雛あられ両手にうけてこぼしけり 久保田万太郎
この「両手」は、大人のものと見ることもできます。
しかし、筆者にとっては、やはり幼な子(おさなご)の「小さな手」を指しています。この愛くるしい手は、どんなに指を伸ばして広げたところで、“小さい” ことに変わりありません。
そもそも、幼な子の指の開き具合は “ぎこちなく”、何かを容れる “うつわ” としては頼りないもののようです。
その小さな “掌(てのひら)” を懸命に広げて、「雛あられ」をものにしようとする幼な子――。しかし、哀しいかな、“ぎこちない掌” の動きは、雛あられを〝うまくつかめない〟まま、結局 “こぼして” しまったのです。
幼な子の意志に反して “こぼれた” とも言えるでしょう。ことにその雛あられが、「小粒で軽いもの」であれば、事態は避けられなかったのかもしれません。
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この「小粒で軽い雛あられ」と、それを受け取ろうとした「幼な子」について、わたし自身も体験者の一人です。
長女が二歳ちょっとの頃でしょうか。「淡い桃色や黄緑の雛あられ」は小粒で軽く、また柔らかいものでした。幼児用に特別に作られたものかもしれません。
わずかな室気の流れや吐息だけで、簡単にこぼれ落ちるような気がしたものです。長女が開いた手のひらを、少し広げてやろうとしたそのとき、わたしはあらためて気づかされました――。
『……なんて小さな手、そして掌なのだろう。このような掌で、何をつかみ、また何を持つというのだろうか……』
もちろんそれまでも、それらしき思いを実感したことはありました。しかし、“このとき” 以上にそう感じたことはありませんでした。
二歳の長女は、自分が何をしているのか、また何をされようとしているのか、すぐには理解できなかったに違いありません。
それでも、自分の眼の前にいる人物(父親)が、好意的な態度で自分に何かを与えようとしている……そして、自分の掌に「淡い色合いの小粒で軽いもの」が載せられようとしている……くらいは何となく感じたかもしれません。
それでもその瞳は、ことさら嬉しいという表情でもなく、少しとまどっているような印象でした。
……ゆっくりと静かに開いた長女の手のひら……。
しかし、思うように指を広げることができないまま……。
ほんとに小さな「掌の窪み」でした。「普通大」のあられなど、とても受け留めることなどできなかったでしょう。そのときの雛あられが、「小粒で軽いもの」であったがゆえに、何とか「ふたつぶ、みつぶ」を掌に載せることができたのでしょう。
それでも次の瞬間、「いくつぶ」かの「雛あられ」が、いたいけな長女の掌からこぼれおちたのです。
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……あれから三十年……。三人の娘と一人の息子の父親として、わたしは以上のような光景に何度か出逢う機会を得ました。今はもうすっかり成人となった息子や娘たち。
幼児の頃の彼らの “小さな手のひら” と戯れることができたことを、父親としての感動の一瞬として記憶しています。
句に戻りましょう。
『こぼしけり』は、『こぼれけり』でもあるということですね。そのように両者を加味しながら解釈するとき、「雛あられ」の “かるさ” や “淡い色合い” がより印象深く映るとともに、幼な子の “あどけなさ” や “いじらしさ” も、いっそう伝わって来るような気がします。
と同時に、我が子に「雛あられ」を与えることのできる “とき” の重みのようなもの。すなわち “人生におけるごく限られた時間” という意味合いも感じられるような気がするのですが……。
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久保田万太郎 作家、俳人、劇作家、舞台演出家。1989年~1963年。:慶大文卒。1937年、岸田国士らと一緒に劇団『文学座』を結成。1946年、主宰として俳誌『春燈』を創刊。