ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

昨日は立秋だったんですって、ホント?

2022年08月08日 | 俳句

 昨日8月7日は二十四節気の一つで〝立秋〟。暦の上ではこの日から秋に入りますが、実際にはまだまだ暑さが厳しい!俳句では一応今日からは〝残暑〟として詠みます。しかし、この暑さではとてもとても…〝猛残暑〟とでも言わなくっちゃ…ね!嘗て藤原敏行が〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる〉と『古今集』に詠んで有名ですが、平安時代でもやはり立秋だからといってその日から直ぐに涼しい秋になったということではないのですよね。

 ここでちょっとこの和歌について主人との会話を…

 〈秋来ぬと〉は秋が来たとも秋が来ないともとれるが?と。…その通り、助動詞「ぬ」が打消し「ず」の連体形とも完了「ぬ」の終止形ともとれます。その時には「来」の読みが違って、打消しなら「こぬ」完了なら「きぬ」となるのよ。ここは意味的に完了で〝秋が来た〟即ち〝秋立つ〟のことだから「きぬ」と読む。

 じゃあもう一つ、文末の〈ぬる〉は何か?と。…これは完了助動詞「ぬ」の連体形よ。〝なんで終止形じゃないのか?〟それは〝係り結びで前に〈ぞ〉があるから…。ほら〈ぞ・なむ・や・か~連体形、こそ~已然形〉って覚えたでしょう〟…なんて、高校生の古典文法のお時間でした…失礼!

 話が変わりますが、先日の午前11時50分頃、宇部市に豪雨予報が…とスマホに入ってきました。強い雨23㎜/hと…。しかし全く降る気配がないので、午後1時過ぎに再び見ると…〝当分雨は降りません〟ですって。これなんなのでしょう?yahoo!からのお知らせでしたが、なんともオソマツ!

 この前の東北から北陸の日本海側地域での記録的な大雨、それで大きな被害が出ましたよね。その要因となったのが「線状降水帯」だったんですが、今回その予測情報が事前に発表されていなかったのも被害を更に大きくしてしまった原因だと。

 このように最近の異常気象では、気象庁も予測の出来ないことがあって、先日のような後手に回ってしまったんですよね。私のような全くのド素人ではただ報道されるニュースやアプリからの緊急警報通知で分るだけですから…いつもオタオタして振り回されっぱなし。しかし、昔に比べると天気予報も随分確かなものになっていますので、それに携わっておられる方々にはいつも感謝しているんですよ。

 さて、昨日は早朝から広島へ。義弟の初盆で、お寺での〝施餓鬼(せがき)法要〟へ出席しました。婚家の宗派は日蓮宗でその寺が広島市中にあります。嘗ては広島市に家がありましたので、私たちはいつもお盆には出掛けて行って墓参りなどをしていましたが、今はこちらに転居しましたので、お盆の供養には住職さんが毎年出張して来られます。

 この度は初盆ということでお寺での合同法要があったのです。最近義母の体調がすぐれず主人と二人で出席。その時に、今年初盆を迎えた家族で費用を出し合い、お参りに来られた方々にお礼の菓子箱を差上げることになっているのです。

 以前義母と一緒にお参りに来た時にお土産の菓子を貰って…不思議に思って聞いたことはありましたが、今回はその当事者になって…なるほどとよく分りました。

 終った後、初盆の家族だけが集まり檀家総代から説明がありました。この初盆の方式はこの寺独自のもので、もう70年以上も受継がれ行われてきたものだと。良い風習だと思うのでこれからも続けていきたいからよろしくと。

 お寺も跡継ぎ問題が大変なようですが、今の住職は3代目。この寺は次の4代目がもう決まっていて、今回初めてその方が挨拶されました。これで寺も安心でしょうが、世話人さん達も安心されたようです。

 今までは殆ど義母が取り仕切っていましたので、私は言われるままに…。でももし義母がいなくなったらと思うと…こういうことには全く自信がありません。家のしきたりや冠婚葬祭など、そのやり方はそこそこの家で違うでしょうし、考え方なども違いますから…皆さんはいかがですか。これが次の世代へとなるともっと分りませんよね。こういう昔ながらの風習というものは教えて貰わないと分らないし、教えられても今時の若い人たちには素直に受入れられないでしょう…ましてやそれを教える人たちもどんどん少なくなっているんですもの。

 昔の風習というものは嘗ての大家族の暮しでこそ代々守られてきたんでしょうから、今のような核家族になり個々人が自分たちの暮しを守ることにしか眼を向けなくなったとすれば…この先は全く分りません。

 今では仏壇を祀ることさえ疎かになってきつつあるのですから、お墓を守るなんて…それも自分の住んでいる所ならいざしらず、両親も亡くなってもう帰ることもないような遠い故郷だったとしたら墓参りさえもしなくなるでしょう。だから最近は墓仕舞をする所がとても増えているそうですし、また無縁仏になってしまうのも多いのだとか…。

 私の実家は浄土真宗でしたし、両親が昔からのしきたりをしっかり守っていましたので、子供の頃からいろいろなことを見て覚えました。だから実家に帰ると義姉がそれを受継いでしてくれていましたので、とても安心していましたが、その義姉も3年前に亡くなり、今は甥夫婦が実家を守っています。が、これも時間の問題でしょう。仕方の無いことだと思いますし、自分のことを考えてもとても義母の期待には添えないでしょう。ましてや息子の代になったら…これは全く不明ですもの。

 お寺のような代々継いでいかねばならない所…例えば創業〇〇年とかいう老舗の店や旅館など、きっと今日まで続いたというのは目に見えない大変な努力があったからだと思いますね。

 実は、この寺の傍に〝みっちゃん〟というお好み焼屋さんがあって、ここに来たときはいつも食べて帰るんですよ。この店が昭和25年(1950)創業の老舗なんです。70年以上も続いているんですね。そういえば大学時代に、ここではなく、確かお好み村だったと思いますが、食べに行った事があったっけ。その後も何度か他の所でも…。以前は家の近くに行きつけのお好み焼屋さんがあったのでそこばかり。最近になって総本店がここだというのを知って行くようになったんですよ。

 戦後焼け野原だった広島の街の復興とともに、お好み焼のカタチが出来上がるまでには数々の歴史があったようですが、その物語の中心的な人物がこの〝みっちゃん〝こと井畝満夫(いせ みつお)さん。広島の街にお好み焼を生み出した一人として、歴史を語り継ぎ、お好み焼を広島のソウルフードへと定着させた人なんですって。

 やっぱり…おいしかった!お好み焼は宇部でもよく食べますが、さすがに本場もんは違いますね。広島へ来られたら是非どうぞ!決して広告料は貰っていませんから…

コメント (6)
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