雨の日のシネコンは、午前中から混雑。
本の嫌いな小学生だったが、図書室の「ああ無情」は何度も読んだ。
映画で表現できること、ミュージカルで表現できること、この二つが、融合しあって、
現実と幻想が、真実と虚構が、そういった相反する要素が、お互いに刺激し合って、なんとも
今までに見たことのないエンタテイメントであると感じた。
誰もが孤独。誰かが誰かを愛し、誰かが誰かを憎んでいる。誰かが誰かに救いを求め、
誰かが誰かを救う。誰しも確固たる自己の存在を信じられず、一人と一人の関係性だけがある。
孤独である自分と、関わるべき誰かがいる。
誰もが弱く、そして強くなろうとする。闇の底に落ちて、しかし、わずかな光に導かれる。
不幸と幸せは、二つの概念ではなく、常に人の心に同じ強さと大きさで共存しているのではなかろうか。
ときにどちらかに少し傾くだけなのだ。
ジャン・バルジャンを許した司教は、小学生のころから、ずっと私の傍らに居たこと、思い出した。