『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・スペイン・サッカー連盟会長の母上様へ-2:書簡❶

2023年09月03日 21時46分22秒 | ◇聖書・キリスト教

 スペインサッカー連盟会長の母上:アンへレス・ベハール様へ

 

冠略 ご子息の件に関し、教会において「ハンガーストライキ」による「抗議行動」を開始されたとのニュースを拝見しました。

 8月29日配信のロイター・ニュースでは、ご子息の従姉妹(いとこ)とおっしゃる女性が、貴女やご子息について記者団の質問に答える様子が映っていました動画1。その際、「画面」に翻訳された彼女のメッセージは、以下のとおりです原文のまま)

『彼女は病気になるかも知れない。だが彼女は彼の母親であり、息子が不当な扱いを受け攻撃を受けているとき、彼女のように誠実な母親であれば、神に助けを求めるのは普通のことだ。絶望に打ちひしがれ、他にどこを当たればいいのか、わからなくなる時が来る。それは論理的で普通のことだ。』

 そう語った彼女は、『ハンストの事を(ルビアレス)会長は知っているのか?』という記者の質問に対し、

『もちろんは知っているし、そのことでとても苦しんでいる。母親にそんな事をして欲しくないから苦しんでいる。だが息子の本当の姿を知っている母親にとって、普通の事だよ。』

 その3日後の9月1日、貴女の体調を懸念されたご家族が貴女を入院させたとのニュースが入り、その数時間後にご子息のルビアレス連盟会長が迎えに来られ、無事退院されたとのことでした。この一報に、世界中の多くの方々が安堵されたことでしょう記事1

 もちろん私もその一人としてホッとするとともに、多少なりとも「聖書」に基づく生き方を心がけたいと願うクリスチャンとして、“考えさせられること”ありました。

 時代や民族を超えた“家族相互の愛”の奥深さ。中でも“母親とその子供との愛”は、想像を超えたものがあるように思います。その意味において、貴女のこのたびの「ハンガーストライキ」は、“母性愛の究極的な証”と言えるのかも知れません。

 とはいえそれは、あくまでも「一般社会」すなわち“「聖書」とは無縁の社会・文化における価値基準によるものではないでしょうか。少なくとも「聖書」を生活信条とする「クリスチャン」として、私は以下のように第1】【第2】のような「疑問や懸念」を抱かざるをえませんでした。

 

✤✤✤

 【第1】/ご子息に対する、このたびの“母性愛の行使”は、明らかに「聖書」の教えとは異なるものではないでしょうか。と言うのも《主イエス》は、〈マタイの福音書〉において次のように語っているからです(※❶❷❸印は筆者によるもの)。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしについて来ないものは、わたしにふさわしい者ではありません。(マタイ10:37)※註①

 ❶❷は、“他人よりも自分の家族を最優先しがちな人間のエゴイズム”を戒める趣旨でもあるのでしょう。世の中には“愛する妻や子供”のために、他人を欺いたり盗んだりしてでも、金品を奪い取ろうとする者がおり、ときには生命を奪うこともあります。しかし、生命を奪われた人”にも、“愛する妻や子供がいる”のです。

 それだからこそ《主イエス》は、自分の十字架を負ってわたしについて来る』ようにと説いています。『自分の十字架を負って』とは、この場合“自分や家族の利害損得に固執することなく”、“主イエスがお手本として示される《隣人愛》に徹する”ことだと思います。無論、《平和・正義・公平公正》と言われるものが含まれていることは、言うまでもありません。

 それがひいては、“神の御心に叶う生き方”であるとの教えでしょう。そうでない人は、❶❷❸において繰り返される『わたしにふさわしい者ではありません。』となります。

 『わたし』すなわち《神のひとり子・主イエス・キリスト》。その〈御子の想いや言葉〉は、全て“御子を地上に送られた”《父なる神創造主)》のものです。従って『わたしにふさわしい者ではありません。』とは、父なる神の御心に叶う人ではないということになります。

 主イエスはまた、『天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。』(マタイ12:50)とも述べられ、

 〈ヨハネの福音書〉においても、『わたしが話していることは父がわたしに言われたとおりを、そのまま話しているのです。』と語っています(ヨハネ12:50)

 なお〈マタイの福音書〉には、次のような聖句も見られます。それは非クリスチャンの方であってもご存じの、主イエスによる《山上の垂訓》での一節です。

自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。収税人※註②でも同じことをしているではありませんか。』(マタイ5:46)

 “人が人を愛する”こと、特に“家族同士の愛”は至極当然であり、とりわけ“母性愛”なるものはそうだと思います。だが主イエスは、そのような『家族愛や母性愛は、ことさら誇ったり賞賛されるものではない。』と諭しているかのようです。

 その証左として、あの時代に同胞のユダヤ人から「卑しむべき職業」として嫌われた「収税人(しゅうぜいにん)」でさえ、『愛し愛される人間である』との趣旨を付け加えたのではないでしょうか。

 もっとも“家族愛”や“母性愛”と言われるものは、人間に固有のものではなく、どのような動物であれ「種の保存本能」として備わっているのは周知の事実です。ことに我が子が他の動物に襲われようとする際の母親の反撃は、自身の危険を顧みることのない崇高なものであり、その必死の様に胸を打たれるものがあります。(続く)

 


動画1選手にキスしたスペインサッカー連盟会長の母親がハンスト、息子への「不当な扱い」に抗議(ロイター)(8月29日16:00配信)クリック

記事1:キス問題のスペインサッカー連盟会長の母親が入院 息子の処分にハンストで抗議も3日で体調不良(9月1日8:12配信) ☚クリック

なおご参考までにーー、

記事2エルモーソ、スペインサッカー連盟会長に反論「キスには決して同意していない。彼が辞めない限りスペイン代表に戻らない」…そして政府も動き出す ☚クリック

◆【記事3】“キス騒動”が収まらない。スペインサッカー連盟会長はどんな人物か?犯した罪の核心 ☚クリック


※註①:本稿において引用した「聖書」の文言は、全て「日本聖書刊行会」の「新改訳」2版19刷(2001年1月10日発行)」に基づいています。

※註②:「収税人(しゅうぜいにん)」とは、その当時ユダヤを属州として支配していた「ローマ帝国」のために、税金の取り立てを請け負ったユダヤ人です。彼等はユダヤ人同胞から税を取り立て、しかも「定められた額」よりも多く取り立てることがあったため、「罪人(つみびと)」として同胞から嫌悪され、排斥されていました。しかし、イエスはそう言う「収税人」であっても弟子にしたのです。イエスの「12使徒」の一人「マタイ」の職業は「元・収税人」であり(マタイ9:9)、彼は〈マタイの福音書〉を書いたと言われています。


 

 


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