朝寒や粥の台なす三国志 細谷喨々
ほそや・りょうりょう。句集『桜桃』(昭和62年刊)より。昭和45年作ということは、作者はまだ「東北大学医学部」の学生のはずだ。学校のある仙台に下宿していたのだろうか。
『朝寒』(あさざむ)とは、秋も深くなった頃の〝朝の寒さ〟をいう。昼間はある程度温度が上がるだけに、〝朝の肌寒さ〟 はひときわ強く感じられる。筆者にとっては、寝床から抜け出すのがそろそろ億劫になり始める時節でもある。
「朝粥」は、作者自らが炊いたものだろうか。それとも、下宿の小母さんか誰かによるものだろうか。だが筆者好みの〝句の広がり〟からすれば、作者自身が炊いたとしたい。その方が、句に深みが増す。
……と言えば、次のような「反論」が出るかも知れない。いや、むしろ「下宿の小母さん」に炊いて貰ったとした方が、〝物語が広がる〟のではと。
確かにこの場面は〝作者独り〟よりも、「作者」と「小母さん」という二人の方が〝“物語性〟が高まり、〝短編小説〟的な味わいが出るかもしれない。しかし本来、「俳句」は意図的に〝物語を成すもの〟でもない。
☆
それよりも、注目すべきは『三国志』の存在にある。この場合の『三国志』は、「歴史書」としてのそれではなく、『三国志演義』を下敷きとした〝日本版の歴史小説〟といったものだろう。そうでなければ、『三国志』の「国」は「國」としたはずだ。
ご承知のように、この『三国志演義』には武将、文官、皇帝、皇族、后妃、宦官その他総勢1200人近い人物が登場する。その膨大な人物の中から、よく知られるような劉備や項羽、関羽、張飛、そして諸葛孔明(諸葛亮)や曹操といった人物が、活き活きと語られている。
作者もその中から、特定の「人物」に青年としての夢と憧れを託していたのかもしれない。それは誰であったろうか。……そういうことが自然に思い浮ぶのも、『三国志』に登場する膨大な人間と、そのドラマティックな 〝生き死の諸相〟というものだろう。
そうなれば、このときの「粥」は、作者自らが作ったものとしたい。すなわち作者は、たった一つしかない小さな鍋を使ってなんとか「粥」を炊き上げた……。ひょっとしたら、下宿から一人用の「土鍋」でも借りたのかもしれない。そのように〝想像が膨らむ〟ことも、この句の魅力の一つだ。
ともあれ、作者が自分一人で炊き上げることによって、〝粥の台〟も、その〝台〟となった『三国志』もぐんと生きて来る。何といっても〝たった一人の青年〟と〝膨大な人間群像〟という対比が、この青年の〝孤独さや非力感〟を際立たせ、つましい〝学生一人居〟の〝生きざま〟を巧みに描き出している。
それが結果として、〝三国志に繰り広げられる夥しい人間の生死〟を鮮明に浮かび上がらせたとも言える。(続く)