Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシー ギリシャメディアに答えた最新インタビュー翻訳 2

2014-11-19 00:51:03 | Morrissey Interview

昨日は、「マーキュリー賞獲得者はふとん売り」…という表現を目にして、

ふとんがふっとんだ、かと思うくらいびっくりして先に進めなかったのでw

今日はとり急ぎ続きを進めます。

 

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今までのところ、ロックンロールの美しさと老い知らずのパワーは、どこに

あるという結論に至っていますか?私自身は、ジャイルス・スミス(イギリス人

のジャーナリスト)が、彼の素晴らしい著書『ロスト・イン・ミュージック』で

ロックンロールを「目的なき混乱」と語っていますがどうもそんな気がしています。

私はまさに、そんな目的のなさこそが、原動力になるんだと思うんですよ。

 

もっとずっと単純なことだ。私たちはこの世のものとは思えないような音楽に出会い

まさに恋に落ちる。それはジョニ・ミッチェルであるかも知れないし、ベイ・シティー・

ローラーズであるかも知れない…なんでもいい。私たちはその声により、曲により、

音により、言葉により、顔により、瞬間により、口では説明できないほどの感動を受ける…

そしてその感動は、死ぬ最期の時まで続く。好きだった、ある歌や歌手を聞かなくなる

ことはあるだろう、しかしまたしばらくすると再び聞き出す。だから、まったく、音楽との

つきあいに目的のなさなどないし、混乱でもありやしない。それに、本当にたくさんの

たくさんの人間にとって、音楽とは唯一の友だちだ。さらに大切なことは、音楽とは自分が

何者なのかを教えてくれる。もちろん、我々だって自分が誰かくらいわかる、しかし

音楽は常に、己が何者であるか、確信を持つことを助けてくれるんだ。

 

本当はどのような人物であるかを(過去にあなたが数々のインタビューで語ってきたように)、

誰も理解していないというあなたが感じている疎外感は、年々ひどくなってきていますか?

それとも、実際にはあなたはその疎外感を好んでいるのでしょうか?もしすべての人々が

あなたという人間の暗号を解いてしまったら、人生はもっとつまらなくなってしまうと思い

ませんか?

 

もし、ベトナムの漁師に、彼らの抱えている問題が何であるか聞いたら、彼らは同じことを

言うと思うんだ。我々は皆、自分自身の「ために」、自身から距離を保っている。さもなければ

自分のことが頭から離れなくて精神に異常をきたしてしまう。スポットライトに目がくらみ、

度が過ぎて、すべて台無しにしてしまっている、誰か有名人を見てみるがいい。奴らは狂ってる。

もはや、誰でもなくなってしまっている。歴史的にはエンターテイナメントの世界では、マリリン・モンロー、

もしくはジュリー・ガーランドを良く見ればわかる、しかしあまりにも多くの例があり、そして昨今では

「オレオレソーシャル・メディア」のせいで、さらに多くの人間がそうなってしまった。

皆、自分が魅力的で、注目に値する「ノンストップかまってちゃん」であっていいと思っている。

私は、歌を作り、歌い、それで十分じゃないか?と思う。君んちにいきなりお宅訪問して、スパ

ゲッティ—を作る必要があるようには思えない。わざと、注目の的になろうとしている人間…

例えばベッカム一家のような…彼らは私には一番最低の死にもの狂い人間に思える。

空虚だ、何でもっても埋めることができない。たいてい奴らは、自らを満たすことはできないんだ。

 

ポップミュージックのレコードとは、最初の数回聞いた時は最もエキサイティングで、徐々にその

味わいを失っていくものだと思いますか?それとも最初のきらめきをいつでも取り戻せるものだと

思いますか?他の人の作ったポップミュージックのレコードとは区別して、あなた自身の作る

アルバムと、半年後、または2年後、もしくはそれ以上もの間どのような関係を保っていますか?


そのレコードが価値があるかどうかは、時が教えてくれるものだよね?たくさんのアーティストが

何万枚ものレコードを売っているが、どんなものでも長く続く価値は持っていない。いちリスナーとして

ある、感情に訴えてくるクオリティーの作品にものに出会ったとしたら、そのクオリティー…もしくは

その作品の記憶…は、決して君からなくならない。なぜなら、人生における真の詩的な瞬間は

そんなにしょっちゅうあることじゃない。音楽の成り立ちについて、まったく理解する必要などない。

君の心が、今聞いているものはすばらしいと教えてくれているからだ。私の音楽は、明らかに

とても個人的な独自性と批判力を持っているが、それは必ずしも他の人間が作った音楽を

とやかく言うためではない。

私は毎年毎年経るごとに、自分の音楽をますます楽しんできているので、とても幸運だ。

古い作品より新しい作品を好んでいる。多くのアーティストが、初期の数作品のクオリティーを

追い求めることで一生を終えているのだから珍しいことだ。

 

最新作が発表されて、私は小さなアルバム評を書きました。ポイントのひとつとして書いたのは、

30年以上もの音楽業界経験の後あなたはついに、私のようなあなたのファンとあなたとの関係を

強く示唆するようなアルバムワークを施したレコードをリリースしたと。あなたのファンは、あなたに

ついて話し合い、分析しようとし、「秘密の意味」などをあなたの言葉すべてから見つけようとします。

あなたはアルバムジャケットで、あなたにとって忠実な誰かの前でペンを握っています—それは犬、ファン、

何であっても同じです。私はこのアルバムジャケットについて分析するあまり、完全に狂っていますか?

 

君が気が狂ってしまっていても別に悪くないよ…むしろほっとするかも!うーん、しかし、これは重要

なことだね、君の方向性が完全に間違ってるにいるようだと気づく一方、それを評価するのはね。

ライターが常識にとらわれた確信や憤りを伴って音楽を評価する時…あー、そんな時こそ批評精神

ていうのが醜くて役立たずになってしまうんだな。いちリスナーとして君は、ある歌、もしくはアルバム

にはふたつの真実があるようだと、認めておかなくてはいけない。ひとつ目の真実とは、音楽の外側

にある、君自身による意向だ。そしてもうひとつは、その作品のレコーディングを行った人しか強く言い

表すことができない、その作品の内に流れている意図のことだ。

 

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ううう・・・モリッシーの言うことって、本当に一貫していますね。。。

「自分語録~オレオレメモ」でもとっているのでしょうか?ゆうてたことと

違う!というのが何十年もない気がします。

 

音楽は常に、己が何者であるか、確信を持つことを助けてくれる

 

「君をほほえませてくれた歌を忘れないで」というザ・スミス“Rubber ring”の歌詞を思い出して

ジーンときたり…

 

モリッシーを好き過ぎるあまりに「勝手に先読み情報局」化し「狂っていますか狂っていますか

狂っていますか」とつめよってくるインタビュアーをいなしたり、

(「新譜の犬は、モリッシーファンの象徴である」的解釈にドン引き…w でも「ああ、同病者乙…」

とも思いました) おなじみベッカム一家ディスもおもしろいです。

 

音楽激ラブおじさん元気なので、まだまだ続く… 


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