『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・“役者の肉声”は“音楽”/西南学院大学演劇『decoretto』―下:2(最終回)

2014年04月28日 00時02分25秒 | ●演劇鑑賞

 

   ◇“役者5人”の“アンサンブル”と“ハーモニー”

   今回の舞台について、筆者があらためて教えられたことがあります。それは “役者の肉声” の素晴らしさです。そして、その “素晴らしさ” は、「効果音」や「BGM」との適切なコラボによって倍加されるということです。

   この「効果音」や「BGM」のポイントは、「音量」(ボリューム)と「タイミング」でしょう。それらの秀逸な「プラン」(アイディア)や「オペレーション」(操作技術)は、「台詞」を通して発せられた “役者の肉声” を余情豊かに伝えるとともに、“無音” すなわち「台詞」も「効果音」も「BGM」も入らない “silence(静寂)” を、いっそう “魅力的な (ま)” とするものです。そして、その “魅力的な間(ま)” は、次の「台詞」や「効果音」そして「BGM」を、さらに魅力的にしています。

   「舞台」進行中は、いかなる “一瞬” であれ、それは「芝居(物語)の一部」です。「観客」は、いつ「場面」が転換するのか、また “どのような形” で「台詞」や「効果音」や「BGM」が入るのか、一切知りません。舞台の “一瞬一瞬” に “眼に映り耳に聞こえるもの” を “そのときの総て” として受け取るだけです。

   たとえそれが、「舞台裏の物の落下音」であっても、自分の耳に “聞こえる” 以上、「観客」は無意識のうちにその意味を探ろうとするでしょう。細心の注意が要求される所以です。

   つまり、観客の耳に入るものは、総て「SOUND)」です。そして、それら「SOUNDの究極こそ役者の肉声” と言えるでしょう。その意味において、今回の「効果音」や「BGM」の「プラン」や「オペレーション」は、“役者の肉声” をよく活かすものでした。余分な「効果音」も「BGM」もなく、また「音量」の抑制がよく効いていたからです。そのため、今でも筆者の耳の奥に、「5人の役者の声」が鮮明に残っています。

  能書きが長くなりましたが、以上のことを念頭に個々の “役者の声” に触れてみましょう。

       ☆

  〈少女デコ〉役の「平川明日香」嬢――。声質が特に乙女チックということはないのでしょうが、巧みな “発声” と “台詞回し” でした。可愛らしさの中にも、観客の心を掴む力強い訴求力を秘めていました。それは、「頭のてっぺんから足のつま先までデコ」になりきった” 完璧主義の所産でもあるのでしょうが、しかし、“余情豊かでリズミカルな演技” が伴っていたからこそのものでしょう。ついでに言えば、手や指先の小さな仕草にいたるまで、丁寧な演出そして演技がなされていたと思います。  

            ☆

   〈主人〉と〈医師・浜口〉役の「小松泰輝」氏――。舞台開始当初は、緊張気味のような感じがしたのですが、〈浜口〉役に入った頃には、何とか自分のペースを掴んだのではないでしょうか。それでも、実力を発揮しきっていないような “もどかしさ” が感じられました。筆者の思い違いであればよいのですが……。もうしばらく見守ってみたいと思います。   

        ☆

   〈看護婦・ヒサエ〉役の「宮地桃子」嬢――。19歳でありながら、練達した「台詞回し」と「演技」。どことなくデカダンの雰囲気が漂う “をんな” の表情に、“凄み” ある「台詞内容」。 “伸びのある肉声” とあいまって、その存在感は半端ではありません。それでいながら、“女性としての艶や危うさ” のようなものも充分醸し出していました。これまでの舞台では演じなかった役柄を是非見たいものです。

       ☆

   〈入院患者・シムラ〉役の「秀島雅也」氏――。その “野太い低音の肉声” は魅力的な響きと味わいがありました。看護婦〈ヒサエ〉との絡みの演技は秀逸でしたが、それを支えたのも “コミカルな自然体” であり、観客を引き付けて離さない卓越した台詞回しや演技でしょう。それに加え、やはり “男の色気を秘めた声の野太さ” でしょうか。ひょっとしたら今回の〈シムラ〉役は、“うってつけ”の役柄かもしれません。そんな気がします。 ともあれ、役者向きの声の持ち主のようです。本格的な「ナレーション」などにも、魅力を発揮する人かもしれません。 

           ☆  

   〈オケラ〉役の「吉田瞭太」氏――。オーソドックスな成年男子の声とでも言うのでしょうか。清潔感のある穏やかで聞きやすい声でした。氏は『Under the Rose』の主役を務めたわけですが、今回の役については、『今までにない役に挑戦したので、戸惑うことが多かったのですが……』と、その “とまどい” を素直に語っています。

 

   ◇ 部全体としての“覚悟”の“維新”

   「演出」担当の「眞鍋練平」氏は、今回の「公演」にあたって全員で「スローガン」を掲げたことを「稽古場日記」で述べています。その内容は、『自律・団結・維新』であり、“自己を律し、メンバー全員で団結し、新しい演劇として維新を皆様に伝えたい” というものでした。

   氏は続けて、『皆を繋げて一つの目標に導くという役目はとても大変でしたが、何度も挫けそうになる中でこの「decoretto」のキャラクター達に、また部員一人一人の中で生まれる「decoretto」に助けられて、ここまで来ることが出来ました。』……と。

   これこそ、筆者が繰り返し唱える “覚悟” というものでしょう。もちろん、その “覚悟” は確実に「舞台」に表現されていました。

      ☆

   最後に、今回の「舞台」で気づいたことを――。「一つ」は、〈母さん〉の「惨事」とそれに続く「火事」の場面の「照明」と「効果・音響」について……。「刺殺」と「出火」という異なった2つの “事件の推移” を明確に示すための「照明」方法があったのでは。また、「炎上を表現する効果音」も何か方法が……。

  無論、「照明」や「効果・音響」のスタッフは、百も承知であったのかもしれません。つまりは、「通常の火事場」を描くような “ありきたりの手法” を避けようとして……。そうであることを信じたいと思います。

  「二つ」は、〈少女〉と〈モグラ〉とが、モグラのトンネルを抜けて行く場面について――。〈オケラ〉を含めた三者を象徴的に表現する“時空”として、今一つ「照明」と「効果・音響」両面での工夫が……と想いました。 

      ☆   ☆   ☆

   『この「decoretto」が全員で踏み出す一歩になれたら、そしてその一歩が皆様に伝える事が出来たらいいなと思います。』

  ……眞鍋氏の “言葉” です。「観客」に充分伝わったことは確かです。と同時に、今回の「舞台公演」が、「同部」として、また「個々の部員」としての成長の一歩となったことでしょう。同部のこれからの “維新” と、その維新が創り出す「舞台」を心待ちにしています。(了)

 


・“才能”開花の予兆/九州大学の新入生歓迎公演

2014年04月24日 00時00分27秒 | ●演劇鑑賞

 

  昨晩、テレビで『舟を編む』を観ました。どうしても観たいと思っていた矢先、偶然、放映があることを知りました。今やほとんど「テレビドラマ」を観ることのない筆者にとって、優れた映画のテレビ放映はありがたいかぎりです。それにしても、想像以上に優れた映画でした。

 

 ◇2本の創作脚本

   22日夕、本ブログ「ブックマーク」レギュラーのセラビー氏とともに、「九州大学演劇部」の「新入生歓迎公演」を観に行きました。前日に同氏より強い誘いがあったものですが、氏との演劇鑑賞は今回で確か5回目でしょうか。いずれも九州大学の公演です。なおセラビー氏は『アドリブログ』の管理人として、「JAZZ&FUSION」を綴っています。

  さて今回は2作品。公演時間は両者ともに50分前後であり、『鷹の羽根には綾がある』及び『真桜(まことざくら)』でした。「2作」とも同大演劇部員の「脚本・演出」です。

         ☆   ☆   ☆

  作品[]は、『鷹の羽根には綾がある』(脚本・演出:木下智之氏)――。ペットボトル入り「飲料」という何でもない「アイテム」から、一つの芝居を創り上げたのは巧みであり、よくもここまで「物語」を膨らませることができるものだと感心しました。構想、ストーリーともに面白いと思います。役者は4人ですが、男2人、女1人の計3人が中心でした。

   素早い「場面」転換のため、緊迫感と緊張感が適度に保たれ、ストーリーの展開も軽快でリズミカルでした。走行車中という状況設定も、物語の進行に小気味良いスピード感をもたらしたようです。「役者」たちの台詞回しや動作も軽快であり、観客を退屈させない演出は高く評価されるでしょう。

   ただ残念なことは、《言わんとすることが今一つ伝わりにくかった》かもしれません。いわゆる「現代演劇」風のこうした作品は、少なくとも「90分」は欲しいものです。今後に期待したいと思います。

             ☆

   作品[]の『真桜』(脚本・演出:兼本峻平氏)は、いわば “演劇入門者用” ともいえる大変判りやすい舞台でした。テーマも “男女の永遠の愛” を扱い、しかもその男女が「前世」と「現世」を通じて愛し合い……、“伝説の桜の樹” が二人の愛の誓いを見つめるという……。誰にも受け入れられる物語でした。

   今回の公演が、新入生に対する入部促進のためであることを考慮するとき、この『真桜』は、「歓迎のプレゼンテーション」になったのではないでしょうか。一人でも多くの演劇部員の “入部” を、セラビ―氏とともに心から祈っています。

       

    ◇出演者全員が『蒲田行進曲』の役者

  ところで、今回の2作品に出演した役者は男優4人、女優3人の計7人。全員が『蒲田行進曲』の出演メンバーということを知って驚き、またいっそう興味深いものでした。

   『蒲田…』において主役の〈銀四郎〉を演じた「兼本峻平」氏([作品Bの脚本・演出])。ヒロイン〈小夏〉役の「若藤礼子」嬢。それに〈若山〉役で、今回[作品A]の脚本・演出を手掛けた木下智之氏。……については、そのとき触れていたと思います。

  〈新撰組を撮るための監督〉役の「石川悠眞」氏は、今回『真桜』において主役の〈優次〉役を演じました。今後の舞台に注目したいと思います。ここでは他の3人について述べてみましょう。

        ☆

  「小林佑」氏と「長野真結」嬢は、A・B両作品に出演しています。『蒲田…』ではいずれも〈大部屋の役者〉を演じたわけですが、〈猫助〉役の長野嬢の長い髪と小柄な身体つきが印象的でした。今回の[作品A]での〈緑〉役は、〈猫助〉役同様、“素顔” に近い自然体の演技であったような気がします。

   その意味では、[作品B]の「時代劇」感覚の〈サヨ〉役は、役者としての力量をはかるよい機会かもしれません。だが残念ながら、その真の技量をはかるには出演時間が短かったようです。次の「舞台」を待ちたいと思います。

  小林氏は『蒲田…』での〈岩崎〉役を演じたわけですが、新撰組の襲撃を告げる役だったように思います。今回の[作品A]の氏の好演が印象的でした。やはり役者の数が少ないことと、各役者の演じる時間が長いため、その能力が発揮されやすかったのでしょう。今後の活動に期待したいと思います。

   『蒲田…』では〈女性刑事〉役の「谷口陽菜実」嬢。同舞台ではあまり目立たない役でしたが、今回の『真桜』ではヒロインを演じました。“目ぢから” を感じさせる大きな瞳であるだけに、物を見たり、相手役を見つめる表情に、役者としての力量を感じました。素敵な視線です。あとは心の動きをどう演技に、そしてその視線に活かしていくかということでしょう。次回を楽しみにしています。

        ☆

  なお今回の「公演案内のチラシ」と「プログラム」は、とてもよくできていました。ともあれ、今回の「キャスト」及び「スタッフ」の今後に期待したいと思います。現在の部員が、新入部員とともに創り上げる「近い将来の公演」を楽しみにしています。彼らのポテンシャリティが、これからの精進によって大きく開花することを祈りながら……。(了)  

 


・役者5人の絶妙な活かし合い/西南学院大学演劇『decoretto』―下:1

2014年04月20日 00時08分42秒 | ●演劇鑑賞

 

  ◇“をんな”と“聖母”性を演じ分けた驚愕の“19歳”

   では残りの「キャスティング」をみていきましょう。

   まず、〈看護婦 ヒサエ〉と〈母さん〉2役の「宮地桃子」嬢――。この〈2つの役〉は “真逆” であり、大いに興味をそそられる「配役」そして「役者(女優)」でした。

   前者ヒサエ〉は、“サド” 気の雰囲気を持った “コケティッシュ” な〈看護婦〉。自由奔放な “をんな” の “生々しさ” を振りまきながら、男(医者)を腰掛代わりに尻に敷き、歯切れ良く捲(まく)し立てる――。これも “圧巻” でした。”サディスティックな啖呵口調” が壺にはまっており、それでいながら潔さと心地よさを感じさせる不思議な色気。〈主役〉の「平川」嬢同様、役者の “豊かな感性とクリエイティブなイマジネーション” というものでしょう。それに “眼の覚めるような勢い” と “リアリティ” が加わったようです。

   〈シムラ〉役の「秀島雅也」氏との “絡み” においても、〈ヒサエ〉は見事にそのキャラを発揮しており、この〈ヒサエ〉と〈シムラ〉の “くだり” において、筆者は何度も “抱腹絶倒” に襲われていたのです。久しぶりに声を出し、腹を抱えて笑っていました。

   一方、後者の〈母さん〉は、文字通り “貞潔な母性” を感じさせる慈愛に満ちた「母親」的存在。少年と少女を守り抜くためには、自らの生命をも厭わない自己犠牲的な愛の持ち主。〈女の子〉役(平川明日香嬢)と〈少年〉役(小松泰輝氏)を守り通そうとする姿には、聖母的な神々しさが感じられたほどです。事実、その後二人を守るために命を落とすわけですが、舞台上の姿は、〈ヒサエ〉役と同じ役者とは思えないほどでした。

   それにしても筆者が驚いたのは、宮地嬢が十代つまりは “19歳” の乙女であるということです。この年齢で “コケティッシュなをんな” と “聖母的な慈愛に満ちた母親” をきちんと演じ分けたことは驚愕であり、衝撃でした。彼女も平川嬢同様、今回の舞台に賭ける熱い想いは、生半可ではありません。次のように言い切っています――、

   『さあ意気込みますよ!……みんなみーんな、デコレットの世界へと引きずりこませていただきます。』

   そして言葉どおり、観客を見事に “decorettoの世界” すなわち “ヒサエと母さんの世界へ”と引き摺りこんだのです。  

           

  ◇久しぶりの抱腹絶倒

   4人目は、入院患者の〈シムラ〉に、〈テッシー〉と〈モグラ〉(土竜)の3役を演じた「秀島雅也」氏――。〈ヒサエ〉のところでも述べたように、筆者の “抱腹絶倒” の “源” でした。サディスティックでコケティッシュな〈ヒサエ〉役は、この〈シムラ〉の存在によって盤石なものとなり、両者の “際どい絡み” が、それぞれのキャラクターをより引き立たせたのです。

   この〈シムラ〉に漂う “性的プレイの嗜好” は、“decorettoの世界” が、一方的にメルヘンチックな時空へと堕していくことを防いでもいるかのようにも見えました。それはいわば、「無理なく自然に流れていく現実という世界」が、自分にとって正常でも順調でもないとすれば、人は “性的倒錯の世界” に逃げ込むとでも言うかのように。

   あるいは、「現実」の「世界は人間なしに始まったが、人間なしに終わる」というミシェル・フーコー的「現実の世界(テーゼ)」に対する「夢の世界(アンチテーゼ)」ということでしょうか。少なくとも「」は、「人間なしには始まりも終わりもない」わけですから……。真意はともあれ、そういう “想念” の入り込む余地を感じさせる世界であり、〈シムラ〉の存在でした。

   しかし、〈少女デコ〉も〈本屋の主人〉も、〈テッシー〉も〈ヒッキー〉も、そして〈モグラ〉も〈オケラ〉も “そこまでの世界” は望まなかったようです。

       ☆

   最後は、〈オケラ〉と〈ヒッキー〉役の「吉田瞭太」氏。5人の中では一番地味な役回りですが、〈オケラ〉役は好演でした。5人の役者の中ではもっとも出演機会が少ないわけですが、「学生演劇」というカテゴリーにおける「学生らしい役者」ということが言えると思います。

   筆者が観た今回の前の公演は『Under the Rose』ですが、氏はこの舞台で「主役」を演じていました。安定した確実な演技の持ち主であり、安心して観ていられる役者です。

       ☆  

   ともあれ、今回の「役者5人」の「キャスチング」が優れていることは、それぞれの「役者」の「能力」が “優れている” こともさることながら、5人の “組合せの妙” にそのすべてがあるような気がします。(続く)

 ※次回が「最終回」です。 

 

 


・的確なキャスティングによる役者・演技/西南学院大学演劇『decoretto』-中

2014年04月17日 00時01分13秒 | ●演劇鑑賞

 

  ◇トータル・カラーコーディネートによる “劇空間・時間表現”の魅力

  では前回述べた「優れた4点」のうち、まず(1)(2)について詳しく見てみましょう。

   [A]  何はともあれ、優れた「トータル・カラーコーディネート」でした。当日渡された「パステルカラー」調の「プログラム」と「案内チラシ」に惹かれました。

   A4変型判2つ折りの「プログラム」は、基調色を「臙脂(えんじ)色」(?!)とし、他を同色系に近いものでまとめていました。「劇名ロゴ」や記述文字の一切をアクセント的な「黒」にするなど、なかなか洒落(しゃれ)たものです。「プログラム」に、トリミングした役者5人(上半身)を紹介しながら、さりげなく「衣装」等の「トータル・カラーコーディネート」を瞥見(べっけん)させたのは巧みです。

  A4判の「チラシ」は、「パステルカラー」を多彩に使ったデザイン。その “優しく穏やかな色調” は、「カタログ」とともに “『decoretto』の世界” すなわち “時空を超えて縦横に行き来する独自の世界” を象徴していたようです。それが意味するものは――、

   「現実」と「夢」……「現在」と「過去」……、そして「真実の空間」と「想像の空間」……という “対極” でした。

   無論、今回の「トータル・カラーコーディネート」は、以上に留まりません。「舞台美術」(舞台背景・大道具)をはじめ、「小道具」、そして「衣裳・小物」等にいたるまで配慮されていました。圧巻は、主役の〈少女デコ〉の衣装、ヘアスタイル、帽子、ショルダーバック、そしてシューズでしょう。現実離れしたメルヘンチックな世界でありながらも、シリアスなリアルティを醸し出したのは、主役の風貌や声、演技や台詞だけでなく、その衣装やお下げ髪をはじめとする全身のビジュアルによるものです。実に巧みな人物創造でした。

   ともあれ、「トータル・カラーコーディネート」された「空間芸術」に、“抑制” された「時間芸術」としての「音響・効果」が加わり、今回の「演劇」全体が非常に “バランス” のとれたものとなっていました。そのため、「役者」とその「台詞・演技」をとても自然に受け入れることができたと思います。“ビジュアル” (視覚効果) の偉大さをあらためて感じたものです。

      

  ◇圧巻の主役・少女役の心意気

    [B]   次に(3)の「キャスティング」ですが、とにかく大変よく考えられていました。そのため、役者俳優5人の個性が発揮されたのは必然です。各人の「役回り」が丁寧に描かれ、誇張に走らず自然体であり、5人それぞれの “豊かな感性” がうまく引き出されていたようです。役者自身に “豊かな感性” がない限り、観客自身にどんなに “豊かな感性” があっても、観客は「その役者」の演技や台詞を受け留めることなどできないでしょう。

   まず「主役」の〈少女デコ〉役の「平川明日香」嬢(他に〈寝たきりの少女〉と〈女の子〉役)――。衣装やヘアメイク、それに帽子やバッグが的確だったとはいえ、その自然で緻密な “役作り” に大変感心しました。〈少女デコ〉の全身と繰り拡げる言動が、「舞台」を所狭しと駆け抜け、「観客の心」の中に溶け込んでいました。そのため、観客はごく自然に、心地よく「活き活きとした物語の世界」へと導かれて行ったのです。このことは、今回の「舞台」の成功を導いた最大のポイントと言えるでしょう。

   とにかく、細かな部分の仕草や台詞回しをとても丁寧に表現していたのが印象的であり、また感動的でした。“頭のてっぺんから足の爪先まで” という表現がありますが、まさにそれを実感することができました。“豊かな感性とクリエイティブなイマジネーション” の持主にして、はじめて可能な演技と言えます。

   平川嬢の〈少女デコ〉役の成功は、他の「2役」に加え、彼女自身が「助演」と「衣裳・メイク」を務めたこともその要因の一つでしょう。「助演」者と言う立場が、或る程度自分なりの「役作り」を可能にしたと思われます。その成果が見事に舞台上で表現されたわけですが、最大のポイントは、彼女自身が「稽古場日記」の中で次のように述べたことに尽きるような気がします。

   『……この役の無邪気さにつられてどんどん演じるのが楽しくなってくる日々でした。この役ができたこと、この物語に出会えたことに感謝。』

   われわれ観客は、平川嬢の “この想い” を、優れた演技や台詞回しとして受け留めることができたのです。

       ☆

   次に〈古書店主〉と〈寝たきり少女の主治医〉役の「小松泰輝」氏(他に〈少年〉役)――。この「役者」については、正直言って “地(素顔)” なのか “役作り” によるものなのかよく判りませんが、“掴みどころのない”ところが、他の「役者」の個性をいっそう引き出すとともに、相手役者と “対峙したシーン(絡みの場面)” をより劇的にしていたようです。言葉では表現することのできない不思議な役者であり、魅力でした。[続く]

 


・演劇部全体を貫く繊細な感性/西南学院大学演劇『decoretto』-上

2014年04月15日 00時12分24秒 | ●演劇鑑賞

 

  ◇「舞台演劇」の「時間・空間」の「総合芸術性」を再確認

   4月5日土曜日、「西南学院大学演劇部・新入生歓迎公演」の『decoretto』を観ました。同大演劇部全体の強い情熱と意気込みを感じさせる公演であり、何よりも非常に細かな部分まで丁寧な配慮がなされていたと思います。

   今回の公演は、筆者の12年半に及ぶ観劇体験の中でも、一、二を争う優れた舞台といえるでしょう。原稿を綴っている今も、「これはと想う場面」が何度も脳裡をよぎります。「役者の声」をはじめ、「全身の動き」や「仕草」は言うに及ばず、「指先」や「眼の表情」にいたるまで、その演出・演技の高い質を感じた舞台です。

   そこでまず「優れた4点」として、次の(1)(2)(3)(4)を挙げたいと思います。

 

(1) 「役者」をはじめ、舞台背景等の「舞台美術」、「小道具」、「衣裳」、「照明」、「音響効果」等にいたる「舞台演劇」の構成要素全体が、非常にバランスのとれたものであった。言いかえば、ある「特定の構成要素」だけが突出して “良い” とか “悪い” ということはなかった。

(2) 「舞台美術」から「小道具」「衣裳・小物」、そして「案内チラシ」や「当日プログラム」にいたるまで、「トータル・カラーコーディネート」が行き届いていた。

(3)キャスティング」が非常によく考えられていたため、「5人の役者それぞれの個性がとても活き活き” と描かれていた。

(4) 細心の注意による抑え目のBGM」が素晴らしいため、今でも役者個々の〈声〉が鮮明に残っている。「役者」の〈声〉がいかに魅力的なものであるかをあらためて教えられた。

       ☆

   以上「4点」を〈ひとこと〉でまとめると、次のようになるでしょう。

 「舞台演劇」が「総合芸術」であることを、高いレベルで再確認させてくれた。

       ☆

   「総合芸術」とは、本ブログの『 “美” を狩る憧憬』(※註1)でも採り上げたように、「文学・音楽」などの「時間芸術」と、「絵画・彫刻・工芸建築」などの「空間芸術」を総合したものです。

  一般的に 《舞台演劇》 は、「総合芸術」と言われるわけですが、細かく見て行けば、次のような構成であることが判ります。まず、舞台「演劇」における「役者の台詞」や「台詞の際に役者が発する声」、「効果音」や「BGM」などは、総て「時間芸術」です。一方、舞台「美術」つまり「大道具」や「小道具」、「衣装・化粧・ヘアメイク」そして「照明」などは「空間芸術」となります。つまりは、〈時間の経過〉に伴って変化していくものが〈時間芸術〉であり、〈時間の経過〉に左右されないものは〈空間芸術〉ということです。

   「今回の舞台」は、以上のことをあらためて再確認させてくれるとともに、それらのことを “感動を伴う形として表現する=創造する(クリエイト)” ためには、高いレベルの感性をベースとした “豊かな想像力(イマジネーション)” が不可欠であるということです。

   無論、それは「演出家」や「主役」の一人、二人の問題ではなく、当該「キャスト・スタッフ」全員、否「演劇部・演劇部員」全体というレベルにおいて初めて論じることができるでしょう。今回の公演は、そのことを改めて教えてくれるとともに、このことが」いかに重要であるかを再認識させてくれたのです。

           ☆   ☆   ☆

  それでは詳細を見て行くわけですが、(1)に関することを特に感じるようになったのは、実は今回が初めてではありません。実は、本ブログ――、

  ◆西南学院大学演劇部の総合力/学生演劇の課題:番外編1

   において――、

   “優れた総合力とチームワークによる舞台でした。なによりも「丁寧で緻密な舞台演出」であり、また「演技・演出」でした。

   と述べていました。さらに以下においても――、

  ◆芝居『Under the Rose』(西南大)/学生演劇の課題:番外編2

   1.キャスト、スタッフ全員に「自分たちにしかできない舞台を創り上げる」というひたむきさ強く熱く感じられた

   とも……。

  今回の「公演舞台」は、そこから一歩も二歩も前進した跡を感じることができます。そう想うとき、同大演劇部の昨年12月の『クロノス』と、今年2月の「卒業公演」を観逃したことを残念に思います。(続く)

 

  ◆『“美”を狩る憧憬』

 


・続・五七五の気象予報―伊藤みゆき

2014年04月11日 22時21分53秒 | ■人物小論

 

  今年1月17日に、本ブログでご紹介した「気象予報士」の「伊藤みゆき」さん――。

 「アメブログ」に「お引っ越し」の後、快調に原稿を綴っていらっしゃるご様子。今回改めてづいたことは、彼女はほぼ毎日綴っており、筆者のような〈 気まぐれのナマケモノ 〉は、ただただ驚嘆するばかりです。

  ところで、筆者は他人のブログを “意識的” に見ることは滅多にありません。普段見るのは、本ブログ「ブックノート」の『アドリブログ』(管理人:セラビ―氏)のみです。  

 それ以外は、週に1回程度でしょうか。それも「調べ物」をしているときに、たまたま「何かのブログ」に迷い込んだというものです。その意味において、「伊藤みゆきさんのブログ」は、例外中の例外ということになります。

 さて、この数日の「気象一句(五七五)」はと言うと――、

 

 4月7日――、

   寒気去り きょうから春が再加速!

  翌日8日――、

   みちのくの桜もニッコリ 「春日和」

  この「春日和」について伊藤さんは、

  『……春の穏やかな晴天をさす季語に「春日和」がありますが、まさにきょうはそんな日。次に咲きそうなのは長野か山形ですが、どちらも「もう少しかかりそう」とのことで、山形ではきょうあたりに「」が開花するかも…と教えていただきました。』

  「アンダーラインの部分」にご注目ください。〈 山形では梅 〉というのが面白いですね。つまりは、〈 ♪ さく~ら~は、まだかいなア~ ♪ 〉ということでしょう。

       ☆

  そして、筆者も実際に放送を聴いた一昨日9日は――、

   春日和 広くは今日で 一区切り

 

  伊藤さんは次のように綴っています。

   『……気象台の観測でも、桜のほかに、梅紅梅・杏・タンポポtanpopo☆☆・チューリップチューリップピンク・スイセンnarcissus.・フジ藤などなど、たくさんの花の種類が各地の気象台で観測されてます。…花まつりカラフルなお花♪です。』(文章・絵文字とも原文のまま。以下、同じ)

   〈広くは今日で、一区切り〉については――、

  『広い範囲で穏やかな晴れ晴れ…は今日でひと区切りです。特に、北陸・関東・東北の方々、ぜひ満喫しておきましょう↑

   つまりは、地域によっては「雨」や「寒さ」などによって、「春日和」が崩れるということを示唆しています。「満喫しておきましょう」というのが、〈みゆき流〉。

       ☆

  ところで、伊藤さんはNHKラジオの朝の番組『すっぴん』(アンカーは、藤井彩子アナウンサー)に出ています。「気象予報士」としてだけでなく、、「準レギュラー」的なメンバーのようです。

   一昨日の〈テーマ〉として、〈入学式・始業式の想い出〉について、アンカーの藤井アナウンサー、水曜日のパーソナリティー・津田大介氏、そして伊藤さんの三人で語り合っていました。

 津田氏は、埼玉の「仏教系女子校」出身の伊藤さんに興味を持ったようです。そこで彼は伊藤さんに対し、『……すっぴんインタビューで、1時間かけてじっくり伺いたい』とのリクエストのようでしたが……。

   B~ut! しか~し! 伊藤さんと藤井アナ2人の〈ず~っと元・女子高生〉に、“ 知らないほうが良いということもあると思いますよ。特に女性に幻想を抱いている方は…… ” と軽くいなされ、あえなく “撃沈(沈黙)”……。

       ☆

  その〈ず~っと元・女子高生〉の伊藤さんは、自身のブログの中で――、

   『……高3の時に増上寺に体験研修1泊合宿に行くんですが、合宿では1クラス全員が同じ部屋で寝られるので、もう大騒ぎDASH!お化け怪談や枕まくら投げなどでキャーキャーいうほど不謹慎極まりない状態でした汗

   筆者は、伊藤さんの「仏教系女子高」とは真逆の「キリスト教系男子高」でした。京都での修学旅行の夜――。誰かに向かって「投げられた枕」……正確には「投げつけられた枕」……いや、もっと正確に言えば、「破壊の意思を持って乱投された枕」が、見事に枕の中の「籾殻(もみがら)」を布団の上に撒き散らしたものです。不謹慎極まった瞬間でした……。

  「女子高バージョン」の「枕投げ」は、まさかそこまでは……。ともあれ、筆者、齢六十半ばにして、《 女子高生 》 も 〈枕投げ〉 をするということを生まれて初めて知りました。……う~ん……長生きはするもの……いやいや……いやはや……………。

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     ◆NHKラジオ『すっぴん』公式ブログ

   平成26年4月8日のブログをごらんください。

  ◆伊藤みゆきオフィシャル・ブログ

 


・2作同時上演/九州大学演劇部・新入生歓迎公演

2014年04月04日 01時14分58秒 | ○福岡の演劇案内

 

  今年の「九州大学伊都キャンパス」の「新入生歓迎公演」は、「2作品」の同時上演となっています。いずれも「作・演出」は、同大演劇部員の兼本俊平氏と木下智之氏。両氏は共に『蒲田行進曲』で熱演した役者です。

   兼本氏は大役の〈銀四郎〉を演じたわけですが、役者としての筋の良さが発揮されていたようです。木下氏は、〈若山〉という大物役者を演じました。〈銀四郎〉との対比の中で、これまた “癖のある嫌味な” キャラをよく演じていましたが、この役は深作欣二監督「映画」の〈橘〉(原田大二郎)に当たるのでしょう。〈銀四郎〉を際立たせるためにもカギとなる存在であり、「映画」では、〈ヤス〉の「階段落ち」を導く要因の一つでした。

        ☆

  先日、「西南学院大学」の「学食」についてお話しましたが、ここ九州大学伊都キャンパスの学食も充実しています。「学生用」食堂に加え、ちょっとしたレストラン感覚のお店もいくつかあります。“プチ・フォーマル感覚” のレストランや中華料理店感覚のお店など。いずれも価格がとてもリーズナブルでした。

   西南学院大学、九州大学、そして福岡大学もそうですが、「学食」の最大の魅力は、何と言っても「価格」でしょう。しかし、筆者がそれ以上のメリットと思うのは、「栄養のバランス」であり、「ヘルシー」であるということでしょうか。

   それにしても、筆者が大学時代の「学食の定食」など、「Aランチ:90円」と「Bランチ:80円」のたったの2種類しかなかったように記憶しています。水分を振り払った「千切りキャベツ君」に、芸術的薄さの「トマト君」。その横に申し訳なさそうに添えてあった「トンカツ君」が印象的でした。おそらく「ポーク君」の「シュシュシュ・ドロン後の姿」だったのでしょうが……。今振り返るとき、『薄さは美しさ』という、どこかのCMコピーが浮かんで来ました。

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  九州大学演劇部2014年度春季新歓公演

  ハルノユメ  2作同時上演!

●公演日時 

 421日(月) ●17:30〜「真桜」  ●18:40〜「鷹の羽根には綾がある」

    22日(火) ●17:30〜 「鷹の羽根には綾がある」  ●18:40〜 「真桜」

    ※「開場」は「開演」の各30分前です。片方のみの観劇も可能です。

●公演会場

   九州大学伊都キャンパス 学生支援施設大音楽室

●観劇料金   ・一般100円
          ・九州大学2014年度新入生 無料(要学生証提示)

  ◆九州大学演劇部公式ホームページ

 

 『真桜』

●作・演出/兼本峻平

 〈あらすじ〉

 「何かを信じることのできる人は、それができない人より強い。」
 共に過ごすうちに相手を信じられなくなった二人が、くだらないオカルトを通して信じる力を取り戻す。
 これはそんな、ほんのり甘く、不思議なおはなし。


 『鷹の羽根には綾がある』

●作・演出/木下智之

 〈あらすじ〉

 冷蔵庫の中のペットボトル、それは乾いた喉を潤す恵み。
 しかし待った、それは一体誰のものだ?
 男女5人が住むグループハウスで、深夜に突如始まった持ち主探し。
 巡り巡って、行き着く先は……?着地点不明のドタバタ追憶系コメディ。

 

   ◇九州大学伊都キャンパス交通アクセス案内図

  ◇九州大学伊都キャンパス内の案内地図


・舞台演劇ほど“共感”を呼ぶ芸術はない/九州大学演劇『蒲田行進曲』―下

2014年04月02日 00時11分05秒 | ●演劇鑑賞

 

  ◇“赦したい・共感したい”と思っている観客

   前回述べた(1)(2)(3)に関する「シーン」は、直接的に「銀四郎・ヤス・小夏」の三人のこれからの生活や存在意義に関わるだけに、とても重要な意味を持っています。もう一度確認してみましょう。

   ●《妊娠させた〈小夏〉を〈ヤス〉に押し付け、二人を結婚させた〈銀四郎〉》

   ●《未婚の母を避けるため〈ヤス〉を受け入れ、子供を産もうとする〈小夏〉》

   ●《〈小夏〉を妻として迎え、〈銀四郎〉と〈小夏〉の子供の育ての父親になろうとする〈ヤス〉》

   そういう《三人三様》の “生き様” を描いた「シーン」でした。

   「観客」は、〈三人三様〉の “生き様” をそのまま認めることはできないにして、“赦せるものなら赦し”、 “共感できるものなら共感” したいのです。多くの観客は、“たくさん赦し、たくさん共感したい” と思っていることでしょう。

   「観客」にとって、「舞台演劇」とは「テレビの液晶」や「映画のスクリーン」と異なり、自分の眼の前には、自分と同じ「生身の人間」が、“同じ瞬間” に “同じ空気を” 吸ったり吐いたりしながら “生きている=演じている” のです。

  一方、「役者」は必死で “演じながら=生きながら”、「何らかのメッセージ」を「観客」に送り続けているのです。ときには「観客」を怒らせ、不快にさせ、またときには喜ばせ、心地よくさせながらも、最後は “赦してもらいたい、共感してもらいたい” と思っているのです。もちろん、この『蒲田行進曲』という「物語」が目指しているものも同じでしょう。

   そこに、「観客」と「演劇を提供する側」との “一体感” が存在するのであり、他の芸術ジャンルでは味わうことのできない「舞台演劇」の魅力があると思います。生身の人間同士が、一瞬一瞬、時間と空間を “共有” しながら、一方は演じ、一方はそれを観ているのです。「舞台演劇」以上に “共感を呼ぶ” 芸術があるでしょうか……。

         ☆   ☆   ☆

   筆者は今現在、原作の「小説」もその「脚本」も読んではいません。しかし、今回の原稿「」を書くにあたり、映画『蒲田行進曲』のDVDを観ました。

   無論、深作欣二監督の「映画」と、今回の九州大学演劇部の「舞台」とは、「ジャンル」も「時代」も「演出(家)」も「役者」も、そして「スタッフ」等関係者も「表現形式」もまったく “異なって” います。

   それ以前に、前者はプロの監督にプロの役者、プロのスタッフにプロ集団の映画制作専門会社による作品であり、後者は「大学の演劇部」による作品です。しかし、《両者》は共に、人を “共感” あるいは “感動” させるための「表現形式」ということです。

        ☆

  今回の『蒲田行進曲』は、中心となる「人物三人」の強烈な個性が最大のポイントでしょう。そのため、この「三人」を舞台上で演出し、演じるのは大変難しいはずです。それを20代前半の学生演出家や学生の役者がどのように描くのか……筆者の最大の関心は、まさにそこにありました。

  その点については、正直言っていくつか課題が残ったかもしれませんが、その解決は今後に待ちたいと思います。

           

   ◇銀四郎、小夏、ヤス役者の好演と演出

  今回の「演劇」で注目したのは、やはり中心となる三人の役者でした。〈銀四郎〉役の「兼本俊平」氏、〈小夏〉役の「若藤礼子」嬢、そして〈ヤス〉役の「白居真知」氏

   〈銀四郎〉の傍若無人ぶりが、よく描かれていました。自己中心的な彼は、我がままで身勝手、傲慢で強引という類まれなキャラクターです。

   その「憎まれ役」を、兼本氏は大変うまく演じていたと思います。欲を言えば、 “自分をうまくコントロールできない人間の弱さ” を感じさせてくれたら……。「映画」では、この点が巧みに表現されており、〈銀四郎〉の人間的な魅力ともなっていました。

   〈小夏〉を演じた若藤嬢は、〈銀四郎〉という強烈な個性を力演した「兼本」氏と、〈ヤス〉を熱演した「白居」氏二人の間にあって、やや影が薄くなったかったかもしれません。願わくば、「女」としてまた「妊婦」として、男二人に対してもう少し “抵抗” する姿勢があった方がよかったかもしれません。その方が、〈銀四郎〉と〈ヤス〉二人の “弱さ” や “狡さ” それに “優しさ” を相対的に描くことにもなるからです。

  ともあれ、今回一番の熱演は、やはり〈ヤス〉役の白居氏でしょうか。中心的な役回りとはいえ、なかなかの好演であり、熱演でした。「賢いのか愚かなのかよく判らない、とらえどころのない難しい役」を、自分の中でしっかりととらえ、自信をもって演じていたのが印象的でした。それはまた、「演出」の「山本貴久」氏の力量でもあるのでしょう。

        ☆

   今回の九州大学の公演にかぎらず、「学生演劇」においても、「福岡女学院大学」の『フローズン・ビーチ』でも述べたように、《表現者としての覚悟》を強くもって臨んで欲しいと思います。

   「観客」は、「演出家」や「キャスト(役者)・スタッフ」の「そのような《覚悟》」を、「舞台」上のあらゆるものによって感じ取ろうとしているのです。そして、その《覚悟》を支えているものこそ、演出者やキャスト・スタッフの “感性” にあることは言うまでもありません。(了)

   ◇『フローズン・ビーチ』/福岡女学院大学演劇部卒業公演-下