小坂神社社殿
御祭神 経津主神・天児屋根命・吡咩大神・武甕槌神・饒速月命
由緒 当社は小坂庄の総社として延喜式内加賀13庄の中の一社でありこの地方一帯が奈良の春日社の社領であった関係で春日神を祀っているそれで昔から春日さんとして親しまれているのである創始は養老元年「西暦720年」4月である文明長享の一揆で社頭は災害に遭遇し寛永13年加賀藩前田利常より現地に再興して以来金沢北郊鎮護の大社として藩主前田家はもとより衆庶の尊信をあつめ年とともに社運の隆昌を加えて来て近世の金沢をはじめとする加賀地方神社は神仏の混淆が甚だしくその多くは社僧山伏等によって奉仕されていた。しかるに本社は金沢の北郊に在ったが純然たる神主奉仕社として金沢5社の一つに列し重きをなしたのである。また本社には境内社として富士社・菅原社・稲荷社・鳴滝社がある。このうち富士社は衆庶の崇敬厚く脚の病に霊験ありと信じられて来たまた鳴滝社は清滝権現といわれ、享保13年の延起には源義経が奥州下行の時ここで武蔵坊弁慶が「鳴るは滝の水」の舞曲を奏したとしている 当社案内看板より
天気も良いのでぷらりと出かけてみたくなり、今回は金沢5社の一つ小坂神社に出かけてみることにした。
金沢は古い町なので道路がややこしくどっこから行こうかと地図を広げて悩んだ。
歳を取るとなかなか飲み込めず、散々悩んだがとにかく行って見ることにする。
香林坊から真っ直ぐ武蔵を越えて彦三通りを越え浅野川を越えさらに真っ直ぐ真っ直ぐいくと卯辰山の登り口に出た。そこを登って行くと目の前に小坂神社の鳥居が見えた。真正面だった。卯辰山の方へ行く 道路は神社を避けるように右へ曲がっていた。
一生懸命悩んでいたのがバカみたい。
拝殿の後ろに立派なお社があった
俳句には素人だから分からないが、芭蕉の奥の細道に何か関係しているのだろうか。