ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝蟷螂の斧〟を知ってますか?

2020年09月28日 | 俳句

 何だかあっと言う間に朝夕が涼しくなりすぎて、さて今日は何を着ましょうかと迷ってしまうようなこの頃。しかし、昼近くになるとやはりちょっと暑くなって、一枚脱いでと…今日もそんな日でした。最高気温が25~26度、これが平年並みの気候なんですよね。

 今日は午後から今月最後の俳句教室でした。兼題は〝蟷螂(かまきり)〟、もちろん秋の季語です。まあ、みなさん、この兼題は作りやすかったのか殆どそればっかりで、他の季語で詠まれたのはごくわずかでした。

 しかし、この季語は特徴がはっきりしているため詠み方をしっかり考えないと、みな似たり寄ったりになって、類想句ばかりになりますので気をつけましょう。暗に洩れずこの句会でも出ましたね。蟷螂と言えば〝鎌〟ですから、それを構えて威嚇するというような句…。〝蟷螂というのはそういうものでしょう。それを説明しても、みんな知っていることだし…〟というと、皆さん、うう~んと、ことばがありません。

 その中に蟷螂と目があったという発想の句がありましたね。蟷螂の習性は動くものを見つけるとすぐに鎌を振り上げて身構えます。相手が大きなものでも立ち向かおうとするので、昔から用いられた〝蟷螂の斧(とうろうのおの)〟ということわざがあります。〝力のない者が、自分の力量もかえりみずに強敵に立ち向かう〟ということのたとえですよ。

 名前の由来は、「鎌切」という表記があることからわかるように、「鎌で切る」から「鎌切り」となったという説と、「カマキリ」は、「鎌を持つキリギリス」の意味で、この「キリ」はヤブキリ、クサキリ、ササキリなどのキリギリスの仲間の名にふくまれる「キリ」と同じであるという説とがあるそうです。

 他に、左右の鎌を合わせる姿から祈り虫ともいわれ、それでいぼを擦るとそのいぼが取れるということから「いぼむしり」ともいわれています。また、交尾が終わると雌が雄を食い殺すという奇怪な習性を持っていますので、昔から俳人には好まれた句材だったみたい。

  かりかりと蟷螂蜂の皃(かお)を食(は)        山口誓子

 この句は高校の教科書に出てくる有名な句ですので、ご存じの方が多いでしょう。私も教えた事がありますが、まだ俳句を始めていないときですから、どんな風に教えたんでしょうか。今思えばきっと恥ずかしいようなことを言っていたのかも知れませんね。でも誰も覚えていないでしょうから…まあ、いいか…アハッ

 誓子が俳句の素材の拡大とともに即物非情・知的構成と言われる作風を確立してゆく中での代表作ですから、多くの人に鑑賞され分析もされているでしょう。だから今更何もいうことはありませんが…。

 ただこの句に描かれている世界は、生物界の根源である〝食べる〟ということ、即ちそれは〝生きる〟ということ。弱肉強食の世界です。人間もその一環で、例外ではないのです。しかし、人は今では何でも食うのが当り前になっていますので、食われることがあるということを考えたこともないかも知れませんね。でも、ほら今人類は目に見えないウイルスの攻撃を受けて…。ウイルスにとっては私たちが食われる立場なんですよ。だからコワイんです!

 あっ、また話がそれました。誓子の句に戻りましょう。この句の特色の上五〈かりかりと〉という擬音語は、蟷螂が蜂を食べている音。蟷螂は肉食で生きたものしか食べないし、顎が丈夫で囓って食べるという。だから蜂は生きたまま顔から囓られているのです。考えて見ればナント残酷なこと。それを知れば、この「カ」音の繰返しと、更に「カマキリ」「カオ」という頭韻の働きが、冷酷な乾いた音として読む人の心に非情に響いてくるのだと思います。

 なんの説明もせず、ただ描写する…蟷螂の生き様を写し出すという、即ち写生だということ。これが、誓子が創刊主宰した「天狼」の「生命の根源を掴む俳句」を詠むという合言葉になったのです。

 私たちの結社が目指している俳句も「生の証」を詠むことです。また、どこの結社であろうとも人間が詠む以上俳句は、根本的にはみな同じところに行き着くのではないかと思っています。そういう意味では、俳句は人間が生きている限りは決してなくならないのでは…。ということですから頑張りましょうよ。

 写真は、先日の台風10号の塩害で葉が落ちてしまった柿の木に新しい若葉が…これも必死で生きているんですね。ガンバレ!

コメント (6)
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