2020年11月17日(火)
聖地巡礼ツアーに遠方より沢山の方々に参加していただきました。
天気にも恵まれまして私には夢の二日間でした。
「この男、まぁ~よくしゃべるなぁ~~!」と、自分でもどこかから冷静に見て聞いている私が居てた気がします。
二日間喋りまくっていたのはいったい誰だったのでしょう・・??
福山駅で多くの方々とお別れした後、大阪方面に帰られる方々がバスで大阪駅まで乗せて帰っていただきましたが、私も空いた席でひと眠りしました。
大方の人とお別れした後のバスの中は一変して、静まり返っていました。
・・ので、途中、サービスエリアでトイレタイムをした後、
「おはようございます。又、喋ってよろしいでしょうか」とマイクを片手に、「まぁ~みなさん、私の不思議な人生を聞いてください」というような私の履歴書的な話を聞いてもらいました。
まぁ~~、またまたしゃべり続けました。
そして・・、いよいよ第一幕が終わりにさしかかり、これから第二幕に入る寸前に、
「社長、大阪駅に着きましたよ」と・・!
「エッ!・・これからが面白くなるのになぁ~~」と。
本当に不思議な話なんですねぇ・・私の人生。
ツアーにご参加された皆様、本当にありがとうございました。
「眠らせませんよ!」と言うかのように、心地よい睡眠を妨げましてごめんなさい。(ペコリ!)
そして私語暴言、お許しくださいませ。
これに懲りずに、これからもよろしくお願い申し上げます。
本当にありがとうございました。 感謝しています。
上森三郎
イエス・キリストは、ウガヤ王朝に推挙されて、播磨の王様からスタートし勢力範囲を拡大していきましたが、そのウガヤを表現するのが『うさぎ』であり『鵜』なのでした。
今回は、その兎さんに手を合わす旅でしたが、イエス終焉の地に手を合わすように造営されている八十八番大窪寺で、本物のウサギさんにであったのも不思議でなりませんでした。
そしてその翌日には、大山祗神社本殿から祈る先にこそ、ウガヤの本拠地である地上絵の『うさぎ』さんに皆さんが手を合わせました。
ほら貝の彫り物に初めて出会いました。 ほら貝と言えば修験道です。
今回の旅は、五流尊龍院もそうですが、修験道の旅路でもありました。
99年11月17日がイエス・キリストの命日です。終焉の地は岡山県備前市穂波でした。
この終焉の地に四国八十八番大窪寺から手を合わすように設計されていました。享年102才でした。
毎年イエス・キリストの命日を選んで卑弥呼が岩戸隠れをしたその11月17日の当たりにお二人の御霊に思いを馳せる為にツアーを企画して、今回も最後の最後に、千光寺で見たマリア(観音)の文字と、その裏にあった十字架を見て、偶然とは思われませんでした。
大阪駅に着いて、ホームへ行くと新快速電車が停まっていたので飛び乗ると、シートの上に下の広告が在りました。
「興福寺中金堂」の文字が・・。
この二日間も、藤原不比等さんに見られていたように思う私でした。