高砂大学 受講生140余名が学ぶ
仕事の山を前にしても、逃げないでぶつかっていくしかない。
どんなことであってもそれは“当事者”の宿命なのだ。
だから、入試にしても、就職試験にしても、恋愛にしても、実現しようとしていることやかなえたい願い事があるなら、そのことを正面に据えて、逃げずにぶつかっていくのがベストな選択であろう。
というのも、あなたに代わって、あなたが、直面しているあなたの〝現実″を、だれも解決してくれないからだ。
もちろん、逃げないでぶつかっていくにあたっては、それなりの思考や知恵が必要だ。また、いろいろな人の助言や協力を仰ぐこともあるだろう。
しかし、自分に関することは、自分が動かないかぎり、少しも進展しないのだ。
確かに、能力にしても、資産にしても、環境にしても、容姿にしても、そこには〝格差″があり、確かにこの世は不平等である。
しかし、それを嘆いているだけでは何も変わらない。
これは今度の講座とは関係のない新聞記事。
まさにこの記事にぴったりあてはまるような講義でした。
「アナウンサーと言うとスポットライトが当たって華やかな職業のように見えるかもしれないが、本当は大変な仕事なのです。私は初めからずーっと苦労の連続でした。」から始まり1時間半ばかり、あっという間講義、(いや「講演」かな)だった。
私は暇を持て余しているから、あっちこっちお話を聞きに行くが、演壇の講師の言っていることがほとんど聞き取れない事がある。そのためにいつもカセットテープレコーダーを持ち込むのだが帰って再生してもほとんど言っていることが分からない。今日の講演はなんだったのであろうと思うことが良くある。しかし今度の講演は、さすがアナウンサーだけあって発音が耳の悪い私にも確りと聞き取れる。
私たちはいかにいい加減な発音をしているのかなーと言うことが良く分かった。
石川県の人はイントネーションが標準語とはだいぶ違うので、アナウンサーになれる人は少ないと言うことで就職試験は落ちるだろうと周りの人に囁かれていたが見事に札幌放送局の入社試験に合格、親の反対を押し切って、寒い北海道に行った。何が何でも途中で投げ出しては帰れない、頑張るっしかないんだ。親が早く帰って来いと言うのを振り切って10年間頑張りました。その後、地元に帰って、地元のテレビ局に務めた時も嫌な相棒があてがわれ、これ以上アナウンサーを続けてはいけない、辞めるべきか続ける悩んだ末、彼女の選んだ道は、相手に頭を下げることだった。「お願いです。私に至らぬところがあたら教えてください。」と言うと「はあっ、僕にはそんなこと言えるわけないでしょ。陰では何とでも言えるけど・・・。」それでも「何とかお願いします。」必要に食い下がると、「分かりました、考えておきましょう。その代り僕にも至らぬ所がありましたら教えてください。」それ以来彼は急に優しくなって「何か困ったことありませんかお手伝いしますよ。」パソコンの前で頭を抱えていると「お手伝いしましょうか。」と優しく声をかけてくれるようになったそうだ。担当していた番組が、発足当時視聴率が一桁だったのが二桁になりました。お互いに分かり合うと言うことがいかに大事なことか分かりましたとのこと。そのあとは説教じみた話になったのでこの辺でやめます。
先日ある講演を聞きに行ったとき、講師の方は初めから終わりまで下を向いたまま、たまに顔を上げても同性の方がいる席にしか目が向きません。しかし今回の講師は終始確りと顔が上がり目は受講生の隅々まで行き届いていました。
顔が下を向いているとその場が白けてしまいます。顔が上がっているとなぜか確りと聞いてやらねばと言う気になります。