ネドじゅんさんの話が続くので興味ない方は飛ばしてください。
私にはおもしろくてしょうがなくて、興味が止まらないんですが😆
ただ私の場合は多くの人が話題にしている「自動思考を止める」ことは、そんなに気にならなくて、なぜなら元々それはおとなしくて、うるさいと思ったことがなかったから。
「自動思考に気づかないことがヤバい」と言われて、そうなの?と改めて気にしてみたけど、基本、過ぎたことや先のことはあまり考えない方だし、ずっと一人仕事をしていて人からか、普段どう見られてるとかも殆ど気にしないし、少なくともそんなことは考えてない。
そんな完全にシーンとしているわけじゃないけど、綿密なスケジュール管理に追われてるわけでなく、真剣に考えるのはスーパーの買い物リストくらいで、それもちょこちょこ忘れるくらいなので😅
それより私が刺さったのは何といっても、ワタシと思っていた正体が思っていたもののほんの一部分だったこと。
これが衝撃で、且つド・ストライクで納得したんですよね。
そういうことか、そうだよね、そうだったらいろいろと辻褄が合うと、本当にすんなりと。
まあ年始に入院したあれこれもあるけど、単純に自分のことって、自分でありながら掌握できないことだらけじゃないですか?心も身体も。
(まさに5%くらいしかわからない)
で、今は自分の手を見ても足を見ても、前みたいな感じで「ワタシの手足」とは思わなくて、何かちょっと遠いんですよ。
今こうやってパソコンのキーボードを打っていても「上手いこと打つなあ」と他人を見る目というか、客観的にその作業を眺めてしまう。
打ってるのはネドじゅんさんの言う「本体さん」であって、ワタシはそこにチョコンと乗っている小さな意識であるだけ。
自分から沸き起こってるはずの感情でさえ、「何か来た」とちょっと距離を置いて見えてしまう感じというか。
前は想像もしなかったこの変化がまず面白くて、不思議でしょうがない。
身体は「ご神体」とも言われるし、「神経」って神のすじと書くし、神のようなものがいるとしたら、フラットアーサーが「無い」と言ってる真空でブラックホールとかがある宇宙の彼方じゃなくて、人体とか生命から考えた方がピンとくるのもある。
アカシックレコードと呼ばれるものも、どこか遠くじゃなくて無意識と呼ばれる世界からアクセスしてるの?
そんなこんながワンネスですべてが繋がった意識層なの?と、考えてもわからないことだらけだけど、一つだけ体験してわかったことがある。
「ワタシ」が自分の細胞とか神経に注目してそれに耳を傾けると、身体は喜ぶって本当です。
ネドじゅんさんがそう言うから「へえ?」と思って試してみたら、確かにそれは体感した。
まあ単純に身体をいたわれば体調がよくなるし、気分もよくなるじゃない?
大切にしよう、そして大切に思おうよ、身体。