『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・ある映画監督の俳句/新春俳話:補巻

2021年02月01日 00時06分41秒 | ■俳句・短歌・詩

  五所平之助の俳句

 上・中・下巻の「新春俳話」、いかがでしたか? わずか5日間にあれだけのボリュームをアップするなど、おそらくこれまでにはなかったと思います。それもこれも、俳句関係のものに目を通すことが多くなったからかも知れません。

 そこで今回は「新春俳話:補巻」編として、まず次の句に触れてみたいと思います。

 

  初春や灯して決まる家族の座    五所 平之助

 筆者は高校生の初めの頃、一時期「黒澤明」監督に憧れ、「映画監督」に成りたいと思ったことがあります。

 ところが五所監督については、その当時はほとんど知りませんでした。もっとも現時点においても、同監督に対する知識や情報は、高校生の頃とさほど変わらないでしょう。

 全くテレビを観ない筆者は、「コロナ禍」以降、ネット配信の「映画」作品(無料動画)を観ることがあり、つい2か月ほど前に偶然、「マダムと女房」(1931年公開)という作品を観ました。

 何と「田中絹代」さんが二十歳くらいの主演映画であり、その監督が五所平之助氏でした。そのあと同監督による「大阪の宿」(1954年公開)も観たわけですが、この「句」を観た瞬間、いかにも映画監督らしい句想だなと思いました。

 というのも、「灯して決まる家族の座」の「家族」の二文字が、筆者には一瞬、「主役」の文字に見えたからです。どことなく〝家族物〟映画のメーキングのひとこまが、イメージとして湧いていたからでしょうか。

              

 さてこの句、みなさんはどのように解釈し、また鑑賞されるのでしょうか。人それぞれ家族それぞれの、解釈や鑑賞があると思います。

 もちろんこの句は、「初春」(新年を迎えたお正月)の一家団欒のひとこまを捉えたものですが、「灯して」の雰囲気としては、やはり薄暗くなった夕刻でしょう。それに加え、筆者には「家族以外の特別ゲスト」の気配が感じられます。

 「大監督」の「自宅」ということで、映画関係者が年始の挨拶に訪れたシーンでしょうか。そこで五所監督や家族に強く促された「訪問客」が、家族の食卓に同席することになった……という光景かも知れません。もちろん、これは筆者個人の勝手なイマジネーションですが。

 この「訪問客」は、ひよっとしたら「映画俳優」ということも考えられませんか?

 ……え?! 田中絹代さん?! ……ンなわけ……無い……ことも……無いのかも……。

 「家族の座」に、比較的多くの家族の存在が感じられませんか? それも、何人もの女の子や男の子の賑やかな様子が伝わって来るのですが……。

               ★ ★ ★ 

 

 筆者は、未だ五所監督の「句集」なるものに目を通した事はありません。掲出の句は、当初にご紹介した講談社刊の「カラー図説・日本大歳時記:新年」からのものです。

 なお以下の句は、「新年の句」ではありません。ネットで拾った数少ない五所監督作品をピックアップしました。「太字(ゴシック)」は「季語」となっています。

 ①  花ぐもり机に凭れ空ろなる

 ②  花明りをんな淋しき肩を見す

 ③  目覚むれば夜まだありぬ螢籠

 ④  売られゆくうさぎ匂へる夜店かな

 ⑤  柳散る銀座に行けば逢へる顔

 ⑥  生きるとは一筋がよし寒椿

   鯛焼やいつか極道身を離る

                 ★ 

 「①花ぐもり」も「②花明り」も、ともに「桜の咲く頃」の季節であり、「花ぐもり」は、この時節の「曇り空」を言います。「花明り」は日中の(満開の)桜本来の「明るさ」だけでなく、夕暮れ時の場合や夜間の灯りの下ということもあるでしょう。

 いずれにしても、そのときどきの天気や時間や場所による「桜の花びらの耀き」であり「明るさ」であり、「見え方・感じ方」の違いというものでしょう。そのように微妙で繊細な違いを受け止め、また表現しよう……いえ、表現したい……と思う事こそ、正しく「」ならではであり、〝美意識〟と言えるのかも知れません。

 なお①の「凭れ」は、「もたれ」ですね。〝空ろな気持ちや表情〟で物思いに耽っているのでしょう。②は、いかにも一昔前の「映画の一シーン」という感じですね。

 ③の「(蛍)」は夏の季語です。今、螢が出て来たいくつかの「映画のシーン」を思い出したのですが、哀しいかな「タイトル」が出て来ません。

 ④と⑤の季語は、ともに秋。④は、筆者の子供時代の体験でもあります。「箱崎八幡宮」(福岡市東区)での「放生会(ほうじょうえ)」のときでした。

 動物である以上、当然いやな「(にお)」なのですが、売られて行くことも知らずにもくもくと口を動かせながら餌を食べている〝あの赤い瞳〟を目の当たりにすると、何とも言えない哀愁が漂い、ただただ切ない想いでした。

 「匂へる」に「うさぎ」への豊かな愛情が感じられます。単なる「(にお)」だけではない、「うさぎ」に対する作者の親しみ、慈しみに加え、労(いたわ)りの気持ちも込められた「匂い」ですね。

 ⑤は、ひと頃の映画の「東京銀座・ネオン街」の定番としても出て来たシーンといえるでしょう。もっともこの句の場合は、作者(五所監督)自身の自画像のようですね。

 ⑥は、何でもないようですが「寒椿」(冬)の趣きが滲み出ています。何処かのお宅の塀などから見える、よく手入れされた椿の木々の様子が見えるようです。春本来の椿にはない、地味で穏やかな「冬の椿」……しかし、しっかりと「黄色の蕊(しべ)」と「紅い花びら」の存在感を印象付けています。

              

 ⑦の「極道」には一瞬、驚きました。でもこの場合の「極道」には、どこか〝やんちゃ感〟が漂い、〝自堕落に遊蕩に耽っている〟といった、ややオーバーな作者の声が聞こえて来ませんか? 

 といってもそれは、もちろん作者自身の自嘲や戯れであり、諧謔です。殊勝に「いつか極道身を離る」と、持って回った言い方をしていますが、ご本人には〝この極道ぶり〟から〝足を洗う〟つもりなど、まったくないと思います。

 作者(五所監督)自身――、

 『……いやぁ。何とか一句にまとめようと思ってねぇ……。ちょっと作りすぎちゃったかなぁ……。』

 ……と、ディレクターズ・チエアかなんかに座り、悪戯(いたずら)っぽい眼差しを見せているのかも知れません。その眼差しを、映画の撮影スタッフ達が覗きこみながら、笑みを返しつつ……。

 するとそこへ、結構「俳句」にうるさい古参の照明さんが、照明の反射板である銀色の「レフ板」をことさらいじくりながら、ちょっと遠慮がちに――、

 『……極道……と来ましたか……。監督、あたしらの若い頃は、ちょっとした親不孝もんをひとまとめに〝極道〟と言ったんですがねぇ……。』

 とかなんとか言いながら、五所監督と顔を見合わせて二言三言……。

 そのようにイメージが膨らむのも、上五の「鯛焼」(冬)という季語の効果と言えるでしょう。

 ところで、五所監督がこの句を作ったときの背景となれば――、

 いい年をした〝ちょいわる親爺〟が、ほんのちょっと恥ずかしそうに「鯛焼」を買い求め、「あめぇ~やぁ!」と、傍らで食べている少年少女に笑顔を見せるように……。

 もちろん、映画関係者の誰かが「差し入れた鯛焼」に何気なく手がのび、気が付いたら食べ始めていた……というシチュエーションの方が自然なのでしょうが。

 ……あれぇ? そういうシーン、何かの映画にありませんでしたか? 確かに、ありましたよねぇ……。 

 では、今日はこのあたりで……。あっ、そうそう。最後にひと言――。

 今回、筆者はwikipediaで初めて知りましたが、五所監督は松尾芭蕉の「奥の細道」(おくのほそ道)の映画化が、晩年の夢であったとのこと。 

 ではみなさん。ごきげんよう。[了]

              ★  ★  ★

 

五所平之助 (ごしょ へいのすけ)/1902.1.24~1981.5.1。 映画監督、脚本家、俳人。俳誌「春燈」同人として活躍、俳号は「五所亭」。代表作の「マダムと女房」「煙突の見える場所」等の監督作品(20本)において、田中絹代を主演に起用。

 ◆映画の動画 「マダムと女房」(56:21)

 この映画は、「画質が粗い」動画となっています。また、タイトル他のクレジットが右から左へと流れています。 

 ◆映画の動画 「大阪の宿」(2:01:44) 

 ・出演:佐野周二、乙羽信子、水戸光子、左幸子他。こちらの画質はまずまずです。

 メモ: 「佐野氏」は、「関口宏」氏の実父。「乙羽」さんはNHKの「おしん」の晩年を演じた女優。少女時代は言わずと知れた「小林綾子」さん。青年・中年期が「田中裕子」さんでしたね。筆者でも記憶しています。いずれも本格的な名優でしたから。

 「水戸光子」さんは、「雨月物語」が印象的でした。「左幸子」さんは「日本昆虫記」でしょうか。正直に告白しますが、佐野氏やこの3女優は大好きな俳優さんです。

  ※「動画」が削除されていたら申し訳ありません。

   

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・新春俳話―下巻(正月の生活と遊び)

2021年01月05日 12時13分32秒 | ■俳句・短歌・詩

 

 鏡餅、雑煮、初夢

 前回までの「上・中巻」は、「新年」の「風物(「時候・天文・地理」)に関する「季語」を採り上げていました。

 そこで今回は「生活・行事」の季語を選び、できるだけ多くの作品に触れてみたいと思います。ただし、本稿で採り上げる「季語」について、若い世代の方々にはピンとこない部分があると思います。

 最初に採り上げる「鏡餅」にしても、今日スーパーなどで売られている「パッケージ・パック化された鏡餅」とは異なります。私が小学一、二年生の頃は、一般家庭等においても、竈(釜戸)などでもち米を蒸し、臼と杵を使ってつくということが、結構行われていました。(※注①)。

                ★

 それでは、さっそく「鏡餅」からまいりましょう。

  鏡餅暗きところに割れて坐す   西東 三鬼

 〝割れて坐す〟という表現に、これぞまさしく〝旧き良き時代〟の「鏡餅」という雰囲気が出ています。

 「鏡餅」は陽に当たりすぎたり、暖房が効きすぎると、当然のようにヒビや割れが早く進むため、極力、日の光や火の気を避けたものです。

 といって、全く人目に触れない所に置いたのでは意味がありません。そのため、床の間や玄関、それに廊下の突き当たりなど、できるだけ室温の低い所(といっても、低すぎてもいけないわけですが)に置かれていました。少なくとも、私が小学低学年時の自宅や祖父の家はそうでした。

 この句の「鏡餅」の場合、ヒビや割れが酷くなっていたのでしょう。それでやむなく〝お役御免〟として「暗きところ」に置き換えられ、「割れて坐す」という姿に成ったのでしょうか。子供の頃、祖父の家において、階段下に〝ヒビ割れてぼろぼろになった鏡餅〟が 置かれているのを見た記憶があります。65、6年前の話ですが。

 「坐す」としたところに、この「鏡餅」が、結構な大きさであることをうかがい知ることができるとともに、〝ヒビ割れてまでよく頑張ったね〟といった〝労いの気持ち〟も感じられます。

 「鏡餅」は大きければ大きいほど、それに比例して〝割れ〟も大きくなるものです。逆に言えば、「鏡餅のヒビや割れの大きさ」は、或る意味〝ステイタス・シンボル〟でもあったのかも知れません。

 〝物そして物事の本質〟を〝有無を言わさずズバリと言い切る〟西東三鬼ここにありと言える秀句です。団塊世代の方々には、本句によって、子供時代の正月の記憶や想い出が甦って来たのではないでしょうか。

 

  青黴の春色ふかし鏡餅   佐々木 有風

 一般家庭において自分たちで「ついた餅」は、言うまでもなく防腐や防黴処理を施すことはありませんでした。そこで当然のことながら〝ヒビや割れ〟だけでなく、〝黴(カビ)〟にも見まわれたものです。といって嫌悪感や悲壮感はなく、子供の頃は〝黴の部分だけ〟を巧みに〝こそぎ落す〟ことを、ゲーム感覚でやっていました。

 その土地や室内の温熱環境にもよるでしょうが、「青黴」が生えるまでには結構時間がかかったように記憶しています。本句の「春色ふかし」に、その時間の経過がさりげなく詠み込まれていますね。

 ところで「春色」とは、〝春らしい柔らかい光や明るさ〟がもたらす「春の景色や趣き」を意味する「春の季語」であり、また「青黴」も、本来、梅雨期を象徴するものとして「夏の季語」になっています。

 とはいえ、ここでの主役はあくまでも「鏡餅」(新年の季語)であるため、「春色ふかし」は、「鏡餅」に係る形容となっています。つまりは〝戸外の景色〟云々ではなく、〝気がつけば、青黴が生えるほど時間が経過していたんだ〟といった感じに受け止める必要があります。

 正直に言えば、当初この句は〝鑑賞文を付けず、例句のみの紹介〟の予定でした。それはやはり、トリプルの〝季重なり〟が気になっていたからです。

 しかし、先ほどの「三鬼の句」をよりよく理解していただくためには、欠かせない句との判断によって鑑賞を加えました。

                ★

 「餅」と来たら、次はやはり「雑煮」でしょうね。

 しかし、こと「季節限定の食べ物」となれば、それこそ〝地域の風土や慣習〟それに〝各人各様〟の好みがかなり異なるため、収拾がつかなくなるおそれがあります。そこでここでは、「例句」のご紹介だけにしておきましょう。

 もし私が、うっかり「博多の雑煮」について語り出すとなれば、今日この「俳話」はとても終わりそうにないでしょう。そのため、ここでの鑑賞は強制終了といたします。

  高砂や雑煮の餅に松の塵        志太 野坡

  脇差を横にまはして雑煮かな      森川 許六

  笹鳴きを覗く子と待つ雑煮かな     渡辺 水巴

  空たかき風ききながら雑煮かな     臼田 亜浪

  (はぜ)だしの博多雑煮は家伝もの 小原 菁々子  

                ★

 次は「初夢」。「上巻」でご紹介した「講談社版・大歳時記」では、「初夢」を〝正月元日から二日にかけての夜見る夢〟と定義付けています。

 しかし、他の「歳時記」では、〝正月二日の夜あるいは節分の夜(昔の節分は正月)の夢〟としています(角川:入門歳時記)※注②)。

 

  初夢のあいふれし手の覚めて冷ゆ   野澤 節子

 夢の中で触れた手と手。それは〝ゆったりと揺蕩(たゆた)うような調子〟からして、「作者」と「異性(男性)」ということでしょうか。とはいえ、その「男性」がどのような人物で、また二人の関係がどのようなものであるのか、もちろん何一つ判ってはいません。

 というより、そもそも「夢そのもの」の多くが〝とりとめもない〟ものであり、〝儚(はかな)い〟存在なのですから。

 それでも〝夢とは潜在願望の充足である〟とするS・フロイトの精神分析学的「夢判断」に従えば、やはりこの場合の「男性」は〝特定の人〟ではないでしょうか。

 私がそう感じた一番の理由は、「覚めて冷ゆ」という下五の表現にありました。どこか〝自分自身をも突き離したような醒めた〟言い回しです。

 そこには、作者の〝口惜しさ〟……もっと言えば〝落胆〟のようなものが感じられたからです。それを、病弱であったと言われる節子の〝生〟そして〝性〟の〝密やかな 心の叫び〟と言うのは言い過ぎでしょうか。

 「あいふれし」は「相触れし」であり、もちろん〝互いに触れ合う〟ことを意味しています。本句では「あいふれし」として、〝だけが触れ合ったような〟表現となってはいますが……。

 「あいふれし」と「ひらがな表記」にしたことによって、「漢字」部分の「初夢・手・覚・冷」の4文字が、不思議な結びつきと響きを感じさせてもいるようです。

 もちろん、それはこの「初夢」に対する節子自身の心の有り様であり、読者へ何かを託しているように私は受け取ったのですが。

 これ以上のことは控えることにして、読者各位のイマジネーションとクリエイティビティにお任せしましょう。

  なお本句鑑賞に当たっての参照句として――、

  初夢や秘して語らず一人笑(え)む      伊藤 松宇 

  初夢の思い出せねどよきめざめ    三浦 恒礼子

 の2句をあげておきましょう。その他〝いかにも初夢らしい〟雰囲気たっぷりの例句として、 

  初夢に見たり返らぬ日のことを     日野 草城

  初夢のせめては末のよかりけり     久保田 万太郎

  初夢の河が光ってをりしのみ      加倉井 秋を

 

 そして――、

  初夢の扇ひろげしところまで     後藤 夜半

 この場合の「」は、作者の二人の実弟が「能楽師」であることを考えると、能楽で使われるものかもしれません。

 「初夢」にかぎらず、およそ「」というものは、この句の「扇ひろげしところまで」のように、〝結末がなんとも曖昧〟という感じのものが大半ではありませんか? そのため〝あの先は、どうなるんだろう?〟という、モヤモヤ感に付き纏われるようです。

 あるいは〝何のためにこういう夢を……〟とか、〝その夢が過去、現在の自分と、どのように関わって来たのか……また将来、どのように関わろうとするのか〟といった「?」を突きつけられることも数多くあることでしょう。

 まさしく、あの「いろは歌」の最終句〝あさきゆめみし、ゑひもせす〟(浅き夢見し、酔いもせず)に通じています。

 

 ところが――、

  初ゆめのゆめの深さに溺れをり  村沢 夏風

 というのですから……。「ゆめの深さに」……「溺れをり」ですよ。あのMr.タモリは、同郷のMr.鉄矢に言うでしょう。

 『……鉄ちゃん。どげん思うね? 初夢ってゆうたっちゃ、たかが夢やなかね。その夢が深いてバイ。そやけん、溺れようて言いよんしゃあ……。あんた、なんか言葉ば、贈ってやりんしゃい……。』

 もっとも、人さまが意見したり慰めたりしたところで、解決する問題ではありませんが。果たして夏風氏の初夢とは、一体どのようなものだったのでしょうか。ず~っと気になっています。

 ついでに言えば、この句も〝ひらがな〟の使い方が巧みです。「初夢」の「夢」を「ゆめ」としたことにより、上五の終りと中七の始めとが、「……ゆめのゆめの……」と、素晴らしいリフレインとなっているからです。

 それだからこそ、下五の「溺れをり」がグンと引き立つとともに、上五へ戻っての「初ゆめの」そして中七の「ゆめの」への流れが、いっそう流麗になっているのです。

 文字を目で確かめながら、ゆっくりと何度も口ずさんでみませんか。作者の気持ちに近づくことができると思います。

          ★  ★  ★

 

 最後は、昔々の「お正月の遊び」について――。

 私の子供の頃、正月には本当に「」を揚げたものです。もちろん何人かの近所の子供や大人達も一緒でした。「」を揚げる「空」と、走り回る「原っぱ」とがあったからでしょう。

 テレビもゲームも携帯電話もなく、コミック雑誌も満足にない時代でした。文字通り目を瞑って〝瞑想〟するとき、実に鮮やかにそのときの原っぱや周辺の光景、そして仲間や大人達の顔の表情や身ぶり手ぶりが甦って来ます。

 しかし、実は「」そのものは「新年の季語」ではなく、「春の季語」となっています。「独楽」や「羽子板・羽根つき」それに「手毬・毬つき」が「新年の季語」になっているだけに、個人的にはちょっと残念な気が致します。

 ところで「独楽」に関しては、特に「正月」だからといって遊んだ記憶はありません。それは、一時期、日常的に遊んでいたからでしょうか。

 一方、女の子達の「羽根つき」や「手毬つき」……。遊んでいた女の子の顔立ちや声の弾みなども、案外記憶に残っています。私と同世代の方々は、みなさん同じではないでしょうか。

 

  羽子板の重きが嬉し突かで立つ  長谷川 かな女

 この句は、小学一年生の頃の私の実体験でもあるのです。もちろん正月であり、着物姿の三人姉妹でした。上は、確か小学4年か5年生だったと思います。真中が私より一つ上、そして下の子は五つくらいではなかったでしょうか。

 三人が手にしていたのは、大きくて分厚い、いわゆる「役者絵」と言われる少し派手なものでした。幾重もの布地の工作が施された、とても豪華な、そして重たそうな「羽子板」でした。「飾り羽子板」であり、実際に「羽根つき」をするものではありません。 

 淑やかな仕草の「上のお姉さん」が、急に〝大人びて見えた〟のがとても印象的でした。下二人も可愛らしく見えたものの、今思えばお姉さんの〝引き立て役〟というところでしょうか。しばらくして着替えに戻ったこの二人は、ふだんの感じで遊んでいたようです。

 この句の「重きが嬉し」に全てが言い尽されていますね。

 関連句として、

  羽子板や唯にめでたきうらおもて    服部 嵐雪

  音冴えて羽根の羽白し松の風       泉 鏡花

  羽子板や子はまぼろしのすみだ川   水原 秋櫻子

               ★

 女の子達の「手毬つき」も、その「唄声」とともに記憶しています。といっても「唄の内容」は、全く憶えてはいませんが。

  手毬唄かなしきことをうつくしく   高浜 虚子

 この句も、正月の句としてはかなり有名な作品です。

 手毬と言えば、女の子が一人寂しく……という記憶はあまりありません。やはり、何人かがあれこれおしゃべりをしながら……あるいは、手毬唄を唄いながらというのが風情も臨場感もあっていいのでしょう。

   手毬つく髪ふさふさと動きけり    山口 波津女

 この句も次の句も、私個人の実景でもあります。「髪ふさふさと動きけり」に、元気溌剌とした少女達が、正月の淑気の中で……。

  姉のつく手毬妹(いもと)の手毬唄      野村 久雄

 住宅街の道路ことに表通りから少し引っ込んだ「路地」など、ごくまれにリヤカーを見かけることはあっても、車が通ることなど皆無と言ってよい時代でした。そこで女の子達が「手毬」をつくとなれば、そのかしましい声や弾んだ様子は、確たる風景となって路地に刻み込まれたのでしょう。

 しかもそれが〝正月の一こま〟となればなおのこと……。いつしか、ご近所間の年始の〝ささやかな挨拶のきっかけ〟となったのは確かです。そしてそのあと、ごく自然に他の子供や大人達が顔を出し、また笑みを浮かべながらそそくさと通り過ぎて行きました。

 それでも時折、近所のおばあさんや大きなお姉さんが、女の子達に交じって「手毬唄」を口ずさんだり、手毬を突いたり……。その様子に気づいた女子の中・高生もが、その輪に加わって来ました……。

 正月ならではの、そして〝あの時代〟ならではの風景だったのでしょうか。

                ★

  締めは「独楽の句」といたしましょう。どうぞ。各位それぞれのご鑑賞を……。

  たとふれば独楽のはじける如くなり    高浜 虚子

  はし汚れたる新しき独楽の紐        後藤 夜半

  手のくぼに重さうしなひ独楽まはる    篠原 梵

  独楽舐(ねぶ)鉄輪の匂ひわれも知る  橋本  多佳子 

  一片の雲ときそえる独楽の澄み       木下 夕爾

  おのが影ふりはなさんとあばれ独楽  上村 占魚

  独楽うつやなかに見知らぬ子がひとり  村上 しゅら

  ふところに勝独楽のあり畔をとぶ     神蔵 器

 ※4句目の「鉄輪」:かなわ。 この独楽は、独楽の「胴」の周囲に「鉄の輪」がはめられているものです。そのため、回っているときに独楽同士が接触した場合、「鉄輪(かなわ)」同士が〝こすれあい〟、その結果〝こすれあう鉄の匂い〟がしたと言う次第です。「(ねぶ)る」は「なめる」と同義。ここでは接触した「独楽」同士が〝こすれあう〟ことを物語っています。

    (完) 2021年1月5日 午前11時52分 花雅美 秀理

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長谷川かな女 (はせがわ かなじょ)/明治20(1887.10.22)~昭和44(1969.9.22)。高浜虚子主宰の俳誌「ホトトギス」において、杉田久女竹下しずの女等とともに、大正期を代表する女流俳人となる。俳人の長谷川零余子(はせがわ れいよし)は夫。

佐々木有風/明治24(1891.4.12)~昭和34(1959.4.13)。新潟県新発田市生。東大法卒。昭和2「雲母」に拠り、飯田蛇笏に師事。昭和28「雲」を主宰する。

後藤夜半(ごとう やはん)/明治28(1895.1.30)~昭和51(1976.8.29)。大阪市出身。大正12より「ホトトギス」入会、高浜虚子に師事する。同誌の日野草城、山口誓子、阿波野清畝等と「無名会」を結成。昭和7に「蘆火」を創刊主宰するも病気のため廃刊。 昭和23「花鳥集」創刊主宰、28より「諷詠」と改称。

 なお喜多流の能楽師で人間国宝の後藤得三、喜多流十五世宗家の喜多実はともに実弟。また後藤比奈夫(ごとうひなお)は子息。 

西東三鬼(さいとう さんき)/明治33(1900.5.15)~昭和37(1962.4.1)。岡山県出身。現・日本歯科大学卒。歯科医。1933三谷昭らが創刊した日野草城選「走馬燈」に投句、翌年、同人となる。「馬酔木」「天の川」「旗艦」「天香」に拠り、伝統俳句から距離を置いた「新興俳句運動」の中心人物の一人として活躍。戦後は「現代俳句協会」の設立に参与。「激狼」「雷光」「断崖」を主宰。

山口波津女(やまぐちはつじょ)/明治39(1906.10.25)~昭和60(1985.6.17)。大阪市北区中之島生。父親が俳句をしていたこともあって、自宅に高浜虚子、村上鬼城が来泊。昭和2、山口誓子に俳句の指導を受け、翌年、誓子と結婚。「ホトトギス」「馬酔木」の同人を経て1948年、誓子主宰の「天狼」創刊と同時に同人となる。

村沢夏風(むらさわ かふう)/大正7(1918.11.14)~平成12(2000.11.29)。東京都出身。保善商業校卒。1942「鶴」に入会し、石田破郷(いしだ はきょう)に師事。1987に村山古郷(むらやま こきょう)没後の「嵯峨野」を継承し主宰となる。

野澤節子(のざわ せつこ)/大正9(1920.3.23)~平成7(1995.4.9)。横浜市生。フェリス女学校二年在学中に脊椎カリエスを病み中退。病臥の身で哲学書等を乱読する中、松尾芭蕉の「芭蕉七部集」と出会って俳句との縁を得、大野林火の「現代の俳句」に感動。臼田亜浪の「石楠(しゃくなげ)」に入会したのち、林火の「濱(はま)」創刊とともに参加、師事。翌年、同人となる。

    女の手年の始めの火を使ふ           野澤 節子

         ★  ★  ★  ★  ★

 

 参考

※注①: 私が小学生の頃、福岡市東区の一部では、基本的に「餅つき」は〝各家庭〟若しくは〝数軒共同〟というスタイルで行っていたようです。とはいえ、「石臼に杵(きね)」それに「もち米」を噴かす「蒸籠(せいろう)」等はどの家庭にあるものではなく、大半の家庭が特定のお宅や農家などから一式を借り受けていました。

 また当時は専門の「餅つき代行屋」も存在し、大きな特製のリヤカーに、「小型の釜戸、石臼、杵、蒸籠など」を積み込んでいました。今でも当時の事はよく憶えています。

※注②: 「合本俳句歳時記」では、「元日又は二日の夜見る夢」/「現代俳句歳時記」では「元日から二日に見る夢」/「ホトトギス俳句季題便覧」では「二日の夜から三日の朝にかけてみる夢」としています。

※参考資料(追加)

「上・中巻」に追加:「入門歳時記」(大野林火監修・俳句文学館編/角川書店)。

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・新春俳話―中巻(女流にみる抒情と余情)

2021年01月03日 12時12分49秒 | ■俳句・短歌・詩

 女流における抒情と余情

  さて、「元日」の鑑賞対象となった五人の俳人は、いずれも男性でした。

 そこで今日は「女流」に重点を置いた巻として、お三方に登場していただきましょう。もちろん私が大好きな「女流俳人」であり、また大好きな「作品」です。

 

 まずは次の一句から――、

  鵜は潜(かづ)き鷗は舞ふを初景色   鈴木 真砂女

 「初景色」とは、「元日に眺める晴れやかな景色」をさす季語です。もちろん、「晴れやかではない」句も可能ですが……。それにしても、いかにも俳句らしい、そしてまことに「新春」に相応しいといえるでしょう。

 「潜(かづ)く」は、「潜(もぐ)る」の古語のようです。(かもめ)も一緒にいるところから、この場合の「(う)」は、「カワウ(川鵜)」ではなく「ウミウ(海鵜)」と考えられます。ということは、やはり「海」を背景としたものでしょう。

 私の住んでいる近くに、国宝の「金印(※注①)」出土で名高い「志賀島」が見える海岸があります。長崎の小さな島で生まれた私は、とにかく子供のころから海が大好きでした。そのため、週に2、3回はここに車で出かけ、砂浜や海に面した丘や雑木林を、健康管理の一環として散策しています。

 実は4日前の旧臘(きゅうろう)30日も、体調がかなり戻っていたので思いきって出かけ、冬濤(なみ)に荒れる早朝の浜辺を、防寒具を着込んで歩き回ったものです。ほとんど人影らしきものもない暗雲立ち込める冬の海は、冬独特の北風や北西風が強く、この十年の散策の中でももっとも寒く、そして荒れた海景でした。

 その海辺に続く小さな湾そして漁港に、旧臘初旬、一羽の「ウミウ」を見かけました。まさに「カワウ」と同じような潜り方で魚を取っていたのです。

 そしてその上空には、悠々と「」が飛んで……。まさしく誰かの歌の〝…♪  かもめは飛んで~ ♪……〟そのものの世界でした。

 「句意」は説明の必要もないと思いますが、簡単に言えば。 

 ――清々しい、静かな元日の海辺――(湾の一角にはちょっとした商易港や、小さな漁港があるのかも知れません)――。そのには、〝ゆったりと流すように、穏やかに舞い浮かぶ〟が。

 一方、下界のには、〝思いついたように、ふいに潜って魚を銜(くわ)える(ウミウ)〟が戯れるように……。

 そのコントラスト豊かな光景が、「元日の景」として目に映るのですから。何と〝ゆとりある穏やかな時間〟でしょうか。

 

             ★

  初景色富士を大きく母の里   文挟 夫佐恵

 「初景色」が「富士山」というのです。一見すると少々〝出来すぎ〟であり、俳句表現的には、「梅に鶯」のように〝即(つ)きすぎ〟となりかねません。

 しかもこの句の場合、「初景色」…「富士」…「大きく」…と、贅沢にもトリプルで畳みかけているのですから。

 ところが、最後に「母の里」を据えたことによって、〝出来すぎ・即きすぎ〟感は一瞬にして霧消したのです。のみならず、この句の底に流れる〝秘められた静かな詩情〟と、〝揺らぐことのない母への慕情〟とが、しっかり結びあわされたといえるでしょう。

 ただでさえ〝荘厳で雄大な富士〟……その「富士山」を〝大きく見据えることのできる母の里」〟。句の表現として、「富士を大きく」と「母の里」の〝あいだ〟には、もちろん「仰ぎ見ることができる」や「受け止め感じ取ることができるほど近い」といった言葉や想いが省略されているのです。

 まさしく、俳句ならではの〝独特な省略〟によって、読者の感性やイマジネーションを巧みに刺激しているとも言えます。

 しかもその「富士山」は、元日、正月に限らず、いつでもどんなときでも、「母の里」に厳然とその姿を現しているのですから。

 「富士を大きく」という表現からは、「富士山」に〝見守られ〟また〝抱かれている〟と言う〝秘かな誇り〟と、〝揺るぎない安堵感〟のようなものも伝わって来ます。作者にとっての「母の里」とは、恰好の「まほろば」なのかも知れません。

                

 ところで読者の中には、ご自身や身近な方の「郷里」が、まさしく〝富士山を仰ぎ見るほど大きく眺めることができる〟と言う方がいらっしゃるでしょう。事実、「富士山」はお気づきのように、地理的には静岡県の4市1町、山梨県の1市1町に跨っているようです。

 静岡側の富士市や富士宮市、山梨側の富士吉田市や富士河口湖町等が当該市町村ですが、地理的に跨ってはいなくとも、「富士山を大きく見上げることができる市町村はかなりあることでしょう。

 今回、この句を採りあげたのも、そういう地理的背景を考慮した上での判断でした。それにしても「富士山」の「絶景スポット」が、ネット上において〝あちこち〟紹介されていますね。

 そういうメディアの訴求力によって、〝富士山に対する日本人独特の親近感や憧れ〟は、より多くの人々に、そしてより深く広く伝わって行くのではないでしょうか。

 とはいえ、中には本句について、「とりたてて言うこともない」と思われた方もあるでしょう。特に趣向を凝らした目新しい〝言い回し〟もなく、ただ淡々と拙いと思えるほどの平凡な表現に徹しているのですから。

 しかし、何と言っても「富士山」であり、それも「初景色」として、あらためて「その雄大な威容を眼前にしながらの想い」となれば、話は違ってくると思います。しかもそこが、最愛の「」と言うのですから……。

 初夢に、「富士二鷹三茄子」(いちふじにたかさんなすび)が出て来れば、縁起よしという〝大和の国〟日本。その「富士山」が、現実の景として今まさに眼の前に聳え立っているのです。

             

 

  初富士にかくすべき身もなかりけり   中村 汀女

 これも素晴らしい一句ですね。 この句については、元日稿の最後に「資料」として記した、「カラー図説 講談社版 日本大歳時記:新年巻」において、加藤楸邨氏の短い鑑賞文があります。

 私の鑑賞文の趣旨も同じと言えるでしょう。というより、どなたが鑑賞しても、最終的には同じような内容になるような気がいたします。それは取りも直さず、本句が〝人間それぞれの人生観や思想・心情〟を超えた〝あるべき人間精神の根源〟に根差しているからではないでしょうか。

 さきほどの「初景色富士を大きく母の里」の句の鑑賞文が、ここでも活きています。

 「元日」の「富士山」を意味する「初富士」――。霊峰としてのその雄大で清麗な姿を前にしたとき、人は何を感じるのでしょうか。おそらくそこでは〝自分はどうあるべきか〟といった、揺るぎない深層の思いが呼び覚まされるような気がするのですが……。

 春夏秋冬を問わず、何ら隠れることもなく、また隠れようともせずに〝堂々たる真実の姿〟を晒し続ける「富士山――。それはまた私達に対しても、〝かくあるべきでは〟と語りかけているのかも知れません。

 少なくとも私自身はそう感じたのであり、また作者自身も同じなのだと思います。下五の「なかりけり」に、作者の並々ならぬ〝覚悟〟とともに、そう言う〝覚悟〟を促した「富士山」への感謝と畏敬の念を込めた措辞として伝わって来るのですが……。

                ★

 

  生きることやうやく楽し老の春      富安  風生  

 「老の春」とは、これまた俳句独特の省略表現により生み出された「季語」といえるでしょう。〝年老いて迎える新春〟といった感じですが、少なくともこの句の場合の〝老い〟には、悲壮感や惨めさは一切ありませんね。

 「やうやく」は、「ようやく」です。それにしても、どうでしょうか。「生きることやうやく楽し」と言うのですから。93歳という天寿を全うした作者は、このとき何歳だったのでしょうか。私と同じ「団塊世代」そしてその前後の方々には、ちょっと……あるいは、う~んと気になるものかも知れませんが。

 「やうやく」に、残りの時間を淡々と生き抜こうとする思いがうかがえます。泰然自若と言ってしまえばそれまでですが、鷹揚に構えた〝心のゆとり〟が伝わって来ます。何とも心地よいと同時に、いつしか励まされてもいるようです。

                

  年立って自転車一つ過ぎしのみ    森 澄雄

 年立って」とは、「年が明けて」つまり「新年」を意味しています。この句の「年立って」は、「元日」と考えるべきでしょう。〝年があらたまった〟からといって、特別な何かがドラマティックに起きたり、また始まることもないようなのですが……。

 そういう凡庸な時の流れの中、〝……ああ、自転車が通り過ぎて行った……誰が、何処に何をしに行くのだろう……〟と、作者は自転車が過ぎ去ったほんの一瞬、漫然と……否、無意識のうちにそう思ったのかも知れません。

 読者のみなさんも私も、以上のように〝漫然とあるいは無意識のうちに感じ、またあらためて気づかされるという実感〟は、日常生活においてしばしば体験しています。そういう〝実感〟が、「元日」という特別な日であったとしたら……ということでしょう。

 そして〝その実感〟は、芥川龍之介の「元日や手を洗ひをる夕ごころ」の、〝あの夕ごころ〟の〝実感〟に通じるのかも知れません。

 本句を口ずさみながら、目を瞑ってみてください。作者が住んでいる「町並み」や、「作者の住まいの様子」までもが、何となく浮かんで来るような気がしませんか。

                ★

  初春や思ふ事なき懐手    尾崎 紅葉

 「懐手(ふところで)」とは、「和服(着物)」の場合をさしています。と言っても、おそらく普段着ている「どてら」(「丹前」に同じ)のようなものでしょうか。その袂に両手を忍ばせて(=差し入れて)、物思いに耽っているようです。

 実はこの「懐手」は、俳句の上では「冬の季語」となっています。本来、手の冷えを防ぐささやかな採暖の意味があるからでしょう。

 私は読んだことがありませんが、作者が「金色夜叉」の作者であることは、或る程度の認知があると思います。しかし、彼が「俳人」であったことは、ごく少数の方しか知らないでしょう。

 「思ふ事なき懐手」に、いかにも「文人」らしい風貌や所作が感じられますね。というのも、正月「三が日」を詠んだものに、次の様な一句があるからです。

  一人居や思ふ事なき三ケ日   夏目 漱石

 「思ふ事なき」は、全く同じですね。漱石の場合は〝一人でいる(一人居)〟と詠んでいますが、紅葉もそのとき、ひょっとしたら〝一人きり〟だったのかもしれませんね。

 とはいえ、家族や大勢の他人と居ても、〝いつでも何処ででも、自分一人の精神世界に没入可能な文人〟のこと。「懐手」をしただけで、スッと〝特別に何か思う事がなくとも、独自の自己の世界〟に入って行けるのでしょう。

                ★

 

 以下は、「作品」のご紹介のみとさせていただきます。各位の自由な鑑賞をどうぞ。

 なお「二日」及び「三日」とは、それぞれ「正月二日」と「正月三日」のことであり、いずれも「正月」の二文字を略した俳句独特の「季語」となっています。 

 また小中学生のみなさんに申し上げますが、先ほどの「三ケ日」(さんがにち)は、「元日」「二日」及び「三日」の三日間を通した呼称ですね。

 

      初景色光芒すでに野にあふれ       井沢  正江

   初富士のかなしきまでに遠きかな      山口 青邨 

  初富士の抱擁したる小漁村         松本 たかし

  初富士の暮るるに間あり街灯る       深見 けん二 

  耽読の一夜なりける二日かな         石塚 友二

   琴の音の松風さそふ二日かな         川上 梨屋

  商いの主にもどり二日かな             広瀬 安子

  炉がたりも気のおとろふる三日かな    飯田 蛇笏

  三日の陽ほのと畳に平けき         上村 占魚

  武蔵野の鏡の空の三日かな        広瀬 一朗

 

 それでは今日はこのあたりで。次は五日の午後のひと時、「下巻」にてお会いしましょう。

         ★  ★  ★  ★  ★

 

尾崎紅葉 (おざき  こうよう)/慶應4(1868.1.10)(※注①)~明治36(1903.10.30)。東京生。小説家、俳人。明治新文学の旗手として、泉鏡花、徳田秋声らを育成。俳句は井原西鶴の談林風を鼓吹。角田竹冷(つのだ ちくれい)らと「秋声会」を起こす。

富安風生(とみやす ふうせい)/明治18(1885.4.16)~昭和54(1979.2.22)。愛知県生。東大法科卒。逓信省時代に俳句を始め、東大俳句会に参加。「ホトトギス」により高浜虚子の指導を受ける。昭和3年「若葉」の雑詠選者となり、のち主宰となる。

中村汀女(なかむら ていじょ)/明治33(1900.4.11)~昭和63(1988.9.20)。熊本県生。大正7頃より句作を開始、翌年「ホトトギス」へ入会。結婚により中断するも、杉田久女(すぎた ひさじょ)の「花衣」創刊に参加して再開。「星野立子(ほしの  たつこ)」「橋本多佳子(はしもと たかこ)」「三橋鷹女(みつはし たかじょ)」とともに「四T」と呼ばれた。

鈴木真砂女(すずき まさじょ)/明治39(1906.11.24)~平成15(2003.3.14)。千葉県鴨川市生。実家は「吉田屋旅館(現・鴨川グランドホテル)」。22歳で結婚するも夫蒸発により実家に戻る。長姉死去により、その夫と再婚して旅館女将に。死去した長姉の俳句関係の遺稿整理が縁で俳句を始める。久保田万太郎の「春燈」入会。万太郎死去後は安住敦(あずみあつし)に師事。

 ◆新涼や尾にも塩ふる焼肴 鈴木真砂女(2015.9.16) クリック

文挟夫佐恵(ふばさみ ふさえ)/大正3(1914.1.23)~平成26(2014.5.19)。小学生の頃より作句を始める。1944年、飯田蛇笏主宰の「雲母」入会。1961年、石原八束(いしはら やつか)と共に「」創刊に参加、同人となる。1998年、八束の死去により主宰を引き継ぐ。99歳で「蛇笏賞」受賞(史上最高齢)。老衰のため100歳で死去。

森澄雄(もり  すみお)/大正8(1919.2.28)~平成22(2010.8.18)。長崎県出身。昭和15年、「寒雷」創刊と同時に投句。加藤楸邨に師事。戦後同人となる。昭和45年「杉」創刊・主宰。九州大学経済卒。

 

※参考

 ※注①:「漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)」と刻印されたもの。

 

 

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・新春俳話―上巻/虚子・芥川/新年のご挨拶

2021年01月01日 12時15分09秒 | ■俳句・短歌・詩

 

 恭 賀 新 嬉         

 新しき年の始まりを寿ぎ、みなさまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

                

 今年は、「オリンピック」の実施が予定されておりますが、いかが相成りますことやら。神のみぞ知ると言うところでしょうか。

 さて、終息の気配を見せないどころか、何やら深刻さを増し始めた感のあるコロナ禍――。それに伴う国内外の諸事情は、混迷の度合いを深めているような気が致します。

 それ加えて新しい内閣の下、国政の成り行き〝いかばかりか〟と、先行きの不安をお感じの方は多いのではないでしょうか。

 ……と、ここで無粋な放談を綴るのも如何なものかと思われますのでこの辺で控え、推移を見守りたいと思います。

 やはり、「一年の計は元旦にあり」。明るく心地よいことに越したことはありませんね。

 そこでこのたびは、この元日」「三日」そして「五日」の3回に分けて、「新年・新春」にちなんだ「俳句」についてのお話をと思います。

 読者各位も、ご自身なりの「鑑賞世界」をお楽しみください。

 ささやかなひととき、何かを感じていただければ幸いです。

          ★   ★   ★

 

 それでは、さっそくまいりましょう。まずは――、

 去年今年貫く棒の如きもの  高浜 虚子

  この句は、以前どこかでご紹介しました。「去年今年(こぞことし)」と聞けば、反射的に「この句」が出て来る方は多いことでしょう。それほどよく知られた句であり、多くの人々に感銘を与えて来た「秀句」です。もちろん、これからもそうでしょう。

 実はつい今しがた、年賀状が来た様子のため思わず中座して取りに行きました。何とその中の一枚に、Sさんという方より「この句」が達筆な筆文字によって認められていました。私はつい嬉しくなって一人悦に入り、久方ぶりにはしゃいでいたのです。

 何と幸せな元日であることでしょうか。……Sさん、ありがとうございます。お返事の書信を送らせていただきます。もちろん、私も筆文字にて。ただし、ご承知の乱筆にて。

 ……さて、お分かりだとは思いますが、「去年(こぞ)」と「今年」とは、1月1日の「午前0時」を境に隔てられた「時間」です。したがって「去年今年」とは、その切り替わる〝一瞬〟あるいは〝いっとき(一時)〟の感慨や趣きを意味しています。

 それにしても見事な表現ですね。「俳句」が「十七音」で成立する「短詩形の文学」であることを、改めて感じさせられます。余計なことは一切言わず、「去年」と「今年」との〝連続した時間の確かさ、その盤石とも言える強さを、ズバリ切り取っています。

 その潔さと、「棒の如きもの」と力強く言い切ったところに、凛とした年頭の雰囲気とともに、さりげなく〝作者自身の覚悟〟が籠められています。

 ここでの「棒の如きもの」とは〝時間的なこと〟に留まらず、そういう「時間」の中で生きている〝作者自身の肉体や精神(魂)〟も含んでいるのでしょう。

 のみならず〝万人共通の覚悟〟として、私達に向かって〝共にかくあるべきでしょう〟と言っているかのようです。そこに、本句の格調高いメッセージ性が潜んでいるのではないでしょうか。

 そして、この虚子の句が出て来れば、もう当然のように「次の一句」が、筆者のたましいに降りて来るのです。

 

  元日や手を洗いをる夕ごころ  芥川 龍之介

 初春、新年、そして正月……と言えば、何はともあれ「この句」を避けることはできないと個人的には思うのですが。

 俳聖「松尾芭蕉」の〝謂ひおほせて何か有る(言いおおせて何かある〟(注①)という〝(言外の)余情〟を、何と静かにさらりと言ってのけたのでしょうか。語り尽くせないほどの感興を呼び起こす余情であり、飽きることがありません。

 

 『……ほらほら、正月の来たろうが。今日は元日バイ。 

 …………ん? ……もうそげな時間ね? 早かね~え。正月の来るとは、遅かったばってん、来たて思うたら、ほんなごつ早かぁ~。 もう、元日の仕舞えようバイ。』

 と、福岡出身のタモリ氏や武田鉄矢氏であれば、あるいは……。

 

 閑話休題――。実はつい最近、行方不明になっていた『芥川龍之介句集―‐我鬼全句』を発見しました。あまりにも大事にしすぎて、押入れの一番奥の「段ボール」に埋もれていたのです。

 その〝発見の経緯〟と〝ブログ記事の一部訂正〟を、当該記事の巻末に記述しております。これまでに、本ブログの「俳句鑑賞(2010年1月1日)」において「この句」をご覧になった方は、この機会にご確認ください。

 また今回、初めて「この句」をご覧の方は、ぜひその「鑑賞文」に目を通していただければと思います。そのため、詳細はその「鑑賞文」に譲りますが、「ひと言」ここでコメントすれば――、

             

 元日、それも夕暮れが近づき始めたひととき――。その〝何とも言えない独特な手持無沙汰の感慨〟――。

 年が改まることによる〝何ということもない、しかし秘かに湧き起こるささやかな想い〟……と言ってもそれは〝頼りないもの〟であり、ことさら期待するほどのものではないのかも知れません。

 そのことを誰よりも解かっているがゆえに、作者は〝取り立てて何かをする〟ということもなく、漫然と元日をやり過ごしたのでしょうか。ふと気が付いたとき、柄杓に掬った水を〝何気なく手にかけていた〟……。

 今日から始まる「新しい一年」が、何と言うこともなく過ぎ去ろうとしている夕べ――。ささやかな願いや思惑とともに、予想もつかない不備や失態が、これから起きないとは限りません。〝生きて行くこと〟とは、〝不確定な日々の到来〟の繰り返しでもあるのですから――。

             

 病的なまでに繊細な芥川独特の感性であり、悟性と言えるでしょう。もちろん、そこに「芥川龍之介」の、そして彼の作品の〝尽きることのない魅力〟もあるのですが。

 ……おっと……。芥川を語り始めたら先に進まなくなりそうです。そのため、ここで「強制終了」と致しましょう。詳細は、下記の記事にてどうぞ。

 本ブログの掲載記事(2010年1月1日)

 ◆元日や手を洗ひをる夕ごころ  芥川龍之介 クリック!

           ★ ★ ★

 

 では、気持ちも新たに――、

  飛び梅やかろがろしくも神の春   荒木田 守武

 この「飛び梅」とは、筑前の国・大宰府に流された菅原道真を慕って、京都から飛んできたという「梅」の故事によるものです。作者は〝遊び心〟によって詠んだのでしょうか。

 「神の春」に新年を寿ぐ意味合いがあり、「かろがろしくも」に、「いとも簡単に都(京都)からはるばると飛んで行ったものよ」といったニュアンスがあるようです。

 とはいえ、筆者には「かろがろしくも」に、〝軽佻浮薄〟や〝真剣味の欠如〟といった思惑を、何となく感じてしまうのですが。下五が〝目出度い〟「神の春」で止まっているため、批判めいた気持ちはないのでしょうが、しかし、気になりますね。

 もっとも、そこが「俳諧」本来のエスプリの香りであり、諧謔の妙というものでしょうか。本句は、現代の「俳句」の原点・原型という意味と、地元人間としての「太宰府愛」を籠めてご紹介しました。

 先ほどのタモリ氏や鉄矢氏なら、「飛んできた梅」に向かって――、

 『……都から? よう飛んできんしゃったねぇ、こげんとこまで。 何てぇ? あんた、道真さんの追っかけね。 ……で、これからどげんすっと? ん? ずっ~と、ここ、大宰府におるてねぇ……。』

 もう60年ほど前になるでしょうか。両親と妹二人に筆者(高校1年だったと思います)の五人で、大晦日から元日にかけて、太宰府天満宮他の「三社参り」に車で出かけたことがあります。途中何回か大渋滞にかかり、運転手の父以外、みんなぐったりしたものです。

 ……しかし、この「太宰府天満宮」そして「梅」と来たら、「福岡んもん」には、条件反射的に「梅ケ餅(うめがえもち)」となるのでしょうか。

 『……鉄ちゃん、あんたどっちの(あん)ね? ? さらし? 』

 『……タモさん、どっちでんよかろうもん。腹に入ったら、同じやけん……。』

             

 

  日の春をさすがに鶴のあゆみかな   榎本 其角

 「日の春」は、「元日の朝」というほどの「其角」独自の「造語」と言われています。この目出度い朝日の輝く中、これまた目出度いと言われる「」が、新年の淑気の中をいかにも相応しげに歩いていると言うのですから……。目出度さも、ひとしおというところでしょうか。

 これに対して、一茶は有名な次の句――、

  めでたさもちゅう位なりおらが春   小林 一茶

 と「おらが春」、すなわち「わが世の春(この場合は新年)」の「目出度さ」を「中くらい」と表現し、庶民としての控えめな視点を語っています。

 いかにも「生活派俳人」として、自分の生活や自分自身をありのままに見つめた一茶らしい俳味です。それは――、

  正月の子供に成ってみたきかな   小林 一茶

 という一句によって、いっそうその特色を裏付けてもいるようです。まさしく、「一茶調」の面目躍如といった感があります。とはいえ、彼の生涯は非常にドラマチックであり、また哀しみに満ちています。

 でもせっかくの「おめでたい日」。別の機会にお話ししましょう。

 その他、以下のような句もあります。作品の紹介のみといたしますが、みなさんご自身の自由な鑑賞をどうぞ……。

 

  大空のせましと匂ふ初日かな       鳳朗

  初日さす硯の海に波もなし      正岡 子規

  大波にをどり現れ初日の出     高浜 虚子

  初空のたまたま月をのこしけり   久保田 万太郎

  初空へ藪をはなるる鵯(ひよ)の声   富安 風生

  初御空どこより何の鐘の音      村沢 夏風

  正月や霞にならぬうす曇       森川 許六

  正月や宵寝の町を風のこゑ     永井  荷風

  正月の太陽襁褓(むつき)もて翳る     山口 誓子

  元日やゆくへもしれぬ風の音     渡辺 水巴

  元日や枯野のごとく街ねむり     加藤 楸邨

  からっぽの空元日の滑り台           榎本 冬一郎

  元日や生涯医師のたなごころ   下村 ひろし

  元朝やいつもかはらぬ遠檜     阿部 みどり女

  元朝の吹かれては寄る雀二羽   加藤知世子

 ※九句目の「襁褓(むつき)」は、赤ちゃん用の「おしめ、おむつ」のこと。

 

  それでは明後日、「三日」にお会いしましょう。

 

       ★  ★  ★  ★  ★ 

 

 ※俳人参考  生年の早い順としております。

荒木田守武(あらきだ もりたけ)/室町時代の文明5(1473)~天文18(1549)。伊勢神宮(内宮)の神官、のち長官となる。「山崎宗鑑(やまさき そうかん)」とともに、俳諧の「始祖」と仰がれる。連歌や狂歌もよくした。

 ☛クリック ◆飛梅(飛梅伝説)【wikipedia】

榎本其角 (えのもと  きかく)/寛文1(1661)~宝永4(1707)。江戸生。1667頃、芭蕉に入門。芭蕉門下の俳人の中でも、特に「蕉門十哲」の一人と言われる。芭蕉没時に、一門の総代として追悼集『枯尾花』を編む。

小林一茶 (こばやし  いっさ)/宝暦13(1763)~文政10(1828)。北信濃(長野県)柏原の農民の子。3歳で生母と死別、継母との不仲により15歳で江戸にて奉公生活を送る。俳句は25歳で葛飾派に入門。しかし、知友を頼って流浪の民となる。

高浜虚子 (たかはま  きょし)/明治7(1874)~昭和34(1959)。愛媛県松山市生。伊予尋常中学在学中に、河東碧梧桐(かわひがし へきごどう)を介して正岡子規(まさおか しき)と文通、子規の命名により「虚子」と号する。明治45、碧梧桐ら新傾向の俳風に「守旧派」として対抗、「ホトトギス」に俳句の「雑詠選」を復活させる。

 この「雑詠欄」(※注②)より、村上鬼城(むらかみ きじょう)、渡辺水巴(わたなべ すいは)、飯田蛇笏(いいだ だこつ)、原石鼎(はら せきてい)等が輩出されるとともに、昭和期の「四S」と謳(うた)われた「水原秋櫻子(みずはら しゅうおうし)」、「高野素十(たかの すじゅう)」、「阿波野青畝(あわの せいほ)」、「山口誓子(やまぐち せいし)」も台頭する。

芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ) /明治25(1892.3.1)~昭和2(1927.7.24)。東大英文科卒。号は「澄江堂(ちょうこうどう)」、俳号「我鬼(がき)」。近代日本の文学に多大な影響を残した。小説「鼻」を夏目漱石が絶賛したことを契機に、終生「漱石」を師と慕う。

 俳句は大正7頃、高浜虚子に師事し、芭蕉やその門下生による「蕉門」俳句に関心を示す。彼の逝去は自殺によるものであり、その命日7月24日は、小説「河童」より名を取って「河童忌(かっぱき)」とされた。

 なおこの「河童忌」は夏の「季語」にもなっており、「我鬼忌」や「龍之介忌」ともいう。

          ※  ※  ※  

 ※注①:この「謂ひおほせて何か有る(言ひおおせてなにかある)」という言葉は、「蕉門十哲」と言われた芭蕉門下の「向井去来(むかい きょらい)」の俳論書「去来抄」から来ています。いわば〝師芭蕉の俳論的な教えの言葉〟を、去来が随行者の「聞き書き」という形式でまとめていますが、芭蕉や他の門人との問答が出て来るため、臨場感に富んだ記述と成っています。

 ※注②:「雑詠欄」とは、当該「俳句誌」の会員や読者が競い合って「投句」したもの。多くの結社誌において、選者が優秀な会員・読者の順に発表する欄となっているようです。

 ※参考資料(本ブログ「上・中・下巻」とも同じ) ・講談社版「カラー図説 日本大歳時記」の新年の巻/・「俳句の解釈と鑑賞辞典」(旺文社)/・「評解 名句辞典」(創托社)/Wikipedia。

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・母親の運転による2歳愛娘の死:下

2020年12月01日 14時56分27秒 | ■世事抄論

  前回(6月27日)の最後の部分において、筆者は以下のように述べていました。

 

    ★ ★ ★

 ――ところで、今回のような事故を未然に防ぐ〝手堅い方法〟として、おそらく多くの方は次のようにお考えになると思います。それは――、

  《子供にあれこれ言葉で注意を促すよりも、親(大人)が車を運転する前に子供を車に乗せ、きちんとシートベルトをかける。》

……と言えば、「そんなことは言うまでもないことだ。」とお叱りを受けるかもしれません。確かに〝ことさら目新しいこと〟を述べた訳ではありません。

 しかし、筆者が〝本当に言いたいことは、実はここから〟始まるのです。(続く)

                                       

   というところで終っていました。この先は、以下の「第1」及び「第2」の「点」となります。

  第1は、 

 《子供を乗せてシートベルトをかける前に、まず次の事をしっかり体験させてから肝心な話をする。》

 というもの。

 その体験とは、子供を「運転席」に座らせ、〝運転者の視点=視線〟を体験させることです。つまりは、「車」というものが、〝いかにその車内からの視界狭いものであるか〟を。

 すなわちいかに見えにくい、危険なものであるか〟を、「その子の目」を通して実際に体験させることです。

  「幼児の」場合は、親が「抱っこ」した状態で運転席に臨むことになると思いますが、その際、「その子の目線高さ」を〝運転する親の目線〟と同じ高さにすることが肝要です。    

    「子供」自身が、単独で「運転席」に座ることができる「小学生」以上であれば、座席に何枚かの座布団を敷けば充分かもしれません。ともあれ、〝子供を大人と同じ運転者の立場にすることが絶対条件となります。

 以上のように、〝運転者の目線〟を充分体験させた状況下で、「しかるべき説明」をするべきでしょう

 「三つ子の魂百までも」という「諺」の通り、できるだけ早い年齢より機会あるごとに、これでもかというくらいに繰り返し体験させることが重要です。「体験」開始年齢が早いほど、より教育効果も上がるというものです。

 

第2は、

 以上のような〝実際の体験〟を、決して「一家族レベル」では終わらせないということです。必ず「複数の家族間」において、〝子供たちの実体験を共有し合う〟ことが肝要です。

 つまりは、「さまざまな車」による「運転手の目線体験」を、一つでも多く体験させることです。それによって、いろいろな種類や大きさの異なった「それぞれの車」に潜む、危険な実態を子供に身体全身で感じさせ、身を持って覚え込ませる」ことです。

                  ★

  以上の「第1」及び「第2」のような〝実際の体験〟を通して、子供たちは〝自分の親の車という限定的な小さな危険〟から、〝車社会そのものが抱えている大きな危険〟を、否応なく思い知らされることでしょう。

 実は、こちらの〝大きな危険〟の再認識と確認こそが極めて実践的であり、またいっそう意義深いと言えるでしょう。

                   

 ともあれ、以上のような体験学習を一度や二度で終わることなく、機会があれば何度でも繰り返すことが肝要です。

 そのためにも、「ママ友」や「ご近所」をはじめ、「学校校区や「地域社会」といった、より広い単位で実施することをおすすめします。

 念のために申し上げますが、以上のことは「車の所有家族だけが対象」ではないと言うことです。もちろん、「総ての子供・総ての家族」が対象であることは、言うまでもありません。

                        

 

 これから年末の慌ただしさにかけて

 ことは人間――それも〝いたいけな子供の生命にかかわる〟ことであるため、関係各位がその重要性を、ここでしっかりと再認識していただきたいと強く願うものです。

 折しも、今日12月1日は「師走」に入ったわけですが、言うまでもなく〝慌ただしい年末へかけての危険な予兆〟が感じられる時節です。

 そのためにも、この記事をご覧の諸兄諸姉の中で、「身近に、小さなお子さんをお持ちのご家族」をご存じであれば、どうか以上について「ひと言」おっしゃっていただければと思います。

 筆者は、数日前より今日「師走」の到来が気になり、何となく落ち着かない日を重ねていました。

 そこで自分に強く言い聞かせて老躯に鞭打ち、何度かに分けて本稿を綴り終えた次第です。正直言って、少しホッとしております。 

 それにしても、前回の本記事「上」より、かなりの時間が経過しております。あらためて、大幅な遅筆遅稿をお赦しください。 陳謝また感謝

 花雅美 秀理 拝

 

 

 

 

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入院している訳ではありません

2020年11月11日 04時46分16秒 | ■つれづれに(日記)

 ブログの更新を長く放置したまま、ご心配をおかけしております。少々体調不良が続いているため、静養に努めて更新を控えております。今しばらくお待ちください。

 入院している訳ではありませんので、ご心配なく。

 以上に加えて携帯電話の調子も悪く、上手く連絡が付かなかったようです。併せてお詫び申し上げます。 陳謝そして感謝

 花雅美 秀理

 

 

 

 

 

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・反差別の系譜(1)/米国空軍士官学校長のSpeech(下)

2020年07月08日 16時18分02秒 | ●脱TV❶:Speech動画

 

 筆者は今回を含めて、20数回このたびの動画を観ました。そして観るたびに米国における〝黒人差別〟の根深さを感じるとともに、〝差別解消〟へ向けた改革のスローモーぶりに、正直言って驚いています。

 と言えば、 米国人をはじめとする一部の方より、『何を勝手なこと』をとお叱りを受けるかもしれません。しかし、つい先日の「Fourth of July」すなわち「独立記念日」( Independence Day)について思いを巡らせていたとき、筆者の関心は、やはりアメリカ合衆国「建国の父」たちが、「独立宣言」の中に掲げたメッセージでした。

 コロナ禍によって、今年の「独立記念日」は盛り上がりに欠けたような気がしますが、この「Fourth of July」の基本的意義や歴史については、〝非米国人〟であっても関心を持っている人は世界的にみても多いようです。

 ここではこれ以上触れませんが、読者各位において1776年7月4日の「独立宣言」に到った経緯と、その〝今日的な意味〟について、今一度振り返ってお考えください。ことに中学生以上の青少年に考えて欲しいというのが筆者の願いです。ヒントは「建国の父」と、その際の「基本的メッセージ」です。

 前置きはこのくらいにして、さっそく「動画」についてお話しましょう。

                  ★   ★   ★

 

 アメリカ合衆国の偉大さを象徴するSpeech?!

 Speechの中でジェイ・シルベリア学校長(中将)も述べているように、このときの聴衆は士官学校生4,000名、教職員及び空軍関係者等1,500名、合計5,500名でした。極めて対象限定的とはいえ、まずこの数の多さに驚かされます。

  さらなる驚きは、学生以外の1,500名もの職員・監督・教官、そして空軍基地・司令本部・航空基地航空団等の首脳陣も参加していたという事実です。加えて、2人の准将や大佐なども列席しており、そういう軍関係者が一堂に会したという事実は、生半可な要因や組織体制では不可能でしょう。

 つまりはそれだけ、空軍中将ジェイ・シルベリア学校長の危機感と、それを少しでも回避しなければとの想いの強さに、筆者はまず感銘を受けました。

 しかし何と言っても最大の驚きは、やはりSpeech内容の〝強いメッセージ性〟でしょう。〝空軍すなわち軍隊本来のテーマ〟とは関係のないものであるにも関わらず、あれだけ強い調子で〝何かを吐き出すかのように淀みなく言い切ったジェイ・シルベリア学校長(中将)の想いに圧倒されるとともに、大いに勇気づけられました。

 彼は、最初の方でこう述べています。

 『(差別的な言動に対しては、)空軍兵としてではなく、人間(human being)として怒るべきだ。

 この一言に、このときのSpeechのエキスが言い尽されています。

 それにしても、何と大胆にそしてまた堂々と言い切ったことでしょうか。しかもその究極が、5回ものGet Out!』(出て行け!)というのですから……。極めて権威あるオフィシャルな場において、これ以上の表現はないと思えるほどの厳しさであり、覚悟と言えるでしょう。

 その表現を、4,000名の学生だけでなく、1,500名もの学生以外の教職員や軍関係者の前で語ったところに、このSpeechの持つ意味と価値があると思います。

 『相手が誰であろうと、私は一切妥協することなく、はっきり告げるよと、一歩も緩まず、まるで「宣戦布告」でもするかのような毅然とした態度です。

 筆者はこのように、〝自由な発想と主張で堂々と語り〟、また周囲もそれを〝当然のようにリスペクトする〟アメリカという国の〝懐の深さ〟が大好きです。まさしくトーマス・ジェファーソンをはじめとする「建国の父たち」のspiritが、脈々と流れています。

 

 power of diversity(多様なパワー)

 さらに今回のSpeechにおいて、筆者が一番惹かれた言葉が「diversity(多様性)」でした。「power of diversity(多様なパワー)」の重要性であり、さまざまな境遇・人種・背景・性別・生まれ育ち等によってバリエーション豊かに創り出されるパワーと言いたいのでしょう。

 『多様性の力があるからこそ、その分だけ強くなれる』という彼は、『狭量でとんでもない考え』よりも、その方がずっとましだと断言しています。

 昨今、〝多様性を排除する〟いくつかの大国の存在を考えるとき、この言葉の重みをひしと感じざるをえません。

                  ★ 

  ところで、今回の「動画」において、特に筆者が注目したのは、学校長(中将)のすぐ右後ろに立っている女性兵士の姿です。学校長のSpeechを〝何かに魅入られた〟かのように凝視しながら聞き入っています。途中で学校長が、教職員を前の方に移動するように促したときも、彼女一人は微動だにすることなく、これまでとまったく同じように静観したまま、右後ろに控えています。

 おそらくこのとき彼女は、学校長(というより、各Speaker)の「付添人」のような役目を果たしていたのかもしれません。ひょっとしたら、中将の秘書的な方でしょうか。学校長のSpeechに、〝心に強く響く何かを受け止めた〟言う〝覚悟ともとれる表情〟がとても印象的でした。

 カメラアングルが変わって女性兵士は映らなくなりましたが、他の女性職員をはじめ多くの教職員の表情には、学校長の強い憤りと危機感を、しっかりと受け止めたという気迫のようなものが感じられました。

               



※注:以下の[注釈」記事は、ジェイ・シルベリア学校長(中将)のSpeech内容をよりよく理解していただくための「key word」情報です。筆者において、若干の省略・修正を加えています

※注① 「シャーロッツビル事件」(白人至上主義者による暴走自動車突入の致死傷事件) 

 (※筆者注:Speechの中でジェイ・シルベリア学校長(中将)は、この「事件名」を3回繰り返しており、また学内において「この事件についての議論」がなされたことが明かされています。)

 2017年8月12日、米南部バージニア州シャーロッツビル市において、「白人極右集会」に抗議する人達に向け、「白人至上主義者」の青年が乗った自動車が突入。何度もバックと突入とを繰り返しながら暴走した結果、死者1人、負傷19人の惨事を引き起こした。これに先立ち、極右集会参加の「白人国家主義者達」と、その「抗議者達」の間で衝突が相次ぎ、少なくとも15人が負傷していた。

 同州のテリー・マコ―リフ知事(民主党)は、「白人至上主義者」に『 帰れ! お前たちは愛国者とは程遠い 』と批判。一方、トランプ米大統領(共和党)が「白人至上主義者」を特定して非難しなかったため、共和党内からも疑問視する声が上がった。またマイケル・シグナー市長は、極右行進を「憎悪と偏見と人種差別と非寛容の行進」と非難。死者が出たことに「打ちのめされている」と述べた。(記事:News Japan 2017年8月13日) 

 クリック! ■記事:米南部の極右集会に抗議、1人死亡 州知事は白人至上主義者に「帰れ」

 

※注② ファーガソン事」(白人警官による黒人少年射殺事件)

  米中西部ミズーリ州セントルイス郡ファーガソンで、2014年8月9日に郡の警察官に射殺された丸腰の黒人少年マイケル・ブラウMichael Brown)さん(18)は、コンビニエンスストアで強盗をはたらいた疑いがあったと、警察が15日明らかにした。

 ファーガソン警察の「事件報告書」では、ブラウンさんが、コンビニエンスストアからの49ドル(約5000円)の「葉巻の箱」盗難事件の犯人のように名指しされている。その約20分後、ブラウンさんは近くの通りで白昼公然と撃たれたとなっている。(※筆者注:別の報道では、ブラウンさんは無抵抗という証言がある。この証言に対して警察は、ブラウンさんが暴れて逮捕に抵抗したと主張。なお射殺した警官は、強盗事件が発生したために現場に向かい、その後被害者との職務質問上のトラブルによって発砲したとのこと)。

警察が公開した防犯カメラの映像には、ブラウンさんが着ていたのと同じTシャツ、カーキ色の半ズボンにサンダル履きの長身のがっちりした体格の黒人男性が、店員のシャツをつかんで押しのける姿が映っている。(記事:AFP・BB News2014年8月16日)

クリック! ■記事:警官に射殺された少年、コンビニ強盗の疑い

 

※注③ NFLの抗議行動」(国歌演奏時の起立拒否)

  米国の「人種差別」や「黒人への警察暴力」に抗議する「ロスポーツ選手たち」と、「トランプ米大統領」が対立。黒人への暴力に抗議して試合開始前の国歌演奏時にあえて地面に膝をつくプロフットボールリーグNFL選手たちに対し、トランプ大統領が「くびにしろ」とツイート。これに反発して9月24日の各地の試合では、多くの選手が国歌演奏中に膝をつき、あらためて抗議の姿勢を示した。プロバスケットボールNBAの優勝チームも、NFL選手への支持表明を機に、予定されていたホワイトハウス表敬訪問を取りやめた。NFLでは昨年(2016年)夏コリン・キャパニック選手が警察暴力に抗議して国歌演奏時の起立を拒否し、膝をついたのを機に、複数の選手がこれに同調。9月24日はそれ以来、最も大勢の選手がこれに賛同した。(記事:News Japan 2017年9月25日

クリック! ■記事:「黒人への暴力に抗議の米NFL選手たち、トランプ氏に反発」

 

 

 

 

 

 

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・母親の運転による2歳愛娘の死:上

2020年06月27日 21時04分27秒 | ■世事抄論

 

 今や全くテレビを観ない筆者にとって、「テレビ・ニュース」と言っても、それは必然ネット配信のものです。各種の情報は、もっぱらこの「ネットニュース」や新聞・雑誌各社からの「配信メール」(※注①)に頼っており、それらを適宜選択しながら観たり読んだりしています。

                        ★

  いたいけな女の子の……

 数日前、母親が運転する車に、2歳の愛娘が轢かれて死亡するというテレビニュースをネットで目にしました。病院の「駐車場」を出ようとした際の出来事のようですが、事件が起きたその市に、同じ年頃のお子さんを持つ知人がいただけに、他人事とは思えませんでした。

 画面で見る限りでは、「病院ビル」内のとてもよく整備された「駐車場」であり、街中と異なって、視界も申し分のない印象でした。

 そのためごく自然に、〝それなのに……なぜ?〟という素朴な疑問が湧き、事故当時の状況を少し調べてみようかと思ったほどです。

 しかし、その気持ちはすぐに消え、逆に〝報道された内容以上のことについて、触れることはできるだけ控えよう〟という気持ちに変っていました。

 2歳の〝いたいけな女の子〟に起きた、あまりにも〝いたましい出来事〟であり、それが〝女の子を産み育て、誰よりもその子を愛していた母親〟によってもたらされたからです。

 ご遺族にとっては、まさしく〝胸の張り裂ける〟ほどの〝痛恨の極み〟であり、形容のしようがないほどの悔恨、未だ……ということなのでしょう。

                        ★

 ……この数年来、老境における我が身の〝情感〟について、これまでとは異なった趣きを感じています。

 そのためでしょうか。最近、以上のようなニュースに接するとき、これまで素朴に感じて来た〝哀しみや口惜しさ〟よりも、〝虚しさや憤り〟をより強く感じる自分に、実は少々戸惑っています。

 といって、誤解を避けるために申し上げますが、〝憤り〟と言っても、それは当事者としての「母親」や「彼女を取り巻く人々」に対するものではありません。

 そうではなく、およそ人間なるものが、〝どれほど細心の注意を払っても〟、そしてまた〝常日頃より「愛するわが子」のためなら我が身を〟と、どれだけ崇高な情愛に徹してみても、それらを非情に奪い去る〝運命のいたづら〟とやらに対する〝憤り〟です。

 まさしく〝生死事大(しょうじじだい)〟として指し示される宿命であり、つまるところは、否応なく受け止めざるをえない〝無常迅速(むじょうじんそく)〟とやらの世界なのでしょうか。

 といって、今回のような出来事を〝過失〟や〝不可抗力〟、さらには〝不運〟という言葉によって片づけたくはありません。

 そのため筆者個人のせめてもの慰めは、《やりきれない》といった言葉だけは、どんなことがあっても使うまいと決意したことでしょうか。

                     ★  ★  ★

 

 ところで、今回のような事故を未然に防ぐ〝手堅い方法〟として、おそらく多くの方は次のようにお考えになると思います。それは――、

  子供にあれこれ言葉で注意を促すよりも、親(大人)が車を運転する前に子供を車に乗せ、きちんとシートベルトをかける。》

 

 ……と言えば、「そんなことは言うまでもないことだ。」とお叱りを受けるかもしれません。確かに〝ことさら目新しいこと〟を述べた訳ではありません。

 しかし、筆者が〝本当に言いたいことは、実はここから〟始まるのです。(続く)

                  


※注釈

※注① 「ニュース」だけでなく、ちょっとした「政治・経済、社会問題」関係の読み物もあり、内容として優れて実務的であり、かつ平易です。筆者はいくつかの無料のものを読者登録しています。


 

読者へ

次回は、

・反差別の系譜(1)/米国空軍士官学校長のSpeech(下)

です。

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・反差別の系譜(1)/米国空軍士官学校長のSpeech(中)

2020年06月21日 10時46分49秒 | ●脱TV❶:Speech動画

 黒人自身による「被差別自作自演」の意味

 前回、(上)においてご紹介した米国空軍士官学校長ジェイ・シルベリア中将の 「Speech」は、その演説の中でも触れられていたように、そしてまた多くの読者も気付かれたように、「黒人差別」に端を発したものです。

 具体的には、士官学校寮内のホワイトボードに、『家に帰れ! ニガー!※注:ニガー(nigger)とは「黒人」の蔑称という「落書き」があり、それに対するジェイ・シルベリア中将の〝学生たちに反省を促す怒り〟から始まったと言えるでしょう。

 ところが、実はこの落書き」はその後、同校の「黒人学生」による自作自であることが判明したのです。当時のAFP伝によれば――、

 【2017年11月9日 AFP】米空軍士官学校の寮で今年9月に見つかった黒人を侮辱する「落書き」について、(中略)同校の広報担当者、アレン・ヘリテージ中佐は、「人種差別的な落書きの標的とみられていた士官候補生のうちの一人による自作自演である」ことが確認されたと述べ、さらに、学生自身が責任を認め、調査によってもこれが立証されたと明かした。 ※筆者注:なおAFPは最後に、「落書き」したことを認めた学生はもう同校に在籍していないと伝えた。          

                    ★   ★   ★

 

  つまり私は、以上のような「重大な事実」を伏せたまま、読者に「Speech動画」を提供したことになります。

 そこで今回は、私がなぜ「重大な事実を伏せて」まで、今回の「動画」を読者に観て欲しいと思ったのか、その理由をお話しましょう。

                   ★  

理由:1 今回のような「被差別(=差別される)」に基づく「事件の偽装」や「虚偽的な言動」は、これまでも「学校」等において、わずかながらも事例が報告されています。

 もっとも、空軍士官学校生自身の「自作自演」となれば、国家すなわち合衆国軍に関する組織そして施設での事件だけに、その持つ意味や影響は想像以上のものがあったのでしょう。

 このような「自作自演」は、何処であれ誰のものであれ、無論赦されるものではありません。報道された当時、黒人の側からも、自作自演した学生に対する非難があったのは当然であり「黒人差別反対運動」に対する背信行為とみなす人々もいたようです。

 しかし永年〝差別され続けている黒人〟にしてみれば、〝差別されているという実態〟は、一刻も早く、そして一件でも多く世に伝えたいと思うのではないでしょうか。そしてその想いは、膨大なエネルギーを秘めているような気がします。

 なぜなら、「黒人」にとって差別され続ける〟ということは、常に否応なく〝生命の危険〟が伴うからです。或るデータによれば、米国において「警察官に射殺」される「黒人少年」の数は、「白人少年」の21倍に上るそうです。

  あくまでも私個人としての意見ですが、黒人による「自作自演的な言動」には、〝やむにやまれぬ緊急避難的なニュアンス〟を感じます。

                    

理由:2 以上(1)の〝経緯〟によって、ジェイ・シルベリア校長(中将)の「Speech」が導かれたとしても、「Speech」そのものの内容や価値が揺らぐことはないと私は思います。それだからこそ、何としても読者に「動画」を観てもらいたいと強く思った次第です。

                    

理由:3  さて今一度、上記の※注:なお、「落書き」したことを認めた学生はもう同校に在籍していないという。】という一節をご覧ください。    

 問題の学生は、この時点で同校すなわち「士官学校の学生」ではないとのこと。学校側が「退学処分」にしたのか、あるいは学生自身が「自主退学」を申し出たのか、それは判りません。

 しかし、私は「この学生」について、個人的には以下のように考えるに到りました。

 それは、学校として「この黒人学生」による「自作自演の事実そのもの」をあらためて採りあげ、「そのような行為に到った原因と背景」についても、「議論の対象」にして欲しいと考えるものでした。

 その考えは、ジェイ・シルベリア校長(中将)の「Speechd動画」を観るたびに強くなり、私は心のどこかで「ジェイ・シルベリア校長(中将)」による、いわば「part:2」とも言うべき「Speech」をリクエストしたいと思ったほどです

                          ★

 私が想い描くその「Speech」とは――、

 2017年9月の「Speech」当時、「4,000人」の士官候補生と、「1,500人」の教職員や関係者「計5,500人」を前に、5回もの渾身の「Get  Out!(出て行け)」を繰り返した、あの〝反差別の魂の叫び〟に通じる……。 (続く)

 

 

 


 

 
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・反差別の系譜(1)/米国空軍士官学校長のSpeech(上)

2020年06月13日 18時56分50秒 | ●脱TV❶:Speech動画

 米国警官の根深い差別意識

 それにしても、ミネソタ州での白人警官による窒息致死傷事件(※註)――。体重をかけた脚でガチガチに被害者の頭部を抑えつけた「動画」の警官の姿に衝撃を受けた。何と言っても、取り調べや尋問云々という「警察官の職務行為」には程遠い、〝常軌を逸した過剰な行為〟に唖然とするばかりだった。

 もはや「非道な所業」としか言いようがなく、およそ「人間に対する行為」という領域を完全に逸脱している。

 あたかもたった今、何人もの人命を奪った殺人犯の拳銃を奪い取って取り押さえた……と言わんばかりの映像であり、筆者の〝遣り切れなさ〟は尋常ではなかった。この歳になって、ここまで心を痛めたことも珍しい。

 今こうして原稿を綴りながらも、 《問題のシーン》 が脳裡に甦って来る。そのため、その〝遣り切れなさ〟はいっそう辛いものとなってしまった。

 しかし、つい今しがた以下のような「追加記事」を知るに及び、これまでの〝遣り切れなさ〟が一瞬にして吹き飛び、筆者はまさしく〝言葉を喪った〟。その「追加記事」とは――、

            ★  ★  ★

 

※筆者において、一部省略、字句補正。

 【(加害警官の)ショービン容疑者は約17年間、警官としての仕事がない時、ナイトクラブの前にパトカーを止めて警備(ガードマンのアルバイト)を行い、(被害者の)フロイドさん2019年に店内で警備員を務めていた。

 ナイトクラブで働いていた、フロイドさんショービン容疑者の元同僚のデビッド・ピニー氏も、2人は互いに知っていただけではなく衝突したこともあると話している

 「彼らは対立していたショービン容疑者はクラブで、客にとても攻撃になり、それが問題になっていたからだ。彼はフロイドのことを知っていた」

 さらに、「どれくらい(ショービン容疑者はフロイドさんのことを)知っていたのか?」とのインタビュワーの質問に、ピニー氏は「とてもよく知っていたと思う」と答えている

 ()上記の記事の翌日、CBSニュースは、元同僚のピニー氏が「2人は知り合いで、衝突していた」という発言を撤回したことを報じた。

                   ★  ★  ★

 動画で見た「容疑者の一連の言動」には、明らかに強い〝憎悪〟の感情に〝傷害〟の意志を持っていたことが分かる。それが次第にエスカレートし、単なる「傷害」の意志から「被害者が死んでもいい」という、いわゆる「未必の故意」に発展して行ったように感じる。

 おそらく、「※注①」や「以上のような経緯」から、フロイド氏遺族の弁護人は、ショービン容疑者に「殺害の意志あり」として「第二級殺人」から「第一級殺人」に切り替えるよう求めたのだろう。けだし、当然の措置と言える。

                 

 年間、百人ほどの警官が公務中に射殺されると言う米国。それだけに警官が自衛のために過剰な反応や行きすぎた行動に出るのはやむを得ないとする風潮が、影のように付いて回わることも歴史の事実だ。

 それと同時に、「米国憲法修正2条」は、国民が「自己の武器を保有し携帯する権利もまた連邦政府によって侵害されてはならない。」ともしている。

 毎年幾度となく取り沙汰される、米国警官による「非道な所業」は、いざとなったら「連邦政府」ですら「闘うべき相手」とする米国民のアイデンティティの裏返しなのかも知れない。……とそう考えたくもなる〝独特の精神構造〟を形成している。それだけに、われわれ「日本人」にはいっそう理解しがたい感情や意識を含み持っているに違いない。

 しかし、そうではあっても、〝そのようなアメリカ的攻守・自衛の思想や警察権力〟について、日本人にはまったく〝考える手掛かり無し〟ということでもなさそうだ。実は最近、今回のような「白人警官による黒人差別的暴虐事件」に接するたびに、真っ先に筆者の脳裡に浮かんでくるものがある。

                 ★

 それが、今回ご紹介する「Speech動画」だ。今回、筆者は「動画」の紹介だけにとどめ、コメントは次回ということに。この動画は、ことに中・高そして大学生の諸君に推奨したいと思う。友人・知人間で一緒にご覧いただき、それぞれの意見を交換する機会があれば……。

 それでは、米国空軍の士官学校校長「ジェイ・シルベリア中将」渾身の5分21秒を!

 👇 動画クリック!

 ◆ジェイ・シルベリア中将(空軍士官学校校長)のSpeech(5:21)

 


※注釈 いずれも本ブログ管理人において加筆修正

※注① [1日 ロイター] - 米ミネソタ州で黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人警官に暴行され死亡した事件を巡り、独立検視官らは1日、遺族の要請を受けて行った検視の結果、死因は「窒息」で、殺人により死亡したと断定した。また死亡原因となるような持病も見られなかったとした。郡検視官によると、外傷性の窒息の形跡はなく、冠状動脈疾患や高血圧が死亡につながった公算が大きいとされていた

 今回検視に当たったアレシア・ウィルソン医師は「形跡から死因は機械的窒息で、殺人による死亡と判断される」と表明。検視に立ち会ったマイケル・ベーデン医師もウィルソン氏の意見に同意するとした上で「フロイド氏に死亡原因となるような持病は見られなかった」と指摘した。

※注②  米国憲法修正条項第2条」(大礒正美氏による意訳) - 連邦政府に対する潜在的抵抗権自由権)を確保する必要から、正当に組織された義勇軍は禁止されてはならず、 (したがって)義勇兵となるべき邦(州)民が、自己の武器を保有し携帯する権利もまた、連邦政府によって侵害されてはならない。

 

 

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・長電話の向こうの女たち(下)/ATAKUSHI

2020年06月05日 18時11分52秒 | ■男と女のゐる風景

 

 ――時間・空間的に、どこまでも〝曖昧さ〟を残した around ……。それに対して、一切の〝曖昧さ〟を拒否する just……。

 何て素晴らしいんでしょう!   それに続く、about な感覚が抜けない around に対し、justice ……つまりは正義 に通じる公平公正だなんて。こういうのを〝秀逸〟な表現って言うのね。

  ……そうなると、アラ・フォー(around 40) では問題ありってことね? ……今だから言うわ。あたくし、ず~っとこの アラ・フォーって言い回しに抵抗があったの。だって、そうでしょ? around って要するに、そんじょそこら って意味だし、下手をすれば〝どうでもいい〟上に〝いい加減〟ってことでしょ? 

 第一 〝アラ〟って言い回しは〝粗〟に〝荒〟……何て〝雑〟なの。それになんたって〝あらっ? 〟って感じでしょ。真実味も落ち着きも、そして節度も感じられなくて。あたくしの〝感覚感性〟に、これっぽっちも馴染まないの。 ああ! やだ、やだ!

 それに比べて ジャスト・フォーティ ……just 40キリがいいことが 正義 そのものなのね。何でもないようだけど、これって、きっと凄いことを言ってるんだわ。

 それに、ここはやっぱり「ジャス・フォー」じゃなく、力強く「ジャスト・フォーティ 」って潔く言い切らなくちゃ! just ……まさしく でしょ? それに きっかり だし、正しい・公正 なのよ。絶対にこれ! あなたも、そう思うでしょ? 

 だから決めたの。あたくし、今日たった今から「アラ・フォー」を辞めて「ジャスト・フォーティ」に替えるわ

 

 え? 何?  『今の今も、まだ アラ・フォー のままなの?』……ってお尋ね? それこそ、あらって? 感じだわ。それって確認なさるってこと? それとも何か疑惑をお持ちになったとか? …… まあ、お忘れなのね。ほんのちょっと前に申し上げたばかりでしょ? 

 あたくしの アラ・フォー は、forever だって! 何だかあたくし、自分のことより、あなたの ageing が心配だわ!

 だから、しっかり憶えてくださらないと……。あたくしは、この瞬間から、forever  around 40 から forever just 40 ってことに。フォーエバ・ジャストフォーティ……。これこれ、! これよ! これしかないんだわ! 

 ね~え。 念のために、口に出しておっしゃってみて!  ことに forever forty に、美しく心地よい stress をかけながら、clear ……。

 

 見て! 見て! foreverforty を! 

 forty って、forever を始めから〝運命的に含み持って〟いたんだわ! 

  それに、たった今調べてわかったことがあるの。 forever  fore forty four の2通りの発音は、まったく同じなのよ! これって、とっても凄~いことだわ!

 念のために、pronunciation に注意しながら、もう1回 口に出しておっしゃって 

 

 ……ああ! 何て心地よく……forever just forty! って言葉が流れて行くんでしょうか!

 ほら、よく言うでしょ?  〝作為のない自然なものって、誰がどんなことをしても、無理なく流れて行くものだって……。あれと同じなのね。 素敵だわ! 今度は、あたくしもあなたと一緒に声を出して pronunciation してみようかしら?

 

 あれっ? ねえ? ちゃんと聞いてる? えっ? 何? 寝ちゃったの? 

   やだ! やだ! やだ~あ! こんないいところで……!

 

 

 

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・長電話の向こうの女たち(中)/「around 40」or「just 40」

2020年05月27日 19時09分18秒 | ■男と女のゐる風景

 

 女性にとっての《不惑》(40歳)

 今回、Aさん、B嬢ともつい最近40歳すなわ「不惑(ふわく)」になったと語った。と言えば、彼女達が〝すんなり〟年齢を明かしたように聞こえるかもしれない。しかし〝電話の向こう〟の二人からは、どことなく《不惑女子》独特の〝複雑な精神世界〟が垣間見える気がした。

 具体的な記述は控えるとして、電話口での言葉の選択やためらいがちの言い回し、それに微妙な声の抑揚など、いつもとはちょっと違うように感じたのは、筆者の過剰反応だろうか。

 もちろん男性にとっても「不惑」は、他の「而立(じりつ):30歳」や「知名(ちめい):50歳」、さらに「耳順(じじゅん):60歳」等とは明らかに別次元の感慨と思惑を誘う。ということは、男性よりもいっそう年齢面のデリカシーを受けやすい(といわれる)女性には、想像以上の〝大きな壁〟が、立ちはだかっているのかもしれない。

 筆者が「女性二人だけの事例」でそう言えるのも、「二十代後半から三十代前半の女性達」の、《不惑》の〝通過点〟に数多く接して来たことによる。その対象となったのは資格試験の受験生であり、大半はインテリアコーディネーター(IC)関係だった。

            *   *   * 

 「アラフォー:around 40」

 ところで最後にAさんと会ったのは、一緒に「演劇」を観に行った3年半前だろうか。B嬢とはほぼ4年前に会ったきりであり、彼女に頼まれて「或る人を紹介したとき」以来のようだ。

 筆者は「アラフォー」すなわち「around 40」という「二人の女性」を、あらためて想い浮かべた。二人はともに、大人の女性の魅力を湛えた女性であり、それでいながらどこか〝少女っぽい初心(うぶ)な一面〟を感じさせてもいた。少なくとも最後に会ったとき、筆者にはそう見えた。

 そう想いながら筆者は、〝現在の二人の面影〟をフォルムし始めた。それとともに、彼女達のこれからの1年、2年、さらに5年、10年という時の流れを思いやったとき、何となく〝二人に会ってみたい〟と思った。

 その機会は〝来る〟のだろうか。〝来る〟とすれば〝何時(いつ)〟だろうか。そう思い遣ろうとしたものの、昨今の我が身の体調を鑑み、それ以上考えることを放棄した。5年いや3年先であれ、そのとき自分がこの世に留まっているとの確信が正直なところなかったからだ。

            *   *   *

 ジャストフォー:just 40」

 2時間ほど経っただろうか。頼まれた原稿チェックを続けながら、あらためてAさんとB嬢のことを思い描こうとした。そのとき、にわかに閃くものがあった。

 それは「アラフォー」すなわち「around 40」と言われる二人の女性が、少なくとも今この瞬間においては、〝ちょうど40歳〟すなわち「ジャストフォー:just 40ということだ。

 筆者は、思いも掛けずに発見した「just 40」という word を、声を出して何度も呟きながら、このことを今すぐにでも二人に伝えたいとの思いにかられた。だがすぐにその〝熱い思い〟を抑え、気を落ち着かせようとして「英和辞書」を手に取った。

 「around」に「just」――。2つの word の〝兼ね合い〟を考え、その持つ〝辞書的〟な意味や用法を確認し始めたとき、筆者はすっかり冷静さを取り戻していた。

            *   *   *

 時間・空間的に、どこまでも〝曖昧さ〟を残した around ……。それに対して、一切の〝曖昧さ〟を拒否する just ……。どこまでも about な感覚が抜けないaround に対し、justice に通じる公平公正かつキリのよい just。

 実は「just」が「justice:正義」に通じることを教えてくれたのは、かつて「米軍キャンプ」の通訳をしていた亡父であり、筆者が中学2年生のときだった。 

            

 元はと言えば、「アラフォー」が女性限定の「アラサー(アラウンド・サーティー):around 30」から始まったことは、どなたもご存じのことだろう。その根拠として、巻末に掲げた「👇参考記事」をごらんいただくと――、

 :【 アラフォーには「何歳から何歳まで」という正確な定義はありませんが、一般的には37歳から44歳までという認識の人が多いようです。(原文のまま。下線・太字は筆者。以下、同じ)

 とあり、「アラサー」については――、

 こちらもはっきりとした年齢の定義はありませんが、目安としては四捨五入して30歳になる年齢、つまり25~34歳までを指すケースが多いようです。】

 誤解のないよう、両記事の「太字部分」を今一度整理したい。

 ●「アラサー」  25歳から34歳まで……

 ●「アラフォー」 37歳から44歳まで…… 

 

  消えた? 35 & 36 years old                        

 不思議なことに、「アラサ―」にも「」アラフォー」にも属さない「整数」が、およそ2つあることにお気づきだろうか。国籍として言えば、「アラサ―国」にも「アラフォー国」にも国籍を持たない people が存在する

 筆者は「難民」となりかねないこの people の真相に迫るべく、得意の情報収集と調査分析の意欲を大いにそそられた。だが次の瞬間、筆者の思考は停止した。その理由は、「難民申請」の可能性を残した「35億の民」を敵に回しかねないとの思いが、一瞬頭をよぎったからだ。

 いやそれ以前に、さる筋からの pinpoint 攻撃の target にされるかもしれないとの報復の恐れに怯んだ。よってこの問題は今回「これにて一件落着」とし、今後は世論の動向を加味しつつ、論じる機会が与えられたそのときには、堂々かつ平和的に持論を展開したい。 (了)


 

読者各位

 goo blog の規定が変わり、これまでのような「👇クリック!」による閲覧ができなくなったサイトがあります。お手数ですが、各位において入力の上ご覧ください。(感性創房:管理人)

👇 参考記事 ※以下の文言を入力の上ごらんください。

◆アラサー、アラフォーとは何歳から?(ハッピーライフ)

  アラフォー女性の特徴&魅力的になる方法

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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・長電話の向こうの女たち(上)

2020年05月20日 14時31分06秒 | ■男と女のゐる風景

 二人の女性との長電話

 ついこの十日ほどの間に、二人の女性との〝長電話〟を体験した。いずれも女性からのコールであり、電話を受けた瞬間、コロナ禍による〝対面接触不足の影響〟かと思った。だが結果として、コロナウイルスに関する生活の変化や関連のニュースについては、ことさら語ることもなく、無論、時間を持て余してのものでもなかった。

            

 その一人Aさん」は、筆者が「宅地建物取引士」の受験指導講師を務めた学校の事務担当だった。現在はフリーランスの webデザイナーとして、サイト・デザインをはじめ、グラフィック・デザインやイラスト制作を手掛けている。

 そのサイトを拝見したところ、独自の感性に基づくイラスト作品やイベントのポスター、それに企業・団体等の案内パンフレットやチラシ等を「croudworks※注①)」によって見ることができた。 ※注①croudworksとは、フリーランス・副業・在宅向けのお仕事検索アプリ。いつでもどこでも自由に仕事の検索やメッセージのやりとりができる。

 数年前、彼女を「演劇」に誘ったことがあり、それ以来の近況報告の交換となった。彼女の子息(ひとりっ子)も、今や中学3年生という。初めて会った頃、小学4年の少年は「建築家」になりたいと語っていた。そのため筆者は、手持ちの安藤忠雄氏設計による「建築写真集」を、いつの日にかプレゼントするつもりでいたのだが。しかし、現在はパソコン関係の仕事をめざしているようだ。

 話題は際限もなく広がって行った。筆者は、この数年ほとんどテレビを観なくなったことを手始めに、ついにはそのテレビを押入れに蔵い込んだことをまず語った。その理由の一つに、民放女子アナの身なりや身のこなし、それに品位や知性等が、筆者の許容限度を超えていたことなどについて、結構ディテールに拘(こだ)わって喋った。

 また「敬語」の用法について、かなり力を入れて語ったように記憶している。今や「美化語」が正式に体系化され、また「丁寧語」とは別に、「謙譲語」から分岐した「丁重語」があることなど。

 そして、その他の話題については、これまで誰にも話さなかったことを、まるで〝最後の弁明〟でもするかのように語り、気がつけば何と3時間以上喋ったことになる。電話を終えたとき、日付が変わっていた。筆者の人生における堂々たる〝第2位〟の〝長電話の記録〟となった。   

            *   *   *

 

 〝コロナ禍〟影響の底深さ

 一方Bさん」(というより「B嬢」)は、筆者がインテリアコーディネーターIC)の受験指導をしたsingle。5年前にヘッドハントされた九州の某社住宅建築設計・施工・販売において、IC業務のかたわら営業事務、それに他社より依頼を受けた「建売ストック」の営業支援をしているという。

 業界的に見ても、昨秋完成の各社「建売物件」は、完売予定の3月末(旧年度の締め)までにその多くが捌けなかったようだ。ことに〝頼み〟の「弥生3月」が、まさしく〝コロナ禍上昇軌道〟の真っただ中にあったため、深刻さの度合いはいっそう厳しかったのだろう。何処(いずこ)も、今まさに同じ〝茨の道〟を辿っている。

 そのためB嬢との電話は、いきおい《売れ残り建売物件》に対する「即戦的販売」の how to 物の感を呈した。筆者の舌は次第に滑らかになり、さながらかって実施した「不動産仲介の営業実践セミナー」よろしく、気が付けば約2時間のほとんどを一方的に喋っていた

 そのため、ほぼ1年ぶりに電話をして来たB嬢からは、特有の〝アラフォー・ジョーク〟は一切聞かれなかった。彼女は途中から完全に「聞き役」に徹し、一旦電話を切って memo を用意したほどだった。

            

 コロナ問題がなければ、おそらく『物件と一緒に〝私〟を引き取ってくれる方を……』くらいの呟きは聞かれたに違いない。だが今や〝さういふ〟段階は、遥か彼方へ追いやられたと言ってよい。

 〝コロナ禍〟によって販売活動もままならず、まさしく〝強制シャットダウン〟寸前の状況にあると語るB嬢――。口調はいつもと変りない〝乙女チックな甘い声〟ではあっても、どこか自若とした雰囲気が感じられた。そのため筆者もスマホを左手に持ち替え、思いついたことを右手で走り書きし始めてもいた。

 何といっても、深刻な現実は「社員やパート」の何人かを、今まさに自宅待機やリストラの対象にしつつあるという。筆者は「電話で話した内容」を中心に、後日きちんと「メール」することを伝えて電話を切ろうとした。

 すると彼女は、『先生……』といって一呼吸おいたあと、申し訳なさそうに、しかし、はっきりとした声で、

 『先生もお仕事でしょうから、メールを送ってくださるときに、報酬のご請求をお願いできますか。社長には、私から正式にお話ししますので……。』

 一気に淀みなく言い切ったその〝ひとこと〟に、彼女の会社がおかれた深刻さと彼女の〝覚悟〟とが、〝電流〟のように筆者の総身を駆け巡った。 [続く] 

 

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・12歳の少女セヴァン・スズキの伝説のSpeech【後編】/グレタ・トゥーンベリ嬢への道のり

2020年05月08日 20時47分05秒 | ●脱TV❶:Speech動画

 今回、私が12歳の少女のSpeech」を採り上げた理由は、次の(A)(B)(C)3点です。

(A)前回までの『世界で一番貧しい大統領の言葉/ホセ・ムヒカ(ウルグアイ)』におけるSpeech(演説)と、今回の「セヴァン嬢のSpeech」とは、共に地球サミット(世界環境会議)」(※注①)の場でなされたもの

 前者は、リオ・デジャネイロでの「第3回:リオ+20」(2012.6)であり、後者は、同じリオでの「第1回」の会議(1992.6)でした。

(B)「ムヒカ大統領」と「セヴァン嬢」の共通点は、「環境問題の内容云々」よりも、それら「問題解決」へ向けた「実際的な行動力の無さ」を厳しく問い糺すものであること。

 この「実際的な行動力の無さ」について、当時76歳のムヒカ大統領政治力」と言う言葉を使って強調し、Speechの中でその言葉を少なくとも3回使っています(※注②)。つまりは、国連加盟国による「国際的解決力のやる気の無さ」を上品に糺したのであり、言外に「国際政治力学上の障害」を示唆したといえるでしょう。

 いま私は〝障害〟と言う言葉を使いましたが、それは一国の大統領という立場に配慮し、〝国際的儀礼〟として多少抑えたつもりです。しかし、当時のムヒカ大統領の〝本音〟は、〝悪弊〟というレベルのニュアンスではなかったでしょうか。その今日的な「悪弊」の一例として、私は中国による「一帯一路」を挙げています。

 それに対して、当時12歳のセヴァン嬢は、実に端的かつシンプルに「大人たちの行動のやる気の無さ」を鋭く衝いたのです。〝憤懣やるかたない〟といった彼女流の〝心の声〟を代弁すれば、

『私達子供の未来を、満足に解決もできない各国の偉いお年寄りが、自分達には関係のないはるかに先の未来へと問題を先送りしながら、もっともらしい理屈をこねまわして、あれやこれやと議論のポーズだけはしている』

 と言った感じでしょうか。(前回の「日本語字幕」の整理編集稿を参照ください。「青太字」部分がそれを物語る指摘部分です)

 そしてこのセヴァン嬢の〝心の声〟を引き継いだとも言えるのが、前回【中編】の最後に触れたスウェーデンのグレタ・トゥーンベリ嬢でした。すなわち――、

(C)1992年6月のセ゚ヴァン嬢のSpeechから、2019年11月「国連」でのグレタ嬢の指摘(紹介peechの動画)までの27年間「世界の指導者達」の「実際的行動のやる気の無さ」は、少しも変わらないということ。

 わずか4分30秒ほどのこの「動画」において、グレタ嬢は〝大人達に期待することを諦めた〟といえるほど〝痛罵に満ちた強い言葉〟を絞り出したのです。

 そのSpeechの際の表情や言葉が、〝嫌悪感〟と〝攻撃性〟と〝絶望感〟に満ちているため、発表当初から今日まで、賛否両極端の評価を受けたことは周知のとおりです。

           * * * * * * *

 

 セ゚ヴァン➜ムヒカ➜グレタ  という〝道のり〟の意味

 この【後編】を含めた今回の3回シリーズにおいて、私がグレタ嬢よりセヴァン嬢に重きを置くのは、1992年6月のリオデジャネイロでの【あのセ゚ヴァン嬢のSpeech】があってこそのグレタ嬢の活動という厳然たる事実を、読者に再確認して欲しいと思ったからに他なりません。

 そのことは、今回アップした「グレタ嬢の2本のSpeech動画(「その1」&「その2」)」をご覧になれば理解できると思います。あくまでも「1992年6月のセ゚ヴァン嬢のSpeech」こそが、カウンターメモリの「ゼロ地点」であり、それすなわち〝カウントダウンの始まりであるということです。といっても、もちろん私が個人的にそう位置付けたにすぎませんが。

 では、それはいったい何の「カウントダウン」の「始まり」なのでしょうか? 

 もうお判りでしょう。それは「セ゚ヴァン嬢のSpeech」から今日までの28年間、地球環境上の改善改革は、未だにまともな行動に結びつかないまま、あれこれ理屈をこねまわすだけのものでしかないということでしょう。すなわち――、

常にいつの時点においてもやる気が無く、「これではいけないね」という「再認識のカウントダウン」だけが、また始まる

……ということでしょうか。要するに〝何も進んではいない〟のであり、もちろんこれからも進むことはないでしょう……と言うのが、限りなく「正解に近い」のかもしれません。

 ……ということで、これから先は読者各位において自由に考えていただきましょう。私は正直言って、これを綴ることに少々疲れたというのが本音です。あとは「グレタ嬢の2本の動画」をじっくりご覧ください。4分35秒+11分12秒=2本併せてもたったの15分47秒 ❢    それでは、これにて……。(了)

 


*上記「本文」の「※注釈」
※注①:「地球サミット」として、これまでに以下「3つの会議」が行われています。
1.第1回地球サミット=「環境と開発に関する国際連合会議(国連環境開発会議)」(1992年にブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催)
 まさにこのとき、12歳の少女セヴァーン・スズキの伝説のSpeechが行われたのです。
2.第2回地球サミット=「持続可能な開発に関する世界首脳会議(リオ+10)」(2002年にヨハネスブルグで開催)
3.「国連持続可能な開発会議(リオ+20)(2012年にリオ・デ・ジャネイロで開催)
 当時のウルグアイ大統領ムヒカ氏のSpeechは、この時の演説でしたね。実はこの会議において、1992年に12歳でSpeechしたセヴァーン・スズキ少女は、20年後のこの会議に参加していたのです。
※注②:4/6の【前編】の中で「青太文字」が(a)(b)(c)と3ヵ所あります


 

👇 参考「動画」クリック!

 ◆動画:洞爺湖からのメッセージ/セヴァン・スズキ(4:37) 

 この「動画」は、2008年7月に北海道の洞爺湖で開かれたG8による「洞爺湖サミット」の際に来日した27歳のセ゚ヴァン・スズキさんが、洞爺湖の畔で語ったものです。彼女はこの中で、15年前に12歳でブラジル・リオデジャネイロでの「第1回地球サミット」において〝あの伝説のSpeech〟をするに至った経緯を語っています。とても興味深い回想です。なおこの動画は、「アースキャラバン実行委員会。特別協賛:パナソニック・キッズスクール」の提供です。 

👇 「記事」クリック! 

◆セヴァン・カリス=スズキ(Wikipedia)

◆デヴィッド・スズキ(Wikipedia)

 デヴィッド・スズキ氏は、セヴァン・スズキ嬢の実父。生物学、動物学、遺伝学、環境問題を研究テーマとする学者。


 

👇「動画:その1」クリック!

◆動画:グレタさん国連・気候行動サミット演説(4:35)

 このSpreechは、2019年9月23日に米国・ニューヨークの国連本部において開かれた「気候変動サミット」での演説(ノーカット版)です。

 ■下記は、上記「動画」の日本語訳全文■ ※「動画」の字幕と多少異なっていると思います。

 私から皆さんへのメッセージ、それは「私たちはあなたたちを見ている」、ということです。私は今、この壇上にいるべきではありません。私は海の向こうで学校に行っているべきです。それなのに、あなたたちは私に希望を求めてここにきたのですか?よくそんなことができますね!
 
 あなたたちは空っぽの言葉で、私の夢そして子供時代を奪いました。それでも私はまだ恵まれている方です。
多くの人たちが苦しんでいます。多くの人たちが死んでいます。全ての生態系が破壊されています。私たちは大量絶滅の始まりにいます。
 それなのにあなたたちが話しているのは、お金のことと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!

 30年以上にわたって、科学ははっきりと示してきました。それに目をそむけて、ここにやって来て、自分たちはやるべきことをやっていると、どうして言えるのでしょうか。必要とされている政治や解決策はどこにも見当たりません。
 あなたたちは私たちに“耳を傾けている”、そして緊急性を理解していると言います。しかしどれだけ私が怒り悲しんでいようとも、私はそれを信じたくありません。
 なぜなら、もしあなたたちが状況を理解していながら行動を起こしていないのであれば、それはあなたたちが邪悪な人間ということになるからです。私はそれを信じたくありません。

 二酸化炭素排出量を10年で半分に減らしたとしても、地球の平均気温を1.5℃以下に抑えるという目標を達成する可能性は50%しかありません。そしてそれによる取り戻しのつかない連鎖反応を埋め合わせることは、制御不能になります。
 あなた方は50%でいいと思っているのかも知れません。しかしその数字には、ティッピング・ポイント(小さな変化が集まって、大きな変化を起こす分岐点)やフィードバックループ(フィードバックを繰り返して改善していくこと)、空気汚染に隠されたさらなる温暖化、そして環境正義や平等性などの要素は含まれていません。
 そして、私たちや私たちの子供の世代に任せっきりで、何千億トンもの二酸化炭素を吸っている。私たちは50%のリスクを受け入れられません。私たちは、結果とともに生きなければいけないのです。

 「気候変動に関する政府間パネル」が発表した、地球の温度上昇を1.5℃以下に抑える可能性を67%にするために残っている二酸化炭素の量は、2018年1月の時点で420ギガトンでした。今日、その数字はすでに350ギガトンにまで減っている。
 なぜこれまでと同じやり方で、そしていくつかの技術的な解決策があれば、この問題が解決できるかのように振舞っていられるのでしょうか。現在の排出量レベルを続ければ、残っているカーボンバジェット(温室効果ガス累積排出量の上限)は、8年半以内に使い切ってしまいます。

 しかしこの現状に沿った解決策や計画は作られないでしょう。なぜならこの数字は、とても居心地が悪いから。そしてあなたたちは、それを私たちにはっきりと言えるほど十分に成熟していない。
 あなたたちは、私たちを失望させている。しかし、若い世代はあなたたちの裏切りに気づき始めています。未来の世代の目は、あなたたちに向けられている。

 もしあなたたちが裏切ることを選ぶのであれば、私たちは決して許しません。
私たちはこのまま、あなたたちを見逃すわけにはいかない。
今この場所、この時点で一線を引きます。世界は目覚め始めています。変化が訪れようとしています。
あなたたちが望もうが望むまいが。(了)


👇参考「動画:その2」クリック!

◆動画:環境活動家グレタ ・トゥーンベリ:「TEDxStockholm」プレゼンテーション(11:12)
 
👉「記事」クリック! ◆グレタ・トゥーンベリ(Wikipedia)

 

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・12歳の少女セヴァーン・スズキの伝説のSpeech【中編】/1992年6月:地球サミット

2020年04月30日 14時23分11秒 | ●脱TV❶:Speech動画

 ひとごとのようにしか語ることのできない大人達

 【前編】の「セヴァーン・スズキ嬢のSpeech動画」、いかがでしたか。個人的な感想を言えば、大人達に対する12歳の少女の不信感……もっと言えばひとごとのようにしか語ることのできない大人達に対する絶望感のようなものを感じました。

 このときの彼女は、「地球サミット」会議最後(若しくはそれに近い順番)のスピーカーかも知れません。そう思った根拠は、会議の様子をとらえた別の動画では、他のスピーカーのSpeechの場合の座席が〝満席〟となっていたからです。しかし、セヴァーン・スズキ嬢のときは、ご覧のように座席はガラガラでしたね。

 ところで筆者の推測ですが、おそらく彼女は前々日、前日そしてこの日の3日間、他のスピーカーのSpeechを「オブザーバー」的な立場で聴いていたような気がします。いえ、主催責任者は、むしろ「他のスピーカー」のSpeechを参考にするよう促したのではないでしょうか。

 そういう意味では、この無名の12歳と13歳の4人の少年少女に「参加とSpeech」の機会を与えた担当事務局の配慮にも、賞賛の拍手を送りたいと思います。その結果、私達はこうして素晴らしいSpeech動画を視聴できるわけですから。

 もしこのとき、主催事務局のトップに特定国との不透明な関係や忖度があれば、この少年少女達は、それこそ「Who are you?」と上から目線で追い返されたかもしれないのです。

           *  *  *

 正味6分30秒の動画には、一貫して少女の〝抑えがたい純真な心情〟がよく表れていました。時折り語調が強くなり、問い糺すような視線を向けていましたね。聴衆たる「各国の会議参加者」や演壇右手の「会議主催者側の人々」は、おそらく彼女の心の底からふつふつと湧き上がる叱責を感じたことでしょう。

 明らかに大人達への〝不満そして怒り〟であり、〝満足な成果〟を残し得なかった大人達の〝やる気の無さ無責任さ〟に彼女は呆れたことでしょう。Speechが進むにつれて、筆者は自分が叱責されているような気がして来ました。

 それはおそらく、子供に対する〝大人としての虚飾や狡さ〟が頭の片隅を掠めていたからかも知れません。同じように感じた方は、多いのではないでしょうか。

 あの動画には、聴衆としての「各国代表者の表情」が映し出されるシーンが20回ほどあります。時間が経つにつれて、彼等の表情に〝事の重大さに気づかされたかのような真剣さが加わり〟さらにその後、まるで蛇に睨まれた蛙のごとく、〝その場に射すくめられたかのような表情〟に変わって行きましたね。

           *  *  *

 

 大人を当てにしない少女の闘い

 12歳の少女は、初めの方で明確に宣言しています。下段「日本語字幕(b)」の「赤文字」をご覧ください。

 この演説には、本音も建て前もありません。

 何の〝(てら)いも駆け引き〟もなく、ただ〝素直に単純明快に〟日頃から自然に感じ、また疑問に思って来たことを、包み隠さず言葉にしたのです。

 彼女が訴えることは、本来、実に〝容易に想像できる単純明快なもの〟であり、それはまた〝誰であれ、どこの国であれ〟、本気でやろうと思えば〝容易に実行できる〟ものです。そうであればこそ彼女は、同じ(b)において次にように言い切ることが出来たのでしょう。

 私は自分の未来のために闘っています。

 筆者はこの一節に、懸命に抑えた彼女の峻烈な「アイロニー」とともに、居ても立っても居られないという「堅い決意」を感じました。

 そのことは、今回の【日本語字幕】編集版をご覧になれば一目瞭然でしょう。特に (d)(e)(p)(q)(r)(s)青太字部分にご注目ください。

 そしてこの12歳のセヴァーン・スズキ嬢の「アイロニー」と「堅い決意」を、20数年の時を経て甦えらせた乙女こそ、いま話題のスウェーデンの環境活動家グレタ ・トゥーンベリ嬢その人と言ってよいでしょう。(続く)

 


【日本語字幕】 ※注 以下は【前編】の「日本語字幕」に、「コメント」や「注釈」のための「太字、色文字、下線」等の編集を加えたものです。

 12歳の少女セヴァーン・スズキの伝説のSpeech(1992年6月:地球サミット)

 (a)  「子ども環境協会(=The Environmental Children's Organization.)」(以下、「ECO(エコ)」)のセヴァーン・スズキです。ECOメンバーは、世界を変えたい12歳と13歳の子どもたち――ヴァネッサ・サティ、モーガン・ガイスラー、ミシェル・クイッグそして私です。私達は募ったお金で5000マイル(約8000㎞)の旅をしてここまで来て、大人の皆さんに訴えに来ました。

(b)   この演説には、本音も建て前もありません私は自分の未来のために闘っています。自分の未来を失うということは、議席や株の儲けを失うのとは違います。これからの世代のために私は訴えます。人知れず泣いている世界の飢えた子供達や行き場を失い死んでいく地球の無数の動物達のためにです。

(c)   オゾン層の穴のせいで、日光を浴びるのが怖くなりました。化学物質が心配で、息をするのも怖いです。地元のバンクーバーで、以前は父と釣りをしました。でも数年前、魚から発ガン性び物質が見つかりました。動物や植物が、毎日絶滅していることを耳にします。

(d)   私の夢は、野生動物の大群や鳥や蝶の舞うジャングルや熱帯雨林を見ることです。でも子供の私達が、将来それらを見られるか心配です。大人のみなさんは子供の頃、そんな心配をしましたか? この現実を目の当たりにしていながら、みなさんは時間も解決法もあるかのように振舞っています

(e)   子供の私には、解決法は分かりませんが、みなさんと同じだと気づいてください。オゾン層の穴をなくす方法も知らないし、汚れた川に鮭を呼び戻す方法も、絶滅した動物を生き返らせる術も知りません。砂漠になった森は元に戻らないのです。 直し方を知らないなら、壊すのはもうやめてください。

(f)   あなたがたは政府の代表かも知れません。企業や団体の代表あるいは記者や政治家かも。でも同時にみなさんは母親や父親です。兄弟や姉妹、おばさんやおじさんかも。そして皆、誰かの子供です。

(g)   私たちは50億人以上の人間や3000万種以上の生き物から成る大家族の一員だと、子供の私でも知っています。国境も政府も、その事実を変えられません。子供の私でも、これは皆に関わる問題であって、全世界が一つの目標に向けて行動すべきだと知っています。

(h)   怒っていても、私の眼は見えています。恐れていても、堂々と自分の気持ちを伝えます。

(i)   私の国では、多くのものを無駄にしています。買っては捨てることを繰り返しているのです。でも先進国は、困っている国と分かち合う気はありません。必要以上に持っているのに、分かち合うのが怖いのです。豊かさの一部すら手放せないのです。

(j)   カナダでは、食べ物も水も家もある恵まれた暮らしができます。腕時計も自動車も、パソコンもテレビもあります。その数を数えるのに2日はかかります。

(k)   2日前にブラジルのストリート・チルドレン(※注と話し、ショックを受けました。その一人がこう言いました。

『お金持ちだったら、ストリート・チルドレン全員に贈り物がしたいんだ。食べ物、服、薬、家そして愛を贈りたい。』

(l)   何も持たない彼らが快く分かち合うのに、何もかも持っている私たちょは、なぜこんなに欲深いのでしょうか? 

(m)   彼らは私と同じ歳の子供ですが、生まれた場所のせいで私とは大きく違う生活をしています。私がリオの貧民街に住んでいてもおかしくありません。ソマリアで飢え苦しんでいても。中東の戦争の犠牲者やインドの物乞いになっていてもです。

(n)   子供ですが知っています。戦争に費やすお金で、環境や貧困問題を解決し、平和条約が結べたら地球はどんなに素晴らしい場所になるかを。

(o)   学校や幼稚園で、大人は子供に良い行いを教えます。例えば、

 ケンカせずに仲直りしろとか、相手を敬えとか、散らかすなとか、生き物をいじめるなとか。独り占めするななどです。

(p)   子供に〝するな〟ということを、なぜ大人はするのですか? この会議に来た意味や誰のための会議かを忘れないでください。私たちはみなさんの子供です。私達が大人になった時の世界を、あなた方が決めています。 

(q)   親たちは子供を〝なだめよう〟として、こう言います。
 『大丈夫。世界はまだ終わらないよ。できることはやっている。』
 でも、もう言い訳は通用しません。私たちのことを少しでも考えていますか?

(r)   『言葉よりも行動に人の心は表れる。』 それが父の口癖です。

(s)  みなさんの行動に心が痛みます私たちを〝愛している〟と言うのなら、どうか行動で示してくださいありがとうございました(了)。

 

*上記再掲「日本語字幕」(編集後)の「※注釈

※注①:「ストリート・チルドレン」とは、「路上生活者」すなわち「ホームレス」のことです。なお参考までに――、

👉記事クリック! ◆ストリート・チルドレン(Wikipedua)


 

👇参考 動画クリック!(Special  Speech)

◆動画 テドロス博士(WHO事務局長)への公開メッセージ(4:22)

 世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が、「台湾から人種差別的な中傷を受けた」などと記者会見で訴えたことに対して、台湾の捜査当局や蔡英文総統らが「根拠がない」と反論、台湾でWHOに対する不信感と反発が広がっている。       

 こうした中、英国で学ぶ台湾人女子医学生が、動画投稿サイトで「私たちはあなたの民族、文化、あるいは肌の色に基づいて疑問を呈したことはない」などとテドロス事務局長を糾すメッセージを公開。動画をYouTube上に投稿した女子医学生は、台湾・宜蘭出身のVivi Lin(ヴィヴィ・リン=林薇)さん(21)。オランダに続き、現在は伝染病について学ぶため英スコットランドに留学中。複数のSNS上で多数のフォロワーを持っている。

【読者へ】上記「動画」画面の下に、「日本語の訳文」が付けられています。

※注 2021.1.28 上記動画の「日本語の訳文」が、いつの間にか「中国語」に変更されているようです。その場合は「動画」の「画面の右下」の「設定の訳語」を「日本語」に変更してください。

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