京都教育大学の「まなびの森」にあるメタセコイアの説明板

2012-07-31 14:15:08 | 植物と動物

  中国の中・南部に自生する針葉樹で、1948に静生生物研究所の胡博士と南京大学の鄭教授によって記載されました。属名Metasequoiaは後述のように化石に基づいて日本で付けられた名前で、種名のglyptostroboidesは中国の水松Glyptostrobusに似ていることから名付けられました。成長が早く円錐形の見事な樹形を示すことから、各地で植えられています。本学のものは1966年ごろに植えられたもので、当時は樹高2mほどのものでした。
 メタセコイアの化石(Metasequoia distica)は日本列島各地の新生代第3期の地層から化石として産出します。また、日本のみならずカナダ北部やシベリア、グリーンランドなど北半球の北極周辺に広く分布していたことが知られていて、第三紀周北極植物群の代表的な樹木として位置づけられています。
 周北極というと寒冷な気候を思い浮かべてしまいますが、温暖で湿潤な気候で生育するものです。また新生代第四期になると地球全体が寒冷化して、氷期と間氷期がくりかえす時代になりますが、近畿地方ではこの寒冷期に伴って絶滅してしまいます。
 かってメタセコイアの化石は北米東海岸で巨木になるセコイア属あるいは湿潤なところに生育するヌマスギ属の仲間と考えられていましたが、1941年、当時京都大学にいた植物学者三木茂博士によって、セコイア属やヌマスギ属とは異なる新しい属として命名されました。このように化石から命名されたメタセコイアは地上から絶滅したものと考えられていたのですが、同じく中国の研究者によって長江(揚子江)の上流部四川省の奥地で発見され、1948年には新種記載がされたのです。
  日本の各地でみられるメタセコイアは、中国からアメリカに贈られたものが、さらに日本にもたらされたものです。このようにして生きている化石は再び日本の各地によみがえりをしたのです。 


 注記 過去に各地にあるメタセコイアの要旨を報告してきたが、今回訪問した伏見区の京都教育大学の「まなびの森」内にある説明板の記述が一番詳しかったので、記録のために全文紹介したものである。
    なお、説明板には写真や絵図がついているので、全体像を次頁に添付した。
     正門の守衛に場所を確認しておく方がよい。


      
         メタセコイア説明板 2012-06-25-4948                         校内全体図(説明版は中央下部) 2012-06-25-4942

        
               メタセコイア並木道の外観 2012-06-25-4946                   2012-06-25-4946拡大写真

 


講演会「森林で起こっている異変、その原因と対策」の要旨

2012-07-05 23:41:34 | その他

 平成24年6月6日山科アスニーで、京都府立大学・特別講師小林正秀氏の掲題の講演会があり、出席させていただいた。冒頭の館長紹介にもあったが、講師は私がテレビ放送で楽しんでいる「夢の扉+」の1年ほど前の報道にも「ナラ枯れカシナガ森林保護スペシアリスト」という題で登場した先生であることを思い出し、最近山科疏水の側斜面でも被害が発生しているので興味深い講演であった。
 先生は奥地の南丹市美山町の出身で、築200年の国指定重要文化財の旧家に生まれ、幼少時代から野山や川で遊んでいたから、動植物に関する知識と山野を駆け巡る持久力(体力)には自信があると自己紹介された。
 
 先生は、2000年来、全国的に被害が拡大しているナラ枯れの原因が、体長わずか5mmの「カシノナガキクイムシ(カシナガ)」にあるので、十数年前からカシナガの生態と被害拡大のメカニズムの研究に取り組まれ、今回の講演会でもナラの木に侵入したカシナガの幼虫が内部で成長していく姿を動画で紹介していただいた。私は最近カシナガによる被害状況を文書や講演会で聞いていたが、顕微鏡撮影による幼虫の動画映像を拝見し、被害の全体像を再認識することができた。講演が終わっても先生の周辺を質問者が取り囲んでいた。残念であったのは説明資料の配布が無かったことで、本記事のまとめにも苦労したが、間違った表現や解釈があればお詫びしたい。


伏見区の「森林総合研究所・関西支所」のメタセコイア並木道

2012-05-23 01:14:14 | 植物と動物

 メタセコイアについては、本ブログ242号(2011年11月28日分)で滋賀県「マキノ高原500本並木道」、武田薬品「京都薬用植物園」、日本新薬「山科植物資料館」の3ヶ所の紹介をしているが、今回は、伏見区にある独立行政法人「森林総合研究所・関西支所」にある並木道について紹介する。森林総合研究所の全体像についてはホームページ(C-02-05)に近日中に詳しく紹介する予定であり、日本にふたたび伝来してきた過程もブログ(242)に報告しているので、ここでは新しい情報を中心にまとめた。

 建屋への導入道路の両側に数十本植えられて約60年経過しているが、成長が早いので周辺を圧倒する太さと高さになっている。公開施設「樹木林」前の説明板を示すと

地球上から絶滅したかと思われていたメタセコイアは、1945年に中国四川省の奥地で発見され、「生ける化石植物」とも呼ばれている。中国では水分の多い谷間に生育していることから「水杉」とも呼ばれており、日本には1949年に持ち込まれ、ここの並木は1955年に植えられたものである。この木の用途は軽くてもろいため建築材としては利用されず、庭園樹として多く植えられている。

 ここに植えられた1955年はマキノ高原と同じ時期である。嬉しかったのは公開施設「学習室」にメタセコイアの化石の実物が展示されていたことであった。

      

      メタセコイアの化石                 メタセコイアの球果

             メタセコイアの化石 説明板

 当支所の並木になっているメタセコイアは、1945年中国四川省で発見されるまで、化石として知られていただけであった。この化石は第三紀(200万年~4000万年前)に日本で繁茂していたものが地中に埋没し、地下水に溶けたケイ酸塩がしみ込み、つくられたものである。

 球果の中に約20箇の種子ができ、種子は10月頃に熟してこぼれ、風に乗って飛んでいく。数百万年前の化石と次世代の球果(種子)の両方を初めて見学できた旅であった。


細見美術館にある河田小龍が描いた「琵琶湖疏水水路全景」絵図

2012-04-13 21:52:21 | 琵琶湖疏水

 細見美術館外側階段の中2階広場に河田小龍が描いた「琵琶湖疏水線路全景」と題した大型複写絵図が展示されている。この話題は前にも紹介したが、絵図の設置場所の壁が無ければ、岡崎地区を俯瞰できるところに細見美術館が建設されているのが面白い。

         

  この絵図の右上に黒く描かれた琵琶湖が存在し、中央部の屈曲した水路が山科疏水である。左下のゾーンが当時田畑であった岡崎地区の疏水水路であり、途中で白川と合流して最後は鴨川に注いでいる。

   

  上の左図は岡崎地区の拡大図であり、メインルートであった疏水分線が鴨川と交差しており、全水路周辺施設の名称が付記されている。右図は現在の細見美術館の東面であり、2階部分の茶色壁の裏側にこの絵図が存在する。

  階段を使用しないとこの絵図の存在はわからず、一般にはあまり知られていない岡崎の名物の一つといえる。


大津市歴史博物館の企画展「車石」の紹介

2012-02-07 00:12:44 | その他

  3月3日(土)から4月15日(日)の期間、大津市歴史博物館において「車石(くるまいし)-江戸時代の街道整備-」が開催される。約200年前に大津と京都を結ぶ東海道に車石のレ-ルが開通していたという本邦初の企画展で、「車石・車道研究会」と「大津歴博」とが長期間かけてとりまとめたものである。歴史秘話としてすばらしい内容に仕上がっているので、是非見学してほしい。このほど下記パンフレットを入手したので紹介する。

        

 

 開館時間は午前9時から午後5時で、休館日は毎週月曜日と3月21日である。一般観覧料だ500円、高大性300円、小中生無料である。この間、関連講座や車石・車道研究会主催のイベントも開催される。細部については、〒520-0037大津市御陵町2-2 大津市歴史博物館、TEL.077-521-2100http://www.rekihaku.otsu.shiga.jpに問い合わせてほしい。


平成24年01月末時点でのHP追加投稿項目

2012-02-02 20:52:07 | 琵琶湖疏水

 ホームページ http://www.geocities.jp/biwako_sosui/ の追加投稿項目は次の5件ですので、ご覧ください。

第470話   分類  散歩道・山科疏水・55項(B-02-55、2011-12-28)
      題目  山科疏水べりの「安祥寺」の見学記
      内容 「やましなを語りつぐ会」主催の見学会の参加記録
第471話   分類 雑件・その他・40項(G-02-40、2012-01-08)
       題目 平成23年度琵琶湖疏水関連の新聞記事リスト
           内容 一年間の琵琶湖疏水・岡崎関連新聞記事の総括リスト
第472話  分類 雑件・その他・41項(G-02-41,2012-01-10)
      題目 特別展「京の地図学者 森孝安の世界展」第2報
      内容 2年間12回シリーズの5回目「日本地図大集合」を見学
第473話  分類 技術・技術全般・43項(C-03-43,2012-01-23)
      題目 京都市水道創設100周年記念式典に出席
      内容 京都会館で1600人参加の式典が開催、関係資料を入手
第474話  分類 技術・建設工事・23項(C-01-21、2012-01-30)
      題目 「古写真で見る第一疏水建設」特別展の見学記
      内容 琵琶湖疏水記念館で開催され、専門員の説明を聴取する


山科アスニー講演会「調理担当から見た南極大陸の一年間」

2012-01-15 19:56:04 | その他

 1月11日に、山科アスニーで「調理担当から見た観測隊と昭和基地のお正月」と題した講演会が開催された。「南極大陸」については、昭和58(1983)年に「南極物語」として映画化され、昨年末に20億円を投じたといわれる木村拓哉主演のテレビドラマ「南極大陸」があり、記憶も新しかったので拝聴させていただいた。
 講師の北田克治氏は、第38次と第45次の2回越冬隊に参加しておられ、述べ2年4ヶ月(4回のお正月を経験)の滞在経験を持っておられ、巧みな話術で興味ある経験談を楽しむことができた。
 テレビドラマの舞台は昭和33(1958)年ころの話題で、越冬隊員は日本から砕氷船に乗船しているが、現在では11月末に飛行機で豪州に渡り、先発した宗谷に乗船して12~1月に南極大陸東オングル島に上陸し、2月に交代している。隊員が60人で編成され、うち40人が越冬し、20人が夏隊となる。したがって越冬隊員は出発の翌々年に帰国することになる。北田さんの話によると宗谷の乗組員を含めて280~400人の調理を担当したことがあったようである。建屋も順次補強、大型化され、テレビで見たより大規模の施設となっており、施設内容も改善されているのに驚いた。
 日本で普通に生活している人が南極で越冬することの難しさを体験談の中から拾うと、
① 北田氏は昭和39(1964)年生れ、日本国際文化研究センターのレストランで料理長を担当していたとき、研究員の一人が観測隊に選ばれ、北田氏の多彩な人柄から越冬隊料理長に推薦され、2回も機会を与えられた。現在、京都桂の料亭「あかおに」の料理長。
② 出発前の健康診断は厳格で、あらゆる角度から検査を受ける。病気ウイルスの全くいない現地での生態系への影響を配慮し、また隊員の現地での健康の万全を配慮する。
③ 料理だけでなく、大工仕事・医者補助・環境保全補助・電気工事補助・イベント企画などなんでもできることが要求される。北田氏が講演会の最後に残した言葉は、「ひとりでなんでもできるとは思わないこと」であった。
④ 越冬施設には講演会場(約200人収容)くらいの冷凍室が存在し、大量の食糧を保存している。43次越冬隊から予備食糧は空輸で送られるようになった。予備食糧は1年、3年、5年に分けて離れた倉庫に保存する。新鮮な野菜類は豪州で調達し、キャベツなどは半年保存できる。
⑤ アザラシなどの肉類を現地調達したことはない。魚はワカサギ釣りの要領で2mくらいの孔を掘って釣り上げることができる。北海道産のタマネギは1年間保存できる。太陽が全く昇らない真冬には、保存の難しい生鮮食料が枯渇する時期であるが、食事が最大の楽しみである越冬生活での料理長の腕が力を発揮する時期でもある。
⑥ 低温環境であるが、乾燥しているのでソフトクリームがおいしい。日本で酒をあまり飲まない人も南極生活ではよく飲む。氷山に湯を流し、その斜面にソーメンを流して楽しんだこともある。シャボン玉が凍るのが面白かった。
⑦ 最初は樺太犬を同道したが、国際条約で動植物の持ち込みは禁止されているので、犬の同道はできなくなっている。発生したゴミはすべて持ち帰っている。
⑧ 2月から9月にかけてオーロラの観察ができる。オーロラ発生の予測はできない。現地では、新聞係が毎日新聞を発行し情報の共有に努めている。最初は映画フイルムを持参したが、いまではDVD時代で便利になっている。
⑨ 現在第53次の隊員が越冬している。交代時期は2月1日である。私もアメリカや欧州で数カ月の集団生活をしたことがあり、各人の個性間の調和が難しくなるが、北田氏は料理面だけでなく、チームの運営調和面でも大きく貢献されたことが講演内容から伺い知ることができた。

 1時間半のスライド映写による講演内容を記憶のまま整理したもので間違いがあったら容赦願いたい。


第14回世界湖沼会議が米国テキサス州で開催

2012-01-06 15:26:28 | その他

  昨年10月31日から11月3日まで、掲題の会議が米国テキサス州の州都オ-スティン市で開催され、世界39ヶ国から約500人の研究者や行政担当者が参加した。
  この世界湖沼会議は、日本の滋賀県が提唱して昭和59(1984)年に大津市で第1回会合が開催された日本発の国際会議で、ほぼ2年ごとに世界各地で開催されてきたが、日本では、第1回(1984)に続き、第6回(1995)茨城県つくば市・土浦市、第9回(2001)滋賀県大津市の3回開催されている。
  この国際会議の開催議事や報告内容は、ネットでその詳細に接することができ、貴重な情報源となっているが、今回は日本の琵琶湖保全の先進性が注目され、「統合的湖沼流域管理(ILBM)」の重要性を訴える宣言を採択して閉幕した。
  ILBMとは「湖沼を隣接する地域だけで保全の努力をしても、水が流れ込む上流域と流れ出る下流域の協力がなければ、水質や水量の維持は難しい。情報の統合管理が必要である」との思想のことで、研究者出身の滋賀県嘉田知事は「琵琶湖総合開発事業の取り組みで、効果的な利水と洪水の減少が実現した」(京都新聞記事引用)と発表した。
 この宣言は、2012年6月にブラジルで開催される「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」で議論検討すべき課題となるよう努力ことを盛り込んだ。
 また、嘉田知事は「湖沼会議の父」と呼ばれる琵琶湖研究所の初代所長・吉良竜夫が、開催直前の2011∸07∸19に逝去したことを報告し、その貢献に感謝した。

 「琵琶湖ハンドブック」によると、世界には数百万個の湖があり、面積500平方km以上の「太湖」は253(うち淡水湖は188)存在するが、琵琶湖は日本唯一の「大湖」で、淡水湖の面積順位は129番目にあたる。琵琶湖の貯水量は275億トンあるが、琵琶湖淀川系には1400万人の住民が生活しており、その水管理のレベルの高さが世界の注目を集めている。世界湖沼会議で報告される各国の話題を読むと、水にかかわる題が多岐にわたっており、きわめて難しい問題を抱えていることがわかり、世界湖沼会議や世界水フオーラムなどでの国際討議の重要性を再認識することができた。


平成23年12月時点でのHP追加投稿項目

2011-12-25 18:37:10 | 琵琶湖疏水

 ホームページ http://www.geocities.jp/biwako_sosui/ の追加投稿項目は次の5件ですので、ご覧ください。

第465話 分類 全般・その他・第41項(2011-12-11、A-04-41)
      題目 京都市長と「近代京都の礎を観る会」との懇談会要旨
      内容 琵琶湖疏水記念館で開催された懇談会の要旨奉告

第466話 分類 全般・その他・第42項(2011-12-15、A-04-42)
      
題目 「歩くまち・京都」シンポジウムに出席
      内容 「みやこめっせ」で開催された掲題のシンポジウムの要旨

第467話 分類 散歩道・関連河川・第12項(2,011-12-20、B-07-12)
      
題目 講演会「伏見の水辺を活かす」に出席
      内容 第5回伏見酒蔵界隈講演会で西尾信廣氏の講演を聴取する

第468話 分類 全般・その他・第43項(2011-12-22、A-04-43)
      
題目 講演会雑メモ(3)ビオトープネットワーク京都主催で講演
      内容 山科疏水・本圀寺で、山科疏水の講演を実施(配布資料の紹介)

第469話 分類 全般・その他・第44項(2011-12-23、A-04-44)
      
題目 講演会雑メモ(4)山科「ふるさとの会」主催で講演
      内容 御陵会館で山科疏水関連講演を実施(配布資料の紹介)


京都橘大学主催の「現代ビジネスフオーラム」に出席

2011-12-20 11:01:21 | その他

現代ビジネスフオーラム「地域連携の到達点と展望」
         (大学はどこまで地域貢献ができるか)

 2011年11月19日、JR京都駅前の「キャンパスプラザ京都」で掲題のフオーラムが開催され、出席させていただいた。
    
 京都橘大学の「山科盆地景観研究会」でご指導いただいている織田直文教授の総合司会で、下記3人の講師が配布資料に基づいて事例報告を行った。
 筒井のり子(龍谷大学社会学部教授)・・・・・・・・・大津市の事例報告を中心に
 森 正美 (京都文教大学人間学部教授)・・・・・・・宇治市の事例報告を中心に
 木下 達文(京都橘大学現代ビジネス学部准教授)・・・京都市山科区の事例を中心に

. 大津市の事例は、「大津エンパワねっと」を進める会という地域の諸団体と大学教員で構成された組織の活動内容で、学生と地域が協力して過去3年間に32件のプロジェクトを実施している。地域力×学生力=∞(無限大)を標語として活動し、協力した学生には[龍谷大学まちづくりコーディネーター]の認定証を付与して成果を挙げている
. 宇治市の事例は、「宇治茶」を中心とした活動内容と京都文教大学の教育方針の特色の紹介があり、「就業力×学士力で社会を生き抜く力を育てる」の標語が示された。今年の新聞報道で緑茶の話題が多いが、その活動のベースになっていることが理解できた。
. 山科区の事例は、私自身が住んでいるので活動内容は十分に理解していたが、「京都橘大学における地域連携実績―この10年を振り返る」と題して、同大学の7人の先生の活動内容が資料で細部紹介され、認識を新たにした。

 そのあと、第二部で、立命館大学政策科学部の高田教授がコーディネーターを務めて3人の講師間のシンポジウムが開催され、最後に京都橘大学文化政策研究センターの杉山所長の閉会挨拶で3時間半のフオーラムが終了した。

 全体の印象として、地域に所在する大学が、その地域と深く提携して指導することは重要なことであり、学生の指導面と地域の文化面・活性化面で着実に効果を挙げていることを認識することができた。さらにお互いに隣接する大津市・山科区・宇治市・伏見区が一堂に会して成果を確認し合うことの重要性も理解した。