『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

◆ユダヤ人隔離居住区=ゲットー/『シンドラーのリスト』:No.3

2015年01月30日 00時24分38秒 | ◆映画を読み解く

 

   『シンドラーのリスト』(英: Schindler’s  List)は、「スティーヴン・スピルバーグ」監督による1993年制作のアメリカ映画であり、日本での公開は翌1994年の2月でした。

   そこでこれから、まずはこの「映画」が“描こうとした時代と出来事”について確認しましょう。以下は、筆者が各種の資料をもとに、この「映画鑑賞」用として整理編集したものです。「映画」の”哲学性と芸術性”を理解するためにも必要不可欠な“基礎知識”となっています。

 

  台頭するナチス党とヒットラー

 1.   1920年2月下旬、「ドイツ労働党(DAP)」は党名を「国家社会主義ドイツ労働党(NSDPA)」と改称(※略称「ナチス党」)した。同党は “国粋主義” 的な “ドイツ民族主義” による「大ドイツ帝国」建設とともに、“反ユダヤ主義” を掲げた。

 2.   1921年7月27日、アドルフ・ヒットラー、「党首」に選出される。といっても小党でしかなかった。

 3.   1925年、「ナチスのバイブル(聖典)」と言われたヒットラー著『わが闘争』刊行(上巻は1925年、下巻は26年末刊)。

   ヒットラー独自の世界観や人間観、イデオロギーや政治政策を説く。内容的にはゲルマン民族至上主義であると同時に、“反ユダヤ主義” や “反共産主義”を貫いている。

 4.   1932年5月、大統領選挙に立候補したヒットラーは、現役の「ヒンデンブルグ」に負けるものの「次席」となる。そして、この2か月後の総選挙で勝利した「ナチス党」は、第一党となる。

 5.   1933年1月30日、ヒットラーはヒンデンブルグ大統領の下で「首相」に就任、ついに「政権」を握り、ここから彼の “独裁” と数々の “強権発動” が始まる。

   ヒットラーの“ユダヤ人迫害”は、首相就任1か月後より、ユダヤ人商店の不買運動や店舗破壊等に始まり、「ユダヤ人の公職者」は地方政府、裁判所、大学から追放された。

 6.   1934年8月2日、ヒンデンブルグ大統領死去。その遺言によりヒットラーは「大統領」に就任。しかし、彼はその職名を「大統領」ではなく「指導者」とし(日本語訳名「総統」)、「総統兼首相」としてドイツ陸海軍の将兵に忠誠を誓わせた。

 7.   1935年9月15日、「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」と「帝国市民法」の2つを総称した「ニュールンベルグ法」を制定。

   「前者」は「ユダヤ人」と「ドイツ人」との「婚姻」や「性交渉」を禁じた法律。また「後者」は「ユダヤ人」は「(ドイツ帝国市民」ではないとし、「公職」等に就くことを禁じ、また「政治的な権利」などを奪う法律

 8. 1938年11月、ドイツにある総ての「ユダヤ教会」がその他の関連施設とともに、破壊された。

  ここに――、

 ⇒「ユダヤ人のゲットーへの強制隔離政策」から

 ⇒「ゲットー解体(ユダヤ人の追い出し、搾取、殺戮)」へ。そして――、

 ⇒「アウシュビッツ収容所」等での大量虐殺(=本格的な「ホロコースト」)へと通じる萌芽がみられるのです。

 9.   1938年4月、「ナチス・ドイツ」軍、オーストリアを併合。

10.   1939年3月、「ナチス・ドイツ」軍、チェコスロバキアを併合。

       ☆   ☆   ☆

 

  ゲットー(ユダヤ人居住区)へ強制隔離されるユダヤ人

   ここからが、この「映画」に登場する部分です以下の記述は、「映画の画面」に「表示された説明文」(キャプション)を手がかりに、筆者自身が補筆修正し、また新たに加筆しました。

11. 1939年9月、「ナチス・ドイツ軍」は2週間で「ポーランド」を制圧。「ユダヤ人」に “移動命令” が下り、国内の「1万人以上」の「ユダヤ人」が「クラクフ」(※註1)というポーランド南部の都市に運ばれた。

   「映画」では、蒸気機関車による「ユダヤ人」の “移送” が描かれています。「1万人以上」とは、あくまでも「クラクフ」という「一都市」に移送された人数にすぎません。 

   選出された24人の「ユダヤ人」による「ユダヤ人評議会」のメンバーが、「ドイツ政府」の命令に従い、「ユダヤ人」に対する「強制労働の班分け」をはじめ、「食糧や住居の割り当て」さらには「苦情相談」等を受け持った。

  「映画」では、主人公「オスカー・シンドラー」がこの「ユダヤ人評議会」メンバーによる「苦情相談」会場を訪れ、ユダヤ人の会計士イザック・シュターン」を呼び出すシーンがあります。

   二人は、このとき初めて出会うわけですが、シンドラーはさっそくシュターンに工場の経営を見て貰うことと、「工場買収資金」を融資してくれるユダヤ人の紹介を依頼します。

  またこの後、シンドラーは、「闇物資の調達人」である「ポルデク・ペファーベルグ」と、教会で出会うことになります。  

 

12. 1941年3月20日、全ユダヤ人が「ゲットー(ghetto)」(※註2)すなわち「ユダヤ人居住区」へ移送される。

   この映画」に出て来る「クラクフ・ゲットー」は、ヴィスワ川南岸の壁に囲まれた「0.24k㎡」の狭い地域(※註3)でした。ここに、約15.000人の「ユダヤ人」が押し込まれました。外部との自由な出入り・接触が禁じられ、後には「壁」で囲まれて完全に “閉鎖” されたのです。

   とはいえ、この「ゲットー」での居住を許されたのは、「ドイツ系企業」や「軍需関連工場」の「労働者であり、それ以外の「ユダヤ人」は「クラクフ」から追い出されました。ただし例外的に、高齢の病人や移動不可能な「ユダヤ人」は「ゲットー」での居住が例外的に認められたのです。 

   「ポーランド」では、この「クラクフ・ゲットー」やヨーロッパ最大の「ワルシャワ・ゲットー」をはじめ、全国に400以上の「ゲットー」が作られたといわれています。

    なおこの「ゲットー」への持参が許されたのは、手荷物1個、正装服一式、毛布1枚、2週間分の食料、必要書類、所持金上限50ズウォティであり、外国為替や宝石は置いて行かなければなりませんでした。

   しかし、 いかに「ゲットー」 での生活が不自由とはいえ、また慢性的な飢餓感に苛まれていたとはいえ、さらに発疹チウス等の病気が蔓延していたとはいえ、この段階では天国のようなものでした。

   「アウシュビッツ強制収容所」その他における、あの “ホロコースト” に比べれば……。

       ★   ★   ★

 

 ※註1  「クラクフ(Krakau)」は、ポーランドで最も歴史ある都市の一つ。17世紀初頭にワルシャワに遷都するまで「ポーランド王国」の首都。ポーランドの工業、文化の主要な中心地。

 ※註2  ゲットー(ghetto)」という言葉は、歴史的にいろいろな意味合いで使われていますが、ここでは「ナチス・ドイツ」における「ゲットー」という意味です。簡単に定義すれば、【ナチス・ドイツが「第二次世界大戦」において、東欧諸国へ侵攻した際に「ユダヤ人」を “強制的に隔離” するために設けた「居住区域」】となります。

 ※註3  「1k㎡=1km×1km=1,000m×1,000m=1,000,000㎡」。「0.24k㎡」は、「0.6km×0.4km」といったところでしょうか。つまりは「600m×400m=240.000㎡」と考えると判りやすいでしょう。「東京ディズニーランド(0.47k㎡)」のほぼ「半分の広さ」と言うことになります。

 

 

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◆ドキュメンタリータッチの哲学性と芸術性/映画「シンドラーのリスト」:No.2

2015年01月26日 00時00分51秒 | ◆映画を読み解く

 

   映画のプロが選ぶ名作

   さて今回の映画は、2007年の『米映画協会(AFI)が選んだアメリカ映画BEST100』(※註1)では「第8位」に、また米国の一般読者投票による『歴代映画ベスト100』(実施年不明)では、「第3位」にランクインしています。ちなみに「第1位」は「ゴッドファーザー」、「第2位」は「ショーシャンクの空に」です

   なお後者は、「米国映画」だけでなく米国以外の作品も対象にしています。ちなみに「日本映画」は、「第7位」の「七人の侍」他4作品がランクインしています(※註2)。

 

  “ドキュメンタリー・タッチ” による “哲学性芸術性”

   まずこの “ 映画の特徴 ” は、「実話(ノンフィクション)」に基づく “ ドキュメンタリー・タッチ” の作品ということです。

   “ドキュメンタリー・タッチ” を貫くことによって、この映画の “哲学性と芸術性” がいっそう深まったと言えるでしょう。

  次の「3点」が、その「重要なポイント」となっています。

 

(1) 基本的には、「映像」を「モノクロ」(白黒フィルム)としている。

   いわば、第二次大戦前後の「ニュース映画」の「記録フィルム」のような雰囲気づくりに徹しています。

  しかし、“一部のシーン” 又は “画面のごく一部分” だけは「カラー映像」としているようです。

  この 繊細なカラーリング” によって映画の “哲学性と芸術性” が強調され、「第1の重要ポイント」となっています。

 

(2) ドキュメンタリー・タッチ”を貫くため、映像上の “感情表現” を極力抑えている

   この「映画」は、「アドルフ・ヒットラー」の「ナチス・ドイツ」による “ホロコースト」(ジェノサイド)すなわち “大量殺戮” をテーマに、「オスカー・シンドラー」による1,100人ものユダヤ人の救済を描いています。“眼を背けたくなるような衝撃的なシーン” がいくつもあり、人によっては “直視しがたい光景” です。

   しかし、スピルバーグ監督以下、「映画表現者(制作者)」は、「観客」に “怒り、憎しみ、哀しみ” といった “感情” を “圧しつけ” ようとはしていません。どこまでも “冷徹な第三者の眼” で “歴史的な事実” を見つめているかのようです。

   映画の撮影においても、 “実際に起きた出来事” を伝えるように淡々としています。そのため、ときには当時の「ニュース映画」の「報道カメラマン」のように、あえて “手ぶれ” のおそれある「携帯用カメラ」を使用したシーンもあるほどです。事実を記録する “傍観者の視点” といえるでしょう。

   それは、「観客」個々の “喜怒哀楽の感情” を尊重していることを意味しています。そのため観客には、 “本能的で冷静な感情” がかえって湧き起こり、それが結果として、この「映画」に対する観客自身の “主体的な想いや判断” を呼び覚ます効果をもたらしているのです。

   巧みな戦略であり、戦術です。「ホロコースト」に対するスピルバーグ監督の揺るぎない哲学と深い洞察の賜物と言えるでしょう。ここに、この映画の持つ “哲学性と芸術性” の「第2の重要ポイント」があります。

 

(3)ドキュメンタリー・タッチ” をより確実に表現するため、主人公の〈オスカーシンドラー〉以下、「中心的な俳優5人」は、総て「舞台俳優 」を起用している。

  それによって、“ドキュメンタリー性” の “説得力” をさらに強化しています。観るたびに優れた俳優の卓越した演技に惹き込まれるばかりです。何度観ても飽きることがありません。

   ここに、この映画の持つ “哲学性と芸術性” の「第3の重要ポイント」があります。

        ☆

   以上のように、この映画を “ドキュメンタリー・タッチ” に仕上げたことによって、“ 映像の哲学性と芸術性 ”とがいっそう深みを増したと言えるでしょう。

   そのことは、「優れた映画」と言われるものが “なぜ優れているか?”、また “どこがどのように優れているのか?” ということを語ることになります。次回より、「具体例」を示しながら、話を進めて行きましょう。 

      ★   ★   ★

 

 クリック! ◆映画『シンドラーのリスト』(3時間15分13秒)の動画

  この「動画」はフルバージョンであり、画質も鮮明です。筆者が記事原稿中において告知する「カット」や「シーン」は、この「動画」の「経過時間」をもとにしています。

  この「動画」の画面下から「数ミリ」の位置に「カーソル」を当てると、「左端」に「停止(Pause)」機能があり、また「右端」は「経過時間」と「残り時間」の「表示」となっています。

  「時間経過を示す黄色帯」に「カーソル」をあてて「スクロール」すると、「経過時間」が表示されると同時に、簡単に「時間を進め」たり、「時間を前に戻し」たりすることができます。筆者の「記事中の説明」を確認する際にご使用ください。

  なお「カーソル」を「画面」から外すと、いつでも上記の総ての「表示」が消えます。

 

 ※註1: 「米映画協会(AFI)」に所属する監督、脚本家、俳優、編集者、批評家ら1500人が、1997年以来10年ぶりに歴代のアメリカ映画のベスト100を選出したもの。「第1位:ゴッドファーザー」、「第2位:市民ケーン」、「第3位:カサブランカ」。

 ※註2: 「乱」(74位)、「用心棒」(95位)、「もののけ姫」(100位)。

 

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・徹底した部員一丸による舞台創造/鑑賞『ゆめゆめこのじ』(西南学院大):下

2015年01月21日 21時22分16秒 | ●演劇鑑賞

 ★この「記事」は、1月20日に一度アップしたものに改稿・追加したため、あらためて本日アップしなおしたものです。 

 

  「秀島・半次郎」の圧倒的な存在感

   「役者」について――。「男優」としては、やはり〈中村半次郎〉役の「秀島雅也」氏を第一に挙げなければならない。彼の持ち前の声といい、台詞回しそして演技の所作といい、“人斬り半次郎” として怖れられた〈半次郎〉の雰囲気を見事に出しており、またそれを難なく演じ切っていた。「殺陣」の指導をするだけあって、時代劇にも向いている……というより、こちらの方が向いているのかも。いやいや、どのような役でもこなせるということだろう。

   秀島氏に関しては、現代劇decorettoにおいて、今回の演出を担当した「宮地桃子」嬢との卓越した “掛け合いの演技” に注目していた。同作品の鑑賞でも述べたように、その優れた演技による「独特のキャラクター」によって、筆者は抱腹絶倒させられたのだった。

   今回も同じように、実に巧みな “役作り” であり、深い味わいを秘めていた。それはもう、“演技が上手い” とか “役になりきっている” といった次元を超えている。もう少し踏み込んで言えば、“演じる” こと、すなわち “舞台演劇” についての “秀島ワールド” をしっかり創りあげている。彼の「舞台演劇人」としての確信に満ちた “哲学” を感じた。

   筆者がそう感じるのは、優れた「プロの役者」に対してだけのものだ。それだけのものを、彼は確実に持っている。筆者の足かけ15年に及ぶ「学生演劇」の「観劇歴」の中でも、5本の指に数えるほどの「男優」と言える。

        ☆

   この「秀島・半次郎」によって、「瀬川聖」氏の〈坂本龍馬〉をはじめ、「尾野上峻」氏の〈西郷隆盛〉、「吉田瞭太」氏の〈桂小五郎〉そして「山口大輔」氏の〈中岡慎太郎〉といった志士達、それに「眞鍋練平」氏の〈出雲〉、「高倉輝」氏の〈土方歳三〉、さらには「鼻本光展」「井口敬太」両氏の〈薩長藩士〉といった「キャスティング」の “収まり” がついたように思う。

   つまりは、それぞれの “人物像” にメリハリが付き、まさしく “魂を吹き込まれた” と言えるだろう。そのことはおそらく、共演者達が筆者以上に感じたはずだ。それほどの “存在感” があったように思う。

   なお「眞鍋」氏は、decorettoにおいて優れた「演出」をしており、その手腕は高く評価される。今回の〈出雲〉役も、繊細さがひときわ目立つ演技であり、ことに「女優陣」を惹きたてる役として貢献した。

        ☆

   おりょうと遊女の好演

   「女優」陣では、やはりまずは〈おりょう〉役の「松嶋小百合」嬢ということになろうか。嫌みのないコミカルなキャラクターを好演していた。筆者の座席は舞台から距離があり、眼や細かな顔の表情はよく判らなかったが、“龍馬の妻としての雰囲気” をよく表現していたようだ。「男優」陣における「秀島・半次郎」同様、この「松嶋・おりょう」によって、「女優」陣の「キャスト」にメリハリが付いたことは間違いない。

   〈禿〉の「高木理咲子」嬢に「平川明日香」嬢。〈秋雪〉の「藤野和佳奈」嬢、〈水狼花太夫〉の「松本花穂」嬢、〈香梅太夫〉の「渡邊桜美子」嬢、そして「古賀麻友香」「加藤希」の両嬢がそうだった。

   正直言って、「女子大生」に「遊女」という役は、おそらく「学生演劇」としては、もっとも “その役になりきることが難しい” と言える。もっとも今回は、〈太夫〉や〈禿〉という役回りのため、遊女本来の “どろどろした女” を追究することはなかったわけだが、無論、“その分” の「踊り」や「剣舞」はそれを補って余りあるものだった。「西南学院大学演劇部」ならではの、品位あるセンスのよい「舞台構成」であり、優れた演出・演技といえる。

       ☆   ☆   ☆

  徹底した“部員一丸”が生み出す“完成度の高さ”

   「西南学院大学演劇部」の特性については、これまでにも本ブログにおいて論じて来た。ことに昨年4月の舞台公演『decoretto』の「鑑賞」については、「上・中・下1・下2」と4回連載した中、特に「上」において明らかにしている。一度ご覧になった方も、もう一度眼を通していただきたい。

   筆者が感心するのは、「同部」が常に「舞台創り」において、“部員一丸” を徹底的に貫いていることにある。それに加え、とにかく丁寧に “時間と手間” をかけて創り上げる姿勢だろうか。

    ……と言えば、「そんなことは、どの大学演劇部でもやっている」と反論されそうだ。確かにそうかもしれない。しかし、“その徹底ぶり” は、他とはかなり違うように思う。

       ☆

   例えば、「プログラム」に記載された各「スタッフ」の紹介にしてもそうだ。今回の「舞台」をみても、各1人ずつの「演出」と「舞台監督」をはじめ、「助演」2人、「大道具」7人、「小道具」8人、「照明」7人、「音響」8人、「衣装メイク」8人、「制作」8人、「宣伝美術」3人となっている。

   それに今回は「殺陣」と「剣舞」の指導が各1人、「舞指導」が2人。無論、どの「大学演劇部」においても、「スタッフ」はいくつも「仕事(作業)」や「オペレーション(操作)」を掛け持ちするのが通例だ。 

   しかし肝心なことは、は“舞台当日の進行” を担う……というより “舞台そのもの”  の “出来不出来” を大きく左右する「照明」と「音響についてだ。

   今回、筆者が注目したのは、「照明」スタッフ「7人中4人」、また「音響」スタッフ「9人中6人」までを “女子が担当 したという事実だ。この事実は、筆者の舞台観劇経験として、2つの重要なことを教えてくれる。

   その「一つ」は、「音響」や「照明」の「プラン(アイディアやイメージ)」や「オペレーション(操作担当)」については、“できるだけ多くのスタッフが関わる” こと。言い換えれば、“限定されたスタッフの好みや傾向” を避けること。つまりは、“普遍性を持たせる” ことが不可欠となる。

   もう一つは、“音響や照明のプランやオペレーション(操作)” は、“男子より女子の方が適任である” こと。言い換えれば、“大雑把で荒っぽい傾向にある男子好み” を抑え、より多くの年代や性向の観客に即したものを求めること。そのためにも絶対に、 “女性的感性” を大切にすることが不可欠と言いたい。

   「西南学院大学演劇部」が創り出す「舞台」ことに最重要の「照明」と「音響」が、いつも安定した “美的感性” に満ちているのは、おそらく「特定個人」ことに「男性オペレーター」の「音響操作」を極力排除しているからではないだろうか。

  あまり “手の内” を明かしたくはないが、一部の学生諸君は気づいているので、この際、公言したい。筆者は「公演会場」に入った後、必ず「照明」や「音響」の操作ブースに眼を向ける(もちろん、観客席から見えないこともあるが)。

   つまり、“誰がどのような表情や動作でオペレーションするか” を確認するためだ。もちろんそれ以前に、「キャスト」や「スタッフ」名、ことに「照明」と「音響」の「オペレーター」は、特に重点的に確認している。

   その結果、一つの傾向として判ったことは、特に「音響効果」の「企画」や「オペレーター」に “男子が多い” のは “要注意” ということだ。中には、「DJ」感覚でオペレーションをしているのではと、驚いたことがある。それが結果として、“どのような音響をもたらしたか” 語るまでもない。

        ☆

  「西南学院大学演劇部」は、いつも「音響」(効果音含め)における “選曲” や “音量(ボリューム)調整” に品位とセンスがあり、何とも心地よい。 つまりは、“騒々しい音楽や不快な音量” はないといえる。それはおそらく、“”に対する “女性独特の柔らかい感性” を重視しているからではないだろうか。

  そのためにも「同部」は、 “多くの部員の叡智を結集” し、“演劇的な効果の普遍化” を目指しているのだろう。その結果、「同部」本来の “繊細な感性” と “豊かな想像力” が遺憾なく発揮されたと言える。この件については、別の機会に詳しく述べてみたい。

        ☆

  今回も素晴らしい「舞台」を楽しむことができた。正直言って、いくつか指摘したい点もないではないが、それは「キャスト」そして「スタッフ」自身が気づいていることと思うので、今回はそっと しておこう。

   ともあれ、「西南学院大学・演劇部」の部員各位に敬意を表し、本稿を閉じることにしたい。このたびの優れた素晴らしい「舞台」に、「キャスト」そして「スタッフ」その他の人々に、心からの労いと深謝を表したい。(了) 

        ★   ★   ★

  クリック!◆“役者の肉声は音楽”/西南学院大学演劇『decoretto』:下-2(最終回)

 クリック!◆“役者5人の絶妙な活かし合い”/西南学院大学演劇『decoretto』:下-1

  クリック!◆“的確なキャスティングによる役者・演技”/西南学院大学演劇『decoretto』:中

 クリック!◆“演劇部全体を貫く繊細な感性”/西南学院大学演劇『decoretto』:上

 

 

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・完成度の高い繊細な表現力/鑑賞『ゆめゆめこのじ』(西南学院大学):上

2015年01月16日 00時36分08秒 | ●演劇鑑賞

 

   この「舞台」については、

   『2014年福岡都市圏の学生演劇を観終えて:下』【クリック!】(2014.12.27)に、簡単なコメントをしている。 要約すると――、

   《 総てに行き届いた “安定した舞台美術・衣装・照明・効果音響” であり、「西南学院大学演劇部」ならではの “繊細な感性にもとづく総合力” を堪能させてもらった。それが役者個々の能力と魅力を最高度に引き出した” 舞台となった。》

        ☆

  プロ意識による完成度の高い舞台

   「西南学院大学演劇部」独特の “バランスのとれた総合力による舞台” と言ってよい。いつものことだが、「舞台美術」(大道具)に「照明」「音響」、「小道具」「衣装メイク」、そして「ポスター」「案内チラシ」「プログラム」という「宣伝美術」、「制作」作業に到るまで、同部は常に “プロレベルの向上を意識” しているようだ。それが結果として、随所に “行き届いた姿勢” となって表れていた。

   つまりは、“完成度の高い繊細な表現力の舞台” であり、そのための「スタッフ」や「キャスト」個々の “高い目標意識や情熱”、さらには “観客に対する愛情” を感じた。今回に限ったことではないが、“チームワーク” の “まとまりのよさ” をあらためて感じさせられた。

   とにかく、“ミスの少ない舞台運営” であり、どのようにすれば “心地よく観客に楽しんでもらえるか” に徹している。そのため、何でもない作業にも気を配っていた。

   例えば、きちんと「幕」を上げ下げし、開演時には、完全に「非常灯」を消し去っている。この徹底ぶりに “プロ意識” が明確に表われている。当然、「観客」には “携帯電話の完全OFF” や “写真撮影・録音の完全禁止” そして “飲食禁止” を促し、“不要な光や音を出さない” ようにしていた。それは結局、“最低限必要なや音をいかに大切にしている” の裏返しでもある。

        ☆

   今回の「舞台演出」は、「宮地桃子」嬢であり、「助演」は、「高木理咲子」嬢と「新ヶ江優哉」氏。宮地嬢は、『decoretto』の演劇鑑賞において、筆者が “驚愕の十九歳” として、衝撃を受けた「女優」でもある。今回、彼女の「演出の言葉」に眼を通したとき、その才能や感性が、やはり “本物” であることを確信した。

   「演出の言葉」にセンスの良さが感じられ、一字一句の無駄もない。「演出の言葉」のお手本にしてもよいくらいだ。この「作品」の演出にかける彼女の “熱い想い” が込められている。無論、「助演」の高木嬢(〈禿〉役で出演)や新ケ江氏にも、同じような “想い” があったに違いない。

   「全文」をそっくりそのまま紹介したいくらいだが、そうもいかないので抜粋すると――。 ※「太字」は筆者。

 

   《……私たちが知る歴史とは、過去の時代の人々が残したほんのわずかなものばかりです。……(略)……。

   今回はそんな歴史の流れの中からひとしずくを掬い上げ、この舞台で一つの “ゆめ” を創りました。すべてが想像の産物です。……(略)……

   伝えたいもの、感じてほしいものを詰め込んであの時代の一瞬の “ゆめ” をあなたにお送り致します。

   歴史として語られることのない女たちの、美しくも儚い夢と恋の路を、どうぞ最後まで見届けてください。》

               ☆

    絶妙静寂(効果音)        

   ……公演当日、「受付」を終えて「公演会場」に入った。本格的な「演劇会場」であり、「」が降りた会場内に「遊女の里」をイメージさせる “甘い女性の声” による音楽がゆったりとしたテンポで流れていた。それに耳を傾けながら、素敵な「案内チラシ」や「プログラム」に眼を通した。

   「音楽」の曲想や音量が心地よいため、「幕に隠れた舞台」への興味が徐々に湧き始めた。それに伴い、どのような役者がどのような演技をするのかという、開演を心待ちにする気持ちも自然にたかまって来た。

   「優れた舞台」とは、このように “幕が上がる前” から、観客の心を掴んでいる。それに加え、「案内チラシ」は、“遊女の襟足” を大胆なポジションから見せていた。この写真撮影一つとっても、半端じゃない。「プログラム」の写真も、「遊女の里」の一角を捉えたもの。それらの「印刷物」は、いつもながらの繊細なデザイニングであり、心憎いばかりのセンスに溢れていた。

   ……やがて、流れていた音楽のボリュームがアップしたかと思うと、さっとフェードアウトし、場内が “真の闇” に包まれた。……僅かな “静寂” の後に “蜩(ひぐらし)の声” が微かに聞え、それと前後して「幕」が上がった……。

   眼の前に、「遊女の里」の路地と、その奥に設(しつら)えられた「座敷」が現れた。

   ……静寂……真の闇……これから何がどう始まるのだろうか……遠くで小さく鳴いている蜩の声……お座敷の小太鼓の音……灯りの光……眼の前に拡がる夜の遊女の里……。

   絶妙とも言える “真っ暗闇” に “静寂” に “蜩の声”……特に、この「蜩の声」の絶妙な “距離感” つまり “大きさ” そしてその “どんぴしゃりの長さ” にまいった。何と言うオペレーション(操作)! 何と言う演出! 

   この瞬間、「観客」は、眼の前に現れた「幕末の遊女の里」へと、その魂を “運び去られてしまった” ……。しびれるほどの効果音に音楽、灯りや光の照明……。う~ん! 「キャスト」もいいが、やはり「スタッフ」もよく訓練されている。また、よく研究されてもいる。“高い美意識” と “繊細な感性” ここにあり! しかも、いっそう “磨き” がかかっている!

        ☆   ☆   ☆

  “……心あれど形なし 想いを思えば憂うほど あなたの耳にはとおりゃんせ……

   ゆめゆめ恋の字ゆめこのじ……”

 

  秋雪に、 太夫(たゆう)二人に、 禿(かむろ)二人…… 

  おりょう~ ……おいも、 まっこと、 まいったぜよ~ 

  

 

 

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・ベテランの「キャスト&スタッフ」の活躍/『桜刀』(九州大学演劇部):下

2015年01月04日 06時04分04秒 | ●演劇鑑賞

 

   〈侍兄〉役の「山本貴久」氏については、繊細な感性の持ち主というイメージに加え、どことなく “ストイック” なものを感じる。今回の〈侍男〉はピッタリの「役回り」なのかもしれない。

   山本氏は “役の雰囲気づくり” が上手い。たとえば、現代劇『六月の綻び』の〈弟〉役にしても、おそらく「劇中人物」と彼自身とは年齢的にも近いのだろう。その上、“キャラクター” の演じ方に無理がないため、観客は「自然体」で受けとめることができた。やはりそれは、“役の雰囲気作り” に無理がないことを意味している。そのため、ラストを含めたいくつかのモノローグが “哲学的な台詞” にも関わらず、不思議な現実感があり、共感が持てた。

   山本氏については、本ブログの「2014年福岡都市圏の学生演劇を観終えて:中」の『アルバート、はなして』でも触れている。そこでの化学者〈フリッツ〉役では、懐疑と懊悩を感じさせる “ニヒリスティック” な雰囲気を巧みに醸し出していた。

        ☆

   『桜刀』では、「人斬り」として “人を斬りすぎた” という山本氏の〈侍男〉。まさしく「鬼」そのものというわけだが、この「鬼」は、「竹田津敏史」氏演じる「弟」の〈サギョウ〉を想うときだけ「人」に戻ると言う。“義” を求める「弟」。それに対する 「兄」。……竹田氏は、とても丁寧な演技をしているという印象を受けた。

          ☆

   〈女〉と〈バニラ〉の「2役」を演じた「谷口陽菜実」嬢。彼女は、昨年4月の「新入生歓迎公演」の『真桜』(脚本・演出:兼本峻平氏)では「ヒロイン」であり、“目ぢから” を感じさせる表情に注目していた。

   今回、それを再確認できたし、手垢のつかないフレッシュな感覚の演技や台詞回しを観ることができた。欲を言えばキリがないが、“2役の違い” がもう少し……というところだろうか。それだけの潜在能力を備えているはずだ。

          ☆

   今回は「脇役」として登場した「本村茜」嬢。彼女の声は、NHKの朝のラジオ番組「すっぴん」のアンカーを務める「藤井彩子」に感じが似ている。この藤井さんと本村嬢の “声” は、いずれも女性としては “低めでやや太い”(※註1)。そのため小声でも “通りやすく”、「聞く側」にすれば “聞きやすい”。その上、“言葉の出だし” がしっかりしているため「言葉」がよりクリアに聞こえ、“耳に残りやすい” 。 

   他の役者として――。「南聖一」氏は、コミカル系というところが「持ち役」なのだろうか。「白居真知」氏とくれば、やはり「蒲田行進曲」の〈ヤス〉が想い出される。「丸尾行雅」氏については、いろいろな「舞台」で幅広く演じているとの印象がある。一見、不器用そうな感じだが、案外、器用にどのような役でもこなせる人かもしれない。「大倉嵩暢」氏については、筆者は初めて眼にした名前かもしれない。

         ☆   ☆   ☆

   以上のように、今回の舞台の特徴は、「キャスト」にベテラン勢をメインにしたことにある。そして特筆すべきは、「スタッフ」にもベテランを配したことだろう。

   「舞台装置」を「棟久綾志郎」氏、「音響効果」を「浜地泰造」氏、そして「音響操作」を演出の「森聡太郎」氏自らが担当したことにある。「照明操作」は新人のようだが、その操作の指導や「照明プラン」はベテラン陣によるのだろう。

   その結果、節度ある「音響・効果」や「照明の演出」が実現したことになる。ほんとうに印象深い素晴らしい舞台だった。(了)

 

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◆今年は「映画を読み解く」に力を/『シンドラーのリスト』:No.1

2015年01月01日 05時30分45秒 | ◆映画を読み解く

 

  読者K氏の願い

   昨年12月の初め、久しぶりに「映画大好き人間」の友人「K氏」に会いました。彼によれば、本「ブログ」の昨年の傾向は、【学生演劇の公演案内】と、それに応じた【演劇鑑賞】に重点がおかれたような “感じ” がしたとのこと。

   “感じ”……と控えたところが奥床しい。「K氏」は口にこそ出さなかったものの、要は「演劇」以外のジャンル、とりわけ【映画鑑賞】にも “眼を向けて”……というわけでしょう。もっとも、そのような “声” は、彼だけに限ったものではなかったのですが……。

   そのとき筆者は、K氏に対しておもむろに、以下のようなことを口にしたような気がします。記憶は定かではありませんが……。

        ★   ★   ★

    『知ってる? 僕んちの「冷蔵庫」は、“ブログの「願い事」が叶う何でもBOX” なんだ。もし、その「BOX」に「パッケージ」入りの「辛子明太子」が発見されたとしたら……その「パッケージ」に書いてある「願い事」は、きっと叶うと思うんだ……。試しに「鑑賞」希望の「映画」のタイトルを、「邦画・洋画(外国物)」それぞれ5つほど、「パッケージ」に書いておいてごらん。

   ……ああ、そうそう。 “聞いた話” だと、特に「願い事」がよく叶うのは、“「ふくや」の減塩系のものらしいんだ……』 

       ◎   ◎  ◎  ◎  ◎  ◎  ◎

 

   「K氏」は、とてもラッキーな男です。「元旦」早々、こうして “願い事が実現しようとしているのですから。

   ……ということで、今年2015年『感性創房』の “初ブログ” は、久しぶりに【映画に親しむ】シリーズです。振り返ってみれば、昨年はただの一度も【映画に関する記事】や【映画鑑賞】を書いていなかったのです。自分でも驚き、また深く反省した次第です。

       ☆

   ちなみに、博多の「辛子明太子」の “原点” いや “源点” とも言われる老舗「ふくや」の「パッケージ」には、以下の「映画タイトル」が記してあったとのこと。 ※( )内の「西暦」は「日本」での映画の「公開年」、氏名は「監督」名です。

 

 ●邦 画

1.『キューポラのある街』(1962年。浦山桐郎)

2.『幸せの黄色いハンカチ』(1977年。山田洋次)

3.『となりのトトロ』(1988年。宮崎駿)

4.『用心棒』(1961年。黒澤明)

5.『ゼロの焦点』(1961年。野村芳太郎)

 

 ●洋 画(海外物)

1.『カサブランカ』(1946年。マイケル・カーティス)

2.『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年。ロバート・ワイズ) 

3.『タイタニック』(1997年。ジェームズ・キャメロン) 

4.『シンドラーのリスト』(1993年。スティーヴン・スピルバーグ) 

5.『めまい』(1958年。アルフレッド・ヒッチコック) 

       ☆

   それにしても、筆者よりほんのちょっとYoungな「K氏」らしい選考と言えるでしょう。もっとも、「邦画・洋画」とも「1,2,3」の作品は、おそらく才色兼備の誉れ高き “影の選考委員長” の “指令” のような気がしますが……。 

   『キューポラのある街』は、「黄金青春コンビ」の吉永小百合、浜田光夫の二人。個人的な感想ですが、この映画でのヒロインは、高校生当時(16~17歳)の吉永さん(昭和20年生)の “実像” に近いような気がします。しかし、筆者の高校時代の「サユリスト」の友人によれば、絶対に違うとのことですが……。

   『幸せの黄色いハンカチ』は、ご存知のように高倉健&倍賞千恵子。共演は、武田鉄矢、桃井かおり。『となりのトトロ』は、日本のみならず、海外でも未だに人気が衰えていないようです。この作品は、筆者の「ジブリ作品」の「ベストワン」です。

   『用心棒』は、「椿三十郎」と並んで、三船敏郎本来の魅力を最高度に発揮した作品かもしれません。

       ☆

   『ゼロの焦点』は、2009年に広末涼子・主演、中谷美紀、木村多江等の「リメイク版」がありますが、個人的には、久我美子・主演、高千穂ひづる、有馬稲子の「1961年版」の方が遥かに優れていると思います。

   この作品のヒロインは「禎子」――。いきなり、結婚したばかりの夫の謎の失踪に苦悩の日々が始まるのです……その夫に漂う女の影……禎子の困惑と不安、嫉妬と恐れ、哀しみと悲嘆……。これだけのことを、愛念と情感を込めて演じ切るというのは、それ相応の感性や演技力が求められます。

   この作品にかぎらず、「松本清張」作品の「人物」は、いずれも複雑に屈折した精神の持ち主が多いようです。それに加え、不可思議な行動を見せる人物も数多く出て来ます。

       ☆

   ともあれ、以上の「作品」群――。やはり、なかなかのchoiceですね。『カサブランカ』……。イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガ―トのラブロマンス。バーグマンは、この映画のときが一番 “美しく” また “をんなっぽい” ような気がします。ボガ―トは、ハリウッド映画史上「ベスト1」の人気を誇る男優です。

   『サウンド・オブ・ミュージック』は、ヒロイン、ジュリー・アンドリュースの「ドレミの歌」が有名であり、『タイタニック』は、若い女性に人気が高いようですね。

   『シンドラーのリスト』は、「ユダヤ人」に対するナチス・ドイツの残虐行為の「実話」であり “ドキュメンタリー・タッチ” の作品です。ヒッチコック監督の『めまい』も良いですね。個人的には、「北北西に進路を取れ」や「裏窓」「マーニー」「ロープ」「鳥」「ダイヤルMを廻せ」などが好きです。

   日本においても、「ヒッチコック劇場」や「ヒッチコック・アワー」といったタイトルで、いくつかシリーズ化されていたように思います。

   ……それにしても、何とも渋い……。さすが我が友「K氏」、そして我が「影の選考委員長」殿。

   『カサブランカ』は、筆者も「鑑賞予定」にリストアップしている作品です。今年中には、と思っておりますが……。この作品は、何と言っても、筆者が選ぶ「洋画ベスト10」の第3位であり、『シンドラーのリスト』は第5位となっています。

        ★    ★   ★

 

   ◆今年の鑑賞第一作は、『シンドラーのリスト』◆

   ……ということで、今回採り上げる映画は、『シンドラーのリスト』(Shindler’s Lists)に決定いたしました。筆者と「K氏」との男の約束ということで、「影の選考委員長」殿にはご理解を賜り……。

   「実話」に基づくこの映画は、第二次大戦中のナチス(ドイツ)によるユダヤ人の虐殺、すなわち「ホロコースト」が行われた時代に、「オスカー・シンドラー」という人物が、結果として1100人ものユダヤ人の命を救ったとされる史実を描いています。

   監督の「スティーヴン・アラン・スピルバーグ」(Steven Allan Spielberg 1946.12.8 ~)自身も、ユダヤ系のアメリカ人です。

        ☆

   この「映画」に就いては、「ストーリーの展開」を細かく云々するより、「映画本来」の特性を最高度に発揮した “映像” 解説を中心に進めてみたいと思います。

   次回より、『シンドラーのリスト』の「鑑賞」を進めて行くことになります。「物語のあらすじ」を “こと細かく” 分析することは控えるにしても、ある程度の「ネタばれ」は避けられません。その旨、あらかじめご了承ください。

   そこで「読者」のみなさんにお勧めする理想的な「鑑賞」方法は、ひとまず映画『シンドラーのリスト』のDVDをご覧いただき、 “この映画が物語る真の狙い” を考えていただくことでしょうか。

   「素晴らしい映画」には、“素晴らしい隠し味” がいくつも用意されています。それを探し当てる楽しみこそが、“映画を読み解く” ことの “最大にして最高” の目的ではないかと思います。

   では是非とも次回までに、一度は映画『シンドラーのリスト』をご覧ください。え? 本ブログの次回はいつかって、おっしゃるのですね。……ええ。その件ですが、それはよく判らない……というのが真相のようです……。

   ただ、ひとつ筆者に言えることは、「読者」の多くが、ゆっくりとこの映画のDVDを楽しむことができる “時間的余裕” を確保したい……ということでしょうか。はい。おあとがよろしいようで……。(続く)  *今回は、特別拡大版です*

          ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 

  頌 春

    去年今年貫く棒の如きもの  高濱虚子

 

  “こぞことしつらぬくぼうのごときもの”―‐。

  時間的な連続とか、連続する時間における意識の流れが……そういう哲学的な解釈はひとまず措くことにし、素直に “貫く棒” の存在を受けとめることにしましょう。みなさんそれぞれの “棒の如きもの” とは何でしょうか。      

   また「新しい年」を迎えることとなりました。

   おめでとうございます。月並みな言葉ですが、これも素直に、また有り難く受け止めることにいたしましょう。

   読者各位にとって、家庭や地域社会、仕事や学業において、熱い想いで試みるものとはどのようなものでしょうか。私も残り少ない人生の中で、それを求めて日々努めて行きたいと思います。

   その “証” の一つとして、この『感性創房』のブログを綴っていく所存です。お気づきの点がありましたら、遠慮なく「コメント」をお寄せください。「コメント」は原則として “公開” となっておりますが、“非公開” をご希望の場合はその旨お知らせください

   今年もよろしくお願い申し上げます。

  平成27(2015)年 元朝  きわめて強い潮風の吹きゆくさまを全身に感じながら

    花雅美 秀理  

  

 

   PC‐mail  kagamishuri@gmail.com

  携帯mail  kansei-souboh@softbank.ne.jp

 

 

 

 

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