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『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

◆優れた舞台役者が作る名画/『シンドラーのリスト』:No.12(最終回)

2015年06月21日 00時01分37秒 | ◆映画を読み解く

 

 51.丘を下る解放されたユダヤ人

  丘の頂に多くの人々の姿が見え、こちらに向かって歩いて来ます。無論、これらの人々は終戦によって解放されたばかりのチェコの「ブリンリッツの兵器工場」のユダヤ人とその家族であり、とりあえずは食べ物を求めているのでしょう。

  戦後、アーモン・ゲートは逮捕され、人道に背く罪を犯したとして、クラククで絞首刑になったようです。

  「モノクロ」で描かれた丘の上の人々が次第に大きくなりながら、やがて「カラ―」となって、現在の姿に変わります。

  シンドラーは戦後、結婚にも事業にも失敗したようです。それでも1958年、エルサレムに招かれ、『正義の人』に選ばれています。シンドラーによるユダヤ人の子孫は、6000人を超えているとのこと。

52.墓銘碑に石を積む人々

  「シンドラーの墓銘碑」に、人々が石を積みながら祈りを捧げています。映画に登場した「モデル」となった “その本人” と、それを演じた「役者(俳優)」が “一組み” となっています。

 少女「ダンカ役」の女の子、「レオポルド」と「ミラ」の「ぺファーべルグ夫妻」、もちろん「ご本人」と「それを演じた役者」達です。

 この時点ではすでに故人となっていた「イザック・シュターン」。彼を演じた「ベン・キングズレー」 が、「シュターン未亡人」と一緒です。それに、「ヘレン・ヒルシュ」、「シンドラー夫人」の「エミリエ」が続きます。

 そして、最後に赤い薔薇を添えたのが、「オスカー・シンドラ-」役の「 リーアム・ニーソン」のようです。といっても、その顔形は画面に登場しないまま、手元だけが映し出されています。

        ★   ★   ★

 

  優れた役者による“哲学性と芸術性”

  本シリーズの「No.2」において、筆者はこの “ 映画の特徴 ” を「実話(ノンフィクション)」に基づく “ ドキュメンタリー・タッチ” の作品とし、この “ドキュメンタリー・タッチ” を貫くことによって、この映画の “哲学性と芸術性” がいっそう深まったと主張しています。次の「3点」が、その「重要なポイント」でした。

(1) 基本的には、「映像」を「モノクロ」(白黒フィルム)としている。

(2) ドキュメンタリー・タッチ” を貫くため、映像上の “感情表現” を極力抑えている

(3)ドキュメンタリー・タッチ” をより確実に表現するため、主人公の〈オスカーシンドラー〉以下、「中 心的な俳優5人」は、総て「舞台俳優 」を起用している。

 その俳優5人とは、以下の「役者」たちです。 

 

 ●オスカー・シンドラー 

  演じたのは「リーアム・ニーソン」Liam Neeson)。本名: ウィリアム・ジョン・ニーソン (William John Neeson )は、北アイルランド出身の俳優。「舞台俳優」としてキャリアをスタートさせました。映画監督の「ジョン・ブアマン」に見出され、1981年に『エクスカリバー』で映画デビューしました。

 ●イザック・シュターン(会計士としてシンドラーの経営を補佐) 

  ベン・キングズレーSir Ben Kingsley) (1943年生まれ)は、英国の俳優。イングランド・ノース・ヨークシャー州スカーブラ出身。「ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー」の「シェイクスピア役者」として活躍しました。

  1982年の『ガンジー』では、「アカデミー主演男優賞」を受賞。その他、『バグジー』『セクシー・ビースト』『砂と霧の家』で、3度の「アカデミー賞」の候補になった実力派俳優です。それにしても、「ガンジー」の雰囲気は最高でした。この映画もすばらしい作品です。

 ●アーモン・ゲート(ポーランドの「クラクフ・プワシュフ強制収容所」の所長) 

   レイフ・ファインズRalph Fiennes, 1962.12.22―)は、イギリス俳優舞台と映画双方で活躍しています。「ハリー・ポッター」シリーズでは、「ハリー・ポッター」の最強最大の敵である「闇の魔法使い」の「ヴォルデモート卿」を演じています。SS将校「アーモン・ゲート」とのギャップが面白いようです。ぜひごらんください。

 ●エミリー・シンドラー(シンドラー夫人)  

  キャロライン・グッドールCaroline Goodall 本名:Caroline Cruice Goodall 1959.11.13-)は、英国ロンドン出身の舞台俳優、女優、脚本家。「ベン・キングスレー」と同じ「ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー」に所属。 

 ●ヘレン・ヒルシュ(アーモン・ゲート所長邸のメイド)  

  エンベス・デイヴィッツEmbeth Davidtz、1965年8月11日-)は、米国インディアナ州生まれ。『ロミオとジュリエット』で「ジュリエット役」を演じて役者デビューを果たしました。英語とアフリカ語を使い分けるバイリンガル女優として、数々の「舞台」へ出演。

               ★

   何人もの優れた役者による今回のような「映画」は、本当に飽きることがありません。ことに「ヘレン・ヒルシュ」役の「エンベス・デイヴィッツ」の魅力に惹かれ、彼女のファンになりました。それにしても、この「女優」いや「役者」は凄いの一語に尽きます。

  女としての人間的表現の深さには、呆れるほどです。スピルバー監督は、かなり彼女を意識した場面そして演技にこだわった “フシ” があります。      

         ★

   ところで、この「映画」には、「トーマス・キニーリー(Thomas Keneally)」というオーストラリア人作家の「原作」があります。原題は『シンドラーの箱船』(Schindler’s Ark)(※註1)というものですが、「米国版」は『シンドラーのリスト』(Schindler’s List)に改題されています。

   日本では、「映画名」と同じ「米国版」タイトルの本が「新潮文庫」から出ており、600ページ以上もの長編です。筆者は、「映画」(DVD)だけでは不明な点があったため、この原作によって本ブログを補いました。「映画」以上の迫力があり、またとても参考になりました。(了)

         ★

  元日に始まったこのシリーズも、今日が最終回です。途中、演劇の「案内」と「鑑賞」のために、かなり「あいだ」をあけることになりました。

  筆者のわがままにお付き合いいただき、心より感謝いたします。

 

 


◆一つの生命(いのち)を救う者が、世界を救える/『シンドラーのリスト』:No.11

2015年06月15日 00時01分09秒 | ◆映画を読み解く

 

 この『シンドラーのリスト』のシリーズも、次回「No.12」が完結編となります。

 

44.教会の中でのシンドラーと夫人

  夫人と別居していたシンドラーが、夫人を呼び寄せ一緒に住むようです。……ということは、何人もの「愛人」を整理して夫人ひとすじに……と考えがちですが、「原作」を読むと、そうではないことがわかります。それが “シンドラー流” なのでしょうか。

45.兵器を生産しない工場

  工場内で夫人イザック・シュターンに紹介するシンドラー。そのシュターンから報告を受けるシンドラーですが、報告内容は芳しくありません。兵器の納入先であるドイツ軍の「軍備局」からのクレームであり、戦車砲もロケット砲も、すべて規格テストに不合格とのこと。

  シュターンは、シンドラーが機械に何か細工をしているのではとの噂に不安を抱いています。もしそれが本当なら、シンドラーは「アウシュヴィッツ収容所」送りとなりかねないからです。

  そのシュターンに、シンドラーは言います。『自社の製品が不良品なら、他社の製品を買ってごまかそう』と。そうすれば、『戦争で使われる砲弾も減る』との考えが、シンドラーにあるようです。シンドラーは、『使いものになる砲弾を君は本当に作りたいのか』と、シュターンに問い糺すほどです。

46.工場での安息日の祈り

   シンドラーが「ヤコブ・レヴァルトフ」という「機械工」のもとへやって来ます。この人物を憶えていますか? そうです。危うく「プワシュフ強制労働収容所」において、「アーモン・ゲート少尉」に射殺されかけましたね。“拳銃の不発” によって奇跡的に命拾いをした訳ですが、彼は「ユダヤ教」の「ラビ」すなわち「聖職者」(教師・説教者)です。

  彼のもとへやって来たシンドラーの目的は、「安息日(サパス)の祈り」すなわち「その儀式」を勧めるためでした。事務所までワインを取りに来るよう伝えていますね。

  本シリーズの「No.8」には、以下のような一節がありました――。

   この「映画」におけるレヴァルトフ」は、「ユダヤ人」の “象徴” というだけでなく、「ユダヤ教」の教えを実践し、継承する  “象徴” としても描かれています。信仰心の度合いは異なっても、「ユダヤ人」は「ユダヤ教」に根差した民族であり、その “教え” を生活信条としています。

  工場内での、「安息日の儀式」が始まります。蝋燭に火を灯すシーンは、この「映画」の「冒頭シーン」とまったく同じです。当然、「炎の色」だけがカラ―となっています。

  このシーンでもう一つ注目すべきことは、ヤコブ・レヴァルトフが捧げる祈りを、工場内のドイツの監視兵が、否応なく “聞いている” いや、“聞かされている” ということです。他の「軍需工場」では考えられないことであるとともに、ドイツ軍の敗北を予感させてもいます。

 

 生産性ゼロの兵器工場

47. 工場=シンドラーの破産 

 テロップが流れます。

 “操業開始から7か月で工場は生産性ゼロ”

 “食費と役人への賄賂に数百万マルクが消えた”

  「利益」どころか「売上」がまったくありません。 

  “工場の破産は時間の問題でした。もちろんそれは、シンドラー自身の破産を意味していました。

48.ドイツの降伏

   ラジオによりドイツの「無条件降伏」が告げられます。工場内でそのことについて話すシンドラーは、自分が「ナチ党員」であることや「強制労働」で利益を得たことを明かします。次にシンドラーが、「ドイツの監視兵」に家族のもとへ帰るよう促すと、彼等は黙って工場から出ていきます。

   亡くなったユダヤ人の同胞に黙祷を捧げるわけですが、もちろんここでもレヴァルトフが祈りを捧げています。

49.一人の生命に

   シンドラーに、工場全員の署名入り手紙を渡すレヴァルトフ。ヤレスという男の金歯から作られた指輪を贈るシュターン。その指輪には、次の言葉が刻印されています。

   一つの生命(いのち)を救う者が、世界を救える  

  自嘲気味にシンドラーは、シュターンに語ります。

  『もっと救い出せた。その努力をしていれば

   シンドラーは、これまでの無駄遣いを後悔し、もっと大勢のユダヤ人が救えたと言うのですが、シュターンはシンドラーが、『ここ(工場労働者とその家族)の1100人を救った』ことを感謝の気持ちを込めて伝えます。

  それでもシンドラーは、「車」を売っていればあと「10人」が、さらに「胸の金バッジ」であれば、アーモン・ゲートは2人と交換してくれたと続けます。

  『たとえ一人でもいい。一人救えた人間一人だぞ。このバッジで。努力すれば、もう一人救えたのに……』

  そう言ってシュターンと抱き合って嗚咽するシンドラー。その二人にかけよる人々。

         ★

  スピルバーグは、以上のシーンにこだわったようです。しつこいほど「一人」という表現にこだわったのは、400万、500万、そして600万人とも言われる「虐殺された人数のあまりの大きさ」に、“ひとつの生命が軽く扱われかねない” とでも言いたげです。

 こういうところにも、「スピルバーグの哲学」が顔をのぞかせています。

50.立ち去るシンドラー夫妻と“ユダヤ人の解放”

  車で立ち去るシンドラー夫妻。逃避行ではなく、米軍に投降するためです。馬に乗ったソヴィエト兵が工場にやって来ます。「工場とユダヤ人の解放」を宣言します。このとき一人のユダヤ人ソヴィエト兵に尋ねたひとことが非常に深い意味を持っています。

 彼は、こう言うのです――。

  ――Where shoud we go?

  われわれはどこに行ったらいいんだ? とは深いですね。今日においても、この「question」は、消えることなく「ユダヤ人」の「」となっているようです。無論、スピルバーグは、「ユダヤ人」として、「全世界」に問いかけているのです。

  ソヴィエト兵の答も、“今日的な意味を持った深いもの”です。彼は次のように答えています。

 ――はよせ。君等は憎まれている。俺なら西も避けるね。

  つまりは、「どこにもいく所はない」ということです。これも象徴的な言葉です。(続く)

 


◆生者の息と死者の灰/『シンドラーのリスト』:No.10

2015年03月02日 00時01分49秒 | ◆映画を読み解く

 

37. への点呼

  「移送列車」に乗り込むための “点呼” が始まる――。

……「ドレスナ―一家4人」、「ローズナー一家」ことに「オレク・ローズナー少年」(便漕の中に隠れようと飛び込んだ少年)、「カイム・ノバック」(本来は歴史と文学の教師。シュターンにより「技術者」の身分証明書を作って貰う)、「イザック・シュターン」(シンドラーの最大のパートナー。会計士)、「ヤコブ・レヴァルトフ」(蝶つがいを製作していたユダヤ教のラビ。危うくゲートに射殺されるところでした。後に「DEF」へ)、「ポルデク・べファーリング」(物資調達専門)と「ミラ・べファーリング」夫妻、「アダム・レヴィ」(鶏泥棒事件のとき、ゲートの質問を巧みに交わした少年。「DEF」へ)、そして「ヘレン・ヒルシュ」(ゲート邸のメイド)――。

 

 38. 雪景色の中を走る蒸気機関車――。駅名表示。列車の到着。

  「チェコのブリンリッツの町―シンドラー故郷

   ホームで待ち受けるシンドラーの姿。「プワシュフ強制労働収容所」から来た「男性の労働者達」が並んでいる。やがて、今度の「工場監視兵」のトップが自慢げに言う。「私が監督する(強制労働)収容所は “生産性が高い”」と。しかし、シンドラーはひとこと返しただけで無視し、ホームの上に立っていた監視兵を下に降ろす――。

  男性陣に挨拶するシンドラー

「女性たちもまもなく着く。……熱いスープとパンが君らを待っている。ブリンリッツへようこそ!」 

  しかし、「女性達の乗った列車」は、書類上のミスにより、とんでもない処へと向かっていたのです。

 

  “生”と“死”の対比

39. 煙突の煙 と 降灰

   実は、女性達の乗った「貨車」は「アウシュヴィッツ」へ向かっていた。不安げな表情の車内の女性達。「ヘレン・ヒルシュ」の顔も見える。到着した「貨車」から降ろされた彼女達を待ち受けていたのは、「アウシュヴィッツ絶滅収容所」(※註1)――。

   夜間照明に照らし出された「夜空」から降りしきる「大粒の白いもの」――。そうです。決して「雪」ではありません。それは、煙突から吐き出される「」、すなわち“焼却死体から出る骨灰” です。映像効果としても、「モノクロ」だけが持つ凄さであり、“完了した死のにおい” と “これから始まる死の気配” に満ちています。

   黒い……暗い夜空。眩いばかりの照明灯の光の白さ。その逆光の中、戸外の寒さに震えながら女性達が “大きな白い息”を吐いています。彼女達のその “白い息づかい” を遥かに凌ぐ「大粒の白い灰」が、全身に降り注いでいます。どこまでも白く照らし出された降灰……。そしてその「降灰」を吐き出し続ける巨大な煙突――。不気味な煙の塊が、阿鼻叫喚のように激しく迸り続ける……。

   “大きな白い息づかいが意味する”……

   吐き出される白い降灰が意味する”……

   その対比を、「映像」は余すところなく描き出しています。「モノクロ」にして、はじめて為し得る“世界観” といえるでしょう。ここにも “哲学性と芸術性” が、静かに、しかし、深い哀しみと遣り切れなさを秘めて描かれています。

   優れた「シーン」構成です。「映画」の素晴らしさを痛感します。もう一度、「映画館」の迫力ある大スクリーンで観たいものです。

  一段と寒さが厳しいような「アウシュヴィッツ収容所」――。小走りにバラックへと走り込む女性達。戸外の異様な様子に、丸眼鏡の少女ダンカ・ドレスナ―」が尋ねます。

ママ。ここは、どこ?」

 この頃、すでに男性達が到着している「ブリンリッツ」では、女性達がアウシュヴィッツへ送られたことに憤慨するシンドラーの姿があります。

 

40. ガス室?!

   「アウシュヴィッツ」において強制的に髪を刈られる女性達。ドイツ語やポーランド語などが入り混じっている。その後、衣服を脱がされ、「浴場、殺菌室」と表示された大きな房(部屋)へ入る女性達――。

   以前、この収容所の「ガス室」の噂話をしていただけに、彼女達の恐怖は尋常ではありません。怯えた表情で入って行きます。その天井には、「シャワーの放水口」があるようにも見えますが……。彼女達はいっそう恐怖と不安を募らせながら天井を注視しています。そして照明が消えた瞬間、房内に女性の恐怖と諦念を帯びた叫び声が激しく響きます。

   しかし、再び照明が入った後、天井から出て来たものは「シャワー水」でした。安堵と歓喜に満ちた女性達の叫び。

       

   シャワーを終えて宿所へと向かう彼女達の全身を、夥しい “骨灰” が降り注いでいます。彼女達は、電流の通った鉄条網の向こう側に、力なく歩いて行く男女の一団を眼にしますが、その一団は、凄まじい勢いで煙を吐き出す煙突がある棟に向かっているのです。これらの人々は、まもなく「ガス室」へ降り、最後は空から舞い降りる「白い灰」となっていくのですが……。この “沈黙” の中にも、“生と死の対比” が、そして “哲学性と芸術性” が静かに描かれています。

       

   翌日、整列させられている女達。少女ダンカの母親が、自分達は「シンドラー工場の者」であり、間違ってここに来た旨を主張しています。

 

41.  女性達を買い戻すシンドラー

 書類上のミスによって「アウシュヴィッツ絶滅収容所」へ送られた女性達を買い戻すために、所長と取引するシンドラー。小さな袋から沢山のダイヤモンドをテーブルの上に拡げる。「持ち歩ける財産が必要になる」と言って“買収”しようとしている――。

賄賂の提供となれば、逮捕される可能性もあるのですが、シンドラーは「自分には有力な友人(人脈)が大勢いる」と開き直っています。相手は、眼の前のダイヤモンドの散らばりを見て――、

「受け取るとは言わん。机に載っていると気になる」

  といってダイヤを拾い集め、ポケットにしまうのです。

 

42. 乗車のための点呼と到着

  「ブリンリッツ」へ行くために列車に乗ろうとしている女性達。泣き叫ぶ或る少女の声の先に、ダンカその他の子供達を大人の列から引き離そうとしている警備兵。シンドラーが駈けつけ、子供たちが“熟練工”であることを強く主張する――。

  その証拠としてシンドラーはダンカを抱きかかえ、女の子の「小さな手」を警備兵に見せながら、「この手が45mm砲の奥まで入ってその内側を磨く」と強調。「小さい手」だからこそ、研磨が可能だと言っているのです。

  彼女達は、今度は無事にシンドラーの待つ「ブリンリッツ」に到着しました。

 

43. シンドラー独自の工場ルール

  工場の監視兵に厳しく伝えるシンドラー。その内容は、“勝手な処刑” や “シンドラーの許可なく工場内への立入り” を禁止するもの――。

  他の「収容所」では考えられないほど囚人(ユダヤ人達)を保護する内容であり、独自のルールを確立しています。シンドラーが経営者であり、彼の私財で建てた工場ですが、一応 「ナチス・ドイツの軍需工場」であるため、ナチス・ドイツの監視兵が付けられているのです。そのため、「快く協力してもらうための飲み物のサービス」という “懐柔” も忘れないシンドラーです。(続く)

 

       ★   ★   ★

 ※註1 一般的に「絶滅収容所」と呼ばれてはいても、「強制労働収容所」の性格もありました。同様に、「プワシュフ」や「マウトハンゼン」の「強制労働収容所」も、“日常的な暴行” や “殺戮” と言う意味では「絶滅収容所」としても機能していました。

 実は、アンネ・フランクも、「隠れ家」を発見された直後は、アムステルダム(オランダ)の「ヴェステルボルク収容所」へ送られ、その後 “臨時措置” として、この「(アウシュヴィッツ)=ビルケナウ収容所」の「女子収容所」に送られて来たことがあります。このときは、“労働可能”として、「ガス室」送りを免れています。

 

 

 


◆命のリストに載る人々/『シンドラーのリスト』:No.9

2015年02月26日 01時05分32秒 | ◆映画を読み解く

 

  シンドラーの“命の放水”

33. 処分囚人の移送

   駅に停車している家畜運搬用の貨車に、“選別” すなわち何らかの “処分” 対象となった囚人(※註1)がびっしりと詰め込まれ、「マウトハウゼン強制収容所」(※註2)へ送られようとしている。ただでさえ暑い日、囚人たちは僅かな覗き口から手を伸ばし、懸命に喉の渇きを訴えている――。

  見かねたシンドラーは、「貨車」の屋根や覘き口への「放水」をゲートに提案し、これを認めさせます。消火栓用の「ホース」を使い、先頭に立って「貨車」に放水させるシンドラー。貪るように水を求める囚人達。ゲートをはじめ、他の将校や下士官達は、飛び入りのイベントを楽しむかのように笑いながら見ています。ゲートは、シンドラーを “物好きな男”と言わんばかりに揶揄しながら言ってのけるのです――。

君も残酷な男だな。そんなことをしても、余計な期待をもたせるだけだ。……(茶目っ気たっぷりに) この人でなし!」

  しかし、20mほどの「ホース」では、全部の貨車に放水することができません。シンドラーは、工場にある200mのホースを持って来させ、総ての貨車に万遍なく放水が行き渡るよう指示します。自らもホースを使いながらのシンドラーの真剣な様子に、ゲート達の笑いは一切消え、沈黙とともに何やら神妙な表情に変わっています

   ことに、“アーモン・ゲートの表情” に注目してください。 “哲学的懐疑” ……?!

        * * * * * * *

 ★ DVD」ではここからが「ディスク:2」となっています。

 

   「焼却の丘」と「赤い服の幼女」

34. 死体の焼却処理

  「ディスク:2」がスタートしてすぐ、丘の上に黒い煙がもうもうと立ち込めている。街中では、“大粒の何か” が降り注ぎ、シンドラーが、車に積もった “その何か” を手で掃き寄せている――。

   もうお判りですね。死体の焼却による「降灰」です。「画面」に、以下の「キャプション」(説明文)が出ます。

 【 1944年4月 「フヨヴァ・グルカの丘」―「プワシュフ収容所」と「ゲットー」で殺された犠牲者1万人余の死体に焼却命令が出た。】

 煙が立ち上る丘の上に、「アーモンゲート少尉」と「オスカー・シンドラー」もいます。ゲートが言い放ちます。

プワシュフ(収容所)は閉鎖。全員、アウシュヴィッツ(収容所)送りだ!

 焼却される死体が、「二輪車」で運ばれて来ます。ハンカチで鼻を抑えたシンドラーの眼に、あの「赤い服の幼女」が「死体」となって二輪車の上に横たわっているのが見えます。食い入るように見つめるシンドラー

 

35. 別れの杯?!

  シンドラーと「ユダヤ人会計士」の「イザック・シュターン」が話をしている。なにやら深刻の様子。「プワシュフ強制労働収容所」が “閉鎖” され、“全員がアウシュヴィッツ送りになる” 模様。それは “ガス室送り” すなわち “” を意味している――。

  もちろん、ユダヤ人の「シュターン」も、「アウシュヴィッツ絶滅収容所」送りとなるわけです。しかし、シンドラーは、“救済” のための「特別措置」をゲートに頼むと言います。シュターンは、シンドラーの「DEF=ほうろう容器工場」の経理チェックのため、ゲートのオフィスで働かされています。そのため、シンドラーも自分が雇った部下ではあっても勝手なことはできません。

   シンドラーシュターンに告げます。

私は故郷へ帰る。望み通り使い切れないほどの金を貯めた。……この戦争もいつか終わる。そのとき、君と一杯飲もうと……。」

  しかし、シュターンは首を横に振りながら寂しげに――、

今、飲みましょう。」

  静かに見つめ合いながら、一杯のグラスを飲み干す二人。“別離” を意味しています。

      

36. シンドラーの一大決心――「リスト」の作成

  ベッドの上で裸のまま寝ている「愛人」の姿。シンドラーは、ガウン姿で物憂げに窓際に立っている。ほんのちょっと大きな「トランク」に触れた後、レースのカーテン越しに窓の外に眼をやるシンドラー。特に何かを見ているわけではない。

 スーツに着替えたシンドラー。「札束」を「トランク」に詰めています。彼は、「プワシュフ強制労働収容所」の閉鎖によって、アウシュヴィッツ絶滅収容所」送りが決まっている「ユダヤ人」を救おうと決心したのです。

  そのため、シンドラーゲート少尉と交渉し、「チェコに新しい工場を作り、そこで働いてもらうために、現在のDEFの労働者とその家族を連れて行く」と切り出します。

   その「第1の理由」は、“新しい職工を訓練する手間と金が省ける” からであり、「第2の理由」は、“砲弾や戦車砲のケースなどを作るためドイツ軍にもメリットがある” ということです。

  何とか、ゲート少尉を説得したわけですが、その最大の決め手は、もちろん「お金」でした。シンドラーは、自分の身近な「ユダヤ人」を救うために、ゲートから “金銭でユダヤ人を買う” という手段を選んだのです。次のシーンは――、

  シンドラーが読み上げる名前を、シュターンがタイピングしています。まさしく、これこそシンドラーのリストそのものです。

   ……ドレスナー、ボルディック及びミラのべファーリング夫妻、出資者全員、子供達一人残らず……とシンドラーの口から名前が告げられ、“リストに載せられて” 行きます。シンドラーは、同じやりかたを他の「経営者」にも説いて「ユダヤ人」を救おうと呼びかけたのですが、結果的には彼一人となりました。

   シュターンは、怪訝な表情でシンドラーに尋ねます。「ゲートをどう説得したんです? よく引き渡してくれましたね。」そう言ってシンドラーを見つめながら、気付いたようです。 

あなたが金を出して買ったので?」

君なら金がかかりすぎると反対しただろう」 

   シンドラーは、「リスト」の “最後に一人分” のスペースを空けるよう指示し、作業の終了をシュターンに告げます。

   シュターンは、“打ち終えた”ばかりの“最後の1枚” をタイプライターからはずし、重ねた総ての「リスト」をシンドラーに見せながら――、

これは善のリストです。生命(いのち)のリストです。この紙の外は死の淵です

      

  このあと、“最後の一人分” として「ヘレン・ヒルシュ」を想い描いていたシンドラーは、ゲートとのやりとりの果てに、ゲートの「メイド」をしている彼女の獲得に成功します。(続く)

       ★   ★   ★

 

 ※註1 「ユダヤ人」以外にも「一部の犯罪者」や「政治犯」などもいたようです。

 ※註2 所在地は「オーストリア」。「マウトハウゼン」はドナウ川左岸の丘に囲まれた町。この収容所には、「アンネの日記」の著者アンネ・フランクの、隠れ家での恋人と言われた「ペーター・ファン・ペルス」(ユダヤ人)も収容されていました。彼は、1945年5月5日の解放当日に死去したとされています(17歳)。

 なお「アンネ」が最後に収容されたのは「ベルゲン・ベルゼン強制収容所」(ドイツ・プロイセン州)であり、彼女は1945年2月か3月初め頃にチフスにより15歳で死去したようです(※姉のマルゴーはその数日前にやはりチフスにより死去)。

 

 

  


◆ユダヤ人のユダヤ教/『シンドラーのリスト』:No.8

2015年02月22日 00時09分34秒 | ◆映画を読み解く

 

  機械工はユダヤ教のラビ

   前回の最後は、「プワシュフ強制労働収容所」の「ヤコブ・レヴァルトフ」という機械工が、危うく「アーモン・ゲート少尉」に射殺されかけたシーンについてお話しました。“拳銃の不発”によって奇跡的に命拾いをした訳ですが、他のユダヤ人が簡単に銃により処刑される中、彼が生き延びたことは大きな意味を持っています。

   彼は、「ユダヤ教」の「ラビ」すなわち「聖職者」(教師・説教者)であり、その存在は偉大です。この「映画」でも、冒頭その他において「ラビ」による “祈り” のシーンがいくつも出て来ます。レヴァルトフ自身が「ラビ」として祈りを捧げているシーンもありますが、お気づきでしょうか。

   この「映画」におけるレヴァルトフ」は、「ユダヤ人」の “象徴” というだけでなく、「ユダヤ教」の教えを実践し、継承する  “象徴” としても描かれています。信仰心の度合いは異なっても、「ユダヤ人」は「ユダヤ教」に根差した民族であり、その “教え” を生活信条としています。

   従って、ナチス・ドイツによる “反ユダヤ主義” とそれに伴う諸法律・政策による迫害や “ホロコースト” は、“ユダヤ人個々の生死に関わる危難” 以前に、“ユダヤ教の神(一神教)の否定” に通じるのです。

   そのため、“死の淵” から這い上がったレヴァルトフという存在は、“ユダヤ教の神に忠実” であれば、簡単に “滅び去ることはない” と言っているかのようです。ここにも、この「映画」の “哲学性” が込められているわけですが、それは同時に監督スピルヴァーグの “強い意志” でもあるのでしょう。この「映画」を、「ユダヤ人家庭」の「ラビの祈り」から始めたところに、彼の “心意気” が感じられます。

      

   ユダヤ少年の“絶望”と“諦念”

28. リジーク少年の死

  「リジ―ク」というゲート邸の「使用人」がいます。馬の鞍を地面に置いたため、ゲートに叱責されるわけですが、このときは赦してもらえたようです。その直後、今度は「バスタブ」の垢が落とせないとして、叱責を受けないまでもゲートにはあまりよく思われませんでした。ゲートは、一応 “赦したような曖昧な態度” でリジ―クを立ち去らせます。

  そのリジークが、戸外の長い階段をこちら向きに降りて来ます。背中を向けて歩いて行くその背後から、明らかに彼を狙ったと思われる「1発目」の銃弾が彼の左後方に着弾し、特に驚くことなく振り返ったリジ―クの顔には、「狙撃主」が誰であるかを理解した表情がうかがえます。

   彼は何かを察したように前を向いて再び歩き始めますが、明らかに歩く速さを落としています。まるで “確実に撃ってください” と言わんばかりに。こまやかな演出であり、実に微妙な歩き方やしぐさの演技です。

  「2発目」はリジ―クの右前方に着弾しますが、間をおかずに「3発目」の銃声が響き、歩いているシュターンが微かに首を竦めた姿が映ります。とはいえ、彼も特に驚いた様子もなく、歩いて行くその先に、たまたま地面にリジ―クが横たわっているといった感じです。リジ―クの帽子が身体のずっと先に飛んでいるのは、頭部への命中を意味しているのでしょう。

  倒れたリジ―クを気にかけることなく、そのまま門の方へと向かって行くシュターン。彼が歩いて行く先の「道路(通路)」をよく見てください。表面が「デザイン模様」のように見えます。

  ……そうです。これは「ユダヤ人墓地」の墓石すなわち「墓銘碑」を、「ゲットー内道路」の「敷石」として使っているからです。「映画」の中で縦縞の「囚人服」を着たユダヤ人が、墓石を取り壊しているシーンがあったのを覚えていますか? あのときの「墓石」です。

       

    “いつ殺されても仕方がない。どのみちいつかは殺される。今この瞬間ではなくとも、いずれ確実にそのときが……。” リジ―ク少年は、“絶望” に導かれた “諦念” を、当然のように受け入れていたような気がします。

   ゲート邸のメイドの「ヘレン・ヒルシュ」にも、同じような “諦念” が感じられ、両者に共通のこの “諦念” は、 “迫害や殺戮” を受け入れざるを得なかった当時の「ユダヤ人」の、拭いがたい “精神の闇”と言えるかもしれません。

   それにしても、この「狙撃シーン」において、「映像」は一切「アーモン・ゲート少尉」の姿を映してはいません。それだけにいっそう、「観客」の “感性” と “想像力” は触発され、“日常的なゲートの残忍性” をより深く印象付けています。

   無論、そのための「カット」そして「演技・演出」であり、「編集」の勝利と言えるでしょう。“哲学性と芸術性” に溢れる秀逸なシーンです。それにしても、「リジ―ク」役少年の “演技センス” と、それ以前の “感性” の素晴らしさ……。

    

29.  ヘレンを暴行するゲート少尉

   アーモン・ゲート少尉ヘレン・ヒルシュとの “やりとり” があり、ヘレンに対するゲートの暴力が始まります。ゲートの “病的深層” が描かれていますが、それは、そのまま「ナチス・ドイツ」の “組織としての救い難い病理” でもあるのです。

 

30. ユダヤ娘へキスするシンドラー      

   シンドラーの誕生祝いが行われています。シンドラーは従業員の代表として挨拶をしたユダヤ人の女性の頬にキスをします。後に、これによって逮捕されるわけですが。

 

31. 不気味な話題

   「プワシュフ強制労働収容所」の「宿舎バラック」において、女性たちが「アウシュヴィッツ絶滅収容所」の噂について、「ミラ・ペフェーリング」の伝聞をもとに語り合っています。ミラは同所のガス室から奇跡的に脱出した囚人の話をしていますが、まわりの女性達は信じたくないために強く否定しようと……。

   「ダンカ」の母親の「ジャネック・ドレスナー」が、“みんなが怖がるから” といって、ミラを窘(たしな)めています。中には、“自分達は労働力なので殺されるはずはない”という女性もいるようです。

      

   “ 死 ” への選別

32. 病人の選別

    「プワシュフ強制労働収容所」に、新たに「ハンガリー人」が囚人として送り込まれることになりました。そのため、収容所では “病人を選別” して、いずれかの「収容所」に送ろうとしています。医師団の検診によるこの「全裸の場面」は、「記録映画」で見た記憶があります。本物の実写フィルムと見紛うほどよく出来た「シーン」と言えるでしょう。

   女性たちが、自分を元気良く見せるため、指を針で突いて血を出し、それを “頬紅代わり” に懸命に塗り込もうとしているようです。もちろん、こういうエピソードも総て、実際の体験談に基づいています。

   彼女達は何とか “病人としての選別” を免れたのですが、 「彼女達の子供」 が、今まさに “選別・移送” すなわち「トラック」で運び去られようとしています。無論、行先には “” が待っており、そのことを知っている母親たちは、我が子をと必死です。トラックに駈けよろうと、大混乱となりました。

   その中に、「ダンカ・ドレスナ―」と「オレク・ローズナー」の母親もいます。子供2人はどこかに上手く隠れたのではと語り合っていますが、この予想は運よく事実となります。

   その「オレク少年」は「トラック」に乗らずに抜け出し、最後は「便漕」に飛び込むものの、「先客の少年」に出て行けと言われます。冷たさと当ての無さに困惑した表情が印象的でした。それからどうしたのでしょうか。気になるところです。なお「先客」の中には、丸い眼鏡の少女「ダンカ」もいました。(続く)

 

    


◆「赤い服の幼女」/『シンドラーのリスト』:No.7

2015年02月17日 00時07分16秒 | ◆映画を読み解く

 

  「赤い服の意味

  24「赤い服の幼女」登場

   初めて「幼女」が登場するのは、「クラクフ・ゲットー」内の「道路」です。「建物」から出て来たと考えるのが穏当でしょうが、まるで “ふっと湧いて来た” ような印象を与えます。 “ひとりぼっち” であり、母親や父親、それに兄弟や姉妹はどうしたのでしょうか。気になりますね。

   乗馬姿の「オスカー・シンドラー」と愛人の「イングリート」も、丘の上から「幼女」に気付きます。シンドラーは、「幼女」の出現を驚きと不安の表情で見つめています。そこで、次のことを “心に留めて” おきましょう。

   「幼女」が “ 登場 ” して “ 建物の中へ入る瞬間 ” まで、すなわち、“シンドラーの眼が「幼女」の姿を捉えている間、「観客」はシンドラーの眼(=視点として ” 事の成り行きを見つめることになります。

      

   ロングショット(※遠景撮影のために、カメラを離して引くこと)の「幼女」の周りには、銃器で武装した親衛隊の兵士や、彼らに追い立てられるユダヤ人がいます。距離が離れているため、銃弾の響きや悲鳴は小さく穏やかに聞こえているようです。それでも、“眼に映る光景” が “残忍な殺戮” であることに変わりはありません。建物から道路へ荷物が投げ出され、何人かが射殺される傍(そば)を「幼女」は歩いて行きます。

   眼を覆いたくなる信じがたいシーンに、困惑と懐疑と懊悩の表情を浮かべるシンドラー。あまりの残忍さに耐えかねたイングリートが、この場から立ち去るようシンドラーを促しています。“ひとりぽつん” と歩いている「幼女」の “ いたいけなさ ” がいっそう眼をひくシーンです。「幼女」は何をどのように受け止め、また感じ取っているのでしょうか。 

   やがて「幼女」は人の列から離れて「建物」の中に入り、階段を上って部屋の「ベッド」の下に潜り込みます。このとき、“こちら向きに足からベッドの下に潜り込もうとする瞬間、幼女の服はまだ「赤い色」” をしていますが、“ 「幼女」の全身がベッドの中に収まった瞬間、「赤い服」は消え、「モノクロの服」”に変わっています。よく注意して観てください。

 

   そこで、前回の質問が出て来ます。「映画」は――、

   《 なぜ赤い服の幼女を登場させたのでしょうか。この 幼女登場のシーン を通して何を伝えようとしたのでしょうか。

 

  シンドラーの心を意味する赤い服

   まず「第1の答え」は、我々「観客」に、単なる「観客」という立場に留まらず、一歩進んで、“シンドラーの視点と意識をもって” 史実の瞬間を観て欲しいということでしょう。

   そのための「赤い服」ということですが、 “シンドラーの視界から消えた後も「赤い服」であるのは、この「赤い服」が シンドラーの心内面の意識” を象徴的に示してもいるからでしょう。そう考えると、これ以降のシンドラーの “内面の意識)” も理解しやすくなります。

   ことに、後に「死体」となって運ばれて来る「幼女」を見つめるシンドラーの眼に、この「幼女」すなわち「赤い服」が甦るのです。このときの「赤い服」が、単に “現実に赤く見えている色” だけを意味するものではないことが解ります。ここに、深い “哲学性と芸術性” が息づいています。

       ☆

  “沈黙” と “斜め” アングルの効果

   「第2の答え」は、「映像表現」に関することです。この幼女登場シーン」=「シンドラーの視点のシーンの特徴は、次の()と()の2つがあるようです。 

(a) 「斜めアングル(カメラ)」に徹し、“眼を覆いたくなる場面” に直面している “シンドラーの心内面の意識)” を表現しています。心の底から湧きあがって来る “心の葛藤や不安や怒り” を静かに伝えようとしているのです。

  最初に「幼女」に眼を向けた際の、大胆な「斜め」アングルが見事です。「通り」や「建物」の配置。「三角屋根」を映し、屋上の角を三角形に見せたり、シンドラーの顔の表情を携帯カメラで追い、手ぶれによる不安定な「斜めアングル」にして、さりげなく “怒りや嫌悪感” を強調しているようです。実に巧みです。

(b) この「シーン」では、カメラは何度も「馬上のシンドラー」を映しているにもかかわらず、シンドラーは “ ひとことも言葉を発することなく沈黙 ” を保ち続けている

   以上(a)(b)によって、「シンドラー」はもとより、我々「観客」に対しても、“ 眼の前で起きていることの異常さ ” を強く印象付けようとしています。シンドラーが “沈黙” を保ち続けているだけに、「シンドラーの視点としての観客」に対し、“ あなたは、今この瞬間眼にしている現実をどのようにうけとめるのか ” と迫っているような気がします。

       ☆

   以上が、「赤い服の幼女」を」登場させた理由と筆者は思うのですが。「映像表現」としても巧みであり、高い美意識に支えられています。

   この「赤い服の幼女」は、いわば「シンドラーのリスト」に “リストアップされることのなかった人間” の一人でもあったということでしょう。そう言うニュアンスを感じさせる場面が最後に訪れます。ともあれ、このシーンは、シンドラーにとっての大きな “心の分岐点” といえるかもしれません。

 この “ゲットー解体” により、シンドラーの「DEF」工場の労働者は、「プワシュフ強制労働収容」に送られます。それによって生産がストップした工場に、シンドラーが立っています。

   

25.  狂気の狙撃主

   「プワシュフ強制労働収容所」の「アーモンゲート少尉」が、自邸のバルコニーから女性の囚人を狙撃しています。まるで “狩り” をするかのように。  

     

26.  シンドラーとゲート少尉との初対面

  シンドラーはゲートと取引し、「プワシュフ強制労働収容所」に送られた「DEF」の労働者を取り戻し、生産を再開します。

 

27. ラビ(聖職者)の職人

  「 プワシュフ強制労働収容所」内を、ゲート少尉が巡回しています。ゲートは、「蝶つがい」を作っている「ラビ」(聖職者、教師・説教者)の「ヤコブ・レヴァルトフ」に、製作を命じて時間を計ります。彼は1分間で1個を製作する職人となっていましたが、この日の製作個数が少ないとし、ゲートによって戸外で射殺されようとしています。しかし、何度やっても、また銃を替えても発射しません。それで怒ったゲートは銃で殴りつけます。

 このシーンも、「赤い服の幼女」のシーンほどではないにしても、“哲学性と芸術性”を含み持っています。自らの拳銃で射殺しようとするゲートも一緒にいる二人の部下も、“射殺することなど何とも思わない表情と動作” をしています。それに対し、これから “射殺されようとしているレヴァルトフ ”……。

   ここにも、“虫けらのように扱われているユダヤ人” と “そのように扱っているナチス・ドイツの人間” が存在しています。その4人の向こう側を、通りかけた労働者が気付き、慌てて走り去るシーンが出て来ます。1回目は8人、2回目は6人の労働者でしょうか。何でもないシーンですが、一瞬のうちに “ホロコースト” の “片鱗” を物語っています。

   結局、命拾いしたレヴァルトフは、その後に「鶏泥棒事件」で命拾いをした「アダム・レヴィ少年」とともに、運よくシンドラーの「DEF」工場入りを果たすことができました。そのためシンドラーは、自らの「ライター」と「シガレット・ケース」をシュターンに預けます。そのいずれも、担当官の「ゴールドベルグ」(彼もユダヤ人)への “賄賂” となったようです。 (続く

 


◆本格的殺戮の序章/『シンドラーのリスト』:No.6

2015年02月12日 00時51分59秒 | ◆映画を読み解く

 

  “ゲットー解体”=本格的殺戮の始まり

20.クラクフ・ゲットーの惨劇

   前回の「ベストシーン」の直後、「アーモン・ゲート少尉」が「親衛隊」の隊員を前に「演説」をしています。その “趣旨” は、「ユダヤ人」が、1300年代に無一文でクラクフへやって来たこと。商業をはじめ教育・学問・芸術等の分野で成功し、以来6世紀にわたってこのクラクフで栄えたこと。しかし、その歴史は “今日、消滅する” というもの。

   「クラクフ・ゲットー」が見える丘を、「オスカー・シンドラー」と「愛人」(※註1)が馬で駈けています。わずか数秒のこの「カット」(登場場面)は、これから始まる “クラクフ・ゲットー解体” の「目撃者」としての二人を示唆するかのようです。と同時に私たち「観客」に対しては、“覚悟して歴史の真実を直視するように” と促しているのかもしれません。

     ☆

211943年3月13日、「クラクフ・ゲットー解体される。

   “ゲットーの解体” とは、基本的には「ユダヤ人隔離居住区」を “廃止” するもの。それは「ユダヤ人」が、各種(強制労働、ガス室送り等)の「収容所」へ送られること、すなわち“完全に自由を奪われたり、死に追いやられたり”することを意味しています。

   “ユダヤ人に対する本格的な殺戮” の “序章” といえるでしょう。それにしても、銃を手にした「親衛隊」隊員の、憎しみや蔑視に満ちた激しい “怒号” は凄いですね。子供や女性をはじめ、お年寄や気が弱い人々は、この “怒号” だけで “まいってしまう” でしょう。乱暴に追い立てられて行く様子が、いっそう “ドキュメンタリー・タッチ” で描かれています。

   この場面を観る辛さは、拳銃や自動小銃等による “眼を覆いたくなるようなシーン” が連続していることでしょう。隊員兵士が戸口で男の名前を読み上げ、出て来たところを連れ出し、“有無を言わさず” 頭を撃ち抜くシーン。労働力とはならない病院患者に、自動小銃を乱射する隊員兵士。そこで、射殺されるのであれば、せめてその前に「劇薬」の投与をと、慌ただしく準備を始める医師たち……。

   「ゲットー」に入る際には認められた「トランク一つ持つことも許されず、文字通り “着の身着のまま” の状態で追い立てられたのです。そのため、ある一家は “パンに宝石類を埋め込み”、それを家族みんなで口の中に入れようとしています。何かあったときの “換金” や “袖の下” に使うためでしょうか。

   とにかく「ゲットー」内の「通路」や「道路」に夥しい数の「トランク」や、点々と散らばる衣類・小物、それに「射殺された遺体」が散乱しています。

   まず3月13日、健康な労働者用(他に「公務員」など)の「ゲットーA」が解体され、その「住民(もちろん、ユダヤ人)」は、後に「アーモン・ゲート」所長の「プワシュフ強制労働収容所」へ移送されます。

   翌3月14日には「ゲットーB」が解体されるわけですが、ここは本来、「高齢者」や「病弱な人々」の居住区でした。そのため “労働不能” とみなされた千人が銃殺等によりその場で殺害され、四千人が「プワシュフ収容所」へ、二千人が「アウシュヴィッツビルケナウ強制収容所」へと移送されたようです。

   しかし、「ユダヤ人評議会」や「ユダヤ人ゲットー警察」の「ユダヤ人」とその家族だけは、しばらくの期間ここに留まることを許されました。

       ☆

22.ボルデクとミラ夫妻、少女ダンカ

  「闇物資の調達人」である「レオポルド・ぺファーベルグ」――。通称「ポルデク」は、シンドラーが発注するさまざまな「品物」を手配した人物です。その「品物」は「軍需物質」の納入先であるドイツ軍将校や高官への「贈り物」、つまりは“賄賂”でした。

   その彼は、妻の「ミラ・ペファーベルク」と一緒に地下の下水道へ逃げ込もうと考えました。しかし、彼女がそれを嫌ったために一人で下水道へ降り、危うく射殺されかけます。慌てて地上に戻ったものの、運悪く「アーモン・ゲート少尉」の一団と出くわすのです。彼はとっさに、「散乱したトランク」の片づけを命じられたと言って切り抜けます。

   また「ドレスナ―母娘」が床下に隠れようとしていました。しかし、スペースの問題で娘(眼鏡の少女)の「ダンカ」だけを匿ってもらいます。後に二人は再会するわけですが、そのとき、自ら命の危険を顧みずに二人を助けようとした「アダム少年」(ドレスナ―の息子と同級生)の手引きによって、「プワシュフ収容所」への選別では “有利な列” に並ぶことができたようです。

   本来、素直に “列に並ばなければいけない” 母娘でしたが、何とか “隠れ通そう” としていました。もし見つかっていてば、その場で “射殺” されていたでしょう。そうでなくとも、「アウシュビッツ絶滅収容所」行きとなっていたかもしれないのです。「プワシュフ強制労働収容所」行きですんだのは幸運でした。

   というのも、ゲットー内に隠れ潜む「ユダヤ人」の「掃討作戦」は凄まじいものがありました。どんな物音でも察知しようとする執拗な捜査が行われていました。夜間、建物内に自動小銃の掃射音と悲鳴が響き、希望を打ち砕く銃弾の閃光が、不気味に光っていました。 

 

 「赤い服の幼女」の意味は

23.赤い服の幼女

   しかし、この「映画」の “ゲットー解体” における最大のシーンは、言うまでもなく「赤い服の幼い女の子」(※註2)の登場です。「少女」と言うより「幼女」と言うべきでしょう。「画面」では、彼女が着ている「服の部分」だけが「ピンク系統の赤」になっています。“淡い”……というより“ややくすんだ”感じの色合いかもしれません。 

   少し乱れたその「金髪」……と言っても「モノクロ」のために正確な色合いは判りませんが、見たかぎりの “色合い” から「金髪」のような気がします。

   この「映画」が進むと判りますが(※註3)、後にこの「赤い服の幼女」は“焼却される死体”となって二輪車で運ばれて来ます。シンドラーは “その場面を眼に焼き付ける” ことになるわけですが……。

  問題」は、《 なぜ赤い服の幼女を登場させたのか 》ということ。別の言い方をすれば、“この赤い服を着た幼女によって、観客に何を訴えようとしたのか” と言うことでしょう。

   次回は、この「映画」の“最大のカラー映像効果”ともいえる「赤い服の幼女」の “登場シーン” を振り返りながら、その “哲学性と芸術性” に触れてみたいと思います。(続く)

       ★   ★   ★

  ※註1 ドイツ人の「イングリート」

 ※註2 この「赤い服の幼女」を演じた少女の当時の年齢は「3歳」だったようです。

  ※註3 映画の「DVD」では、「ディスク:2」の冒頭からすぐのシーンに出て来ます。

 

 


◆ジェノサイドという史実の澱/『シンドラーのリスト』:No.5

2015年02月08日 00時05分59秒 | ◆映画を読み解く

 

   「アーモン・ゲート少尉

   第一に、「プワシュフ強制収容所」において「囚人(ユダヤ人)」に対する “狂気じみた射殺” を繰り返し、

   第二に、“クラクフ・ゲットー解体”における実行責任者として、「ホロコースト(大量殺戮=虐殺)」を指揮した人物です。

   ゲートの “登場” は、 “映像表現” としても重要です。彼が「ヘレン・ヒルシュ」を「メイド」に選び出すシーン、ことにヘレンとの やりとりは、名優同士の演技・演出としても 素晴らしい” の一語に尽きます。それがまた、この「映画」の “哲学性と芸術性” を高めました。

   ではさっそく、ゲートが登場したところから見て行きましょう。

       

 

  「アーモン・ゲート」と「ヘレン・ヒルシュ

18.アーモン・ゲート、ゲットー視察

   「アーモン・ゲート少尉」は「車」のシートに身体を横たえ、「クラクフ・ゲットー」内を視察しています(※註1)。

   さて、この「クラクフ・ゲットー」は「」と「」の “2つの地区” に分かれています。“どのように違う” のでしょうか? 「映画」の中でご確認ください。とても “大きな違い” です。ヒントは、“労働者としての能力” としておきましょう。このことは、後にこの「ゲットー」が “解体” される際に重要な意味を持ってきます。

   さて、ゲートはどうやら “風邪気味” のようです。この視察は “冬の寒い季節” に実施され、「画面」の中の “人の息は白く” なっています。こういう “設定” は、「彼のキャラクター」を語る上でも効果的であり、実に上手いですね。

      ☆

   「画面」は、ゲートが歩きながら建設中の「プワシュフ収容所」を見て回るシーンに変わり、ゲートの「住居」が、この収容所内の敷地にあることが判ります。そこで次に、ゲート自身が「ラッキーガール」と呼ぶメイドの “選考” が始まります。ゲートは、“きつい肉体労働” から解放され、“楽な室内での家事” ができるよと言いたいのでしょう。小走りに駈けつけた20人ほどの女性が、ゲートの前に整列します。

   ゲートは尋ねます。『メイドの経験があるか?』と。すると「一人」を除いた全員が、おそるおそる “手を挙げ” ます。そこでゲートは「メイド経験者」は “そのときの癖” が残っているからと忌避し、“手を挙げなかった” 女性の前に歩み寄ったのです

   寒さと先行の不安を感じる「その女性」はゲートに軽く促され、その「列」から一歩前に進み出ます。するとゲートは、『風邪がうつる』からと鼻水を拭いながら一歩後退しますが、そのくせ煙草を喫っていますね。この設定も効果的であり、実に上手い演出そして演技と言えるでしょう。

   ゲートは彼女の「名前」を尋ねます。しかし、声が小さいためによく聞き取れません。2回目尋ねたときゲートは咳をし、3回目にしてようやく「ヘレン・ヒルシュ」という名前を聞き取ったようです。

   ゲートがヘレンの「肩掛け」を少し払いのけると「悴んだ両手」が見え、明らかにヘレンのその手も全身も小さく震えています。ゲートは、ヘレンをちょっと見たあと、残り少なくなった煙草を一服し、彼女を「メイド」にする決心をしたようです。

 

  不条理の行きつく先

19.若い女の工事主任

  ……とそのとき、女性の甲高い声が建築中の現場から聞こえ、ゲートもその方に視線を向けました。「若い女性」の「工事主任(監督)」が、『基礎のコンクリート工事に欠陥があるためにバラック(建物)の南側が陥没し、やがて全体が潰れる』と言って、基礎工事をやり替えるよう進言しているのです。

   「ディアナ・ライター」と名乗る彼女は、「ミラノ大学工科」の出身者であることを告げたのですが、ゲートは、『カールマルクス級のインテリなのか?(Ah an educated Jew, like Karl Marx himself)』と、揶揄します。

   ちなみに、「資本論」の著者である「カール・マルクス」も「ユダヤ人」でした。しかも彼の父親は「弁護士」であり、またユダヤ教の「ラビ」(教師・説教者)でもあったのです。母親もユダヤ教徒であったところから、「反ユダヤ主義」の人々からすれば、マルクスは「ユダヤ人中のユダヤ人」ということになるのでしょう。

    さてゲートは、彼女から離れて問題の現場まで歩いて行くと「部下(曹長)」を呼び寄せ、彼女にも聞こえるくらいの声で「Shoot her射殺せよ)!」と命令します。彼女のみならず、部下もちょっと驚くわけですが、ゲートは『文句はつけさせない』と言い捨てるのです。

   この様子を、「メイド」に選ばれたばかりの「ヘレン・ヒルシュ」が、恐怖と不安の表情で見るともなく見、聞くともなく聞いていましたというより否応なく “見え、また聞こえた” のでしょう。

   ゲートはその場で彼女を射殺させた後、こう言います。

彼女が言ったように基礎からやり直せ

   そして、別の部下とその場を離れ、車の方へと歩いて行きます。二人が歩いて行く途中に、全身が “固まったままのヘレンが、動くことも歩くことも出来ないまま立ち尽くしています

 

   ゲートと部下の二人は、ヘレンをまったく見ることも、気にかけることもなく……というより “これっぽっちもその存在を意識することなく”、まるで “立木か何かを軽く交わす” かのように彼女を “真ん中に残したまま” 歩き去って行くのです。

   この瞬間、アーモン・ゲート少尉に部下が語りかけます。

あと1時間で日が暮れます

 

       ☆

 からまでの一連の映画の進行(※註2)に、筆者は “鳥肌が立ちました”。何と言う「演技」に「演出」、そして、何と言う「脚本」に「カメラワーク」でしょうか。何十回と繰り返して観ました。「あと1時間で日が暮れます」という最後の台詞が、これまた “痺れるほど” 生きています。

   何よりも、当時の “反ユダヤ主義” に囚われたままの「ナチス・ドイツの精神性」があますところなく描き出されているからです。”筆者が選ぶこの「映画」の “ベスト・シーン” であり、スピルバーグ監督以下「製作者サイド」の「深い哲学」が息づいています。

   一瞬の躊躇も苦悩もなく「女性工事主任」の射殺を命じる「アーモン・ゲート」。その「命令」を、「上官の命令」として “確実に遂行する部下”。しかも「彼女」は、何一つ理不尽なことを言ったわけでもなければ、損失を与えたわけでもないのです。

   そして、その “一部始終” を “逃れることのできない現実” として “体現せざるをえなかった” 「ヘレン・ヒルシュ」――。

   ここに、人類史上最大と言われた「ジ ェノサイドホロコースト)」の「加害者側」と「被害者側」の “歴史の一片” があるのです。と同時に、その “史実” から70年という大きな節目に当たる今日、我々は “人類共通の負の遺産” として、この “史実の澱(おり)” を本当に “黒暗淵(やみわだ)の時間” の中から取り除くことができるのでしょうか。

   それとも、その “澱” の上に、新たな “史実の澱を沈潜させるということはないのでしょうか。(続く)

       ★   ★   ★ 

   ※註1 本シリーズ「No.2」の「動画」(全:3時間15分13秒)スタートから「約50分」のところです。

  ※註2 スタートから「約55分」ほどのところです。  


◆シンドラーの工場は天国?!/『シンドラーのリスト』:No.4

2015年02月03日 00時08分33秒 | ◆映画を読み解く

 

    「ユダヤ人の天国」と呼ばれた「工場」

   前回述べたように、「ゲットー」(ユダヤ人隔離居住区)での居住を許されたのは、「ドイツ系の企業」や「軍需関連工場」の「労働者であり、それ以外の「ユダヤ人」は一部の例外を除き「クラクフ」市から追い出されました。

   ここでの「軍需関連工場」とは……シンドラーがドイツ軍向けに「鍋類」その他を売り込むために立ち上げた「工場」もその一つでした。「映画」での「社名」は――、

   『EUTSCHE MAILWARENABRIK

   『ドイツほうろう容器工場』です。「スペル」の「頭文字」をとって『DEF』となっています。この「略号文字」は、「映画」の中でしばしば「書類上の文字」として出て来ます。 “生と死を分ける” 重要な「キーワード」です。

   人々は、この「DEF」すなわち「オスカー・シンドラーの工場」を、“死のない工場=天国” と噂するようになりました。

   「映画」の中でずっと後に、「エルザ・パールマン」という娘が、両親をこの「DEF」に入れてもらうため、つまり、“命を救ってもらうため” に、 “おめかし” をしてシンドラーに面会を求めるシーンがあります。 “美人大好き人間” の “シンドラー” 対策というわけでしょう。わざわざ他人から、「ドレス」まで借りていたようです。

   その彼女も、最初に「面会」を求めたときは “おめかし” をしていなかったため、「面会」すらしてもらえませんでした。

       ☆

   はじめは金儲け目的のシンドラー

13.シンドラー夫人登場

   この頃、シンドラーは「エミーリェ・シンドラー夫人」とは別居中のようでした。「映画」では、「愛人」(※註1)と一緒のところへ「夫人」が訪ねて来るシーンがあります。「愛人」は慌てて部屋を出て行くわけですが、その後、シンドラーと夫人は、「高級クラブ」へ出かけます。

   ここでの「夫婦の会話」は、初めの頃のシンドラーの 本音 を語るものとして重要なシーンです。シンドラーは、「DEF」(工場)で働いているユダヤ人の労働者について夫人に語ります。

「350人が一つの目的のために働いている」

「鍋釜のため?」 と聞き返す夫人。

「……金儲けさ。僕のためにね

 しばらくして――、

あいつは凄いことをやった(と人は言うだろう)。誰にも出来ないことを。……無一文でこの街(クラクフ市)へ……鞄1個……破産した工場を買い取り、見事に再建した。……そして大きなトランク2個に札束を詰めて去って行った……。世界中の財宝を集めて……」

「あなたは何も変わってないのね」

   そう言って、夫シンドラーの髪を優しく撫でる夫人。しかし、シンドラーは――、

「それは違う。今まではいつも欠けているものがあった。それで何に手を出しても失敗した。何かが欠けていた。欠けていると気付いても手に入らない。作れないものだ。だがそれが、“成功”と“失敗”を分けるんだ。」

Luck)?」と言う夫人の手にゆっくりとキスをするシンドラー。そして夫人の顔を見上げながら、おもむろにひとこと。

戦争さWar)」

   その後、二人は仲睦まじくダンスに興じるわけですが……。

   『あいつは凄いことをやった(と人は言うだろう)。誰にも出来ないことを』……とは、非常に ”アイロニカル” ですね。無論、ここでは “とてつもない富を得た” ことを意味しているわけですが。

       ☆

   言うまでもなく、このときのシンドラーは、戦争が長引けば長引くほど「DEF」すなわち「軍需関連工場」で “儲け続ける” ことができるはずでした。そして戦争が終わる頃には、“トランクいっぱいの札束を詰めて帰郷” へと。

   しかし、彼自身も、そして彼に雇われた「ユダヤ人」の「労働者」も、“トランクいっぱいのシンドラー個人の儲け” が、後に結果として「1,200人ものユダヤ人の生命」を買い取るための “源資” になるなど、この時点では誰も予見し得なかったのです

      

 

141941年12月、「ユダヤ人」の “殺害そのもの” を目的とした最初の「絶滅収容所」として「ヘウムノ収容所」(ポーランド国内)が設立される。

  この「絶滅収容所」は、全部で「6つ」設立されたようです。もっともポピュラーな「アウシュヴィッツ収容所」(ポーランド国内)(※註2)は、その最大のものでした。

15.1942年1月20日、「ヴァンゼー会議」において、「ユダヤ人」の“全面的追放”から“計画的な大量殺戮”への決定的移行が確認される。

      

16.1942年冬――。「クラクフ・ゲットー」内でのユダヤ人の談笑風景。

 誰かが『ゲットーには自由がある』と語っています。このシーンは、いわば “嵐の前の静けさ” を象徴的に示唆したものです。つまりは、“不自由や不満はあっても、それなりに生きていられる” という。……それは、「常軌を逸した殺戮者=アーモン・ゲート」が現れるまでは確かにそうでした……。

 

  稀代の悪人・アーモンゲート

17.アーモン・ゲートの登場

   「映画」では「親衛隊」の「アーモン・ゲート少尉」が登場し、建設中の「プワシュフ収容所」を視察します。彼はこの工事現場において、作業中の20名ほどの女性を並ばせ、その中の一人を、自分の住まいの「ハウスメイド」として選びます

   この直後、アーモン・ゲートは、工事現場の「女性監督」から、『基礎のコンクリート工事がおかしいので基礎工事のやり直し』をとの進言を受けますが、彼はその「女性監督」を部下に射殺させるのです。

   この一連の “やりとり” を、「ハウスメイド」に選ばれたばかりの「ヘレン・ヒルシュ」が見ていました。というより、否応なく “見ざるをえなかった” のです。

   筆者は、この “やりとりの前後” に、この「映画」最大の “哲学性と芸術性” を感じます。“映像表現” としても、また “役者の演技” としても優れたシーンです。

   “優れた” というより “凄い” の一語に尽きるでしょう。若い人風に言えば、“超~ヤバイ!” となるのかもしれません。

   本シリーズの「No.2」にアップした「映画」の「動画」を観ながら、その “哲学性と芸術性” を味わってください。

   次回、 “稀代の悪役” とも言うべき「アーモン・ゲート」が、「ヘレン・ヒルシュ」を「ハウスメイド」に選んだ後、「女性の現場監督」を射殺し、“部下と共にその場を立ち去る” わずか「3分ほどのシーン」を再現してみましょう。

   実に深い意味を持っており、筆者的には、この「映画」における最大の「シーン」、つまりは、“ベスト・シーン とも言えるものです。

       ★   ★   ★

 

 ※註1 ポーランド人の「クロノフスカ」(シンドラーの秘書)

 ※註2 この「アウシュヴィッツ収容所」は、「強制収容所」と「絶滅収容所」という2つの役割を持っていました。また、この「収容所」の実態は、「基幹収容所」としての「第1」に加え、後に「第2」と呼ばれた「ビルケナウ収容所」そして「第3」の「モノヴィッツ収容所」と拡大しています。

 今日、ここはユネスコの「世界文化遺産」(負の遺産)となっていますが、そこでの正式な呼称は『アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所』です。

 有名な「死の門」は、「第2強制収容所」の「ビルケナウ」にあります。

 


◆ユダヤ人隔離居住区=ゲットー/『シンドラーのリスト』:No.3

2015年01月30日 00時24分38秒 | ◆映画を読み解く

 

   『シンドラーのリスト』(英: Schindler’s  List)は、「スティーヴン・スピルバーグ」監督による1993年制作のアメリカ映画であり、日本での公開は翌1994年の2月でした。

   そこでこれから、まずはこの「映画」が“描こうとした時代と出来事”について確認しましょう。以下は、筆者が各種の資料をもとに、この「映画鑑賞」用として整理編集したものです。「映画」の”哲学性と芸術性”を理解するためにも必要不可欠な“基礎知識”となっています。

 

  台頭するナチス党とヒットラー

 1.   1920年2月下旬、「ドイツ労働党(DAP)」は党名を「国家社会主義ドイツ労働党(NSDPA)」と改称(※略称「ナチス党」)した。同党は “国粋主義” 的な “ドイツ民族主義” による「大ドイツ帝国」建設とともに、“反ユダヤ主義” を掲げた。

 2.   1921年7月27日、アドルフ・ヒットラー、「党首」に選出される。といっても小党でしかなかった。

 3.   1925年、「ナチスのバイブル(聖典)」と言われたヒットラー著『わが闘争』刊行(上巻は1925年、下巻は26年末刊)。

   ヒットラー独自の世界観や人間観、イデオロギーや政治政策を説く。内容的にはゲルマン民族至上主義であると同時に、“反ユダヤ主義” や “反共産主義”を貫いている。

 4.   1932年5月、大統領選挙に立候補したヒットラーは、現役の「ヒンデンブルグ」に負けるものの「次席」となる。そして、この2か月後の総選挙で勝利した「ナチス党」は、第一党となる。

 5.   1933年1月30日、ヒットラーはヒンデンブルグ大統領の下で「首相」に就任、ついに「政権」を握り、ここから彼の “独裁” と数々の “強権発動” が始まる。

   ヒットラーの“ユダヤ人迫害”は、首相就任1か月後より、ユダヤ人商店の不買運動や店舗破壊等に始まり、「ユダヤ人の公職者」は地方政府、裁判所、大学から追放された。

 6.   1934年8月2日、ヒンデンブルグ大統領死去。その遺言によりヒットラーは「大統領」に就任。しかし、彼はその職名を「大統領」ではなく「指導者」とし(日本語訳名「総統」)、「総統兼首相」としてドイツ陸海軍の将兵に忠誠を誓わせた。

 7.   1935年9月15日、「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」と「帝国市民法」の2つを総称した「ニュールンベルグ法」を制定。

   「前者」は「ユダヤ人」と「ドイツ人」との「婚姻」や「性交渉」を禁じた法律。また「後者」は「ユダヤ人」は「(ドイツ帝国市民」ではないとし、「公職」等に就くことを禁じ、また「政治的な権利」などを奪う法律

 8. 1938年11月、ドイツにある総ての「ユダヤ教会」がその他の関連施設とともに、破壊された。

  ここに――、

 ⇒「ユダヤ人のゲットーへの強制隔離政策」から

 ⇒「ゲットー解体(ユダヤ人の追い出し、搾取、殺戮)」へ。そして――、

 ⇒「アウシュビッツ収容所」等での大量虐殺(=本格的な「ホロコースト」)へと通じる萌芽がみられるのです。

 9.   1938年4月、「ナチス・ドイツ」軍、オーストリアを併合。

10.   1939年3月、「ナチス・ドイツ」軍、チェコスロバキアを併合。

       ☆   ☆   ☆

 

  ゲットー(ユダヤ人居住区)へ強制隔離されるユダヤ人

   ここからが、この「映画」に登場する部分です以下の記述は、「映画の画面」に「表示された説明文」(キャプション)を手がかりに、筆者自身が補筆修正し、また新たに加筆しました。

11. 1939年9月、「ナチス・ドイツ軍」は2週間で「ポーランド」を制圧。「ユダヤ人」に “移動命令” が下り、国内の「1万人以上」の「ユダヤ人」が「クラクフ」(※註1)というポーランド南部の都市に運ばれた。

   「映画」では、蒸気機関車による「ユダヤ人」の “移送” が描かれています。「1万人以上」とは、あくまでも「クラクフ」という「一都市」に移送された人数にすぎません。 

   選出された24人の「ユダヤ人」による「ユダヤ人評議会」のメンバーが、「ドイツ政府」の命令に従い、「ユダヤ人」に対する「強制労働の班分け」をはじめ、「食糧や住居の割り当て」さらには「苦情相談」等を受け持った。

  「映画」では、主人公「オスカー・シンドラー」がこの「ユダヤ人評議会」メンバーによる「苦情相談」会場を訪れ、ユダヤ人の会計士イザック・シュターン」を呼び出すシーンがあります。

   二人は、このとき初めて出会うわけですが、シンドラーはさっそくシュターンに工場の経営を見て貰うことと、「工場買収資金」を融資してくれるユダヤ人の紹介を依頼します。

  またこの後、シンドラーは、「闇物資の調達人」である「ポルデク・ペファーベルグ」と、教会で出会うことになります。  

 

12. 1941年3月20日、全ユダヤ人が「ゲットー(ghetto)」(※註2)すなわち「ユダヤ人居住区」へ移送される。

   この映画」に出て来る「クラクフ・ゲットー」は、ヴィスワ川南岸の壁に囲まれた「0.24k㎡」の狭い地域(※註3)でした。ここに、約15.000人の「ユダヤ人」が押し込まれました。外部との自由な出入り・接触が禁じられ、後には「壁」で囲まれて完全に “閉鎖” されたのです。

   とはいえ、この「ゲットー」での居住を許されたのは、「ドイツ系企業」や「軍需関連工場」の「労働者であり、それ以外の「ユダヤ人」は「クラクフ」から追い出されました。ただし例外的に、高齢の病人や移動不可能な「ユダヤ人」は「ゲットー」での居住が例外的に認められたのです。 

   「ポーランド」では、この「クラクフ・ゲットー」やヨーロッパ最大の「ワルシャワ・ゲットー」をはじめ、全国に400以上の「ゲットー」が作られたといわれています。

    なおこの「ゲットー」への持参が許されたのは、手荷物1個、正装服一式、毛布1枚、2週間分の食料、必要書類、所持金上限50ズウォティであり、外国為替や宝石は置いて行かなければなりませんでした。

   しかし、 いかに「ゲットー」 での生活が不自由とはいえ、また慢性的な飢餓感に苛まれていたとはいえ、さらに発疹チウス等の病気が蔓延していたとはいえ、この段階では天国のようなものでした。

   「アウシュビッツ強制収容所」その他における、あの “ホロコースト” に比べれば……。

       ★   ★   ★

 

 ※註1  「クラクフ(Krakau)」は、ポーランドで最も歴史ある都市の一つ。17世紀初頭にワルシャワに遷都するまで「ポーランド王国」の首都。ポーランドの工業、文化の主要な中心地。

 ※註2  ゲットー(ghetto)」という言葉は、歴史的にいろいろな意味合いで使われていますが、ここでは「ナチス・ドイツ」における「ゲットー」という意味です。簡単に定義すれば、【ナチス・ドイツが「第二次世界大戦」において、東欧諸国へ侵攻した際に「ユダヤ人」を “強制的に隔離” するために設けた「居住区域」】となります。

 ※註3  「1k㎡=1km×1km=1,000m×1,000m=1,000,000㎡」。「0.24k㎡」は、「0.6km×0.4km」といったところでしょうか。つまりは「600m×400m=240.000㎡」と考えると判りやすいでしょう。「東京ディズニーランド(0.47k㎡)」のほぼ「半分の広さ」と言うことになります。

 

 


◆ドキュメンタリータッチの哲学性と芸術性/映画「シンドラーのリスト」:No.2

2015年01月26日 00時00分51秒 | ◆映画を読み解く

 

   映画のプロが選ぶ名作

   さて今回の映画は、2007年の『米映画協会(AFI)が選んだアメリカ映画BEST100』(※註1)では「第8位」に、また米国の一般読者投票による『歴代映画ベスト100』(実施年不明)では、「第3位」にランクインしています。ちなみに「第1位」は「ゴッドファーザー」、「第2位」は「ショーシャンクの空に」です

   なお後者は、「米国映画」だけでなく米国以外の作品も対象にしています。ちなみに「日本映画」は、「第7位」の「七人の侍」他4作品がランクインしています(※註2)。

 

  “ドキュメンタリー・タッチ” による “哲学性芸術性”

   まずこの “ 映画の特徴 ” は、「実話(ノンフィクション)」に基づく “ ドキュメンタリー・タッチ” の作品ということです。

   “ドキュメンタリー・タッチ” を貫くことによって、この映画の “哲学性と芸術性” がいっそう深まったと言えるでしょう。

  次の「3点」が、その「重要なポイント」となっています。

 

(1) 基本的には、「映像」を「モノクロ」(白黒フィルム)としている。

   いわば、第二次大戦前後の「ニュース映画」の「記録フィルム」のような雰囲気づくりに徹しています。

  しかし、“一部のシーン” 又は “画面のごく一部分” だけは「カラー映像」としているようです。

  この 繊細なカラーリング” によって映画の “哲学性と芸術性” が強調され、「第1の重要ポイント」となっています。

 

(2) ドキュメンタリー・タッチ”を貫くため、映像上の “感情表現” を極力抑えている

   この「映画」は、「アドルフ・ヒットラー」の「ナチス・ドイツ」による “ホロコースト」(ジェノサイド)すなわち “大量殺戮” をテーマに、「オスカー・シンドラー」による1,100人ものユダヤ人の救済を描いています。“眼を背けたくなるような衝撃的なシーン” がいくつもあり、人によっては “直視しがたい光景” です。

   しかし、スピルバーグ監督以下、「映画表現者(制作者)」は、「観客」に “怒り、憎しみ、哀しみ” といった “感情” を “圧しつけ” ようとはしていません。どこまでも “冷徹な第三者の眼” で “歴史的な事実” を見つめているかのようです。

   映画の撮影においても、 “実際に起きた出来事” を伝えるように淡々としています。そのため、ときには当時の「ニュース映画」の「報道カメラマン」のように、あえて “手ぶれ” のおそれある「携帯用カメラ」を使用したシーンもあるほどです。事実を記録する “傍観者の視点” といえるでしょう。

   それは、「観客」個々の “喜怒哀楽の感情” を尊重していることを意味しています。そのため観客には、 “本能的で冷静な感情” がかえって湧き起こり、それが結果として、この「映画」に対する観客自身の “主体的な想いや判断” を呼び覚ます効果をもたらしているのです。

   巧みな戦略であり、戦術です。「ホロコースト」に対するスピルバーグ監督の揺るぎない哲学と深い洞察の賜物と言えるでしょう。ここに、この映画の持つ “哲学性と芸術性” の「第2の重要ポイント」があります。

 

(3)ドキュメンタリー・タッチ” をより確実に表現するため、主人公の〈オスカーシンドラー〉以下、「中心的な俳優5人」は、総て「舞台俳優 」を起用している。

  それによって、“ドキュメンタリー性” の “説得力” をさらに強化しています。観るたびに優れた俳優の卓越した演技に惹き込まれるばかりです。何度観ても飽きることがありません。

   ここに、この映画の持つ “哲学性と芸術性” の「第3の重要ポイント」があります。

        ☆

   以上のように、この映画を “ドキュメンタリー・タッチ” に仕上げたことによって、“ 映像の哲学性と芸術性 ”とがいっそう深みを増したと言えるでしょう。

   そのことは、「優れた映画」と言われるものが “なぜ優れているか?”、また “どこがどのように優れているのか?” ということを語ることになります。次回より、「具体例」を示しながら、話を進めて行きましょう。 

      ★   ★   ★

 

 クリック! ◆映画『シンドラーのリスト』(3時間15分13秒)の動画

  この「動画」はフルバージョンであり、画質も鮮明です。筆者が記事原稿中において告知する「カット」や「シーン」は、この「動画」の「経過時間」をもとにしています。

  この「動画」の画面下から「数ミリ」の位置に「カーソル」を当てると、「左端」に「停止(Pause)」機能があり、また「右端」は「経過時間」と「残り時間」の「表示」となっています。

  「時間経過を示す黄色帯」に「カーソル」をあてて「スクロール」すると、「経過時間」が表示されると同時に、簡単に「時間を進め」たり、「時間を前に戻し」たりすることができます。筆者の「記事中の説明」を確認する際にご使用ください。

  なお「カーソル」を「画面」から外すと、いつでも上記の総ての「表示」が消えます。

 

 ※註1: 「米映画協会(AFI)」に所属する監督、脚本家、俳優、編集者、批評家ら1500人が、1997年以来10年ぶりに歴代のアメリカ映画のベスト100を選出したもの。「第1位:ゴッドファーザー」、「第2位:市民ケーン」、「第3位:カサブランカ」。

 ※註2: 「乱」(74位)、「用心棒」(95位)、「もののけ姫」(100位)。

 


◆今年は「映画を読み解く」に力を/『シンドラーのリスト』:No.1

2015年01月01日 05時30分45秒 | ◆映画を読み解く

 

  読者K氏の願い

   昨年12月の初め、久しぶりに「映画大好き人間」の友人「K氏」に会いました。彼によれば、本「ブログ」の昨年の傾向は、【学生演劇の公演案内】と、それに応じた【演劇鑑賞】に重点がおかれたような “感じ” がしたとのこと。

   “感じ”……と控えたところが奥床しい。「K氏」は口にこそ出さなかったものの、要は「演劇」以外のジャンル、とりわけ【映画鑑賞】にも “眼を向けて”……というわけでしょう。もっとも、そのような “声” は、彼だけに限ったものではなかったのですが……。

   そのとき筆者は、K氏に対しておもむろに、以下のようなことを口にしたような気がします。記憶は定かではありませんが……。

        ★   ★   ★

    『知ってる? 僕んちの「冷蔵庫」は、“ブログの「願い事」が叶う何でもBOX” なんだ。もし、その「BOX」に「パッケージ」入りの「辛子明太子」が発見されたとしたら……その「パッケージ」に書いてある「願い事」は、きっと叶うと思うんだ……。試しに「鑑賞」希望の「映画」のタイトルを、「邦画・洋画(外国物)」それぞれ5つほど、「パッケージ」に書いておいてごらん。

   ……ああ、そうそう。 “聞いた話” だと、特に「願い事」がよく叶うのは、“「ふくや」の減塩系のものらしいんだ……』 

       ◎   ◎  ◎  ◎  ◎  ◎  ◎

 

   「K氏」は、とてもラッキーな男です。「元旦」早々、こうして “願い事が実現しようとしているのですから。

   ……ということで、今年2015年『感性創房』の “初ブログ” は、久しぶりに【映画に親しむ】シリーズです。振り返ってみれば、昨年はただの一度も【映画に関する記事】や【映画鑑賞】を書いていなかったのです。自分でも驚き、また深く反省した次第です。

       ☆

   ちなみに、博多の「辛子明太子」の “原点” いや “源点” とも言われる老舗「ふくや」の「パッケージ」には、以下の「映画タイトル」が記してあったとのこと。 ※( )内の「西暦」は「日本」での映画の「公開年」、氏名は「監督」名です。

 

 ●邦 画

1.『キューポラのある街』(1962年。浦山桐郎)

2.『幸せの黄色いハンカチ』(1977年。山田洋次)

3.『となりのトトロ』(1988年。宮崎駿)

4.『用心棒』(1961年。黒澤明)

5.『ゼロの焦点』(1961年。野村芳太郎)

 

 ●洋 画(海外物)

1.『カサブランカ』(1946年。マイケル・カーティス)

2.『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年。ロバート・ワイズ) 

3.『タイタニック』(1997年。ジェームズ・キャメロン) 

4.『シンドラーのリスト』(1993年。スティーヴン・スピルバーグ) 

5.『めまい』(1958年。アルフレッド・ヒッチコック) 

       ☆

   それにしても、筆者よりほんのちょっとYoungな「K氏」らしい選考と言えるでしょう。もっとも、「邦画・洋画」とも「1,2,3」の作品は、おそらく才色兼備の誉れ高き “影の選考委員長” の “指令” のような気がしますが……。 

   『キューポラのある街』は、「黄金青春コンビ」の吉永小百合、浜田光夫の二人。個人的な感想ですが、この映画でのヒロインは、高校生当時(16~17歳)の吉永さん(昭和20年生)の “実像” に近いような気がします。しかし、筆者の高校時代の「サユリスト」の友人によれば、絶対に違うとのことですが……。

   『幸せの黄色いハンカチ』は、ご存知のように高倉健&倍賞千恵子。共演は、武田鉄矢、桃井かおり。『となりのトトロ』は、日本のみならず、海外でも未だに人気が衰えていないようです。この作品は、筆者の「ジブリ作品」の「ベストワン」です。

   『用心棒』は、「椿三十郎」と並んで、三船敏郎本来の魅力を最高度に発揮した作品かもしれません。

       ☆

   『ゼロの焦点』は、2009年に広末涼子・主演、中谷美紀、木村多江等の「リメイク版」がありますが、個人的には、久我美子・主演、高千穂ひづる、有馬稲子の「1961年版」の方が遥かに優れていると思います。

   この作品のヒロインは「禎子」――。いきなり、結婚したばかりの夫の謎の失踪に苦悩の日々が始まるのです……その夫に漂う女の影……禎子の困惑と不安、嫉妬と恐れ、哀しみと悲嘆……。これだけのことを、愛念と情感を込めて演じ切るというのは、それ相応の感性や演技力が求められます。

   この作品にかぎらず、「松本清張」作品の「人物」は、いずれも複雑に屈折した精神の持ち主が多いようです。それに加え、不可思議な行動を見せる人物も数多く出て来ます。

       ☆

   ともあれ、以上の「作品」群――。やはり、なかなかのchoiceですね。『カサブランカ』……。イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガ―トのラブロマンス。バーグマンは、この映画のときが一番 “美しく” また “をんなっぽい” ような気がします。ボガ―トは、ハリウッド映画史上「ベスト1」の人気を誇る男優です。

   『サウンド・オブ・ミュージック』は、ヒロイン、ジュリー・アンドリュースの「ドレミの歌」が有名であり、『タイタニック』は、若い女性に人気が高いようですね。

   『シンドラーのリスト』は、「ユダヤ人」に対するナチス・ドイツの残虐行為の「実話」であり “ドキュメンタリー・タッチ” の作品です。ヒッチコック監督の『めまい』も良いですね。個人的には、「北北西に進路を取れ」や「裏窓」「マーニー」「ロープ」「鳥」「ダイヤルMを廻せ」などが好きです。

   日本においても、「ヒッチコック劇場」や「ヒッチコック・アワー」といったタイトルで、いくつかシリーズ化されていたように思います。

   ……それにしても、何とも渋い……。さすが我が友「K氏」、そして我が「影の選考委員長」殿。

   『カサブランカ』は、筆者も「鑑賞予定」にリストアップしている作品です。今年中には、と思っておりますが……。この作品は、何と言っても、筆者が選ぶ「洋画ベスト10」の第3位であり、『シンドラーのリスト』は第5位となっています。

        ★    ★   ★

 

   ◆今年の鑑賞第一作は、『シンドラーのリスト』◆

   ……ということで、今回採り上げる映画は、『シンドラーのリスト』(Shindler’s Lists)に決定いたしました。筆者と「K氏」との男の約束ということで、「影の選考委員長」殿にはご理解を賜り……。

   「実話」に基づくこの映画は、第二次大戦中のナチス(ドイツ)によるユダヤ人の虐殺、すなわち「ホロコースト」が行われた時代に、「オスカー・シンドラー」という人物が、結果として1100人ものユダヤ人の命を救ったとされる史実を描いています。

   監督の「スティーヴン・アラン・スピルバーグ」(Steven Allan Spielberg 1946.12.8 ~)自身も、ユダヤ系のアメリカ人です。

        ☆

   この「映画」に就いては、「ストーリーの展開」を細かく云々するより、「映画本来」の特性を最高度に発揮した “映像” 解説を中心に進めてみたいと思います。

   次回より、『シンドラーのリスト』の「鑑賞」を進めて行くことになります。「物語のあらすじ」を “こと細かく” 分析することは控えるにしても、ある程度の「ネタばれ」は避けられません。その旨、あらかじめご了承ください。

   そこで「読者」のみなさんにお勧めする理想的な「鑑賞」方法は、ひとまず映画『シンドラーのリスト』のDVDをご覧いただき、 “この映画が物語る真の狙い” を考えていただくことでしょうか。

   「素晴らしい映画」には、“素晴らしい隠し味” がいくつも用意されています。それを探し当てる楽しみこそが、“映画を読み解く” ことの “最大にして最高” の目的ではないかと思います。

   では是非とも次回までに、一度は映画『シンドラーのリスト』をご覧ください。え? 本ブログの次回はいつかって、おっしゃるのですね。……ええ。その件ですが、それはよく判らない……というのが真相のようです……。

   ただ、ひとつ筆者に言えることは、「読者」の多くが、ゆっくりとこの映画のDVDを楽しむことができる “時間的余裕” を確保したい……ということでしょうか。はい。おあとがよろしいようで……。(続く)  *今回は、特別拡大版です*

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 

  頌 春

    去年今年貫く棒の如きもの  高濱虚子

 

  “こぞことしつらぬくぼうのごときもの”―‐。

  時間的な連続とか、連続する時間における意識の流れが……そういう哲学的な解釈はひとまず措くことにし、素直に “貫く棒” の存在を受けとめることにしましょう。みなさんそれぞれの “棒の如きもの” とは何でしょうか。      

   また「新しい年」を迎えることとなりました。

   おめでとうございます。月並みな言葉ですが、これも素直に、また有り難く受け止めることにいたしましょう。

   読者各位にとって、家庭や地域社会、仕事や学業において、熱い想いで試みるものとはどのようなものでしょうか。私も残り少ない人生の中で、それを求めて日々努めて行きたいと思います。

   その “証” の一つとして、この『感性創房』のブログを綴っていく所存です。お気づきの点がありましたら、遠慮なく「コメント」をお寄せください。「コメント」は原則として “公開” となっておりますが、“非公開” をご希望の場合はその旨お知らせください

   今年もよろしくお願い申し上げます。

  平成27(2015)年 元朝  きわめて強い潮風の吹きゆくさまを全身に感じながら

    花雅美 秀理  

  

 

   PC‐mail  kagamishuri@gmail.com

  携帯mail  kansei-souboh@softbank.ne.jp

 

 

 

 


・『愛と青春の旅だち』-16(最終回)/卒業と新たなる旅立ち

2012年10月31日 21時18分53秒 | ◆映画を読み解く

 

 【32】 卒業式

 ……訓練校の「卒業式」の日――。整列した卒業生の中にデラ・セラや黒人のペリマン、それに女性士官シーガーの姿が見える。だがザックの姿が見えない……と思いきや、ようやくその顔が映し出される。

       ★

 その後、卒業生は教官のフォーリー軍曹から簡単な祝辞を受けています。

 女性のシーガーが、軍曹の前に進み出ます。

 ――Conglaturation. Ensign Seeger.(おめでとうございます。シーガ―少尉殿)

 ――Thank you, sir.(ありがとうございます。軍曹殿)

 ――Gunnery Sergeant, Ensign Seeger. …sir.(「殿」はやめてください)

 これは、今や「少尉」となったシーガーの方が、「軍曹」のフォーリー教官よりも「階級」が「上」であることを物語っています。

 次はザック・メイヨの番です。

 ――Conglaturation, Ensign Mayo.(おめでとうございます。メイヨ少尉殿。)

 ――I will never forget you, Sergeant.(軍曹。君のことは忘れない。)

 ――I know.(分かっています。)

 ――I wouldn’t have made this, if it weren’t for you.(君のおかげで卒業を……)

 ――Get the hell out of here.(早く行け)

 ――Thank you, Sergeant.(ありがとう。軍曹)

 太字の「会話部分」ことに「アンダーライン」の『早く行け』という言い回しに注目してください。本来、上官(ザック・メイヨ少尉)に対して使うべき「言い回し」ではありません。それをあえてそう言ったところに、ザックとフォーリー軍曹の関係すなわち「精神的な絆」の深さといったものが的確に表現されています。もっとも、“気恥ずかしさ”もあったのでしょう。

 つまり、ザックにとってのフォーリー軍曹は“父的な存在”であり、フォーリー軍曹とっては“息子的な存在”ということになるのです。

       ★

 『愛と青春の旅立ち』の「愛」については、とかく男女の「恋愛関係」における「エロス的な愛」を大前提にしているように思われるかもしれません。しかし、このシリーズの初回に示したこの映画の「タイトル」の意味を想い出してください。次のように述べていました――。

 ――『愛と青春の旅だち』の原題は『An Officer and a Gentleman』ですね。この「原題」には、“祈り”のようなものが込められているような気がします。それは最後にお話しするのがよいのかも知れません。(…中略…)(意味は)士官(軍人)であるとともに、紳士たれ』というところでしょうか――。
 
 結論的にいえば、この映画が伝えようとした“祈り”とは、“男女だけ”のものではない“家族愛”さらには“人間愛”といったものではないでしょうか。ザックとポーラ、シドとリネットという恋人同士はもとより、ザックと「父バイロン」、ザックと「自殺した母」という関係。そして、ザックとシド、ポーラとリネットという同姓同士の友情から生まれた愛。
 
 さらには、ポーラがそうであったように「父と娘」といったようなもの。無論、ザックとフォーリー軍曹との「父と息子」に似た「師弟愛」といったものもあるのでしょう。
 
 ことに、ザックとフォーリー軍曹については、途中で何度もその重要性に触れてきました。個人的には、ザックに対するフォーリー軍曹の“愛”のようなものを強く感じます。映画つまり物語の中ではひとことも触れられてはいませんが、ひょっとしたらフォーリー軍曹は、実の息子と疎遠になっているか、早い段階で亡くした……といったところでしょうか。そういう雰囲気すらにじみ出ています。
 
 
 もちろん、私の勝手な想像にすぎないのですが、現実にこのようなキャラクターが存在するとした場合、単なる“フィクション”や“ひと事”では片づけられない深い“人間観”、そして“人間(=家族)関係”が絡んでいるような気がしてなりません。
 それほど、役柄の設定に深みを感じるのです。脚本の勝利といえるでしょう。
 
 
 【33】 新たなる「訓練生入校」の季節

 ……ザックが、トライアンフ・ボンネビルに乗って基地内を走っている。

 「卒業式」に関する一連の行事や挨拶回りを終えたのでしょうか。基地を去ろうとしています。その彼がやってきたのは、「次期新入訓練生」の「入校整列」の場です。

 青年それぞれが、思い思いの服装に伸ばしっぱなしの髪や髭をしていますね。ザックやシドやデラ・セラやペリマンの入校時もそうでした。

 この新入生に対して、教官のフォーリー軍曹は「同じようなこと」を言っています。ある新入生の出身地を尋ね、彼が『アリゾナ』と答えると、すかさずシドの時と同じように、

 ――たった2つだけアリゾナの名物ってやつがある。 Steers and Queers. おまえはどっちだ。角がないようだからゲイの方だな。

  「Steers and Queers.」は、もうおわかりですね。本シリーズの4回目に出てきました。「Steers」(去勢牛)と「queers」(ゲイ)であり、両者の「脚韻」が、フォーリー軍曹の台詞回しをリズミカルに、また歯切れよくしていましたね。 

 トライアンフ・ボンネビルにまたがったまま「入校整列」の様子を見ているザックの表情に注目してください。フォーリー軍曹の「言葉の洗礼」を受けている新入訓練生の姿に、入校時の自分とシドを想い浮かべているかのようですね。

 映画的には、「訓練生」から「士官パイロット」として旅立とうとしている者と、これから「訓練生」として旅立とうとしている者との対比を示しているのでしょう。

 

 【34】 ポーラのもとへ

 ……ポーラが勤める製紙工場内を進み行くザック。海軍航空隊の制服に身を包み、“堂々”とまた“吹っ切れたとでもいうべき爽やかな”表情で工場内を進んで行く。制服が一段と映え、その足取りは自信と未来に溢れている。ザックが進むほどに工員たちが気付き、好奇と好意の眼差しでその後ろ姿を追っている。

 ポーラのところに行こうとしているようです。しかし……、ポーラは「訓練生」時代の“単なる遊び相手”ではなかったのでしょうか。本意ではないにしても、ポーラも“仕方なく”そのことを受け入れていたはずです。なのに……。

 それなのに、なぜ彼ザックはポーラを「迎え」に行ったのでしょうか。もうおわかりでしょう。

 ザックは「シドの死」によって、気付かされたということでしょう。こと女性に関しては、ザックとは対極的な“純愛路線”的な考えを持っていたシド。その大の親友(シド)が叶わなかった「愛する女性との結婚」を選ぼうとしているザック。どうやらザックの選択は、親友に対する「レクイエム(鎮魂歌)」的な意味合いがあるのかもしれません。

 『シド。見てるか。俺はポーラと結婚するぞ。そのために彼女を迎えに来た。よく見届けてくれよ。』

 そう呼びかけているかのようです。それにしてもラストの「お姫様抱っこ」とは、いかにも時代を感じさせますね。

       ☆

 このたび何とか「最終回」を迎えることができました。読者のみなさんには、大変なご心配並びにご迷惑をおかけいたしました。そのことのお詫びと各位からの励まし等のメッセージに対するお礼の言葉を、本「シリーズ完結」のご挨拶とさせていただきます。(

 

 ★本稿一部の修正★ 2018年4月20日の「20代の新卒」さんのご指摘により、主人公「ザック(リチャード・ギア)」が乗っていたバイクは、当初稿の「ハーレー・ダビットソン」ではなく「トライアンフ ボンネビル T140 (Triumph Bonneville T140 )でした。その根拠として、wikipediaの以下の記事を参考にしました。

 ◆Triumph Bonneville T140 クリック

 ずっと下にスクロールしてください。Мediaの初めに関係の記事が出てきます。google翻訳などをご利用ください。

 以上お詫びと訂正かたがた、「20代の新卒」さんにあらためお礼申し上げます。花雅美秀理拝(2018.4.28記)

 

        ★   ★   ★

  ――あ~、やっと終わったのね……。この「シリーズ」ほんとに長かったこと……。7か月もかかったのね。「1か月」とか「ほぼ2か月」という「とっても長いお休み」があるんですもの。心配なんてもんじゃないわ。

 “次はどんな展開に……”って思っていたら、まったく更新の気配がなく、内容の展開よりも、“次の原稿アップはいつ?”ってことが気になって……。最後は、“無事に完結するのかしら?”って気が気じゃなかったのよ。ほんとに人騒がせな人。

 “風の便り”では、歳相応の方に特有の「何とか障害」ではないかって……。「男性」もかかるものなのね、この手のものは。 

 ……これからは今回のようなことがないようにお願いしたいわ。そこであたくしから「提案」させていただきたいの。今回は『映画を読み解く』だったでしょ。だから次回は、『時間を読み解く』というのはどう? 

 ……ついでに、もうひとつよろしいかしら? その原稿、できれば「シリーズ物」ではなく、一回読み切りの「単発」ということで……。ぜひお願い。……ねえ? 聞いてる? あれ? 寝ちゃったの?

 


・『愛と青春の旅だち』-15/シドの死

2012年09月05日 01時31分00秒 | ◆映画を読み解く

 

 【30】 シドの死が意味するもの

 ……浜辺のモーテルにやってり来たザックとポーラ。「シド」と呼びかけながら、部屋の中を進み行くザック。予測されるとはいえ、ゆっくりと室内を映すカメラワークに、不気味なものを感じます。

 シドが「サニタリー・ルーム」を開けた瞬間、ザックより先に、私達観客の眼に入るシドの変わり果てた姿

 「全裸での自殺」というのは、「dying message」なのかも。ザックは、降ろした死体を抱きしめながら―、

 ――バカヤロ。俺はお前の友達だぞ。なぜ相談してくれなかった。ひどいよ。別れも言わずに。

 そう言って、再び強くシドを抱き締めるのです。やっと「友と呼べる存在」を獲得できたと思ったザックの、無念の気持ちが表われています。

       ☆

 ……石ころだらけの荒れた海岸に立ち、海を見つめるザック。

 “友の死”をうまく整理しえないザックの精神状態が、雑然とした石ころだらけの海岸に象徴されています。映像としての作り込みがよく効いているシーンです。何気ないようですが、「正しく映画を読み込む」ためにも、見落としてはいけません。

 ザックに寄り添うように背後から近付いて行くポーラ。海を見ながら、呟くようなザックの言葉―、

 ――なぜ2度も。ママの時の繰り返しだ。

 ――ザック、やめて。2人を殺したのはあなたじゃないのよ。自分を責めないで。

 そう言って慰めようとするポーラ。そのポーラを、ザックは冷たく振り切るように、タクシー代を渡して独り立ち去ろうとします。「シド探し」のため、わざわざポーラの自宅に押し掛けて呼び出したというのに、何とも身勝手なザックです。

 こういうところに、“他人を容易に受け入れないザックの自己疎外感”が顕れており、そこから導き出される“歪んだ性格”がよく出ています。これはやはり、父親譲りなのでしょうか。

 だがポーラは、ザックの言葉を強く否定しようとします。

 ――やめてよ。私だって(あなたと)同じ気持ちよ。私にも責任があるわ。リネットを止めなかったわ。

 ポーラは、リネットがシドに“罠を仕掛ける”のを止めなかった“責任”を言っているのです。問題は、“なぜ止めなかった”かということでしょう。 

 おそらく、自分(ポーラ)と同じように「簡単に捨てられないための、女の最後の防御策(=妊娠)」という気持ちが、ポーラにもあったのかもしれません。

 それに対してザックは、怒りを吐き出すようにポーラに向かって言います。

 ――君は何も悩むことはないだろ。じきに次の学期だ。新人を狙えよ。

 他の男に乗り換えろと言わんばかりです。「ポーラを一時的な遊びの対象」としか考えていない“ザックらしい言い回し”です。

 ――ひどいわ。私がどんな嘘をついた? 見損なわないで。……愛しているわ。初めて会った時から愛してるのよ。わかってるの?

 ポーラはそう言いながら、ザックの両頬に両手で触れるのです。しかし、その手を迷惑そうに払いながら、ザックは―、

 ――愛なんかいらない。もう誰もいらない。

      

 このセリフほど、この時点までのザックという人間を特徴づけた言葉はないでしょう。自分や母親を省みることのなかった父バイロン。自堕落な生活に溺れたその(父親)に絶望して、一人死へと旅立った。ザック(自分)にひとことも告げることなく、まるで置き去りにするかのような母親の自殺でした。

 その後、「娼館」での父親と娼婦二人との生活。そのような生活が、どれだけザックの“恋愛観”や“女性観”を歪めたことでしょう。おおよその察しはつくと思います。ことに、「女性を遊びの対象」としか考えないDNAは、完全に引き継がれたようです。

 

 【31】 ザックとフォーリー教官(軍曹)の決闘

  ……フォーリー教官(軍曹)とともに行進してくる同期生たち。そこへTBを乗りつけてやってくるザック。シドが自ら「DOR(自主退学)」を申し出たとはいえ、それを簡単に受け付けて処理したフォーリー教官に対する反感が、ザックにはあるようです。しかもそれが、結果として“死”を招いたわけですから。

 “挑発的な態度”でシドの死に対する哀しみと怒りをフォーリー教官にぶつけようとするザック。その言動は、“半ば自棄(やけ)になった不安定な心情”を露呈しています。とても上官に対するものとは思えない、無礼で乱暴なものです。

 ザックだからこそ、フォーリー教官もその態度を黙認したのでしょう。ザック以外の訓練生であれば、ただちにそれなりの処分を考えたかもしれません。

 フォーリー教官との個別面談を求め、激しく言い寄るザック。それを巧みにいなし、かわそうとするフォーリー教官。

 結果として、二人は「空手」で“決着?!”をつけることとなり、ザックはフォーリー教官に敗れるのですが。

 ではいったい、この“決闘”は、どのような意味を持っているのでしょうか。そしてそれ以前に、最後の最後の段階で「DOR」をしようとしたザックの真意はなんだったのでしょうか。

 あのフォーリー教官とのマンツーマンによる「しごき」を想い出してください。もうそれは「虐(いじ)め」と言ってよいほどのものでした。そうであっても、絶対に「DOR」の申告をしませんでしたね。その彼が、なぜ簡単にDORをするなどと言ったのでしょうか。

 最後の最後に来て、何とも謎めいた展開となったものです。はてさて……。(続く

       ★   ★   ★

 ※次回が、本シリーズの「最終回」です。 

 


・『愛と青春の旅だち』-14/クライマックス

2012年08月26日 20時07分46秒 | ◆映画を読み解く

 

 【28】クライマックスへの展開

 (A)……「トライアンフ・ボンネビル」に乗って、ポーラの家へやってくるザック。表に居たポーラの母親にポーラを呼び出してもらう。

 DOR(自主退学)したシドが行方不明となり、心配していることをポーラに告げるザック。その言葉に、意を決したような表情のポーラ。二人はシドが泊まっている思われる海沿いの「モーテル」へと向かう。 

 (B)……シドが、「モーテル」でチェックインの手続きをしている。記帳し終えた後、シドはフロントマンの眼の前で、リネットから突き返された「婚約指輪」を腹中に呑み込んで見せ、自嘲気味に笑う。

 (C)……リネットの家。苛立った様子で流し台の前に立って居るリネット。流し台の前の窓から、「トライアンフ・ボンネビル」に二人乗りしたザックとポーラがやって来る姿が見える。

 言うまでもなく、リネットは今しがたシドのプロポーズを断ったばかりです。ザックとポーラの姿を窓越しに確認したあと、リネットは食卓テーブルの椅子に座って、タバコに火をつけます。

 二人を待ち受ける彼女の表情には“きつい”ものが感じられます。TBに乗ったザックとポーラの姿が、道路側に面したいくつもの窓から見えています。

      ☆

 以上の(A)(B)(C)は、この映画の中でもっともテンポが速いシーンの連続です。もうお判りのように、「この3シーン」は、時間的には「同時進行」しているのです。

 すなわち、(A)シドを探しているザックとポーラ。その親友ザックにも告げずに、(B)の宿泊申し込みをしているシド。「指輪」を呑み込んだということは、それなりの覚悟の行為でしょう。この間にも、ザックとポーラはシドを探しているのです。

 ザックは、自分に何も告げずに去って行ったシドを思うとき、居たたまれないのでしょう。ザックの脳裏には、「リネットの妊娠(?)」のことで、シドにきつい言い方をした基地食堂での光景が甦っているのかもしれません。

 

 【29】ザックとポーラとリネットと

 ザックとポーラが、リネットの家に到着します。ザックがリネットに尋ねます。

 ――シドは?

 ――帰ったわ。信じられる? 12週でDOR(自主退学)……。考えられない。

 ――リネット。赤ん坊の話は?

 ――間違いだったの。今日判ったのよ(つまりは妊娠していないことが判明したという意味)。馬鹿な男。まだ私と結婚する気なのよ。

 ――それで?

 ――もちろん断ったわ。あんなオクラホマの田舎者と誰が結婚など。

 ――ひどい女だ。人の心をもてあそんで。彼は愛してた。それがどうだ。妊娠の話もデッチあげだろ。

 ――ウソじゃないわ。そんなウソをつくと思うの?

 と言ってポーラに同意を求めるリネット。

 だがポーラは、そんなリネットの視線を外して黙っています。

 ――何て女だ。

 そう言い残してリネットから去って行くザック。彼の後を追うように出て行こうとするポーラも言います。

 ――ひどいわ。 

 ――あんた(ポーラ)だって同じよ。

 ――違うわ。

 そう、きっぱりと言い返すポーラ。

 ――同じよ。

 とむきになって言い放つリネット。

        ☆

 以上(A)(B)(C)における4人の「交接」は、物語の展開からみて最大のクライマックスといえるでしょう。と同時に、「物語」が大きな転換を見せる前兆でもあるのです。

 思えば、「ザック」と「シド」、そして「ポーラ」と「リネット」という4人の若い男女が初めて出会った空軍基地。その後の基地内での「週末パーティー」。そこでの4人の正式な「出会い」とその夜の「初デート」。そして、男女として結ばれたシドとリネット……。青年たちの恋は、ここから始まったのでした。

 想い出してください。「基地内での初めてのパーティ」を。あのとき、シドが眼の前のポーラではなく、斜め前に立っているリネットの手を取ってダンスに誘ったときのことを(※本シリーズ6回:「【10】基地内パーティと初デート」を参照ください)。

 この瞬間、「シド」と「リネット」という男女二人の「組合せ」が、そして同時に、「ザック」と「ポーラ」という二人の「組合せ」も、自動的に決定したのです。

        ☆   ☆   ☆

 さて、(B)においてシドが“婚約指輪を飲み込んだ行為”は、大変重要な意味を持っています。『これまでのリネットとの関わりを完全に消し去りたいとする気持の表れ』とみる意見もあります。確かにそういうニュアンスがあるのかもしれません。

 しかし、筆者にはその逆のような気がします。つまり、シドは『リネットを消し去ろうとした』のではなく、その反対に『全身全霊でリネットを受け止め、その証として体内に婚約指輪という痕跡を残そうとしていた』のではないでしょうか。

 つまりは、それだけ真剣にリネットを愛していたということでしょう。かといって、その“愛”が崩れたというだけで、シドが“死”を選んだと決め付けるのは早計でしょう。事はそう単純ではなさそうです。

       ☆

 オクラホマの田舎の青年。祖父も父も、そして兄も軍人という一家で生まれ育った純朴な士官候補生であったシド。否応無く軍人になることを期待されていたのです。

 その上、兄の恋人だった女性との結婚を両親に望まれているシド。スーザンというその女性は、教会で身障者の奉仕活動をしています。

 妊娠を「罠」に、「パイロット」との結婚にこだわろうとするリネットとは、何と大きな違いでしょうか。

 それでもシドは決断したのです。「パイロット」の道を捨て、リネットとの結婚を機に以前のデパート勤務に戻ろうと。そしてしばらくの間は、経済的な理由により両親との同居まで考慮していたシド

       ☆

 一方、恋の手管に長け、パイロットとの結婚に憧れ続けていたリネット。妊娠という“罠”を使うことなど何の痛痒も感じない女性です。 

  その二人がうまくいくことなど、初めから無理があったのかもしれません。(続く