ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝終戦記念日〟とは詠みたくない!

2022年08月16日 | 俳句

 昨日は8月15日…いわずと知れた〝終戦の日〟です。歳時記を見ましたら、主季題に「終戦記念日」と、傍題には「敗戦忌」「終戦の日」「敗戦の日」などとありました。これは以前にも書いたことがあるような気がしますが、私は「終戦記念日」という表現には少なからず違和感を持っています。

 そもそも「記念」という意味は広辞苑で調べると、〝後々の思い出に残しておくこと。また、そのもの〟とあります。あの悲惨な日本最大の戦争の記憶、私には何もないのですが、いろんな体験者の話や映画・ドラマなどで見聞きして知識的には知っています。また、この戦争のせいで日本は人類史上初の被爆国になりました。その核戦争の怖ろしさを身を以て体験した国なんですから、忘れようたって忘れることは出来ないでしょう。更にこのような戦争がこの地球上に二度と起きないようにとしっかり歴史に刻み、次の世代へと伝えていかねばならないとも思っています。

 しかし、101歳の義母はまさにその体験者なんですが、でももう思い出したくもないし、語りたくもないと言います。ある意味経験した殆どの人々はそうなのではないのでしょうか?しかし「〇〇記念日」などというような言葉にすると、そこには何らかのプラス思考が働き、とても懐かしい良い思い出だったような気がしてきませんか。

 そもそも「思い出」として残したいと思うものは、きっと誰しもがいい思い出だと思うんですよ。嫌な思い出というものは出来れば忘れたい、思い出したくもないというのが一般的な気持ちなのでは。

 でもこれは記録に残さねばならない歴史的事実であるということにも異論はありません。だったらせめて「記念」をつけずに、〝終戦の日〟とか〝敗戦日〟などと、または戦争で亡くなられた300万からの方々を悼むための〝敗戦忌〟などを使って詠みたいものだと。だから歳時記や季寄には、「終戦記念日」というのを主季語として載せて欲しくない!というのが私の考えなんです。

 次の2句は、どちらも馬酔木の大先輩の作です。特に後句の貞峰氏は今96歳、俳誌「馬酔木」の当月集作家として毎月句を発表し巻頭を飾っておられます。

  堪ふる事いまは暑のみや終戦日   及川貞

  この空を奈落より見き敗戦日    岡田貞峰

 参考までにお二人の経歴などを判る範囲で…。終戦の時、貞氏は46歳、貞峰氏は20歳頃に、要するにどちらもこの戦争をしっかりと体験された目で詠まれた句ということですね。貞氏の句は…〈堪ふる事いま暑とコロナ終戦日〉なんて言い換えたらまさに現在そのものですものね。

 及川貞氏は、1899年(明治32年) -1993年(平成5年)の俳人。女学校時代、御歌所寄人の大口鯛二について和歌を学ぶ。大正5年海軍士官と結婚し、夫の任地の佐世保や呉で暮した後、昭和8年上京、馬酔木俳句会に参加、水原秋櫻子の指導を受ける。13年「馬酔木」同人。馬酔木婦人会を興しその育成に尽力。茶道師範で終生主宰誌を持たず自由な句風で女流の最長老と目された。句集に『野道』『榧の実』『夕焼』ほか。

 岡田貞峰氏は、1926年(大正15年)生れ、東京都出身。水原秋櫻子に師事。1956年「馬酔木」新人賞。1957年「馬酔木」同人。1972年「馬酔木」賞。1997年「馬酔木」顧問。

 さて、先日書きましたように、15日の昼は家族6人で食事に行きました。今回もお婆ちゃんのおごりで、フランス料理のフルコースです。

 主人が、〝ブログに食べ物を載せるようになったらオシマイだよ〟なんて言いますので、今回は簡単に写真だけを…はい、お婆ちゃんゴチソウサマでした!

 とっても静かな所の、それも個室で家族水入らずの落ち着いた新盆供養の会食が出来ました。残念ながらコースの一番おいしかったスープと魚料理の所を撮り忘れて、息子にLINEで写真送って貰ったんですが、それをどうしていいのか…?更にスマホで撮った写真はどれもピントがイマイチ、お天気も曇りで…ゴメンナサイ!

 ああ、帰るときに気が付いたのですが、アプローチにあった目高…とっても涼しそうでしょう!入るときに気付かなかったということは?…やはり人間満ち足りてこそ見えるものも見えるのかと…いけませんね。(@^▽^@)

 

コメント (8)
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