今回と次回に取り上げる作品は、いずれも「九州大学」のもの。しかし、「伊都・箱崎キャンパス」(伊都・箱崎C)と、「大橋キャンパス」(大橋C=「芸術工学部」)とは、別個に独立した「演劇部」があり、それぞれが独自の活動をしている。もっとも、相互の交流はあるようだが。今回の「舞台」は、両キャンパスとも「主人公」が、偶然、同じ「司法試験受験浪人」となった。
● 『勝手にノスタルジー』
●作:辻野正樹 ●演出:石川悠眞
●九州大学:伊都・箱崎キャンパス演劇部
「司法試験受験浪人」の〈沖ノ島淳二〉が借りている「部屋」に、一人また一人と集まって来る(生島哲夫〉、〈菊川コージ〉、〈花沢タカシ〉という「3人の男」。それに1人の女(吉沢志保)。彼等は、殺人罪で服役していた高校時代の友人の「出所祝い」を兼ね、久しぶりに集まると言う。「3人の男」は、怪しげな女装系のコステュームで歌い踊るグループだった。「出所祝い」の再会は、どうやらその「グループ」活動の “一夜限り” の再演でもあるようだ。
しかし、〈沖ノ島〉は彼等と面識もなく戸惑うばかり。それもそのはず、〈沖ノ島〉の部屋は、以前、「3人の男」の一人〈花沢〉が住んでいたものであり、「3人の男」達の手違いによって、“この部屋” で再会することになったようだ。〈沖ノ島〉にとっては、迷惑千万な話となる。
ところで、〈ムショ帰りの男〉の服役理由は、〈志保〉をレイプした「先生」を殺害したからという。その〈志保〉は結婚を控え、“ケジメ” を付けるためか、 “過去との決別” のためかはよくわからないが、とにかく〈ムショ帰りの男〉に再会しようとこの部屋にやって来たのだが……。
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現在の「部屋主」の〈沖ノ島〉にとって、〈3人の男〉は、“勝手にノスタルジー” に浸ろうとする傍(はた)迷惑な闖入者でしかない。しかし、この「身勝手なノスタルジアン」は、〈沖ノ島〉に対する〈3人の男〉というだけに留まらない。
〈志保〉にとっても、〈3人の男〉はもとより、〈ムショ帰りの男〉も “勝手な思い込みによる確信犯的なノスタルジアン” となりかねない。のみならず、〈ムショ帰りの男〉にとっても、友達である〈3人の男〉は、“一方的に盛り上がろうとする勝手なノスタルジアン” と言えなくもない。あるいは、〈3人の男〉相互間にあっても、“微妙なノスタルジー” の “ずれ” があるのだろう。
「登場人物」それぞれが秘かに抱え、また感じたいとする “ノスタルジー”。そもそも、ここでの “ノスタルジー” なるものは、誰もがいつでも “何かをきっかけ” に、いとも簡単に “勝手に浸りうるもの” のようだ。
事実、〈3人の男〉の “身勝手なノスタルジー” に悩まされた部屋主の〈沖ノ島〉も、昔の友人の〈夏雄〉に対する “ノスタルジー” を感じ始めたのだが……。
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娯楽性の強い今回の「舞台」。役者個々が “そつなく” それぞれの〈役〉をこなしたのは確かだが、今一つ筆者の心に “迫って来る” ものがなかった。それは筆者が鈍感だからだろうか。それとも、貪欲さから来るのだろうか。こうして「鑑賞文」を綴ってはいても、正直言って “どのようにこの稿を締めくくろうか” と迷っている。
個人的好みとして、冒頭の “カラスとの戯れ” のシーンは、もう少しあっても良かったと思う。その方が、これから起きる “人間個々のさまざまなノスタルジー” が、いっそう人間的な愚かさを示すことになり、“一方的な思い込みや身勝手さ” をより浮き彫りにしただろう。その方が、こじゃれた「エスプリ」としても効いたのではないだろうか。
ともあれ、“凡俗なテーマ” ではあったが、この手のドタバタ調にありがちな、“いかにもといったあざとさ” を何とか交わし得たのは、「九大演劇部」の伝統的な強さというべきか。欲を言えば、役者個々の “人物設定” すなわち “任された役の人間(観)の設定” が今一歩、いや二歩突っ込んだものであればと思ったのだが……。
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【キャスト】7名:〈沖ノ島淳二〉役の「木下智之」氏は、昨年の『カノン』での演技が印象的だった。〈生島哲夫〉役の「板橋幸史」氏は「小道具」を、〈菊川コージ〉役の「寺岡大輝」氏は「制作」を担当。〈花沢タカシ〉役の「八浪陽」氏は「衣装」担当した。〈吉沢志保〉役は「村上悠子」嬢であり、「照明効果」を担当している。〈夏雄〉(声の出演)役は「石川悠眞」氏であり、今回の「演出家」でもある。〈アナウンサー〉役の「田中利沙」嬢は、「音響効果」と「振付」を担当。
【スタッフ】専従3名:「装置」は「中山博晶」氏、「照明操作」と「宣伝美術」は「伊比井花菜」嬢。「音響操作」は「兼本俊平」氏であり、優れた操作だった。