は凄まじいものがありました。どんな物音でも察知しようとする執拗な捜査が行われていました。夜間、建物内に自動小銃の掃射音と悲鳴が響き、希望を打ち砕く銃弾の閃光が、不気味に光っていました。 

 

 「赤い服の幼女」の意味は

23.赤い服の幼女

   しかし、この「映画」の “ゲットー解体” における最大のシーンは、言うまでもなく「赤い服の幼い女の子」(※註2)の登場です。「少女」と言うより「幼女」と言うべきでしょう。「画面」では、彼女が着ている「服の部分」だけが「ピンク系統の赤」になっています。“淡い”……というより“ややくすんだ”感じの色合いかもしれません。 

   少し乱れたその「金髪」……と言っても「モノクロ」のために正確な色合いは判りませんが、見たかぎりの “色合い” から「金髪」のような気がします。

   この「映画」が進むと判りますが(※註3)、後にこの「赤い服の幼女」は“焼却される死体”となって二輪車で運ばれて来ます。シンドラーは “その場面を眼に焼き付ける” ことになるわけですが……。

  問題」は、《 なぜ赤い服の幼女を登場させたのか 》ということ。別の言い方をすれば、“この赤い服を着た幼女によって、観客に何を訴えようとしたのか” と言うことでしょう。

   次回は、この「映画」の“最大のカラー映像効果”ともいえる「赤い服の幼女」の “登場シーン” を振り返りながら、その “哲学性と芸術性” に触れてみたいと思います。(続く)

       ★   ★   ★

  ※註1 ドイツ人の「イングリート」

 ※註2 この「赤い服の幼女」を演じた少女の当時の年齢は「3歳」だったようです。

  ※註3 映画の「DVD」では、「ディスク:2」の冒頭からすぐのシーンに出て来ます。

 

 


◆ジェノサイドという史実の澱/『シンドラーのリスト』:No.5

2015年02月08日 00時05分59秒 | ◆映画を読み解く

 

   「アーモン・ゲート少尉

   第一に、「プワシュフ強制収容所」において「囚人(ユダヤ人)」に対する “狂気じみた射殺” を繰り返し、

   第二に、“クラクフ・ゲットー解体”における実行責任者として、「ホロコースト(大量殺戮=虐殺)」を指揮した人物です。

   ゲートの “登場” は、 “映像表現” としても重要です。彼が「ヘレン・ヒルシュ」を「メイド」に選び出すシーン、ことにヘレンとの やりとりは、名優同士の演技・演出としても 素晴らしい” の一語に尽きます。それがまた、この「映画」の “哲学性と芸術性” を高めました。

   ではさっそく、ゲートが登場したところから見て行きましょう。

       

 

  「アーモン・ゲート」と「ヘレン・ヒルシュ

18.アーモン・ゲート、ゲットー視察

   「アーモン・ゲート少尉」は「車」のシートに身体を横たえ、「クラクフ・ゲットー」内を視察しています(※註1)。

   さて、この「クラクフ・ゲットー」は「」と「」の “2つの地区” に分かれています。“どのように違う” のでしょうか? 「映画」の中でご確認ください。とても “大きな違い” です。ヒントは、“労働者としての能力” としておきましょう。このことは、後にこの「ゲットー」が “解体” される際に重要な意味を持ってきます。

   さて、ゲートはどうやら “風邪気味” のようです。この視察は “冬の寒い季節” に実施され、「画面」の中の “人の息は白く” なっています。こういう “設定” は、「彼のキャラクター」を語る上でも効果的であり、実に上手いですね。

      ☆

   「画面」は、ゲートが歩きながら建設中の「プワシュフ収容所」を見て回るシーンに変わり、ゲートの「住居」が、この収容所内の敷地にあることが判ります。そこで次に、ゲート自身が「ラッキーガール」と呼ぶメイドの “選考” が始まります。ゲートは、“きつい肉体労働” から解放され、“楽な室内での家事” ができるよと言いたいのでしょう。小走りに駈けつけた20人ほどの女性が、ゲートの前に整列します。

   ゲートは尋ねます。『メイドの経験があるか?』と。すると「一人」を除いた全員が、おそるおそる “手を挙げ” ます。そこでゲートは「メイド経験者」は “そのときの癖” が残っているからと忌避し、“手を挙げなかった” 女性の前に歩み寄ったのです

   寒さと先行の不安を感じる「その女性」はゲートに軽く促され、その「列」から一歩前に進み出ます。するとゲートは、『風邪がうつる』からと鼻水を拭いながら一歩後退しますが、そのくせ煙草を喫っていますね。この設定も効果的であり、実に上手い演出そして演技と言えるでしょう。

   ゲートは彼女の「名前」を尋ねます。しかし、声が小さいためによく聞き取れません。2回目尋ねたときゲートは咳をし、3回目にしてようやく「ヘレン・ヒルシュ」という名前を聞き取ったようです。

   ゲートがヘレンの「肩掛け」を少し払いのけると「悴んだ両手」が見え、明らかにヘレンのその手も全身も小さく震えています。ゲートは、ヘレンをちょっと見たあと、残り少なくなった煙草を一服し、彼女を「メイド」にする決心をしたようです。

 

  不条理の行きつく先

19.若い女の工事主任

  ……とそのとき、女性の甲高い声が建築中の現場から聞こえ、ゲートもその方に視線を向けました。「若い女性」の「工事主任(監督)」が、『基礎のコンクリート工事に欠陥があるためにバラック(建物)の南側が陥没し、やがて全体が潰れる』と言って、基礎工事をやり替えるよう進言しているのです。

   「ディアナ・ライター」と名乗る彼女は、「ミラノ大学工科」の出身者であることを告げたのですが、ゲートは、『カールマルクス級のインテリなのか?(Ah an educated Jew, like Karl Marx himself)』と、揶揄します。

   ちなみに、「資本論」の著者である「カール・マルクス」も「ユダヤ人」でした。しかも彼の父親は「弁護士」であり、またユダヤ教の「ラビ」(教師・説教者)でもあったのです。母親もユダヤ教徒であったところから、「反ユダヤ主義」の人々からすれば、マルクスは「ユダヤ人中のユダヤ人」ということになるのでしょう。

    さてゲートは、彼女から離れて問題の現場まで歩いて行くと「部下(曹長)」を呼び寄せ、彼女にも聞こえるくらいの声で「Shoot her射殺せよ)!」と命令します。彼女のみならず、部下もちょっと驚くわけですが、ゲートは『文句はつけさせない』と言い捨てるのです。

   この様子を、「メイド」に選ばれたばかりの「ヘレン・ヒルシュ」が、恐怖と不安の表情で見るともなく見、聞くともなく聞いていましたというより否応なく “見え、また聞こえた” のでしょう。

   ゲートはその場で彼女を射殺させた後、こう言います。

彼女が言ったように基礎からやり直せ

   そして、別の部下とその場を離れ、車の方へと歩いて行きます。二人が歩いて行く途中に、全身が “固まったままのヘレンが、動くことも歩くことも出来ないまま立ち尽くしています

 

   ゲートと部下の二人は、ヘレンをまったく見ることも、気にかけることもなく……というより “これっぽっちもその存在を意識することなく”、まるで “立木か何かを軽く交わす” かのように彼女を “真ん中に残したまま” 歩き去って行くのです。

   この瞬間、アーモン・ゲート少尉に部下が語りかけます。

あと1時間で日が暮れます

 

       ☆

 からまでの一連の映画の進行(※註2)に、筆者は “鳥肌が立ちました”。何と言う「演技」に「演出」、そして、何と言う「脚本」に「カメラワーク」でしょうか。何十回と繰り返して観ました。「あと1時間で日が暮れます」という最後の台詞が、これまた “痺れるほど” 生きています。

   何よりも、当時の “反ユダヤ主義” に囚われたままの「ナチス・ドイツの精神性」があますところなく描き出されているからです。”筆者が選ぶこの「映画」の “ベスト・シーン” であり、スピルバーグ監督以下「製作者サイド」の「深い哲学」が息づいています。

   一瞬の躊躇も苦悩もなく「女性工事主任」の射殺を命じる「アーモン・ゲート」。その「命令」を、「上官の命令」として “確実に遂行する部下”。しかも「彼女」は、何一つ理不尽なことを言ったわけでもなければ、損失を与えたわけでもないのです。

   そして、その “一部始終” を “逃れることのできない現実” として “体現せざるをえなかった” 「ヘレン・ヒルシュ」――。

   ここに、人類史上最大と言われた「ジ ェノサイドホロコースト)」の「加害者側」と「被害者側」の “歴史の一片” があるのです。と同時に、その “史実” から70年という大きな節目に当たる今日、我々は “人類共通の負の遺産” として、この “史実の澱(おり)” を本当に “黒暗淵(やみわだ)の時間” の中から取り除くことができるのでしょうか。

   それとも、その “澱” の上に、新たな “史実の澱を沈潜させるということはないのでしょうか。(続く)

       ★   ★   ★ 

   ※註1 本シリーズ「No.2」の「動画」(全:3時間15分13秒)スタートから「約50分」のところです。

  ※註2 スタートから「約55分」ほどのところです。  


◆シンドラーの工場は天国?!/『シンドラーのリスト』:No.4

2015年02月03日 00時08分33秒 | ◆映画を読み解く

 

    「ユダヤ人の天国」と呼ばれた「工場」

   前回述べたように、「ゲットー」(ユダヤ人隔離居住区)での居住を許されたのは、「ドイツ系の企業」や「軍需関連工場」の「労働者であり、それ以外の「ユダヤ人」は一部の例外を除き「クラクフ」市から追い出されました。

   ここでの「軍需関連工場」とは……シンドラーがドイツ軍向けに「鍋類」その他を売り込むために立ち上げた「工場」もその一つでした。「映画」での「社名」は――、

   『EUTSCHE MAILWARENABRIK

   『ドイツほうろう容器工場』です。「スペル」の「頭文字」をとって『DEF』となっています。この「略号文字」は、「映画」の中でしばしば「書類上の文字」として出て来ます。 “生と死を分ける” 重要な「キーワード」です。

   人々は、この「DEF」すなわち「オスカー・シンドラーの工場」を、“死のない工場=天国” と噂するようになりました。

   「映画」の中でずっと後に、「エルザ・パールマン」という娘が、両親をこの「DEF」に入れてもらうため、つまり、“命を救ってもらうため” に、 “おめかし” をしてシンドラーに面会を求めるシーンがあります。 “美人大好き人間” の “シンドラー” 対策というわけでしょう。わざわざ他人から、「ドレス」まで借りていたようです。

   その彼女も、最初に「面会」を求めたときは “おめかし” をしていなかったため、「面会」すらしてもらえませんでした。

       ☆

   はじめは金儲け目的のシンドラー

13.シンドラー夫人登場

   この頃、シンドラーは「エミーリェ・シンドラー夫人」とは別居中のようでした。「映画」では、「愛人」(※註1)と一緒のところへ「夫人」が訪ねて来るシーンがあります。「愛人」は慌てて部屋を出て行くわけですが、その後、シンドラーと夫人は、「高級クラブ」へ出かけます。

   ここでの「夫婦の会話」は、初めの頃のシンドラーの 本音 を語るものとして重要なシーンです。シンドラーは、「DEF」(工場)で働いているユダヤ人の労働者について夫人に語ります。

「350人が一つの目的のために働いている」

「鍋釜のため?」 と聞き返す夫人。

「……金儲けさ。僕のためにね

 しばらくして――、

あいつは凄いことをやった(と人は言うだろう)。誰にも出来ないことを。……無一文でこの街(クラクフ市)へ……鞄1個……破産した工場を買い取り、見事に再建した。……そして大きなトランク2個に札束を詰めて去って行った……。世界中の財宝を集めて……」

「あなたは何も変わってないのね」

   そう言って、夫シンドラーの髪を優しく撫でる夫人。しかし、シンドラーは――、

「それは違う。今まではいつも欠けているものがあった。それで何に手を出しても失敗した。何かが欠けていた。欠けていると気付いても手に入らない。作れないものだ。だがそれが、“成功”と“失敗”を分けるんだ。」

Luck)?」と言う夫人の手にゆっくりとキスをするシンドラー。そして夫人の顔を見上げながら、おもむろにひとこと。

戦争さWar)」

   その後、二人は仲睦まじくダンスに興じるわけですが……。

   『あいつは凄いことをやった(と人は言うだろう)。誰にも出来ないことを』……とは、非常に ”アイロニカル” ですね。無論、ここでは “とてつもない富を得た” ことを意味しているわけですが。

       ☆

   言うまでもなく、このときのシンドラーは、戦争が長引けば長引くほど「DEF」すなわち「軍需関連工場」で “儲け続ける” ことができるはずでした。そして戦争が終わる頃には、“トランクいっぱいの札束を詰めて帰郷” へと。

   しかし、彼自身も、そして彼に雇われた「ユダヤ人」の「労働者」も、“トランクいっぱいのシンドラー個人の儲け” が、後に結果として「1,200人ものユダヤ人の生命」を買い取るための “源資” になるなど、この時点では誰も予見し得なかったのです

      

 

141941年12月、「ユダヤ人」の “殺害そのもの” を目的とした最初の「絶滅収容所」として「ヘウムノ収容所」(ポーランド国内)が設立される。

  この「絶滅収容所」は、全部で「6つ」設立されたようです。もっともポピュラーな「アウシュヴィッツ収容所」(ポーランド国内)(※註2)は、その最大のものでした。

15.1942年1月20日、「ヴァンゼー会議」において、「ユダヤ人」の“全面的追放”から“計画的な大量殺戮”への決定的移行が確認される。

      

16.1942年冬――。「クラクフ・ゲットー」内でのユダヤ人の談笑風景。

 誰かが『ゲットーには自由がある』と語っています。このシーンは、いわば “嵐の前の静けさ” を象徴的に示唆したものです。つまりは、“不自由や不満はあっても、それなりに生きていられる” という。……それは、「常軌を逸した殺戮者=アーモン・ゲート」が現れるまでは確かにそうでした……。

 

  稀代の悪人・アーモンゲート

17.アーモン・ゲートの登場

   「映画」では「親衛隊」の「アーモン・ゲート少尉」が登場し、建設中の「プワシュフ収容所」を視察します。彼はこの工事現場において、作業中の20名ほどの女性を並ばせ、その中の一人を、自分の住まいの「ハウスメイド」として選びます

   この直後、アーモン・ゲートは、工事現場の「女性監督」から、『基礎のコンクリート工事がおかしいので基礎工事のやり直し』をとの進言を受けますが、彼はその「女性監督」を部下に射殺させるのです。

   この一連の “やりとり” を、「ハウスメイド」に選ばれたばかりの「ヘレン・ヒルシュ」が見ていました。というより、否応なく “見ざるをえなかった” のです。

   筆者は、この “やりとりの前後” に、この「映画」最大の “哲学性と芸術性” を感じます。“映像表現” としても、また “役者の演技” としても優れたシーンです。

   “優れた” というより “凄い” の一語に尽きるでしょう。若い人風に言えば、“超~ヤバイ!” となるのかもしれません。

   本シリーズの「No.2」にアップした「映画」の「動画」を観ながら、その “哲学性と芸術性” を味わってください。

   次回、 “稀代の悪役” とも言うべき「アーモン・ゲート」が、「ヘレン・ヒルシュ」を「ハウスメイド」に選んだ後、「女性の現場監督」を射殺し、“部下と共にその場を立ち去る” わずか「3分ほどのシーン」を再現してみましょう。

   実に深い意味を持っており、筆者的には、この「映画」における最大の「シーン」、つまりは、“ベスト・シーン とも言えるものです。

       ★   ★   ★

 

 ※註1 ポーランド人の「クロノフスカ」(シンドラーの秘書)

 ※註2 この「アウシュヴィッツ収容所」は、「強制収容所」と「絶滅収容所」という2つの役割を持っていました。また、この「収容所」の実態は、「基幹収容所」としての「第1」に加え、後に「第2」と呼ばれた「ビルケナウ収容所」そして「第3」の「モノヴィッツ収容所」と拡大しています。

 今日、ここはユネスコの「世界文化遺産」(負の遺産)となっていますが、そこでの正式な呼称は『アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所』です。

 有名な「死の門」は、「第2強制収容所」の「ビルケナウ」にあります。