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《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・広島や卵食ふ時口ひらく―西東三鬼

2014年08月05日 00時00分36秒 | ■俳句・短歌・詩

  

  広島や卵食ふ時口ひらく  西東三鬼

 この句には「季語」がない。しかし、初めてこの句に接した二十代終わり、何の抵抗もなく “夏” を感じた。“感じた” と言うより “どう考えても夏” であり、“夏以外” の季節は思い浮ばなかった。無論、“夏” という季節を決定付けたのが、「1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下」を受けた “HIROSHIMA” という、 “世界史的な地” にあることは言うまでもない。

 そのため、表現としては――、

 

  広島忌卵食ふ時口ひらく

  ……もあり得るだろう。しかし、ここはやはり『広島や』としたい。『広島忌』すなわち「原爆忌」となれば、「原爆投下の惨事に見舞われた広島」という 歴史的な事実 が前面に出すぎることになる。それでは「広島」を “時間的” にも “空間的” にも “限定的” に捉えすぎることになり、“被爆都市というあまりにも強いイメージ” に圧倒され、そのままフリーズ(freeze=凍結)されかねない。それは結果として、鑑賞者の感覚や想念の広がりを狭める恐れがある。「8月6日」の「原爆投下の日」や、その “事実” だけを対象にしてはならない句だ。

        ☆

  それにしても、“なんとゆったりした表現” だろうか。『卵食ふ』ですむところを、そのあとに『時口ひらく』と、わざわざ「七音」を余分に費やしている。それだけに “食べる” という人間にとってのもっとも “本能的な行為” と、そのために “口をひらく” という “本源的な行為” とが、 “人間存在” の意味をいっそう深めている。その “ひらいた口” を通して “食されていくもの” は『卵』、もちろん「ゆで卵」以外にはない。

  「ゆで卵」だからこそ、『食ふ時口ひらく』という “動作” にシリアスな “手ごたえ” が加わるとともに、「ゆで卵」の持つ “質感” がいっそう鮮烈に伝わってくる。同時に、夏の暑さに含まれた “気だるさ” や、容易に拭い去ることのできない “やりきれなさ” のようなものも感じさせる。

  シンプルな楕円体の形をした「ゆで卵」。壊れやすい薄い殻に、崩れやすい中身――。それだけに、この「ゆで卵」の持つ形態的なイメージと、“壊れやすく、崩れやすい” という本質は、どこかに「リトルボーイ(Little Boy)」というコードネームで呼ばれた 《 広島型原子爆弾 》 そのものの “メタファ(隠喩)” を秘めてはいないだろうか。

   “捉えどころのない不安定な存在” の「ゆで卵」……。それを素手で受け止め、口を開いておもむろに食べ始める。限りなくシンプルな食べ物を、限りなくシンプルな方法で食べる……という行為が意味するもの。まさに、“あるがままに生きる” あるいは “ひたむきに生きている” とでも言いたげだ。

   それだけに、原爆によって “食べること” すなわち “生きること” を否定された人々の “無念さ” や “虚しさ” が無言のうちに伝わっても来る。下五の『口ひらく』は、「ゆで卵」をほうばる人間すなわち 《 》 を意味する反面、「水」をはじめ「家族」や「救い」を求めて彷徨う 《 》 と隣合わせの被爆者のイメージでもある。果たして、“ひらいた口” が真に求めていたもの……そして、その口が “語ろうとしていたもの” とは……。

    ところで、本作の「原句」は――、 

 

  広島やを食ふ時口ひらく

  ……であったようだ。無論、「」では『口ひらく』がまったく生きて来ない。「卵」それも「ゆで卵」なればこそのもの。「ゆで卵」以外の食べ物をあてはめてみるとよく判る。

       ☆

   40数年前の東京での大学時代――。福岡―東京間の往復は、もっぱら「寝台特急」それも「あさかぜ」だった。いまでこそ「ブルートレイン」と呼ばれているが、当時はそういう呼び方はなかったように思う。

   車中、駅弁を食べるほどでもないが何となく小腹がすいたとき、停車したホームの売店でよく「ゆで卵」を買い求めた。朱色のネットに3個か4個入っていたような気がする。「塩」と殻入れ用の「小さな紙袋」が付いていた。「夜行列車」に「ゆで卵」という構図は、今想い出してもよく馴染んでいたような気がする。 

   特に何を考えるということもなく黙々と殻を剥き、黙々と口に含んでいたように思う。漫然と口をひらき、白身と黄身との “噛み心地” の違いだけを鮮やかに感じながら……。

        ★

   西東三鬼  さいとうさんき。1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日。岡山県津山市南新座出身。本名・斎藤敬直(さいとうけいちょく)。1933年、歯科医師のかたわら患者に勧められて句作を始める。後に、俳人・平畑静塔(ひらはたせいとう)、橋本多佳子(はしもとたかこ)とともに「奈良句会」を発起。また1947年、「現代俳句協会」を設立。翌年、山口誓子(やまぐちせいし)を擁して「天狼」を創刊。さらに俳誌「激浪」、そして「断崖」を創刊して主宰となる。 角川書店の総合誌「俳句」編集長を経験。1961年、俳人協会の設立に参加。

        ★   ★   ★

 

  ……………69年前の1945年8月4日、B-29爆撃機「エノラ・ゲイ号」は、最後の原爆投下訓練を終了して、マリアナ諸島テニアン島の北飛行場に帰還していた。翌日8月5日の21時20分、観測用のB-29が広島上空を飛行し、テニアン島の飛行場に或る重要な報告をしている。

  ――8月6日、広島の天候は良好

 

 


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