『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

囲碁のこだわり―中編/父との最後の対局

2019年01月10日 00時05分29秒 | ■囲碁・将棋

 《田舎五段》Y氏への想い

 それは33年前ほど前の1986年のことになる。《田舎五段》……と〝一応〟自称した今は亡きY氏。或る不動産会社社長の友人だった。日本棋院の「院生(いんせい)」※注① の〝成り損ない〟という方だけあって、4子の「置碁(おきご)」※注② を指導していただいたが、実にあっさりと負かされていた。

 当時、碁会所において「アマ五段に3子」では負けた記憶がなかっただけに、Y氏の強さは際立っていた。『一応、田舎五段です』とは大いなる謙遜であり、〈院生を経てプロの囲碁棋士〉になっていたかもしれない〈Y氏一流の矜持〉ではなかっただろうか。五段、六段どころか、七段いや八段といったレベルと思う。

 我が人生における最強の棋士だった。〝中央を重視した正統派の厚い碁〟に〝本手といえる綺麗な手筋〟であり、〝負けて悔しい〟という気持は一切なかった。爽やかな感謝の心で『ご指導いただき、とても勉強になりました』という言葉を素直に口にしていた。

 囲碁部時代(大学)

 そこには或る種の〝感動〟があった。筆者は学生時代(大学囲碁部※注③)、「名人戦」や「本因坊戦」の「棋譜」を並べるたびに、ときには豪快、ときには繊細、そしてときには華麗な手筋の数々に魅了されたが、Y氏の打ち碁はそれを彷彿とさせるものだった。

 碁会所などでの「置碁」の場合、上手(うわて)の中にはことさら難解な定石や手筋で下手(したて)を翻弄し、ときには「はめ手」のような打ちまわしをする人もいた。社会人となった筆者が碁会所に行かなくなった最大の理由は、『ちゃんとした「碁会所」に行かないと手が荒れる ※注④ 』という囲碁部諸兄の言葉を実感したからだろう。

 大学当時の部長は「院生」の経験者であり、父親も実弟もプロ棋士という。その実弟は確か、何年か前に引退された石田章九段だ。部員の何人かは、二十歳そこらですでに「アマ十傑全国大会」の県代表経験者であり、大学対抗戦などに出場する選手5人は、いずれもアマ六段以上という強者だった。ただ強いというだけではなく、いわゆる《本手を心掛けた筋のいい打ちまわし》であり、そういう指導のもとにあったことを幸いに思う。

 無論、筆者なりの努力も怠らなかった。神田神保町の古書店において基本定石をはじめ、手筋、ヨセ、詰碁等の本を10冊以上仕入れ、同学年の部員と互いのアパートや下宿を訪ねては碁の研究に夢中になっていた。そのせいか、入学後に碁を始めた筆者ではあったが、1年経過した頃には「二段か三段格」(=碁会所の席主による仮認定。もちろん「田舎段」)で打たされていた。囲碁部内では、せいぜい2、3級ではなかっただろうか。

 だが残念ながら、筆者の「部室通い」も「自室での囲碁研究」も、「70年安保闘争」(1968~1970)による度重なる「学園封鎖」と学業専念のため、2年生に上がる頃にはすっかり冷めていた。

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 今回、筆者がもう一度碁を打ちたい〟と思った最大の動機が、Y氏に指導をして貰ったときの〝感動〟であり、〝強くなりたい〟というよりも棋理にかなった手〉、すなわちプロが追い求めるような着手を心がけたいとの想いに尽きる。

 さて、Y氏との対局から半年ほどが経過した1986年12月半ば、数日後に国立病院へ入院する父と碁を打った。本来は〈白石〉の私が父に2、3子置かせる「手合い」だが、このとき私は「白石」が入った碁笥(ごけ)を父の方へ押しやり、「黒石」の碁笥を自分の方へと引き寄せていた。父はちょっと微笑み、何となくためらいつつも小さくうなづいたような気がする。

 このときの「打ち碁」こそ父との〝最後の対局〟となり、父は翌年2月、入院先で息を引き取った。そして筆者は、それ以降今日までの32年と1か月、誰とも碁を打ってはいない ※注⑤

              

 との〝最後の対局〟に使った「碁盤は本格的な「(かや)」の無垢盤ではなかったものの、厚さ4寸の脚付きであり※注⑥その10年ほど前に、父がどこかのデパートから買って来たように記憶している。その夜の対局のとき、父は真新しい碁盤の厚みを測るかのように、掌をいっぱいに広げた。それは間違いなく20cmすなわち「6寸5分」もの厚さを意味した。その時、父は筆者の顔をのぞきこむように言ったーー。

 せめて、こんくらい厚みのある榧盤が似合うだけの、稼ぎと実力がなきゃいかんな……

「後編」へ続く

    

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 ※注①院生」とは、いわば「プロ棋士の卵」の養成機関であり、ほとんどのプロが、まずはこの「院生」になることをめざしています。とはいえ、「院生」になるためには「日本棋院」の場合、〈14歳になる年度末まで〉という年齢制限があり、このときの棋力は「アマチュア6段以上」とされています(もちろん「試験碁」によって真の実力を試されるわけですが)。参考までに言えば、「碁会所の6段」すなわち「田舎6段」クラスでは無理のようです。

 いま振り返ると、Y氏が〈田舎六段〉と言わずに〈一応、田舎五段〉と控えめにした意味が、ここに来てようやく解ったような気がします。

 ※注②:打ち始める前に、盤面に4つの黒石を「ハンディキャップ」として置くこと。

 ※注③:以下を参照ください。大学囲碁部時代のことに触れています。

  ◆若い女性の囲碁ブーム:中  ☚クリック

 ※注④「手が荒れる」とは、「打った手」が乱れるという意味です。「手」の肌が痛むという意味ではありません。

 ※注⑤:囲碁を打つことはなかったものの、Eテレの「囲碁講座」や「囲碁対局」はよく見ていました。また、AIとのネット碁は、1年ほど前より少し体験しています。

 ※注⑥:「碁笥」は栗の木、「碁石」はガラスでした。

 


囲碁のこだわり―前編/年頭の辞

2019年01月03日 19時42分15秒 | ■囲碁・将棋

 この20年近く、歯医者に5、6回通っただけで《医者いらず、薬いらず》の身を密かに誇っている。一昨年「古稀」となった際の健康診断においても、〝何ら問題なし〟との結果を受けたため、本人はもちろん、周りの人々の不安を一掃したようだ。

 だが不覚にも、歳晩の《寒気》に遭ったため、久方ぶりの《風邪》に見舞われてしまった。……というのは、正確な〝状況描写〟ではない。《寒気》というより、《寒水》というのが正しい。

 少し《話》は長くなるものの、三が日に免じて、しばしお付き合いをお願いできれば……。

 実は、年も押し詰まった師走28日、「碁盤」と「碁石」が欲しくなり、ネット検索を開始した。しかし、「新品」については「折り畳み式」の碁盤に「プラスティック」の「碁石・碁笥もどき」のセットが、軽く5,000円前後となっている。

 写真でみても何とも〝ちゃち〟であり、深遠なる思索の世界など望むべくもない。それなりの盤上にそれなりの石音が響き、それが打ち手として幽玄寂々たる思考に没我我入せん……てなことをチラリとimageしながら……。

 ところが、これらの「碁盤」や「碁笥・碁石」にかけた筆者の〝思い〟すなわち〝〟なるものは〝超ビッグ〟であり、「最低条件」は次の3点だった。

 その:「碁盤」は、「脚付き榧の一枚板」……最低、厚さは4寸5分※注①:14㎝弱)。無論、「柾目」等とは言わない。だがそれを言い出せば、中古でも最低、100,000円はするだろう。

 その:「碁笥」は、「栗の木」を刳(く)り貫いたもの。

 その:「碁石」は、「ガラス」質のものでOK。

 ということに。

 ……と言えば、囲碁好きの諸兄は訝るかもしれない。『脚付き4寸5分の榧盤に栗の碁笥ときたら、「碁石」は厚さ10㎜クラスの「那智の黒石」(※注②)に「日向本蛤の白石」(※注③)が、バランスというものでは……?』 

 確かに、仰せの通りである。but! そうなれば「予算」もさることながら、何よりもそれに“相応しい棋力”が伴わなければならない。万々が一、筆者に何億円もの宝クジが当たったとしても(※とはいえ、今のところまったく買う意志もないが)、無論、現下の〝貧しき棋力では到底、買うべき資格などあるはずもない。このたび、筆者が一人心の中で自らに厳しく言い聞かせたことは、『ガラスの《石》が分相応』というものだ。 

 ――そうなのである。〝密かに心に抱いたこと〟は那智の黒石に日向の本蛤(白石)を持っても恥じないだけの棋力を養う〟ということだった。

 それに〝相応しい棋力〟に達したと自他ともに認めるそのときが到来したら、筆者はおそらく、碁会所あたりでさりげなく、しかし、ほんのちょっと誇らしげに、普段よりもやや低い声で、一語一語を静かなゆったりとした間合いで、次のように言うだろう。すでに「鬼籍の身にあるY氏」の口ぶりを懸命に想い出しながら……、

 『一応、田舎五段です

以下、「中編」及び「後編」へ続く。

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 ※注①1寸は約3.03㎝。つまり、《一寸法師》の身長である。

 ※注②:「那智黒石(なちぐろいし)」は、三重県熊野市神川町で産出される粘板岩の一種。

 ※注③:「日向産本蛤石(ひゅうがさんほんはまぐりいし)」は、宮崎県日向市小倉ケ浜のみで産する日本産の本蛤を刳り貫いて「白石」にみたてたもの。厚みが10㎜程度の高級品は、新品の「白石」一式(180個)で何と1,000,000円ほど。十万円ではなく百万円であることに留意されたし。つまりは、わずか「1個の白石」が5,000円以上というしろもの。嗚呼!


 新 嬉 恭 春

 新しき年の始まりにあたって、ひとことご挨拶申しあげます。

 今このくだりを書こうとしたところ(18時20分頃)、ここ福岡において地震がありました。そのため、私は思わず手を止めて事の成り行きをしばし思い計ったところです。

 この10分ほど前の18時10分頃、熊本県で震度6弱を観測する地震があったとのこと。それと関係があるのは否定できないでしょう。

 いつ何が起こり、それが私たちの日常生活や仕事、そして人間関係や心のありようにどのように関わって来るのか……まさに予断を許さない時代……あえて私流の感じ方として申し上げるならば、様々な意味における〝時空の軋み〟というものかもしれません。

 昨日、あるサイトを見ていた時、次のような言葉に出会いました。


 If you can dream it, you can do it.

  夢見ることができれば、それは実現できる。

 ウォルト・ディズニーの言葉です。どんな状況にあっても、〝人それぞれの夢は尽きない〟のかもしれません。また、決して〝尽きさせてはいけない〟のではないでしょうか。私もこれまでにない《自分なりの夢の実現へ向けて》精進していきたいと思います。

 読者各位も、それぞれの《夢を見据えて》邁進くださいますよう、ささやかな祈りを込めて、年頭の辞とさせていただきます。

 平成31年1月3日 18:50 夜のひとときを愉しみとして

 花雅美 秀理 拝

 メール・アドレス sunlight_moonriver@yahoo.co.jp