『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

●演劇鑑賞:『散歩する侵略者』①(九州大学演劇部)

2018年03月30日 11時20分42秒 | ●演劇鑑賞

 ★読者各位★                                          

 今回、九州大学演劇部によって上演された『散歩する侵略者』(原作:前川知大)は、同名の「映画」が『第41回日本アカデミー賞』において、「優秀監督賞」(黒沢清監督)と「優秀主演女優賞」(長澤まさみ)を受賞しています。

 今後、この映画のDVDをご覧になる方も多いと思われますので、本稿においては “ネタばれ” とならないよう“物語のあらすじ” をストレートに追うことを避けています。


  舞台演劇創造のエネルギ―               

 「舞台」は2時間10分もの長丁場となった。物語は“サスペンス調”の展開と相まって、先の見えない不安や緊張を程よく煽りつつ終演を迎えた。筆者はこの「舞台」によって、“一つの舞台演劇を創り上げるための膨大なエネルギー”についてあらためて考えさせられた。

 とはいえ、残念ながら「舞台」全般がやや単調に流れたことは否定できない。あくまでも私見にすぎないが、30分程度の「上演時間」であれば、〈観客〉は“特にこれと言った問題点を意識する暇(いとま)もなかったはずだ。

 だが2時間10分もの大作となれば、〈観客〉は無意識のうちに“観劇しながら学習し、学習しながらさまざまな展開予測また期待”するだろう。〈舞台創り〉に携わる人々からすれば、それだけ余分に“舞台創造のエネルギー”が求められることを意味する。〈創り手〉の立場にある人は、今一度〈観客〉の立場から自分達の舞台を振り返って欲しい。

       ★   ★   ★

 ところで“なぜ舞台は単調に流れた”のだろうか。その要因として.場面転換」「.照明演出」「音響・効果」の3点が挙げられる。言うまでもなく、この3点は“どの場面”においても常に“不即不離”の関係にある。

 そこでまず“今回の舞台の特徴”と“それがもたらした今後の課題”について整理してみたい。

■今回の舞台の特徴■                                            

10人もの〈登場人物〉の数に加え、〈場面転換〉=〈物語の進行〉=〈役者の出入り〉が多いうえに、そうした“転換場面”の“変化が分かりずらい”ため、観客は“物語の世界にすんなりと入ることができなかった”あるいは“入ることはできたものの、何となく居心地が悪かった”。

物語の進行〉が“形として捉えにくい人間の内面の変化)”に重点が置かれたため、役者の動き(motion)”が地味にならざるを得なかった。つまりは、“同じような感じの場面そして役者の立ち居振る舞い”という印象が残った。

 今回の物語は、:現に起きている隣国との戦争」と「宇宙人による侵略の可能性」という2つの“状況”の中で進んで行く。

 「:隣国へ向けて戦闘機が飛び立つ軍事基地のある街」では、「:人間の持つ“概念”を奪おうとする宇宙人が策動を開始している」。

 ヒロイン・加瀬鳴海の夫(真治)以下3人の宇宙人が、人間から“貰った”とする“概念”を学習することによって“その人間の概念”を完全に奪い取って行く。「家族」や「所有」や「愛」といった“概念”が奪われるということは、“あるべき人間としての本質や人間関係が失われることを意味する。

 ……と以上のように、物語の中心的な展開が形而上学的な想念をはじめ意識や感情の変化によるため、“登場人物の置かれた場所や立場”がはっきりしないまま、〈場面転換〉が繰り返されることとなった。まずそのことが、“単調に流れた”最大の要因といえるだろう。

 個人的には好きな系統の展開なのだが、それにしても〈場面転換〉における〈明転※注1の際の役者の〈立ち位置〉や〈捌け方〉は、やはり“単調”ではなかっただろうか。筆者には、役者がボックス型の椅子を持って出入りする定番の〈出捌け※注2が、妙に堂々としているような気がしたのだが……。

 実は帰路の車中においても“そのこと”がずっと気になり、思考を停止しようとしても、勝手に数々の場面がプレイバックし始めた。気分転換を図るために近くの「マック」に立ち寄ったものの、〈明転の際の出捌け〉について考えるばかりだった……。

 気が付いたとき、今回の“出捌け”が、学生演劇を観始めた2001年当初の“違和感”と似ているような気がし始めていた……。

 ……それは、2年ぶりの観劇というblankの影響だろうか……。老脳によるflexibilityの衰退だろうか……。もしそうであれば、潔く〇〇〇〇からの〇〇も視野に入れなければ……ってなことを本気で考えさせられる一瞬だった。

 ……閑話休題……。

 単調に流れた主たる要因こそ、まさに上述「A・B・」の3点であり、その結果次回に述べるような「今後の課題」が残ったようだ。

 そうではあっても今回の舞台が総合的に見て、精神性の高い優れた舞台”であることは些かも揺るがない。    

 


 ※注1:「明転(めいてん)」  照明が点灯した中で「舞台」の〈場面転換〉が行われること。つまり、「役者」が舞台から〈立ち去ったり=捌ける〉、別の役者が新たに〈登場したり〉すること。もちろん、舞台背景が転換(変化)することもあります。この「明転」とは逆に、照明が消された中で以上のことが行われることを「暗転(あんてん)」と言います。

※注2:「出捌け(ではけ)」役者が舞台上に「登場したり」、「立ち去ったり(捌ける)」すること。「出ハケ」と表記されるのが一般的なようです。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

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〇演劇案内『仮題:春、麒麟の羽音』(演劇ユニット Mr.daydreamer) #1 Re:start公演

2018年03月17日 22時21分13秒 | ○福岡の演劇案内

 再出発の覚悟

 たった一度きりの「舞台」のために、2016年10月に立ち上げたという演劇ユニット《Mr.daydreamer》。“白昼夢” のような一過性の「その舞台」から、1年余を経て活動を再開した。今回の公演は以下の6氏が中心となっている。

 同ユニットの公式twitterによれば、作・演出の上野隆樹君は西南大学の現役生のようだ。また出演者の関大祐氏は福岡大学演劇部の出身であり、本ブログの「演劇鑑賞」に名前が記録されていた。

 その他に4人の女流が出演する。主宰の宮地桃子さんをはじめ、九州大学演劇部出身で「陰湿集団」所属の長野真結さん、その後輩となる同演劇部現役生の野上紗羽嬢に、九州産業大学演劇部現役生の山田愛夏嬢。

 正直言って、上野、関両氏山田嬢については何も知らない。野上嬢については、先日3月7日の舞台『いちごがたべたい』(2017年度九州大学演劇部後期定期公演)において、初めてその演技を眼にしたばかりだ。この舞台についてはいずれ鑑賞文をアップする予定だが、彼女は兄に対する“憎しみ”と“赦し”の間で揺れ動くヒロインを、実に情感豊かに演じて見せた。

 2人の女流の成長を……

 筆者は2年ぶりとなる先の観劇において(※3月12日の本ブログに詳述)、演劇案内チラシを10数枚受け取った。その中の1枚に宮地桃子長野真結女流二人の「名前」を見つけた時、迷わず今回の舞台を観ようと決めた。両人には以前から注目しており、この2年間の観劇ブランクにおいてもその動向が気になっていた。

 長野さんは、演劇ユニット『陰湿集団』の女優陣を代表する役者であり、小柄で華奢ながらも自然体の役作りを感じる。バイプレーヤー的な役どころが多いようだが、舞台を重ねるごとに確実に成長している。個人的には、『アイ・ドント・ノー・ホェア・アイ・アム』(※参照ブログ。注1)や『狂人なおもて往生をとぐ』(※注2)での演技が印象深い。ことに前者における〈ゲームに熱中する少年役〉は、“実像との乖離”がかなりあるにもかかわらず不思議な実存感があり、掴みどころのない不安定な少年の心情を巧みに表現していた。

 一方、宮地さんは何といっても『decoretto』(※参照ブログ)での〈看護婦ヒサエ〉と〈母さん〉の2役を見事に演じ分けた凄さといえるだろう。筆者はそのときの〈ヒサエ〉役に“驚愕”した。内容については論じる余裕もないため、ぜひ巻末参考の「鑑賞文」に目を通していただきたい。

 彼女はその後も『うちに来るって本気ですか』(※注3)や『口づけ』(※注4)において主役級を務めたわけだが、筆者が彼女を一段と印象深く感じたのは、『ゆめゆめこのじ』(※参照ブログ)における演出にあった。17、8名もの出演者を束ねたうえ、学生レベルとは思えないほど高い照明・音楽・効果音・舞台美術・衣装等だった。

 高木理咲子及び新ヶ江優哉両君の助演や、「西南学院大学演劇部」としての完成度の高い舞台創造力の蓄積があったとはいえ、それらを導き出しえた演出家としての才覚には非凡なものを感じた。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

演劇ユニットМr.daydreamer#1 Re:start公演   

 『仮題:春、麒麟の羽音』 ―春の風は死の前触れ

作・演出上野隆樹 出演関 大祐、宮地 桃子(以上、Mr.daydreamer)、長野 真結(陰湿集団)、野上 紗羽(九州大学演劇部)、山田 愛夏(九州産業大学演劇部) 

 今年もまた 春の香に誘われて 桜の花が咲いては散っていく  魂の輪廻  連環の理。  時計は一時的に止まり 彼らは存在しない世界に眠る  ……大切な何かを忘れながら。 僕は誰かでもあり、誰かは誰かで、そんな誰かが私で、私は僕で。 


日程※時間は「開演」時間。「開場」はその30分前です。                                    ・328日(水)19:00                              329日(木)14:30 19:00                         330日(木)14:3019:00                         331日(土)14:30 

場所konya-gallery(紺屋2023) 👈 会場のご案内                  〒      〒810-0041 福岡市中央区大名1-14-28 第一松村ビル202

料金前売:500円  当日:800円

ご予約/                    クリックすると、クリックすると「予約フォーム」が出てきます。👆 

◆お問合せ等は下記へ                                                                                        T twitter:https://twitter.com/mr000daydreamer 


 

【参照ブログ】(過去の記事)

◆演劇鑑賞:『アイ・ドント・ノー・ホェア・アイ・アム』(陰湿集団)

◆完成度の高い繊細な表現力/鑑賞『ゆめゆめこのじ』(西南学院大学):上

◆徹底した部員一丸による舞台創造/鑑賞『ゆめゆめこのじ』(西南学院大):下

            ★   ★   ★

◆“演劇部全体を貫く繊細な感性”/西南学院大学演劇『decoretto』:上

◆“的確なキャスティングによる役者・演技”/西南学院大学演劇『decoretto』:中

◆“役者5人の絶妙な活かし合い”/西南学院大学演劇『decoretto』:下-1

◆“役者の肉声は音楽”/西南学院大学演劇『decoretto』:下-2(最終回)

 ※注1:2016.2上演[●作・演出/山本貴久] ※注2:2015.5上演[●脚本/清水邦夫 ●演出/山本貴久] ※注3:2015.4[●作/石原美か子  ●演出/田中里菜 ]。※注4:2015.12上演[●作/宅間孝行 ●演出/瀬川聖]。

 

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●《2017年度・九州大学演劇部後期定期公演》の鑑賞にあたって

2018年03月12日 19時29分33秒 | ●演劇鑑賞

 2年ぶりの演劇鑑賞

 さる3月6日と7日の両夜、《2017年度九州大学演劇部後期定期公演》を観に行った。会場は「甘棠館Show劇場」(福岡市中央区唐人町商店街内)であり、以下の(a) (b)2つが上演された。筆者にとってはほぼ2年ぶりの観劇であり、九州大学演劇部(伊都キャンパス)特有の“高い精神性に支えられた舞台”を堪能することができた。

a)3/6『散歩する侵略者』(作:前川知大演出:久保文恵 

b)3/7『いちごをたべたい』作・演出大野奈美

 それぞれの《鑑賞文》は次回以降に譲るとして、今回は(a)の観劇に際しての筆者の「事前準備」について述べてみたい

        ★   ★   ★

 

 日本アカデミー賞と映画散歩する侵略者

  3月2日第41回日本アカデミー賞》の授賞式が行われた。この発表についてはテレビで放映されたようだが、筆者は観ていない。この十数年、賞の結果については「アワード」等のネットで確認している。

 それによると、今回の舞台と同名の『散歩する侵略者』が黒沢清監督によって〈優秀監督賞〉を、またヒロインとして加瀬真治の妻・鳴海を演じた長澤まさみさんが〈優秀主演女優〉を受賞した。

 だが筆者は、劇作家前川知大(ともひろ)氏も黒沢清監督も、名前を知っているという程度でしかない。というのもこの15、6年、邦画・洋画を問わず映画館での映画鑑賞などまったくなかったからだ。となれば必然、当代の人気脚本家や監督等に関する知識はゼロに等しい。

 そこで筆者はいつものように、観劇に際しての〈傾向と対策に着手した。それは演目をはじめ、原作者脚本家さらには演出家等の名前をヒントに、ネット検索をすることを意味する。特に今回のように「10人もの登場人物」ともなれば、事前の〈人物整理〉すなわち〈人物個々のキャラクターやそれら人物相互の関係把握〉が絶対に必要となる。そのためにも最低限の情報を得たいと思った。

 しかも「演劇鑑賞」を書くとなれば〈予習〉は不可欠であり、〈舞台進行〉における〈フラッシュ暗算化〉に陥らないための予防策ともいえる。例えば、登場人物が4、5名程度で「場面転換」が緩やかな舞台は、〈1桁の数字がゆっくりフラッシュする〉……というイメージだろうか。「…」といった計算式を想い描いていただきたい。

 だが「10名もの人物が登場するうえ、場面転換が多い舞台」ともなれば、〈2桁の数字が結構な速さでフラッシュする〉……。「7539514982+……」と。これに「物語」の展開が速く、しかも過去と現在現在と未来とが行き来する舞台と来ればフラッシュはいっそう速く、その数字も2桁ではすまないだろう。

 あえて数字を誇張するなら……「85+359-44+623-71+20-372…」といった感じであり、暗算のスペシャリストならいざ知らず、通常人は脳裏に数字をキープするだけで精いっぱいとなる。それらを逐一計算しながら、次々にフラッシュされる数字を脳裏に描き続けることなど、まず不可能だろう。これは、《観劇》をする際の脳や五感の働きと同じようなもの……と筆者は思っているのだが……。

 

  「原作」と「映画DVD」

 ――本論に話を戻そう。今回、筆者は公演前日の3月5日に近くのTSUTAYAにて原作(文庫本)」を買い求め、夕食後一気に読み終えた。その際〈役名と役者(出演予定者)〉をもとに「人物関係」を整理し、併せて〈物語の概要〉をまとめた。

 さてここで、筆者個人の最近の“学生演劇の楽しみ方”の一端をご紹介しよう。原作等により「内容」が判明している場合は、演出の仕方や舞台美術、照明・音響効果等について“想像あるいは創造する”ことにしている。

 音と照明のデザイニング

 ことに最近、「音楽効果)」や「照明」についての《デザイニング》や《オペレーション》に目覚めつつある。……とここで、音響」ではなく「音楽効果)」としたことに留意されたし。この際言わせてもらうなら、筆者は「音響」という「呼称」に違和感を感じる。いかなる「物語」そして「舞台会場」であれ、やはり基本的には「音楽」と「効果)」という“区別”と“呼称”が必要ではないだろうか。

 それを「音響」という“2文字”で片付ける感覚や考えには、どうしても納得できない。筆者にとっての「音響」という言葉には、「音響メーカー」や「音響装置」といったハードやテックニック面が色濃く纏わり付き、「音全般に関するデザイ二ング」というartisticな「ソフト」面が欠落している

 実際の「舞台演劇」を構成する“およそ音に関するもの”は、やはり「音楽」と「効果)」として区分すべきと思う。もし両者を“一本化した呼称”でまとめるのであれば、せめて「音響・効果」として欲しいものだ。この問題は非常に重要であるため、別の機会に詳述したい。

 ともあれ、舞台の『散歩する侵略者』を観劇した翌3月7日の深夜、筆者はTSUTAYAにおいて同名「映画」のDVDを借りた。何とこのDVDは、この日がレンタル開始日となっていた。その夜のうちに1回目を観終わった筆者は、翌夜に“部分的な観直し”をしながら「メモ」を取った。

 かくして、その「メモ」と前夜の観劇時に走り書きした“ミミズのごとき文字”を頼りに、筆者はブログアップのための〈脳トレを開始した。

 

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・フラッシュモブ(Flash mob):m編/その1

2018年03月03日 23時08分21秒 | ○MUSIC

  Flash mob とは?

 2月の終わり頃――。捨てようとしていた free paper の記事の片隅に、「フラッシュモブ(Flash mob)」なる〈文字〉を見つけた。……flash……。「閃光」を意味する、あのフラッシュ」だろうか……。筆者は、wikipedia によって「フラッシュモブ」を検索する前に、まず英和辞典で「mob」を引いた。flash mob なるものに対する自らの「ボキャブラ力」と、「想像力」とを試す意味合いもあった。電子辞書の「ジーニアス英和辞典」曰く――。

 mob 【暴徒、やじ馬、(破壊的活動をしかねない)群衆。《◆単なる群衆はcrowd》…以下略)

 ん?……〈破壊的活動をしかねない群衆?〉……穏やかではない。……閃光のような暴徒⁈ というのか。何かにつけ、閃光のようにパッと光り……あるいはパッと跳ね上がるように現われては、あっという間に立ち去る無責任な群衆 ⁈……。何やら雲行きが怪しくなってきたぞ。はてさて、具体的にはどのような連中なのだろうか…… 

 70歳と9か月3日脳裏に、「暴走族」のうるさいバイクや車の爆音、そして無意味に繰り返されるハイビーム・パッシング、さらには危険極まりない幅寄せ……といった不埒な〈煽り運転〉の数々が瞬時に広がった。

 と、次の瞬間! 普段は温厚篤実かつ冷静沈着な我が熱き……いや厚き唇から、次の word がまさしく big bang のように、激烈な勢いと語調をもって飛び散った ‼ ‼ ‼

 馬鹿たれ!

 だが、その言葉を発した5秒後、自らの〈反省〉の念とともに、もう一つの〈想像映像〉が閃いた。……そうだ! この言葉はきっと《何に対しても野次馬精神旺盛に、所かまわずカメラの「フラッシュ(flash)」を切る日本人の「野次馬」=「モブmob)」》……を指しているに違いない……。

 ……そう確信した筆者は、普段の知性と感性と品性を取り戻し、再び電子辞書の「ジーニアス英和辞典」を手に、念のために「フラッシュ(flash)」を確認することにした。すると――、

 flash【 原義:(水)を飛び散らす 】【 ①(光・炎の一瞬の)きらめき、閃光。 ②(考え・感情などの)ひらめき、突発。 ③瞬間。 ⑤ちらっと見せること。】

 ……まだあるのか……動詞に関する長い語釈も出て来た…… 

 【 ①ぴかっと光る。 ②ぱっと浮かぶ。 ③ぱっと現れる…… 】

 ……延々と続いている……。キリがない。よ~し、このあたりで……。

 ということで、あとはもう wikipedia に頼むことにした――。

  【 フラッシュモブ( : flash mob )とは、インターネット上や口コミで呼びかけた不特定多数の人々が申し合わせ、雑踏の中の歩行者を装って通りすがり、公共の場に集まり前触れなく突如としてパフォーマンスダンス演奏など)を行って、周囲の関心を引いたのち解散する行為】

 ……とあった。そこでさっそく、一つの《 flash mob 》とやらを見ていただこう。

 please  click 👇 フルスクリーンにしてごらんください。

 ◆《 ラヴェルのボレロ(コペンハーゲン中央駅)》(4:52)

 ※注:2011年5月2日。デンマークコペンハーゲン中央駅にて。「原題」は、《Flash mob at Copenhagen Central Station. Copenhagen Phil playing Ravel's Bolero》

            ★   ★   ★

 ……………いかがでしたか? wikipedia の説明にあるように、《雑踏の歩行者を装った普段着の楽団員》が、一人また一人と現れて無造作に楽器をセットしたり……《前触れもなく、突如として》演奏を始めたり……。

 楽器と演奏者が増えるにつれて、シンフォニー本来の迫力と感興をいっそう整えつつ……その豊饒な音楽性を膨らませながら……。いつしか聴衆・観衆も、老若男女を問わず増えており、個性豊かなその自然の反応がたまらなく “人間味” を醸し出し……。演奏者とそれを見守る人々との、心と心が通い合った感じが何ともいえない。

 筆者の〈能書き〉など、これ以上は不要と思われる。――何といっても、久しぶりの長文の今回の記事。70歳と9か月3日の老躯は、ちと休みたいと囁いておりまする。で、その願いを聞いてやりたく。……次回、お会いする日まで。

           ★   ★   ★ 

  ――まあ。なんてステキ! このボレロって、とっても有名ね。あたくし、もう5回は視聴したのよ。いいわねえ。……それだから、あなたに〈ひとこと〉申し上げなければいけないって思ったの。いえ、こういう素晴らしい情景と音楽だからこそ、どうしても申し上げたいの。……誰かさんもおっしゃってるでしょ? 知性、感性、品性って……。いつも、美しい日本語や正しい言葉遣いを心掛けていただきたいの。

 ……だから馬鹿たれ! ……て言葉…… ああ! ヤダ、ヤダ! 耳にするのも……。それに馬鹿たれ!って文字を目にするのも……ああ! また言っちゃったわ。ヤダヤダ!……。

 だから、今すぐにでも清めなければ〉。そうでないと、みなさまがおっしゃっる〈この麗しいあたくしの唇〉が穢されたままよ。ねえ。なんとかしてくださらない? ……でもどうすればいいのかしら……。

 そうそう! お清めの方法を思いついたわ。これよ。これしかないわ。ほら、今度新しくできたケーキ屋さん。あそこの超おススメの《マロンと抹茶のムースを、まるでピュアな愛を包み込むかのように巻き込んだ》という《甘さと柔らかさと、舌先に触れたのか触れないのかわからないほど完成度の高いロールケーキ》……がいいのかも……。そう。たった一口で、私の唇はすっかり清められるんですって。……間違いなく。……ねえ。聞いてる?……ね~え?……ねえ ⁈ ……………あれっ? 寝ちゃったの?

 

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