『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・気品の聖性/『日本の美しい女』(文藝春秋)の系譜:(下)

2014年08月24日 00時30分05秒 | ■人物小論

 

  今想い返しても、“男の出現”……すなわち “あまりの突然な出現の仕方” は衝撃的だった。そこで今回は、読者諸兄諸姉に「頭の体操」をお願いすることにしよう。

   その「体操問題」とは、前回の “男の出現” を受けたあと、筆者がどのようなリアクションすなわち行動をとったか?” というもの。以下、①~⑤の「五肢択一」にトライを!

 

   ①  『日本の美しい女』(以下、『』と略記)を買う “戦意を喪失” しかけた筆者は、“今日は日が悪かった。次の機会に……” と力なく、しかしそれでいながら、「66人の麗しき女優」についてじっくり考える時間が与えられたと、持ち前のポジティブシンキングに切り替えた。その結果、次第に落ち着きを取り戻し、そのまま何事もなかったかのように晴れやかな気持ちで、明日にでも『本』は買えるという自信と希望を漲らせながら書店を立ち去った。

   ②  確かに一時的に “戦意を喪失” しかけた筆者は、持ち前の “勝気と意地” によってすぐに立ち直り、“突然出現した男” (以下、『』と略記)に “対抗心”を燃やした。そして素知らぬ顔で『本』を手に取り、『男』の次の次あたりの順番を狙ってレジに並び、待っているあいだ中、目次ひとつ確かめることなく『本』を購入した『男』の “行為の軽佻さ” について、秘かに「一人ディベート」を試みた。

   ③  確かに一時的に “戦意を喪失” しかけた筆者は、持ち前の “寛容さ” と最近とみに意識し始めた “温厚篤実” により、『男』を “同じ本を買おうとしている同志” と認め、自分も遅れまいと敏速に『本』を手にしてレジへと向かった。そして、『男』に優しくおもむろに語りかけるとともに、同じ『本』を手にし得た喜びと幸せをそれとなく分かち合っていた。

   ④  確かに一時的に “戦意を喪失” しかけた筆者は、持ち前の “超繊細な感性” といっそう磨きがかかった “孤独を愛する魂” により、『男』の “存在” を忘れて気持ちをリセットするために一旦「書店」を出た。そして、10数分後に書店に戻り、文藝春秋社の編集スタッフの気持ちで選んだ「10人の麗しき女優」が、間違いなく『本』に登場しているのを確認した後、堂々とそれを手にしてレジへと歩み寄った。

   ⑤  その他

       ☆

  さて、読者各位はいずれを「解答」とされただろうか。かなりの “難問” と断言したのは、長年の友であるK氏だ。氏によれば、おそらく “筆者をよく知っている人ほど迷うのでは” とのことだった。その理由は、筆者の感情・意識・行動の「組合せパターン」からすれば、“どの選択肢も確実にありうる” と言う。……さすが我が盟友。なかなかの “読み” である。

   「答え」……は、K氏が熟考の末に下した「」だった。だがそのK氏も、「その他」における筆者のリアクションを精確に伝えることはできなかった。「正答」すなわち実際の筆者の行動はこうだった――。

 

       ☆

   『男』が『本』を掴んだ瞬間、『男』と筆者との距離は、1間(約1.8m)ほどだった。前回述べたように、その後の男の行動に視点が固まったようになったものの、筆者はすぐに立ち直り、『日本の美しい女』の本などこれっぽっちも関心がないような表情で「新刊案内コーナー」を離れ、頭の中を完全にリセットした。

  そして、気持ちを新たに「新書版」の書架へと向かい、これはという何冊かの「新書」を手にして一瞥した。とはいえ、視線はページを追ってはいるものの “心ここにあらず” であり、頭の中は『本』に掲載されているはずの「66人の麗しき女優」のことでいっぱいだった。

   レジの方を見たとき、『男』の姿はなかった。 そこで筆者は、書店の「出入口」に視線を走らせながら、再度「新刊案内コーナー」へと近づき、静かに『日本の美しき女』を手にした。そしてゆっくりと「目次」を開いた。縦組み4段に分かれた女優の名前が、ずらっと並んでいた。壮観であり、心が弾んだ。

  「筆者」が「文藝春秋の編集スタッフ」としてん選んだ「10人の麗しき女優」はいずれも載っている……と確信した。いや、確信しかけた。だがなぜか “ストン” と腑に落ちては来なかった。う~ん。何が足りないのだろうか。そう思った次の瞬間、何と〈岸恵子〉の名前だけがないことに気付いた。よりによって、「ベスト10」の「トップ」としてリストアップした女優が掲載されていないなど……。この “驚愕の事実” は、『本』を買おうとしていた筆者の “戦意” を、再度、急速に “喪失” させたのだ。

   う~ん!

   少なくとも、今日この場で『本』を買うことはやめよう……。そう気持ちを切り替えながら、「目次」の次に書かれた『時代精神の美しさ』という、グラフィックデザイナーで作家の太田和彦氏の原稿に何気なく眼が行った。そこには、次のように書かれていた――。

 

  この本を見ていて、戦後すぐに活動を始めた女優から時代が下がるにつれて「気品の聖性」が薄れてゆく気がした。 (―中略―)  理想には目に見えるヒロインが求められた。国民の共通理想を体現したのが当時の映画女優であり、その「気品の聖性」は「時代精神に気品があった」のだ。

 

   この一文により、筆者は一切の逡巡や割り切れなさを完全に払拭することができた。レジまで運ぶ間の『日本の美しい女』はずしりと重く、また“気品の聖性”の香りのようなものが感じられた。 (了)

 


・哀しき逡巡/『日本の美しい女』(文藝春秋)の系譜:(中)

2014年08月18日 00時40分24秒 | ■人物小論

 

 筆者が選ぶ「昭和の麗しき女優ベスト10」

   「抵抗作戦」とは、“すぐにレジには行かないこと” すなわち “慌てて本を購入しないこと”  だった。 筆者とて “恥じらい多き” 団塊世代――。それ相応の「手順」、いや「儀式」が必要なのだ。

   はやる心を抑えながら、ようやく本の表紙を捲った。最初のページは書名が入った「扉」であり、次に「目次」が続いている。その「目次」に眼をやったとき、何人かの女性……いや、明らかに「女優」の名前が眼に入った。一番初めは、間違いなく〈浅丘ルリ子〉とあった。その瞬間あることが “閃き”、 反射的に本を閉じた。

    そして、まるで何事もなかったかのように「本」を「新刊案内コーナー」に戻した。あくまでも自然体であり、未練を感じさせることなく、さりげなくその場を離れた。……離れながらも、“10人の女優を想い浮かべてみよう。もし、その10人中2人が欠けていれば、本の購入を控えよう” ……という “秘かな決意” も、“瞬間的な閃き” とともに湧きおこっていた。

    しかし、“ほんとに10人中2人が欠けていた場合は……購入しない=買えない” ということになるわけだが……その“苦悶に耐えきれるだろうか” ……という不安も消えなかった。“そのときはそのときで……” と自らを騙しながら、自分なりに「昭和という時代を担った10人の麗しき女優」を “頭の中” にリストアップし始めた。

    だが “頭の中” はそうであっても、そのことを容易に察知されないよう、“視線” は眼の前の月刊誌や週刊誌に向けられていた。誰があのとき、そう言う筆者の繊細かつ大胆な思惑や脳内活動を判読しえただろうか……。その周到な配慮と、寸分の狂いも迷いもない完璧さ……。自ら讃えたいと思ったほどだ。

      ☆

    「麗しき女優」の名前は、すぐに出て来た。〈岸恵子〉に始まり、〈八千草薫、有馬稲子、高峰秀子、香川京子、そして大原麗子〉の「6人」が揃った。彼女達が “66人の中に入っていない” など、露ほども考えられなかった。彼女達の出演した映画やテレビドラマの名シーンが、次々と脳裏を過(よぎ)る。そして少休止のあと、7番目に〈岩下志麻〉が浮かび、さらに昭和20年生まれトリオとも言うべき〈吉永小百合、藤(冨士)純子、栗原小巻〉と続いた。

   ここで、読者に念を押しておきたい。筆者がリストアップした「10人の麗しき女優」は、筆者 の個人的好みからだけのものでは決してない。筆者はあくまでも、《昭和という時代を代表するに相応しい眩(まばゆ)いばかりのミューズ(女神たち)》という、「文藝春秋」が掲げた《テーマ》に従い、その編集スタッフの気持ちを代行しつつ、客観的かつ沈着な判断を試みようとしていたのだ。

    そのためだろうか。リストアップしながら、筆者は次第に “強気” になり始めていた。“この10人の麗しき女優の誰か一人でも、『日本の美しい女』に欠けることがあるとしたら、その責任は、明らかにいや絶対に筆者ではなく、「文藝春秋」社にある。担当編集スタッフの感性こそ問われてしかるべきである……” そう確信するに到った。

    何はともあれ、10人のリストアップは完了した。肝心なことは “これから” だった。筆者はいっそう慎重に、しかし、さりげなくあたりを窺った。気がついたとき、筆者はいつしか、「文庫本コーナー」の前にいた。「新刊案内コーナー」から20m近く離れていたが、「肝心な場所」の見通しはよかった。

    筆者は、あくまでも静かに自然に、しかし、やや大胆に「新刊案内コーナー」へと歩み寄り始めた。そこに到達すれば、あとは “ひと呼吸 ”、いや “ふた呼吸” おいて『日本の美しい女性』をさりげなく手に取り、レジへと向かえばよかった。

   ……と、思い描いたまさにその時だった。書店のドアを一人の男が荒々しく開き、勢いよく入って来た。“入って来た” と言うより、“転がり込んで来た” と言うべきかもしれない。筆者が、その男の人相風体を確認しようとして「新刊案内コーナー」への歩みを止めた “その瞬間”、男は何やら言葉を発した。そして、「コーナー」に立てかけてあった『日本の美しい女』を1冊無造作に掴み取ると、何ら逡巡することなくレジへと向かい、すぐさま財布からピン札の1万円を出していた。

   筆者は、眼前で起きた五十代半ばと思われる男の “流れるような” ……いや違う……まるで “一気に何かを押し流すような” “一連の動作” を、何かに魅入られたかの如く、ただただ黙って見ているしかなかった。“間髪を入れず” とは、まさにこのことを言うのであろう。全身が “金縛り” にでも遭ったかのように硬直し、『日本の美しい女』を買うことを失念したかのように、その場に立ち尽くしていた。……というより、購入するという意欲をすっかり殺(そ)がれていたのだ。 嗚呼! To be continued

 


・永遠のミューズ/『日本の美しい女』(文藝春秋)の系譜:(上)

2014年08月10日 00時02分59秒 | ■人物小論

 

  女性の美しさの原風景

   2か月ほど前になるだろうか。自宅近くの書店に入った。レジに近い「新刊書案内コーナー」に、ひときわ目立つ「写真集」のような感じの本が視界に入った。表紙に慎ましやかな感じの「麗しい一人の女性」の顔写真があり、縦に組まれた『日本の美しい女(ひと)』の七文字が、A4判の表紙の左端を占めていた。手に取ってみると、その「麗しい女性」は、27歳という若さで亡くなった女優「夏目雅子」だった。

   清澄な黒い髪に穏やかな顔立ち。俯き加減の視線は物憂げに左前方に向けられており、本物の眉が綺麗に整っている。大きな瞳の切れ長の眼は、見るからに聡明さと貞淑さとをあらわしていた。明らかにアイシャドーもしていなければ、付け睫毛もない。と言って、睫毛に何かを施したという形跡も一切ない。あるがままの眼もとであり、眉や睫毛だった。それだけに、いっそう麗しさと気品とが備わっていた。

   スッと通った知性を感じさせる鼻筋に、緩やかに締まった淡いピンクの唇。ことさら化粧をしているということを感じさせない自然なメイク。ソフトフォーカス気味に写り込んだ耳元に、色味を抑えた桜色の耳飾りがさりげなく付けられている。 

   ……すずやかな眼もとでありながら、内に秘めた大人の女性の潤いと意志が感じられる。……何と自然な顔の装い、そして美しさだろうか……。これほど女性の美しさをさりげなく、しかし確然と示し得た写真があっただろうか。筆者は、これまでに見た魅力溢れる女性美の写真をいくつも思い浮かべながら、表紙の「見出し文字」に眼をやった。

 

  昭和を鮮やかに生きた66人の麗しき女性たち

 

   そのすぐ下に続く「リード文」は――、

    『浅丘ルリ子、有馬稲子、大原麗子、久我美子、加賀まり子、山本富士子、夏目雅子――。』

 

   そして、その後が憎い。

   昭和のミューズの 

  まばゆいばかりの笑顔がここによみがえる!

 

  ミューズ(女神たち)……まばゆいばかり……よみがえる……。悔しいが、これは “殺し文句” だ。この瞬間、“本の購入意志” が確定した。

   ……とはいえ、「この本」をいますぐ抱えていきなりレジへ向かう勇気はなかった。いや、“意地” でもそうやすやすと降参したくないというのが本音だった。というのも、筆者がこの書店に入ってから “購入の意志を確定する” まで、ものの “1分” とはかかっていない。もっと言えば、“本を手にした瞬間” からの経過時間は、実に “10秒” にも満たなかったのだ。

       ☆

   ……と聞けば、読者の中には本ブログの昨年(2013年)の「元日の記事」を想い出された方もあるだろう。その部分をそのまま再掲してみよう。

 

   《《 同誌(※月刊「文藝春秋」)については、いつも4、5分 “拾い読み” した後に “購入か否か” を決めている。だが今回ばかりは、目次」を10秒ほど眺めただけで即決した。『新・百人一首:近現代短歌ベスト100』の表題とともに、『小倉百人一首編纂から八百年――』いう文字が飛び込んで来たからだ。

   この手のコピーやフレーズには、昔から滅法(めっぽう)弱い。特に月刊「文藝春秋」には、いつもこの手でやられている。同誌の「特集テーマ」や「誘惑キャッチ・コピー」にひっからないよう気をつけてはいても、いざ同誌を手に取るとからきし駄目だ。おかげで今回の「購入検討時間」は、最短記録を更新することとなった。》》

 

   昨年の月刊「文藝春秋」新年号については、“目次を10秒ほど眺めただけで即決” すなわち “購入の意志決定” をしている。しかし、今回は何と “ページを閉じた状態での10秒” だ。つまりは “秒殺” に等しい。無論、「購入検討時間」の最短記録 “更新” となったのは言うまでもない。

   またまた “同じ過ち” を繰り返してしまった。あれだけ “気を付けなければ” と強く戒めていたと言うのに――。

   ……やられちまった悲しみに、今日も財布が軽くなる! ……ってやつだ。 嗚呼! 「文藝春秋社」よ! “ことごとくやられっぱなしの” 憎き「文藝春秋」編集部よ!

  筆者は、リベンジのための “抵抗作戦の敢行” を決意した。 (続く)

 

  ◆「文藝春秋の7月臨時増刊号」の案内(文藝春秋社)

  ※この本の「表紙」写真(夏目雅子)をご覧ください。

  ※敬称略 


・白蓮と旧・伊藤傳右衛門邸/NHK『花子とアン』-下

2014年05月16日 00時16分46秒 | ■人物小論

 

   前回の記事をアップした後、知人より本ドラマの「ダイジェスト」があるとのアドバイスを受けた。その放送は10日(土)にあり、これを観た後、NHKオンラインの『花子とアン』を初めて覘(のぞ)いた。その「登場人物」紹介において、「花子」の将来の夫となる人物が、すでにドラマの中に登場していることを知った。

   また「蓮子」に関しても、「伝助」のことだけでなく、“将来大きな関わりを持つこととなる”年下の青年「宮本龍一」(実名〈宮崎龍介〉)も登場している。

   さらに「蓮子」が、歌人として〈白蓮〉をペンネームとすることや、〈与謝野晶子〉の『君死にたまふことなかれ』の一節を朗読しているシーンもあった。「葉山蓮子」の実名は〈柳原○子(やなぎはらあきこ)〉[★「あき」に当たる「○」は、「火」編に「華」の字]。

   ちなみに、与謝野晶子は「蓮子」すなわち〈あき子〉の7歳年上(1878~1942)であり、あき子(1885~1967)が14歳で結婚した1900年(明治33年)、晶子は〈鉄幹〉が創刊した『明星』に社友として参加し、短歌を発表している。その晶子が歌集「みだれ髪」を刊行し、正式に鉄幹と結婚した翌1901年(明治34年)、あき子は15歳で長男を出産した。

   あき子は結局、1905年(明治38年)に破婚となって実家へ戻ることになり、その3年後に「修和女学校」(実名:〈英和女学校〉)に入学した。そこで『花子とアン』のヒロイン「安東はな」(実名〈安中はな〉)と出会うこととなる。

       ☆

   5月13日(火)の放送分は、「蓮子」が「嘉納伝助」に嫁ぎ、この「伝助」邸において三日三晩、婚姻のお披露目が行われるというもの。この「嘉納伝助」邸こそ、現在も福岡県飯塚市の有形文化財として残る『旧・伊藤伝衛門邸』であり、その庭園は『旧伊藤傳右エ門氏庭園』として、国の「史跡名勝」となっている。

   「嘉納伝助」の実名は〈伊藤傳右衛門〉(いとうでんえもん)。旧邸の現住所は「福岡県飯塚市」だが、建築当時は「福岡県嘉穂郡」となっていた。つまり、「嘉納」の「」は「穂郡」、「伝助」は〈右衛門〉から来ている。

  5月14日(水)の放送分では、昨日に続いて「伝助邸」でのお披露目。史実に沿った事が手際よく描かれていた。ことに、「蓮子」が「伝助」の妾腹(しょうふく)の「娘・冬子」(実名〈静子〉)と対面する場面は、多くの女性と浮名を流した「伝助」を象徴するものとして大きな意味を持っている。「伝助」と前妻との間には子供がいないと聞かされていただけに、蓮子にとっては想像以上の衝撃があった……と「脚本」は言いたいのだろうか。

   そのほうが、後に起きる『白蓮事件』という一大センセーションの伏線としても活きる……ということかもしれない。

   5月15日(木)の放送分は、「洋食」スタイルの朝食に戸惑う「伝助」と「冬子」の姿があった。「蓮子」は、朝食をパン食にするなど、食事やマナー、挨拶面での改革を強引ともいえるほど進めていくようだ。その革新性は、従来の「便所」を「水洗トイレ」にしていることでも判る。この時代、しかも片田舎の地において……飛びぬけて画期的なことであったに違いない。

   とにかく「伝助」は「蓮子」の好きなようにさせている。後に『あかがね御殿』と言われる別邸を、福岡市中央区の天神と大分県別府市に建設するわけだが、この「天神」の「あかがね御殿」において、白蓮は歌人としての活動にいっそう励むことになる。そこでの歌人や文人との交流が彼女を慰め、またいろいろな変化をもたらしていく……。

       ★

  さてさて、ドラマの〈白蓮〉嬢は、今後どれだけ〈花子〉嬢に関わっていくのでしょうか。いやいや、「歴史的な事実」は、どこまで「フィクション」に紛れ込んでいくのでしょうか……。筆者は、“●●●●した●●関係” の描写は苦手であるため、このあたりで失礼しましょう。……それでは、ごきげんよう。さようなら。[了]

 

  ◇旧・伊藤伝衛門邸

  ◇旧伊藤傳右エ門氏庭園(文化遺産オンライン)

   ◇伊藤伝右衛門(Wikipedia)

  ◇柳原白蓮(Wikipedia)

  ◇歌人白蓮想(柳原白蓮展示館

 

 


・花子と蓮子と伝助と/NHK『花子とアン』-上

2014年05月09日 01時37分55秒 | ■人物小論

 

  ◇初めて観たNHKの『花子とアン』

  5月6日の朝だった。置時計が止まっていたので電池を取り換えながら、時間確認のためにテレビのスイッチを入れた。ちょうど、NHKの連続ドラマ『花子とアン』が始まったばかりだった。と言っても、筆者は『あまちゃん』はある程度観たものの、前回の『ごちそうさん』も今回のドラマも観ることはなかった。

  見るともなく聞いていたところ、ヒロインの「友達」に「縁談話」云々というくだりがあった。“その相手の男” とは、“一代で巨万の富を築いた九州の石炭王” と言う。『レンコ』というヒロインの「友達」とは、20歳以上も年が離れている「子持ち」とのこと。

   次の瞬間、筆者は画面を食い入るように見つめた。このドラマを初めてまともに観ることとなった。同時に、“一代で巨万の富を築いた九州の石炭王” が「誰」であるかの見当も付いた。それを確実にしたのは、ドラマの “石炭王” なる人物の「名前」が、『嘉納伝助』……ということにあった。

       ☆

   50代以上の福岡県民で、「史」や「学」や「古い●●物」に興味を持つ人々には、或る程度想像がつくのではないだろうか。登場人物名の『嘉納伝助』の『』は、明らかに「福岡県某市」の旧い「名」から来たものであり、『』は「彼の●●の一字」から来ている。

   昼の再放送時――。『レンコ』が、『蓮子』ということも判明した。この『蓮子』は、後に彼女が「人」となった場合の『』という名前に通じている。

       ☆

   ……と、文中を「」や「●●」、そして後述のように「▲▲▲▲」と「伏字」にした理由はもうお判りでしょう。ここで〈種明かし〉をすれば、「一部の方」のせっかくの楽しみを奪うことになるからです。それではあまりにもお気の毒……。そこで、「記事の詳細」は来週ということにいたしましょう(※もっとも、そう難しい問題でもないようですが……)。

   そうすれば、「女性週刊誌」が扱う “芸能人の▲▲▲▲した●●関係” なんぞ、超!軽~くぶっ飛ぶこと請け合いです! ……とはいえ、筆者はとてもそこまで触れようとは思いませんので……アシカラズ。つまりは、みなさんのイマジネーション頼みということに。それにしても、この「伝助」氏と「蓮子」のその後の“●まじさ”といったら……。

   ともあれ、どうやら「蓮子」はヒロイン「花子」の盟友になる……と言う「話の展開」のようですが。でもこれは、すでにご存知のようですね?!

  ――それでは…… ごきげんよう。さようなら。

 ……See you next week.

 

  ※註:「●」や「●●」は「漢字」、「▲▲▲▲」は「カタカナ」です。「答」は「下段」にあります。

        ★   ★   ★

 

 

 

  」―「史」「学」「古い建築物」「名」「彼の名前の一部」、「人」『(びゃくれん)』、“芸能人のドロドロした男女関係”、“まじさ”

 

 


・続・五七五の気象予報―伊藤みゆき

2014年04月11日 22時21分53秒 | ■人物小論

 

  今年1月17日に、本ブログでご紹介した「気象予報士」の「伊藤みゆき」さん――。

 「アメブログ」に「お引っ越し」の後、快調に原稿を綴っていらっしゃるご様子。今回改めてづいたことは、彼女はほぼ毎日綴っており、筆者のような〈 気まぐれのナマケモノ 〉は、ただただ驚嘆するばかりです。

  ところで、筆者は他人のブログを “意識的” に見ることは滅多にありません。普段見るのは、本ブログ「ブックノート」の『アドリブログ』(管理人:セラビ―氏)のみです。  

 それ以外は、週に1回程度でしょうか。それも「調べ物」をしているときに、たまたま「何かのブログ」に迷い込んだというものです。その意味において、「伊藤みゆきさんのブログ」は、例外中の例外ということになります。

 さて、この数日の「気象一句(五七五)」はと言うと――、

 

 4月7日――、

   寒気去り きょうから春が再加速!

  翌日8日――、

   みちのくの桜もニッコリ 「春日和」

  この「春日和」について伊藤さんは、

  『……春の穏やかな晴天をさす季語に「春日和」がありますが、まさにきょうはそんな日。次に咲きそうなのは長野か山形ですが、どちらも「もう少しかかりそう」とのことで、山形ではきょうあたりに「」が開花するかも…と教えていただきました。』

  「アンダーラインの部分」にご注目ください。〈 山形では梅 〉というのが面白いですね。つまりは、〈 ♪ さく~ら~は、まだかいなア~ ♪ 〉ということでしょう。

       ☆

  そして、筆者も実際に放送を聴いた一昨日9日は――、

   春日和 広くは今日で 一区切り

 

  伊藤さんは次のように綴っています。

   『……気象台の観測でも、桜のほかに、梅紅梅・杏・タンポポtanpopo☆☆・チューリップチューリップピンク・スイセンnarcissus.・フジ藤などなど、たくさんの花の種類が各地の気象台で観測されてます。…花まつりカラフルなお花♪です。』(文章・絵文字とも原文のまま。以下、同じ)

   〈広くは今日で、一区切り〉については――、

  『広い範囲で穏やかな晴れ晴れ…は今日でひと区切りです。特に、北陸・関東・東北の方々、ぜひ満喫しておきましょう↑

   つまりは、地域によっては「雨」や「寒さ」などによって、「春日和」が崩れるということを示唆しています。「満喫しておきましょう」というのが、〈みゆき流〉。

       ☆

  ところで、伊藤さんはNHKラジオの朝の番組『すっぴん』(アンカーは、藤井彩子アナウンサー)に出ています。「気象予報士」としてだけでなく、、「準レギュラー」的なメンバーのようです。

   一昨日の〈テーマ〉として、〈入学式・始業式の想い出〉について、アンカーの藤井アナウンサー、水曜日のパーソナリティー・津田大介氏、そして伊藤さんの三人で語り合っていました。

 津田氏は、埼玉の「仏教系女子校」出身の伊藤さんに興味を持ったようです。そこで彼は伊藤さんに対し、『……すっぴんインタビューで、1時間かけてじっくり伺いたい』とのリクエストのようでしたが……。

   B~ut! しか~し! 伊藤さんと藤井アナ2人の〈ず~っと元・女子高生〉に、“ 知らないほうが良いということもあると思いますよ。特に女性に幻想を抱いている方は…… ” と軽くいなされ、あえなく “撃沈(沈黙)”……。

       ☆

  その〈ず~っと元・女子高生〉の伊藤さんは、自身のブログの中で――、

   『……高3の時に増上寺に体験研修1泊合宿に行くんですが、合宿では1クラス全員が同じ部屋で寝られるので、もう大騒ぎDASH!お化け怪談や枕まくら投げなどでキャーキャーいうほど不謹慎極まりない状態でした汗

   筆者は、伊藤さんの「仏教系女子高」とは真逆の「キリスト教系男子高」でした。京都での修学旅行の夜――。誰かに向かって「投げられた枕」……正確には「投げつけられた枕」……いや、もっと正確に言えば、「破壊の意思を持って乱投された枕」が、見事に枕の中の「籾殻(もみがら)」を布団の上に撒き散らしたものです。不謹慎極まった瞬間でした……。

  「女子高バージョン」の「枕投げ」は、まさかそこまでは……。ともあれ、筆者、齢六十半ばにして、《 女子高生 》 も 〈枕投げ〉 をするということを生まれて初めて知りました。……う~ん……長生きはするもの……いやいや……いやはや……………。

        ☆   ☆   ☆

 

     ◆NHKラジオ『すっぴん』公式ブログ

   平成26年4月8日のブログをごらんください。

  ◆伊藤みゆきオフィシャル・ブログ

 


・五七五の気象予報―伊藤みゆき

2014年01月17日 21時40分47秒 | ■人物小論

 

  朝早く出かけるとき、よくNHKのラジオを聴く。そこで特に耳を傾けるようになったものがある。〈その日の天気〉の解説だ。女性「気象予報士」による言葉に独特の味があり、その日の天気の様子を、俳句や川柳と同じように「五七五」にまとめている。今朝の一句は、

  この土日、寒い寒気も受験する

  「この土日」とは、明日18日とあさって19日を指している。「受験」とは、両日に行われる平成26年度の「センター試験」を意味する。

  気象予報士の名前は、「伊藤みゆき」さん。自身のプロフィールによれば、証券会社のOLを経験したあと、1年間の勉強を経て気象予報士に合格。日本テレビの衛星「NNN24」の初代気象キャスターに合格したとのこと。 現在は、NHKラジオ第一の「ラジオあさいちばん」の気象キャスターを務めている。

  彼女は「ブログ」を書いており、昨年の「クリスマス・イヴ」の一句は、

  冬型で、太平洋側「星降る夜」

  この句の説明は、『冬型で、新潟以北の日本海側は雪。ホワイトクリスマスはこのあたり…。一方、太平洋側は広く晴れそうです。星降る夜の星夜になるでしょう。星が見える…ということはかなり寒くなりますから、暖かくしてお過ごしくださいね』。

       ☆

  《一句形式の天気予報》と言ってしまえばそれまでだが、「五七五」という、日本人にもっとも馴染みやすい音数でまとまめたことに好感が持てる。

  ……さて今年1月分のブログは……と思ったものの見当たらない。そこで昨年1月分を見たところ、24日の一句が眼に入った。

   冬将軍、今夜ノックし長居する。

  『ノックし長居する』という視点が面白い。いかにも“居座りそうな冬将軍”という雰囲気を見事にとらえている。――翌日25日は、「長居する」を受けて、

  冬将軍、到着早々大暴れ

  そしてそれに続く26日には、「大暴れ」を受け、

    冬将軍、雪と寒さをもたらした

  ……と、三日連続で「冬将軍」を採りあげ、その “変化のさま” を<連作>という形で締めている。そのさりげなさが心憎い。何気なく “聞き流す” だけで終わりがちの《天気予報》も 、こうしてみると趣がある。なによりも、イメージと気象のデリケートさがいっそう伝わって来る。読者も一度お試しを。

 

          ★ ★ ★  寒気の中を  ★ ★ ★  

  ――「寒気」がセンター試験を受験するなんて……可愛いわ。あたくしも《一句》やっちゃおうかな……。ねえ? こんなのいかが?

    この土日、寒気とウインド・ショッピング

  いいでしょ? 寒い中にも、ウインドをのぞきながら週末を寛いでいる姿……。

   ……でも、「土日」に限定する理由はないと思わない? あたくしが「センター試験」を受けるわけでもないし。いつだっていいでしょ? それに「ウインド・ショッピングだけというのも不自然だわ。外からお店の中を〝のぞいているだけ〟ってことでしょ? それも「寒気」の中なのよ。

 ……ああ、やだ、やだ! 風邪ひきそう。やっぱり、お店の中に入らなくっちゃ。 ……ん? え? ああ、誤解しないで。「お買物」をしよってわけじゃないのよ。「寒気」の中に晒され続けるのは、体によくないって言いたいの。だから、こうしたらよくって?

     二人して寒気の中もショッピング

 ちゃんと、誰かと……ふ・た・り……って言ってるの。ちっとも寒さを感じさせないでしょ? 身も心もほんわり……暖かく、そして温かく

 ……でもこれって、いかにも「誰かさん」を連れ出して、おねだりしてるって感じね。あ~、やだ、やだ❢ だから、次のようでなくっちゃ。もちろん「誰かさん」を煩わせないで、あたくし一人が静かに、おもむろに……という意味なのよ。

    ひっそりと寒気の中をブランド街

  “ひっそりと” がいいでしょ? 邪念を離れた<控えめな女がたったひとり、凛としたたたずまいの中にあって>……。あ~あ~。あたくしが男性なら、きっとほおってはおかないと思うの。 

 ねえ? あなたもそう思うでしょ? ね~え? 聞いてる? ねえってば……。 

  あれっ? 眠 ちゃったの?

 


・自然体の女性経営者―未来工房

2013年10月20日 11時08分24秒 | ■人物小論

 

  福岡県久留米市に、「未来工房」という社歴約17年の住宅建築会社があります。社員数55名というのは、福岡県内でもかなりの規模といえるでしょう。

  筆者は創業時のことを知っている一人ですが、当時は先代社長と夫人(現社長)、それに社員3名ほどの小さな工務店にすぎませんでした。それが17年でここまで成長されたというのは、ひとえに、その“ぶれない家づくり”への“こだわり”にあるように思います。それを象徴的に示しているのが次のメッセージです。 ※下線、太字は筆者によるもの。

           ☆

  《小さな家の勧め》の【暮らしの提案・三カ条】として――、 

 一、家は小さくても頑丈で、素材は本物を選ぶべし。

 一、大きい家より庭やデッキをもち、野菜を植えて、花を愛でて、四季を体感できる庭の環境を、家族で創るべし。

 一、いらないものは買うまい! 家に置くまい! 

 以上の「三カ条」に、それぞれコメントのようなものがついていますが、とくに気に入ったのは、三カ条目に続く、次の一節です。

  『選択する目を養って、モノを買うより心に栄養を。』

  以上のメッセージ、何となく「女性的な感性」が滲み出ていますね。これは創業時に先代社長の夫人である「現社長」が創り出したものですが、“ぶれない”で営々と受け継がれてきたことを象徴しています。「野菜を植えて」は、無論、現在の「家づくり」にも活かされており、同社の展示場の敷地にも「花壇」や「野菜畑」があります。「花」と「野菜」……。これほど「四季」を感じさせるものはないでしょう。

  この女性社長、金原巳和子氏。筆者はつい最近、10数年ぶりに再会しました。その時の印象は、『自然体でシンプルに経営者をしている方』でした。

  「男性経営者」であれば、どうでしょうか。おそらく「○○哲学」とか、「○○主義」に支えられた……といった「言いまわし」になったかもしれません。しかし、10数年ぶりの再会においてもそれがまったく感じられなかったのは、当然のことながら社長が「女性」であることから来たものでしょう。先ほどの「三カ条」にしても、それをよく物語っています。

  それは言い換えれば、「思惟」を超えた女性特有の「感性」から出たものと思います。そういう雰囲気が感じられたわけですが、その雰囲気を裏付けているのは、「自然体」の「自信」と「信念」のような気がします。

  今回、あらためて気付いたことですが、筆者が個人的に知っている「女性社長の住宅建築会社」は、「未来工房」が初めてです。

            ☆

  《家に合わせて暮らすのではなく、暮らしに合わせて家をつくる

  なかなかいい「コピー」ですね。人間としての「あるべき生き方」を示唆しているのではないでしょうか。

 

    ◆小さな家の勧め

 

 


・久慈市M先輩の想い出:下

2013年09月28日 08時22分21秒 | ■人物小論

  M先輩の口から語られる熱い「法律論」――。筆者は、先輩の「講義」に耳を傾けるだけだった。それでもときどき先輩に促され、「ささやかな私見」を述べることもあった。そのようなとき先輩は――、

   『……君のそれは「ショウスウセツ(少数説)」だべ・・・?!

   “だべ・・・?!”の“・・・?!”に微妙な含みを持たせた独特の語尾は、「疑問」なのか「断定」なのか、はたまた「強調」なのか、何ともわかりにくいイントネーションだった。またあるときは――、

   『……今やってるのは、はぁ「解釈論」だべぇ・・・?! 君のは「立法論」でねえのかァ・・・・・・?

  やはり“だべぇ・・・?!”や“でねえのか・・・・・・?”という独特の語尾とイントネーション。そのインパクトと印象は、45年を経過した今も鮮やかに残っている。

        ☆

   「夏期休暇」が近づく頃、筆者は少しずつ先輩に対して「反論」らしきものを試みることもあった。入学したての「大学1年生」とはいえ、筆者は高校卒業後1年間「法律専門学校」に通い、憲法、民法総論、債権総論は一応学習していたのだった。

   筆者の「反論」にM先輩は驚いたような表情を見せた。それでも臆することなく熱く、そして気合いを入れ直して答えるのだった。

          ☆

    一切自炊をしない筆者に対し、M先輩はときどき「自炊」をしていた。といっても、2部屋の「間貸し」のために造られた急ごしらえの小さなシンク(流し台)とコンロだけの簡単なものだった。ほぼお湯を沸かすだけのものであり、事実、筆者は電気ポットに水を入れるためだけに利用していた。

  それでも遅く起きた休みの日など、ときどき「味噌汁」のにおいが漂ってきた。布団を畳む筆者の気配に気づいたのだろうか。

  『……ああ? 起きた? 味噌汁あるけど……』。

  結局、一杯の「朝餉」に与ることがしばしばあった。

   地裁裁判官の家主N邸(といっても、筆者とM先輩の部屋がある2階下の1階部分)で、M先輩と筆者は食事に呼ばれることがあった。もちろん先輩は、このときとばかりにN裁判官に自説をぶつけ、またその判断を求めた。ハイレベルの内容のため、筆者は黙って聞いているだけだった。

   この「N邸食事会」に、あるときもう一人の大学の先輩(すでに卒業)が加わることがあった。司法修習生1年の20代半ばの女性であり、N夫人の妹さんだった。

   翌年、N裁判官は弁護士となった。その次の年つまり筆者が3年生になったとき、M先輩の妹K子さんが大学進学のために上京し、先輩の部屋の住民となった。ほんのちょっとの間の兄妹同居だったが、ひと月も経たない頃、M先輩は都内の元の下宿に戻ったように思う。そこにはフィアンセもいた。

   この1週間後、筆者はN邸を出て、同じ練馬区の「南大泉」のアパートに引っ越した。それ以来、M先輩とは会っていない。

   先輩! たった今『あまちゃん』おしまいだっぺ!  (了)

 


・久慈市M先輩の想い出:上

2013年09月22日 07時10分50秒 | ■人物小論

  大学入学と同時に、学生課紹介の住家に「間借り」した。住所は東京都練馬区北大泉であり、近くに東映の撮影所があった。部屋は二階の四畳半一間。食事付きの「下宿」ではなかったものの、風呂だけは自由に入ることができた。家主のN氏は地裁の裁判官であり、大学の先輩でもあった。

  しかし、この家にはもう一人「間借人」がいた。筆者が入学した年に同じ大学を卒業したM先輩だ。「司法試験受験勉強」のため郷里には戻らず、東京に残っていた。この先輩の郷里こそ、NHKの朝ドラ『あまちゃん』の舞台となった岩手県の久慈市だった。

  N邸の二階には、筆者の「四畳半」とM先輩の「六畳」しかなかった。いずれも「和室」であり、郷里から遠く離れて一人暮らしをする青年にとって、畳の部屋は落ち着きと安らぎとを与えてくれた。

      ☆

   もちろん、パソコンも携帯電話もない1968年。「東京オリンピック」の4年後であり、この年の10月に「メキシコオリンピック」が開かれた。筆者の部屋にテレビはなく、ラジオは持っていたものの何かを聴いたという記憶はない。それは隣の部屋のM先輩も同じだった。

   孤独で過酷な勉強を強いられる司法試験受験生。テレビやラジオなど無縁というもの。ひたすら勉強……の日々であったようだ。近所に喫茶店もなければ、気分転換に散策するようなコースもなかった。

   勉強の疲れを癒す方法も場所もない退屈な郊外の住宅街。しかも、地方出身で同じ大学法学部の「卒業生」と「新入生」の男二人――。となれば、読者各位は想像できるに違いない。……そう、M先輩は、週に2、3回は筆者の部屋にやってきた。ときには2日、3日と連続することもあった。部屋まで来ないまでも、壁越しに話かけて来ることもたびたびだった。

   M先輩が筆者の部屋に来るとき、それは「法律論」を展開することだった。それもいつしか、ちびりちびりと共に「ウィスキー」を“飲みながら”の講義となった。といって、「酔う」というほど飲むこともなかったし、「法律論」以外の話をしたという記憶もあまりない。二人とも真面目……、というより不器用だったのだろう。それでも下戸に近かった筆者は、この先輩によって「アルコール」に対する遅々たる進歩を見せることとなる。

    「法律論」が熱を帯びると、M先輩の口から例の“東北弁(今思えば、「久慈の方言」ということになるのだろう)”が交じった言いまわしが出て来た。

   『……刑法犯に該当したからってェ、全部が全部、有罪ってことにはならねえだべェ……』

    だが「じぇじぇ」という感嘆詞を耳にしたことはない。(続く)


・“大投手”への“序章”――楽天イーグルス・田中将大投手

2013年08月10日 18時34分12秒 | ■人物小論

                                        

  今年も「夏の甲子園」の季節。一球に賭け、一球に歓喜と悲哀を味わう球児たち。その筋書きのない熱い青春のドラマ。……7年前の2006年8月21日もそうだった。「決勝戦」において、駒大苫小牧の田中将大(まさひろ)君は、「ハンカチ王子」として人気を集めた早稲田実業の斎藤佑樹君と投げ合い、1対0で敗者となった。

  この試合は「決勝再試合」であり、前日20日に15回もの延長戦(0対0)を戦っていた。しかも「駒大苫小牧」には、“夏の甲子園三連覇”がかかっていたとのこと。それだけに、ひときわ印象に残った試合となり、また選手となったのだろう。

      ☆

  「野球(8・9)の日」ともなった8月9の楽天―ソフトバンク戦。7回4安打無失点の田中投手の好投により、5対0で楽天が完封勝ちをおさめた。それは、同投手の4月開幕以来の16連勝という日本新記録を意味する。筆者は特定チームのファンでもなければ、特に好きな選手がいるわけでもない。それでも「マー君」は大好きだ。彼がプロになる前からずっと応援して来ただけに、今回の新記録達成は本当に嬉しい。

  記録達成のこの日、試合前の練習を終えた田中選手の後ろ姿に、星野監督は二拍手して祈ったそうだ。「神様、仏様、田中様」の気持ちだったのかもしれない。『本当に偉大な投手と巡り合えて幸せ』とは同監督の弁。

      ☆

  1988年11月1日生まれの24歳。2007年から昨年2012年までの6年間の成績は、75勝35敗、2セーブ、防御率:2.50WHIP1.14

  WHIPは「Walks plus Hits per Inning Pitched」。「被安打数と与四球数を足した数値を投球回数で割った」もの。『1イニングあたり何人の走者を出したか』を表す数値であり、走者が少なければ、それだけ失点の可能性が低い。この数値が低ければ低いほど高評価できる投手となる。先発投手の場合、1.00は球界を代表する投手、1.20未満ならエース級といわれ、1.40以上は問題のある投手と見るようだ。

  星野監督評。『(田中は)配給とリズムを考えて投げるようになった。でもまだまだよくなる。それに彼は性格がよく、みんなに好かれる。彼が投げると打線が打つ。逆転劇や連勝が打線に救われた場面も何度かあった。不敗神話とか言われるが、そういう信頼感も無関係ではない』

  以上のような意味を含めての「好投手」であり、いつの日か「大投手」と呼ばれるための“ほんの序章”にすぎないのかもしれない。20連勝の記録を持つ“鉄腕稲尾和久に並んだ「マー君」。次の登板によって、ぜひこの偉大な大投手を超えて欲しい。そしてさらに、“鉄腕”というこの輝かしい形容を遥かに凌ぐための“伝説”を歩みはじめて欲しい。


◎孤高の含羞/追悼・三國連太郎:(下)

2013年04月23日 18時51分14秒 | ■人物小論

  父と息子の確執を超えて

  今回、三國連太郎氏 “死去” の「報道」は各局において何回も繰り返され、その中心は子息佐藤浩市氏に対するインタビューだった。その中で筆者がハッとした言葉がある。

 『父親としてはどうでしたか?

 と尋ねられたときの浩市氏の次のひとことだ――。 

  ――そりゃ、ひどい!

  この言葉を発するまで、浩市氏は緊張気味の戸惑いの中にあっても、懸命に自制しながら答えていた。それだけに、本音ともとれる『そりゃ、ひどい!』に、積り積もっていたものが吐き出されたような感があった。

 それはおそらく、怨嗟と諦観とが入り混じったものではなかっただろうか。それだけこの父と息子の間に潜む “鬱屈した情愛” は、複雑なものがあったに違いない。

   4回「結婚」して、3回「離婚」したと言われる三國連太郎氏。その3番目の妻との間にできたのが、佐藤浩市氏だった。

 三國氏はかって言ったことがある。

   ――息子(浩市氏)が小学校に上がるまでは一緒に(住んで)いよう。

   妻子の元を去るタイミングを心に秘めながら、三國氏はその通り実行した。父去りし以降の浩市氏の胸中は、察するに余りある。

             

 

  『美味しんぼ』での共演の意味

   筆者はまだ観ていないが、『美味しんぼ』(1996年:松竹)という映画がある。料理人親子の「剥き出しの確執」を描いたものだが、二人はその「父」と「息子」を演じた。

 実はその「息子役」に浩市氏を指名したのは、三國氏だった。

 親子二人が同席した「会見の場」において、三國氏は指名の理由を――、

 『親子でなければ出しえない雰囲気が映るのではないか』と。

 一方、指名を引き受けた浩市氏は、

 『親の中にどういうものがあるかを知るにはいい機会だ』と。

   しかし、互いにそう触れながらも、三國氏は『佐藤浩市君は、僕の芝居を今日まで否定してきた』と述べて、挑戦的な気配も見せた。

 浩市氏が、『映画はサービス業』と言ったとき、三國氏はやや強い口調で、

 『ほらここにもう対立がありまして……映画というものは運命的にはサービス業であっても、映画を撮るということはサービスではない』 と強く浩市氏の言葉を遮ったのだ。

             

   以上の下線部を「筆者流」に言いかえると、『映画は本質的にはサービス業だが、役者が演じるそのことは絶対にサービスではない』。

 もっと進めて「三國流」に言えば、『 “役者が演じる” ことは、決して〝観客のためではない〟』であり、『役者が自分自身と “命がけ” で闘うためのものだ。〝何やかや捨て去ってでも、手に入れたいと思うほどのもの〟』

 ……そう言いたかったのだろう。

              

  映画完成後の記者発表は、制作発表のときとは明らかに様相が変わっていた。 共演者の羽田美智子さんは、撮影現場の「三國氏」と「浩市氏」二人の様子について――。

  『三國さんは現場に入ると、まず浩市さんを探し、浩市さんも三國さんがどこにいるかを確認していらしたようです。お二人の間には、親子にしかない愛や絆があったように感じます』

  と語り、三國氏は穏やかに愛しむような眼差しで浩市氏について、次のように語った。

   『親馬鹿と言われれば困りますけど、ここまで才能を持った人なのかと感じました。立派な役者になってくれれば……』

   それに対して浩市氏は、『最初に想像していたよりはやりやすかったようです。情熱を持った熱い若い役者よりも面白かった……』

              ★

 おそらく二人は、「共演」を通して、役者同士としての何かを共有できたのかもしれない。だがそれで親子の確執が拭い去られたわけでもないだろう。

   葬儀の際の浩市氏の言葉はこうだ――。 

   『三國連太郎で生きたんだな。役者として生きたんだな。そう生きることの孤高さを自分の中で守り続けながら、芝居に関わってきたんだな。親爺の死に顔を見たとき、そのことを何となく感じた。』

   三國氏が『 “” 馬鹿』との言葉を」発したとき、浩市氏の中で何かが “フッきれた” のではないだろうか。そのような表情が垣間見えたように思う。

 また浩市氏が『親爺』と言った瞬間、彼の中の《三國連太郎が父》と言う気持が、《父が三國連太郎》へと変化したような気がしてならない。

             

   三人の妻と三つの家庭を、何人もの女性を、……そして、その果てに佐藤浩市を捨てた三國連太郎。その代償に得たものは何だったのか。役者としての数々の功績や賞賛……。いや、違うような気がする。  

 優れた役者と呼ばれたいとも、いい演技をしようとすら考えなかったに違いない。妻子はおろか、映画関係者や観客がどう感じようと評価しようと、我関せずとする  “自若の体〟ではなかっただろうか。そんな気がしてならない。

 そこにたった一つ、三國氏自身が己を納得させうるものがあったとすれば、それは誰に対しても、また何処であっても、たえず “孤高” であり続け得た “含羞(がんしゅう)” ではなかっただろうか。 

   三國連太郎氏、2013年4月14日没 90歳。 合掌礼拝 

 

  ◎2020年12月5日午前 加筆修正 花雅美 秀理


◎巨星墜つ/追悼・三國連太郎:(上)

2013年04月17日 21時23分34秒 | ■人物小論

 「巨星」の条件

  “銀幕の巨星墜つ”――。

 この表現に相応しい俳優となると、過去から現在に至るまで、はたして何人の映画俳優が当てはまるだろうか。三國氏の死去報道の後、しばし考えてみた。

 だが〝これはという俳優〟  を想い浮かべることは、容易ではなかった。 

   確かに「石原裕次郎」は銀幕の「大スター」であり、それも “” を付けなければならないほどのスター性の持主だ。当時の或る「映画評論家」は断言している。

  『石原裕次郎以上の「国民的大スター」は、もう二度と現れないだろう』と。

 筆者もそんな気がしてならない。といって、裕次郎氏を “巨星” と言う気にもなれない。また事実、そう言う記事や表現の記憶もない。それは彼の死が、52歳と いう若さによるからだろう。

                      ★

   “巨星” と言われるための「第1の条件」は、何と言っ ても “長寿” であろう。“長寿” なればこそ、ファンすなわち人々に対して “長い期間、夢や感動を与え続けることができる”  のであり、つまりは、それだけ永く、また多く “期待” に応えうるというものだ。……死が訪れるそのときまでは。

  その意味において裕次郎氏は、たとえ彼の死が病によるものであったにしても、年齢的にも実際の活動においても、人々の “期待” に充分応えたとは言い難いのかもしれない。

 つまりは、“完全燃焼” したとまでは行かず、“巨星にまでは到らなかった” ということではないだろうか。

  “巨星” と言われるための「第2の条件」は、“その道の第一人者” と呼ばれるに相応しい「特筆すべ業績や功績の持主」ということだろう。裕次郎氏は、この第2の条件はクリアしていたのではないだろうか。

             

 

 「飢餓海峡」と「復讐するは我にあり」

 今回の三國連太郎氏の死去――。筆者の感想として、彼こそは “巨星墜つ” に相応しい俳優と思う。裕次郎氏と異なり、決して “” が付くほどの「大スター」ではなかったにしても。

 しかし、『飢餓海峡』(原作:水上勉、監督:内田吐夢)で見せた鬼気迫るほどの殺害行為――。その迫真の演技と深い哲学性に、優れた「役者」としての奥の深さを見せつけられる思いがした。観終えたあと、しばらくのあいだ “評すべき言葉” が出てこなかった。

 本当に人を殺した人間としか言いようのない所作。“人が人を殺す” という、およそ “人間の行為” の中でも、もっとも赦しがたいもの……。生きること、生きるために他者の生を奪うこと……。

   そこまでして、なぜ人は生きようとするのか……。そういうことまでも思い起こさせる凄さがあり、あらためて “人間の業” や “罪と罰” について考えさせられた。

 

             

   一方、「殺人者」を息子とする「カトリック信者」榎津鎮雄(えのきずしずお)役――。

 これは実際の「殺人鬼・西口彰」事件をモデルとした、佐木隆三氏原作による『復讐するは我にあり』(監督:今村昌平)だ。

 この映画の「ラスト」は、死刑執行による息子・榎津巌(えのきずいわお:緒形拳)の遺骨を “散骨” するシーンとなっている。

 山の上から巌の嫁(賠償美津子)と二人で骨壷の骨を投げ棄てるわけだが、今回、三國氏の長男として知られる俳優の佐藤浩市氏は、三國氏が生前、『戒名はいらない。散骨してくれ』と、言い遺していたことを明かした。(続く)

  

 ◎2020年12月5日午前 加筆修正 花雅美 秀理


◎道傳・高橋・草野/NHK女性アナウンサー列伝抄:(6)最終回 

2013年02月25日 20時30分35秒 | ■人物小論

 道傳 愛子

  現在は、「解説委員」の道傳愛子(どうでんあいこ。1965年生)さん。

 声には、“穏やかで落ち着いた静けさ” があり、加えて “シャイな感じの柔らかさ” を持っています。

 ことに、ひと段落ついたときに見せる「囁き口調」に、この人独特の “いっそう低いトーンが混じり、成熟した女性らしさ” がさらに感じられます。

  もともと、ニュース原稿をどんどん読み進めるタイプではないようです。もちろん、そこがこの人の魅力でもあるわけですが、『ニュース7』のキャスターを、1999年3月からちょうど1年間務めました。

 一時期、バンコク(タイ)の特派員となり、「ワールドニュース」のレポーターとして、アジア情勢を伝えたこともあります。

 ゆったりと構えた表情と仕草に、剣道をされていた〝気〟のようなものが漂い、加えて、情報の最先端を行く「特派員」という雰囲気が、大変よく出ていました。

 現在の「解説委員」は適任かもしれません。

 ともあれ、全体のイメージも “これぞNHK” といえる雰囲気の方でしょう。

 

  高橋 美鈴    

  初めて高橋美鈴(たかはしみすず。1971年生)さんの声に接したのは、『美の壺』という美術番組がスタートした2006年春でした。

 “しっとりとした静謐で柔らかいナレーション” に、一瞬にして魅了されていました。

 正直に告白すれば、番組が終了した後も、しばらくその余韻に浸っていたほどです。

   加賀美さんや山根さんのような「骨太の声」に多く接していたため、筆者にとって “その一瞬の高橋さんの声” は、別次元のものでした。それほどの衝撃であり、また感動だったのです。

   当時の『美の壺』の主人公(司会)は、元クレージーキャッツの谷啓氏であり、そのコミカルな「語り口」や「動作」と、高橋さんの “囁く” スタイルのナレーションとがよくマッチしていました。NHKの人選や演出の巧みさを、あらためて痛感したものです。

  ことに番組3回目の『アール・ヌーヴォー』は、垂涎の的ともいえる「エミール・ガレ」や「ドーム兄弟」のガラス細工特集――。

 それだけに彼女のナレーションは、もうこの人以外にはないと思われるほど適任でした。その “ほんのりした甘さ” に、“清潔感に包まれた艶” を感じさせるしなやかな声……。

 「壊れやすいガラス細工」と、高橋さんの、これまた〝壊れそうなほど繊細で優美な囁き〟とが、和歌や俳句における独特の「匂いの移り合い」を感じさせたほどです。

 それに加え、一貫して流れるBGMのジャズも、とてもよくフィットしていました。その「テーマ曲」は、今もジャズ界のポピュラーといわれる「モーニン」です。選曲のセンスが素晴らしい。この回の照明や音響は、特に印象深く憶えています。

 いつもよりも「絞った照明」に「緩くしたBGMのテンポ」。さすがNHK。

        

 草野 満代

   草野満代(1967年生)さんは、ご存じのように元「NHKのアナウンサー」でした。 

 朝のニュース番組を担当していた頃、よく観た記憶があります。年齢の割には落ち着いて見え、ニュースを読む口調に、ひときわ勢いと弾みがあり、その抑制の効いた力強さと調べのよさに、グイグイ惹きつけられたものです。

 冷静沈着さが、際立った印象として残っているのは、彼女の個性だったでしょうか。それとも、当時のNHKの既定方針だったのでしょうか。とにかく、「清新な朝のニュース」にピッタリの〝弾みと抑制〟が効いた印象を持ちました。

   NHK退局後は、『筑紫哲也NEWS23』において、キャスター・筑紫哲也氏のサブを務めたわけですが(1997.9~2006.9)、筑紫ファンの筆者は、この番組を楽しみに観ていました。

 必然、「サブ」の草野さんを観る機会も多く、彼女の優れた面をさらに感じる機会となったようです。

  ある意味、筑紫氏が彼女を育てたのは確かですが、同時に彼女が筑紫氏を引き立てまた深化させたのも確かです

 個人的には、やはり「アナウンサー」として堂々と自信を持ってニュースを読み上げる表情が一番魅力的であり、また〝得も言われぬ気品と成熟した女性の魅力〟が発揮されていたように思います。

  この草野さんの後任が、同じNHK出身の後輩、膳場貴子(ぜんばたかこ:1975年生)さんでした。

            ★  ★  ★

      

  「NHK」と「民放」との “絶対差” は、基礎訓練の差?!

  筆者が「NHKのアナウンサー」が好きな理由は、初回にも述べたように、

 第1に、アナウンサーとしての「基本」がしっかりしていることでしょう。やはり、まずは「発音」つまりは「音としての言葉」の明瞭さであり、「言葉のフィーリング」を大切にしているかどうかでしょう。

   私見ですが、「NHK」のアナウンサーの方は、想像もつかないほどの「厳しい訓練」を受けているのではないでしょうか。「民放」と比較するとき、そう思わせるほどの “絶対的な差” を感じるから です。それはつまりは、「新人時代」における基礎訓練の“質・量”の違いかもしれません。

   第2の理由は、やはり知性品位であり、

 第3は、洗練された物腰ということでしょうか。「一人の女性」としてみても魅力的であり、内に秘めた麗しさが自然に滲み出ているような気がします。

            

   ちょうどこの頃、ある民放の「の番組」の中で、女性アナウンサーが「ニュース」を読み上げ始めました。筆者は、そのときの彼女の姿に驚いた事があります。

 彼女は、茶髪系の髪に真っ赤な口紅、そして直径が5,6cmもあるリングのイヤリングを、ぶらぶらさせながら原稿に目をやっていました。その彼女が、その民放局のエース級と聞いて、二度びっくりしたことがあります。

 ディレクターやAD他、たくさんのスタッフが見守っていたと思うのですが。「バラエティ」番組ならまだしもと、不信と疑惑が残りました。

 ことに、当該女性アナウンサーの外見だけでなく、肝心のニュースの「読み上げ方」や「発声・抑揚」についての疑問もあっただけに、釈然としない出来事でした。

            

  とはいえ、もちろん 「民放」にも、魅力的で優れた女性アナウンサーは多いようです。しかし、その「素晴らしさ」が充分に発揮されていないような気がします。

 独断ですが、「民放」は「アナウンサー」を安易に「芸能タレント」扱いしているような気がしてなりません。「アナウンサー」として真剣に育てる意志があれば、もっと違った起用の仕方があるように思うのですが。

            

 

 アナウンサーを活かしきるNHK

  今回、久しぶりに真剣に「テレビ」を観ることになったわけですが、そこで「NHK」という「放送局」に関して強く感じたことがあります。

  それは第1に、番組の性格やイメージに即した「アナウンサー」(キャスター、司会など)の「人選に優れているということです。

  第2に、登場させた「アナウンサー」をよく“活かしきっている” ということでしょうか。高橋美鈴さんのところで触れたように、語りを「囁き口調」にし、BGMにモダンジャズを配したのもその表れです。その基本方針は、無論、他の番組にも見られます。

   「NHK」から「民放」に移ったアナウンサーに対し、多少の “違和感” を覚えるのは、以上の「裏返し」といえるのかもしれません。

 『なぜ “NHKにいたあのアナウンサー” が、このような番組の司会をしているのだろうか?』、

 『なぜあのような番組進行をしているのだろうか?』

 と言った疑問を抱いたことはありませんか?

  少なくとも筆者は、NHKの番組についてそのように思ったことはありませんでしたが……。 (

 

           ★★★ 美しき…… ★★★  

   ――あたくし思うの。高橋アナウンサーって、趣味は茶道にお芝居の観劇……。それに、そうそう、一人で着物を着ることがおできになるそうよ。また、リフレッシュのために旅に出たり、「美術館」でゆったり過ごしたり……。

 まるで「感性」が誰かさんとピッタリなのね。ひときわ上品で穏やかで、それに何~んたって、美人でいらっしゃるし……。 

   あれっ? もしかして、もしかしてって……こと? 道傳さんも草野さんも、そして渡邊さんや有働さん、石井さん……。さらには、加賀美さんも山根さんにしても……みなさん “美しき熟女”……ってわけなのね。

  そうなんでしょ? ねえ? 聞いてる? ね~え? ねえってば…….。

  あれっ? 眠ちゃったの?

 

 ◎2020年12月3日午前 加筆修正 花雅美秀理 


◎渡邊・有働・石井アナ/NHK女性アナウンサー列伝抄:(5)

2013年02月21日 21時17分26秒 | ■人物小論

 

  加賀美・山根のビッグ2に続く、渡邊・有働・石井さん

   加賀美幸子さんと山根基世さんの「ビッグ2」に続くNHKの女性アナウンサーは? 

 ……となれば、個人的には渡邊あゆみ(わたなべ)さん、有働由美子(うどうゆみこ)さん、それに、あまり知られていないかもしれませんが、石井かおるさん、道傳愛子(どうでんあいこ)さんでしょうか。

 「元NHK」となれば、草野満代(くさのみつよ)さんを外すことはできません。

  筆者はほとんどテレビを観ません。それでも今回ばかりは、この「シリーズ」を書き上げるため、NHKのみならず「民放」各社の女性アナウンサーもチェックしました。  

 ことにNHKについては、各曜日の主だったTV番組にひととおり眼を通したつもりです。ラジオも例外ではありませんでした。

 

                  

 渡邊 あゆみ

   渡邊あゆみ(1960年生)さんは、姓が「久能木(くのき)」、「黒田」、そして「渡邊」と変わったようです。現在、『歴史秘話ヒストリア』のナビゲーターを担当しており、先週は「和宮降嫁」に関する秘話でした。

    渡邊さんは、“無造作に言い切る” 喋り方が特徴です。それはときに、“愛想のないぶっきら棒” な印象を与えるかもしれません。声の質が “低く、太い” ため、言い終わった後の余韻が、あとあとまで残りやすいと言えるでしょう。

 ……と、こうして原稿を綴っているだけで、彼女の声が筆者の脳髄に響いています。その印象度の強さたるや、半端ではありません。といっても〝別格の加賀美さん〟には叶いませんが。

   やや籠りがちな感じの独特な “ひびき” も、この人ならではの特色であり、声の印象度という点では、現役のNHK女性アナウンサーの中でも一、二でしょうか。

 “声の老(ふ)け” を感じさせない、大変エネルギッシュな人です。

   どんなジャンルのナレーションも器用にこなす人のようですが、筆者的には「中国史」をはじめ、アジア系歴史物のナレーションなど面白いような気がします。

             

 有働 由美子               

   一時期、特派員としてニューヨークにいた有働由美子(1969年生)さん――。

 つい最近、民放各社にNHKを加えた「女子アナ人気ランキング」において「ベスト3」にランクされ、NHKではトップでした。

 関西出身だけあって、気さくで明るく、男性的な骨太キャラクターの印象を与えます。 

  しかし、実像は案外(…といったら失礼かもしれませんが…)真の女性らしさを湛(たた)えた繊細な感性の人なのかもしれません

 現在、有働さんは『あさイチ』という番組の「キャスター」を務めています。その番組は、気さくな感じの軽いノリがコンセプトのようです。彼女が、自分を律しながら番組の雰囲気づくりに心を砕いている様子が判ります。

   「紅白歌合戦」の「総合司会」等を担当することもあるようですが(ちなみに筆者はこの十数年、同番組は観ていません)、「ナレーター」としての技量もなかなかのものです。

   もう十年以上になるでしょうか。番組のタイトルも内容もほとんど憶えていませんが、有働さんのナレーションによる  “川の流れや川土手の殺風景な様子を描写した表現”  に、深い感動を覚えたことがあります

   彼女が「三十歳代前半」のときですから、おそらく今よりも「高い声」だったのでしょう。しかし、そういう印象はまったくありません。とても落ち着いた低い声で、彼女自身が実際に眼の前でその光景を観察しているかのような訴求力がありました。

    いかに優れたNHKのアナウンサーとはいえ、そうそう誰にでもできることではありません。原稿の文章が素晴らしかったのは事実ですが、彼女の高い美意識や感性の賜物でしょう。

                ★

 石井 かおる

  石井かおる(1963年生)さんも、昔から注目していた一人でした。

 20数年前、彼女の名前を初めて知ったのは、森林事業者に関する数分間のナレーションでした。

 おそらく石井さんが二十歳代半ばの頃ではなかったでしょうか。現在よりも、少し「高く弾んだ声」であったのは確かです。

  ナレーションが終りに近づいたときでした。画面に登場した森林関係者の名前を告げ、優しく問いかけるようなシーンでした。彼女が画面に登場したわけではありませんが、一段と “澄んだ清浄無垢な声” が、背景の森林とよくマッチしていたように記憶しています。

 深く心に沁み入る “自然体” のナレーションであり、しかも〝少しも気取った感じ〟や〝身構えた感じ〟がなかったのです。そのため、聴き手の心の奥深いところまでスムーズに伝わって来ました。

  ついこの間まで、『あさイチ』のレギュラーでしたが、現在は金沢放送局勤務なのでしょうか。

 数年前、教育テレビの「俳句講座」の司会を担当。俳句大好き人間の筆者は、ビデオに撮ったりして欠かさず観ていました。番組の性格もあったのでしょうが、「言い終わった後の余情」のようなものを感じ取ることができました。

 それが親しみを帯びたものだけに、いっそう印象深く耳に残ったことを覚えています。

  間もなく五十代に入る石井さん。“充分な声量に、太くて粘りのある弾んだ現在の声” は、「加賀美幸子系」と言えるでしょう。

 つまり、これから先が楽しみです。個人的には、彼女による芭蕉の『おくのほそ道(奥の細道)』の朗読……など。贅沢な願いでしょうか……。(続く

 

  ◎2020年11月30日 午後 加筆修正 花雅美 秀理