『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・『銀河鉄道の夜』(中)-銀河列車の乗客

2011年02月28日 03時31分39秒 | □愛読書及び文学談義

  『銀河鉄道の夜』の冒頭

 「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか」

 『銀河鉄道の夜』は、先生が生徒に語りかけるこの一節で始まる。賢治独特の “スローテンポ” であり、文体の “もどかしさ” や “ぎこちなさ” はこの作品に限ったものではなく、賢治作品の大半に共通している。

 そしてこの “もどかしさ” や “ぎこちなさ” があるからこそ、だれもが抵抗なく “賢治ワールド” に入って行けるのかもしれない。ここにこの作品そして宮沢文学の魅力の一つがある。

 さて『ぼんやりと白いもの』とは「銀河帯」すなわち『天の川』をさしている。
 筆者にとって、「銀河」といえば40数年前の夏に信州長野の清内路村で眺めた『天の川』を想い出す。一日にバスが2、3往復しかない山村であり、夜の街も人影もネオンも何もなかった。 
 夜の訪れは “漆黒の闇” を意味し、その分夜空の星が鮮やかに映えた。たった一人で星降る夜空を見上げていたとき、自然に『銀河鉄道の夜』がイメージとして浮かんだことを憶えている。

 その遥かな夜空の彼方……。少年や青年の感傷は、無限の宇宙空間や「星」に永遠なるものを観ようとするのだろう。そして、一切を赦しまた受け入れてくれると想いがちだ。だが人間的な時空の及ばない大宇宙は、無論、人間一人の思惑など容認するはずもない。

 聖書的世界観に立てば、「夜」は「闇」であり、『神の象徴である光』から閉ざされた「混沌(カオス)」や「迷い」を意味している。そして「死」は、前回述べたように「原罪」によってもたらされたため、「死」には本来「罪」の匂いが漂うはずだ。しかし、ジョバンニとカンパネルラが乗り合わせた『銀河列車』の「死」には、一切その匂いがしない。

 それは “宿命的な死” であっても “イエスによる贖いの死” も “復活” も一切感じさせないからだろう。それに加えて『銀河列車』の登場人物には、「犯罪者」はおろか「病んだ人」も「強欲な人間」も出てこない。結論的に言えば、少なくともこの作品において、賢治自身は決してキリスト教を受け入れていないことを意味している。

 一時は “法華経” に人生の総てを賭けようとしていた賢治。彼にとってのキリスト教は、おそらく西欧の思想を辿る上での一般的教養か社会教育思想という程度のものでしかなかったような気がしてならない。筆者は賢治の研究家でもないのでそれ以上のことは判らないが、少なくともこの作品をはじめとする主要な作品を考えるとき、そうとしか思えないのだが……。
 
 ともあれ「銀河列車」の多くの人々は、「死の世界」を意味する「南十字」を目指し、“宿命としての死を淡々と受け留める”。だがこの「銀河列車」には、「生者」か「死者」か判らない「鳥捕る人」など “得体の知れない人物” も乗り合わせている。ここにこの作品の二つ目の魅力があるのかもしれない。
  
 角川文庫版で、76ページからなる『銀河鉄道の夜』。この作品は「九つのパート」に分かれている。そのパートにはおのおの「テーマ」が付けられており、( )内はそれぞれが占めるページを表している。
 
 冒頭に掲げた「一、午后の授業(4)」に始まり、「二、活版所(2)」「三、家(4)」「四、ケンタウルス祭の夜(5)」「五、天気輪の柱(2)」「六、銀河ステーション(5)」「七、北十時とプリオシン海岸(8)」「八、鳥を捕る人(8)」「九、ジョバンニの切符(37)」となっている。

 今回、この「冒頭」の表現とその後に続く効果について、改めて素晴らしいと想った。文庫本にして第一章の「午后の授業」は、わずか4ページ足らずだが、ここでの「授業風景の展開」における “つかみ” は実にシンプルであり、この一章だけで充分「短編」として成立している

 そのため子供でも大人でも、また家族での読書会などいったものがあるとすれば、それ用のテキストに相応しい。ぜひ推奨したいものだ。

 なお「ジョバンニ」は「ジョン」のイタリア名。そしてジョンは、新約聖書の「ヨハネ」をさす人名でもある(『聖書人名小伝』を参照ください)。(続く)

 ◆ジョンはヨハネ、ピーターはペテロ/聖書人名小伝(上)  クリック

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・『銀河鉄道の夜』(上)―銀河の彼方のカムパネルラ

2011年02月17日 13時18分14秒 | □愛読書及び文学談義

  無性に読みたくなる本

 或る時期に無性に特定作家の作品を読みたくなるのは、筆者にとって一種の “発作” といえるのかもしれない。この十数年で起きたその種の発作は「芥川」や「太宰」、それに「鷗外」であり、おおむね短編が中心となっている。

 その一方、三十歳までにあれだけ読み耽った「漱石」については、なぜか一度も起きてはいない。また “軽い発作” として美術全集、レオナルド・ダ・ヴィンチの発作も年に一、二回は訪れる。

 無論、同じ本であっても接するたびに感想や “受け止め方” は異なる。だからこそ何度でも読みたくなるわけだが、“受け止め方” が異なるのは、自分の年齢や経験に伴う精神世界や価値観の “微妙な変化” によるのだろう。

 筆者の場合、自分しか知り得ないその “微妙な変化 ”を楽しんでいるところがある。その “感じ方” の振幅が大きければ大きいほど、それに比例した感動や満足感が伴うように思う。

 そういう観点から言えば、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』など、個人的には何度でも読みたくなる本の上位にランクされる。

 今回、十数年ぶりにこの作品を読んだが、初めてこれを読んだのは小学3年か4年生であり、おそらく5、6回目くらいではないだろうか。この「賢治もの」特に『銀河鉄道の夜』を読みたくなるのは、独特な心境のときといえる。4、5年前は『風の又三郎』や『注文の多い料理店』であり、2、3年前は「詩」や「短歌」だった。

 ところで、この作品の “テーマ” はと言えば、いつも躊躇せざるをえない。あえて言えば、“キリスト教的な死生観” であり、“人間存在の救いがたい寂寥感 ”とでも言うのだろうか。あるいは “死” を “宿命づけた神 ”に対する “宿命づけられた人間 ” の “絶対的な従順さ” とでも言うべきか。

 言い換えれば、人間の意志ではどうすることもできない、すなわち “選択できない(=意図し得ない)死” の受け入れ方であり、どのような死であれ、もたらされる死を悄然と受け止めるしかない “原罪の確認” とでも言うのだろう。

 他の文芸作品が扱う “人間の死” の場合、どこかに “救い” や “死の代償” が用意されている。それは例えば死と引き換えに “生み出される新たな生命” であったり、残された者への “希望のメッセージ” であったりする。どんなに寡黙でも、少なくとも “戒め ”や “諭し ”といったものが残る。
 
 だがこの作品だけは、何もないように見える。淡々と物語が進行し、淡々と死が訪れ、死を受け止めざるを得ない青年と小さな姉弟は淡々と死を受け止めていく……。 そして主人公ジョバンニは、カムパネルラという愛すべき無二の親友を、水死という形で迎える。

 いずれも、いわば “悲劇的な死” と言えるわけだが、もし死を迎えざるをえなかった青年とカムパネルラに “救い” があるとすれば、自ら “自己犠牲的な死 ”を選択したということだろうか。いやそれしかなかったとも言える。

 その象徴が、香りのよい林檎をみんなで口にする場面がある。いうまでもなく林檎は、神がアダムとエバに告げた “禁断の木の実” と言われるものであり、人類に死をもたらした “善悪を知る知恵の木の実” だ。

 「銀河鉄道」に同乗したジョバンニとカムパネルラ―― 。タイタニック号の沈没に遭遇し、やむなく死を選ぼざるをえなかった青年と小さな姉弟。そして神の元、黄泉の国へと向かうその他の人々。これらの人々の死が意味するものは、本当は何だったのだろうか。

 そしてなぜ、八十年以上も前に書かれた小説が、途絶えることなく多くの日本人に読み継がれ、しかも筆者のように何度も何度も読ませるのだろうか。
 それは “遥か彼方の銀河” の魅力というものかもしれない。(続く)
 

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・フルマラソンを101日間連続完走した人(下)

2011年02月03日 05時10分42秒 | ■人物小論

 このたびの偉業を裏付ける「渡辺富夫氏フルマラソン101日連続走達成記録」というのものがあり、「Webサイト」で見ることができる。これには101回連続完走の「開催日、大会名、完走タイム、フル完走者数、参加者数、天候」が記録されている。
  
 その記録は、10月2日を第1回目としてスタートした。何気なく眺めるうちに驚きが走った。
 それは「第1回目から50回目(11月20日)」までの「前半」と、「51回目」(11月21日)から100回目(1月9日)」までの「後半」を比較したときだ。「前半」50回分の「4時間台完走」は「10回」しかない。しかも「2日連続」した回数はわずか2回だけ。

 ところが「後半」の「4時間台」は何と「36回」を数え、「2日」「3日」「4日」間の連続が2回ずつある。それに加え、12月15日から「大晦日(31日)」までの17日間は、「クリスマスイヴ」を除いてすべて「4時間台」となっていた。

 毎日「42.195km」を、5時間弱から6時間ちょっとで完走する体力と気力。それを「101日間」連続したのであり、しかもタイムは尻上がりによくなっている。それを「還暦」をはるかに過ぎた66歳の人が達成したのだ。まさしく正真正銘の『鉄人』と呼ぶにふさわしい。美女とビールとステーキにつられて這いずりまわったどこかの親父とは雲泥の差だ。しかもこのとき、その親父の年齢は50歳前だった。

 渡辺さんは、今回のフルマラソン100日連続完走に向け、ときどき「ブログ」を綴っている。それによれば……。


 第14回目の10月15日は、何と「通算五百回目」の「フルマラソン完走」であり、第53回目の11月23日は、ギネスブックの「フルマラソン連続走52日」の記録を更新した日だった。
 そして第90回目の感想には、『“百里を行く者は九十里を半ばとす”の教訓に従い、ようやく半分きたか!と心に言聞かせ……大切な御足(みあし)に大感謝である』と。

 渡辺さんは『フル百回楽走会』という、「フルマラソンの百回達成をめざす会」に所属している。こういう「会」があること自体まず驚きだが、この会の記録を見ると「フルマラソンを百回以上達成した会員」は224人(2011.1.13現在)にも上る。さらに千回以上の方が1人、五百回以上が渡辺さんを含めて11人。“凄い……”と言う以外他に言葉を知らない。

 渡辺さんの「フルマラソン五百回完走」の内容を調べてみた。初めてのフルマラソン完走は、1985年3月24日。百回目の完走達成は1996年4月15日。二百回目は2000年10月9日、三百回目は2004年5月2日、四百回目は2008年8月26日、そして五百回目は2010年10月15日となっている。

 最初の百回完走まで11年とちょっとかかっている。しかし、次の二百回目までは4年半。三百回目までは3年7か月。四百回目までは4年3か月。五百回目までは2年2か月弱。この五百回目が、今回の14日目に当たる。

 全体として、その間隔が早くなっているのが判る。あと13回で六百回目の達成であり、おそらくこれは、今年中の達成ということになるのかもしれない。となれば1年足らずの百回連続完走の達成ということになる。そうなると、いよいよ“讃えるべき言葉”が見つからない。

 人間である以上、無論その「潜在能力」は無限ではない。しかし、意志と鍛練によって、人間の想像をはるかに超える領域に近づけることを示唆している。そこに「潜在能力」の「奇跡」が隠れているのだろうか。“凄い”……いや、“素晴らしい”。いやいや“超凄~い!” 

               

      ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★  Atakushi ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 
 
 ――ほんとに素晴らしいわ。健康だから走れるのでしょう。いえ、走るからこそ健康になる……ってこと?! ええ、きっとそうよ。まずは、とにかく走ること。そして、続ける、走る、ひたすら走る……。そうすれば自然に続いていく……ってわけなのね。

   『まず走る続ける慣れるひた走る』

 う~ん……これ! これ! ピッタリ五七五にまとまったわ。“継続は習慣なり” ってとこね。誰かさんのために、さっそく壁に張っておかなくちゃ! ねえ? どこに貼るのがいいの? 

 ………でも、ああ、やだ! やだ! あたくしが〝これ見よがしに勝手に貼る〟というのは……。あくまでもご本人の〝主体性ある意志〟を尊重しなければ……。ね~え? 何処と何処に、どのくらいの大きさで貼るのが効果的かしら? 遠慮なくおっしゃって……。

 ねえ? 聞いてる? ね~え……。 あれっ? 眠っちゃったの?                        
  
 

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