中学時代の家庭科の先生が超コワかったけど(「娘との会話8」参照)
https://blog.goo.ne.jp/kaishidosisters2018/e/f46b9d305a4b0867c37a1b6b3d19fe60
この先生が仰ったことで、今でも思い出すことがある。
「子どもは手をかけるというより、目をかける、心をかけることが大事」
子どもなんて想像もしていなかった10代の、超興味のない授業の超苦手だった超上から目線の先生の言葉を、なぜ覚えているのかはわからない。
でもこの言葉は、手をかけることが「面倒くさい」とか「物理的にできない」時、本当に救いになった。
ああ、ホントにごめんね。
本当は本当はいけないと思っている。
申し訳ないと思っている。
でも「目では見ている」「心では思っているよ」
子どもってこれを察する能力が強いんじゃないだろうか。
私なんてこれこそを望んだゾ。
手なんかかけなくて(そんな余裕がなくて)、親の適当な放ったらかしくらいの風遠しのよさが良かった。
全神経が子どもに注がれるより、うっとうしくなくて良い。
こんなこともあるんじゃない?
「家族をないがしろにした、犠牲にした」って言葉を聞く時、これがあったならば全然大丈夫と私は思うよ。
https://blog.goo.ne.jp/kaishidosisters2018/e/f46b9d305a4b0867c37a1b6b3d19fe60
この先生が仰ったことで、今でも思い出すことがある。
「子どもは手をかけるというより、目をかける、心をかけることが大事」
子どもなんて想像もしていなかった10代の、超興味のない授業の超苦手だった超上から目線の先生の言葉を、なぜ覚えているのかはわからない。
でもこの言葉は、手をかけることが「面倒くさい」とか「物理的にできない」時、本当に救いになった。
ああ、ホントにごめんね。
本当は本当はいけないと思っている。
申し訳ないと思っている。
でも「目では見ている」「心では思っているよ」
子どもってこれを察する能力が強いんじゃないだろうか。
私なんてこれこそを望んだゾ。
手なんかかけなくて(そんな余裕がなくて)、親の適当な放ったらかしくらいの風遠しのよさが良かった。
全神経が子どもに注がれるより、うっとうしくなくて良い。
こんなこともあるんじゃない?
「家族をないがしろにした、犠牲にした」って言葉を聞く時、これがあったならば全然大丈夫と私は思うよ。