『ゴルゴ13』の〝名前の由来〟については、もちろん知っていた。しかし、〝明確に記述された〟ものがあればそれをこのブログに採り入れようと思い、コンビニにおいて文庫本の『ゴルゴ13』を拾い読みしようとした。何と最初に手にした巻を開いたそのページに、まさに求めようとしていた〝くだり〟を見つけて驚いた。以下はその「くだり」だ(原文のまま)。
『……囚人たちはこの男にゴルゴ13という名前をつけた……。13は男の番号が1214号であったことからきていると思うが、ゴルゴとは何を意味しているものかわからん!! 主を裏切ってイバラの冠をかぶせ、ゴルゴダの丘で十字架にかけた13番目の男ということかもしれんな……。われわれの社会では不吉とされ、いみきらわれている13という数字に何かピッタリくる感じの男だ!!』(『ビック・セイフ作戦』1968.11)。 ※アンダーラインは筆者。
『ゴルゴ13』が囚人として過ごしたのは「西ドイツ」の刑務所だった。彼が入所した理由は、「飾り窓」で有名なハンブルグ(ドイツ)において、後ろから忍びよろうとしたstreet girlを殴った上、飾り窓の用心棒(?)たちをも殴り倒した暴行傷害にあったようだ。そのstreet girlは、窓から外を眺めているゴルゴ13に、遊び心でこっそり近づこうとしていたにすぎない。
だがゴルゴ13は、背後から音もなく接近されることを極度に嫌う。言うまでもなく自分に対する攻撃意思を感じるからだが、このようないわば〝沈黙の接近者〟に対し、ゴルゴ13は相手が誰であっても条件反射的に反撃態勢を取っている。そしてこの「エピソード」を表すシーンは、繰り返し出て来る。
公式の「プロファイル(profile)」でも明らかなように、彼は『デューク東郷』と〝自称〟し、『ゴルゴ13』は〝通称〟となっている。『ゴルゴ』とは、イエス・キリストの処刑場となった「ゴルゴダの丘」から来ており、「ゴルゴダ」とは「されこうべ(しゃれこうべ)」すなわち「髑髏(どくろ)」を意味する。
つまり「ゴルゴダの丘」とは、「されこうべ(髑髏)」の形に似た丘ということになる(マタイ福音書27章33節他)。なお〝主〟とは「イエス・キリスト」をさす。
レオナルド・ダ・ヴィンチによる壁画『最後の晩餐』――。この壁画は、イエスが『この中に私を裏切る者がいる』として、ユダを指弾する瞬間をテーマとしている。その結果、ユダは晩餐会場から立ち去るわけだが、イエスとユダを除く11人の「使徒」を合わせると12人となる。ユダはまさに「最後の晩餐会場」から外れた唯一の人物であり、その意味において、『13番目の男』となるのだろう。
ところである程度「聖書」に親しんでいる方には、アンダーラインの『主を裏切ってイバラの冠をかぶせ ゴルゴダの丘で十字架にかけた13番目の男』の部分は、曖昧な表現といえる。確かに主を裏切ったのは「イスカリオテのユダ」であり、彼は銀貨30枚でイエスをユダヤの指導者に売り渡した。
だがその後反省し、銀貨を神殿に投げつけて投身自殺を図っている。ユダの〝裏切り〟は、イエスの茨(いばら)の冠や十字架刑への〝きっかけ〟になったにすぎず、ユダが茨の冠を被せたわけでもなければ、十字架にかけた一人でもない。
筆者は『ゴルゴ13』という「スナイパー」が、「イスカリオテのユダ」に由来するとは思いたくない。なぜなら冷酷なまでの沈着さをもって黙々と仕事をこなす超A級スナイパーは、〝謎めいた生い立ちの持主〟であり、超人的な技術と精神力を持った〝不死身〟であって欲しい。
その方が、「sniper(狙撃者)」そして「executioner(死刑執行人)」としての〝宿命〟を担い続ける人物に相応しいと思うのだが……。
「ゴルゴダの丘」での「イエスの死」は、はるか以前より〝預言されたもの〟だった。ということは、『ゴルゴ13』も、偉大な何かの力によって〝宿命づけられた存在〟としてこの世に生まれ落ちたのだろうか……。