11月20日(日)、ほぼ2年ぶりに九州大学の「大学祭」に参加した。筆者の目的はただ一つ。同大演劇部の「テント小屋公演」を観るためだった。昨年は参加できなかっただけに、今年はどうしてもとの気持ちが強かった。
「テント小屋」の会場となった「場所」は、福岡市民もまだあまり馴染みがない。それもそのはず。都心から遥か彼方の「伊都キャンパス」と呼ばれる超郊外……。3年前までは、筆者の自宅(梅光園)から歩いて5分の所にキャンパスがあったというのに。それだけに、あまりにも違いすぎる「距離」とキャンパス全体の「スケール」の大きさに、とまどうばかりだ。
敷地面積は275ha(2,750,000平方メートル)あり、「福岡ドーム」40個分という。にわかには想像できない広さだ。現在の筆者のアパート(和白)からキャンパスまでの距離は、片道34.4km。車があればこその距離とはいえ、遠いことに変わりはない。
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この都心からの「アクセス」の不自由さを、演劇の「幕間」に『津軽海峡冬景色』の替歌でN嬢(?)が嘆いていた。歌詞の内容は憶えていないが、イメージは鮮明に伝わっていた……。
……確かに「象牙の塔」の建物以外、周囲には何もない「バス停」――。果てしなく広がる冬空の夕べ。夜の帳(とばり)に包まれ始める四辺――。木枯らし吹きすさぶその一角で、ひたすらバスを待ち続けるうら若き女性……。
まさに寞寞(ばくばく)たる風の音だけが聞こえてきそうだ。それを『伊都キャンパス冬景色』として、「アイロニカルな笑い」に替える学生諸君のエネルギーが素晴らしいし、また頼もしい。いやひょっとして、現代の若者特有の“諦観”……なのだろうか。いやいや、そうではあるまい。
ともあれ、≪知の拠点≫と言われる広大なこのキャンパスは、“創造性”に充ちている。イマジネーションを刺激し、いろいろな可能性を秘めてもいるようだ。何処に行くにも100m単位で歩くのだが、少しも苦にならない。敷地全体があまりにも広いため、建物相互のつながりや建物そのものに、不思議な安堵感や親近感を覚える。それが“距離感”をグンと和らげているような気がする。というより、“距離そのもの”を楽しみに替えるかのようだ。「建築物」のZONINGにとっても、重要なテーマといえるのかもしれない。
しかし最大の魅力は、周りの自然に抱かれる感覚だろう。それが、総てのものを快く受け入れようとする感性を育むのかもしれない。それに加え、調和のとれた建物群やモールなどの空間の演出も心憎い。環境工学そして人間工学的にも、緻密な配慮がなされている。
≪知の拠点≫とは、産学共同を縦糸に、あらゆる学問の英知を横糸として結集された≪人間の焦点≫でもあるのだろう。
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さて、今年は次の「4作品」が用意されていた。
1.「リリーファイター」(作・演出:岡田 力)
2.「境界線上の彼女」(作・演出:野口恵美)
3.「Riddle Room」(作・演出:浜地泰造)
4.「あはれと思へ」(作・演出:大園和登)
筆者は「4」以外の3作品を観ることができた。「4本すべて」を観ることができると想って最終ステージまでいたのだが、結果として「作品3」を2回観たことになる。しかし、それはそれでよかったと想う。1回目と2回目との微妙な演技の違いがあり、これはこれで面白かった。だが2回観たとはいえ、正直言って判りづらい作品だった。テント小屋の「広さの限界(?)」を感じさせたのかもしれない。この件については、次に触れてみたい。
これまでと今年との、大きな違いがあった。それは、一昨年までは「1時間に1本」の「演目」であり、その時間も30~40分程度だった。そのため、例年6本はあったように想う。一番多い年で、7本あったように記憶しているのだが……。
しかし、今年は「4本」のみ。その公演も「1時間30分に1本」と、間隔が90分になっている。それもそのはず、今回観た3作品は、いずれも50~60分物だった。それでも少しも退屈しなかったのは、内容的にもバージョンアップしていたからだ。
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それにしても11月の下旬はさすがに寒い。「こごえそうなカモメ」同然の一昨年の大反省から、今年は「ウインドブレーカー」に身を固め、出店の「若鶏の焼鳥」と「うどん」、それにビタミンCたっぷりの1個30円の「山川ミカン」5個で体内を装備した。
おかげで、筆者にとっての≪伊都キャンパス・冬景色≫は、「泣けとばかりに、風の音に胸を揺すられる」こともなく、楽しいそして充実した半日となった。(続く)
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追悼 本稿を演劇好きの同志Yさんへ捧げる