『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・アイルランド国に/黒人少女体操選手への人種差別❺(最終回)

2023年10月24日 21時40分06秒 | スポーツ

 

アイルランド国として、世界が納得できる解決を

 

 前回❹の「記事の前半」では、【アイルランド体操協会(GI)の「3声明※註①曖昧さを論じ、「解決」へ向けた「問題点」を指摘しました。そこで「最終回」の今回は、以下のように【問題解決へ向けて】を「提言」したいと思います。

 

【提言:問題解決へ向けて】

 《1》問題解決」に当たっては「アイルランド国政府」が中心となってGI:アイルランド体操協会」他の関連組織※註②)を統括する形で、作業が進められる事を願うものです。また実際にそのようなプロセスを辿(たど)のではないでしょうか。そうでなければ、この問題の「真の解決」は難しいような気がします。

 その理由として、本シリーズ❸の「SARI (Sport Against Racism Ireland)」の【声明】を再掲します。筆者が記した【注目☛】の箇所では、以下ⒶⒷように綴られていました。

 

 【注目☛……しかし、2022年3月、「SARI」はスポーツ大臣に対し、この事件についての調査を行うよう要請しましたが、スポーツ省による承認を除いて、それ以上の返答はありませんでした。

 【注目☛……このリクエスト(要請)」は「GI:アイルランド体操協会」の「CEO(最高経営責任者:Chief Executive Officer)」にもコピーして渡されました この事件とそれへの対応は、多様性と包括性を促進するために、どれだけの取り組みが必要であるかを浮き彫りにしました。

 

 上記ⒶⒷ整理すると、以下㋐㋑㋒㋽となるでしょう。

 ㋐事件直後の2022年3月、少なくとも「アイルランド国(政府)」の「スポーツ省・同大臣」は、「①メダル授与スルー事件」「②その関連動画及び「少女選手・家族」からの「③人種差別訴えの事実」を把握していた。

 ㋑しかしスポーツ省・同大臣」及び「GI(CEO=最高経営責任者)」は、SARI 」からの「事件調査の要請」を、実質的には受け入れなかった

 この「㋐㋑2点」すなわち「アイランド国政府)」としての「当初の対応の不備」が、「事件動画の拡散」を助長したように思います。

 ㋒その結果「GI」は、18か月後の2023年9月、国際社会に対する「謝罪声明(2023年9月)」を余儀なくされたのでしょう

 しかし、それでも「真の解決」には到らず、「少女選手・家族」は「GI」が公式に謝罪しなかったとして、スイスの「体操倫理財団」にこの問題を持ち込む意向と言われています(※註③)。

 《2》「アイルランド国政府」主導による「問題解決」の具体的な「第1段階」として、GI」の抜本的な「組織改革」が不可欠ではないでしょうか。

〈1〉そのためには「スポーツ界」に限定することなく、「教育界」や「実業界」等から「公正公平な第三者」を入れ、「組織」を新たに作り上げるくらいの意志が必要でしょう。

 本シリーズ❸❹で採り上げた「GI」の3声明は、問題の深刻さに対する真摯な態度には程遠く、何よりもその解決意欲希薄さには驚くばかりでした。

 事は「人種差別」という極めて深刻かつ重大なテーマです。それに意欲的に取り組まないという姿勢は、いっそう深刻な人種差別」を意味するのではないでしょうか。少なくとも筆者や身近な友人達は強くそう感じました。

〈2〉組織改革」に当たっては、「組織機構自体再編成」をはじめ、「役員人事」や「事業計画」さらには「運営規定」等についての抜本的な見直しも必要となるでしょう。

 以上《1》及び《2》のすみやかな実現のためにも、「アイルランド国政府」主導による「最終的な真の解決」を願うものです。

 筆者が「政府主導」に拘(こだわ)る理由は、「スペインサッカー協会・前会長ルビアレス氏」の「キス騒動問題」の早期解決が、念頭にあったからかも知れません※註④

 「スペイン政府」は非常に早い段階で「キス騒動問題」に関与しており、「司法当局」に対する手回しの良さに感心させられました。スペインサッカー協会執行部」を牛耳った難攻不落のルビアレス氏でしたが、一気に辞任へと追いやられたのは周知の通りです。

 「有無を言わさぬそのスピーディな解決」に、海外のマスコミや人々から多くの賞賛の声があったのは当然でしょう。結局その「スマートでスピーディな処理」が、スペイン国のイメージ向上に貢献し、計り知れない価値をもたらしたように思われるのですが……。

 それに比べて、今回の「黒人少女体操選手」に対する「人種差別問題」。その「解決への道のりの不透明さ」と「有力な解決主体の不在」とが、懸念されるところです。「アイルランド国そのものに対する問題として、「世界の目」が注がれている事を、同国国民のみなさんに訴えたいと思います。

 他国の事をとやかく言いたくはありませんが、今回の「人種差別事件」については、「アイルランド」や「ダブリン」に人一倍想いを寄せる一人として、見過ごすことができませんでした。

 だからこそ筆者は、ここまで5回もの長文の連載を続けることができたと思います。当初3回で連載を切り上げようとしたところ、友人知人の数人より〝包み隠さず詳細に伝えて欲しい〟との強いリクエストとともに、さまざまな意見を聞くことができました。

 同時に彼ら全員が筆者の論旨に賛意を示してくれたことは、何よりもの励みであり、その中の一人(20年来の知己)より三日前、次のようなメールを受信しました――。『最終回は、昔のように舌鋒鋭くを期待!』(※註:下線も「知己」)と。

 久しぶりに目にした〝舌鋒〟の文字に、懐かしさと共に静かなる闘志が湧いて来るような気がしました。その「二文字」に勇気を得、最後を締めくくりたいと思います。

✤✤✤

 今回の「人種差別事件」が、「アイルランド国政府)」としての初期対応の不備にある事は衆目の一致するところでしょう。その最大の要因は、やはりSARIからの「調査要請」に、「国(政府)」として積極的に取組まなかった事にあるのかも知れません。

 あくまでも筆者個人の推測ですが、「アイルランド体操協会(GI)」の「公式の謝罪声明」が、事件から18か月もかかったのは、「アイルランド国政府)」からの何らかの指示によって、GI」が主体的に動けなかったからではないでしょうか。

 しかし、それが事実であったとしても、やはり「アイルランド体操協会(GI)」自体の3声明曖昧さが「課題」を残した事は事実です。

 筆者は礼を失しないためにと曖昧さ」という表現にとどめましたが、これらの3声明に目を通すたびに、実のところ〝やり切れない思い〟でいっぱいでした。

✤✤✤

 

アイルランドのみなさん! 真の行動を

 最後に、筆者の〝思いの丈(たけ)〟を申し上げます――。

 3声明」とは、〝誠実さに欠けた弁解がましさいっぱい〟のメッセージと言わざるをえません。すなわち謝罪声明:2022年3月の「GymSTART イベント」に関するGIの声明そして明確化の声明――マイリード・カバナー】がそれです。

 この3声明の共通点は、「メダル授与をスル―された少女」に対する〝心を込めた思いやり〟など、〝これっぽちも感じさせない無神経さ〟とでも言うのでしょうか。

 そのような〝無神経さ〟すなわち〝配慮の欠如〟は、自らの差別意識や行動を〝止むを得ないもの〟として無意識のうちに正当化することであり、極めて〝危険な潜在意識〟と言わなければなりません。

 そのような〝危険な潜在意識〟が、「GI」をはじめ、「家族・集団・地域・民族・国家」というそれぞれの「人間集団」において、集団内の群衆心理〟として無責任に同調したとき、どのような行動が生み出されるでしょうか

 例の「メダル授与スルー事件の動画」が、実に端的に物語っています。あの時の「メダル授与者の女性」をはじめ、「MEDIAカメラマンの男性」「COACHと思われる男女」「主催者スタッフらしき女性」達に加え、「画面には映っていない人々」……。無論、全ての「大人」だけでなく「メダルを受ける少女」を含む「一定年齢以上の子供達」も含まれるでしょう。

 そういう状況下にあって、〝素晴らしい行動を見せた〟のは「黒人少女」の「右側にいる少女」だけでした。少なくともあの「82秒間の真実」においては。

 〝あの時〟「大人」や「一定年齢以上の子供」達をはじめとする人々すなわち「アイルランドの国民」は、何をどのように考えながら沈黙していたのでしょうか。筆者の関心はただその一点にあると言えるでしょう。

 アイルランド国民」のみなさん。どうか「GI」の「3声明」に目を通してください。といって筆者は、「GI」を非難するために勧めているわけではありません。

 そうではなく、あのような3声明が、そのまま〝世界へ向けて発信され続けているという事実〟の意味を、冷静に考えていただきたい……ただそれだけです。

 そして現在の3声明に代わる〝真心のこもった誠実な声明〟を期待したいと思います。もちろんそのためには、「GI」と「あの少女や家族のみなさま」との「完全な和解」が絶対条件となるでしょう。

 そのためにも、「アイルランド国」の英知と行動力とによって、世界に誇りうる新しいアイルランド体操協会GI)」の誕生をひたすら祈っています。(了)

 

✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤✤

註釈

※註①:本シリーズ❸の謝罪声明と❹の:2022年3月の「GymSTART イベント」に関するGIの声明】【明確化の声明――マイリード・カバナー】を参照してください。

※註②:「SARI (Sport Against Racism Ireland)」や「GAA(Gaelic Athletic Association/ゲーリック体育協会)」などです。

※註③:現地の新聞「アイリッシュ・インディペンデント」は9月24日、少女の母親の話を匿名で報道。それによると、母親は「アイルランド体操協会(GI)」が公式に謝罪しなかったと考えており、スイスの「体操倫理財団」にこの問題を持ち込む意向とのこと。

 ◆【記事】黒人少女にメダル渡さず、「アイルランドの体操協会」大会。協会が謝罪。(BBCnewsJAPAN)(再掲:本シリーズ❶)

※註④:この問題については、前5回シリーズの《スペイン・サッカー連盟会長の母上様へ》をご覧ください。

 

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・バイルズ選手の救い/黒人少女体操選手への人種差別❹

2023年10月18日 19時45分03秒 | スポーツ

 

「アイルランド体操協会(GI)」の3声明曖昧さ

 今回も、前回の【A】【B】2つの「声明」同様、2つの「声明」をご紹介します。いずれも「GI」すなわち「アイルランド体操協会」HPに掲載されたものです。

 初めに採り上げるの「声明」ですが、その要点は「❶~」であり、それに対する「私見」が」となっています。

1.2022年3月の「GymSTARTイベント」で「発生した事件メダル授与スルー)」に関して会員の保護者」から苦情を受け、関係職員を特定して本人に苦情を通知した

 事件が起きた2022年3月の時点では、「GI」は責任の所在を「特定個人の女性」に限定しており、GI自体」の責任を論じてはいません。しかし結果として18か月後、前回「謝罪声明」となりました。

2.特定個人」は、「メダルの授与スルー」が意図的ではなかった事を強調し、(少女選手)がフィールドオブプレイ(FoP)を離れる前に「メダル」を渡した。

 意図的でなかった」など、あの「動画」を見るかぎりとても納得できるものではありません。「黒人少女選手・家族」からすれば、“差別を受けた上に侮辱された”という気持になったのではないでしょうか。

3.特定個人」は、競技者と彼女の家族直接謝罪する機会を要求したが当初拒否されたしかしその後、特定個人」から提供された書面による謝罪競技者とその家族に渡された

 「特定個人」からの「最初の謝罪書面」は、「わずか1行」のメッセージだけであったと、少女の母親は語っていたようです。

 改めて「謝罪書面」が渡されたといっても、それは「最終的な解決」をもたらすものではありませんでした。

4.その後、両当事者(「特定個人」と「少女選手・家族」)調停参加に同意。「調停」は、アイルランドの「スポーツ紛争ソリューションズ」が、GIの「ポリシー/手順」に従って独自に仲介し、2023年8月に両当事者が合意し解決

 前回の:謝罪声明】でも明らかなように、調停」は真の解決をもたらさなかったようです。

5.操選手の健康と安全は、私たちが行うすべての中心。そのためGIは、関係機関やアイルランド警察と継続的に交流し、会員の福祉に関するベストな実行を常に最新の状態に保っている。

 前回の:謝罪声明】における数多くの「謝罪や決意表明」同様、実行力に乏しい「GI」のメッセージとして、素直に受け留めることができないのが残念です。

  

 

マイリード・カバナーさんに関する声明に欠けたもの

 次にの「声明」に移りましょう。この声明は「マイリード・カバナー(MaireadKavanagh)」というGIの「女性役員」が、メダル授与をスルー」した人物ではないことを強調した趣旨となっています。大きな「ご本人の画像」と「明確化声明」というタイトルがそのことを物語っているようです。

 というのも、或る「海外の報道機関」が、問題のビデオのメダル授与者氏名」を「マイリード・カバナー」と明記し、そのニュースが拡散したことが大問題となったからでしょう。とんでもない「濡れ衣(ぬれぎぬ)」でした。

 そのためタイトルの「明確化の声明」は、「濡れ衣」を着せられたマイリード・カバナーさんの名誉を回復するとともに、併せて「GI」組織自体は「メダル授与スルー事件」には決して関わってはいない事(=「GI」の責任は一切ない事)を「明確に示すために不可欠」だったのでしょう。

 マイリード・カバナーさんは元体操選手であり、「オリンピック」や「世界選手権」で審判を務めた国際審判員です。30年以上もの永きに渡ってアイルランド体操界に貢献された方であり、GI」のHPには「体操大会」や「行事」に参加された彼女の写真が数多く見られます。

 彼女は現在、アイルランド「四大銀行」の一つと言われる「アイルランド銀行※註①」の正社員です。

  

 ところで「問題の動画」騒動後、この「黒人少女選手・家族」に素晴らしい支援の手が差し伸べられました。すでにご承知のように、米国の「シモーン・アリアンヌ・バイルズ」体操選手から少女への「ビデオメッセージ」と「コメント」です。

 バイルズ選手は 動画が「バイラル化」※註③した時点で、「少女と家族」にコンタクトを取った事を明かしています。彼女は「見るだけでもとてもつらい映像」とした上で、「少女」へ「ビデオメッセージ」を送ったとの事。さらに『どんな競技であっても人種差別が許される余地はない!』 と訴えています。

 バイルズ選手少女へ送った「動画」の中で、『(動画を見て)とてもショックを受けました。 あなたは他の女の子たちと同じくメダルに値する選手だと知ってほしい。』『あなたがどれだけ一生懸命頑張っているか、私には分かります私はあなたの味方よ。』と語りかけたとのこと。 

 「バイルズ選手」の登場は「少女や家族」のみならず、この事件に関心を持つ世界中の人々にとって最大級の「朗報」であり、何よりもの「救い」となったようです。

 この「世界体操女王」の投稿は大きな注目を集めました。『多くの若い体操選手たちにとって、すばらしいロールモデルでいてくれてありがとう』『あなたこそ真のヒーロー』といった反響を呼んでいるとのこと。筆者もこのニュースを目にした時、この「差別問題」からやっと少し救われた思いがしました。

 そして、それからしばらく経ったとき、筆者の脳裡にごく自然に浮かんだ「或る情景」があります。それは「元体操選手」であり、現在は体操の「国際審判員」というマイリード・カバナー」さんが、「あの少女」に体操の指導らしきことをしている「シーン」でした。

 その少女は、多くの仲間の少女選手に見守られる中、活き活きとした表情で自信と希望に満ち溢れた動作を繰り広げながら……。

(続く)



 

〔参考

及びいずれもGI=アイルランド体操協会」のHPの自動翻訳です。一部を「Google翻訳」とし、筆者に於いて微調整のうえ編集。



2022年3月の「GymSTART イベント」に関するGIの声明】〔全文〕2023年9月22日 15:48p.m. 「下線・太字・色文字」は筆者によるもの。

 18か月以上前に2022年2023月の「GymSTARTイベント」で発生した事件に関連してソーシャルメディアに投稿されたビデオを認識しており、会員の一人保護者から苦情を受けました。その後、両当事者は、2023年8月に両当事者が合意した解決につながった当社のポリシー/手順に従って、「スポーツ紛争ソリューションアイルランド」によって独立して促進された調停に入ることに同意しました。

 バックグラウンド

 苦情は、イベントでの私たちの役員の一人による人種差別的な行動を主張しました。電子メールを受信すると、苦情に関するポリシーと標準的な慣行に従って、問題を調査しました。「アイルランド体操協会」はすぐに家族に連絡し、懸念を表明し、問題が調査されていることで安心させました。

 関係する職員を特定し、問題の個人に苦情を通知しました。問題の当局者は、起こったことが受け入れられなかったことを完全に受け入れたが、それは意図的ではなかったと強調した。関係者は、間違いに気付いたらすぐに修正し、彼女がフィールドオブプレイ(FoP)を離れる前に、関係する競技者にメダルが提示されるようにしたと述べました。

 当局者はまた、彼らが正直な誤りと表現したことに深い遺憾の意を表明し、競技者と彼女の家族直接謝罪する機会を要求した。この要求は当初拒否されました。

 その後、特定された個人から提供された書面による謝罪競技者とその家族に発行されました。

 私たちは、この件に関して連絡を受けた後、さまざまな報道機関に加えて、「スポーツ・アイルランド」や「国際体操連盟」を含む、この事件に関するさまざまな関係者との連絡を常に取り続けて来ました。

 その後、両当事者は調停に参加することに同意しました。この調停は、アイルランドの「スポーツ紛争ソリューションズ」が、当社の「ポリシー/手順」に従って独自に仲介し、2023年8月に両当事者が合意した解決につながりました。

 「アイルランド体操協会」メンバーの安全確保

 「アイルランド体操協会」で私たちが行うすべての中心は、36,000 人以上の会員の福祉です。私たちは、幼い子供から始まり、主に子供とティーンエイジャーで構成される、会員ベースに対する配慮義務を常に認識してきました。

 私たちはこれまでも、そしてこれからも、あらゆる人種、年齢、性別、セクシュアリティ、社会経済的グループをカバーする非常に多様な会員のコミュニティを備えた、非常に包括的なスポーツであり続けます。私たちの「安全対策」ポリシーは、コーチや体操選手だけでなく、クラブ、役員、管理者、親/保護者、イベントに参加する人々にも期待される行動の明確な基準を定めています

 体操選手の健康と安全は、私たちが行うすべての中心です。そのために、私たちは「スポーツアイルランド」、「トゥスラ」、「ガルダイ(:アイルランド警察)」、その他の州の機関/パートナーなどの団体と継続的に交流し、会員の福祉に関するベストな実行を常に最新の状態に保っています。



 

明確化の声明――マイリード・カバナー〔全文〕2023年9月24日 14:23p.m. ※註:太字」は原文翻訳文のまま。「下線・色文字」は筆者。

 「アイルランド体操協会」は、マイリード・カバナーが、ここ数日ソーシャルメディアで拡散したビデオにより多くの話題となっている、2022年初頭の「GymStartイベント」での「事件」とはまったく関係がないことを断固として述べたいと思います。実際、彼女は問題のイベントに出席していませんでした※註①

 一部の個人がそうであったように、そうでないことを示唆することは潜在的に名誉毀損※註①であり、「アイルランド体操協会」はこの問題をガルダイ(アイルランド警察)に通報しています。

 マイリード・カバナーは、オリンピックや世界選手権で審判を務めた、非常に尊敬されている国際審判員です。彼女はアイルランドで30年以上体操に携わってきました。

 「アイルランド体操協会」は、ビデオによって提起された強い感情を十分に認識していますが、情報に基づかない憶測や完全に無実の人の名前を挙げることはまったく受け入れられず、そのような虚偽のニュースを広める匿名の人々※註①には何の信用もありません

 「アイルランド体操協会」は、あらゆる形態の人種差別を非難します


記事】:黒人少女スルー表彰式に体操女王が苦言 少女へ送ったメッセージに反響「あなたこそ真のヒーロー」「すばらしいロールモデル」ねとらぼ



註釈

※註①:「アイルランド銀行(Bank of Ireland:BOI)」は、「アライド・アイリッシュ銀行(Allied Irish Banks:AIB)」と共に、アイルランドにおいては「主要四大銀行(Big Four)」の一つと呼ばれています。同国での「口座開設」には、この「BOI」や「AIB」が好んで選ばれるそうです。

※註②シモーン・アリアンヌ・バイルズ(Simone Arianne Biles, 1997年3月14日 - )は、アメリカの女子体操選手。2016年リオデジャネイロオリンピック体操競技で女子団体・個人総合・跳馬・床で金メダルを獲得し4冠を達成、世界体操競技選手権では2013年から2023年現在までに通算で30個のメダルを獲得し、男女を通じて史上最多のメダル獲得者(うち23個の金メダルも男女を通じての史上最多の獲得者)。wikipedia

※註③:「バイラル」は「ウィルス性(viral)の」という意味であり、あたかも「ウィルス(virus)」が感染症によってじわじわ広がって行くように、webマーケティングにおいて「口コミによる情報の拡散」を指しているようです。

 

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・解決のカギはどこに?/黒人少女体操選手への人種差別❸

2023年10月13日 20時06分38秒 | スポーツ

 

  「人種差別問題」のカギを握るのはSARI

 今回は「声明」文の引用のため、文章が少々文長くなっています。AGIの謝罪声明SARI理事会によるGI差別事件に関する声明という「2つの声明※註①」をご紹介します。

 「GI」は、すでに何度も出て来たように「アイルランド体操協会」を指しています。また「SARI(サーリ)※註②とは、Sport Against Racism Ireland」であり、あえて日本語に訳せば「反人種差別スポーツ・アイルランド」となるでしょうか。

 それでは「GI」が、2023年9月25日付けで「HPホームページ)」に掲載した、次のA:謝罪声明をまずご覧ください。念のために申し上げますが、この「謝罪声明」は「黒人少女の体操選手とその家族」に宛てられたものではなく、あくまでもGIのHP」において「一般社会=国際社会」に向けて発信されたものです。

 

           

AGIの「謝罪声明」全文2023年9月25日11:01a.m.

 2022年3月に開催された「GymSTARTイベント※註③」で起こった出来事によって体操選手ご家族に動揺を与えてしまったことを、「アイルランド体操協会」の理事会とスタッフを代表し、深くお詫び申し上げます。


 あの日起こったことは、あってはならないことであり深くお詫び申し上げますまた、その日以降に起こったこと※註④がさらなる動揺を招いたことも申し訳なく思っております。
 この非常にデリケートで難しい問題を解決するために私たちは常に誠意を持って最善を尽くしているということをご理解ください


 私たちは事件後、対面での謝罪を申し入れ、これが最善のアプローチであると考えました。そして調停がこれから次に進むための最善策だと感じています。


 注目☛ 私たちにはもっとやるべきことがあるとわかりましたこのような出来事が二度と起こらないよう私たちは全力を尽くすことを約束します。今年初めに任命した専門家私たちの方針手続き見直しました
 その結果出されたいくつもの提案を受け、このようなことが二度と起こらないよう実施に向けて真摯に取り組んで参ります。


 また体操選手家族およびSARI(Sport Against Racism Ireland)」と協力しこの件に関して(私たちの手順をどのように改善できるか彼らの提案を受け入れたいと思います


 私たちは、この体操選手が「アイルランド体操協会」のイベントに参加し続けていることを嬉しく思っており、これからまたもう一度彼女をイベントに迎えられることを楽しみにしています
 最後に、「アイルランド体操協会」はいかなる人種差別も非難することを断言します。

 

           

 

 なお以上の【謝罪声明】には、「現地メディア」を通じて「黒人少女選手の母親」より、次のような非難がなされています。

GI世界中から非難を受けたため、謝罪をしてきました。“体操に参加する黒人の子供の安全を約束します”といった内容を期待したが、含まれてはいなかった。』

  

 【謝罪声明】の半ばの注目☛には、今年初めに任命した専門家私たちの方針手続き見直しましたその結果出されたいくつもの提案を受け、このようなことが二度と起こらないように実施に向けて真摯に取り組んで参ります。

 とあります。しかし、この「謝罪声明」において「必要不可欠な事」は、

 GI任命した専門家の氏名・身分・肩書き及び任命の経緯

 見直しの対象となった方針・手続き問題指摘及び今後の防止対策

 結果として出された複数提案概要と、GIとしての対応

 を具体的に明記すべきではないでしょうか。それらの記述が全くない事実に筆者は大いに疑問であり、声明文の最後「組織名」も「代表責任者氏名」も記されていないことに不信は膨らむばかりです。

 非礼を顧みずに言えば、青文字で示された常識的な謝罪・反省・決意の言葉」を数多く並べただけであり、内容の乏しさ失望しました。

 「少女へのメダルスルー」から「謝罪声明」発信まで18か月を要したGI今や「問題の発端となった人種差別事件」と「その後のGIの対応」が、“世界的レベルの注目を集めている”というのに。GIとしてどのようにお考えなのでしょうか。

 以上の“不信感と失望”は、SARI(Sport Against Racism Ireland)」によるSARI理事会GI差別事件に関する声明目を通したとき、少し救われる思いがしました。

 結論的に言えば、SARI理事会によるGI差別事件に関する声明には、GIには見られない「問題解決を真剣に目指す」意欲と責任が感じられたからです。

 ではそのをご覧いただきましょう。ただし、「GI差別事件」に関係の無い記述については、「一部を省略」いたしました。今回は「筆者のコメント」を控え、要点を指摘する「下線・太字・色文字」等に留めておきますので、読者に於(お)いてA】【2つの【声明】を比較の上お考えください。

 

           

 

BSARI理事会によるGI差別事件に関する「声明」

一部省略2023 年 9 月 27 日

 SARI (Sport Against Racism Ireland)」 の理事会は、「政府」がダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(包括性のトレーニングを教育システムの基本的な部分にする必要があると考えています。 これは、社会で発生している深刻な問題に対処する唯一の方法であり、2022年3月6日に世界中の注目を集めた「アイルランド体操協会GI)」による「GymSTART大会」での1人の少女の扱いに最も顕著に表れています。 ご家族の希望に従い、子供に影響を与える可能性を考慮し、「アイルランド体操協会」大会での少女の動画は投稿しませんでした。

 注目☛ しかし、2022年3月SARIスポーツ大臣に対し、この事件についての調査を行うよう要請しましたが、「スポーツ省」による承認を除いて、それ以上の返答はありませんでした

 注目☛ この「リクエスト(要求)」は「アイルランド体操協会」のCEO(最高経営責任者:Chief Executive Officer)にもコピーして渡されました。 この事件とそれへの対応は、多様性包括性を促進するためにどれだけの取り組みが必要であるかを浮き彫りにしました。

(中略)

 スポーツは、多様性包括性を促進およびサポートするための強力なツールです。 SARI は、包括性に対する開発されたアプローチを持つ「 GAA 」※註⑤と長年協力してきました。 私たちは現在、アイルランド全土のクラブに「GAA 対差別」ワークショップを提供する新しいプログラムを共同で試験的に実施しています。

(中略)

 SARI の主な役割の 1 つは、あらゆる形態の差別が容認できない共生社会の価値観について情報を提供し、教育することです。注目☛ アイルランドはこの探求において、ある種の岐路に立たされています。 政治的には、私たち国民が選んだ政策変更により、ここ数十年で大きな進歩が見られましたが、行動の面では懸念の余地があります。

 私たちは、最近発足した政府の「アイルランド反人種差別基金」を、人種差別に対する国家行動計画を実施し、アイルランド全土で地域社会の取り組みを支援する上で重要な要素として歓迎します。 私たちは、違いを受け入れ、多様性を尊重することで、コミュニティがより包括的な空間になるよう支援することにある程度の成功を収めてきましたが、アイルランドにおける社会的包摂を促進するには、さらなる投資が必要です。

 SARIは今後も体操事件の家族、そして排除行為によって傷つき孤立したすべての人々と協力し、支援していきます 私たちの使命は、すべての人が参加できるようにすること、そして子供でも大人でも、他人の行動によって排除されていると感じる人が決して残されないようにすることです(続く)

           

 



参考上記2つのオリジナルサイト(【B】の全文を見ることができます。もちろん「自動翻訳」によるものです。)

A:GIの「謝罪声明「アイルランド体操協会(Gymnastics Ireland:GI)」(※註①

【B:SARI理事会による「GI差別事件に関する声明「アイルランド・スポーツ反人種差別:Sport Against Racism Ireland (SARI)」※註②


註釈

※註①:「翻訳文」は基本的には「自動翻訳」となっていますが、部分的には「google翻訳」を併用するとともに、筆者において多少の字句の修正を行っています。ただし「原文」のニュアンスを損なわないために、必要最小限に留めました。

※註②SARI」:非営利の慈善団体。人種差別攻撃の増大に直接対応するために 1997 年 7 月に設立。異なる文化や背景を持つ人々が集まるスポーツや文化イベントを開催。政府機関や国内スポーツ団体に対し、反人種差別に組み込むよう奨励する 専門分野。「SARI」は、外国人排斥、人種差別、文化的多様性の問題に取り組み、スポーツを通じて異文化間の対話と積極的な市民権を獲得するためのプロジェクトやイベントを数多く主催。※註SARI」サイトを筆者において一部省略・整理編集。

※註③:「メダルスルー事件」が起きた「体操大会」。

※註④:「メダルスルー事件」の【動画】が拡散したことを指していると思われます。

※註⑤GAA(Gaelic Athletic Association/ゲーリック体育協会)」。「ゲーリック (Gaelic)」 は、言語や文化を含む「ゲ―ル人(Gaels)(※註)に関する」という意味の「形容詞」であり、「名詞」としては、「ゲール人」によって話される言語のグループあるいは個別の言語を意味。 「ゲーリック・ゲームズGaelic Games)」という「アイルランド」で行われている伝統スポーツがあり、現在ではアイルランドで最も人気のあるスポーツ。

※註:★「ゲ―ル人」は、「北西ヨーロッパ」に先住したケルト系民族ケルト語派に属すゲール語を話す。ゲール人は子孫として現在のアイルランド人スコットランド人を含むが、これらの国民が指す範囲はより複雑となっている。

※註:「★印」は「wikipedia」を筆者に於いて要約・整理編集しました。

 

 

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・不作為の差別意識/黒人少女体操選手への人種差別❷

2023年10月08日 15時13分00秒 | スポーツ

 

82秒間が物語る“差別の真実”

 

 以下は巻末〔参考〕欄に再アップした【動画A】の進行を追いながら、「82秒間の真実」を再検証したものです。筆者個人の感想を交えています。

 ▶0:00~」は、【動画】の「進行time」を指しています。



▶0:00~:【動画】のスタートは、メダル授与者のⒶ女が、「少女にメダルを掛け終えた瞬間を映し出しています。Ⓐ女は次の瞬間、メダルを掛けるべき「黒人少女⑤」をちらっと見ただけでスル―しました。しかしこの時、何か「ひと言」告げたのかもしれません。

 Ⓐ女少女にメダルを掛けている間、少女は、前傾姿勢のとなって見えません(0:08頃)。しかし次に少女の姿が見えたとき、「自分をスル―された」と悟った少女⑤は、Ⓐ女を見詰めています。

0:12~少女少女⑤に「メダル掛けられていない事」に気付き、戸惑いの表情を見せています。『え? 何でこの子はメダルを掛けてもらっていないの? どうして?』とでも言いたげです。これ以降少女の小さな胸のうちには、「メダルを授与しなかったⒶ女への疑念や不信」とともに、「メダルを掛けてもらえなかった少女⑤の恥辱や哀しみ」といったものが、駆け巡っていたことでしょう。

 この0:12頃、左手より「カメラマンのⒷ男」が画面に入り、以降、左画面への出入りを繰り返し、1:06頃に左画面に消えて行きます。この間彼は、少女⑤を全く無視しています。というより、「ことさら他の少女たちの撮影を強調するオーバーな動作」が顕著です。あえて少女⑤に見せ付けるような意図が感じらるのは筆者だけでしょうか。

 彼が少女⑤の置かれた立場と「その張り裂けるような胸の内」を少しでも気遣う気持があれば、間違ってもあのような行動を取るはずはないと思うのですが……。しかもそれが「MEDIAカメラマン」というのですから。

 0:30~少女に特に注目

 一方その間、Ⓐ女は少女⑦の前に歩み寄ってメダルを掛けています(0:15頃)。このときⒶ女少女⑤の方にちょっと顔を向け、何か言葉を発したような気がします。後ろ向きのために顔も口元も見えませんが、ひょっとしたら少女⑤から「何か声がかけられた」のかも知れません。そのような雰囲気が感じられます。画面の少女⑤は正面を向いて苦笑いを浮かべているだけです。


▶0:22~Ⓐ女は薄紫色のレオタードを着た少女⑧にメダルを掛けています。少女⑤は何とも言えない表情のまま、ただ立っています。

 このとき少女は、少女⑤のそのような様子を特に気に掛けているようです。


▶0:28~Ⓐ女少女⑨にメダルを掛け、次の少女⑩にメダルを掛け終えたとき(0:32頃)、ご覧のようにⒶ女の手元のメダルがなくなり、彼女は「足りなくなったメダル」を取りに画面の右端に消えて行きます(0:42~)。


0:30~少女が、少女⑤に何やら語りかけています。周りの喧噪のために、少女⑤少女の口元に耳を近付け、聞き終えたときⒶ女の方に視線をやっています。しかしこの時、少女⑩にメダルを渡し終えていたⒶ女は、「足りなくなったメダルを取りに、画面右手に消えていました。


0:43~が画面に戻ってきた時、少女⑤は一歩前に進み出て両手を身体の前で軽く揃え、あたかも「メダルを掛けてもらう」ために気持を整え、準備をしているようかな雰囲気が感じられます。

 しかしⒶ女はそういう少女⑤のことなど完全に無視しています。というより、少女⑤が自分に「メダルを要求する事」を察知し、いっそう無視しているかのようです。

 その証拠に、できるだけ少女⑤に近付かないようにするためでしょうか。メダルを掛ける順序を、画面右端の少女⑫から少女と逆転させ、ほんの一瞬見えた少女にもメダルを掛けたような雰囲気が感じられます。それを終えたⒶ女は、“そそくさ”と画面右へと消え去ったのです(0:53頃)。


▶1:04~:ポニーテールのⓒ女が左端から画面中央に現れ、右足を何かの上の載せて靴の紐を結び直しているようです。それを終えて真っすぐ立ち上がった彼女は、並んでいる少女たちの様子をさりげなく窺(うかが)うような素振り(そぶり)を見せています。とりわけ少女⑤をそれとなく気にしているような雰囲気が感じられます。

 といってそれは、少女⑤に対する好意的な想いではなく、メダル授与をスル―された少女⑤少女の様子を、より近い位置から確認するかのような意図が感じられますⓒ女はあくまでも、“メダル授与スルーに無関心さを装っています。しかし、ⓒ女が首を傾げてポニーテールの髪を振り払うような仕草に、筆者は少女⑤に対する“突き放したような冷ややかさ”を感じたのですが……。

 なぜなら、もしⓒ女少女⑤少女に好意的であれば、彼女はここで“何らかの行動”を起こしていたでしょう。たとえば少女⑤に、『大丈夫、心配しなくていいのよ。メダルは必ず貰えるからね。』とか『よく頑張ったわね。偉いわ……。』『あとで私と一緒に、メダルを貰いに行きましょうね。』など……語りかけることはできたのではないでしょうか。

 もしⓒ女が、前回筆者が推測したように、GI」すなわち「アイルランド体操協会」のスタッフとするなら、彼女は問題解決へ向けた「キーパーソン」となっていたかもしれません。

 しかし、そうならなかったのは、残念ながら「GI」と言う組織の体質にあるのでしょう。


▶1:12~少女⑦が「手を振った相手」と思われるⒹ女が、「COACH」のロゴを背中にして現れ、スマホで少女⑦を撮影してます。

 そこへⒹ男が現れ(1:19~)、同じようにスマホで撮影をしています。彼の背中の「ロゴ」は(正面でないため)、正確に読み取ることができませんが、「COACH」のような気がします。雰囲気からして、やはりⒹ女と同じ「体操クラブ」ではないでしょうか。



 

  人種差別意識実証する「大人たち」の不作為

 それでは以上「82秒間の真実」から明らかになった「いくつかの事実」を整理してみたいと思います。といっても、もちろん筆者の「個人的な所見」にすぎませんが。

(1)Ⓐ女のメダルスルー事件によって、「もっとみんなで喜び合っている」はずの「メダルの少女たち」が、少女⑤への気遣いのために「受賞の歓びやその誇らしさ」を抑えている。

 それでもごく一部の少女は、ほんのちょっと「歓びを全身で表現したり、隣の子と喜び合ったり」という行動は見られたものの、やはり明らかに「抑え気味」となっている。

(2)少女⑤のために「ただ一人真剣に気遣って何かをささやいた少女」の存在と、その精いっぱいの行動に救いが感じられる。

(3)「MEDIAカメラマンのⒷ男ⓒ女、COACHのⒹ女、その仲間のⒺ男」大人4人各氏による、「人種差別意識を実証する不作為」に驚かされる。それとともに、「姿は見えなく」とも「画面左に居ると思われる大人たち」からの「リアクション」が見られなかったことにも驚かされる。

 それにしても「少女④⑤」の「家族」をはじめ、所属「体操クラブ」のコーチや関係者たちは、どこで何をしているのでしょうか。少なくとも「そのうちの一人か二人の大人」は、メダルの授与を見ていると思われるのですが。はてさて、あの場面とその周辺で、一体何が起きていたのでしょうか。「それらの大人たち」は、どこで何をしていたのでしょうか。どうしたと言うのでしょうか……。

 少女⑤の家族の方々は居ないようですね、もしあの場に居れば、当然、何らかのリアクションがあったはずです。少女⑤の様子からも、家族の存在を感じさせるものは一切ありません。

(4)以上⑴⑵⑶によって、おそらく「少女」の「恥辱や悔しさ」は倍加されたことでしょう。そのような「痛みや苦しみ」の中で、少女⑤はどう対応してよいのか解らないまま、終始落ち着かない様子です。

 ことに他の何人かの少女が、喜びを表現している姿を目にしただけに、その対比は残酷としか言いようがありません。思いもよらない「孤立と不安」を抱え込んだ少女の「戸惑いと哀しみ」とが、痛いほどよく伝わって来ます。

 『何が起きているのだろうか? なぜ私だけが?』……と。しかし、彼女を理解し、庇(かば)おうとする大人は一人としていないようです。「メディア・カメラマン」や「他のクラブのコーチ」等も、少女⑤のすぐ傍を出入りしていると言うのに。

 次回は、Ⓐ女に「メダルの表彰授与」を任せた「GI」すなわち「アイルランド体操協会」という組織に触れたいと思います。

(続く)



 

参考

◆【動画A】黒人少女だけにメダルを渡さない女性。それを指摘しようともしないメディア・カメラマンやコーチ等(1:22=82秒)

 

 

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・82秒間の真実/黒人少女体操選手への人種差別❶

2023年10月03日 01時12分16秒 | スポーツ

 

  「アイルランド体操協会(GI)」に対する不信感と失望

 さらなる世界的な拡がりを見せつつある、《黒人少女体操選手に対する表彰メダルの授与スルー事件》――。SNSを通じて全世界に拡散された「82秒間の動画」を観るたびに、そしてその世界的な反響の大きさを実感するたびに、この事件が抱える“2つの事”に気付かされました。

 1つは、〈人種差別〉という次元を遥かに超えた〈人間の尊厳〉についての問いかけであるという事

 2つは、問題解決の“最終的な当事者”は、おそらく「アイルランド体操協会Gymnastics Ireland:GI」ではなく、「アイルランド(Ireland)」国にあるという事。というより、是非そうあって欲しいと思います。

 以上はあくまでも私見にすぎないわけですが、「アイルランド国民全体」の「緊急課題」として、政府主導の取組みを切に願うばかりです。またそうでなければ、容易に収拾が付かないような気がします。

 私見ついでに申し上げれば、筆者は以前より「アイルランド」に関心があり、首都「ダブリン」は「個人的に行ってみたい世界の都市:Best20」の一つです。その理由の一つは、好きな作家のオスカーワイルやジェイムズ・ジョイスの出身地ということでしょうか。学生時代に手に入れたジョイスの短編集『ダブリン市民Dubliners(新潮文庫:安藤一郎訳)は、愛読書の一つです。

 文学等については最終回に少し触れるつもりでが、ここで筆者が言いたいことは、個人的に好きなダブリンそしてアイルランドであればこそ、“世界の人々が共感できる解決を図って欲しいという、ただそれだけです。

 

 そこで思いきって苦言を呈したいと思います。『アイルランド体操協会(以下GIと略記)』による「黒人少女選手その家族」に対するこれまでの不誠実な対応”には、強い不信感を抱いています

 それに加え、先月9月25日に出された《GI謝罪声明全文【記事D】》と、それに関連する《2つの声明GIのホームページ)※註①に目を通したとき、言わずもがなの事”を並べただけの“実行力の無さ”に大変失望しました。

 だが以上のような不信感失望こそが、筆者に「この問題」に取り組まなければならないとの強い意志をもたらしたのは確かです。

 この記事の真意は少しずつ明らかになると思いますが、決して非難目的とするものではありません。

 読者各位には、最後に【動画A】(下段)を観ていただくわけですが、この【動画】をご覧になった方は、かなりの数に上ると思います。しかも「82秒」と短いため、最低でも5、6回、いや10回以上と言う方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 かく言う筆者も“公平な立場を保ち、執筆意欲を高揚させる”ために、10回以上……どころか、この時点ですでに20回は“全体を通して”観ています。“部分的な繰り返し”だけでも、数十回となるはずです。本シリーズは一応3回連載の予定ですから、真実の再検証のために、少なくともあと10回……いえ20回は「82秒」をフルに観ることでしょう。

 しかしフルに「10回」観たとしても、「82秒×10回=820秒=13分40秒」にすぎず、倍の20回にしても「27分20秒」と、「30分」から“おつり”が来ると言う訳です。

 余談はさておき、まずは以下の《【動画】の視聴にあたって》をお読みください。

✤✤✤

《【動画】の視聴にあたって》

 以下は【動画】に登場する〈メダルの授与を受ける少女12人と〈大人5人についての記述であり、赤字は注目すべき「少女」と「大人」です。

)メダルの授与を受ける少女たち

 画面左より「①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫」の少女12人が並び、「黒人の少女」は左から5番目の「としています。なお④⑤の少女3人は、「体操クラブ」が同じのようです。3人とも「一部に薄い青緑色が入った黒地のレオタード」を身に付けています。その「両肩から袖」にかけて「白のダブルV字」が入っています※註の少女は、レオタードの上に黒いタイツを履いていますね)

※註:動画がスタートした時、画面の左端には既にメダルを掛けてもらった一人の少女が映っていますが、0:20前後で画面から消えたようです。)

少女:一番左端の少女。赤いウェアに、下は黒のタイツでしょうか。

少女:長い髪で濃紺のレオタードの子。

少女:既述のように少女と同じ「体操クラブ」のようです。

少女:【動画】がスタートした時、ちょうどメダルを掛けてもらう瞬間でした。この少女に注目してください。特に「0:30」以降の動きには、心を打たれるものがあります。

 少女に何やら語りかけています。そのあとの少女の行動からして、おそらく少女は『ちゃんとメダルをくださいって言った方がいいわよ』と言ったのかもしれません。その言葉に勇気づけられた少女は、とにかく「メダルの授与をお願いしよう」と言いたそうな表情で、の方に視線を送っているようです。

 しかし残念ながらこのとき、は「足りなくなったメダル」を取りに行ったため、画面右端から消えていたのです。

少女:「黒人の少女」:画質の鮮明度が低いため、少女の顔全体ことに目や口元の表情がぼんやりとしています。そのため少女の“微妙な心の動きや感情”を的確につかむことはできません。それでも……。

少女:長袖部分がグリーンのウェアを着ているのでしょうか。メダルを掛けてもらった後も少しも“はしゃぐこと”なく、右隣の少女⑤に気を遣っているのは明らかです。

少女:お下げ髪の小柄な子。この子も少女⑥同様、少女⑤に気を遣っています。なお1:04頃、画面左手の誰かに向かって手を振ったようです。『ここよ!』と自分の存在をアピールしたのでしょう。まもなく背中に「COACH」のロゴが入ったⓒ女が現れ、スマホでこの少女を撮影します。すぐそこに同じクラブと思われるⒹ男が現れ、同じようにスマホで撮影をしています。

少女薄紫色のレオタードを着た長身のお下げ髪の子。メダルを掛けてもらった喜びをほんのちょっと全身で表現しています。それでも少女⑤を想い、どこか抑えたような感じも伝わって来ます。

少女:赤いウェアの子。

少女:お下げ髪をしたライトブルーのレオタードの子。Ⓐ女はこの少女にメダルを渡し終えたあと、「足りなくなったメダル」を取りに行くために一旦画面から消えています。

少女:髪をポニーテールにしたブルーの上着に黒いパンツの子。他の少女たちより一歩前に出ています。

少女:黒いレオタードの子。画面右端のため、ほとんど右半身だけが映っています。

 

5人の大人たち(登場順にⒶⒷⓒⒹⒺとしています)

:メダルを授与する「GI」の女性。誰もが感じると思いますが、彼女は“人種差別”などどこ吹く風とでも言うように“Going my way”であり、実に堂々とした態度で「少女」をスル―しています

 ほとんど後ろ向きのために顔の表情や口元の動きは見えませんが、おそらく「メダルを掛ける少女達」には、それなりの笑みを見せながら声を掛けているのでしょう。

:カメラマン。彼の背中に注目してください。「MEDIA」のロゴが入ったベストを着ています。すなわち彼は「メダル表彰を受ける少女たち」について、何らかの「報道」を前提としているものと思われます。ベストはもちろん主催者(GI)より提供されたものでしょう。

:動画開始から1分過ぎ(1:04頃)、画面手前左より「靴紐を結び直すかのような仕草」で登場するポニーテールの長い黒髪の女性。画面が不鮮明なために、ジャケットの背中のロゴを読み取ることはできませんが、おそらく主催者GIのスタッフではないでしょうか。

:表彰を受けた「少女」の「所属クラブ」の「コーチ」です。背中に「COACH」のロゴがはっきりと見えます

:おそらく彼も「」と同じクラブの「コーチ」でしょうか。背中のロゴは「」と同じ「COACH」のような気がするのですが(✦正面でないために、正確に読み取ることができません)。「少女⑦を撮影しています。

 


 お待たせいたしました。

 それでは下記をクリックの上、【動画】をご覧ください。

◆【動画A】黒人少女だけにメダルを渡さない女性。それを指摘しようともしないメディア・カメラマンやコーチ等(1:22=82秒)※註②/※註③


 なお次回は「82秒間」を「数秒~10数秒間」に区切りながら、真実の瞬間》を具体的に再検証してみたいと思います。

(続く)



 

参考クリック

◆【記事】黒人少女にメダル渡さず、アイルランドの体操協会大会。協会が謝罪。(BBCnewsJAPAN)

◆【記事B】黒人少女だけ表彰せず。過去の動画拡散。体操協会謝罪-アイルランド(朝日新聞9月26日5:41配信)

◆【記事C】黒人少女スルー表彰式に体操女王が苦言。少女へ送ったメッセージに反響。「あなたこそ真のヒーロー」「すばらしいロールモデル」

記事D謝罪声明全文】黒人少女だけメダル付与せず:アイルランド体操協会が発表。SNSは「人種差別」批判II相次ぐ(2023年9月27日午前11:20プライムオンライン編集部)


註釈

※註①:次回に掲載予定です。「アイルランド体操協会(Gymnastics Ireland:GI)」の「ホームページ」のもの。

※註②:この【動画】は「モハマド・サファ氏」による「旧ツイッタ―※註③」のものです。同氏は「ECOSOC」の主要代表とのこと。

◆【公式サイト(日本語)】「経済社会理事会(ECOSOC)」ー国際連合広報センターより

「ECOSOC(イコソック)=Economic and Social Council=経済社会理事会」は、主として経済、社会、文化および保健の問題、ならびに人権基本的自由の問題を取り扱い、また国連と専門機関の作業を調整する役割も果たす。理事国は54カ国。うち18カ国は毎年「総会」により任期3年で選出される。

※註③:「ツイッター」は今年7月24日、ブランド名を「X(エックス)」に変更。 それに伴い「青い鳥のロゴ」も廃止。 ツイッターを所有するイーロン・マスク氏は、投稿を表す「ツイート」という言葉も変更すると発表。 今後は「x'sエクスズ)」と呼ぶとのこと。

 

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・スペイン・サッカー連盟会長の母上様へ-5:書簡❹(最終回)

2023年09月15日 19時47分15秒 | ◇聖書・キリスト教

 ルイス・ルビアレス氏の母上:アンヘルス・ベハーレ様へ

 

 スペイン/マドリッドの裁判所によれば、「性的暴行の容疑」で起訴されたルビアレス氏は、9月16日に出廷されるとのこと。裁判はどのように推移して行くのでしょうか。

 ところで今になって思うのですが、ルビアレス氏は早い段階で「あえて裁判での決着」を希望されていたのではないでしょうか。そう判断した理由は、氏がエルモソ選手に「謝罪する意志が無い」という報道でした。

 つまり氏は「一連のキス騒動」に関する「自身の感情や言動」について、「ゆるぎない自信」と「自分が正義であるとの確信」をお持ちなのでしょう。しかし、次のような報道があったのも確かです。

 それは「エルモソ選手の親族」が、ルビアレス氏と「彼を取り巻く人々」(※註:「RFEFの側近」と言うことでしょうか)によって、圧力をかけられたとする事実です。その内容は『エルモソ選手がルビアレス氏のキス行為を、(合意が合ったものとして)正当化するように』との働きかけであった由。そのため検察も「起訴状」に、「強要の疑い」を追加したのでしょう。

 今や世界中のマスコミが、この時とばかりに「ルビアレス問題」を取り上げており、「裁判の決着」がどのようになるにしても、マスコミの関心は当分この問題から遠ざかることはないでしょう。

 そこで私は最後に「この書簡のまとめ」として、貴女に「お願い」があります。「神に助けを求める」ために教会に立て籠り、「ハンガーストライキ」(断食)までされた貴女を、「聖書の教え」に忠実な「真のクリスチャン」と信じての「お願い」です。

 それはルビアレス氏と貴女のお二人」が、「エルモソ選手及び親族のみなさま」に「直接お会いして謝罪をする」ということです※註1

 無論、容易にできることではないと思います。特にこれまでのルビアレス氏の強硬な態度や、ハンストをされた際の貴女の発言等を振りかえるとき、『何を今さら』と、お叱りを受けるかも知れません。

 それでも私が「お二人の謝罪」にこだわるのは、「謝罪がなければ、真の問題解決にはならない」と思うからです。ルビアレス氏が「無罪」を勝ち得ても、それで氏の「真の名誉回復」となるのでしょうか。誰もが納得できる「最終的な解決」と言えるのでしょうか

 【ルビアレス氏は「RFEF連盟会長の正式な辞任」について、次のように語っていました。『これ(辞任)は私だけの問題ではない。私に対する態度は、非常に重要な第三者に影響を及ぼしかねない。(辞任は)私がしなければならない賢明な対応だった』と。】

 仮に「無罪」を勝ち得たにしても「謝罪」などが無い場合、「スペイン国民」の圧倒的多数は、そして「世界の人々」はどう反応するでしょうか。おそらく後々まで、次のように語り継がれて行くのではないでしょうか。

 ルビアレス氏もハンストを実施した母親」も、結局「謝罪をしなかったし、自分たちの「いたらなさ」や「誤解を与えたこと」を認めようともしなかった』と

 その結果、どのようなことが予想されるでしょうか。おそらくルビアレス氏の三人のお嬢様をはじめ、彼女たちの現在及び将来の家族に「思いもよらない不名誉な評価」が下されるかも知れません。それはルビアレス氏を支持し、また支持した人々についても同じだと思います。

 そう言う意味において、ルビアレス氏や貴女の「今後の言動」は、ご自身やご家族を含めた身近な人々に「重大な影響」を与えることは必至です。お二人のそうした「今後の言動」が、「聖書の教えに叶うもの」であることを切に祈るばかりです。

 私が自分の「戒め」としている〈箴言(しんげん)〉の一節があります。この聖句はクリスチャンではない友人知人に語ることもあり、《主》すなわち《創造主である神》の本質を端的に表現しているように感じます。それは――、

主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌み嫌うものが七つある。高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、まやかしを吹聴(ふいちょう)する偽りの証人、兄弟の間に争いを引き起こす者。』(箴言6:16~19) 

 その《神》の御子である《主イエス》は、「山上の垂訓」の中で次のように語っています。

『もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦して下さいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。』(マタイ6:14、15)

 また同7章においても――、

『さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量(はか)るとおりに、あなたがたも量られるからです。』(マタイ7:1、2) 

 ……に続き、

『また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁(はり)には気が付かないのですか。(中略)偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。』(マタイ7:3、5)

 そのためにも、先ずは主イエスが唱える「謙遜な態度」が、ルビアレス氏にも貴女にも求められるのではないでしょうか。

 しかし、私は貴女をひたすら信じ、ルビアレス氏と貴女によってもたらされる《謙遜と隣人愛に溢れた素晴らしい決断と行動》を祈っております。

 

 

 今回、巻末に『Jesus bleibet meine Freude(主よ、人の望みの喜びよ)』の【音楽動画】をお付けしました。「Johann Sebastian Bach(ヨハン・セバスチャン・バッハ)」による有名な教会礼拝楽曲」であり、もちろんご存じのことと思います。私も大好きな一曲であり、一時期、或る日本のmobile phoneの「着信音」の一つに使われていたため、私は迷わずその機種を求めたほどです。

 それではアンヘルス・ベハーレ様、からに渡る「書簡」に長々とお付き合いいただいたことに対して、心より感謝申し上げます。

 ドイツ語と日本語ではありますが、「歌詞」もお楽しみください。

 

 Jesus bleibet meine Freude(イエスは変わらざる私の喜び),

 Meines Herzens Trost und Saft(私の心の慰めであり 潤い), 

 Jesus wehret allem Leide(イエスはすべての悲しみから守ってくださる),

 Er ist meines Lebens Kraft(イエスは私の命の力),

 Meiner Augen Lust und Sonne(目の歓びにして太陽),

 Meiner Seele Schatz und Wonne(魂の宝であり 歓喜);

 Darum laß ich Jesum nicht(だからイエスを放しません)

 Aus dem Herzen und Gesicht(この心と視界から)

 

 貴女やルビアレス氏を含むご家族及び身近な人々全てに、神の御加護がありますように。アーメン(amen)(完)

 



 

◆【音楽動画】『Jesus bleibet meine Freude主よ,人の望みの喜びよ)』(3:24)(指揮:飯浦 直哉 (柏グリーンハーモニー合唱団) Orgel / Markus Michel オルガン:マルクス・ミヒェル)☚クリック

 この動画は2016年7月30日、「日本の合唱団」がドイツ・ミュンヘン市の「聖ウルズラ教会」の夕べのミサにおいて、現地教会の合唱隊と「合同演奏会」を実施した際のものです。聖堂に響くパイプオルガンの伴奏や合唱もさることながら、白と黒だけの「聖堂」と「合唱隊」のシンプルな色調がいいですね。

 なおこの動画では、画面に「ドイツ語」と「日本語」の「歌詞」が流れており、「主イエス・キリスト」を言い尽したかのような歌詞が素敵です。

※註:上記「本文」に掲載した「歌詞」については念のために「フィーリ」というサイトから採用しましたが、「動画で流れる歌詞」と全く同じです。ちなみにサイト「フィーリ」には、【このページへのリンク、バナーのお持ち帰りはご自由にどうぞ。】と表記されています。


※註1:◆主イエスも「山上の垂訓」において、「(刑事)告訴」された際における心構えとして、次のように語っています。『あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役(したやく)に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。』(マタイ5:25)◆早く仲良くなりなさい』を今日風に言えば、「告訴した相手」に対して「誠心誠意ある反省と謝罪」を行うということではないでしょうか。「そのような行動」は、たとえ裁判が始まったあとであっても、充分意味があると思うのですが。

 

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・スペイン・サッカー連盟会長の母上様へ-4:書簡❸

2023年09月11日 21時08分36秒 | ◇聖書・キリスト教

読者のみなさまへ:その1

 実は今回のブログ「書簡❸」の記事は、本日「午後1時頃」にアップの予定でした。そのため私はいつものようにブログアップ前の最終調整をしながら「昼食」をとっていました。いざ記事をアップしようと思い、念のため1時間前に見たばかりの「ネットニュース」に再び目を通した瞬間、「1つ目の小さな驚き」がありました。

 「スペインサッカー連盟(RFEF)」の「ルビアレス会長」が「辞任」という文字が目に飛び込んで来たからです。「BBC NEWS/Japan」〔9月11日(月)12:34発信〕のニュース記事であり、「見出し」のタイトルはスペインサッカー連盟会長が辞任「仕事を続けられない」女子選手へのキス批判となっています。

 記事を目で追い始めたとき2つ目の大きな驚き」がありました。《検察が、性的暴行及び強制わいせつの罪ルビアレス氏スペインの高等裁判所起訴したと綴られていたからです。  

 というのも当初のこの「書簡❸」では、「検察」は「起訴前の予備捜査」の段階であり、私は「起訴される前」に「刑事告訴者(エルモソ選手)」とルビアレス氏が、「示談によって問題を解決するのでは」と、予想していたからです。

 その結果、私は慌てて原稿を大幅に修正し、「書きためておいた小記事」をいくつも破棄せざるを得なくなりました。

 そこで当初は今回の「書簡❸」を、本シリーズの「最終回」としておりましたが、急遽、記事の「差し替え、修正、追加等」が生じたため、最終回は次回の書簡」となることをご了承ください。


 

●読者のみなさまへ:その2●

 今回の記事(書簡❸)をご覧になる際には、巻末スペインサッカー連盟RFEF)の公式サイト】に関する「筆者の説明」に加え、記事:A【記事:】【記事:をご参照ください。



 

 ルイス・ルビアレス氏の母上アンヘルス・べハ―ル様へ

 

 初めに申し上げます。前回「書簡」の時点におけるルビアレス氏の「役職」は、世界の「3大通信社」と言われる「AP通信」「FAP通信」そして「ロイター(Reuters)」等の「日本版ニュース」では、いずれも「スペインサッカー連盟(RFEF会長」となっていました。

 しかし実は、前回の「書簡」をお送りした直後(9月7日朝9時40分頃)、私は自ら「RFEFREAL FEDERACIÓN ESPAÑOLA DE FÚTBOL)」の「公式サイト」を確認し、ルビアレス氏が8月28日辞任されたことを知りました。もちろん貴女は母上としてその事実をご存じでしょうし、「RFEFの公式サイト」もご覧になられたと思います。

 世界に数多くの「支局」を配する有力な通信各社は、なぜ足並みを揃えて「その事実を公表しなかった」のでしょうか。おそらくスペイン政府」の意向や「RFEF」の思惑があったのだと思います。

 ともあれ、先ずは以下までの「重要な事実」を再確認しておきましょう。※註:以下のA・B両記事は「8月22日のGOAL」より筆者がまとめました。

(A)ルビアレス氏は「キス騒動(一方的キス行為)」の「批判者馬鹿」と呼ばれたようです。また会長職辞任を要求」されたものの、辞任否定されています。

(B)スペイン政府」の「ペドロ・サンチェス首相」や「ミケル・イセタ文化ポーツ大臣」も、ルビアレス氏会長職辞任を要求

(C)9月1日、スペインの「①スポーツ裁判所(TAD)」は、ルビアレス氏エルモソ選手の「一方的なキス行為」に関する捜査に合意。これを受け、ルビアレス氏は「真実」を証明すると反論。

(D)②スペイン政府」は、ルビアレス氏の「一方的キス行為」を非常に深刻な犯罪」として、政府機関の「スペインスポーツ評議会CSD」に告発

(E)スペイン検察当局」は、ルビアレス氏の「キス行為」が性的暴行」の罪に該当する可能性があるとして、予備捜査を開始

(F)9月5日エルモソ選手ルビアレス氏刑事告訴した旨、スペインの検察当局9月6日発表

9月11日、「スペインサッカー連盟(RFEF)」の「ルビアレス氏」が正式に「会長職」を「辞任」。

9月11日、スペインの検察性的暴行」及び「強制わいせつ」の罪ルビアレス氏スペインの高等裁判所起訴


 ✤

 以上の中で重要なものG、Hであることは明らかであり、(C)(D)(E)と併せて考えるときこの3点は相互に深く関係していると思われます。また赤字で示した3機関は、おそらく「スペイン政府」が中心となって、RFEF等関係各機関との情報交換や意見の調整を図っているのではないでしょうか。

 それにしてもスペイン政府の介入という事実は、この問題が国家レベルでの判断や解決を求められている」証左であり、「ルビアレス氏個人」や「RFEF」さらには「スペインサッカー界」云々という次元を遥かに超えています。

 スペイン政府介入は、一連の事件や騒動が「世界的な拡がり」を見せていることへの危機感の表れであり、今や「世界の関心」が、「ジェンダー問題」を絡めながら、「スペインと言う国家そのもの」に対する印象や評価へと発展しているからだと思います。政府としても「やむにやまれぬ介入」ではなかったでしょうか。

 それに加え、ルビアレス氏や貴女にとっては、検察が「起訴」に踏み切ったことによって、予断を許さない事態となりました。とはいえ、おそらく「検察当局」が「予備捜査」を開始した時点で、「弁護人」を選任されていたのではないでしょうか。

 私個人としては、エルモソ選手との「示談」が早い段階で成立し、「不起訴」となることを願っておりました。もちろん弁護担当の方も、当然そう言う働きかけをなされていたとは思いますが……...

 ともあれ記事によれば、『裁判所が「訴え(起訴状)」を受理すれば、判事1人が選任されて捜査を指揮し、事件を裁判にかけるか棄却するかの判断が下されることになる。』とのことでした。

 なお「後任のRFEF会長」となられたペデロ・ロシャ」氏による『RFEFとしての謝罪文』の「概要」は、以下のようになっております。

 文中では「ルビアレス氏の行為」を『不適切な行為』、『最高代表者として容認できない行為』として糾弾する表現が見られ、『私たちの社会を汚した出来ごとに対して、最大限の遺憾の意を表します』と続いています。

 さらに『ルビアレス氏に対する懲戒手続き』や『RFEFウエブサイト上に記述されていた不適切で無意味なコミュニケーションを直ちに削除』したとも綴られていました。

 以上に加え、『損害の補償』や『執行体制の見直し』についての記述もみられます。(続く)



 

スペインサッカー連盟RFEF)」の公式サイト☚クリック

RFEFはサッカー界と社会全体に謝罪します』という「見出し」をクリックすると以下の「リード文」が出て来ます。

ペドロ・ロシャは、「スペイン王立サッカー連盟」(※註:RFEFのことです)の会長として、最新の出来事に直面して、サッカーの世界と社会全体に宛てた謝罪の手紙を送りたいと考えていました。「テキスト(謝罪文)」は次のリンクで読むことができます』と続き、その下に「リンク」が貼られたRFEF会長からの書簡があり、そこをクリックすると「謝罪文の全文」を読むことができます。ただし、日本語訳の設定が必要です。


 

記事:】《スペインサッカー連盟会長が辞任。「仕事を続けられない」女子選手へのキス批判》☚クリック

【記事スペインのスポーツ裁判所がキス問題の捜査決定。ルビアレス会長は「真実」示すと反論(AFP:2023.9.2・12:06/発信地:マドリード/スペイン)☚クリック


記事エルモソ、キス問題でスペインサッカー連盟会長を刑事告訴(2023.9.7・11:10/発信地:マドリード/スペイン) ☚クリック

 

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・スペイン・サッカー連盟会長の母上様へ-3:書簡❷

2023年09月07日 09時30分22秒 | ◇聖書・キリスト教

●読者のみなさまへ● 今回の「書簡❷」をご覧になる前に、巻末【1】及び【2】を確認されるのが良いと思われます。


 

スペインサッカー連盟会長の母上:アンへレス・ベハール様へ

 

 さて、【第1】に続く2つ目の「疑問と懸念」を挙げたいと思います。

第2】/貴女が『神に助け求める』ために「教会」に籠(こも)って「ハンガーストライキ」(以下、「ハンスト」)をされたことを、クリスチャンとしてどのように考えるべきでしょうか。

 「ハンスト」すなわち「一時的に食物や飲料水を断つ〈断食(だんじき)〉」は、労働条件の改善要求などの手段として、一般社会において行われています。

 〈断食〉については〈旧約聖書〉にも数多くの事例がありますが、凡俗(ぼんぞく)な私には、あまりにも専門的で近寄りがたいテーマです。そこでここでは〈現実に実行された貴女断食〉という一点に絞って、話を進めましょう※註①

 これまでに学び得た私の拙(つたな)い知識と知恵に基づく〈断食〉とは、

肉体的な苦痛を通して罪の自覚悔い改めを悟りつつ、不退転の決意で〈赦し救い求めようとする〉、きわめて個人的かつ秘匿(ひとく)な行為」のような気がします。

 そのため〈断食〉とそれに伴う祈り〉において大切なことは、既存の自分の感情や考えを解き放ち生まれたての赤子のような白紙の状態で臨むことが大切だと感じるのですが……。

 そう想いながらこのたびの貴女の〈断食〉を振り返るとき、「私の心に今一つしっくりと来ない」ものが残ったような気がしてなりません。と言うのも、主イエスは前回ご紹介した有名な「山上の垂訓(さんじょうのすいくん)」の中で、〈断食〉について次のように語っているからです。

:『断食するときには、「偽善者」たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは断食をしていることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。(後段略)(マタイ6:16)※註②

 と語った後、『しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。』(マタイ6:17)とし、続けて――、

:『それは断食をしていることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父見られるためです。そうすれば、隠れた所見ておられるあなたの(むく)いてくださいます。』(マタイ6:18)

 お気づきのように、主イエスは「偽善」や「偽善者」に対して過剰と思えるほどの嫌悪感を示すことが少なくありません。つまりはそれだけ、“見せかけ優しさ善意言動を忌避されています。とりわけ「律法学者※註③や「パリサイ人※註④に対する反感は、かなり強いようです。

 ことに〈マタイの福音書〉23章における『(いま)まわしいものだ。偽善律法学者、パリサイ人たち』と、7回も繰り返される“言い出しの厳しさ”には、「偽善者」に対するイエス」の忌避感が、尋常(じんじょう)ではないことを物語っています(マタイ23:13~15、23、25~27)

 参考までに、全く同じ「言い出し」の節を「聖書協会共同訳」(日本聖書協会)でみると、『律法学者たちとファリサイ派の人々。あなたがた偽善者に災いあれ。』となっています。『偽善者(わざわい)いあれ』とまで言い切っており、かなり辛辣(しんらつ)です。

 なお主イエスは、〈断食〉について語る前に〈祈り〉についても次のように述べています。

:『祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。(中略)あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて隠れた所におられるあなたの父祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなた報いてくださいます。』(マタイ6:5,6)

 主イエスによるここでの断食〉とそれに伴う〈祈りは、本来きわめて“プライベート”なものであり、その実施方法は《隠れた所見ておられるあなた》に対して、“秘かに静謐(せいひつ)”ということでしょうか。

 そうであれば『あなたの父は『報いてくださいます』となるわけです。そのためにも、少なくとも断食とその際の祈り〉については、『人に見られない』ことが前提条件となっているのではないでしょうか。

 「特定の人々や世間」への「抗議行動」として「教会」に籠(こも)り、スポークスマンを立てて「マスコミ」にメッセージを送るという方法――。今回は、それが結果として「世界の隅々にまでニュースとして伝わって行った」ようです。

 しかし以上のような方法は、果たして主イエス》や《その御父(みちち)=神創造主)》の〈みことば〉すなわち〈聖書のみ教え〉に叶うことなのでしょうか

 そう考えるとき、貴女早い段階で〈断食〉を中止されたことに、私は「安堵感敬意」を抱くことができました。

 なぜなら「ご自宅」に戻られた貴女は、おそらく新たなお気持ご子息のルビアレス氏をはじめとする関係各位と、数多くのお話をされたことでしょう。その結果、さまざまな〈神の導き気づき〉を得られたのではないでしょうか。

 もちろん貴女は、“一人静かに”〈隠れた所見ておられるあなたの父〉に、新たなお気持祈り〉も捧げられたはずです。そして体調を取り戻された際には、おそらく“秘かに一室に籠(こも)って”〈断食〉をされるのでしょう。いえ、もうすでにそうされたのかも知れません。私には、そのような貴女のお姿が浮かんでまいります

 たとえ国や民族やキリスト教としての宗派は異なっても、私は貴女すなわち「アンヘレス・ベハール姉妹」を「同じクリスチャンの一人」として、見守り続けたいと思っております。そのため次回(最終回)のこの「書簡」では、私なりの「ささやかな提案」をさせていただく所存です。

 今回の最後に、私の好きな〈箴言〉の一節を、姉妹ご子息ルビアレス氏にお贈りしたいと思います。この聖句はよく知られており、貴女もご存じのことでしょう。

心を尽くして主に拠(よ)り頼め自分の悟りたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、あなたの道まっすぐにされる自分知恵のある者思うな。主を恐〔畏〕(おそ)れて、悪から離れよ。』(箴言3:5、6)(続く)

 


【1】アンヘレス・ベハール」という「スペイン・サッカー連盟会長:ルビアレス」氏の母親が、息子への「非人道的な扱い」に抗議するため、「教会」で「ハンガーストライキ」を開始したとのこと。報道によると、母親は「(息子に対する)非人道的で血なまぐさい狩りの解決策が見つかるまで続けると語ったようです。 ★8月30日のアップ記事より

【2】「アンヘレス・ベハール」さんが、「ハンガーストライキ」のために教会に籠(こも)った際に、記者団の質問に応じたルビアレス氏の「従姉妹(いとこ)」という女性の応答の一部。

『彼女は病気になるかも知れない。だが彼女は彼の母親であり、息子が不当な扱いを受け攻撃を受けているとき、彼女のように誠実な母親であれば、神に助けを求めるのは普通のことだ。絶望に打ちひしがれ、他にどこを当たればいいのか、わからなくなる時が来る。それは論理的で普通のことだ。』 ★9月3日のアップ記事「書簡❶」より


※註①断食」:モーセはイスラエルの民が犯した罪のために、四十日四十夜の「断食」を実施しました(申命記9:18)。またイエスも悪魔の試みを受けるために「御霊(みたま)」に導かれ、荒野にて四十日四十夜の「断食」をされたのです(マタイ4:1、2)。

※註②:本稿において引用した「聖書」の文言は、一部を除いて「日本聖書刊行会」の「新改訳」2版19刷(2001年1月10日発行)」に基づいています。

※註③律法学者」:旧約聖書の時代から引き継がれて来た「律法(法令)」を専門的に研究する教師をいい、その多くは「パリサイ派」に所属。彼らの中には「全議会」(次の「✦註」参照)の議員もいました。

✦註全議会」:他の聖書では「最高法院」とか「サンヘドリン」と呼称。「全議会」は「司法」と「行政」の「2権」を掌握する71人から成るユダヤの自治機関であり、その長は、その時の「大祭司」が務めました。

※註④:「パリサイ人(びと)」は「パリサイ派」とも呼ばれ、「律法の遵守」ことに「安息日」や「施し」の実践を強く唱え、「口伝(くでん)の律法」を重視したようです。また「復活」や「天使」「霊」を容認し、それらを否定する「サドカイ派」と対立したものの、“イエスの排斥”に関する両派の利害は一致していました。「律法学者」の多くは「パリサイ人」であり、「新約聖書(全27巻)」において数多くの「書簡」を記した「パウロ」も、かっては「パリサイ派」でした。なお「パリサイ」は、他の聖書では「ファリサイ」となっています。

 

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・スペイン・サッカー連盟会長の母上様へ-2:書簡❶

2023年09月03日 21時46分22秒 | ◇聖書・キリスト教

 スペインサッカー連盟会長の母上:アンへレス・ベハール様へ

 

冠略 ご子息の件に関し、教会において「ハンガーストライキ」による「抗議行動」を開始されたとのニュースを拝見しました。

 8月29日配信のロイター・ニュースでは、ご子息の従姉妹(いとこ)とおっしゃる女性が、貴女やご子息について記者団の質問に答える様子が映っていました動画1。その際、「画面」に翻訳された彼女のメッセージは、以下のとおりです原文のまま)

『彼女は病気になるかも知れない。だが彼女は彼の母親であり、息子が不当な扱いを受け攻撃を受けているとき、彼女のように誠実な母親であれば、神に助けを求めるのは普通のことだ。絶望に打ちひしがれ、他にどこを当たればいいのか、わからなくなる時が来る。それは論理的で普通のことだ。』

 そう語った彼女は、『ハンストの事を(ルビアレス)会長は知っているのか?』という記者の質問に対し、

『もちろんは知っているし、そのことでとても苦しんでいる。母親にそんな事をして欲しくないから苦しんでいる。だが息子の本当の姿を知っている母親にとって、普通の事だよ。』

 その3日後の9月1日、貴女の体調を懸念されたご家族が貴女を入院させたとのニュースが入り、その数時間後にご子息のルビアレス連盟会長が迎えに来られ、無事退院されたとのことでした。この一報に、世界中の多くの方々が安堵されたことでしょう記事1

 もちろん私もその一人としてホッとするとともに、多少なりとも「聖書」に基づく生き方を心がけたいと願うクリスチャンとして、“考えさせられること”ありました。

 時代や民族を超えた“家族相互の愛”の奥深さ。中でも“母親とその子供との愛”は、想像を超えたものがあるように思います。その意味において、貴女のこのたびの「ハンガーストライキ」は、“母性愛の究極的な証”と言えるのかも知れません。

 とはいえそれは、あくまでも「一般社会」すなわち“「聖書」とは無縁の社会・文化における価値基準によるものではないでしょうか。少なくとも「聖書」を生活信条とする「クリスチャン」として、私は以下のように第1】【第2】のような「疑問や懸念」を抱かざるをえませんでした。

 

✤✤✤

 【第1】/ご子息に対する、このたびの“母性愛の行使”は、明らかに「聖書」の教えとは異なるものではないでしょうか。と言うのも《主イエス》は、〈マタイの福音書〉において次のように語っているからです(※❶❷❸印は筆者によるもの)。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしについて来ないものは、わたしにふさわしい者ではありません。(マタイ10:37)※註①

 ❶❷は、“他人よりも自分の家族を最優先しがちな人間のエゴイズム”を戒める趣旨でもあるのでしょう。世の中には“愛する妻や子供”のために、他人を欺いたり盗んだりしてでも、金品を奪い取ろうとする者がおり、ときには生命を奪うこともあります。しかし、生命を奪われた人”にも、“愛する妻や子供がいる”のです。

 それだからこそ《主イエス》は、自分の十字架を負ってわたしについて来る』ようにと説いています。『自分の十字架を負って』とは、この場合“自分や家族の利害損得に固執することなく”、“主イエスがお手本として示される《隣人愛》に徹する”ことだと思います。無論、《平和・正義・公平公正》と言われるものが含まれていることは、言うまでもありません。

 それがひいては、“神の御心に叶う生き方”であるとの教えでしょう。そうでない人は、❶❷❸において繰り返される『わたしにふさわしい者ではありません。』となります。

 『わたし』すなわち《神のひとり子・主イエス・キリスト》。その〈御子の想いや言葉〉は、全て“御子を地上に送られた”《父なる神創造主)》のものです。従って『わたしにふさわしい者ではありません。』とは、父なる神の御心に叶う人ではないということになります。

 主イエスはまた、『天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。』(マタイ12:50)とも述べられ、

 〈ヨハネの福音書〉においても、『わたしが話していることは父がわたしに言われたとおりを、そのまま話しているのです。』と語っています(ヨハネ12:50)

 なお〈マタイの福音書〉には、次のような聖句も見られます。それは非クリスチャンの方であってもご存じの、主イエスによる《山上の垂訓》での一節です。

自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。収税人※註②でも同じことをしているではありませんか。』(マタイ5:46)

 “人が人を愛する”こと、特に“家族同士の愛”は至極当然であり、とりわけ“母性愛”なるものはそうだと思います。だが主イエスは、そのような『家族愛や母性愛は、ことさら誇ったり賞賛されるものではない。』と諭しているかのようです。

 その証左として、あの時代に同胞のユダヤ人から「卑しむべき職業」として嫌われた「収税人(しゅうぜいにん)」でさえ、『愛し愛される人間である』との趣旨を付け加えたのではないでしょうか。

 もっとも“家族愛”や“母性愛”と言われるものは、人間に固有のものではなく、どのような動物であれ「種の保存本能」として備わっているのは周知の事実です。ことに我が子が他の動物に襲われようとする際の母親の反撃は、自身の危険を顧みることのない崇高なものであり、その必死の様に胸を打たれるものがあります。(続く)

 


動画1選手にキスしたスペインサッカー連盟会長の母親がハンスト、息子への「不当な扱い」に抗議(ロイター)(8月29日16:00配信)クリック

記事1:キス問題のスペインサッカー連盟会長の母親が入院 息子の処分にハンストで抗議も3日で体調不良(9月1日8:12配信) ☚クリック

なおご参考までにーー、

記事2エルモーソ、スペインサッカー連盟会長に反論「キスには決して同意していない。彼が辞めない限りスペイン代表に戻らない」…そして政府も動き出す ☚クリック

◆【記事3】“キス騒動”が収まらない。スペインサッカー連盟会長はどんな人物か?犯した罪の核心 ☚クリック


※註①:本稿において引用した「聖書」の文言は、全て「日本聖書刊行会」の「新改訳」2版19刷(2001年1月10日発行)」に基づいています。

※註②:「収税人(しゅうぜいにん)」とは、その当時ユダヤを属州として支配していた「ローマ帝国」のために、税金の取り立てを請け負ったユダヤ人です。彼等はユダヤ人同胞から税を取り立て、しかも「定められた額」よりも多く取り立てることがあったため、「罪人(つみびと)」として同胞から嫌悪され、排斥されていました。しかし、イエスはそう言う「収税人」であっても弟子にしたのです。イエスの「12使徒」の一人「マタイ」の職業は「元・収税人」であり(マタイ9:9)、彼は〈マタイの福音書〉を書いたと言われています。


 

 

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・スペイン・サッカー連盟会長の母上様へ-1

2023年08月30日 14時44分40秒 | ◇聖書・キリスト教

「スペイン・サッカー連盟会長」の母親ハンガーストライキ

 女子ワールドカップ(W杯)優勝の「スペイン代表選手へのキス問題」。すなわちスペイン・サッカー連盟(RFEF)のルイス・ルビアレス会長」による、「ジェニファー・エルモーソ選手」の「唇へのキス事件」は、思わぬ方向へと走り始めたようです。

 「アンヘレス・ベハール」というルビアレス会長母親が、息子への「非人道的な扱い」に抗議するため、「教会」で「ハンガーストライキ」を開始したとのこと。報道によると、母親は「(息子に対する)非人道的で血なまぐさい狩りの解決策が見つかるまで」続けると語ったようです。別のニュースでは、このハンガーストライキを支持する人々が、母親が籠るスペイン南部の「モトリルの教会」やその周辺において、抗議行動を行う様子も伝えられています。

 一時は「辞任濃厚」と見られていたルビアレス会長ですが、8月25日に開かれた緊急会議において、『私は辞職しない。最後まで戦う』と辞任の意向を真っ向から否定したようです。その際、『偽物のフェミニストが(自分を)殺そうとしている』と主張しています。(唇への)キスに関しても、同会長は「軽いものだった」として、事前に「エルモーソ選手の同意」を得ていたとも述べていました。

 しかしこの発言に対し、当のエルモソ選手は『自分の言葉が疑われるのは許せないし、言ってもいない言葉が捏造されるのはもっと許せない』と憤りを示しています。同選手はSNSにおいて、『自分が弱者で、攻撃の被害者だと感じた。私はただただ軽視されたのだ』とコメントするとともに、RFEFから「ルビアレス氏の行動を正当化するよう、絶えず圧力をかけられてきた」とも述べています。

『カルメン』の国スペイン

 以上の報道を受けて、筆者の脳裡に直観的に閃いた言葉は、

 良きにつけ悪しきにつけ、《この母親にして、この息子あり。》……いや、《この息子にして、この母親あり。》ということでしょうか。

 それにしても大変気丈な「お母さん」ですね。ルビアレス会長個人の「家族や家庭のこと」は一切不明ですが、46歳の息子に対する“母のクリスチャン愛”の何と熱情的で頑固であることか。

 さすがはオペラ『カルメン』の舞台となった「スペインの女性」だと、筆者は思わず感嘆の声を上げるとともに、その“狂おしいまでにひた向きな想い”に、しばし適切な言葉を見い出すことができませんでした。それでも「カルメン組曲」の「ハバネラ」のメロディが、しばし頭から離れなかったようです。

 その人生を誤らせるまでに「ドン・ホセ」を魅了したと言われる「ロマの美女カルメン」。タバコ工場の仲間を刺したカルメンを連行する途中、その誘惑に負けて彼女を逃がした「竜騎兵ドン・ホセ」。一兵卒に落とされた彼は、上官を傷つけて脱走します。

 その後にカルメンと暮らすようになるわけですが、犯罪者となった彼は、カルメンの心をつなぎとめるためには、殺人もいとわないという人間になっていました。だがそのカルメンは、「闘牛士ルカス」にすっかり心を奪われていたのです。その結果、嫉妬に狂ったドン・ホセは……………というのが『カルメン』という物語の世界ですね。

  ✤   ✤   ✤ 

 筆者は今回の「母親のハンガーストライキ行動」に対し、プロテスタント系のクルスチャンとして、何とも理解し難い気持を抱きました。ハンガーストライキという“あのような行動とそれ以前の想い”によって『神に助けを求める』ことを、はたして神は赦されるのだろうか……と。当然それは「聖書の許容範囲」であるか否かということでもあるのでしょう。

 そこで次回、「一人のクルスチャン」としての「筆者の個人的な思い」を、「ルビアレス会長」の母親「アンヘレス・ベハール」さんへの「書簡」という形で、綴ってみたいと思います。

 


◆ビゼー/「カルメン」より(立教大学交響楽団:東京芸術劇場)2021.6.27(20:35) クリック

 

 

 

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・「花明り」に癒されて

2022年03月31日 19時39分43秒 | ■つれづれに(日記)

 

 年末からの試練を越えて

 今年の「元日」に記事をアップして以来、ちょうど3か月が過ぎようとしています。その「元日の記事」には、次のような一節を記していました。

 

 年末に摂取した例のワクチン。2回目でしたが、これが思いもよらぬ反応を示し、年末の十日間は “ひたすら病床静臥の時” をやり過ごすのみとなりました。》

 

 ここでの「年末」とは、昨年の12月23日のことです。また「思いもよらぬ反応」とは、翌24日のクリスマス・イヴより3日間、まったく食欲がなく、エネルギー不足による体力の衰えもあって、ひたすら静臥の時を過ごすのみでした。

 年が明けて、多少元に戻りかけたと思ったのも束の間、「松の内」が明ける7日前後より、全身の気だるさに見舞われました。静臥しなければならないほどではなかったものの、今年の1月半ばから2月末までの1か月半は、書物に目を通すことも、原稿を綴る意欲も湧かず、日々、特にこれといったことをするわけでもなく、ただ時間を無為に過ごしていたように思います。  

 それだけに「文筆」を生業とする現在の私にとっては、とても辛いまた経済的にも大きな試練となりました。

 それでも日課としての「聖書」朗読と、「日々の祈り」のための海岸へのドライブは一日も欠かすず、今日この日にいたるまで変わりなく続けています。

 以上のように、やや悲惨ともいえる「令和4年の始まり」を体験したわけですが、ようやく3月に入った頃から、徐々に本来のペースを取り戻し始めたような気がします。

 〝救いや励まし〟となったその〝きっかけ〟とは、電話による仕事の問合せや、様々なことに関するご質問やご相談でした。何とかお役に立ちたいとの願いから、このときばかりは、気力を振り絞って対処していたのでしょう。否応なく関連の書籍や資料に目を通すとともに、「インターネット検索」を強く促すものでした。

 もちろん、メールによる「返信」や「短い書簡」として、何とかお役に立てたのではないかと思っています。そのように〝力強く促されたこと〟が、どれほど私の〝気力の回復〟そして〝魂の救済〟の助けとなったことでしょうか。本当にありがたいものです。

 

 桜の盛りは「花明り」

 今朝の「奈多(なた)海岸」(福岡市東区)までのドライブは、早朝6時ちょっとの時間でした。いつものドライブコースとは異なり、「志式神社(ししきじんじゃ)」に駐車し、境内を抜けて海岸へと下る道を選びました。境内から続く、ここの桜並木を見るためです。

 季節は今まさに「花明り」。「花明り」とは俳句の季語として、“桜の花の盛りによる明るみ”を意味しているようです。

 淡い桜色の「花びら」が放つ、柔らかな「光の群れ」を捉えた表現であり、それがもたらす〝仄かな明るみ〟とでも言うのでしょうか。静かで清らかであり、どこまでも淡い桜色の柔らかさによって、辺りをそっと包み込んでいるような気がします。

 個人的にはとても好きな〝桜の様〟であり、光そして明るみと言えるでしょう。

 青年時代の一時期、多少「俳句」を嗜んだ者として、例年この季節になると、「花明り」の〝微妙な光の気配〟に魅了されるとともに、いつしか青春時代の一こまを振り返っているような気がします。


 

 みなさまへ

 ご心配をおかけしましたが、何とか平時の体調に戻ったように思います。もう大丈夫です。本当にありがとうございました。

 みなさまからのさまざまな励ましやお心遣いに対し、この記事をもってあらためて感謝申し上げます。                 

深謝再拝


 

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・年頭の辞

2022年01月01日 16時51分49秒 | ■つれづれに(日記)

恭賀新年

 新年明けましておめでとうございます。

 “年が改まる” とは文字通り最高の慶賀であり、同時にとても “贅沢な時間のゆらぎ” とでも言うのでしょうか。この数年、特にそのことを感じるようになりました。

 

 毎日散歩する福岡市東区の奈多の海岸。お昼ちょっと過ぎにはサーファーが十数人出ていました。最近の傾向として、20、30代の女性と中年男性が増えたような気がします。ウエットスーツを身につけているとはいえ、またどんなに天気晴朗なりといえども、寒いことに変わりはないとのこと。

 

 年末に摂取した例のワクチン。2回目でしたが、これが思いもよらぬ反応を示し、年末の十日間は “ひたすら病床静臥の時” をやり過ごすのみとなりました。

 この予想外の身に降りかかった “時のゆらぎ” を、今年一年の象徴的な一縷として受け止め、身を引き締めてゆく所存です。ありがたいことに、“思索意欲”が少しも損なわれていないことは、ひたすら神への感謝あるのみです。

 現在、企画出版向け(出版社へ持込み予定)の原稿を纏めています。病臥の身ではあっても、原稿執筆や関連事項に関する思索から抜け出ることはありません。じっくり再吟味し、また一段と内容を深化させるためにも、“病臥の思索”をむしろ善なりとして受け止めています。

 みなさま、今年もどうかよろしくお願い申し上げます。

 2022年1月1日 16時50分 暮色を帯び始めた志賀島を臨みながら

                花雅美 秀理

 

 

 

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・聖書映画における避けるべき映像表現❷

2021年09月25日 11時42分53秒 | ◆聖書映画は聖書に忠実に
 

    読者のみなさんへ

  今回も編集上の都合により、【理想の聖書映画】シリーズの第2回目をお送りします。漢字は日本人のアイデンティティ⑤(最終回)』は次回となりました。



 
  この【】をご覧になる前に、前回【】巻末の「ルカ5章1節~11節」の聖句を先にお読みください。

 
 
  ……………いかがでしたか?
 
  「ルカ5章1節~11節」の聖句――。2そうの舟」が沈みかけるほど大豊漁の場面が描かれていました。ペテロのそばにはゼベダイの息子ヤコブヨハネの兄弟がおり、そしておそらくペテロの兄弟アンデレ(弟)もいたはずです。他にも、加勢の漁師がいたのかもしれません。
 
 イエスが漁師のペテロをはじめ、ヤコブヨハネを「弟子(後の12使徒)」として迎えるガリラヤ(ゲネサレト)湖畔でのこの場面は、他のつの「福音書」にも出ています。巻末の「※注①」及び「*特別注1~3」をご覧ください。
 
 
 
 〝魚網〟が破れるほどの〝活きた魚〟はどこに?
 
  ところが大変残念なことに、私が観た「映画 」での〝上記聖句に当たる「シーン」(映像表現)〟では、舟の中に飛び出たわずかな量の魚は生きてはいても、とても弱々しいものでした。
  それに加えて、膨れ上がった網の中の大量の魚は明らかにぐったりとした〝死んだ魚の塊(かたまり)〟だったのです。
 
  とても「ルカ5章6節」にあるような〝おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった〟という状態――。すなわち〝活きた魚が跳ね踊り、網から逃れようとする激しいまでの生命の漲(みなぎ)りには程遠いものでした。
 
   しかも「映画 」はそのあと、〝おびただしい数の死んだ魚で膨れ上がった網〟を、何とか舟に引き揚げようとする「シーン」へと続いたのです私はそのあまりの痛ましさに、すっかり鑑賞意欲を失くしていました。
 
  映画(DVD)が始まってから「このシーン」まで、わずかちょっとしか経過していません。私はDVDを止めて、しばし考え込んでしまったのです。私の「聖書映画」体験において、このときほど衝撃的で信じがたい「シーン」はありませんでした
 
 
  それから10分ほど経過したでしょうか。私は〝この「映画 」を最後まで見届けることが、今の自分に与えられた使命〟という気持ちで自らを奮い立たせ、再びビデオデッキのスイッチを入れました。覚悟を決めての鑑賞再開ですが、「ノート」を取ることを忘れませんでした。
 
  なんとか最後まで鑑賞しましたが、正直言って辛い時間となりました。残念ながら、いくつかの〝問題点〟も発見したのです。それらは〝明らかに聖書の記述とは異なるもの〟であり、また〝聖書に記述されてはいないもの〟明らかに聖書の神聖さや霊性とは調和しがたいもの〟でした。
 
 
 
   それ以来、「網にくるまれ多量の死んだ魚」が出て来る「聖書映画」を、私は他に4、5本観たと思います。おそらく読者の中にも、同じようなシーンをご覧になった方はいらっしゃるでしょう。
 
  例えば 「映画」では、確かに〝勢いよく網の中の魚は跳ねてはいた〟ものの、その数は〝とりたてて語るほどの量〟にはほど遠く、ペテロヤコブ、そしてヨハネが驚いたり、感動したりするほどの〝大豊漁〟には、遥かに及ばないものでした。
 
  『えっ? 獲れた魚って、たったこれだけですか?』
  『 ……2そうの舟が沈むほど、大量に獲れたのでは?』 
    ……と言いたくなるのも無理はありません。大変残念ですが、これではせっかくの「シーン」が逆効果になるのでは……。
 
  また「映画 」では、豊漁の網を複数の漁師が引き揚げるシーンはあるものの、ソフト・フォーカス気味の背景として〝ぼかされ〟、そのフィルムの上に〝わずかな魚が勢いよく跳ねる映像〟がオーバーラップしているだけでした。
 
 何とか苦心して〝とにかく、それなりのシーンを創ってみました〟という、少々〝興醒めした印象〟が残っています。 
 
 
 
  〝永遠の生命〟を象徴する〝おびただしい活きた魚
 
  以下は、あくまでも私の感想です。
 
  聖句が伝える〝おびただしい数の活きた魚〟とは、〝永遠の命〟を伝える「キリスト・イエス」と、その「弟子」となる「漁師たち」との〝師弟となるための儀式の象徴〟でもあったのでしょう。
 そのためにも、やはり〝魚は網が破れそうになるほど〟、また〝舟が沈みそうになるほど〟の〝大豊漁のシーンであって欲しかったのですが……。
 
 キリスト・イエスの奇跡とも言える〝大豊漁〟だからこそ、ペテロはそこに〝人間智を遥かに超えた尋常ならざる霊的な力〟を感じたのであり、反射的に〝これまでの自分という存在の不確かさや遣り切れなさ〟を実感させられたのではないでしょうか。
 
  だからこそ、シモン・ペトロイエスの足もとにひれ伏し、こう言うしかなかったのです。
 
  「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」
 
  ペテロの〝その気持ち〟は、ヤコブヨハネにしても同じだったと思います。
 
  というより、「神の子」としての「キリスト(救世主)・イエス」は、総てをお見通しの上で彼等に近づき、あえて〝舟を再び湖に漕ぎ出させて群衆に語り〟、〝沖に進ませて網を打たせ〟、〝大豊漁による驚きと感動に誘った〟と言えるでしょう。
 
 そして事も無げに、しかし〝生命の躍動と崇高な使命感を彼等の魂に満たしながら〟『それこそがあなた方の生きる道である』と、生命(いのち)を吹き込んだのかもしれません。
 
  「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」

  それだからこそ彼等は、何の疑念も躊躇(ためら)いもなく、

 〝舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従う事が出来た〟

   ……ということではないでしょうか。そのような〝素早い心の転換〟と〝自分の総てをイエスに預けるという行動〟を彼等にもたらした〝第一の感動〟は、やはりまずは何と言っても――、

 〝網が破れそうになるほどの生命力溢れる魚群〟であり、〝舟が沈みそうになるほど〝大豊漁〟
 
  ではなかったでしょうか。私にはそのように伝わって来るのですが……。
 
  大豊漁よ、そしてその〝シーン〟よ、永遠に! 
(続く)

 



 
※注① 以下、いずれも「福音書」です。 ◇マタイ4:18~22 ◇マルコ1:16~20 
 
★特別注 ◇ルカ4:31~41。ことに38~39において、イエスはシモン・ペテロの「姑(しゅうとめ)」が、熱で苦しんでいるのを癒されたくだりがあります。ということは、〝大豊漁〟の際には、すでにイエスとペテロとは〝顔見知り〟であったことが分かります。 
 
★特別注 ◇ヨハネ1:35~42では、ヨルダン川のベタニアにおいて人々に洗礼を授けていた「洗礼者ヨハネ」の弟子のアンデレ(シモン・ペテロの兄弟)が、イエスに従う場面があります。アンデレはその後、ペテロをイエスのもとに連れて行きますが、このときイエスはペテロを『〝ケファ(岩)〟と呼ぶことにする』と言っています。
 
★特別注 興味をお持ちの方は、この際ぜひ、◇ヨハネ21:1~14をご覧ください。
 

ⓒ 2021 感性創房(花雅美秀理)

 
 
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・聖書映画における避けるべき映像表現❶

2021年09月19日 01時31分20秒 | ◆聖書映画は聖書に忠実に

  読者のみなさんへ

  本来、今回のUP記事は、『漢字は日本人のアイデンティティ⑤(最終回)』の予定でしたが、編集上の都合により【理想の聖書映画】シリーズの第1回目として、この『聖書映画は聖書に忠実に 【1】』を先にお送りします。

 

 


 

  [聖書]に忠実な[聖書映画]を願って

  この【理想の聖書映画】シリーズは、定期的な連載ではありません。その都度、思いついたことを気ままに綴るため、他の「シリーズ」や「スポット記事」が間に入って来ることがあるかも知れません。

 ともあれ、次の「A、、B 2点」について、あらかじめお伝えします。

 

 : どの「映画」に対しても、私個人の〝映画愛〟と、製作関係者に対する〝リスペクト(respect)〟のために、〝批判的な表現〟はできるだけ避けたいと思います。

  とはいえ、やむをえず〝批判的な表現〟を必要とする場合は、対象映画の「タイトル」を伏せることにいたします。

  ここでの〝批判的な表現〟とは、「対象映画」における「映像表現(演技、台詞(せりふ)、カメラワーク、シーン構成等)」が、次の)()()の3つのいずれかに該当する場合を指しています。

 

 (明らかに聖書の記述とは異なる〟場合。

 ) 〝聖書の記述に合致する〟ものの、〝映像表現としては明らかに〝避けるべきと思われる場合。

 ()〝聖書に記述はないものの明らかに聖書の神聖さや霊性とは調和しない 〟と思われる場合。

  等となります。したがって――、

 

 : 「聖書映画」の鑑賞や評価を行う場合は、たえず「聖書記述」との〝比較検証〟をもとに進めたいと思います。そのため、かならず〝該当する聖書の箇所〟を具体的に表記します。例えば「マタイによる福音書/5章3節」といった具合です。 ※ケースによっては「マタイ5:3」と略記することもあります。

 したがって、私〝花雅美 秀理(かがみ しゅうり)〟の〝個人的な考えや感想〟を述べる場合は、必ず「私見として……」や「私の考えでは……」といった〝前書き〟を入れることにいたします。

 ともあれ、この《理想の聖書映画》シリーズは、映画大好き人間の私が〝クリスチャンの一人〟として、『聖書』の素晴らしさとその奥深さを実感する中で、〝どうしても伝えなければ〟と強く願っていることを綴るものです。

 それは言うまでもなく、〝聖書記述と異なったり聖書の神聖さや霊性とは調和しないといった映像表現〟を、しでもなくしたい思っているからです。

  そのためこの《理想の聖書映画》シリーズは、これから聖書映画」の製作をお考えの方々のヒントになればと思います。具体的には、監督、製作、脚本、時代考証担当」といった方々を中心に、「美術、照明、音楽、編集」等はもちろん、主な「キャスト」も含まれています。

 ズバリ言ってこの「シリーズ」は、私が少年時代から秘かに憧れて来た、「ハリウッド」のみなさまのお役に立てばという気持ちです。それは、優れた「聖書映画」の多くが、「ハリウッド」で創られたという歴史があるからです。

 

 

  『King of Kings』から始まった私の聖書映画

   私のこれまでの人生において、最初に観た「聖書映画」は、『キング・オブ・キングス』(King  of  Kings)〈MGM 映画〉でした。1962年の年明け早々に、一人で観に行った記憶があります。私は中学2年の14歳であり、母からチケットを貰って観に行ったものです。母も誰かにチケットを貰ったとのことでした。

  映画はニコラス・レイ監督、フィリップ・ヨーダン脚本であり、「キリスト・イエス」役には「ジェフリー・ハンター」(Jeffrey  Hunter)、「洗礼者ヨハネ」役には「ロバート・ライ アン」(Robert  Ryan)がキャスティングされていました。少なくともアメリカではかなりヒットしたようです。

  それ以降60年後の今日まで、私は映画館での鑑賞、DVD視聴、ネット動画視聴等30本近い「聖書映画」を鑑賞しました。それに加え、「聖書を題材の一つ」とする30数本の映画・TVドラマも観ています。

  詳細については、本シリーズにおいて順次明らかにして行くわけですが、今回第1回目の〝まとめ〟として、〝絶対に避けるべき映像表現〟についてお話します。

 その「映像表現」とは最初に述べたA」の)」

 〝聖書の記述に合致する〟ものの、〝映像表現としては明らかに避けるべき〟と思われる場合。

 に該当します。

 これからお話する 「映像表現」の「具体的な内容」については、地域・国籍・民族・宗派を問わず、おそらく多くの「クリスチャン」も納得されるでしょう。また、すでにそのような「聖書映画」や「TVドラマ」をご覧になった方もいらっしゃると思います。

 少なくとも私にとっては〝心を痛めたシーン〟であり、その後、複数の聖書映画」において〝同じようなシーン〟を観ることになったのです。

 

  絶対に避けるべき映像表現とは?

  これからお話する「心を痛めたシーン」の元となった聖書の該当箇所は、「ルカによる福音書」の5章1節から11節、ことに「5章6節、7節」です。以下は「日本聖書協会」の「新共同訳」(オンライン)より――。 文章は原文のままですが、改行や行間空けを加えて読みやすくしています(花雅美)。 



 

   漁師を弟子にする

  1 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。

  2 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。

  3 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。

  4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。

  5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。

  6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。

  7 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。

  8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。

  9 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。

10 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」

11 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。 



 

   さて、みなさん。以上の「聖句」が、どのようにして絶対に避けるべき映像表現〟となっていたのでしょうか。しばし、お考えください。

 ……もうお気づきの方もいらっしゃるでしょう。何となく〝特定の映画〟が想い浮かんだという方も……。(続く)


 

ⓒ 2021 感性創房(花雅美秀理) 

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・漢字は日本人のアイデンティティ ④

2021年09月14日 11時30分47秒 | ■文化小論

 

  日本人名前に刻み込まれた儒教思想

  前回までの〝おさらい〟を兼ね、私見を交えながら進めてみましょう。

  1.日本人にとって中国から伝わって来た「漢字」は、「日本文化」とりわけ〝言葉〟や〝言語表現〟の中に深く根ざしている。

 2.上記の〝言葉〟や〝言語表現〟は、「儒教思想」の「仁・義・礼・智・信」そして「忠・孝・中庸」等といった徳目(道徳)として、〝日本人の精神の奥深くに浸透して行った〟。

 3.その〝精神への浸透〟こそが、日本人に〝正直で親切、穏やかでで優しい、礼儀正しく丁寧、清潔で几帳面、規律遵守の徹底、調和の心に満ちている〟といった好い評価をもたらした。

 4.そして以上の〝精神への浸透〟を決定的にし、今日も少なからぬ影響を与えているものこそ、「教育勅語」(※注①)と言えるでしょう。これこそまさしく、「忠君愛国」主義と儒教的道徳を根幹とする学校教育でした。

 5.以上2・3・4の〝精神への浸透〟の一つの証左として、「日本人の名前」の中に、「儒教」の徳目を意味する「漢字」の使用が数多く認められる。

  と言うところでしょうか。

  ではここで一つ「クイズ」を。次の「漢字」は、いずれもかなり昔の〝或る物語〟に登場するキーワードです。さてその「物語」とは何でしょうか。

 【仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌】

 

  「八文字」がヒントですが……、「儒教思想」に出て来る「仁・義・礼・智・信・忠・孝」の七文字が入っていますね。「」だけは新たに出て来た一字ですが、実はこの「」も「儒教思想」を支える重要な一語です。

  というのも、「論語」において孔子は、『と言う事こそ、仁徳の根本であろう。』(※注②)と語っているからです。すなわち儒教における「」とは〝親に従う事〟、「」とは〝兄や年長者に従う事〟を指しています。この二つがあってこその「」を説いているのです。

 

  ところで、答えは……というと、『南総里見八犬伝』です。この物語に登場する「伏姫(ふせひめ)」は、幼い頃に護身の数珠(108玉)を授かっていました。彼女は後にある出来事により、身の純潔を証するために自害するわけですが、その際、大玉の「八つの玉」が八方へ飛び散ります。それには「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字が印されていました。

  そしてこの「霊玉」を持つ、苗字に「」の文字が入った「八犬士」が登場して来るのです。

 

 仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 表札に求めた小学二年生

   1947年(昭和22年)生まれの筆者は、「団塊(だんかい)の世代」であり、戦後〝ベビーブーム〟のさなかに生まれました。

  『南総里見八犬伝』を読んだのは、小学二年の初め、放課後の図書室でした。今思えば、小学生向けにコンパクトに判り易くまとめられた読み物だったのでしょうか。それでも、3巻か4巻になっていたような気がします。とにかく、一気に読み終えたことを憶えています。

  それ以降、特に小学校から中学時代は、いつとはなしに「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八文字が筆者の中で反芻され、日常生活の中で触れるこれらの「漢字」に、特別な愛着を感じるまでになっていました。

  印象深く憶えていることは、小学校の高学年から中学時代に触れた「礼子」「智子」「信子」「孝子」という女子の名前でした。もちろん、男子名の「仁(ただし、ひとし)」「義(ただし)」「礼(あきら、ひろし、まさし)」「智(さとし、さとる、まさる)」「忠(きよし、ただし)」「信(あきら、まこと)」「孝(たかし)」などもそうです。

  また以上の八文字を〝組合わせた〟「義仁、義信、義孝、信義、信智、信忠、信孝、忠礼、忠義、忠孝、孝義、孝信」等もありました。こうした儒教熟語」の「名前」については、家々の表札を見ているときに見出したものが圧倒的に多かったようです。それもそのはず。筆者は小学校の通学コースを大きく外れ、まるで〝宝探し〟でもするかのように、「八文字」のある「表札」を追い求めていたのですから。

  この小学二年生の頃、筆者は福岡市(現在の「東区」)箱崎の近くに住んでおり、それも「九州大学箱崎本校」のすぐそばでした。「九大前(当時は「帝大前」)」という電車の終点駅があり、その傍に「古本屋」が5、6軒以上あったように記憶しています。

  小二の筆者はほぼ毎日、放課後はひたすら「図書室」に通い、その帰りにこれらの「古本屋」に入り込んでは、書棚の背表紙の「著者名」に、あの「八文字」を見出そうとすることもありました。〝他の誰も知らない、筆者一人だけの秘かな愉しみ〟でもあったのです。

 さらに上記「八文字」に、高い道徳性を意味する「正」「良」「善」「和」「真(眞)」や「明」「幸」「豊」「平」などを組合せたものも数多く見られ、女性の名前だけみても、上記に「子」を付けただけの代表的なものとして、ご承知のように「正子、良子、和子、明子、幸子」などがあります。

 男性名となれば、すぐに思いつく「義正、正義、義明、義幸、智和、智明、智幸、忠良、忠明、忠幸、信良、信明、信幸、良孝、孝明、和孝」等であり、これらの組合せは膨大な数に上るでしょう。

 さらに女性名としては「美」「優」「雅」「愛」なども、格調高く道徳性や美意識を漂わせるものでした。「美子、優子、雅子、愛子」はもちろん、「八文字」との組合せによる「仁美、美智子、智美」などがそうであり、男性名の「雅義、雅信、雅孝」などもそのようです。

 ……とここまで来れば、もうお気づきでしょう。……そうです。今上天皇の「徳仁(なるひと)」陛下」、皇弟「秋篠宮文仁(ふみひと)親王」さらに「悠仁(ひさひと)親王」と、皇族男子のお名前には、いずれも「」が付けられています。

  のみならず、平成天皇でいらした上皇陛下「明仁(あきひと)親王」をはじめ、昭和天皇の「裕仁(ひろひと)親王」、大正天皇の「嘉仁(よしひと)親王」、明治天皇の「睦仁(むつひと)親王」にも共通しています。つまりは「儒教」最大の徳目である「」を、男子皇族はお持ちだと言う事です。

 「令和」すなわち「Beautiful  Harmony」(美しい調和)に相応しい「」(思い遣り、慈しみ)であり、いかに「儒教思想」が日本に、そして日本人に根付いているかの証左ではないでしょうか。(続く)

 


 【参考】

※注① 正式名称は教育ニ関スル勅語」。1890年10月23日に下され、1948年6月19日に、国会により排除又は〝失効〟が確認されました。これは家族国家観に基づく、教育の基本方針を示す明治天皇の勅語。「勅語」とは「天皇陛下の御言葉」です。この「教育勅語」こそが、「天皇制」の精神的・道徳的支柱となり、学校ではこの「教育勅語」の暗唱が義務付けられたようです。


※注② 「論語」學而第一。原文は、「弟他者、其爲之本興」。「読み下し文」は「孝弟なる者は、其れ仁の本なるか」。  「弟」は「悌」と同じです。


※注③ 漢字」一つの読み方をみても、想像以上に多いことが分かります。「」にしても、他に【じん、にん、きみ、きむ、さと、しのぶ、とく、とし、とよ、のり、ひさし、ひろ、ひろし、まさ、まさし、めぐみ、めぐむ、やすし、よし】など多数あり、「」にも、【あき、いき、しげ、たけ、ちか、とも、のり、みち、よし、より】、「」にも、【あき、あや、かた、なり、のり、ひろ、まさ、みち、ゆき、よし】その他かなりあります。もちろん「」「」「」「」「にしても、実に多彩です。ぜひ一度確かめてみてください。


 ◆宮内庁-天皇皇后両陛下(※「愛子内親王」含めて)[website]  ☚

 

 

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