「大化」から「平成」までの元号は中国の古典から
前回 home work の 「努力」「成功」「失敗」「精神」「運動」「政治家」「英語」……は、「日本語(漢字)」も「中国語(繁体)」も、全く同じでしたね。
「女⇒女士」「男⇒男人」「教師⇒老師」「先生⇒老師」「弁護士⇒律師」「想像⇒想像力」「創造⇒創建」「美術⇒藝術」「芸術⇒藝術」「建築⇒建築学」、そして「感性」⇒「靈敏度」(※注①)となっていました。
ところで、2年前2019年5月1日より 「元号」が「令和」になったとき、みなさんはテレビや新聞等で〝その名前の由来〟に関するニュースをご覧になったと思います。そこで、基本的なことを整理してみましょう。
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1 我が国の「元号」は、西暦645年の「大化」(大化の改新)から始まった。
2 「大化」から「平成」まで247の「元号」名称は、すべて「中国の古典」(四書五経)等から採(と)られた(※注②)。
3 248番目の現在の元号「令和」は、初めて〝日本独自〟の歌集「万葉集」から採られた(※注③) 。
4 「令和」の英訳は、「Beautiful Harmony」(美しい調和)とされた。
というところでしょうか。
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2 の「四書」とは、「論語」を中心とする「儒教の教典」であり、この「儒教」(※注④)こそ「孔子」を始祖とする思想・信仰の体系と言えます。ことに「論語」は儒教の入門書として普及し、知識人のみならず、一般市民や農民の教科書としても用いられたようです。
3 の「令和」の典拠は『万葉集』巻五の「序」にある次の一文、
『于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。』
から来たものです(※原文には句読点はありません)。
4 の「令和」の英訳については、海外のマスコミを中心にさまざまな翻訳が試みられたようです。「和」については比較的容易に「harmony(調和)」に落ち付いたようですが、「令」については、「order」(命令、規律)又は「command」(命令、指令、指揮)として、おそらく〝権威ある上からの命令〟といった受け止め方がなされたのでしょう。
そこで日本政府は、末尾「※注③」の歌の「原文」、
『于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。』の「現代日本語訳」にある「……初春の令(よ)い月の下での美しい風」や「鏡の前の美人が白粉(おしろい)で粧(よそお)うよう梅が咲いた……」
といった歌の〝雰囲気〟をまとめる形で〝美しい beautiful〟と把握したのでしょう。そのようなことを念頭に置いた安倍首相や外務省の発表でした。
道徳のルーツ? 儒教の「仁・義・礼・智・信」
儒教の教えとして、「仁・義・礼・智・信」という「五常」(※「五徳」とも言う)があり、孔子は「仁」をその最高の徳目としています。
「仁」とは〝人を思い遣る事〟。私心なく労(いた)わる心ということでしょうか。
「義」とは、〝利欲に囚われず、すべきことをすること〟。論語の「為政」編に、『義を見てせざるは勇無きなり』というのがあります。〝義を見てせざる〟というのは、〝正義を貫かなければならないときは……〟というニュアンスがあるのでしょう。そのときは、どんなことをしても勇気を持って事に当たれと。
「礼」とは、〝仁を具体的な行動として、表したもの〟。のちに〝人間の上下関係において守るべきこと〟を意味するようになったようです。
「智」は「論語」では「知」と表記され、「聡明さ」ともなっています。単なる「知恵」ではなく、道徳的な認識判断を含むものです。
「信」とは、〝真実を告げる、約束を守る、誠実であること〟。また〝言明を違えないこと〟。
以上の五徳に、「忠」「孝」それに「中庸」が加えられているようです。「忠・孝」と来れば、筆者のような団塊の世代には、《忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず》といった言葉が浮かんで来ます。
これは、〝主君に忠節を尽くそうとすれば親の意思に逆らって不孝になり、親の意思に従えば主君に背いて不忠になる〟という〝板ばさみの状態〟とされています。
しかし、この言葉は少なくとも今日の我が国においては、「主君」と「親」との関係から一歩進み、他の「徳目」ことに「義」や「信」の実践を含んで広がっているような気がします。役所や政治家の不正や虚言などにおける、上司と部下といった関係にしばしば登場するのではないでしょうか。
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「中庸」とは、「四書」の一つとしての「中庸」の教えであり、「中」とは〝偏(かたよ)らないこと〟となっています。一方、「庸」とは「平常」や「常」であり、また〝優れた点や変わった点を持たない(=庸才)〟との意味を持っているようです。
えてして「中庸」を〝平均的〟とか〝中道的〟と安易に判断しがちですが、決してそうではなく、天地自然の理や人道人倫について思考判断する際の〝もっとも崇高な基準〟として、〝偏らないという自己抑制の貴さ〟を教えているのではないでしょうか。(続く)
※注① ちなみに「敏度」と入れると「感度」と翻訳されます。「靈」は、もちろん「霊」の旧漢字です。「感性」が「霊(魂)」の「感度」と言うのですから、〝深遠な魂の声〟が聞こえて来るような気がするのですが……。
※注② 「四書(ししょ)」とは、「論語」(孔子:こうし)、「大学」(曾参:そさん)、「中庸」(子思:しし)、「孟子」(孟子:もうし)の四つの書を指しています。なお「論語」は、孔子やその高弟たちの言行を、孔子の死後に記録した書物。
また「五経(ごきょう・ごけい)」又は「六経(りっけい・りくけい)」は、漢代に官学とされた「儒学」における「経書」の総称。「六経」とは『詩』(詩経)「書」(書経)、『礼』(礼記)、『楽』(楽経)、『易』(易経)、『春秋』の6つの経書を言い、このうち早い時期に失われた『楽』を除いた5つの経書を「五経」と言います。
※注③ この原文の「書き下し文」は、
『時(とき)に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。』
となり、これをさらに「現代日本語訳」にすると、
『時は初春の令い月(※この場合『令』は「善」と類義語) であり、空気は美しく、風は和やかで、梅は鏡の前の美人が白粉で装うように花咲き、蘭は身を飾る衣に纏う香のように薫らせる。』
となるようです。
なお「令」には、「立派、清らか、めでたい、神のお告げな」どの意味もあるとのこと。また「和」には、「おだやか、なごやか、やわらぐ、のどか」に加え、「仲良くなる」という意味もあるようです。平和で優しい印象が感じられます。
※注④ 「儒教(Confucianism)」とは、孔子を始祖とする思想・宗教の体系。紀元前の中国に興り、東アジア各国において2千年以上に渡って影響力を持っていました。