ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今日の俳画は〝蓼〟

2017年10月12日 | 俳句

 今日の午後は俳画教室の日でした。画材は〝花瓶に蓼の花〟。

 我家でもよくこの時期には、水引草や露草、蓼(たで)などを小さな花瓶に活けてトイレなどに飾っています。洋花と違ってこのような野の草花は自分を主張しすぎず、特に秋のものは楚々として可憐なのが多いので大好きです!

 花器も飾り気のない手捻りのような土の匂いのする一輪挿しがいいですね。わが旦那様は陶芸を始めてもうかれこれ10年になるかしら…だから、我家にはそんな作品がごろごろありますので、選り取り見取りなんですよ。

 俳画が済んでからいつもの薬局へ定期的な健康相談に行きました。そこでは体調の相談や体重、体脂肪、内臓脂肪などいろいろと調べて貰います。ここのところ忙しいのと日程が合わないのとで四ヶ月ぶりでした。わあ~やっぱり!心配していたとおりでした。体重はそれほど増えてはいませんでしたが、体脂肪も内臓脂肪もかなり増えています。この原因は…分っているんですよ、モチロン。

 1,野菜の摂取不足  2,運動不足 3,炭水化物の取り過ぎ 4,おやつ(甘いもの)の食べ過ぎ 5,食事時間が遅い  6,水分不足 7,就寝時間が遅い…まだあったかしら?

 特に、脂肪を貯めないようにするためには、野菜と水分をしっかり採って、早く寝ることだそうです。確かに以前に比べてみると、この四ヶ月で体内の水分量が1㎏も減っているし、寝るのが遅いために新陳代謝量がグッと落ちていました。だから体重が変らなくても脂肪は増えているんですって!そう言えばここのところブログを書いていて、寝るのがいつも1時過ぎ…これが良くなかったんですね。新陳代謝を上げるには、夜10時から朝2時の間にホルモンが一番活躍するので、その間睡眠をしっかり取ることなんだそうです。そうすると脂肪も燃えるし貯えもしませんので、いろいろなところでプラスになるらしい。やっぱり昔から言ってます〝早起きは三文の徳〟と。医学が発達してなくても昔の人はスゴイですね!

 そこで今日から、10時に寝て4時ごろ起きてブログを書いてみようということになり、それを1ヶ月後に検証することになりましたが…果たして私に出来るでしょうか?でもここに書いたら〝やるっきゃ〟ないですね。ガンバロウ!

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音戸大橋とアレイからすこじま

2017年10月11日 | 日記

 先日、体育の日に行った呉での写真、せっかく撮ったのでここに載せます。よろしかったら見て下さい。

 1,音戸大橋…1,000トン級船舶の航行を可能にするため、螺旋式とループ式の取付道路を持つ高架橋。昭和36年(1961)12月完成。

 2,第二音戸大橋…平清盛が夕日を招き返して、この音戸の瀬戸を1日で切り開いたという伝説から、「日招き大橋」という愛称で呼ばれています。平成25年(2013)3月完成。左下の方に緑色の屋根の〝音戸の渡し〟が小さく映っていますが、分りますか。日本一短い航路で所要時間3分、一人でもお客があれば出してくれるし、対岸で手を挙げたら迎えに来てくれるそうですよ。料金大人100円。子供50円。 3,アレイからすこじまの説明板…アレイは小道のこと。嘗てここは「からすこじま」という小さな島で、大正時代に魚雷発射訓練場として埋め立てられたもの。

 4,旧魚雷揚げ下ろしクレーン

 5,砲(?)魚雷(?)…ベンチ代わりに…子供が乗って遊んでいました。

  6,花崗岩の護岸

  7,旧海軍工廠の煉瓦建造物…戦後は倉庫に使われているそうです。

 呉の港は、潜水艦や護衛艦などが間近に見られて、その昔日本海軍の本拠地だったことを偲ばせるエリアでした。

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〝軍港〟呉にある句碑

2017年10月10日 | 俳句

 昨日は朝から広島県呉市へ出掛けて行き、私の初学よりお世話になっている先生を所用があってお訪ねしました。駅で落ち合い、呉市にあるあちらこちらの句碑などを案内していただきました。

 以前から話は聞いていましたので、一度見ておきたいと思ったのです。最初に連れて行ってくださったのは、音戸の瀬戸公園にある山口誓子と橋本多佳子の師弟句碑でした。

   天耕の峯に達して峯を越す     山口誓子

   寒港を見るや軍港下敷に      橋本多佳子

 誓子の句は、「耕す」が季語で春。「広島行」と題する一連16句の中にあり、昭和37年(1962)作、句集『青銅』所収。ただこれには、誓子が後の「自選自解」で次のように述べています。「天耕」は造語で「耕して天に至る」をつめたもので、「倉橋島を裾からてっぺんまで見上げると、すっかり耕されている。それどころか、峯を越して裏側にもおよんでいる。そのような天耕ぶりに私は感動した。」と。その誓子の句と並んでいる多佳子の句も呉の港を見て詠んだものですが、何年の作かは分りませんでした。季語は「寒」で冬。二人とも初めは「ホトトギス」に拠っていましたが、秋櫻子が昭和6年(1931)ホトトギスを離脱すると、昭和10年(1935)に誓子・多佳子も離脱し、ともに「馬醉木」に移って同人となりました。誓子が昭和23年(1948)「天狼」を創刊・主宰するにあたって、多佳子もそちらへ移り、亡くなる昭和38年(1963)まで終生誓子に師事しました。 

 ここにはその他に呉出身の歌人の歌碑などもありましたが、中で印象に残ったのは、吉川英治の文学碑です。

   君よ 今昔之感 如何

 これは、『新平家物語』の執筆にあたり、史跡取材のためにこの地を訪れた際に残した吉川英治の感懐です。彼の直筆を富士形の自然石に刻み、平清盛に見立てた円形の石とともに配し、都と厳島神社の航路の近道として平清盛により切り開かれたとの伝承もある音戸の瀬戸を眺めるこの場所に建立されたものです。

 他には〝アレイからすこじま〟にある、正岡子規の句碑。この句には、「従軍する人を送る」の前書があります。

   陽炎に心許すな草枕

 季語は陽炎(かげろう)で春。この句碑は、呉市の協力を得て呉観光協会と呉俳句協会とで建立したもの。その当時呉俳句協会の会長をされていたわが先生がご尽力されて出来上がった句碑なんですよ。明治28年3月9日~10日呉に滞在し、一足先に日清戦争の従軍記者として大陸へ向う同僚古島一雄(俳号一念)と遊び、彼を見送るにあたって詠んだ句…何処でどんなふうに旅寝(草枕の意味)をしようとも、どんな些細なものにも油断をするな、いいか必ず生きて帰ってこいよ…と、そういう思いを詠んだものだということです。

 ところで、久し振りに呉に来てびっくりしました。潜水艦がズラリと港に並んでるではないですか。

 何をしているんですかと聞くと、命令が下るまで待機して休んでいるのだと。あっちにいるのは?と聞くと「護衛艦だろう」と先生。まさに嘗ての軍港さながらですよ。(戦争は知らないので、映画とかの場面で…)まだまだ見たいところはたくさんありましたが、時間がなく4時過ぎの呉線に乗って広島へ向かいました。駅前のホテルで、大学のワンゲル部60周年記念式典が18時から開始。1年振りの再会でしたので、話が弾みました。二次会は帰りの新幹線に間に合うように、構内の喫茶店で珈琲を飲んで分かれました。福岡から来た同期の彼とおしゃべりしながら帰ると、あっという間の新山口駅でした。

 朝からとても暑い1日だったので、ホントに疲れました。オシマイ!

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〝一身にして三生を生きる〟角川源義随筆集

2017年10月08日 | 日記

 今日は日曜日なので、朝から何も予定がなく、久し振りにのんびりしました。とはいっても、日頃の溜まっていることがあれこれあるので、それを片付けていたらすぐに午後になっていました。

 テンちゃんは私たちが掃出し窓のところに行くたびに、すぐに起きてきて開けてくれと鳴くんですが、ダメだと分ると外を恨めしそうに眺めています。ゴメンね!もうしばらくの辛抱だから、我慢して…まあ、諦めは早いほうなので、後はおとなしくしています。

 今まで忙しくてそのままにしていた、月刊雑誌「俳句」10月号の封をやっと切って中を見ました。すると、「生誕100年記念角川源義随筆集 一身にして三生を生きる」が、別冊付録として入っていました。明日は1日潰れるので、火曜日の句会準備をしておかなくてはいけません。ゆっくり読む暇はないのですが、つい「生い立ちの記」という題が目に留まり、読んでしまいました。考えてみれば、私は角川源義について何も知りません。ただ角川書店の創業者で俳人、国文学者、俳句結社「河」の創刊主宰だったということ、たくさんある著書や句集もタイトルを聞いたことがあるぐらい。

 明日の広島行の新幹線でゆっくり読んでみようと思っています。しかし、その「生い立ちの記」を読んでしまって、すぐに母のことがダブってしまいました。母がお姑さんで苦労したという話は余り聞かなかったのですが、父が所謂〝亭主関白〟で、それで苦労したという話は、帰る度に母から聞かされていました。源義さんの母はお姑さんで苦労されたという違いでしたが…。特に「…母は幾度となく死を決意し、兄を背負って家を出た…」という場面。私の母もいつもその話をして、「兄の無邪気な寝顔を見たら、どうしても死ねなかった…」と言っては、その頃のことを思い出して涙を流していましたから。私は、その話になると母が泣き出すのがイヤで、すぐに話題を変えていました。お母さん、ゴメンなさいね!娘は一人しかいないのに…、気が済むまで母の話を聞いてあげればよかったな~と、今では後悔しています。私の一生は小説が書けるほどだよ…などと言っていましたので、昔「私がいつか書いてあげるね」なんて言って、慰めていたのですが。こんなことならもっと良く話を聞いて、書き留めておくんだったなあ~と…もう手遅れですがね。

 明日この随筆集を読んでから、また何かおもしろい話があればご紹介しましょう。 

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2017年10月07日 | 日記

 昨日の雨が少し残っていて、朝はパラパラとしていました。今日もテンちゃんの病院通いです。縫ったところが化膿していないかを診るためでしたが、それは異常なし。しかし、昨日から何度も吐くことを告げたら、今度は吐き気止めの注射をしてくださり、帰りに胃腸剤と制吐剤の錠剤をもらいました。

 ところで、10月から始まったNHK朝ドラが「わろてんか」で、主役の名前が〝藤岡てん〟。このところ毎朝、テレビで、てん、てん…という名前を聞かされ、それが済むと今度は猫のテン、テン…と、なんだか我家は一日中〝テン〟で終始しているようです。今は外に出してもらえないので、誰彼無しに甘えて出してくれと鳴きますが、ダメだとわかると、今度はふて寝をして、呼んでも何をしても知らんぷりですよ。猫もいっちょ前にはぶてるんですね。早く元気になってほしい!

 柿が熟れ始めました。でも、それは中に虫が入っていて傷んだのが早くに熟柿になるのです。その熟柿がすぐにポタポタと落ちてきますので、少しもいでみました。食べると今年の柿は甘いですよ。まともなのはもう少し置かないと美味しい色になりませんが、置きすぎると、今度はつい油断して鵯や烏に食べられてしまいます。困ったものです! 

 子規の好物の柿は御所柿ですが、我家のは富有柿です。東アジア温帯に固有の植物で、中国では紀元前二世紀に栽培の記録があり、日本へは奈良時代に渡来したもの。改良され多くの品種がありますが、大きくは甘柿と渋柿に分け、甘柿はそのまま、渋柿は脱渋をするか干柿にして食べます。また、柿渋を取ったり発酵させて柿酢を作ったりもします。

 さて、「柿」ですぐに浮ぶ句はというと、これではないでしょうか。

   柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺   正岡子規

 「法隆寺の茶店に憩ひて」の前書があります。明治28年10月19日松山出発、広島、須磨を経て大阪に至り、さらに奈良に3日間遊んで、10月30日に帰京した子規の、奈良で詠んだもの。すでに宿痾の腰痛に苦しみ始めていたのですが、奈良滞在中はその痛みもなく、思い出深い旅になったようです。後年の小品『くだもの』に、この時の旅を回想し、東大寺脇の宿で奈良名産の大好物の御所柿を、愛らしい女中にむいてもらって食いながら、初夜の鐘に聞きほれる話を書いています。この句の場合は法隆寺の茶店となっていますが、どちらにしろ楽しい旅だったのでしょう。

 この句の鑑賞で大事なことは、柿を食べたから鐘が鳴ったと解釈してほしくないということ。それだったら因果関係になって、なぜという疑問しか残らないですね。ここは、柿を食べることと鐘が鳴ったことは、たまたまであって、そこには何らの理由はないのです。その偶然を子規は感覚的に〝おもしろい!〟と直感したのでしょう。柿の色と味、それに重なる法隆寺の夕景、更にはそれを包む鐘の音という…視覚的、味覚的、聴覚的な偶然の重なりが、理屈抜きの詩の世界で響き合ったのでしょう。これはいわゆるだれしもが心の中に持っている、日本の〝原風景〟ではないでしょうか。

 そう思って読むとき、上五中七のAの母音が快く響き、リズムよく下五につながて流れるでしょう。そして、繰り返し目を閉じて読んでみて下さい。その情趣的風景(イメージ)が眼前に広がっていくでしょう。それが名句といわれる俳句ではないか…と、私は思うんです。    

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テンの手術

2017年10月06日 | 日記

 今日は天気予報通り朝から1日雨でした。でも、山口県全域に大雨警報が出ていると、テレビのテロップで流れたのに、ここはそれほどでもありませんでしたので、何処のことだったんでしょうか?(先程テロップで解除されたと出ていました)

 今日もテンちゃんを病院に…ところが、今度は旦那まで寒気がして食欲がないと、それも昨日からと…、なら薬を飲むか病院に行ったらというのですが、どちらもイヤだとおっしゃる。困ったことです。

 それで私がとにかくテンだけ連れて行きました。すると、先生が今日はもう切開して縫いましょうと、…それで入院かなと思ったのですが、夕方お迎えに来て下さいと言われてホッとしました。でも、全身麻酔でするので、承諾書を書かされたんですよ。ホントに人間と一緒です。

 迎えに行くと、下の写真のように8針縫っていて、痛々しいこと!抜糸は3週間後ですって。家に帰り、しばらくすると、朝から何も食べていなかったからお腹がすいたのでしょう、餌を食べたのはいいんですが、すぐに吐いてしまいました。やっぱり麻酔の影響でしょうか。その後も吐いたりするので、今日はもう絶食ですね。可哀想ですけど…。

 ところで、支払いの時ひやっとしましたよ。1万円以上掛かるとは思っていましたが…ナント21,600円でした。まあ何とか足りたのでよかったのですが、それにしても動物の医療費は保険が利かないから高いです! 家族に病人がいるといけませんね。今日は雨まで降ってどよ~んと…暗いですね~。

 明るい話題を何か…そうそう、9日は広島に行きます。大学のワンゲル部60周年記念式典がありますので、それに出席するためです。懐かしい人たちの顔を見て、しばらく思い出に浸りましょう。秋の夜はそういうのにぴったりですね。一つ残念なのは大好きな顧問の藤原先生がいらっしゃらないこと。もう5年かしら…〝去る者は日々に疎し〟ですね。淋しいけれど…そうやって大好きな人達が一人一人と去って行くのも人の世のさだめです。

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鰯雲

2017年10月05日 | 俳句

 今日昼間はまあまあのお天気でしたが、夜になって雨が降り出しましたので、月は見られません。昨日が名月で良かったです。明日は大雨になるという予報が出ていましたので…満月は無理でしょう。

 そうそう、今日は私がテンちゃんを病院へ連れて行きました。いつものことですが、診察室に連れてこられると、籠の中でお尻を向け固まって出て来ませんので、引っ張り出すのに一苦労です。必死に抵抗しますもの。人間と同じですよ。まあ傷口を消毒して薬を塗って終りなんですけどね。明日もまた…です。家に帰ると、鰯雲が広がっていました。もちろん鰯雲は秋の季語です。でもこの雲は前線付近に発生しやすく、降雨の前兆とされています。やっぱり当っていますね。

   鰯雲こころの波の末消えて

 昭和20年発行の、水原秋櫻子先生の句集『残鐘』の巻頭句です。この句集は先生にとって一つの節目になる大切なもので、発行元の竹頭社は石田波郷が創始した出版社、紙質の選定、割付、校正等すべて波郷が手がけたという。随筆『残鐘雑記』に、本が出来るまでの経過と、出来上がりを手放しで喜ぶ姿が描かれています。秋櫻子先生はこの句を詠んだときの心境を次のように述べています。

 この句は、八王子の家から浅川の堤をぐるりとまわる散歩道で詠んだ。堤に立って、空を見上げると、高尾山から陣馬山にかけて、鰯雲が広がっていた。鱗のちらばりが次第に大きくなり、薄れゆき、やがて雲ひとつない青空に移っていく、そんな空を何日か眺めているうちに、人の離合集散で胸を波立たせることはないという心境に至った。

 叙法に気をつけて、柔らかく、平らかに詠んだ。(『自選自解』) 

 先日の句会で見せて貰った本、『カマキリのかんさつ』を借りて読んだんですが、面白かったですよ。知らないことが一杯です。下の写真は我家にあったそのカマキリノ卵のうです。

 この中には200個ほどの卵が入っているそうです。卵の長さは6ミリ。最初は白い液をお尻の先から出して、木や草などにくっつけると、今度はゆっくりとお尻で捏ねて泡立て始めます。この泡の中に3時間ほど掛けて卵を生みつけ、そのあとしばらくして雌も死ぬんですって。雄は雌に食われて死ぬのが多いのですが、そのままでも死んでいくんですから、雌の役に立って死ぬ方が本望かしら?クリーム状の卵のうはだんだんと固くなっていき、中の卵を冬の間じゅう守る役目をするんですよ。やがて5月過ぎるとぞろぞろと卵のうを破って幼虫が出て来て、しばらくすると羽が生えてカマキリになるんですって。オシマイ!

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一茶の名月

2017年10月04日 | 俳句

 今日は「中秋の名月」ですよ。すなわち陰暦8月15夜の月。 しかし、満月は10月6日なので少し欠けています。要するに月の満ち欠けがきっちりと1日単位でないので、そのずれが生じて、8月15日は名月であっても、満月になるとは限らないのですよ。今年は2日ずれていますが、次にぴったりと8月15日が満月になるのは2021年だそうです。ああ~ややこしい!

 ところで、今日もテンちゃんを旦那が病院に連れて行ってくれました。昨日の黒くなっているところは皮膚が壊死しているんだそうです。「それでどうなるの?」「穴が開くかもしれんて…そしたら縫うのかも…」「そこはもう毛が生えてこないわよね~」人間の壊疽と同じなんです。コワイですね~。明日もまた病院ですって…可哀想なテンちゃん!早く良くなりますように。

 またまた話変って、「名月」に戻りましょう。以前9月6日のブログ「一茶の〝月〟」で取り上げましたが、〈名月をとつてくれろと泣く子かな〉という一茶の句、後で分ったことですが、これは『おらが春』に収めるとき改作したもので、五年前には次のように詠んでいたというのです。

   あの月をとつてくれろと泣く子かな

 意味は全く同じなのですが、「名月」と「あの月」ではちょっと印象が違ってきますね。あの月を…という「あの」という連体詞が子供らしいそのままの口調を思わせて、実感がこもります。「名月」では何となく作り物っぽい感じがするように思いませんか?私が思うには、『おらが春』は、一茶57才の一年間の身辺雑記や回想を記したもの、五年前というと52才で最初の結婚をした年です。だとすると、子を3男1女設けたのだから、いくら幼くて次々と亡くなったとしても、この一年間にはわずかではあってもこれらの子供らと触れ合う時間はあったでしょうから。とすると、初案の句は無邪気な子供が実際に言った言葉をそのまま詠み込んだと考える方がよさそうですよね。では、なぜ五年後には「名月」と改作したんでしょうか?

 私が思うには、そのままでは死んだ子のことがあまりにも生々しく思い出されて、とても辛かったんではないかと…。みなさんはどう思われますか?だからここはちょっとわざとらしく戯謔的に詠み替えたのではと思うのですが…。一茶にはそういうところがありますよね。

 今日の月はとてもきれいでした。まるで次に来る〝後の月〟、すなわち十三夜の中秋版ですね。でも満月に見えるでしょう!

 

 

    

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〝テン〟の怪我

2017年10月03日 | 日記

 今日は昨日と打って変わってよい天気になりました。ちょっと残念な気もしますが…いや、いや、昨日はあれで良かったんです。めったにない経験ですからね。それにあんな雨の中では来る人も殆どいませんでしたし…気兼ねなくじっくりと見て廻られましたもの。

 ところで、先日から〝テン〟の様子がおかしいなあと思っていましたら、どうも怪我をしているようなので、昨日旦那が動物病院へ連れて行ってくれました。(いつもは私が連れて行くのですが、吟行会で朝から出掛けましたので)

 やはり猫同士の喧嘩でやられたようだと、注射と薬を貰ってきていました。以前も餌を食べなくなり、元気がなくぐったりしていたことがありました。それで、おかしいと思って病院に連れて行きましたら、猫の爪が脇腹に刺さっていて、そこから化膿して腫れていたんです。今回も同じ猫かどうか分りませんが、とにかく我家のテンちゃんは弱いんですよ。すぐやられるんですから。

 吟行から帰ってきてテンを見てびっくりしました。耳の下の所が真っ黒になってるではありませんか?聞くと、先生が毛を剃ったんだと。そうしたら皮下に血膿が溜まっていて、こうなっているのだと…まあ、なんとも痛々しくて可哀想です!

 この猫はあまり病気はしなかったので、避妊手術の時以外は病院へ連れて行くことがなかったんですが、もうかなり年寄りになったからでしょうか。弱いくせに喧嘩するんですね。これも雄の本能でしょうか?

 明日また病院に来るようにと言われたそうなので、今度は私が連れていくつもりです。以前私も猫に嚙まれて指が腫れ、びっくりして救急病院に行ったことがあります。猫の牙や爪には恐ろしいばい菌があるということを知らず、嚙まれたとき消毒してバンドエイドをはっただけでした。すると、だんだん赤く腫れてきて、夜になると寒気までしてきて、熱が少し出ていました。夜だし…日曜だし…これぐらいのことで病院なんて…でも、なぜか気になって薬剤師の弟に電話すると、すぐ救急病院に行って注射を打って貰うようにと言われ、ホントにびっくりしたんですよ。猫に嚙まれて…というとすぐに診てくれました。もう夜の10時もとうに過ぎていましたが。おまけに破傷風の注射もしてくれましたよ。抗生物質の薬も貰って帰りました。それから、これぐらいどうってことない…なんて思ってはいけないんだと、懲りました。そしたら、今度は母も嚙まれて…それですぐに病院に行くように勧めましたので、ひどくならずによかったです。何事も経験ですね。病気に対してはいろいろと知識を持っていて、頼られる方ですが…猫のことは全く知りませんでしたもの。でもこんなことではあまり経験豊かにはなりたくないですが…。(笑)

 この発泡スチロールの箱が今のお気に入り、呼んでもなかなか顔を上げませんでしたがやっと…、痛々しいテン!

 

 

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「ときわ動物園」の吟行会

2017年10月02日 | 俳句

 今日は朝から雨、雨、雨…実はO句会の吟行会だったんですよ。本当は第1火曜日が定例なので、明日のはずだったのですが、今回の吟行目的地である「ときわ動物園」の休園日が火曜日だったんで、仕方なく変更したんです。

 この動物園は、〝緑と花と彫刻〟の町・宇部市の市制施行90周年記念事業として全面リニューアルされ、平成28年3月19日にグランドオープンしたものです。特徴はオープンエアー型なので、自然な動物の姿が間近に見られ、特に猿の仲間は充実しています。また、日本初のボンネットモンキーとコツメカワウソの同居展示がなされていたり、アジアの森林ゾーンではシロテテナガザルが自由に飛び交うさまが身近に見られます。中南米の水辺ゾーンにはカピバラの親子…特に一昨日生まれたという四匹がお母さんに甘えてお乳をねだる可愛らしい姿なども観察できました。アフリカの丘陵マダガスカルゾーンのミーアキャットのナント可愛いこと!ワオキツネザルやエリマキキツネザルなども群で生活していて、面白かったですよ。

 日頃お天気が良いときの元気な動物たちの姿ではなく、雨の中での貴重な姿が観察できて、俳句では〝雨もまたよし〟という通り、良い経験の吟行会でした。後半になると、雨も止んでくれましたし、傘を差さずに見られて良かったです。

 お昼は、公園の一角の焼き肉屋さんで食べました。デザートも頂き満足、満足とみんながホッとしているところで、「さあ、句会を始めますよ~」と言うと、途端に皆さんの顔が変ります。2階にある無料休憩所で12人の2句投句で句会を始めました。

 質問が出ます。「季語は秋でないといけないんでしょうか?」「はい」「雨が降ってないといけませんか?」「イヤ、後半は止んだから雨上がりでも、また降ってない景でもいいですよ」など、など…

 猿はもちろんのこと、カピバラ、ミーアキャットもでて…ああ~フラミンゴも出ましたね。猿のイケメンや哲学者なども…、季語ではやはり「秋の雨」「秋雨」「秋時雨」「秋霖」などが多かったですが、雨が止んだから「萩」や「秋風」「木の実」なども。変ったのでは「秋思」「雁渡し」など。みんな同じものを見て回っていますし、範囲が狭いので、似たような句が多く出ましたが、そういう時はちょっとした助詞の使い方で勝敗が決まりますね。次の3句を見て下さい。

  〈秋雨や子猿寄り合ひ岩陰に〉〈岩陰に子猿2頭や秋の雨〉〈秋の雨肩を寄せ合ふ子猿かな

 みな同じ所を見て詠んだんですね。いかがですか?皆さんだったらどの句に一票入れますか。考えてみて下さい。

 最初は結構雨が降っていましたので、写真撮り損ねました。また、撮れても写りが悪い…いつものことですがゴメンナサイ!

  1,ミーアキャット2,エリマキキツネザル3,パタスモンキー4,ワオキツネザル5,アルパカ

 

 

 

 

 

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