夫が駆け出しで天気予報の中継なんかをやっていた頃。
葉っぱにカタツムリがいたり、木にクワガタがいたりすると、ああ季節のいい映像を使ってるなあと、これまで何も考えていなかった映像の一つをちゃんと気にするようになった。
画面一つも注意深く見るようになったわ、と得意になっていたら、帰宅した夫が笑いながら言った。
「いや、あれ捕まえてきて撮っているから」
嘘ではない。
でも
ありのままでもない。
報道って、いろんなテクニックを使って常に印象操作しているんだなあということを知った。
マスコミがそれに携われる一部のものでしかなかった時代から、自分が発信できる時代になって、私はこんな自由を感じたことはなかったなあ。
大袈裟にいうと、背中に羽を貰った感じ。
学校で読み書きを習ったことの意味と有難みを、やっと理解と感謝ができた感じ。
発信されるものを受けとるだけしかできなかった時と、
「私ならこう書く」と思った時。
人生に「覚醒」なんて大袈裟な言葉を使うとしたら、私はこれかな。
Sがどうこうなんてことより、これができる時代になったことの方が、私には今でもずっとずっと衝撃である。
葉っぱにカタツムリがいたり、木にクワガタがいたりすると、ああ季節のいい映像を使ってるなあと、これまで何も考えていなかった映像の一つをちゃんと気にするようになった。
画面一つも注意深く見るようになったわ、と得意になっていたら、帰宅した夫が笑いながら言った。
「いや、あれ捕まえてきて撮っているから」
嘘ではない。
でも
ありのままでもない。
報道って、いろんなテクニックを使って常に印象操作しているんだなあということを知った。
マスコミがそれに携われる一部のものでしかなかった時代から、自分が発信できる時代になって、私はこんな自由を感じたことはなかったなあ。
大袈裟にいうと、背中に羽を貰った感じ。
学校で読み書きを習ったことの意味と有難みを、やっと理解と感謝ができた感じ。
発信されるものを受けとるだけしかできなかった時と、
「私ならこう書く」と思った時。
人生に「覚醒」なんて大袈裟な言葉を使うとしたら、私はこれかな。
Sがどうこうなんてことより、これができる時代になったことの方が、私には今でもずっとずっと衝撃である。
「書いたもん勝ち、言ったもん勝ち」という世界のマスコミ、メディアの中で、そこに入れるのはごくごく一部だった。
発信さえできたらクソみたいな記事でも、そいつらが支配した世界。
本当に書いて発言して勝てるのは、ホンモノじゃないと嫌だなあ。
ネットは間口は広がったけど、駄文も今まで以上に広がった。
ここで残っていくのはどこ?という時代が始まりましたよね。
これからが楽しみです。