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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

2010-11-06 20:06:49 | 好きな本
フィリップ・K・ディック 浅倉久志訳 昭和52年 ハヤカワ文庫版
先月、岡崎京子の『東京ガールズブラボー』を読み返してたとき、「あとがき」に代えて、ヲカザキと浅田彰の電話対談(文字にするとけっこう長い)が載ってたんだけど。
そのなかで、80年代のイヴェントというかパフォーマンスってのは、メジャー/マイナー、マスコミ/ミニコミ、ハイ・カルチュア/ポップ・カルチュアが区別なく出入り自由に運動してたってことを評価しつつも、浅田彰が、>やっぱり『ブレードランナー』感覚だね。はなやかなエレクトレニクスの映像で覆われてても、ベースは廃墟だっていう感じ。だなんて言ってるんだが。
それ読んで、突如、おお!『ブレードランナー』忘れてた!って思いだした。
ブログに採り上げんの忘れてたのは、映画ぢゃなくて、その原作(とされている)、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』です。私の好きなSF小説のひとつ。
この小説と、ブレードランナーは、違うものだと思うんだよね。主人公の名前とか、アンドロイドを追っかけるバウンティハンター(賞金稼ぎ)という設定は一緒だけど。珍しく、小説も映画もどっちも好きだから、いいけど、私としては、両方が存在してても。
「ブレードランナー」のディレクターズカットが公開されたのが1992年だそうだけど、それは劇場で観たなぁ。92年だったことは今調べるまであやふやだったけど、観たのははっきりおぼえてる。オリジナル(完全版?)は、リアルタイムでは観てないんで、ビデオで観たんだと思う。
小説読んだのは、映画観たのとどっちが先か? 持ってる文庫は昭和61年の13刷。たぶん小説が先だ。で、あとから映画みて、なんだ?違うじゃん?って思ったんぢゃないかと。
でも、ディレクターズカットを観たあたりから、好きな小説とは言いつつ、ずいぶん長いあいだ読み返してないような気がする。今回久しぶりにページを繰った。
でも、フィリップ・K・ディックは、これから入って、いくつか読んだなぁ。
この小説にも出てくるけど、4年しか生きられないアンドロイドが、幼少期の記憶を持っている(自分は人間だと信じて疑わない)みたいな、インプットされた記憶っていうかプログラミングされた記憶、みたいな設定、P・K・ディックを読み始めた当初は衝撃的でした。自己の存在が確かなことを、自分の記憶では証明できない、みたいな感じ、読んでてとても心揺さぶられるものでした。
アンドロイドは自分のこと人間だと思ってるし、人間はもしや自分もアンドロイドではと疑いをもってしまったり。なにがなんだか物事の境界線がわかんなくなる不安な感じ、けっこう魅力的で、当時は面白がって読んでた。(けっこう疲れんだけどね。)
ちなみに、本作では、人間のもつ機械とは違う性質というか能力としては、感情移入する力があるってことが、ポイントおかれてる。

そもそも、ブレードランナーとか本作を観よう読もうと思ったのはどうしてだっけかって振り返ると、やっぱ『EV.Cafe』に名前が出てきたからぢゃないかと思う。いま見たら、やっぱ浅田彰を迎えての章で、出てきてた。
どうでもいいけど、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は、原題の“DO ANDROIDS DREAM OF ELECTRIC SHEEP?”の直訳なんだけど、普通だったら、もうちょっとヒネって考えろよって言いたくなるタイトルなんだが、不思議に受け入れちゃう響きがあります。そう思いません?

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