『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・人間は山と蟻の中間?(上)…インディアンの叡智

2010年06月28日 20時34分21秒 | □愛読書及び文学談義

 書物よりも賢い言葉

 年に数回、“眼を通す” 本がある。“読む” というほどではなく、ちょっと手に取って拾い読みする程度だ。

   その本は「アメリカ・インディアン部族」の“格言”や “寓話”、それに “伝説” などを紹介したもの。分類された「目次」はあるものの、ランダムに開いたどのページにもすっと引き込まれて行く。

 ……適当にページをめくると、ゆったりとした “独特の時間” が流れ始め、片付けなければと慌てて想い出した仕事も、いつの間にか忘れてしまっている。「文庫本」のため、手にするたびに “手軽さ” や “親しみやすさ” が増し加わって行くようだ。

 本のタイトルは、『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』(扶桑社)。その「帯」に、「長老や賢人から直接伝授された、飾らない叡智」とある。そして、ひときわ大きな文字で、

 ひとは山と蟻の中間だ。 ――オノンダカ族の格言
 

 とある。この本を買ったのは、実はこの「フレーズ」に惹かれたためだった。

 “” と “”――-。両者の “取り合わせ” は、常識的な “思考” や “因果飛躍” には収まりきれそうにもない。だからこそ、謎めいたその深遠な(?) “叡智” に誰もが魅力を感じるのだろう。


 日と夜、季節、星、月、太陽。その移ろいを見れば、
 ひとより偉大な何かの存在を思わずにはいられない。――チェロキー族の格言  


 自然から離れれば、
 こころが頑(かたく)なになる。 ――ラコタ族の格言

 植物はひとの兄弟姉妹。
 耳を傾ければ、語りかける声をきくことができる。 ――アラバホ族の格言

  民族や時代を問わず、以上のような “想い” や “感覚” は、これっぽっちの迷いも違和感も考えられないような気がする。著者は、あるインディアンが、「ひと」を「二本足のひと」といい、動物を「四本足のひと」、鳥を「翼あるひと」、植物を「立っているひと」と呼んだと語っている。

 それに加え、“自然を擬人化した呼称” は、アメリカ・インディアン全般に通じる言語の特徴でもあると指摘する。それによれば、地球は「母なる地球」であり、太陽は「父なる太陽」、月は「姉なる月」、火は「祖父なる火」。そして岩石は「祖父なる岩」と敬称で呼ばれるという。 

  善人にも、悪人にも
 雨は降り、陽は昇る。 ――ホビ族の格言

 「新約聖書」でもひときわ有名な “山上の垂訓” 。「マタイの福音書」において、キリスト・イエスは語る。

 『……我は汝らに告ぐ。汝の敵を愛し、汝らを責むる者のために祈れ』

 そして、その少し後に続ける。

 『天の父は、その日(陽)を悪しき者のうえにも、善き者のうえにも昇らせ、雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせ給ふなり』(5章45節)[日本聖書協会]。

 アメリカ・インディアンの「格言」には、このような「聖書」との近似性が随所に見られる。

                             
        ★   ★   ★

 ――“ひとは山と蟻の中間だ” なんて、とてもすてき。でも、あちらのお山って、ごつごつとした岩肌の感じがしない? そこに蟻んこが逞しく生きているってことなのね……。

  ところで、あなたは何と何の中間かしら? えっ? もう判っているですって? ……“海” と何かの中間ってわけ? そうかもしれないわ。海に囲まれた “島生まれ” のあなたにふさわしいのかも。……それで “海” と “何” の中間なの? 

  え? 何? よく聞こえないわ。もっと、はっきりおっしゃって。……何? “海” と “烏賊(イカ)” の中間ですって! 

 ※参照:本ブログ『遠い喧騒、近い海』