子供が親の注目を集めるために、わざと悪い事してしまうことがあります。自分を本当に心配してくれるか、親をためそうとしているのでしょう。
阿弥陀様は本当に悪人を救われるかをためそうと、わざと罪を造るのは間違いです。そのような誤解は親鸞聖人の時代からあり、阿弥陀様が煩悩を手放すことができない者を救われるからと、わざわざ罪を犯そうとしたり、煩悩のままに生きようとした念仏者がいたようです。
先日のみのもんたの息子のが他人名義のキャッシュカードで現金を引き出そうとしたという事件にタイミングを計ったようだった。
新聞の連載に「親鸞」という連載があるが、親鸞の息子善鸞が親が振り向いてくれないと拗ねて遊びまくる場面があった。今度は覚蓮坊が親鸞に反抗する場面になっている。若い時可愛がってくれた親鸞が今は振り向いてもくれないと不満をいだいている。車借、馬借を使って暴れまくっている。本当は親鸞聖人憎いのではなく親鸞に自分な存在を認めてもらいたいようです。
テレビで司会をして言いたい放題のみのもんたも今度の事件には閉口しているだろう。今のもんたさんは穴があったら入りたいどころかこのまま蒸発して消えてしまいたいのではないだろうか。
外の世界に現を抜かし何より大切な身内を顧みなかった罰が当たったようです。
男はいったん外へ出ると7人の敵、というがそれより怖い世界が目の前にあったようですね。