今想い返しても、“男の出現”……すなわち “あまりの突然な出現の仕方” は衝撃的だった。そこで今回は、読者諸兄諸姉に「頭の体操」をお願いすることにしよう。
その「体操問題」とは、前回の “男の出現” を受けたあと、筆者が “どのようなリアクションすなわち行動をとったか?” というもの。以下、①~⑤の「五肢択一」にトライを!
① 『日本の美しい女』(以下、『本』と略記)を買う “戦意を喪失” しかけた筆者は、“今日は日が悪かった。次の機会に……” と力なく、しかしそれでいながら、「66人の麗しき女優」についてじっくり考える時間が与えられたと、持ち前のポジティブシンキングに切り替えた。その結果、次第に落ち着きを取り戻し、そのまま何事もなかったかのように晴れやかな気持ちで、明日にでも『本』は買えるという自信と希望を漲らせながら書店を立ち去った。
② 確かに一時的に “戦意を喪失” しかけた筆者は、持ち前の “勝気と意地” によってすぐに立ち直り、“突然出現した男” (以下、『男』と略記)に “対抗心”を燃やした。そして素知らぬ顔で『本』を手に取り、『男』の次の次あたりの順番を狙ってレジに並び、待っているあいだ中、目次ひとつ確かめることなく『本』を購入した『男』の “行為の軽佻さ” について、秘かに「一人ディベート」を試みた。
③ 確かに一時的に “戦意を喪失” しかけた筆者は、持ち前の “寛容さ” と最近とみに意識し始めた “温厚篤実” により、『男』を “同じ本を買おうとしている同志” と認め、自分も遅れまいと敏速に『本』を手にしてレジへと向かった。そして、『男』に優しくおもむろに語りかけるとともに、同じ『本』を手にし得た喜びと幸せをそれとなく分かち合っていた。
④ 確かに一時的に “戦意を喪失” しかけた筆者は、持ち前の “超繊細な感性” といっそう磨きがかかった “孤独を愛する魂” により、『男』の “存在” を忘れて気持ちをリセットするために一旦「書店」を出た。そして、10数分後に書店に戻り、文藝春秋社の編集スタッフの気持ちで選んだ「10人の麗しき女優」が、間違いなく『本』に登場しているのを確認した後、堂々とそれを手にしてレジへと歩み寄った。
⑤ その他
☆
さて、読者各位はいずれを「解答」とされただろうか。かなりの “難問” と断言したのは、長年の友であるK氏だ。氏によれば、おそらく “筆者をよく知っている人ほど迷うのでは” とのことだった。その理由は、筆者の感情・意識・行動の「組合せパターン」からすれば、“どの選択肢も確実にありうる” と言う。……さすが我が盟友。なかなかの “読み” である。
「答え」……は、K氏が熟考の末に下した「⑤」だった。だがそのK氏も、「その他」における筆者のリアクションを精確に伝えることはできなかった。「正答」すなわち実際の筆者の行動はこうだった――。
☆
『男』が『本』を掴んだ瞬間、『男』と筆者との距離は、1間(約1.8m)ほどだった。前回述べたように、その後の男の行動に視点が固まったようになったものの、筆者はすぐに立ち直り、『日本の美しい女』の本などこれっぽっちも関心がないような表情で「新刊案内コーナー」を離れ、頭の中を完全にリセットした。
そして、気持ちを新たに「新書版」の書架へと向かい、これはという何冊かの「新書」を手にして一瞥した。とはいえ、視線はページを追ってはいるものの “心ここにあらず” であり、頭の中は『本』に掲載されているはずの「66人の麗しき女優」のことでいっぱいだった。
レジの方を見たとき、『男』の姿はなかった。 そこで筆者は、書店の「出入口」に視線を走らせながら、再度「新刊案内コーナー」へと近づき、静かに『日本の美しき女』を手にした。そしてゆっくりと「目次」を開いた。縦組み4段に分かれた女優の名前が、ずらっと並んでいた。壮観であり、心が弾んだ。
「筆者」が「文藝春秋の編集スタッフ」としてん選んだ「10人の麗しき女優」はいずれも載っている……と確信した。いや、確信しかけた。だがなぜか “ストン” と腑に落ちては来なかった。う~ん。何が足りないのだろうか。そう思った次の瞬間、何と〈岸恵子〉の名前だけがないことに気付いた。よりによって、「ベスト10」の「トップ」としてリストアップした女優が掲載されていないなど……。この “驚愕の事実” は、『本』を買おうとしていた筆者の “戦意” を、再度、急速に “喪失” させたのだ。
う~ん!
少なくとも、今日この場で『本』を買うことはやめよう……。そう気持ちを切り替えながら、「目次」の次に書かれた『時代精神の美しさ』という、グラフィックデザイナーで作家の太田和彦氏の原稿に何気なく眼が行った。そこには、次のように書かれていた――。
《この本を見ていて、戦後すぐに活動を始めた女優から時代が下がるにつれて「気品の聖性」が薄れてゆく気がした。 (―中略―) 理想には目に見えるヒロインが求められた。国民の共通理想を体現したのが当時の映画女優であり、その「気品の聖性」は「時代精神に気品があった」のだ。》
この一文により、筆者は一切の逡巡や割り切れなさを完全に払拭することができた。レジまで運ぶ間の『日本の美しい女』はずしりと重く、また“気品の聖性”の香りのようなものが感じられた。 (了)