『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

●演劇鑑賞文遅れの顛末とお詫び②

2018年07月20日 01時00分19秒 | ●演劇鑑賞

 わが「古書鑑定能力」やいかに

 「BО店」に持ち込もうとしたC:原色日本の美術」(小学館)は、「全30巻揃い」で手入れは良好。購入時は、1巻3,800円で全巻114,000円。その金額にあらためて驚いた。しかもそれは、42年前の刊行となっている。

 「物」の扱いは少々ぞんざいといわれる筆者だが、こと「書籍」に関しては自負するものがある。ましてやそれが「美術全集」ともなれば、自分でも感心するほど行き届いた取り扱いをしている……と思っているのだが

 ともあれ、ネット上の各種「販売価格」の実態からして、「1巻:150円から200円」くらいは行けるのでは? そうなれば、30巻で4,500円から6,000円……というところだろうか。間をとって「175円×30巻=5,250円」。まずまずというべきか。

 ふと思った。ひょっとしたら筆者は「古書鑑定能力」なるものが、本人も気づかぬうちに育っているのかも知れないと。何と言っても大学時代、世界有数と言われる「神田神保町の古書店街」に足げく通っていたのだ。かくて、わが身一人の思惑は、際限もなくオプティミスティックに広がり始める。夢と希望をさらに膨らませながら……。

       ★

 「BО店」に到着した。実はこの店にはこれまで本を「買いに行った」ことも、「売りに行った」こともない。そのためだろうか、さきほどの武者震いが再び全身を巡った。そしてその武者震いは、応対の「女性スタッフ」を見た瞬間、ある種の “不安” へと変化し始めていた。

 彼女は若かった。どこか初々しさの残る感じに、新卒のような印象を受けた。たえずニコニコと愛想は申し分ない。だが “美術全集について、どこまで理解しているのだろうか?” との疑念を取り除くことはできなかった。

 彼女は30巻を手に取ってしげしげしげと眺めたりはしない。全体の巻数を確認しながら、十数巻をカウンターの上に並べる程度で、特に精査している様子は見当たらない。その代わり、パソコンや資料を覗き込んだり、誰かと携帯で連絡を取りあっているようだった。

 “どこからかベテランの査定人が現れるのだろうか?” 期待と不安相半ばしながらも、少し落ち着き始めたとき、彼女は、やや緊張した面持ちで筆者に言葉を発した。

500円になりますけど……』

 ――筆者は考えたそういえば「人気のある巻」は、バラでも1巻500円~1,250円ほどで売りに出されているものもあり、「不人気の巻」は30円~60円というものもあった。ということは「1巻平均:500円」という評価なのか。つまり500円×30巻=15,000円》……。そこまで考え及ぶのに5秒とはかからなかった。

 ――いやまてよ! ネットでの「販売価格」の大勢からみても、「BO店」が「15,000円」で「仕入れる」ことなどありない。だが次の瞬間! 一つの “疑念” がよぎった。

 ーー彼女は、何かとんでもない勘違いをしているのかもしれない。社会経験と書籍に関する知識不足のため、的確な「価格査定」とはならなかったのでは? となれば、天性の「古書鑑定能力」を持つ筆者が、己の利益享受のために知らんぷりするなど、如何なものだろうか……。 

 と一瞬そう思ったものの、さきほどの我が最終試算の「175円×30巻=5,250円」が再び脳裏を掠めた。それを3倍近くも上回る15,000円などありえないのだ。となれば、こちらのとんでもない勘違いということに……

 そう思い直して彼女を見た。笑顔ではあるものの “どこか申し訳なさそうな下向き視線”となっている。その “俯き加減” に “胸騒ぎ” を覚え、はっと我に返った。そして筆者はしっかりと彼女を見据えたまま、おもむろに尋ねた。

500円というのは1巻の値段ですか? それとも全30巻という意味でしょうか?』

『…………全巻です』

 その答えまでに “ひと呼吸” あったことが、今思えば救いだったのかもしれない。だがそう思いながらも同時に、500円÷30巻=16円66銭という厳粛な「計算式」が、何度となく脳裏にフラッシュバックした。

       ★

 出版時とさほど変わりない保存状態の全集――。美術全集1巻のサイズは「縦37㎝×横27.5㎝×厚さ3.5㎝」。それに「重さはジャスト3㎏」。……その「美と知と感性の書」の価値が、10円玉と5円玉と1円玉2個にも満たないとは。我が人生において、これほど惨めな計算の記憶はない……。

 筆者は言いたいことをすべて封印し、穏やかな笑顔で彼女に丁重に語りかけた。

申し訳ないけど売るのを中止して、このまま持って帰りましょう。お手数をおかけしました。ごめんなさいね

 彼女はとまどいながらも、申し訳なさそうな笑みを見せた。筆者はカウンター上の十数巻を段ボールに入れ、残り5つの段ボールとともに車に積み込んだ。

       ★

 帰り道、「A、B、C3つの美術全集は絶対に手放さないことを心に誓った。のみならず、いつでもそれらを自室で楽しめるよう「専用書架」の購入も決意した。

 だがこの “決意” こそ、演劇鑑賞ノート紛失の「第一楽章」となったのだ。(続く)

 

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●演劇鑑賞文遅れの顛末とお詫び①

2018年07月15日 12時29分06秒 | ●演劇鑑賞

 「演劇鑑賞ノート」紛失による混乱と遅筆

 本ブログの「演劇鑑賞」について、演劇関係各位をはじめ、多くの演劇学生諸兄姉が気づいていることがある。何よりも、「それに関するメールや書簡」をいただき、そのたびに “口にするのも恥ずかしい……いや情けないほどの言い訳” をさんざん繰り返さなければならなかった。

 それはまた、己の愚かさと虚しさに引き戻されることを意味するとともに、果てしなき後悔と自己嫌悪に陥るばかりだった。

 そう……いまさら、何を隠くすことがあろうか……。この際、“真実” を明らかにしなければならない。

       ★

 実は恥ずかしながら、筆者は “命の次に大切な或る【演劇鑑賞ノート】を紛失していた” のだ。それも「ノートが入ったバッグごと屋外で紛失した」と言うのならまだしも、何と『明らかにこの小さな自室の何処かに紛れ込んでいる……』という “真実”(99%の確信ある事実?!)に我ながら呆れ、その “嫌悪感と憔悴感” は “ハンパなかった” ……。

 紛失時期は、今年の3月下旬――。と言えばこの瞬間、演劇ファン各位は、『演劇ユニット「」(かぎかっこ)』『演劇ユニットMr.daydreamer』の「演劇鑑賞」が、いっこうに出てこなかったことを納得されたに違いない。

       ★

 本ブログ・カテゴリーの「演劇鑑賞」は、ご覧いただくとお分かりのように、最近の5回分はすべて『九演』(九州大学演劇部)の「2017年度後期定期公演2作品についてのもの。このときの「演劇鑑賞ノート」は、2作品のボリュームを考え、「この公演専用ノート」として別に用意していた。

 そのため、結果として “難を逃れ”、「九演・2舞台」の鑑賞文は、3月12日~5月6日アップの原稿通り、文字通り “難なく” 5回もの連載に結びついた。最初の3月12日の本ブログ原稿の最後は、次の一節で結んでいる――。

 【かくして、その「メモ」と前夜の観劇時に走り書きした“ミミズのごとき文字を頼りに、筆者はブログアップのための〈脳トレを開始した。】

 5回もの鑑賞文として、我ながら元気に張り切っている様が伝わってくる。 

 ……But! しか~し! である……。

        ★


 「演劇鑑賞ノート」紛失の序曲

 ところで、「演劇鑑賞ノート紛失事件」の発端は、「美術関連図書」の『処分問題』から始まった。筆者とて齢71。いつしか “終活” なるものを頭の片隅に描き始めたようだ。そこで、この小さなアパートに引越して来てからというもの、「押入れ」の奥に追いやられたままの「3種類の美術全集」を、なんとかしようと思った。

 持ち主にすら目を通されることなく、ひたすら暗闇に静臥したままの各美術全集関係3種。

 ・「ルーヴル」や「ヴァチカン」をはじめ、世界有数の美術館や博物館の作品群(A:「世界の美術館」25巻)

 ・「モネ」や「ルノアール」など37人もの大家の秀作群(B:「現代世界美術全集」25巻」) 

 ・伝統的な日本美術の集大成といった名品の数々(C:「原色日本の美術」30巻)

         ★

 筆者は考えた――。本を大切に、喜んで目を通してくださる方があれば……金額などいくらでも構わない。あるいは、図書館か公的施設などに寄付することはできないだろうか(※近くの公民館に問合せたが、これはダメだった。同じ考えの人々が多いようだ)……。

 そこで、物は試しとばかりに近くの「某(BO)店」に「」を持ち込むことにした。もちろん全30巻である。6つの段ボールに収め、2階から階段下すぐに車を寄せて運んだ。久しぶりの重労働となった。正直言って、このときほど力の衰えを感じたことはない。嗚呼!(続く)

 

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