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『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・最小限のナレーション/NHKラジオ『音の風景』

2014年10月17日 00時02分02秒 | □Sound・Speech

 

 《 リスナーのみなさんを音だけの世界にお連れします。
 想像をかきたて、記憶を呼び覚まし、心を潤す音の数々。
 音響デザイナーが録音機をかつぎ現場に飛び出し、最小限のナレーションで構成する5分間の音の旅をお楽しみ下さい。
 きっと「音に耳を傾ける楽しさ」を味わっていただけます。》

      ☆

  上記は、「NHKラジオ第2」の『音の風景』という番組案内のメッセージ。“5分間のサウンドトリップ” をキャッチコピーとするこの番組は、「再放送」を含め毎日3回、すなわち日曜から土曜まで欠かさず放送されている(※註1)。「FM」でも毎日1回放送されるため、日・金曜を除けば「一日に計4回」というもの。わずか「5分間の番組」とはいえ、いかに力を入れているかが判る(※註2)。

  “最小限のナレーション” というフレーズが、この「番組」の総てを物語る。その「ナレーション」は、中川緑をはじめ、岩槻里子阿部陽子北郷三穂子大沼ひろみの各アナウンサーが担当している。

 さすがにNHKの女性アナウンサー。声だけでなく、各人の「コメント」もなかなか味わい深い(※筆者において一部、省略)。

 

  ◎中川緑(2014年)/『ナレーションもまた「音」のひとつ。それぞれの「音の風景」と響きあうような語りを。』

  ◎岩槻里子(2013年)/『気ぜわしい日常から、まったく違った空間へと誘ってくれる「音の風景」。5分間の旅があっという間に。』

  ◎阿部陽子(2012年)/『「風景」を紡ぎます。雲雀が舞う真っ青な空、澄んだ水が光るせせらぎ、フクロウの声が響く夜の森……脳裏に浮かぶ映像の、ささやかなお手伝いを。』

  ◎北郷三穂子(2011年)/『お届けする「音」が、「風景」を織り成してくれるようナレーションは額縁のような役割をしているのかなと思っています。』

  ◎大沼ひろみ(2010年)/『聴けば聴くほど味わい深い『音の風景』の"風景"をお楽しみください。』

 

  「名前」の後の西暦年は、ナレーションの担当年。巻末紹介の「音の風景一覧」では、2014年~2008年の「放送内容」が紹介されている。しかし、「試聴」(1分程度)」できるのは、2014年~2010年までの5年分だけのようだ(※註3)。

            ☆

 『音の風景』の素晴らしさは、僅かな “音” によって引き出される “その場の情景” の鮮やかさだ。しかもその “情景” の基本は、リスナー自身の “経験と感性に裏付けられたイメージ” によって創り上げることにある。

 そこに、“音に姿を変えた一瞬の滝や川の流れ、雨の気配、鳥や虫や動物の鳴き声、そして粛々と生きる人間の営み” が紛れもなく息づいている。

  まさしく、“生きとし生けるもの” の貴さであり、その持つ “命の切なさ” というものだろうか。だがそれは同時に “逞しい生命力の迸り” でもある。

 ぜひ『5分間のサウンドトリップ』にお出かけあれ。 “不思議な時間” の中に迷い込んだような気がして来る。無論、とても心地よいものだ。

   「試聴」もお勧めしたい。わずか1分程度の “時間” だが、ときに “瞬間” のように感じることもあれば、一つの物語を紡ぎ出しえたような “豊かなときの隔たり” を感じることもある。

           ★

 個人的に好きな「音」となれば、小川というまでには行かない “小さな水の流れ” だ。「水」そのものの素朴な「音」と、その音に限りなく近づいている「人の気配や息遣い」が伝わって来る。

   その次となれば、「波打ち際の海水の引き具合い」だろうか。遠くの方で、「波と戯れるはだしの子供たちの声」があれば申し分ない。それに、「木々や草花に触れる風音」も捨てがたい。「有るがままの天地自然が創り出す造形」であり、“音を超えた音” とでも言うべきだろうか。

   しかし、実はもっとも好きな「音」は、「ひたむきに生きる人間の営み」であり、「日本人らしいごく平凡な生活の音」だ。それが「水の流れや風を背景」としたものであればなおいい。方言が飛び交う「朝市」などには、すぐにもその場に入って行きたい衝動にかられる。      

            ☆

  こういう番組を制作する “クリエーターとしてのNHK” には、心からの尊敬と賞賛の気持が湧いてくる。その秀逸な企画コンセプトや編集のセンスには、民放の追随を許さない圧倒的な “絶対差” を感じるからだ。

            ★ 

 1996年、当時の「環境庁」(現・環境省)は、「全国各地の人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)」として一般から公募した。それを「日本の音風景検討会」の選定審査により、『日本の音風景百選』として、100件が選定されている。

 

 ◆音の風景とは/NHKラジオ『音の風景』 の番組案内

 ◆『音の風景』の番組表(1週間単位)

  ◆NHKラジオ『音の風景』2014年

  ◆NHKラジオ『音の風景』2013年

  ◆NHKラジオ『音の風景』2012年

  ◆NHKラジオ『音の風景』2011年

  ◆日本の音風景百選(wikipedia)

        ★   ★   ★

  ※註1 「金曜日」は、2回。

  ※註2 「ラジオ第1」での放送があることも。

  ※註3 夕方4時20分の「再放送分」は、上記2008年以前のものもあり、昨日は『もぐさ屋さん――滋賀』。ナレーターは『軍師 官兵衛』でお馴染みの「広瀬修子」アナウンサー。

 


・「効果音」に憧れた小学生

2014年10月04日 00時00分39秒 | □Sound・Speech

 

 イメージ喚起力を養った「ラジオ・ドラマ」

   「テレビ」なるものが、町内のお金持ちの家庭にやっと1台あるかどうかという時代の話――。1950年代半ば頃(昭和31年~33年)であり、少年(筆者)が小学3年から5年生の頃だった。

   当時、少年の第一の楽しみは、何と言っても「読書」。第二は「ラジオ番組」を聴くことであり、ことに「ラジオ・ドラマ」だった。当然、それは “” すなわち「ナレーション」「出演者(配役)の声」、「BGM」、そして「効果音」だけの世界を意味した。

  少年が特に興味を抱いたのは「効果音」であり、“音” だけで表現される “物語の世界” だった。言い換えると、“音” だけを頼りに自分自身の映像想像)の世界を創り出す” ことを意味した。まさしく “世界にたった一つの物語” であり、その展開を自由に操る楽しみ、そして喜びと言える。何といっても、果てしない空想の空間に浸る喜びは格別のものがあった。

       ☆

   少年にとって、「ラジオ・ドラマ」の中で特に印象深いもの――。それは今でも少しも色褪せてはいない。

   「大いなる憧れの未来都市」……その街の様相も建物も奇妙な服装の人々も、そして空間を自由自在に移動する乗り物も、総て少年の頭の中で勝手に映像化され、また創り替えられた。空間をピ・ピュン、ペヒュル、ピ・ピュン、ペヒュルと飛び交う不思議な乗り物の音はとても心地よかった。

   「宇宙空間」の “静寂” ……そこに放たれた「タイムマシン」の “スタート音” ……ブシュ~ン! ブシュ・ブシュ・ブシュ・ブシュ!……その後の沈黙がとても長く感じられた。何も見えない漆黒の闇に、少年は輝く銀色のロケットを描き出し、それをどんなものよりも速いスピードで飛ばし続けた。“未来 から “現在” 、“現在” から “過去” へと、時間を逆に進むことができるという発想に、どれだけ少年は驚き、また感動したことだろうか。

   「別れを告げに来た優しい宇宙人」……自分の星に帰るために宇宙人が乗り込んだ「宇宙船」。その扉を完全に閉ざし終えた音……ヒュワァ……グゥアイン……パシュ……それは二度と会うことができないことを意味していた。少年は涙が止まらず、音の記憶だけはあるものの、どのようなイメージを創り上げていたのか、これだけはよく想い出せない。ただ悲しみに包まれていただけのような気がする。その後もしばらくの間は、このときのことを想い出しては涙した……。

   イマジネーションの拡がりは、無論、以上に留まらなかった。「怪人二十面相」に「明智小五郎」、「少年探偵団」に「小林少年」……。謎めいた物語の展開やスリリングなシーンの連続は、少年のイマジネーションをいやが上にも高め、いっそう空想力を強化して行った。

   真っ暗やみの中、小さな蝋燭を頼りに地階へと降りて行く足音……幾重にも響きながら遠ざかり、そしてまた大きく聞こえ始める……ようやく辿り着いたその男が、何百年も鎖されていた扉をこじ開ける音……ギュー ギー ギコーッという不気味な鈍い音をたてて、ゆっくりと開き始める扉……開いた先に蝋燭の灯を高く掲げた男の驚愕の叫び声が……。この時ばかりは、予想されていたとはいえ、本当に怖かった。

   スリル満点であり、「効果音」によって「情景」を表現する「ラジオ・ドラマ」の素晴らしさにますます引き込まれて行った。そのため本来臆病な少年は、スリリングなドラマが夕方以降にある場合はあえて電気を消し、自らを恐怖の中においた。“怖いもの見たさ” というが、少年にとっては “怖いもの聞きたさ” だった。

      ☆

  あれから60年――。現在、「舞台演劇」に親しむ少年すなわち筆者は、こと「効果音」や「BGM」については、ことのほか愛着をもっている。「効果音」は、ちょっと小さく短いくらいがちょうどいいようだ。

   最近観た舞台で感心した「効果音」は、九州大学演劇部の『カノン』冒頭だろうか。「弓矢」が飛び交う音が非常にクリアであり、高い中空を鋭く突きぬけて行く感じがとてもよく出ていた。この「効果音」のために、その直後の役者たちの戦いにリズムと躍動感が生まれ、見事な “つかみ” となっていた。

  なおこの『カノン』の幕が開く前の「カノン」の曲も、とても抑制されたボリュームのため、効果音や台詞回しが、いっそう印象的に残っている。「BGM」も、ちょっと小さく短いくらいがちょうどいい。

  やはり、「効果音」は、一にも二にもクリアすなわち鮮明であること。まずはここから始まる。筆者はときどき、海岸の波打ち際を散歩することがある。ただ散歩するのはもったいないので、ときどきICレコーダーで「打ち寄せる波」を「録音」している。

   自分で気に入った「波の効果音」ができたときは、夜中に聞き流すことがある。その「音」が鮮明であればあるほど、脳裏に甦る潮騒も潮の香も沈みかけた夕陽も、同じように鮮やかだ。この密かな楽しみは、もう何回になるだろうか。そろそろ、他の「効果音」をと考え始めてもいる。

 


・哀悼:『JET STREAM』城達也氏:下/SOUNDアーカイヴ:Vol.4

2014年02月28日 00時07分29秒 | □Sound・Speech

 

 前回ご紹介した「JET STREAM」の「ナレーションメッセージ」をご覧ください。「ゴシック」(太字)になっている部分が2か所あります。

 「たゆみない」については、「限りない」となっているものもあるようです。「限りない」から「たゆみない」へと後に変わったものでしょう。私見ですが、「たゆみない」の方が、ぴったりしていると思います。

 「限りない宇宙の営み」となれば、「時空」すなわち「時間・空間的」な「制限」あるいは「限界」といったニュアンスがありますが、「たゆみない宇宙の営み」となれば、「時間・空間」を超えた「宇宙の意思」のようなものを感じさせます。そこに「果てしない広がりや深さ」が、いっそう表現されているような気がするのですが……。

 「光と影」については、「消えて行った遥かな地平線」が「まぶたに浮かんで……」ということですから、ここでの「」とは、本来「(翳)」のことでしょう。つまりは、「」=「光がある部分」と、「(翳)」=「光がない部分」との対比なのだと思います。

 

  ◇ヴァイオリンSOUND と 城氏のナレーション……奇跡のコラボ

 それにしても、城達也氏のメッセージナレーションとバックの音楽が見事に調和しています。高音部中心の、ゆったりと流れるような「ヴァイオリン SOUND」がいいですね。清浄無垢な “夜の静寂(しじま)” が、余すところなく表現されています。そのため、 “果てしない宙空” への誘(いざな)いがいっそう感じられ、 “SPIRITUALな夜間飛行” が巧みに演出されているようです。

 そこに、“さまざまなしがらみ” に疲れた、人それぞれの “安らぎ” もあるのでしょう。同時に、明日への希望と再生も見いだせるようです。まさに「ヴァイオリン SOUND」と「城氏のナレーション」との “絶妙なコラボレーション” といえるでしょう。いえ、“奇跡” と言うべきかもしれません。

 なお「番組終了時」の「エンディング・メッセージ」は以下の通りです。

        ☆

  夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは、遠ざかるにつれ 次第に星のまたたきと区別がつかなくなります。

  お送りしておりますこの音楽が、美しく、あなたの夢に溶け込んでいきますように。

    「お送りしております」には、「お聴きいただいております」というバージョンもあります。

        ☆   ☆   ☆

  城達也氏を初代の「機長」すなわち「パーソナリティ兼ナレーター」として、現在は「五代目」の「大沢たかお」氏が担当しています。しかし、筆者は前回述べたように一度もこの『JET STREAM』を聴いたことはありません。そして、これからも聴くことはないでしょう。

  それはおそらく、筆者にとっての「JET STREAM」とは、「城達也氏そのもの」であり、あの衝撃とも言える感動をもたらした「詩の朗読者」だからです。40年以上前に “LIVE” で触れたその “姿” と “肉声” を大切に “ しまっておきたい ” という気持ちが強いからでしょう。() 

  ◆動画『JRT STREAM ENDING』(エンディング:夢幻飛行[4:26][y1945yyさんの作品です]

 

   ★★★★★★★ Passenger ★★★★★★★ 

   ――JET STREAM でしょ。わァ~ 懐かしい! あたくし、ず~っと聴いてたの。城達也さんの声が甦って来るみたい……。 

   ……夜間飛行のお伴をいたしますパイロットは、わたくし、城、達也です……って。 とってもステキ! ねえねえ。あなたが「機長」で、あたくしが「キャビン・アテンダントCA)」って、いいと思わない? ちょっとやってみようかしら?

 『……みなさまに、ご案内いたします。この飛行機は、ただいまからおよそ30分ほどで「サンフランシスコ国際空港」に到着の予定でございます。地上からの連絡によりますと、サンフランシスコのお天気は晴れ、気温は摂氏18度とのことです

   ……Ladies  and  gentlemen, we  are  landing  at  San Francisco International Airport ……』

   この英語のアナウンス、一度言ってみたかったの。憧れていたのね。 

    ……………でも、でも……あたくし、何か違うような気がするの。ねえ、そう思うでしょ? ああ。やだ、やだ! やっぱり……そうよね~。 <あたくし>と<あなた>って、「機長」と「CA」っていうより、やっぱり「passenger(乗客)」のほうがピッタリしてるわ。絶対そう! ねっ? そうでしょ? 

   もう、オフシーズンみたいなものね。きっと今は、ず~っと格安よ。……ああ。ここはやっぱり、北イタリアのような気がしません? ……水の都・ヴェネチア……モードの街・ミラノ、食の都・トリノ、そして港町のジェノヴァ……。

    なかでもミラノね。あなたが大好きなレオ様の『最後の晩餐』の壁画……それってミラノの……え~っと……サンタマリア……何とか教会……なんでしょ? ああ❢ ヴェネチアにも、すご~く、関心がおありでしょ? でもここまで来たら、あなたのお得意のルネッサンス発祥の地、中部のフィレンツェも入れなくっちゃ。

 ……ねえ? あたくしのお友達のお友達が、何とか旅行社にいるの。きっと、とっておきのパッケージがあると思うの。尋ねてみようかな? あたくし、お友達にも呼びかけて……あなたも大学時代のSさんなんかどうかしら? 

 ね~え? 聞いてる? ねえってば…… ねえ? あれっ? 眠ちゃったの? 

          ★   ★   ★

  ◆『総督(Doge)のクジ運―遥かなりヴェネチア共和国』(本ブログ:2011.6.24)

  ◆『法皇選挙の白い煙/続・Dogeのクジ運(2011.12.28)

  ◆『万能の天才――レオナルド・ダ・ヴィンチ』(2009.5.24)

  

          ★   ★   ★

 

 ※詩のご紹介

   明 日    黒田三郎

 明日などはなかった

 この世の汚辱のなかで 滅びるに任せようと

 明日のないその日その日を送る以外に

 僕にはどんな運命もありはしなかった

 明日も今日のように

 僕は煙草をくわえ

 ビルディングの二階で エンピツを握って暮らすであろう

 しかし 明日などはありゃしないのだ

 腹立ちまぎれに

 僕がくしゃくしゃに書類をまるめようと

 僕がのんびりビールを飲んでいようと

 いつのまにか有能な課長になっていようと

 しかし明日などは ありゃしないのだ

 

 風のように気まぐれな少女よ

 そのとき僕はあなたの眼のなかによんだのだ

 その言葉を

 「明日はある

 信じなさい 明日はある」

 気まぐれな少女よ

 もしもそのとき僕が

 あなたに賭けさえしなかったら!

 


・哀悼:『JET STREAM』城達也氏:上/SOUNDアーカイヴ:Vol.3

2014年02月25日 00時00分01秒 | □Sound・Speech

 

  ◇城氏の “命日”

  今日、2月25日は、伝説のナレーター・城達也氏の命日です。氏は、1967年7月3日から27年間、7387回にわたって『JET STREAM』のナレーションを担当しました。そして19951230日、この「音楽定期便」のラスト・フライトを終え、その2か月後の1996225日、死へと旅立ったのです。享年63歳でした。 

  実は筆者は、今日にいたるまでこの「番組」を、一度もリアルタイムで聴いたことがありません。1967年と言えば、筆者は大学受験予備校へ通っており、翌1968年4月に大学に入学しています。

 

  ◇“なま” で触れた城達也氏の「詩」の朗読

  筆者が「城達也」という名前を初めて知ったのは、大学を卒業した翌年の1973年12月、東京での妹の「結婚披露宴」に出席したときです。その「司会進行」を務めたのが氏でした。このとき、筆者はたったひとりの身内の撮影者として、料理をほとんど口にすることなく、とにかくシャッターを切り続けていました。「司会者」をゆっくり観察するといった余裕はありませんでした。

  それでも、司会者・城氏の“洗練された立ち居振る舞い”や“端正な顔立ち”、それに“軽妙な語り口や魅惑的な声”については、すぐに感じていました。このとき、城氏は42歳。男として、もっとも勢いのある時期といえるでしょう。

   しかしそのとき、筆者が何よりも驚き、そして感動したことがあります。それは城氏が、「詩の朗読」をしたときでした。その「詩」は、黒田三郎の『明日』という作品でした(※次回、全文を紹介しましょう)。

 

   明日などはなかった

   この世の汚辱のなかで 滅びるに任せようと

   明日のないその日その日を送る以外に

   僕にはどんな運命もありはしなかった

 

    ……という最初の一節から、内容は無論のこと、その素晴らしい声テンポ抑揚間の取り方とに、たちまち魅了されたのです。 “ 魅了 ” というより “ 驚き ” といってよいでしょう。

   筆者も文学青年の端くれとして、多少、詩人・黒田三郎のことは知っていました。しかし、特に彼の詩が好きというほどではありませんでした。だがその後、さっそく黒田三郎の「詩集」を買い求め、しばらくの間その詩の世界に“はまった”ものです。「院浪」つまりは「大学院受験浪人中」の頃でした。

      ☆

  今でこそ、多くのフアンによって語り継がれる『JET STREAM』。そして、そのナレーションを務めた城達也氏――。だが1973年12月の時点では、それほど知られてはいなかったようです。それもそのはず、同番組は当初、東海大学の試験放送局「FM東海」としてスタートしたものであり、全国放送となったのは1970年4月からです。筆者が参加した披露宴当時の首都圏では、やっと3年半の「番組」にすぎません。

  ましてや、まともにラジオを聴くこともなかった筆者にとって、氏は、少なくとも「詩の朗読」を聴くまでは、「ただの司会者」でしかなかったのです。今思えば、なんと “ 贅沢な朗読 ” でしょうか。ファンであれば、それこそ  “垂涎の時間 ” となったことでしょう。

      ☆

  それから20数年――。知人より、筆者の声が城達也氏に似ていると言われたことがあります。数日後、彼は『ジェット・ストリーム/城達也』というカセットテープを持ってきました。聴いていたところ、当時、小学生だった娘が、『お父さんの声?』と尋ねたものです。

  今思えばそのとき、城達也氏はすでに故人となっていました。その後、やはり誰かに『声が似ている』と言われ、少し意識し始めたような気がします。氏の風格ある喋り方や余韻を感じさせる声は、当時、「セミナー講師」を「本業」としていた筆者にとって、大いに参考になったものです。そのため、以下の「メッセージ」や、番組終了時の「エンディング・メッセージ」を完璧に暗唱しようとしました。おかげで、今でもしっかりと記憶しています。 

  黙祷…………………。   [下]に続く

      ★   ★   ★

 

   JET STREAM 

 の ナレーション・メッセージ

  遠い地平線が消えて

  深々とした夜の闇に心を休めるとき

   遥か雲海の上を 音もなく流れ去る気流は

  たゆみない宇宙の営みを告げています

 

  満点の星をいただく 果てしない光の海を

   豊かに流れゆく風に心をひらけば

  煌(きら)めく星座の物語も聞こえてくる

  夜の静寂(しじま)の、何と饒舌(じょうぜつ)なことでしょうか

  光と影の境に消えて行った

  遥かな地平線もまぶたに浮かんでまいります

        ☆   ☆   ☆

 

  ◆『ジェット・ストリーム』(城達也ラストフライト)tarerouさん編集(9:52)

  ◆城達也(Wikipedia)

  ◆JET STREAM(Wikipedia)

   


・ラジオドラマ『君の名は』(初回分)/SOUND アーカイヴ:Vol.2

2013年07月17日 22時50分45秒 | □Sound・Speech

  「女湯」を空っぽにした伝説のラジオドラマ

  このNHKのラジオドラマが始まると「女湯」が空になったと言われたようです。放送期間は、昭和27年(1952)4月10日~29年(1954)4月10日。番組冒頭の「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションはあまりにも有名です(ナレーター:来宮良子さん)。

  おかげで、当時、五歳から六歳にかけての筆者も、『キクタカズオ、サク(菊田一夫:作)』のアナウンスとともに、いつしか記憶していました。

  配役は、氏家真知子を阿里道子さん、後宮春樹を北沢彪(きたざわひょう)氏。北沢氏はこの7年後の昭和36年(1961)4月から翌年3月まで、NHKの朝の連続テレビ小説『娘と私』(作:獅子文六氏)の「語り」と「主人公」を務めました。

   音楽は古関裕而(こせきゆうじ)氏が担当し、自ら伴奏のハモンドオルガンを演奏したようです。そのため、「生放送」の当時は、ドラマの中のBGMもすべて即興で演奏したとのこと。凄いですね。

   『君の名は』の放送が終了した昭和29年4月は、「団塊世代」の“はしり”である昭和22年生まれの「小学校入学の年」でした(筆者もその一人)。

      ☆    ☆    ☆

  別格の美しさ――岸恵子さん

  『君の名は』は翌年、映画化されるわけですが、ヒロインの真知子に岸恵子さん。春樹は中井貴一氏の実父、佐田啓二氏でした。ロケが始まったとき、岸さんはまだ二十歳だったようです。

  この映画の中の岸恵子さん――。 無論、お化粧はしていたでしょう。しかし、特に“作ったという不自然さ”を一切感じさせない“素の顔立ち”。まさに“別格の美しさ”でした。それに、備わった知性と品性。しっとりとした落ち着きに包まれた貞淑感。ただただ美しいとしか言いがありません。

  “女の性”など感じさせない慎ましやかな物腰……ではあっても、どこかに秘められた危うさのようなもの。それが抑制された中にもふっと漂うのです。当時の男性ファンはたまらなかったと思います。

   かく言う筆者も、実は小一の頃、母親に連れられてこの映画を観ていたのです。子供心にも、恋愛的なものの持つ独特な緊張関係を感じていました。離れた所から二人が次第に近づいて行くシーンを、心臓をどきどきさせながら観ていたのを鮮明に憶えています。

   そして、もう一つ強烈に憶えていることは、『なんてきれいなお姉さんだろう。こんなお姉さんは、どこに住んでいるのだろうか?』……真剣にそう想ったものです。

 

      ★    ★    ★

  ◆ラジオドラマ『君の名は』(第1回) 1952.4.10

  ※以上が、本当にNHK放送の「第1回目」であるかどうかは保証の限りではありません。動画をアップした方のメッセージを信じたものです。事情をご存知の方は、ぜひご連絡ください。

 せっかくですから、「映画」をどうぞ。有名な「数寄屋橋」での再会のシーンです。やっと再会できたはずなのに、真知子の表情が……。

  ◆映画『君の名は』(2:32)

  ◆Wikipedia『君の名は』 

   


・チャップリンの映画『独裁者』

2013年04月27日 20時40分56秒 | □Sound・Speech

 ヒットラーに4日遅れて生まれたチャップリン 

  先週4月18日土曜の午前零時、帰宅途中の車の中で『ラジオ深夜便』を聞きました。「オトナの生き方」というコーナーがあり、《喜劇王・チャップリンから学んだこと》と題する「日本チャップリン協会」会長の大野裕之氏の話がありました。

  今回、筆者が興味を持った第一の話は、チャップリンには、一般に公開されていない「NG作品」がかなりあるということ。しかも、それが現存するということでした。

  第二は、映画『独裁者』(原題:The Great Dictator)に関する「エピソード」の凄さです。映画は、アドルフ・ヒットラーをモデルとした「アデノイド・ヒンケル」という人物と“瓜二つ”の「チャーリー」(ユダヤ人)なる「床屋」の男をめぐる物語となっています。

  この映画を初めて観たのは中学生の頃、学校からの一斉鑑賞でした。今でも鮮明に記憶しているのは、「地球儀のバルーン」をヒンケル(チャップリンが演じている)が“弄(もてあそ)ぶ”シーンです。手や足、それにお尻を使って地球儀を高く突き上げたり、指先で回したりするシーンでしたが、その持つ深い意味や演出に感動し、映画の持つ素晴らしさを感じたものです。

       ☆

  ところで、「エピソード」とは、ヒットラーとチャップリンの生まれた日がわずか4日しか違わないことでした。ヒットラー1889年4月16日チャップリン4月20日に生まれています

  ちなみに、この1889年の100年前すなわち1789年(7月)は、「フランス革命」が勃発した(バスティーユ牢獄襲撃)年でした。そこで仏国はその年1889年、「フランス革命100周年」を記念し、パリ開催「万国博覧会」の際に、会場のモニュメントとして「エッフェル塔」を完成させたのです。なおこの1889(明治22)年、日本では「大日本帝国憲法」が公布されています。

       ☆

  70数年前の主人公の演説が意味するもの

   チャップリンが『独裁者』の制作を開始したのは1939年1月1日です。

   同じ年の9月1日にドイツ軍つまりヒットラーはポーランドへ侵攻を開始し、その2日後1939年9月3日英仏両国はドイツに宣戦布告をしています。独裁者』の撮影開始はそれから6日後9月9日でした(撮影場所は、ロサンゼルス郊外とスタジオ)。撮影は1939年中に終了したようです。

   ドイツ軍はいっそう攻勢を強め、翌1940年4月、デンマーク、ノルウェーに侵攻、5月にはベルギー、オランダに侵攻しています。そして、1940年6月14日、「パリが陥落」したのです。この「陥落」から4か月後の10月15日、映画『独裁者』は米国で公開されました。

   もうお判りのように、以上のことは次のことを物語っています。

   すなわち、ヒットラーが独裁者そして征服者としてヨーロッパを侵攻しているまさにそのとき、チャップリンは『独裁者』という映画を撮影し、編集作業をしていたことになります。

   つまり、不条理の“ノンフィクション”として破壊と蹂躙とが現実に行われているとき、人類愛の“フィクション”が産み出されようとしていたのです。

   そこに、ご紹介する映画『独裁者』での「スピーチ」のシーンとその言葉の意味があるように思います。独裁者に間違われたユダヤ人の床屋である主人公が語りかけるもの――。

  この70数年間、国家は、そして人類は、何をしてきたのでしょうか……

      ☆   ☆   ☆

   ◆チャップリンの映画『独裁者』のラストの演説シーンの動画(3分34秒)

   「動画」部分は、少し下の方にあります。この動画は投稿者がかなり今日の「ドキュメント」形式にアレンジしています。

  なお演説の「英文」とその「和訳」、それに解説をご希望の方は、下をクリックしてください。  

   ◆『独裁者』の「英文」と「和文」 

   ※このサイトの「演説部分」の「1番目」と「2番目」の「動画」は削除されています。

  !!! しかし、「3番目」の「動画」は、「独裁者」が「地球儀のバルーン」を弄ぶシーンです。この「動画」だけは削除されていません。ぜひご覧ください。

 


・『新日本紀行』テーマ音楽/SOUND アーカイヴ:Vol.1

2013年03月09日 22時02分31秒 | □Sound・Speech

 

 1963(昭和38)年10月7日。NHKテレビ番組『新日本紀行』の第1回目がスタートした。以来、1982(昭和57)年3月10日までの18年半に製作された本数は793本に上る。その第1回目に選ばれた都市は「金沢」(石川県)だった。栄えある「初回」に選ばれた理由は、この「番組創り」のために地方各局に呼び掛けたとき、最初に反応したのが金沢支局であった由。その当時の熱心なスタッフは、後にこの番組のデスクに迎えられる。 

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 この「テーマ音楽」の作曲者が冨田勲氏であることは、多くの人が知るところだ。この曲のように、「やまとの国・日本」を、また四季折々の移ろいとその美意識を感じさせる曲は少ない。老若男女を問わず、日本人に懐かしさと愛しさを抱かせ、また慕われた……いや、今でも慕われている。だがこの「曲」は、番組スタート当初からの「テーマ曲」ではなかった。

  ところで、金沢時代の熱心なスタッフとは菅家憲一氏。氏はデスクとなるわけだが、同番組に対する力の入れ方は特筆すべきものがあったと、高柳氏は語る。

 手始めに菅家デスクは、テーマ音楽を変えるため冨田氏に作曲を依頼する。完成した曲の収録日、全班員がスタジオに集合した。収録が無事終了したとき、菅家デスクは感想を述べた。『どうも物足りない』と。高柳氏は続けて語る――。

  『……皆が固唾を呑んで見守るうち、冨田勲さんが楽器倉庫から、やおら、魚の骨のような形の楽器をひっぱりだしてきた。カーン、カーンと、あの打楽器音が加わり、力強い曲の流れに、一層の迫力を増した。“はい、これで決まり!”(菅家)デスクの満足気な声がスタジオに響いた。』

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 それにしても、この「カーン」という高い木の音――。2回に分けて各12、計24回鳴っている。……何処から聞こえて来るのだろうか。ずっと遠い所からのような……それでいて親しみと恋しさを感じさせるような身近な感覚……。なんとも不思議な安らぎと落ちつきをもたらすとともに、大切なものを探り当てたような気持にさせられる。

  何よりもこの「木の音」は、いろいろなものを想像させる。……森林の奥から響き渡る樹の切り出しの音。人里離れた村はずれにポツンと立っている路標。朽ち果てて行くばかりの社や東屋……その佇まい。村を去らなければならない人……それを見送る人。互いに遠ざかって行く小さな道……そのずっと先に一点となって消えようとする……。

 無論、四季の風物も映し出す。“日本人による日本人のための日本の原風景”を音楽として表現したと言える。聴くたびに、新たなイメージが湧いてくる。筆者の独断だが、この「カーン」という「清澄な木の響き」によって、《原風景》に神聖さと郷愁とがいっそう加わったと思う。

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 それにしても、テーマ曲完成の際に『物足らない』と言った菅家デスク。そして、それにすぐに反応して「曲に木を入れた」冨田氏。まさしく“阿吽の呼吸”というものだろう。

  『その菅家さんも今は亡い』と高柳氏――。菅家氏の葬儀の日、読経に併せてこの「テーマ曲」すなわち『新日本紀行』が境内に流れていたという。……ひょっとしてこの曲は、ある人々にとっては『鎮魂歌』でもあるのかもしれない。

 よりよいものを創ろうと情熱を傾ける人々がいる限り、優れた素晴らしいものが残される。

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 ※冨田勲(とみたいさお)  1932(昭和7)年、東京生まれ。作曲家、シンセサイザー奏者。NHKの『新日本紀行』『きょうの料理』をはじめ、大河ドラマ『花の生涯』『天と地と』『新・平家物語』『勝海舟』『徳川家康』等のテーマ音楽を作曲。

 

 ◎NHK『新日本紀行』テーマ曲/作曲:冨田勲