《田舎五段》Y氏への想い
それは33年前ほど前の1986年のことになる。《田舎五段》……と〝一応〟自称した今は亡きY氏。或る不動産会社社長の友人だった。日本棋院の「院生(いんせい)」※注① の〝成り損ない〟という方だけあって、4子の「置碁(おきご)」※注② を指導していただいたが、実にあっさりと負かされていた。
当時、碁会所において「アマ五段に3子」では負けた記憶がなかっただけに、Y氏の強さは際立っていた。『一応、田舎五段です』とは大いなる謙遜であり、〈院生を経てプロの囲碁棋士〉になっていたかもしれない〈Y氏一流の矜持〉ではなかっただろうか。五段、六段どころか、七段いや八段といったレベルと思う。
我が人生における最強の棋士だった。〝中央を重視した正統派の厚い碁〟に〝本手といえる綺麗な手筋〟であり、〝負けて悔しい〟という気持は一切なかった。爽やかな感謝の心で『ご指導いただき、とても勉強になりました』という言葉を素直に口にしていた。
囲碁部時代(大学)
そこには或る種の〝感動〟があった。筆者は学生時代(大学囲碁部※注③)、「名人戦」や「本因坊戦」の「棋譜」を並べるたびに、ときには豪快、ときには繊細、そしてときには華麗な手筋の数々に魅了されたが、Y氏の打ち碁はそれを彷彿とさせるものだった。
碁会所などでの「置碁」の場合、上手(うわて)の中にはことさら難解な定石や手筋で下手(したて)を翻弄し、ときには「はめ手」のような打ちまわしをする人もいた。社会人となった筆者が碁会所に行かなくなった最大の理由は、『ちゃんとした「碁会所」に行かないと手が荒れる ※注④ 』という囲碁部諸兄の言葉を実感したからだろう。
大学当時の部長は「院生」の経験者であり、父親も実弟もプロ棋士という。その実弟は確か、何年か前に引退された石田章九段だ。部員の何人かは、二十歳そこらですでに「アマ十傑全国大会」の県代表経験者であり、大学対抗戦などに出場する選手5人は、いずれもアマ六段以上という強者だった。ただ強いというだけではなく、いわゆる《本手を心掛けた筋のいい打ちまわし》であり、そういう指導のもとにあったことを幸いに思う。
無論、筆者なりの努力も怠らなかった。神田神保町の古書店において基本定石をはじめ、手筋、ヨセ、詰碁等の本を10冊以上仕入れ、同学年の部員と互いのアパートや下宿を訪ねては碁の研究に夢中になっていた。そのせいか、入学後に碁を始めた筆者ではあったが、1年経過した頃には「二段か三段格」(=碁会所の席主による仮認定。もちろん「田舎段」)で打たされていた。囲碁部内では、せいぜい2、3級ではなかっただろうか。
だが残念ながら、筆者の「部室通い」も「自室での囲碁研究」も、「70年安保闘争」(1968~1970)による度重なる「学園封鎖」と学業専念のため、2年生に上がる頃にはすっかり冷めていた。
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今回、筆者がもう一度〝碁を打ちたい〟と思った最大の動機が、Y氏に指導をして貰ったときの〝感動〟であり、〝強くなりたい〟というよりも〈棋理にかなった手〉、すなわちプロが追い求めるような着手を心がけたいとの想いに尽きる。
さて、Y氏との対局から半年ほどが経過した1986年12月半ば、数日後に国立病院へ入院する父と碁を打った。本来は〈白石〉の私が父に2、3子置かせる「手合い」だが、このとき私は「白石」が入った碁笥(ごけ)を父の方へ押しやり、「黒石」の碁笥を自分の方へと引き寄せていた。父はちょっと微笑み、何となくためらいつつも小さくうなづいたような気がする。
このときの「打ち碁」こそ父との〝最後の対局〟となり、父は翌年2月、入院先で息を引き取った。そして筆者は、それ以降今日までの32年と1か月、誰とも碁を打ってはいない ※注⑤。
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父との〝最後の対局〟に使った「碁盤」は本格的な「榧(かや)」の無垢盤ではなかったものの、厚さ4寸の脚付きであり※注⑥、その10年ほど前に、父がどこかのデパートから買って来たように記憶している。その夜の対局のとき、父は真新しい碁盤の厚みを測るかのように、掌をいっぱいに広げた。それは間違いなく20cmすなわち「6寸5分」もの厚さを意味した。その時、父は筆者の顔をのぞきこむように言ったーー。
『せめて、こんくらい厚みのある榧盤が似合うだけの、稼ぎと実力がなきゃいかんな……』
「後編」へ続く
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※注①:「院生」とは、いわば「プロ棋士の卵」の養成機関であり、ほとんどのプロが、まずはこの「院生」になることをめざしています。とはいえ、「院生」になるためには「日本棋院」の場合、〈14歳になる年度末まで〉という年齢制限があり、このときの棋力は「アマチュア6段以上」とされています(もちろん「試験碁」によって真の実力を試されるわけですが)。参考までに言えば、「碁会所の6段」すなわち「田舎6段」クラスでは無理のようです。
いま振り返ると、Y氏が〈田舎六段〉と言わずに〈一応、田舎五段〉と控えめにした意味が、ここに来てようやく解ったような気がします。
※注②:打ち始める前に、盤面に4つの黒石を「ハンディキャップ」として置くこと。
※注③:以下を参照ください。大学囲碁部時代のことに触れています。
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※注④:「手が荒れる」とは、「打った手」が乱れるという意味です。「手」の肌が痛むという意味ではありません。
※注⑤:囲碁を打つことはなかったものの、Eテレの「囲碁講座」や「囲碁対局」はよく見ていました。また、AIとのネット碁は、1年ほど前より少し体験しています。
※注⑥:「碁笥」は栗の木、「碁石」はガラスでした。