空襲対策のため強制疎開された京都の住宅

2011-08-12 20:17:03 | その他

 最近、西本願寺北部に立地する醒泉小学校の山科郊外学舎について調査を実施したときに、強制疎開の命で撤去された住宅についても情報の提供があり、併せて検討したが、空襲の被害のなかった京都市でも、延焼防止の目的で多くの住宅が終戦間際に強制撤去された事実を知った。その報告書をホームページに投稿した直後に、立命館大学平和ミュージアムで、第31回「平和のための京都の戦争展」が開催され、“京の建物疎開展”が含まれていることを京都新聞報道で知り、見学させていただいた。
   

     
    2011-08-03-4513  展覧会案内           2011-08-03-4507  強制疎開の対象になった地域コーナー

 本土の空襲が本格化した昭和19(1944)年7月から、京都市では空襲による延焼防止の目的で堀川通・御池通・五条通などが強制的に拡幅(5m→50m)され、その作業が終戦の日まで続けられた。このために約1万戸の民家が立ち退かされたのである。この状況を説明するために、実行委員会では戦前の住宅地図30枚をつなぎ合わせ、その上に拡幅された道路の輪郭を赤ペンで重ね書きし、撤去された住宅がわかる地図に仕上げてあった。
 醒泉地区で住宅撤去の被害者となった土山年雄さんから、終戦の4ヶ月前に3日間で立ち退くように命令されたと聞いている。また、「醒泉学区強制疎開の記録(太田嘉三)」の痛ましい記録のコピーを土山さんからいただいたが、展示会の説明者によると、強制疎開の実態を示す文書が整理保存されていないのが残念として、今回の展示の意義を強調されていた。私と同年齢と推定される見学者とも語り合ったが、強制疎開の経験者が多く、戦争の痛ましさを痛感した一日であった。