『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・西南学院大学公演案内『鳩とか腹とか振り子とか、きっと君の体内には廻るクロニクル』

2014年05月30日 01時28分29秒 | ○福岡の演劇案内

 

  大学4年の頃、夢中で『ファウスト』(ゲーテ)を読み耽りました。いまも手元にその当時の「岩波文庫」(訳:相良守峯)がありますが、上下2巻で900ページを超える長編です。久しぶりに開いて見ると、赤鉛筆でラインを引いた箇所が結構眼に付きます。

   個人的に一番好きな箇所が次の一節です。主人公の「ファウスト」が、悪魔「メフィストフェレス」に語りかける場面です。というより、宣言し、約束するという場面でもあるのですが、最初の部分はいろいろな機会にご覧になったことでしょう。多少アレンジした表現が、歌や化粧品などのCMフレーズに使われたこともあります。確か『時間よ止まれ!』というのではなかったでしょうか……。

               ☆

  私がある瞬間に対して、留(とど)まれ、

  お前はいかにも美しい、といったら、

  もう君は私を縛り上げてもよい、

   もう私はよろこんで滅びよう。

   もう葬(とむら)いの鐘が鳴るがいい、

   もう君のしもべの勤めも終わりだ。

   時計は止まり、針も落ちるがいい

   私の一生は終りを告げるのだ。

        ☆

  「太字」は、筆者自身が特に波線で強調した部分です。「訳者」によっては、「瞬間」を「時間」や「とき」としているものもあるのでしょうか。しかし、私は「瞬間」が相応しいように想うのですが……。この「フレーズ」については、別の機会に触れてみたいと思います。

   ともあれ今回の舞台において、 “とき” や  “時間” そして  “瞬間” とはどのようなものなのでしょうか……。もちろん、その答えは私も知りません。いえ、そもそも “その答え” があるのかないのかも……。

   さて、いったいどのような “切り口” の舞台となるのでしょうか。楽しみです。

  

        ★   ★   ★

   西南学院大学演劇部 2014夏季定期公演

 『鳩とか腹とか振り子とか、きっと君の体内には廻るクロニクル』

 

・作/大矢場 智之  ・演出/花浦 貴文  

 [あらすじ]

 …1個くらいはまともな時計作りたいんだな…
 最高の時計職人と謳われていた父・ルマンドの後を継ぐべく、時計職人になることを決めたコパン。

 そんなコパンを様々な試練が待ち受ける!
 購入者からのクレーム、起死回生の万国博覧会への出店、国の威信をかけた時計塔建設…

 それらを乗り越え、日に日に周りに認められコパンは職人として成長してゆく…

 しかし、彼女の作る時計には重大な欠陥があり、それが国を巻き込む大事件へと発展していく!
 そんな中で、コパンは時計職人としての生き様を問われるのだった。

[日時]  ※「開場」は、各「開演」の30分前からです。

 613日(金) ・18 : 30開演

 614日(土) ・13 : 30開演  ・18 : 00開演

[場所]  

  〒814‐0002 福岡市早良区西新6‐2‐92

  西南学院大学内 西南会館3階 大集会場

  ◆西南学院大学演劇部の会場案内(「アクセス」に詳細があります)

[料金] 

  ・前売り券 200円  ・当日券 300円

 

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・老いらくの恋歌/相触れて帰りきたりし日のまひる……

2014年05月24日 13時49分55秒 | ■俳句・短歌・詩

 

  本の整理は “宝探し” ?!

  久しぶりに「本」の整理をした。「押入れ」に仕舞いこんだままの「本」、ことに「文庫本」を中心に入れ替えるためだった。だが筆者にとって、この「図書整理」ほど “混沌” と “混乱” を齎(もたら)す作業はない。“整理” どころか、いつ果てるともない “だらだらとした拾い読み” を貪り、つまるところは、まともな片付けもできないまま “疲れ” と共に “敗戦” を迎える……というパターンが多い。

  とはいえ、この “拾い読み” が満更ではないこともまた真実。それはときに、 “宝物を掘り当てた” かのような体験をすることもある。このたび「見出した本」も、まさにそうだった。 

  7、8年前に購入した『あなたと読む恋の歌百首』――。俵万智著による「文春文庫」であり、女流歌人独自の解釈と鑑賞をうかがい知ることができる。しかし、内容についてはほとんど忘れていた……と言っても、無論、購入の際に “拾い読み” をしたのは間違いない。それがあったればこその購入だからである。掲載歌人は俵氏を含めて101人、一人一首の計「百一首」が収められている。

       

  北原白秋と川田順

   この「本」の中に、本ブログ『新・百人一首:近現代短歌BEST100』で採り上げた歌が「2首」入っている。

   クリック! ◆男の恋と愛と『新・百人一首:近現代短歌BEST100―(四)』

 

    君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

    相触れて帰りきたりし日のまひる天の怒りの春雷ふるふ

  

   前者は北原白秋であり、「舗石」の読みは「しきいし」。後者は川田順(かわだじゅん)。今回、後者の歌についての解釈・鑑賞に、大いに興味をそそられた。俵氏の冒頭の一節はこう語る――。

  『昭和二十三年、作者六十六歳のときの作品である。』 

   筆者は昭和二十二年生まれの、まさしく同じ “66歳”。次の一節に少々驚かされた。

  『この恋愛は、当時、大スキャンダルとなった。二十七歳年下の三人の子を持つ人妻が、恋の対象だった。』

   ここでの「大スキャンダル」とは、その“序章”にすぎない。だが筆者が上記『新・百人一首:近現代短歌BEST100-(四)』において、川田順のこの歌を採りあげたとき、以上の “事実” はまったく知らなかった。知っていたのは、“人妻との不倫” ということだけであり、以下のように注釈している。 

 

   『……前歌の白秋が、「人妻」を「情事の場」から『君かへす』として、まるで “勝ち誇ったかのように堂々” としているのに対し、この作者の『相触れて帰り来たりし』には、“こそこそと逃げ帰って来たかのような後ろめたさ” が感じられる。

  『まひる』『春雷』『ふるふ』が、実によく響き合っている。『天の怒り』がなくとも、作者の “背徳性” は充分伝わっている。だが作者があえて『天の怒り』としたのは、自らを罰する意味ではなかっただろうか。そんな気がしてならない。』

       

  老いらくの恋

    66歳の歌人に師事した39歳の女弟子。それも一男二女の人妻であり、夫は京都大学教授(経済学者)。妻を亡くしていた川田順は、この恋に苦しみ悩む。

   それでも1949年、「恋の相手」の人妻すなわち「鈴鹿俊子」は、何とか夫に離婚を赦してもらう。川田と結婚する条件が整うわけだが、川田は京都法然院の亡妻「和子」の墓に頭を打ち付けて自殺を図る。……そういうときの心境だろうか。『東帰』に次のような歌を残している。 

  死ぬることを決めし心の吾が顔に見えもやすると怖れつつ逢ふ

   だが川田は一命を取りとめる。この「不倫の恋の自殺未遂事件」を、「産業経済新聞」の記者が取材している。記者は川田の歌の一節を引用して“老いらくの恋”という見出しを付けた。この言葉はその後「流行語」となるわけだが、このときの記者こそ、後に直木賞を受賞して大作家としての道を歩む、「司馬遼太郎」その人だった。

  ともあれ、川田と俊子は結婚にこぎつけ、夫婦として添い遂げた。俊子は川田の死後42年もの歳月を生き続け、2008年2月に98歳という天寿を全うしている。  

       ☆

   俊子について、俵氏の次の一節がある。

   『……俊子夫人は今もお元気で、昨年、とある会でお目にかかった折の言葉が印象深かった。

   「人間はね、つねに誰かに見守られて生きているの。私は、今も川田に見守られていると感じるのよ。」』

 

  これはおそらく、2004年頃のようだ。とすれば、俊子はこのとき94歳。俵氏に語りかけた表情が見えてくるような気がする。それと同時に、人間の “宿命” や “業” を超えた “得体の知れない力” のようなものを感じた。……いや、そうではあるまい。それはひとえに、 “えにし)” という、実に身近で平凡なものかもしれない。 

        ☆   ☆   ☆

   ◆川田順

   ◆鈴鹿俊子

   

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・白蓮と旧・伊藤傳右衛門邸/NHK『花子とアン』-下

2014年05月16日 00時16分46秒 | ■人物小論

 

   前回の記事をアップした後、知人より本ドラマの「ダイジェスト」があるとのアドバイスを受けた。その放送は10日(土)にあり、これを観た後、NHKオンラインの『花子とアン』を初めて覘(のぞ)いた。その「登場人物」紹介において、「花子」の将来の夫となる人物が、すでにドラマの中に登場していることを知った。

   また「蓮子」に関しても、「伝助」のことだけでなく、“将来大きな関わりを持つこととなる”年下の青年「宮本龍一」(実名〈宮崎龍介〉)も登場している。

   さらに「蓮子」が、歌人として〈白蓮〉をペンネームとすることや、〈与謝野晶子〉の『君死にたまふことなかれ』の一節を朗読しているシーンもあった。「葉山蓮子」の実名は〈柳原○子(やなぎはらあきこ)〉[★「あき」に当たる「○」は、「火」編に「華」の字]。

   ちなみに、与謝野晶子は「蓮子」すなわち〈あき子〉の7歳年上(1878~1942)であり、あき子(1885~1967)が14歳で結婚した1900年(明治33年)、晶子は〈鉄幹〉が創刊した『明星』に社友として参加し、短歌を発表している。その晶子が歌集「みだれ髪」を刊行し、正式に鉄幹と結婚した翌1901年(明治34年)、あき子は15歳で長男を出産した。

   あき子は結局、1905年(明治38年)に破婚となって実家へ戻ることになり、その3年後に「修和女学校」(実名:〈英和女学校〉)に入学した。そこで『花子とアン』のヒロイン「安東はな」(実名〈安中はな〉)と出会うこととなる。

       ☆

   5月13日(火)の放送分は、「蓮子」が「嘉納伝助」に嫁ぎ、この「伝助」邸において三日三晩、婚姻のお披露目が行われるというもの。この「嘉納伝助」邸こそ、現在も福岡県飯塚市の有形文化財として残る『旧・伊藤伝衛門邸』であり、その庭園は『旧伊藤傳右エ門氏庭園』として、国の「史跡名勝」となっている。

   「嘉納伝助」の実名は〈伊藤傳右衛門〉(いとうでんえもん)。旧邸の現住所は「福岡県飯塚市」だが、建築当時は「福岡県嘉穂郡」となっていた。つまり、「嘉納」の「」は「穂郡」、「伝助」は〈右衛門〉から来ている。

  5月14日(水)の放送分では、昨日に続いて「伝助邸」でのお披露目。史実に沿った事が手際よく描かれていた。ことに、「蓮子」が「伝助」の妾腹(しょうふく)の「娘・冬子」(実名〈静子〉)と対面する場面は、多くの女性と浮名を流した「伝助」を象徴するものとして大きな意味を持っている。「伝助」と前妻との間には子供がいないと聞かされていただけに、蓮子にとっては想像以上の衝撃があった……と「脚本」は言いたいのだろうか。

   そのほうが、後に起きる『白蓮事件』という一大センセーションの伏線としても活きる……ということかもしれない。

   5月15日(木)の放送分は、「洋食」スタイルの朝食に戸惑う「伝助」と「冬子」の姿があった。「蓮子」は、朝食をパン食にするなど、食事やマナー、挨拶面での改革を強引ともいえるほど進めていくようだ。その革新性は、従来の「便所」を「水洗トイレ」にしていることでも判る。この時代、しかも片田舎の地において……飛びぬけて画期的なことであったに違いない。

   とにかく「伝助」は「蓮子」の好きなようにさせている。後に『あかがね御殿』と言われる別邸を、福岡市中央区の天神と大分県別府市に建設するわけだが、この「天神」の「あかがね御殿」において、白蓮は歌人としての活動にいっそう励むことになる。そこでの歌人や文人との交流が彼女を慰め、またいろいろな変化をもたらしていく……。

       ★

  さてさて、ドラマの〈白蓮〉嬢は、今後どれだけ〈花子〉嬢に関わっていくのでしょうか。いやいや、「歴史的な事実」は、どこまで「フィクション」に紛れ込んでいくのでしょうか……。筆者は、“●●●●した●●関係” の描写は苦手であるため、このあたりで失礼しましょう。……それでは、ごきげんよう。さようなら。[了]

 

  ◇旧・伊藤伝衛門邸

  ◇旧伊藤傳右エ門氏庭園(文化遺産オンライン)

   ◇伊藤伝右衛門(Wikipedia)

  ◇柳原白蓮(Wikipedia)

  ◇歌人白蓮想(柳原白蓮展示館

 

 

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・花子と蓮子と伝助と/NHK『花子とアン』-上

2014年05月09日 01時37分55秒 | ■人物小論

 

  ◇初めて観たNHKの『花子とアン』

  5月6日の朝だった。置時計が止まっていたので電池を取り換えながら、時間確認のためにテレビのスイッチを入れた。ちょうど、NHKの連続ドラマ『花子とアン』が始まったばかりだった。と言っても、筆者は『あまちゃん』はある程度観たものの、前回の『ごちそうさん』も今回のドラマも観ることはなかった。

  見るともなく聞いていたところ、ヒロインの「友達」に「縁談話」云々というくだりがあった。“その相手の男” とは、“一代で巨万の富を築いた九州の石炭王” と言う。『レンコ』というヒロインの「友達」とは、20歳以上も年が離れている「子持ち」とのこと。

   次の瞬間、筆者は画面を食い入るように見つめた。このドラマを初めてまともに観ることとなった。同時に、“一代で巨万の富を築いた九州の石炭王” が「誰」であるかの見当も付いた。それを確実にしたのは、ドラマの “石炭王” なる人物の「名前」が、『嘉納伝助』……ということにあった。

       ☆

   50代以上の福岡県民で、「史」や「学」や「古い●●物」に興味を持つ人々には、或る程度想像がつくのではないだろうか。登場人物名の『嘉納伝助』の『』は、明らかに「福岡県某市」の旧い「名」から来たものであり、『』は「彼の●●の一字」から来ている。

   昼の再放送時――。『レンコ』が、『蓮子』ということも判明した。この『蓮子』は、後に彼女が「人」となった場合の『』という名前に通じている。

       ☆

   ……と、文中を「」や「●●」、そして後述のように「▲▲▲▲」と「伏字」にした理由はもうお判りでしょう。ここで〈種明かし〉をすれば、「一部の方」のせっかくの楽しみを奪うことになるからです。それではあまりにもお気の毒……。そこで、「記事の詳細」は来週ということにいたしましょう(※もっとも、そう難しい問題でもないようですが……)。

   そうすれば、「女性週刊誌」が扱う “芸能人の▲▲▲▲した●●関係” なんぞ、超!軽~くぶっ飛ぶこと請け合いです! ……とはいえ、筆者はとてもそこまで触れようとは思いませんので……アシカラズ。つまりは、みなさんのイマジネーション頼みということに。それにしても、この「伝助」氏と「蓮子」のその後の“●まじさ”といったら……。

   ともあれ、どうやら「蓮子」はヒロイン「花子」の盟友になる……と言う「話の展開」のようですが。でもこれは、すでにご存知のようですね?!

  ――それでは…… ごきげんよう。さようなら。

 ……See you next week.

 

  ※註:「●」や「●●」は「漢字」、「▲▲▲▲」は「カタカナ」です。「答」は「下段」にあります。

        ★   ★   ★

 

 

 

  」―「史」「学」「古い建築物」「名」「彼の名前の一部」、「人」『(びゃくれん)』、“芸能人のドロドロした男女関係”、“まじさ”

 

 

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・人入つて門のこりたる暮春かな/芝不器男

2014年05月04日 12時31分10秒 | ■俳句・短歌・詩

 

   人入つて門のこりたる暮春かな  芝 不器男

    26歳で夭逝した天才肌の「しばふきお」。5年足らずの作句活動も、晩年は病気療養により思うようには行かなかったのだろう。

   明日、5月5日は「立夏」。暦の上では「夏」となる。 「暮春(ぼしゅん)」は「暮の春」であり、春という季節の “終わり(暮)” を意味する。「春の暮」すなわち「春の日の夕暮れ」ではない。だが句の “解釈” において「夕暮れ」とすることは可能だ。 

   事実、初めてこの句を眼にした20代の終わり、「春が尽きようとしている日の夕暮れ」とすることに、何の躊躇もなかった。これから夜へと向かう「夕暮れ」とした方が、「話(物語)」のケリもつけやすく、また “薄暗い” 方が絵的なまとまりも容易だからだ。何と言っても、“余情” も演出しやすい。

   しかし、今では初夏の暑さを感じさせる「日盛り」というイメージが強い。「夕暮れ」では、いかにも高温多湿の “しっとり感見え見え” のような気がする。もちろん、これは筆者個人の感覚であり、趣味の問題だ。

        ☆

   さて、本句は典型的な俳句的省略の効いた平明な句。『……春も終わりに近い或る日、とある屋敷の「門」を「人」が入って行く。そのあとには、取り残されたかのように「門」がそこにあるだけである。

  ……とは、誰もが感じるだろう。だが “省略が効いている” だけに、「鑑賞者」それぞれのイマジネーションは際限もなく拡がって行く。「時刻」も「物音」もなく、また「造形的な形や色」の表現もないため、華美な修飾の入り込む余地はない。ドライなリアリティに包まれ、“実存主義” 的な “渇いた”、そして “突き放された” ニュアンスがある。それがまた「夭逝した作者」の人生と重なり合うような気もする。

    それにしても、句中の「人」や「門」とはどのようなものだろうか。まず「人」について言えば、「老若男女」や「人数」の違い、「家人」か「客人」かによっても句の趣きが異なる。ことに「客人」とした場合は「家人」との絡みが加わるため、「話(物語)」を拡げることができる。だがそうなると、「とり残された門」の存在感が薄らぐ。ここは “単純” に徹し、「家人」とした方が勝るようだ。

   「門」については「冠木(かぶき)門」ほどではないにしても、やはり “ある程度の門構え” は必要……と想われがちだ。しかし、筆者個人としては、「門扉」はなくとも「門柱」と「家を囲む最小限の塀」があれば、それで充分と思う。もっと言えば、「門塀」は古びた質素なものが好ましいのだが……。

   今回だけは、筆者の鑑賞を控え、読者各位において自身の鑑賞をお楽しみあれ。

         ☆   ☆   ☆

   筆者が好きな不器男の句――。

 

    白藤の揺れやみしかばうすみどり

  麦車馬におくれて動き出づ

  あなたなる夜雨(よさめ)の葛(くず)のあなたかな

  寒烏巳(し)が影の上におりたちぬ

  炭出すやさし入るひすぢ汚しつつ

 

        ★   ★   ★

  芝 不器男(しば ふきお)  1903年(明治36)4月18日~1930年(昭和5)2月24日。愛媛県出身。東京帝大農学部中退後、東北帝国大工学部に入る。1825年、俳誌「天の川」主宰の吉岡禅寺洞に師事。翌年、高浜虚子の「ホトトギス」にも投句を始め、虚子の注目を受ける。1928年に婿養子となるも翌年発病、治療のため九州帝国大付属病院に入院。この頃、禅寺洞と面会。12月に退院後、俳人でもある主治医・横山白紅の治療を受けるため、福岡市薬院庄を寓居とする。翌1930年2月死去。[筆者編集]

   

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